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第163話 師との別れ

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誤字脱字報告ありがとうございました。お手数をおかけしました。

 天正七年(1579年)十一月八日。三木城に秀吉が入城した。この日をもって三木合戦は終了したと言われている。しかし、秀吉達羽柴勢はこれからが大変であった。

 三木城そのものはすでに降伏した別所勢によって後始末は完了していた。死体は一部を除いて全て周辺の寺に収容された後に供養され、その後一部の附城に移された。その附城は撤去された後、墓地として再利用されるのである。

 さて、一部の死体は三木新城(独立した城ではなく、本丸の隣に拡張された曲輪)の屋敷に運び込まれた後、屋敷ごと燃やされた。


「・・・これで、彦進(別所友之のこと)と弾正(淡河定範のこと)は山城(別所吉親のこと)の妻子と共に自決。死体は区別がつかぬほど燃えてしまった、ということになるな」


 秀吉が燃え落ちて炭と化してしまった屋敷を見ながらそう言うと、側にいた別所重宗と別所友之、そして淡河定範に声をかける。


「後は弾正と彦進等を水軍に放り込んで海の上に出せば、上様の目は誤魔化せるというものじゃ」


「・・・筑前守様のご配慮に感謝いたしまする」


 重宗がそう言って頭を下げると、友之も定範も揃って頭を下げた。


 その後、秀吉が重秀を含む羽柴方の諸将を連れて、三木城の本丸御殿に入った。広間では改めて生き残った別所の者達が秀吉に平伏し、それぞれが羽柴と織田へ提出する誓紙を差し出した。こうして、別所家の所領、そして東播は織田の支配下に入ることとなった。





 それから二日後、天正七年(1579年)十一月十日。秀吉と小一郎、そして重秀は三木城本丸の一室にいた。秀吉達だけではない。蜂須賀正勝や浅野長吉、仙石秀久、そして昨日御着城から急遽呼び出された前野長康、さらには秀吉が木下の頃より付き従っていた者達もその部屋にいた。彼等の視線の先には、竹中重治が布団に横たわっていた。


「・・・容態はどうじゃ?」


 小一郎が重治の傍にいる医者に尋ねた。


「・・・今は落ち着いておられまするが、もはや体力はありませぬ。これが、最後の機会かと」


 脈を取りながら医者がそう答えると、秀吉以外の者達は一斉に息を呑んだ。一方の秀吉は医者に下がるよう命じると、立ち上がって重治の傍に近づいた。


「・・・半兵衛。話せるか?」


「・・・ええ。・・・今日は不思議と気分が良いようでございます」


 重治はそう答えた。確かに昨日まで喉からヒューヒューと喘鳴ぜいめいを鳴らして苦しそうな状態であったのに、今日に限っては喘鳴も聞こえず、声も穏やかそうに聞こえた。


「半兵衛。そなたのお陰で三木城は落ちた。最後の最後で大手柄を取ったのう」


 朗らかに言う秀吉に対して、重治は「はい」と答えた。秀吉が更に話しかける。


「これで、あの世とやらで史に名を残す将や軍師とやらに自慢できる武功を立てられたかの?」


 秀吉の問いに対し、重治は首を横に振った。


「・・・できますれば、百万の大軍の指揮を執ってみとうございました」


「大言壮語を吐くもんじゃのう。じゃが、これから先そのような大戦おおいくさがまだまだ出てくるぞ。毛利との決戦もあるし、その先九州との戦もあろう。東国では未だ武田と上杉が残っておるし、ひょっとしたら北条との戦があるやもしれぬ。東北には南部や蘆名が残っておるし、半兵衛が戦う相手はまだまだおるぞ。死んでる暇はないぞ、半兵衛!」


 秀吉がそう言って励ますと、重治は弱々しく笑いながら言う。


「なるほど、殿。確かにそれらの敵を一つにまとめて戦えば大戦になりますな・・・。しかし、それではそれがしの望む戦にはなりますまい」


「どういうことじゃ?半兵衛?」


「・・・例え公方様(足利義昭のこと)を旗印として団結したところで、突けば瓦解する烏合の衆。各個撃破しておしまいです。私が百万の大軍を率いるまでもありませぬ。というか、私一人で調略を仕掛け回れば、殿の軍勢だけでも十分勝てます。百万の兵などいりませぬ」


 重治はそう言うと咳を一つした。そして溜息をつくと、秀吉に語りかける。


「・・・英賀城は内部を寝返らせればすぐに落ちますでしょう。また、三木城が落ちたことで、但馬の山名は動揺しているものと思われます。この時期は雪がもうすぐ降ります故、来年の雪解けを待ち、羽柴全軍をもって攻め込めば、但馬はすぐに平定できますでしょう。兵力が損なわれていなければ、そのまま因幡まで攻め込むべきです。播磨を救えなかった毛利を、因幡の山名中務大輔(山名豊国のこと)は見限っているはずです。すぐに降伏致すでしょう。また、淡路国に若君の水軍を派遣するべきでござる。そうすれば、殿は播磨、但馬、因幡、淡路の四カ国を持つ太守となりましょう。これならば、上様の下で羽柴家は重臣中の重臣と相成られまする」


 重治がそう言うと、秀吉は「うんうん」と頷いた。


「半兵衛がそう言うのであれば、そうしよう。しかし淡路まで攻める必要があるか?」


 秀吉の疑問に、重治は白くなった唇を動かして言う。


「・・・あそこを押さえることができれば、瀬戸内の海は羽柴のものになります。長崎や博多から堺への航路を羽柴が押さえることができれば、もはや上様ですら羽柴に手を出すことはできませぬ」


「・・・それはそれで上様に睨まれるのではないか?」


「・・・恐らく、上様はこれから先、重臣の力を削ぐよう考えることでございましょう。これから我等が取るべき道は二つ。一つは今までのように功を上げ、上様の力を凌ぐ力をつけること。もう一つは今までのやり方を改め、功を取らずに北近江で小さくなるか、でござる。

 ・・・もっとも、北近江をいつまでも羽柴の領地にはしますまい。恐らく、直轄地にするために召し上げられる可能性が大きいかと」


「・・・今更北近江でこじんまりとできぬわ。ここで大きくなるのを止めたら、『猿は所詮ここまでの男よ』と織田家中、いや天下で侮りを受けることになる。それは嫌じゃ」


 秀吉がそう言って渋い顔をすると、重治は「でしょうな」と薄く笑った。重治が更に言う。


「・・・殿は百姓の出でありながらここまで来られた。日本ひのもとの史では実に稀有な御方にございます。殿は民百姓の苦しみ、悲しみ、そして楽しみをよく知る御方でござる。そのような御方がまつりごとを行えば、必ずや民百姓は救われましょう。天下万民のため、何卒、殿には上様には負けないで頂きたい」


 重治の言葉に危険を感じ取ったのは秀吉だけではなかった。小一郎も、重秀も重治の発言に危険を感じ取っていた。二人が渋い顔をしている中、秀吉は笑い声を上げて重治に言う。


「あっはっはっ!半兵衛、面白いことを言うのう!しかし、儂は何をしても上様に勝てそうもないわ!大体、上様が儂を引き上げたからこそ、儂はこの地位にいるのじゃ!もし上様が儂を恐れるというのであれば、儂は喜んで隠居し、藤十郎に家督を譲ってやるわ!それでも羽柴を恐れ、儂等を討伐するのであれば是非もなし!城を開け放ち、銭や米を民百姓に全て配り、謀反を起こす気など無い事を証して上様の軍勢を迎え入れるわ!」


 秀吉の言葉に、重治は笑いだし、小一郎達はますます渋い顔をした。重治が一頻り笑い終わると、秀吉に話しかける。


「殿。いや、藤吉とうきち殿。それがしの遺言がそこの箱の中に入っておりまする。今のうちに読んでおいて下され。万事、そのようにしていただければ、それがしはもう思い残すことはございませぬ」


 そう言われた秀吉が、「分かった」と言いながら箱の中から一通の書状を取り出した。包み紙を開いて中の書状を読むと、「全て半兵衛の言う通りにしよう」と頷いた。直後、秀吉は重治に何かに気がついたような顔をした。そして重治に語りかける。


「おお、半兵衛よ!儂とばかり話しては皆が不満を持ってしまう!儂は一旦下がるから、後は皆とゆるりと語り合うが良い!」


 目に涙をためながら秀吉はそう言うと、目頭を押さえながら部屋から出て行ってしまった。皆が秀吉が出ていった襖を見つめていると、重治が「小一郎殿」と呼んだ。


「・・・半兵衛殿」


 呼ばれた小一郎が近づくと、重治は小一郎に尋ねる。


「・・・与一郎殿の容態は如何ですかな?」


「・・・もうすでに良くなっておりまする。申し訳ござらぬ。元々は半兵衛殿の医者だった者を、与一郎の看病に回していただいて」


 病気で倒れた木下与一郎吉昌は、秀吉と半兵衛の計らいで、曲直瀬道三が半兵衛のために残した弟子の医者に診せることができた。その結果、適切な治療を受けることによって回復することができた。


「良いのです。もうそれがしに医者は要りませぬ」


「そういうわけにはいきますまい。それに、聞けばあの医者に自分ではなく兵達を診るように申し付けたとか」


「これから冬ですからな。兵達の身体にも気を配らなければ。数が少ない羽柴勢を、病で失うわけには参りませぬ」


 そんな話をしつつ、重治は小一郎との会話を楽しんだ。そして小一郎との会話が終わると、今度は正勝が呼ばれた。そうやって一人一人が重治に名を呼ばれて布団の傍まで行き、語らい合った。その内容は思い出話や今後のアドバイスが中心であった。話は尽きること無く、中には複数人で話すこともあった。そして、長い話が終わった後、最後に重秀が呼ばれた。


「・・・若君」


 そう言う重治の顔色は青ざめているのを通り越して白色となっていた。重秀が思わず重治に言う。


「半兵衛殿。もうこれ以上話されては命に関わります。もう、休まれては如何ですか?」


 心配そうな表情でそう言う重秀に、重治は首を微かに横に振った。


「いえ・・・。若君とは今話しとう事が多くあります。何卒、この死にぞこないの話をお聞き下され」


 そう言うと、重治は一回咳き込むと、話をし始める。


「・・・若君には大変感謝しておりまする。若君に、それがしが知り得る事をお教えすることができ申した。初めて若君・・・いえ、大松に会ったのは、永禄十一年(1568年)の頃でしたかな?」


「確かその頃かと。半兵衛殿・・・いえ、竹中様が岐阜に来られた頃でしたので」


 重治が『大松』と呼んだので、重秀も昔のように『竹中様』と呼んだ。その言葉が懐かしかったのか、重治は微笑みながら話を続ける。


「そうでした・・・。あの時、引っ越しの手伝いに来ていた子供が、それがしの『三国志』を読んでいたのを見つけたのが、始まりでしたな」


 そう言われた重秀の脳裏に、初めて重治と会った時の光景が脳裏に浮かび上がった。小さな屋敷の一室で、自分の身長よりやや低く積まれた多くの本の山。その本の山の一つに、『三国志』が置かれてあった。興味本位で開いたところから、全てが始まったのだった。


「・・・それ以来、大松は寺に通い、武術を学ぶ一方、それがしから漢籍を学びましたな。・・・大松はそれがしの話を必死に聞いておりましたな」


「『三国志』を早く読みたかったからですから」


 そう言う重秀を見つめる重治。布団から手を出すと、重秀の目の前に差し出した。重秀が両手で重治の手を握った。重治が重秀に再び語りかける。


「・・・当時、子のいなかったそれがしにとって、大松は我が子のようなものでござった。それ故、それがしは大松に己が生涯かけて学んだことを全て教えようと思いました。それは、大松が優れていたのと、それがしから学びたいという強い意志を持っていたからにございます」


「・・・当時は、父より『竹中様は稀代の天才、それから学ぶことは木下の誉れぞ!ちゃんと学ばなければ、家から追い出すぞ!前田家にも入れないようにしてやる!』と言われておりました故、必死に学んでおりました」


「・・・それは、辛うございましたな。しかし、大松はそれがしの教えについていけました。お父上は大松の能力を知っておられたのでしょう。おかげで、それがしは大松に我が生き様を伝えることができました」


 重治がそう言うと、数回咳き込んだ。咳き込み終わった後、一回深呼吸をすると、再び話し始める。


「大松・・・いえ、若君。人というものは必ず死ぬものにござる。それ故、人は何かを現世に残したいと思うものにござる。例えば、血を分けた子を残したいと思う者もあれば、己の生き様を残したいと思う者もおりまする」


「生き様、ですか」


 重秀がそう呟くと、重治は微かに頷いた。重治が更に語りかける。


「理想なのは血の分けた子が、己の生き様を受け継いでくれることにございます。しかしながら、それがしには子が授かるのが遅うございました。有り体に申さば、それがしは己の生き様を若君に受け継がせるべく、若君に教えていたのです。まあ、後で血の分けた子が生まれましたが」


「・・・吉助(竹中重門のこと)に、これから教えていけばよろしいではございませぬか・・・」


 声を震わせながらそう言う重秀に対し、重治は首を横に振る。


「・・・いや、実は兵庫で養生中だった時、あの子に軍物語をしたところ、厠に行くと行って途中で退席いたしましてな。全く、なっていない愚息でござる。武士たるもの、小便を漏らしてでも軍物語は最後まで聞くものにござる。あの様な者に、それがしの生き様を教えるのは無駄というものでござろう」


「いや、吉助はまだ七歳ですよね?軍物語はまだ早いと思いますが・・・」


 重治の物言いに、重秀が涙を引っ込めながらそう言った。重治が軽く反論する。


「・・・若君は七歳にてそれがしから『三国志』を夢中になって聞いていたではござらぬか。『三国志』も軍物語でござるぞ」


 重治からそう言われた重秀は、何も言えなくなってしまった。そんな重秀に、重治が再び話しかける。


「・・・若君はそれがしの元、十分学びました。もう、それがしが教えることはありませぬ。これからは、それがしが教えたことを生きていく上で活用することにござる」


「ま、まだまだ教えて欲しゅうございます・・・!」


 涙を流しながらそう言う重秀に、重治は微笑みながら語りかける。


「いえ、若君に教えられることはすべて教えました。それがしの知識はここまででござる」


 重治がそう言って一旦呼吸を整えた。そして再び語り始める。


「これから先は、それがしも知らぬことが待ち構えてくるでしょう。例えば、それがしは美濃の山奥で育ちました故、海のことは知りませぬ。また、西は四国九州、東は関東東北についてはあまり存じませぬ。更に、海を超えたから朝鮮の事柄は書物で知りましたが、いにしえの事はともかく今の事についてはよく知りませぬ。唐朝鮮よりも遠き南蛮の事は全く分かりませぬ。それ故、若君にはそれがしではなく、別の者から学んでいただきたいのです」


 弱々しい声ながらも語りかける重治に対し、重秀は流れる涙も気にせずに「はい」と語気を強めて答えた。重治の話はまだ続く。


「若君はそれがしの教えを真摯に聞きました。これからも、他人の教えには真摯に聞きますように。ただ、教えをそのまま受け入れるのではなく、よく考えて受け入れて下され。若君は他人の言う事は素直に聞きまする。それ自体は美徳でございまするが、ただ受け入れるだけというのは愚か者でもできまする。賢者とは、他人の言う事を自分で考え、どの場面で有効に使えるか、そして使えないかを判断する能力を持つ者にございます。若君には、何卒学ばれたことを自らの考えで使いこなせるような人物になっていただきたい。

 ・・・そして、もし人の意見で分からない、もしくは悩むことがありましたら、必ず史を振り返って下され。人は、世が進んだとしても意外と古の者達と同じ考えをするものにござる。先人が何をして失敗したのか、そして何をして成功したのかを知っていれば、若君が今後人の意見を聞いて迷うことはなくなるでしょう」


「分かりました・・・。その言葉、胸に刻みまする」


 涙をボロボロ流しながらそう答えた重秀。そんな重秀が掴んでいた重治の手から、力が抜けたのが分かった。重秀が思わず声を上げる。


「半兵衛殿・・・?半兵衛殿!」


 重秀の叫び声を聞いて、後ろで控えていた小一郎達が駆け寄ってきた。正勝が重治の口元に手をやると、鼻から微かに空気の流れを感じた。


「・・・まだ息はしている。疲れて寝たのであろう・・・」


 正勝がそう言うと、皆が一斉に安堵の溜息をついた。


「・・・そろそろ、我等も下がろうか」


 小一郎がそう言うが、誰もその場から動こうとはしなかった。


「・・・まあ、皆の気持ちも分かる。では、儂は兄者の元に向かう。何かあれば、呼んでくれ・・・」


 そう言うと、小一郎は鼻をすすりながら外へ出ていった。


 それからは、時間が経つにつれて、一人、また一人と部屋から出ていった。最後に残ったのは重秀であった。重秀は、重治の最後の一瞬まで傍らから離れることはなかった。





 豊臣秀重の日記『長浜日記』によれば、竹中半兵衛重治が亡くなったのは天正七年(1579年)十一月十一日の夕刻とされている。一方、竹中重門が書いた豊臣秀吉の伝記によれば、十一月十一日の朝方とされている。

 どちらにしろ、十一月十一日に竹中重治は亡くなった。『今孔明』と称され、後の世に『戦国一の名軍師』と呼ばれた男は、その日伝説となった。


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こんなん泣きますよ…
[良い点] まさに今張良。見事すぎる師にして軍師でした
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