第165話 三木城にて(後編)
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遡ること天正七年(1579年)十一月十三日。竹中重治が亡くなったことが、安土城の織田信長に伝わった。しかし、信長に重治を弔っている暇はなかった。
何故ならばその前日、越前北ノ庄城から安土城へやってきた佐久間信盛とその嫡男である佐久間信栄の親子を拘束し、改易と追放処分を言い渡したからであった。馬廻衆に取り押さえられる佐久間親子と、随員として従ってきた家臣の目の前で、信長は後の世で『十九か条の折檻状』と呼ばれる弾劾文を菅屋長頼に読ませていた。
現代にも伝わる『十九か条の折檻状』では、信盛が越前から北へ勢力を伸ばさなかったこと、信長に意見を求めなかったこと、越前内の与力を軽んじて一族の知行のみ重視したこと、戸次右近(簗田広正のこと)を陥れて加賀南部二郡と大聖寺城を手に入れたこと、他の重臣(明智光秀、羽柴秀吉、池田恒興)が比類なき功を上げているのに未だ功を上げていないこと、などが記されている。中には天正元年(1573年)八月、朝倉義景との戦いで撤退する朝倉勢に追撃をしなかった家臣達を叱っている信長に対して、唯一口答えをしたことについても言及していた。
信盛・信栄親子が安土城で拘束されている中、近江国海津に予め集結していた明智光秀と津田信澄、そして丹羽長秀の軍勢は越前国に雪崩込んだ。と同時に前田利家、佐々成政、不破光治、原長頼、金森長近が一斉に動き出し、佐久間家の知行を襲い始めた。
奇襲に近い攻撃を受けた佐久間一門の領地は多少の抵抗はしたものの、それまで全く戦の備えをしていなかったこともあり、あっという間に制圧された。ただ、根切り(皆殺し)にされるということはなく、大体は丁重な扱いを受けたと言われている。
一方、信盛の本拠地である北ノ庄城は籠城の構えを見せたものの、数日後に近江から北上してきた明智・津田・丹羽連合軍と、それと合流した前田・佐々・不破の軍勢に包囲されてしまった。光秀が交渉した結果、北ノ庄城は開城。城内にいた者達全員が拘束されることとなった。
越前全土を制圧した光秀達は、加賀南部二郡の拠点である大聖寺城と交渉に当たった。この頃には信盛・信栄親子が追放を受け入れ、高野山に入ることに同意したことが伝わっており、大聖寺城側も抵抗することなく受け入れていた。という訳で、大聖寺城には信澄が入城した。
明智光秀の策と言われている佐久間信盛・信栄親子の追放及び越前の制圧は鮮やかに決まった。越前及び加賀南部の制圧は十二月の上旬には終わり、犠牲者も百名前後で済んだとされている。
もっとも、越前と加賀南部の制圧が終わった直後、越前に大雪が降ったため、明智・津田・丹羽の軍勢が自国に戻れなくなってしまったというアクシデントが起きてしまったのだが。
時は戻って三木城本丸御殿。堀秀政の長い書状には佐久間信盛・信栄親子の追放劇について余すことなく記されていた。秀吉はその内容をその場にいた者達に口頭で伝えた。そして伝え終えた秀吉は、内容を伝えている間に抱いていた疑問を解消すべく、重秀に尋ねてみる。
「藤十郎。お主、皆が驚いていた中でも全く驚いていなかったな。まさか、知っておったのか?」
そう聞かれた重秀は、皆が注目している中、頭を下げながら答える。
「・・・はい。上様より直にお聞きしておりました。そして、この事が、殿様(織田信忠のこと)の軍勢が播磨へ遣わすことの出来なかった原因でもございました」
重秀の言葉に、秀吉と小一郎が同時に「あっ」と声を上げた。そして秀吉が持ち前の頭の回転の速さで、全てを理解した。
「・・・なるほど。殿様の軍勢は、明智勢を始めとした越前平定の軍勢が苦戦、もしくは平定に失敗した時に備えていたのか。それ故、動かすことが出来なかったのか」
秀吉がそう言うと、重秀が「御意」と短く答えた。その表情には秘密をやっと口外できたという安堵感が溢れていた。重秀が更に話す。
「上様は佐久間様の追放が終わるまでに宇喜多を調略せよと申しておりました。父上の慧眼により、事前に調略していたお陰で早めに寝返らせることができました。問題は、佐久間様追放が成った後、宇喜多の所領安堵を反古にすることはないでしょうか?」
重秀がそう懸念を表すると、秀吉は即座に「ありえぬ」と言い放った。
「上様は今まで傘下に入った大名に対してぞんざいな扱いはしてきておらぬ。宇喜多が裏切らぬ限り、宇喜多への所領安堵を撤回するということは考えにくい。そもそも、そんなことをしたら各地でまた裏切りが発生するわ。せっかく公方(足利義昭のこと)や毛利による包囲網を瓦解させつつあるというのに、再び包囲網を敷かれることを上様がするわけがない」
秀吉の言葉に、重秀は「それもそうですね」と笑いながら言った。しかし、今度は小一郎が懸念を表する。
「・・・兄者。傘下の大名はそうかも知れぬ。しかし、佐久間様は織田家の重臣。しかも尾張で織田家同士が争った際にいち早く上様の支持を打ち出したのが佐久間様じゃ。その佐久間様が追放、領地没収の憂き目にあったとなると、上様は力を持つ重臣を追放する気なのではないか?」
小一郎の言葉に、皆が一様に息を呑んだ。小一郎の言葉には、そのうち羽柴も追放されるのではないか、という懸念が含まれていたからだ。そしてそのことは当然秀吉も感じていた。
「・・・藤十郎」
秀吉が重秀に視線を向けて声をかけた。重秀が「はい」と答え、秀吉の方を見た。秀吉が重秀に尋ねる。
「もう隠す必要はなくなったんじゃろ?お主、上様から佐久間様追放の件について、この書状に書かれた事以外に何か聞いておらぬのか?」
そう聞かれた重秀は、「そうですね・・・」と安土城で信長から聞かされた話を思い出しつつ、秀吉達に話した。
「・・・上様が佐久間様の追放を決めたのは、佐久間様が越前から北へ兵を進めなかっただけではありません。越前の地を柴田修理亮様(柴田勝家のこと)に与えるためと言っておりました。また、織田家中では佐久間様への不満の声が上がっていたと聞いております」
重秀の話を聞いた秀吉は、「ああ、なるほどな」と納得した様な声を上げた。
「修理亮様は石山本願寺を屈服させた功労者。その功労者に新たな領地を与える必要が確かにあるな。それに、石山本願寺に積極的に戦を仕掛けていた御方じゃ。越前に配置すれば、必ずや加賀や能登、越中まで兵を進めようぞ」
「それに、織田家中の不満ならば、前田の又左様(前田利家のこと)が今年の正月会った際に愚痴っておられた。恐らく、越前の与力衆は上様に右衛門尉様(佐久間信盛のこと)の事を突き上げていたんじゃろうな」
秀吉に続いて、小一郎も思い出したかのような顔つきで話した。更に重秀も話を続ける。
「・・・今思い出しましたが、去年、長岡与一郎殿(長岡忠興のこと)とお玉殿の婚姻の宴では、柴田様のご家中だけでなく長岡様や明智様のご家中からも佐久間様への不満を漏らす者が居りました」
「そう言う些細なことも漏らさずに儂に教えて欲しいのじゃがのう」
秀吉が批難めいた視線を重秀に投げかけながらそう言うと、重秀はハッとした顔になって「も、申し訳ございませんでした」と頭を下げた。秀吉が溜息をついて語りかける。
「・・・まあ、今後は気をつけるように。ただ、聞いた限りでは佐久間様の追放の要因は、佐久間様自身の怠惰とそれに対する家中の不満。そして上様の不満のようじゃな。と、すると・・・」
そう言いながら秀吉は視線を小一郎に向けた。小一郎の視線を真っ直ぐ見受けながら、秀吉は確信したかのような口調で話す。
「・・・儂等羽柴が佐久間様のように追放されるということはないんじゃないのか?我等は上様の命に従って毛利と戦い、播磨を平定しとる。越前に引きこもったままの右衛門尉とは違うんじゃ」
「しかし兄者。儂等は成り上がり者じゃ。これだけ大功を挙げとる儂等に不満を持っておる連中は織田家中に多かろう。不満の声が上がる虞がない訳ではないぞ」
「それは確かにそうじゃ。その点は儂等も注意せねばならぬ」
そう言うと秀吉は、視線を小一郎から皆に向けた。その鋭い視線に、皆が姿勢を正す。
「儂等は大身となった。多少なりとも人々からは注目の的となろう。それ故、儂等はより一層身を慎まなければならぬ。お主達も、常に我が身を正すように。良いな?」
そう言う秀吉に対して、皆は返事もせずにジト目で見つめ返してきた。秀吉が思わず声を上げる。
「な、何じゃお主等!儂に対してその目はなんだ!?」
「いや、義兄貴よ。そう言う割には、福殿(宇喜多直家の正室)の元へ頻繁に伺っているようじゃないか?」
浅野長吉がそう言うと、皆の視線が一斉に秀吉に向けられた。特に重秀の視線は軽蔑がたっぷりを込められている視線であった。秀吉が慌てたように声を上げる。
「あ、阿呆!わ、儂は人質であるお福殿と八郎(のちの宇喜多秀家)の身体を案じておるのじゃ!大体、人質の様子を慮るのは当然であろう!?」
そう言う秀吉に対して、その場に居た者は全員胡散臭そうに秀吉を見ていた。重秀は軽蔑だけでなく、憎悪の感情を込めた視線を投げかけてきていた。そんな時だった。小一郎が口を開く。
「皆の懸念もっとも。しかし、今のところお福殿への手出しを兄者はしておらぬ。儂がしっかりと見張っておるからのう。それに、いくら兄者とは言え、人様の妻に手を出すほど落ちぶれてはおらぬ」
小一郎の言葉に、皆が一斉に秀吉への疑いの眼差しを止めた。重秀も視線を和らげて一息ついていた。しかし、小一郎は秀吉に対して釘を差すことを忘れていない。
「兄者よ。人の妻に手を出せば、儂等に反発する織田家中の絶好な攻撃材料になるんじゃ。しかも、お福殿は備前と美作を治める宇喜多和泉守様(宇喜多直家のこと)の正室じゃ。人質を大切にするのは重要じゃが、人に疑われるようなことはしないでくれよ」
「わ、分かっておるわ!」
そう言うと、秀吉は苦虫を噛み潰したような表情になったのだった。
その日の夜。重矩の歓迎の酒宴が行われた。と言ってもさほど大きな酒宴ではなく、時間もさほど長くはなかった。
その酒宴が終わった後、秀吉は書院に小一郎、重秀そして正勝と長吉を呼び出した。書院には他に三成もいた。
「なんじゃ?兄者。酒宴の後に儂等を呼び出すなんて珍しいではないか」
呼び出された小一郎がそう言うと、秀吉はさっきの酒宴とは違って真面目そうな顔で口を開く。
「うむ。皆を呼んだのは他でもない。播磨を平定した後の話をしておきたいのじゃ」
「播磨平定の後、ですか?」
重秀がそう尋ねると、秀吉は「ああ」と頷いた。秀吉が話を進める。
「半兵衛も言っておったが、上様は重臣があまり力を持ちすぎることを望まぬであろう。儂は播磨を平定した後、播磨一国が貰えると思っておった。しかし、ひょっとしたら播磨一国は貰えぬやも知れぬ。もしくは播磨一国は貰えるが、摂津の二郡か北近江三郡は召し上げられるやもしれぬ」
「しかし殿さんよ。確か別所とそれに組みした国衆の全ての石高は四十万石あったはずだぜ。今までの領地を召し上げられたとしても、倍以上の知行は貰えるんじゃないのか?」
「いや、実はそうでもないのじゃ。のう、長吉?」
秀吉がそう言って長吉の方を見た。皆が一斉に長吉の方を見ると、長吉が話し始める。
「それがしが藤十郎と共に北播の検知を行ったのは皆も知っていると思う。そこで分かったことなのだが、城に残されていた検地帳に書かれていた収穫数と、実際に検地して分かった収穫予想数に齟齬が生じていた。具体的に言えば、検地帳の収穫数が過剰に見積もられていた」
「ああ、浅野の叔父上から聞きました。実際の収穫数は検地帳に書かれている収穫数の七割ぐらいだろうと」
長吉の話を聞いた重秀がそう言うと、小一郎と正勝は一斉に顔色を変えた。二人は秀吉の方を見ると、秀吉がゆっくりと口を開く。
「その顔だと、儂の言いたいことは皆分かったようじゃのう。その通りじゃ。別所とそれに組みした国衆の知行は我等の予想よりも少ない」
秀吉の話を聞いた小一郎が、顔を上に向けてブツブツ独り言を呟いた。そして顔を正面に戻して皆に聞こえるように呟く。
「・・・四十万石の七割となると、大体二十八万石くらいか。・・・まさかとは思うが、播磨全ての検地帳が過剰に記載されておらんよな?」
そう呟いた小一郎の言葉に、皆がギョッとした顔をした。秀吉がその呟きに反応する。
「それは官兵衛に聞いてみないことにはなんとも。しかし、この検地帳の書き方が播磨のやり方ならば、播磨は我々が思ったよりも実入りの少ない国ということになる」
「・・・儂等は播磨一国で六十万石近いもんじゃと考えておったが、実際は四十万石いかないかも知れぬなぁ」
「・・・まいったな、殿さんよ。播磨の国衆で我等に付いた連中や降伏して所領を安堵した連中の知行を除けば、俺の取り分はそんなに無いぜ?」
「父上。今までの知行が取り上げられた場合、石高以上に銭を失う虞がございます。播磨で養蚕や油桐、牛や豚を一からやり直すのは時がかかりまする。また、兵庫津からの実入りも無くなりますれば、水軍の維持が難しくなりまする。これでは、備前、美作より西への進撃が難しくなります」
小一郎と正勝、そして重秀が次々と意見を述べた。どの意見も羽柴家のこの先が厳しいことを予想していた。
「分かっておる。そこで、これから我等が取る道を決めなければならぬ。半兵衛が生前言っていたように、ここで更に大きくなるか、上様から目をつけられなくなるよう、小さくなるか、じゃ」
秀吉の言葉に、重秀達は「うーん」と唸った。まず正勝が意見を言う。
「・・・今更小さくなるっつったって、俺達が納得しても俺達の家臣が納得しないぜ。皆褒美が貰えるから死も厭わずに戦ってたんだ。ここで播磨も貰えずに北近江に引っ込めと言われても困るぜ」
続いて小一郎が意見を述べる。
「儂としてはもう十分じゃと思っておる。しかし、兄者はそうは思ってはおらぬのであろう?だったら、兄者を最後まで支えてらんとのう」
そして長吉が意見を述べる。
「ま、義兄貴がこのまま止まるとは思えんからな。それに、上様も義兄貴に北近江に引っ込めとは言わないんじゃないか?ここまで功績を挙げてきた義兄貴は、上様にとっても使い勝手の良い家臣じゃ。使い潰すまで働かせるんじゃないか?」
最後に重秀が自分の考えを述べる。
「そもそも、まだ播磨の平定は終わっておりませぬ。まずは播磨の平定を先に済ませ、それから上様の出方を見てから考えても遅くはないのではありませぬか?」
重秀の発言に、三成も思わず「若君に同心致します」と口を挟んできた。直後、「出過ぎた真似をお許しください」と言って謝罪した。秀吉が三成に言う。
「良い。そろそろ三成も儂等のこういった話し合いに参加させたいと思っておったのよ。半兵衛も亡くなった今、少しでも頭の良い者を儂の傍に置いておきたいからのう」
「佐吉をか?」
小一郎がそう尋ねると、秀吉は「ああ」と答えた。
「半兵衛の後釜には官兵衛を考えておる。しかし、これから先の毛利戦を考えると、戦場での策だけではのうて領地の米や銭の量も頭に入れて考えにゃならん。ありがたいことに藤十郎や小一郎、弥兵衛(浅野長吉のこと)、そして仁右衛門(増田長盛のこと)がそのことについては詳しいが、四人は儂の傍にいつもいるわけではない。佐吉も詳しいからのう。これからは積極的に活用したいのじゃ。それに、佐吉も妻子を持つ身じゃ。そろそろ一端の家臣として扱っても良いじゃろう」
秀吉の言葉に、重秀が驚きの声を上げる。
「えっ!?佐吉って、妻子がいたのですか!?」
「何じゃ知らなかったのか?天正六年(1578年)に甚右衛門(尾藤知宣のこと)の姪を妻に娶って、今年に娘が生まれたと聞いておるぞ。のう、佐吉?」
秀吉がそう言いながら三成に顔を向けると、三成は「御意にございます」と返事をした。重秀が三成に言う。
「それは知らなかった・・・。後で出産の祝いの品を贈っておくから」
そう言われた三成は、最初は「お構いなく」と断ったが、結局は秀吉の「貰っておけ」と言うアドバイスに従うことにした。
その後、重秀は少し首を傾げて考え込むと、秀吉に話しかける。
「父上。市と虎にもそろそろ妻を用意したほうがよろしいと思うのですが・・・」
「ああ。その点についてはこっちで何とかする。実はこの播磨平定の戦で市と虎はだいぶ名を知らしめるようになってのう。あっちこっちから縁談の話が儂や小一郎に来ておるのじゃ。播磨平定が終わったら改めて話をしよう」
秀吉がそう言うと、重秀は黙って頭を下げた。
その後、播磨平定後の方針について話し合われた。とりあえず播磨が秀吉のものになるという前提で方針が話し合われた。しかし、結局は竹中重治が生前秀吉に語った構想―――但馬、因幡、淡路への侵攻を基本とする方針が取られることとなったのであった。