第161話 半兵衛最後の戦い(後編)
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長治が妻である照子に降伏する決意を伝えた次の日。長治は弟の別所友之と淡河定範を密かに呼んだ。そして、二人に降伏することを告白した。
「兄上。誠にございまするか!?誠に降伏するのでございまするか!?」
思わず大声を出す友之。隣では定範が顔を顰めて唸っていた。
「彦進(別所友之のこと)!声が大きい!叔父上(別所吉親のこと)に聞かれたらどうする!」
長治からそう言われた友之は思わず両掌で口元を押さえた。長治は二人に深々と頭を下げながら詫びる。
「彦進、義叔父上(淡河定範のこと。定範の妻が長治の叔母に当たる)、このような不甲斐ない結果になってしまったこと、別所家当主として誠に申し訳ない。
・・・しかし、これ以上城内の民百姓、そして兵達を飢えで苦しめたくない。降伏の際に儂は城内の者達の助命と引き換えに腹を切るつもりだ。我が生命をもって、ご先祖様に詫びる覚悟である」
「あ、兄上。頭をお上げ下され。この様になったのは負け続けた我等の不甲斐なさのせいにござる。兄上のせいではございませぬ!」
友之が泣きながらそう言うと、長治の顔を上げさせようと両手で長治の肩を掴んで長治の身を起こした。その様子を見ながら、定範が口を開いた。
「・・・戦である以上、勝敗はあるもの。負けを潔く認めることも時には必要でござろう。しかし、まだ負けたと言えぬのではござらぬか?毛利の援軍が、まだ来ぬとは限りますまい」
「毛利の援軍が来たとしても、織田も羽柴に援軍を送ることができる。不識庵(上杉謙信のこと)が亡くなり、上杉の脅威は無くなった。石山本願寺も織田と和平を結ぶとの噂も流れておる。織田に兵の余裕ができよう。それに、宇喜多が織田に寝返った以上、備前と美作で妨害される。例え毛利の援軍が来たとしても、我等は飢えで骸を三木城で晒していることであろう。まあ我等武門の者が城で死ぬるは別に構わぬが、民百姓まで巻き込むことはない」
長治がそう言うと、定範は黙って頭を下げた。しかし、すぐに頭を上げると、長治に話す。
「しかしながら・・・。降伏を口にすれば、山城守殿(別所吉親のこと)が反対いたしましょう。正直、あの頑固者を説得するのは骨が折れまするぞ」
「・・・もはや叔父上を説得するのは無理であろう。それよりはさっさと話を決めて、事後に承諾してもらうしか無い。最悪は、儂と刺し違えてでも降伏を呑ませる」
長治の決意を秘めた目を見て、友之と定範は長治の本気を悟った。定範が溜息をつきながら長治に話しかける。
「・・・そこまでの覚悟があるならば、儂は何も言いませぬ。しかし、降伏するとなるならば、事は慎重に運ばねばなりませぬぞ。あの山城守、腹が減っているからなのか追い詰められているからなのか知らぬが、最近はやたらと大声を上げて意味不明なことを喚いております。いや、それだけではなく、諌めようとした家臣を手打ちにしておりましたぞ。
・・・こう言っては何だが、御当主様が降伏を言い出したら、御当主を討って自分か彦進殿を当主にしかねませぬぞ」
「はあぁ!?それがしは当主の器ではありませぬぞ!?」
驚く友之に、定範は冷たい声で「飾りとして、です」と言い放った。友之が嫌そうな顔をしたが、定範はそれを無視して長治に言う。
「それがしの家臣に信頼の置ける者がおります。その者は山城守とは縁も無く、山城守も知らぬ者です。その者を羽柴に遣わして降伏の交渉をさせましょう」
「それは助かる」
長治がそう言って頭を下げた。定範は「頭を上げてください」と言ってから、さらに話を進める。
「して、降伏の条件は?」
「儂の生命と引き換えに城内の者の助命。それ以外は望まぬ」
「分かりました。ではその旨、交渉いたしましょう」
そう言うと定範は立ち上がって長治の前から去って行った。定範が行った後、友之が小声で長治に小声で尋ねる。
「・・・弾正殿はこのこと、叔父上に密告しないでしょうな?」
友之の疑念に、長治は友之の目を見つめるだけで何も答えなかった。もっとも、長治の目には、疑いの眼差しが込められていたが、それは定範に対してのものか、それとも友之に対してのものかは分からなかった。
それから数日後、三木城からの密使が平井山の附城にやってきた。その事を石田三成が秀吉に伝える。
「申し上げます。淡河弾正の使いの者が、竹中様へのお目通りを願っております」
「淡河弾正の?別所小三郎ではなく?」
秀吉の傍にいた小一郎が三成にそう尋ねると、三成は「淡河弾正、と申しておりました」と返した。小一郎が秀吉の方を見ると、秀吉が分かったような口調で話し出す。
「恐らくは小三郎の代わりに弾正が使者を出したのであろう。小三郎には山城守の目があるからのう」
「なるほど。しかしどうする?半兵衛殿に会わせるのか?」
小一郎がそう尋ねると、秀吉は両腕を組んで唸った。
「今半兵衛は寝ておる。本当は会わせたくないのじゃがのう・・・。しかし会わせないと半兵衛は拗ねるに違いない」
そう言いながらも、結局、秀吉は使者を竹中重治に会わせることにした。その旨、三成に指示を出した。
「・・・兄者、一つ聞きたいことがあるのじゃが」
三成が二人の元から去った後、小一郎が秀吉に尋ねる。
「半兵衛殿がもしもの時、藤十郎を呼ばなくて良いのか?」
「呼ぶに決まっておろう。しかし、問題は藤十郎が今阿閇城から動けないということじゃ」
秀吉がそう答えると、小一郎が首を傾げる。
「阿閇城?御着城ではないのか?」
「先日、藤十郎から報せがあってな。英賀城に毛利方の援軍が来とるらしい」
「毛利方の?しかし、宇喜多が封鎖しとるのではないのか?」
「西からではなく、東から来とるらしい。ほれ、石山本願寺が上様と和睦しようとしとるじゃろ?それに反対しとる雑賀衆や一部の一向門徒が英賀城に流れ込んどるらしい。藤十郎は水軍を使ってそれを阻止しとるようじゃ」
宇喜多基家を姫山城まで送った重秀は、そこで黒田孝隆から英賀城の事を聞いた。重秀はすぐに阿閇城に行くと、そこで水軍を指揮して英賀城への流入を阻止していたのであった。
それ以来、英賀城沖では雑賀水軍と羽柴水軍との間で小競り合いが複数回生じていた。
「ま、そう言うことで、藤十郎も海に出ているようじゃ。なかなか捕まらぬからのう。半兵衛の死に目には間に合わぬやもしれぬ」
「・・・できれば、藤十郎には半兵衛殿を看取ってもらいたいものじゃ。藤十郎は大松だった頃から半兵衛殿に色々教わってきたんじゃ。半兵衛殿も藤十郎も、色々言いたいこともあるんじゃろうから、せめて最後の会話をさせてやりたいものじゃ」
小一郎がそう言って溜息を吐くと、秀吉も「うむ」と言って頷くのであった。
それからしばらくして、秀吉と小一郎の元に三成がやってきた。三成は片膝をついて跪くと、秀吉に報告する。
「申し上げます。竹中様が殿とお話したいと仰せです」
秀吉と小一郎が三成と一緒に重治がいる部屋に入ると、重治は桶を両手で抱えていた。そして桶の中には血が溜まっていた。
「半兵衛殿、それは・・・」
絶句する小一郎。それに対し重治は桶を脇に置き、口の周りの血を紙で拭きながら秀吉に話しかける。
「これは殿。お見苦しいところをお見せいたしました」
そう言う重治に、秀吉が座りながら笑って話しかける。
「随分派手に吐いたのう!明日には身体中の血が失くなっておるのではないか!?」
「あ、兄者!?」
秀吉の言葉に小一郎が思わず驚きと批難の声を上げた。重治が咳き込みながら小一郎に言う。
「よろしいのです、小一郎殿。私にとっては殿が普段通りに接してくれる事は、かえって嬉しいものです」
「そう言うものなんですかねぇ・・・」
胡散臭そうに秀吉を見ながら小一郎は言った。そんな小一郎を無視して秀吉が重治に尋ねる。
「それで?使者はなんて言ってきたんだ?」
「城主別所小三郎殿の切腹で城兵の助命を願い出ております」
「当然断ったのであろうな?」
「ええ、ちゃんと別所一門の切腹を条件として言っておきましたよ」
重治の言葉に秀吉が「うむ」と答えた。小一郎が重治に尋ねる。
「では、後は交渉でどこまで譲歩するか、ですな」
「そうですな。まあ、小三郎殿と山城守の二人が腹を切り、残りは孫右衛門尉殿(別所重宗のこと)に預けることになりましょうな」
重治がそう言うと、横から秀吉が口を出してきた。
「いや・・・。できれば別所の将兵は藤十郎の下に付けたいのじゃ。藤十郎の話では、水軍のなり手が足りぬと言っておってのう。特に、船長の数が足りぬそうじゃ」
それを聞いた重治が思わず呆れたような声を上げる。
「殿・・・。まさかとは思いますが、淡河弾正に水軍の指揮を執らせるおつもりか?山の戦は強いと聞きますが、海の戦はどうなんでしょう?」
「そうは言うがの。淡河弾正も一応別所一門じゃ。上様の条件では奴も腹を切ることになるが、播磨に名の知れた知将を失いとうないのじゃ。ここは、外峯四郎左衛門(津田盛月のこと)のようにほとぼりが冷めるまで海に隠しておきたいのじゃ」
秀吉の言葉に、重治は咳き込みつつも考え込んだ。そして、秀吉に言う。
「いいですね、それ。いっそ、別所一門尽く助命し、全員水軍にしますか?塩水で名門の垢も洗い流せましょう」
重治がそう言うと、秀吉と小一郎は「それは良いな!」と同時に声を出して大笑いするのであった。
天正七年(1579年)十月下旬。もうすぐ十一月というこの日の夜。長治は弟の友之と義理の叔父である定範と密談を行っていた。
「・・・以上が、竹中半兵衛との交渉で引き出した羽柴の最終条件でござる」
定範が説明した最終条件とは、長治と吉親の二名の切腹を条件に、城内の者全ての助命であった。
「・・・そうか。儂の切腹は認められたのか」
「本当に良かったのですかな?殿の助命まで向こうは妥協してきたのですが」
「山城の叔父上(別所吉親のこと)一人に責を負わせるのは忍びない。そもそも、山城の叔父上の意見を取り入れたのは儂よ。儂が腹を斬らねば、皆は納得せぬであろう」
そう言うと、横から友之が涙を流しながら言う。
「兄上・・・!それがしも、兄上と運命を共にしとうございます!何卒、死出への道を共に歩ませて下され!」
「ならぬ!」
長治が強く答えた。長治は更に友之に言う。
「ありがたいことに、向こうは我が子等には罪には問わぬと言ってきた。彦進には、我が子等の行く末を見届けてもらいたい。そして、孫右衛門の叔父上(別所重宗のこと)を支えてやって欲しい。孫右衛門の叔父上の下、別所家の血脈を保ってもらいたい」
「あいや、三木城の別所一門はすべからく羽柴藤十郎の下、水軍に参加させられると聞きました。前右大臣(織田信長のこと)の目を欺くためだそうです」
定範がそう言うと、長治は「そうか」と笑った。
「海の上なら前右大臣の目も届かぬか。・・・山で滅んだ別所が、海で再起を図るというのは、悪くないやも知れぬな」
自虐的に笑う長治であったが、すぐに表情を引き締めると、定範に言う。
「竹中殿に伝えてくれ。その条件でお願いすると」
「・・・はっ」
そう言うと定範は平伏した。そんな定範に長治が再び話しかける。
「さて、問題は山城の叔父上だな。恐らく、腹を切れと言っても納得はしまい。何とか説得はしたいが、もはや時が惜しい。もうすぐ十一月じゃ。何時雪が降ってもおかしくはない。そうなれば、城内の死者は更に増えようぞ」
「しかし、山城守殿に腹を切れと命じても恐らく納得は致しますまい。説得は無駄足に終わると思いまするが」
「やれることはやっておきたい。そしてもし、説得に応じなければ、やむを得まい。儂と刺し違えるしかあるまい」
そう言う長治に、友之が意を決して話しかける。
「兄上、それはそれがしに任せてくれまいか?兄上に叔父御殺しの汚名を被せとうない」
「殿、拙者も彦進殿に同心致す。それに、自らの手で粛清するのは主君の道にあらず。そう言うのは家臣に擦り付けるものでござる。ここは拙者と彦進殿にお任せあれ」
友之と定範にそう言われた長治は、「すまぬ」と言って頭を下げるのであった。
三木城の新城(本丸の横にある拡張された曲輪)の屋敷から長治に呼び出された吉親は、長治から降伏の話を聞かされ、案の定反発した。
「ふざけるな!何故儂とそなたが腹を斬らねばならぬ!?腹を切るなら、別所一門だけではなく、城内全ての武士が腹を切るべきであろう!?敗戦の責はこの城内にいる全ての者にあるのじゃ!そもそも、毛利へ寝返る際に皆が賛同したではないか!反対した者は孫右衛門尉と共に城を出たではないか!あの時城を出なかった者は、すべからく腹を切るべきであろう!」
そう言って反発する吉親に、長治は誠心誠意説得した。しかし、吉親は首を縦に振らなかった。
「腹を切るのは良い!儂も武士じゃ。羽柴の百姓上がり共に武士の最後を見せてやる!じゃが、その後に首を晒されるのは口惜しい!いっそ、百姓共も尽く殺し、死体を城ごと燃やし、誰が誰の死体か分からなくさせるべし!それならば、儂もおぬしも首を晒されることが無い故、別所の名誉も守れようぞ!」
吉親の無茶な要求に長治は頭が痛くなってきた。大体、自分の首が晒されたくないからと言って、百姓を殺すのは違うだろうと思った。それこそ後世に別所の悪名が残ることになる。
―――これ以上山城の叔父上に駄々をこねさせては、百姓達が無駄死にさせられる。もはやこれまでか―――
そう思った長治は、鋭い声で「彦進!」と叫んだ。直後、長治と吉親が居る部屋に、槍を持った具足姿の友之と複数の兵が入ってきた。
「何だお主らぁ!?別所山城と知っての狼藉かぁ!?」
槍先を突きつけられて囲まれた吉親がそう言うと、友之が落ち着いた口調で話し出す。
「無論、存じておる。己の叔父御を見誤るほど痴れ者ではない故」
そう言うと、友之は槍を持ち直すと吉親に向き合った。
「叔父上。上意でござる。恨むなら、それがしをお恨み下され」
そう言うや否や、友之は素早い動きで吉親の喉元を槍で貫いた。あまりの速さに、吉親は避けることすらできなかった。喉に突き刺さた槍は完全に吉親の喉と骨を潰し、吉親に声を発せさせなかった。吉親が槍を抜こうと、口から血を吐き出しながら両手で槍を掴んだものの、空いた脇腹に今度は複数の武者の槍が突き刺さった。その痛みで歪んだ顔を友之に向け、何かを叫ぼうとした吉親であった。しかし、口から吐き出されたのは言葉ではなく血のみであった。何度か血を吐き出した後、吉親の両腕が友之の槍から離れ、力なく垂れ下がると同時に、吉親の目からは光が消えていった。
複数の武者が脇腹に刺さった槍を抜いた後、友之が最後に槍を抜いた。最初は中々抜けずにいたが、吉親の方に足を掛け、蹴るようにして槍を抜いた。蹴られた衝撃で吉親の身体は床に倒れ、仰向けの状態となった。その様子を長治は黙って見つめていた。
「・・・殿」
いつの間にか部屋に入ってきた定範に声をかけられた長治は、気がついたような反応をすると、定範の方へ顔を向けた。
「・・・後は、それがしにお任せくだれ」
そう言うと、定範はゆっくりと部屋から出ていった。
その後、新城へ向かった定範は、吉親の妻である波(畠山総州家の娘と言われている)に降伏と吉親の切腹を伝えた。
波は何かを察したものの、何も言わずに頷くだけであった。そして定範が去った後、三人の子(男児二名と女児一名と言われている)を呼ぶと、子等に父が亡くなったことを伝えた。そして、波は三人の子達に身支度をさせるべく、座敷の奥に子等と向かうのであった。
伝承によれば、波は男勝りの女性で、八月の平井山奇襲に夫の吉親と一緒に参加したと言われている。地元の伝説ではその時に羽柴小一郎長秀を追い回したと言われている。
そんな彼女は夫吉親と共に三木城内では強硬論を唱えていた。しかし、吉親が亡くなったことですべてを悟ったのだろう。その日のうちに身支度を整えた三人の子を自ら殺すと、夫吉親の後を追うように自害したのであった。
こうして、強硬論を唱えていた別所山城守の一家が居なくなり、別所長治は正式に降伏することとなった。それは、竹中重治最後の調略であり、最後の戦いでもあった。