第162話 三木城開城
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天正七年(1579年)十一月三日。三木城に重秀と浅野長吉と別所重宗、そして護衛として福島正則等数名がやってきた。そして案内の武者に導かれて、重秀と重宗は別所長治が待つ本丸御殿の広間に入った。
広間では、長治を始め別所友之、淡河定範等別所の家臣団や周辺の国衆等が全員下座に座り、上座の方へ身体を向けて待機していた。そして、重秀達が広間に入ってくると、一斉に平伏した。
一方、重秀達は、まず長吉と重宗が上座と下座の間にできたスペースに来ると左右に別れ、お互いが対面になるように座った。そして、重秀が上座の真ん中においてある床几に座り、正則がその横で片膝をついて跪いた。正則は重秀の護衛として、何時でも刀を抜いて立ち上がれる状態となった。
重秀が床几に座り、一呼吸置くと第一声を発する。
「一同、面を上げられよ」
そう言うと、長治達が頭を少し上げるが、視線は床に落とされたままであった。重秀がそのまま話を続ける。
「羽柴藤十郎である。此度は父羽柴筑前守の名代として、また、前右府様(織田信長のこと)の女婿としてやってきた」
重秀が三木城にやってきたのは、織田信長の女婿であるという立場故であった。竹中重治は三木城降伏の際、別所の顔を立てる事に心を砕いていた。あくまで、羽柴ではなく織田への降伏という形を取ったのである。そして、羽柴家の中で一番織田に近いのは信長の養女である縁を娶った重秀であった。
「・・・羽柴様にはご足労をおかけして恐悦至極に存じまする。此度の戦、その全ての責はこの別所小三郎が負います故、何卒、城内の者共には寛大なるお慈悲をいただきますよう、伏してお願い申し上げまする」
長治がそう言って再び平伏すると、周囲にいた別所の者達も平伏した。
「ご心配なく。竹中半兵衛殿と話し合われた条件、違えることはありませぬ。羽柴の、いや織田の面目を賭けて条件を履行致すことをお約束致します」
重秀が力強くそう言うと、長治が「有難き幸せ!」と大声で返した。その後、長治は自分の横に置いてあった首桶を重秀の前に差し出した。
「これは我が叔父、山城守(別所吉親のこと)の首級にございます。どうぞお納め下され」
そう言うと、首桶の覆いを外し、中にある別所吉親の首級を重秀に見せた。吉親の首は日が経っており、いくら初冬の寒さがあるとは言え腐敗が進みつつあった。
重秀はその腐臭に顔を顰めること無く吉親の首を見つめるが、そもそも重秀は吉親の顔を知らなかった。そこで視線を重宗に送った。
「羽柴様。形はいささか崩れておりまするが、確かにこれは別所山城守の首にございまする」
重宗がそう答えると、重秀は黙って頷いた。
「よし、持っていけ」
長吉が一緒に来ていた兵にそう命じると、数名の兵が吉親の首桶を持って外に出ていった。それを見た重秀が長治に話しかける。
「また、我が父より降伏の礼として、酒と肴を持って参りました。播磨だけではなく摂津の酒に明石で獲れた新鮮な魚、安土で流行りの『琵琶湖の鯨肉』、近頃兵庫にも出回っている南蛮の菓子を差し上げます。今宵はゆるりと味を堪能して下され」
「・・・有難き幸せ。謹んで筑前様のご厚意をお受けいたしまする」
そう言って再び平伏した長治だったが、その直後に再び声を上げる。
「恐れながら、お願いしたき儀がございます」
長治の言葉に、重秀以外の者に緊張が走った。しかし、それを尻目に重秀が落ち着いた口調で尋ねる。
「何でしょう、別所殿?」
重秀の問いに、長治が顔を上げながら明るい声で言う。
「前右府様の婿殿より、茶を一杯所望いたしとうございます」
三木城本丸御殿の書院。ここには重秀と長治、そして正則と友之が居た。重秀が茶を点て、正則がその手伝いをし、長治と友之が茶を飲んでいた。
「・・・結構なお手前でございました」
簡易的な茶会ではなく、本格的な茶事を全て終え、そう言って平伏した長治。友之もぎこちなく平伏した。重秀が微笑みながら一礼し、正則も慣れた動作で一礼した。
「しかし、よもや茶事をされるとは。この小三郎感服仕った」
長治が感心してそう言うと、重秀が「恐れ入ります」と言って返した。
「宗匠(千宗易のこと)より、『常におもてなしの準備を怠るな。戦の準備を怠らぬのが武士ならば、茶の湯の準備を怠らないのが茶人の心意気』と習っております故」
重秀がそう答えると、長治は「さすがは前右府様の茶頭の一人でござる」と感心した。
実際のところ、三木城への兵糧攻めが長くなった結果、諸将への饗しと士気向上のため、秀吉の本陣がある陣城ではよく茶会や茶事がなされていた。なので、それらで使われた茶道具を三木城に持ち込めば、茶事を開くことはさほど難しいわけではなかった。
しかし、そのような裏事情をあえて言わないことも、饗しの一環であった。
「料理も酒も、そして茶も見事な饗しでござった。特に、この茶碗は見事なものでござるな」
そう言いながら長治はさっきまで茶を飲んでいた茶碗を見つめた。重秀が解説する。
「宗匠が父筑前に贈られた今焼の赤茶碗です。京の焼物師、長次郎なる人物の作でございます」
「ほう・・・」
長治が感心したような声を出した。重秀が更に話す。
「宗匠は赤茶碗の更に上をゆく茶碗を長次郎と共に作っておいでです。まだ納得のいく物ではないと言うことなので、未だその姿を見せてもらっておりませぬが。しかし、宗匠は『これが上手くいけば、唐・高麗名物など小賢しい物に成り果てまする』とおっしゃられておられたとか」
「とすると、かなり華やかな焼物と相成りますでしょうな」
長治がそう言うと、重秀は首を傾げる。
「・・・どうでしょうか?兵庫城にて宗匠が手掛けた茶室を見ましたが、あの茶室で華やかな茶碗はかえって目立つ・・・というか煩く感じます。この赤茶碗のように単色ではないのでしょうか?」
「なるほど・・・」
そう言って頷く長治。隣では友之がキョトンとしていた。そんな友之を横目に、長治が何かを思い出したかのような表情で重秀に話しかける。
「ああ、儂としたことが忘れていた。竹中殿から頂いた百人一首カルタ。あれは見事な物にございました。あれを制作されるとは、羽柴殿は歌にもご精通されているようで」
「ああ、あれは歌を学ぶために作ったものにて。妻の乳母より歌を習っていましたが、その乳母がとても厳しくて。必死に学ぶためにやむを得ず作ったのです。しかし、ただ覚えるのではなく、楽しみながら覚えられたら良いなと思い作りました。偶然にも古今伝授の方法の一つを知りました故、長岡兵部大輔様(長岡藤孝のこと)のご子息(長岡忠興のこと)の協力を得て作ったのでございます」
「ほう、それでは歌はその乳母殿に今でも習っておられるのか?」
「いえ、最近は日野の参議様(日野輝資のこと)と文のやり取りにて、歌を学んでおりまする」
「公家から歌を学ばれるとは・・・」
長治はそう言うと渋い顔をした。目の前の年下の男、しかも弟より年下の男が自分達より高度な学問を受けていることに、嫉妬の想いが芽生えたからだった。しかし、長治はこの嫉妬の芽をさっさと潰してしまった。どうせ明日の今頃は腹を切って死出の道。嫉妬して死ぬことは恥だと感じたからだ。ならば、せめて残された者に後を託すべきであろう。
長治はそう思い、重秀に話しかける。
「羽柴藤十郎殿」
長治が重秀に畏まりながらそう言うと、頭を下げながら言う。
「我が弟、彦進は武勇優れたる者なれど、歌などの風流を解さぬ武骨者。何卒、この者に雅の何たるかを教えて下され」
「あ、兄上!?」
長治の言葉に友之が思わず声を上げた。長治が友之を見ながら話を続ける。
「彦進。別所の武は確かに強かった。しかし、武だけではこれからの世の中を渡っていくのは無理というもの。これからは、学問が身を助けることになろう。今までは学問を嫌がっていたのを見逃していたが、これを機に学問を身に着けよ。これは別所家当主として最後の命ぞ」
厳しい口調でそう言われた友之は「は、ははぁ・・・」と言って頭を下げた。それを見た長治が、今度は重秀に話しかける。
「羽柴殿。実はお願いしたき儀が二つほどございます。何卒お聞き届け下され」
長治の言葉に、正則が渋い顔をしながら長治を睨みつけた。一方、重秀は落ち着いた様子で「伺います」と言った。
「まず一つ。三木の近く、大村に金剛寺という寺がござる。その寺の僧に梅庵なる者が居ります。京の相国寺にて禅のみならず漢学、歌道を学び、筆にも優れたる者にて。お引き立てくださりますれば、より一層羽柴の雅が深まりましょう」
「金剛寺の梅庵殿ですか。覚えておきましょう」
「もう一つ。細川の参議様(冷泉為純のこと)には何人かの子が居られました。嫡男は参議様と共に自刃されましたが、残りの子等は京に逃れたとか。そのうち、先程申し上げた相国寺にて僧になっている者が居りますれば、その者に父と兄を討ったことを詫ておったと、お伝えくだされませぬか」
長治がそう言った瞬間、正則が怒声を上げる。
「別所殿!羽柴の若君にして上様の女婿を使い走りにさせるおつもりか!?それは、あまりにも図々しいではござらぬか!?」
しかし、そう声を上げる正則に対して重秀が「止めろ!」と声を上げた。
「市、控えよ。別所殿に対し無礼であろう」
「しかし兄貴・・・!」
正則が重秀に意見を言おうとした時だった。横から長治が口を挟んできた。
「福島殿の言う通り、拙者の頼みはあまりにも図々しい。羽柴殿にも無礼であることは重々承知。しかしながら、拙者は細川の参議様を殺めたることを後悔しておるのです。あの方は、この東播に京の雅をもたらしてくれる御方でした。また、梅庵殿も文においては優れた御方。此等の方々と共に手を取っていれば、この東播もより栄えたことでございましょう」
そう言うと長治は重秀に平伏する。
「羽柴殿。今更後悔しても詮無きことと言えど、帝の臣を殺めたることは我が罪にござる。帝に対し奉り詫びるのは畏れ多い事なれば、せめて遺族に詫とうござる。何卒、この別所小三郎長治の想いをお聞き届け下され」
そう言われた重秀は、「分かりました」と長治に言った。
「別所殿のお気持ち、この羽柴藤十郎重秀が確かに承りました。京へ行った際に相国寺を訪れ、細川の参議様のご子息に、別所殿の悔悟の念、必ずやお伝いいたしましょう」
重秀の言葉に、長治は「かたじけない」と言って深々と頭を下げるのであった。
その日の夜。重秀達が出ていった三木城には、長治を中心とした別所の一門しか残っていなかった。他の国衆とその兵達、百姓達は羽柴の兵達によって城外に出されており、周辺の附城や寺に収容されていた。
餓死寸前だった者を中心にお粥が提供されたが、中にはリフィーティング症候群を起こして死んだ者もいた。しかし、この時はそれほど死んだ者が多くなく、羽柴軍内でも「手遅れだったんだな」という程度の認識しかしていなかった。重秀を始め、羽柴軍上層部がリフィーティング症候群を認識するのはもう少し後の話である。
さて、そんな事が城外であったことを知らずに、三木城内では残った別所の一門達によって最後の晩餐が催されていた。
「おお、これが噂の摂津の澄酒でござるか。実に旨いものでござるなぁ」
「これは鰈でござるか?そういえば、この時期でござったか。明石で鰈が獲れるのは」
「これが織田で食されているという『琵琶湖の鯨肉』でござるか・・・。鹿や猪と違い、柔らこうござるな」
「これが南蛮菓子・・・。こ、こんへいと(コンフェイトのこと)と、ぱおんでお(パォン・デ・ローのこと、カステラの原型と言われている)というものか?とても甘うござるな」
そう言いながら舌鼓を打つ者共を見た長治は、ただ黙って酒を飲みながら皆を見つめるのであった。
最後の晩餐が終わった後、長治は妻である照子と子である千松丸、そして弟である友之とその妻である茅との最後の別れを行なった。ただし、照子は長治と共に死ぬことを選択していた。
「照。頼むから千松と一緒に生きてはくれまいか?そなたまで儂と一緒に死ぬることはあるまい」
何十回目かの長治の説得にも関わらず、照子の回答は全く変わらないものであった。
「我が父、波多野右衛門大夫(波多野秀治のこと)が前右府様に許されずに処刑されたのです。娘の私が許される道理はございませぬ。それに、私は別所小三郎様の妻。どうして夫の傍を離れることがありましょうや」
照子は長治にそう言うと、今度は息子の千松丸に話しかける。
「千松。これからは彦進殿を父、茅殿を母と思い、孝行するのですよ」
千松丸はこの時3歳。よくは分かっていなかったようであるが、父親と母親と永遠の別れが待っていることは察していたようで、照子の言葉に、千松丸はただ泣きじゃくっていた。
「千松!別所家の男児がメソメソ泣いてはいけませぬ!羽柴の者共に笑われますよ!」
そう叱る照子に対して、長治が「そう目くじらを立てるな」と宥めた。
「齢三つでは母に甘えたい年頃。幼心に母との別れが分かっておるのであろう」
そう言うと、長治は千松丸に微笑みながら話しかける。
「千松よ。父と母はちと早めにお主の御祖父様に会いにゆく。お主は後からゆるりと来るが良い。それまでは、彦進と茅がそなたの父と母じゃ」
そう言いながら千松丸の手を握る長治であったが、千松丸はなかなか泣き止まなかった。困った長治は、何かをひらめいたかのような表情をすると、立ち上がって一旦部屋から出ていった。
部屋に戻ってきた長治は、千松丸の前に座ると、手に持っていた蒔絵の箱を千松丸の前に置いた。
「千松よ。これは父からの贈り物ぞ。百人一首カルタと言ってな。百人一首で遊ぶ南蛮の遊具よ」
「・・・南蛮にも百人一首があるのですか?」
茅がとぼけたことを言っていることに苦笑しつつ、長治は千松丸に更に話しかける。
「千松よ。別所家は名門だ。だが、名門だからといって学問を疎かにしてはならぬ。現世は愚か者が生きてゆけぬ所ぞ。学問を修め、彦進叔父上から武芸を学び、立派に育ってくれ。父と母は遠くから見守っているからな」
そう言うと、長治は蒔絵の箱から百人一首の札を一枚取り出して、千松丸に見せた。人物画の書かれた上の句の札を見た千松丸はじっと見つめると、急に笑い出した。
「おお、照!見よ、千松が笑ったぞ!齢三つにして百人一首を理解しているぞ!」
「御前様、それは違うと思いますが・・・」
中々の親馬鹿っぷりを見せる長治に対して、照子は呆れたような口調で返した。長治が札を見ると、それは蝉丸の札であった。
「では、蝉丸の絵を見て笑ったのだろうか?はて、ただの坊主絵だと思うが・・・?」
「蝉丸という名前が面白かったのではないか?兄上」
「ですから、三つの幼子が字を読める訳ないでしょうに」
照子がとぼけた友之の言葉にそう返した。そのやり取りが面白く、思わずその場にいた者達は笑いだしてしまった。そして、そんな大人たちの明るい雰囲気が気に入ったのか、千松丸は喜ぶように笑い続けたのであった。
次の日。三木城から友之と茅、そして千松丸とその他の別所一門の家族が出て行った。そして、入れ替わるように重秀と重宗、長吉そして正則と護衛の兵達が三木城へと入っていった。
そして、重秀達が検視役として見守る中、長治の切腹が行われた。この時にはすでに照子は自らの喉を短刀で突いて亡くなっている。
「今はただ 恨みもあらず 諸人の いのちに代わる 我が身と思えば」
辞世の句を書いた短冊を長吉に渡した長治は、短刀で腹を横一文字に切り裂いた。そして、その短刀を抜いて今度はみぞおちに突き立てた。そのまま臍まで一気に短刀で腹を縦に切り裂いた瞬間、介錯人として後ろに立っていた淡河定範が持っていた刀を長治の首めがけて振り下ろした。定範の刀は、長治が切腹した際に頭の重みで首の骨の間が開いたところを狙いすましたように振り下ろされ、刀は骨に当たること無く長治の首を斬ることができた。
その後、化粧が施された長治の首が首桶に入れられ、重秀達によって三木城から出された。城外にて籠城戦で飢えに苦しんだはずの百姓達が、「殿様!」と叫びながら涙を流していた。どうやら長治は例え籠城戦で飢えさせてしまったとはいえ、それでも百姓達からは恨まれないほどの『良き殿様』だったようである。
首桶を持った重秀は平井山の附城において、長治の首を秀吉に見せた。秀吉は「さても惜しい若者であった」と涙を流したと言われている。そして、その気持ちは病を押して秀吉と同席していた竹中重治も同じ想いであった。
そして、竹中重治は、最後の仕事を終えた安堵感も感じていたのであった。
注釈
別所長治の子供の人数、名前については諸説あり、詳しい事は分かっていない。この小説では、人数については比較的同時代に近い時期に書かれた文献から、名前についてはずっと後に書かれた文献から参照している。