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第159話 半兵衛最後の戦い(前編)

感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。大変励みとなっています。


総合評価16000pt突破しました。評価していただきありがとうございます。


 天正七年(1579年)九月下旬。宇喜多基家は重秀の案内で安土に到着。数日待たされた後、織田信長の名代であり、織田家当主でもある織田信忠との謁見が許された。

 基家は信忠と三献の儀を行うと、信忠から信長が発行した所領安堵の朱印状を貰った。こうして、備前・美作の領主である宇喜多家は、正式に織田家傘下の大名となった。


 信忠との会見が終わり、重秀は基家と付き添いで来た岡家利、そして重秀の付き添いできた福島正則と共に宿泊先である羽柴屋敷に戻ろうと、安土城本丸御殿の廊下を歩いている時だった。ふいに重秀を呼び止める声が聞こえた。


「お〜い、藤十」


 声のする方に顔を向けると、そこには部屋から顔だけ出して手招きしている堀秀政の姿が見えた。


「これは堀様。お久しゅうございます」


 秀政に近づいて一礼する重秀に、秀政が「元気そうだね」と笑顔を向けた。しかし、すぐに真面目そうな顔つきになると、小声になって重秀に尋ねる。


「済まないが、この後ちょっといいかな?話したいことがある」


「はあ、分かりました。少しお待ちを」


 双返事をした重秀は、一旦秀政から離れると、正則の傍に行って基家達を羽柴屋敷まで案内するように頼んだ。

 そして頼み終わると、秀政が居る部屋へと入っていった。


「どうかしましたか?堀様」


「うん。ほら、徳川で三郎(ぎみ)(徳川信康のこと)が廃嫡されただろう?その顛末を藤十にも話しておこうと思ってね」


「ああ、あの件ですか」


 重秀がそう言った後、秀政は衝撃的な事を口にした。


「三郎君は自刃された。そして、築山殿も自害された」


「はあぁあ!?」


 重秀は秀吉が予想した結末と異なる結末だったことに驚きの声を上げた。秀政が構わずに話を続ける。


「三河守様(徳川家康のこと)から報せが私に来てね。去る八月二十九日に築山殿が、そして九月十五日に三郎君が自刃したそうだ」


 秀政の話を聞いた重秀はしばらく呆然としていたが、我に返ると秀政に尋ねる。


「・・・自刃したというのは、三河守様の命で、ですか?」


 小声で尋ねる重秀に、秀政は同じく小声で答える。


「それは分からぬ。そこらへんは三河守様は報せてくれないんだ」


「・・・変だと思いませんか?三郎君は、まあ武田と通じていたというのが本当でしたら、徳川と織田の仲を引き裂こうとした下手人故、極刑に処せられても致し方無しと思います。しかし、築山殿の自害は解せませぬ。まあ息子が自刃して後を追った、というのであれば分かりますが、息子が死ぬ前に自害しますかね?」


 重秀の発言に、秀政が「あ、やっぱり藤十もそう思うかい?」と聞いてきた。重秀が頷くと、秀政は両腕を組みながら首を傾げる。


「今回の徳川の一件、どうも良く分からぬ。まあ、向こうには向こうの事情があるのかもしれないけどね。しかし、嫡男が自刃ねぇ・・・」


「そう言えば、三河守様には他に跡取りとなり得る男児はいらっしゃるのでしょうか?」


「確か最近男児が生まれたと聞いたが・・・。まあ未だ幼子故、三郎君のような勇将をまた一から育て直しだね」


 秀政はそう言うと、肩をすくめるのであった。





 安土での信忠との会見が終わった基家達は、備前へ帰る途中、京に数日間立ち寄ることになった。案内役の重秀が、京で用事があるというのだ。


「京での用事とは一体何なのですか?藤十郎殿」


 羽柴家に供与されている屋敷内で、基家は重秀に尋ねた。二人は同い年ということもあり、すっかりと打ち解けあった仲になっていた。


「実は宇喜多様に差し上げたいものがございまして。それを用意してもらったのです。もうそろそろ届く頃と思うのですが・・・」


 重秀がそう言うや否や、大谷吉隆が重秀の元にやってきた。


「申し上げます。紙屋より、使者が参りました」


「おお、来たか!早速こちらにお呼びせよ」


 重秀がそう言うと、吉隆が一旦重秀の元から離れた。そして、数人の者達を連れてやってきた。その中の一人が重秀の前に座って平伏する。


「羽柴様に置かれましてはご機嫌麗しく。注文の品をお持ちいたしました」


 そう言って差し出されたのは、布に包まれた小さな箱であった。さらに後ろに控えていた者達も似たような物を自分達の前に差し出していた。その数合わせて3つ。

 重秀が目の前に差し出されたその物の布を取った。そして、中から出てきた蒔絵の箱の蓋を取ると、中から紙でできた札を何枚か取り出した。


「・・・うん。素晴らしい出来だ」


「長岡の若君(長岡忠興のこと)が前右府様(織田信長のこと)や三位中将様(織田信忠のこと)に献上され、しかも前右府様より帝や関白様に献上なされて以降、京の公家衆でも評判になりまして。今では流行りとなっておます。多く作れぬ故、公家衆は多くの銭を払おうとして手に入れようと躍起になっておますが、中々手に入らなくて難儀していらっしゃるとか。いや、羽柴様といい長岡様といい、実に面白き物を作ったと、京では称賛の声が大きゅうなっておます」


 その後、重秀と雑談を交わした使者は重秀の前から去っていった。それを見計らって、基家が重秀に尋ねる。


「藤十郎殿、これはなんですか?」


「百人一首カルタです。私と長岡与一郎殿で作成した・・・南蛮の遊具?です」


「何故疑問形なのですか」


「いや、カルタ自体は南蛮渡来のものなのですが、百人一首は日本ひのもとのものですから」


 重秀の言葉に、基家は「はぁ・・・」と言いながら重秀から差し出された札を見た。上の句のみが書かれた札には、人物の絵が描かれており、下の句のみ書かれた札には人物が描かれていなかった。


「これは・・・歌仙絵でもありますな?」


 基家がそう言うと、重秀は頷いた。


「はい。絵は狩野一門の方に頼んで描かせております。と言っても、当主やその子息など、狩野一族では無い方の作なのですが」


「ああ。まあ、狩野一門は多忙な方々ですからなぁ。しかし、狩野一門が描いた、というだけでこのカルタの価値は上がるでしょうな」


 基家がそう言うと、隣りにいた家利に札を渡した。基家が再び重秀に尋ねる。


「して、これを如何なされるのか?」


「今回は三つ作りました。一つは和泉守様(宇喜多直家のこと)に献上致します故、与太郎殿に持って帰ってもらいます。もう一つは八郎君(のちの宇喜多秀家)の遊び道具として平井山の附城に持ってまいります」


「なんと。京の公家衆が欲しがる物を頂けるのですか?さぞ養父ちち上もお喜びになられるでしょう。しかも八郎君にも下さるとは・・・。養父上も羽柴様のご配慮に感謝いたしますでしょう。

 ・・・して、もう一つはどなたに差し上げるのでございますか?」


「ああ、これですか?」


 基家の質問を聞いた重秀が、未だ布が取り払われていない箱を見ながら答える。


「竹中半兵衛殿が策に使われまする。東播の名門に、羽柴のみやびを教えてやるみたいですよ」






 天正七年(1579年)十月中旬。三木城の城内はもはや死神の草刈り場と化していた。五月の下旬に三木城が包囲されて以降、兵糧はすでに底を着き、城内の馬や牛、そこら辺に生えていた雑草すら食い尽くされていた。飢餓状態に陥った城内の人々は、体力のない子供や老人、病人や怪我人から生命を落としていった。

 さらに、旧暦の十月は今の暦に直せば十一月の中旬に当たる。雪はまだ降ってはいないが、それでも冬の寒さが日に日に増していた。気温が下がれば当然人々の体力を奪っていく。そして、飢餓状態の人々は当然体力がないものだから、寒さに耐えられずに生命を落としていった。

 そんな悲惨な城内の中、竹中重治は護衛の者数名と共に歩いていた。城内では百姓達が横たわっており、体を動かさないことで少しでも体力の温存を図ろうと無駄な努力をしていた。そして、城壁の側には、餓死した人間の死体が隠されることもなく積み重ねられていた。


 痩せすぎて甲冑が体に合っていない武士に案内され、本丸御殿の広間にやってきた重治は、それほど痩せていない別所の諸将に囲まれながら、別所長治がやってくるのを待っていた。

 待つことしばらく、おもむろに別所の諸将が頭を下げたので、重治も頭を下げた。直後、叔父である別所吉親と弟の別所知之を連れて長治が広間に入ってきた。吉親と友之が下座で一番上座に近い場所に左右に分かれて座った後、上座の真ん中に長治が座った。そして、長治が座ったのを見計らって重治が声を上げる。


「羽柴筑前守が臣、竹中半兵衛にございまする」


「別所小三郎である。おもてを上げられよ」


 長治がそう言ったので、重治は「ははっ」と言いながら顔を上げた。そして、目に飛び込んできたのは、2年前に雑賀攻めで会った時とは別人のようになってしまった長治の顔であった。

 頬は痩せこけ、目がくぼみ、無精髭が伸び切った姿は、まるで小さい時に近所の寺の住職から聞いた餓鬼の風貌そのままであった。

 一方、長治の方も重治の風貌が変わってしまったことに内心驚いていた。


「・・・二年ぶり、ですかな?半兵衛殿。随分と変わられましたな」


「変わったということでしたらお互い様でございましょう。色んな意味で」


 重治がそう言うと、長治は「そうですな」と苦笑した。


「して、竹中殿は何用でこちらへ?」


 そう切り出す長治に、重治は単刀直入に用件を言う。


「降伏を勧告しに参りました。これ以上の戦いは無意味でございます」


「ふざけるな!」


 そう叫んで立ち上がったのは吉親であった。吉親は重治を睨みつけながら言う。


「我等はまだ負けておらぬ!毛利の援軍が来れば、必ず我等が勝利する」


「いつ来るのですか?それは」


 咳き込みながらそう反論する重治に、吉親は胸を張って答える。


「毛利は織田と違って、我等を見捨てるようなことはしない!きっと来る!援軍は、来る!」


「・・・確かに毛利は播磨を支配せんと兵を出して来ましたな。しかし、加古川城や阿閇城にて、寡兵の我等に撃退され、それ以降援軍を出しておりませんな。頼みの兵糧も、そのほとんどが石山御坊へ向かいました。三木城よりも石山御坊を優先させたわけです」


 重治がそう言いながら視線を長治や他の人にも目を向けた。長治は諦めたように遠くを見つめるような表情となり、友之は頭を抱えていた。

 吉親が一瞬だけ言葉に詰まるものの、再び反論する。


「それに、こちらには知将の誉れ高い淡河弾正(淡河定範のこと)がまだ生きておる!弾正が居る限り、羽柴や織田の軍勢など、何度でも跳ね返してやるわ!」


 ―――三木城そのものは攻めていないから、跳ね返されるも何も無いんですがね・・・。というか、あれが淡河弾正か―――


 そう思いながら重治は吉親が指さした先に視線を向けた。そこには、中年の武将が一人、虚無的な表情を浮かべて吉親を見つめていた。


 ―――なるほど。知将と言うだけあって、この先の展望が読めているか。死なすには惜しい男だ―――


 重治がそう思っていると、長治が吉親に声をかける。


「叔父上、お座りください」


 長治の言葉に、吉親はまだ何か言いたげな顔をしながらも座った。それを見ていた長治が溜息をつきながら重治に言う。


「と言うわけです。我等は毛利の援軍が来るまで、最後の一兵になるまで三木城にて戦う覚悟にございます」


 長治が諦めたような口調でそう言うと、重治は「そうですか」と言った。そして話を続ける。


「まあ、来ない援軍を待つのは構いませぬが、一つこの書状を見ていただきたい」


 そう言うと、重治は一通の書状を懐から出した。それを友之に差し出しながら長治に言う。


「これは、宇喜多和泉守様より、我が殿に差し出された書状にて。どうぞご見分ください」


 重治から差し出された書状を受け取った友之から、長治が更に受け取った。そして書状を開いて目を通した。読み進めていくうちに、長治の顔に驚愕の表情が浮かび上がってきた。


「・・・兄上?如何なさいましたか?」


 友之がそう尋ねると、長治は書状を持つ手を震わせながら答える。


「う、宇喜多勢によって、上月城と佐用城が落ちた・・・」


 長治の言葉に、友之だけではなく吉親達も驚愕の声を一斉に上げた。


「ど、どういうことじゃ!?う、宇喜多が上月城と佐用城を落としたじゃと!?両城とも毛利方の城ではないか!?」


「馬鹿な!?宇喜多は味方ではなかったのか!?」


 吉親と友之がそう叫んだ。一方、定範は黙って天を仰いでいた。


「に、偽文ではないのか!?我等を騙そうとする、羽柴方の謀略ではないのか!?」


 吉親が信じられぬと言わんばかりにそう叫んだ。しかし、重治は冷静に言い放つ。


「信じるか信じないかは貴方次第でござる。しかしながら、三日前に我が殿の元に、和泉守様より西播磨殿(上月城主、赤松政範のこと)の首が届けられましてな。それがしもしっかりと見ておりまする。まあ、首はそのまま安土に運ばれましたので、お見せできないのが残念にございますが」


 淡々と話す重治に、長治を始め別所の者共は疑いの目を向けた。重治が嘘をついているのかを見極めようとしたのだ。しかし、咳き込むだけの重治の姿を見て、重治の虚言なのかそうでないのかを見破れる者はいなかった。


「・・・いや、たかが備前と美作を失っただけ!例え宇喜多が裏切ったとしても、毛利はきっと我等を助けてくれる!」


 吉親が再び吠えだした。しかし、重治が更に反論する。


「たがが、と申されましたか?あの二カ国を。まあ、それはともかく、その二カ国だけではなく、我等は播磨のほとんどを制圧いたしました。林ノ城、魚住城、野口城、加古川城、阿閇城、高砂城、神吉城、志方城、井ノ口城、そして姫山城に御着城。それとここに居る皆様の居城であろう北播の城も全て羽柴の手に落ちております。ついでに言えば、但馬の竹田城も我等の手に落ちてます故、山陰からの救援も無いものと存ずる。・・・そして、毛利はこれらの城を守れませんでした」


 重治の言葉に、吉親はなんか言い募ろうとして口を開閉させた。しかし、言葉が出てこなかった。重治は視線を長治に向ける。


「もはや、毛利に三木城を助ける意思も力もございませぬ。ここで意地を張っても犠牲が増すばかり。何卒、降伏のご決断を」


 そう言って重治は深々と平伏した。吉親が思いっきり重治を睨みつけ、友之が青い顔をし、定範が溜息をついている中、長治はじっと目を瞑って両腕を組んで黙っていた。

 そんな状態が長く続いたが、徐ろに両目を開いた長治が重治に言う。


「降伏はしない・・・。というより、できぬであろう。聞いた話では、織田信長を裏切った霜台様(松永久秀のこと)や摂津様(荒木村重のこと)、そして八上城の波多野の一族郎党を根切り(皆殺し)にしたと聞いた。恐らく、我が別所の一族も根切りにあうのは必定。同じ首を晒されるならば、戦って討ち死にしたほうが良い」


 長治がそう言うと、吉親と友之、そして複数の者達が「そうじゃ!」と声を上げた。しかし、そう言った声に対し、重治は悲しそうな目をしながら口を開く。


「・・・同じ武士として、皆様のお気持ちは良く分かりまする。しかし、我々は武士としての責めがございます。その責めを放棄して、どうして武士としていられましょうや」


 そう言うと重治は咳き込んだ。何回か咳き込んだ後、再び口を開く。


「・・・城の内では、百姓共が飢えて動けなくなっております。口にするものがなく、ただ飢えるがままの状態です。このままでは、冬になれば更に死人が出ますぞ!百姓を護るのが武士の責務ではないのか!百姓を死なせて何が武士か!」


 重治が病人とは思えないほどの大声で叫んだ。その大声に、否、重治から発せられた怒気に長治等は思わず息を呑んだ。そして、長治は思わず顔を歪めた。

 長治にも分かっていた。自分を慕ってくれる百姓が恨み言も言わずに死んでいくさまを。そして、その事に何ら手を打てない自分の不甲斐なさを。しかし、その気持ちが顔に出ていることを、重治に悟られていたことは分かっていなかった。


「・・・な、何を言うか!百姓と武士は一心同体!我等と共に歩んできた以上、滅ぶのも一緒じゃ!」


 吉親がそう叫ぶが、重治が即座に反論する。


「何を馬鹿な!民を慈しむことこそ為政者の成すべきこと!東播の地を治めた別所の者が、民に苦しみを与えるとは何事か!」


「黙れ!名門別所のまつりごとに口を挟むか!?我等別所は円心公(赤松円心のこと)の弟、円光公の頃よりこの三木の地を治めてきた!百姓出の羽柴なんぞに絶対降伏なぞせぬぞ!」


 吉親がそう言い放った瞬間、重治の表情が消えた。少なくとも吉親や友之、そして長治にはそう見えた。だが三人は気がついていない。重治の目が、まるで暗闇で獲物を捉えた猫の瞳のように光ったのを。


注釈

別所氏が播磨の守護大名、赤松氏の出であることは確実である。しかし、その出自については諸説ある。

この小説では赤松則村(赤松円心のこと)の弟である赤松円光がその祖であるとしているが、円光の息子が祖であるという説もある。

さらに、赤松則祐(赤松則村の子)の三男が別所を名乗ったとも言われているし、さらに遡ること永暦元年(1160年)に赤松季則の次男が播磨国加西郡在田荘別所村に住んだことから別所と名乗ったとも言われている。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 半兵衛「最後の」戦いということは、いよいよ竹中半兵衛の死が近づいたということですね。 寂しいですが、自分の策で三木城を開城させることができるなら、開城前に死んでしまった史実よりも幸せな最期…
[良い点] 別所家の系譜も怪しいからなあ。そういう名家の自信がないところほど名家を誇ろうとするのは何時の世も変わりませんね
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