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大坂の幻〜豊臣秀重伝〜  作者: ウツワ玉子
岐阜編

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第15話 李牧と馬

感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。


今回、信忠の改名について、作者独自の解釈が書かれています。歴史的資料に基づくものではございません。なにとぞ御理解の上、拙文をお楽しみください。

 天正二年(1574年)一月。大松が小姓見習いになって三ヶ月になった。あと三ヶ月経つと小姓見習いからいよいよ小姓になる。それに備えて、大松達もより一層、勉学や武術、仕事の内容に磨きをかけていった。一方で、見かけなくなった小姓見習いも少しずつではあるが増えていった。

 ハードなスケジュールで体力がついていけずに体を壊す者、綱紀粛正したとはいえ、見えないところでいじめや嫌がらせを受けて心を壊した者、父や嫡男だった兄弟が亡くなり、急遽家督を継いだり継ぐ者として指名された者、などが実家へ帰っていった。

 大松も羽柴家の嫡男なのだが、何故か実家へ帰らされる事なく小姓見習いとして岐阜城に残っていた。もっとも、この時期の秀吉は北近江統治や越前の動向監視のために忙しい時期を過ごしており、また大松に色々教えていた者たちも秀吉の手伝いに忙しかった。

 しかも、信長が「そろそろ長島また攻めようぜ」と言っていたのでその準備もしなければならなかった。正直、大松の面倒を見ている暇がなかったのだ。だったら岐阜で学ばせればよい。

 そんな秀吉達の思いを知ってか知らずか、大松は岐阜で忙しいながらも勉学、武術を身に着けていった。そのうち、得意なものと不得意なものの差もつきつつあった。


 大松が得意としたもの、勉学では漢籍であった。幼少から竹中重治の薫陶を受けて色んな漢籍を読んでいた。基本の四書五経(『論語』『大学』『中庸』『孟子』『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』)はもちろん、『三国志平話』、『三国志』、『史記』、『戦国策』を読み込んでいた。もうすぐ『孫子』、『六韜』、『三略』も読み始めようともしていた。

 また、算術も得意としていた。この頃に中国から伝わったそろばんが、やっと岐阜城下にも伝わってきており、京や堺から来た商人がそろばんの使い方を教えていた。大松はあっという間にそろばんを使いこなせるようになっていた。


 勉学、に当てはまるかは分からないが、大松が新しくはまったものがある。茶の湯である。信長に茶を点てることはもちろん、信長の茶の稽古の練習相手になったり、岐阜城に来た客人を饗すために茶を点てるのが小姓である。そのため、小姓見習い達は徹底的に茶の湯の作法やら古今東西の名器の特徴を頭に叩き込まれていた。茶の湯の師匠は主に堺から来る茶人が教えていた。今井宗久や千宗易である。信長の茶頭であり、また自らも堺の大商人であることから、中々小姓見習い達にまで直接教えることはないが、それでも極稀に直接手ほどきを付けていた。

 大松も千宗易から直接手解きを受けたことがあった。大松は千宗易の長身に驚いたりはしたものの、父秀吉の茶の湯の師匠であることは知っていたので、尊敬の念を持って真剣に取り組んだ。また、千宗易も秀吉から聞いていたのか、大松であることが分かると、贔屓はしなかったが親身になって茶の湯を教えていた。その親身さに、大松は惹かれていった。もっとも、弟子の山上宗二の上から目線での名器講義には内心反発していたが。


 武術については、弓術と馬術が得意であった。弓術は浅野長勝から、馬術はその腕前を信長から直に褒められ、駒右衛門の名を与えられた前野長康から短期間であるが学んでいた。その後、岐阜城で正式な師から学んだ大松は、すでに流鏑馬もできるようになっていた。馬術については当時は去勢していない牡馬(ぼば)に乗ることが普通であったが、去勢されていない牡馬は気性が荒く、乗りこなすのにも一苦労であったが、大松は難なく乗りこなしていた。

 そんな大松が最近はまっている武術がある。最新鋭の武器、鉄砲である。最初は大きな爆発音でビビってしまい、苦手意識を持っていたが、訓練を重ねるうちに弾を当てるのが面白くなっていった。元々剣術と弓術で鍛えた腕と胸、背中の筋肉が鉄砲の発射による反動を支えているので、鉄砲がブレることがない。そのため、大松の放つ鉄砲玉は命中率が高かった。なので「撃てば当たる。当たるから面白い」と言ってのめり込んでいった。


 勉学で不得意なのは和歌と連歌であった。本人が興味ないため全く腕が上がらなかった。和歌は万葉集の時代より高貴な人々の重要なコミュニケーションツールだったので、ハウツー本はもちろんテンプレート集まであるのだが、大松の和歌はそのテンプレート集をちょこっと自分で書き直した程度のレベルであった。

 また、古典文学については『吾妻鏡』を読み始めたばかり。『太平記』や『平家物語』は読む予定ではあるが、『枕草子』や『源氏物語』はまだ触ってもいない有様であった。


 武術で不得意なのは槍術であった。結局『槍の又左』から学んだ基礎の形から発展することができなかった。ただ、一応、馬上でも地上でも戦えなくもないから「まあ、いいか」という感じで師匠から放置されていた。


 しかし、一番苦手なのは『衆道』であった。いわゆる男色なのだが、これは最初の授業が酷かった。


「はーい、御屋形様がどうやって皆さんを攻めるか教えまーす。大松、着物脱いで」


「!?」


「ほら、脱いだらここに四つん這いになるんだよ。あくしろよ」


 先輩小姓の万見仙千代に言われたのもショックだが、褌一丁になって他の小姓見習いの前で四つん這いになって教材になったのもショックであった。恥ずかしやら情けないやらで真っ赤な顔をして涙をこらえながら教材をやっていた。

 後で仙千代から謝罪されたり、後日の授業は他の小姓見習いが同じ様に教材にされたものの、それ以来、衆道に対する嫌悪感は生涯続くものとなった。





 もうすぐ二月になろうとしていたある日、信長の嫡男である勘九郎信重(のちの織田信忠)が視察にやってきた。歳は18。去年、遅めの元服を迎えたばかりであった。

 朝飯時には父である信長や相伴に預かっている家臣や小姓達と一緒に食事をとった後、一人の同年代の若侍と一緒に小姓見習い達の勉学や武術を見て回っていた。近くでは先輩小姓の万見仙千代が信重に説明しており、その説明を信重は真剣に聞いていた。


 一通りの説明を聞いた信重は、手の空いた小姓見習い達を部屋に呼んでは話を聞いていた。部屋に呼ぶのは一人、若しくは二人同時であったが、大松を呼んだ時は一人、しかも最後の一人であった。

 呼ばれた大松は作法に従い、信重の居る書院に入ると、書院の下座に座り平伏した。


「ご尊顔を拝し奉り恐悦至極にございまする。御前に侍りまするは小谷城主羽柴筑前守秀吉が長子、羽柴大松にございまする」


「大義。面を上げよ。これは私的な呼び出し故、固くならなくてよい。直答も許すゆえ、これから聞くことに腹蔵なく答えよ」


 信重ではなく、傍に控えていた若侍が話した。


「ははあ!」


 大松はそう言うと、目線を信重に合わせない高さまで面を上げた。信重が思わず「ほう」と呟いた。


「本当だ。筑前(秀吉のこと)に全く似てないな。七兵衛もそう思わないか?」


 信重が控えの若侍に聞いた。


「・・・すまん、筑前殿の顔をあまり覚えておらん。というか、そもそもそんなに会ったこと無いしな・・・」


「そうなのか?あの顔見たら一発で覚えるもんだと思うんだけどな」


 いきなりざっくばらんな会話を聞いて困惑する大松。そんな大松に気がついた信重が大松に語りかけた。


「ああ、すまんすまん、こいつは儂の従兄弟で、名前を七兵衛という」


「津田七兵衛(津田信澄のこと)だ。御屋形様の甥に当たる。よろしくな」


 若侍がざっくばらんに挨拶した。


「大松にございまする。ご挨拶が遅れましたこと、まことに・・・」


 大松が謝罪し、平伏しようとしたが、七兵衛に止められた。


「いいって。今回は若の付き人として来てるんだ。御屋形様の甥としてきてるわけじゃない。畏まられるとこっちが困る」


「はあ・・・」


 大松がなんとも言えないような返事をしたところで、信重が話を進めた。


「しかし、父親に似てないって、よく言われるだろ?」


「・・・初対面の方々には必ず」


「そうだろうな。おい、大松。許すから儂の顔を見てみろ」


「は、はい」


 そう言われたなら仕方がない、と腹をくくって大松は信重の顔を真正面から見た。


「・・・どう思う?」


「御屋形様によく似ておいでかと・・・」


 大松の言うとおり、信重は父信長に似ていた。


「そうだろう?よく言われる。でも茶筅(信重の長弟、北畠具豊のこと。のちの織田信雄)の方がもっと似てるぞ」


「あれは生き写しだよなー」


 七兵衛が笑いながら答える。


「にもかかわらず、儂の顔を見れば必ず『父上によく似ておいでで』と言うんだよな。なんでだ?」


「さあね」


 信重と七兵衛がそう言って笑いあった。その雰囲気に大松の緊張が緩んだのか、思わず信重に話しかけた。


「恐れながら若様、それは御屋形様の顔をあまり見てないからでしょう」


 大松がそういった瞬間、信重と七兵衛の笑いが止まった。二人共驚いたような顔で大松を見つめていた。その二人の様子を見た大松は、体中から冷や汗が吹き出した。


「も、申し訳ございませぬ!軽輩の身でありながら、ご無礼をいたしました!平にご容赦を!」


 畳におでこを思いっきりぶつけながら平伏して謝罪する大松に、信重と七兵衛が優しく声を掛けた。


「いや、良い。直答を許したのは儂だしな。だからそんな恐縮しないで面を上げよ」


「いや〜、あんな気軽に話しかけてきた小姓見習いはお前が初めてだったからな。つい驚いちまった。気にするなよ」


「は、はい!」


 二人に促されて大松は顔を上げた。


「んで?なんで父上の顔をよく見てないと儂が父上に似ることになるんだ?」


 信重が砕けた感じで大松に聞いた。大松は自分の経験を踏まえて説明した。


 大松は横山城で一度、その後も岐阜城で信長の顔を見ている。しかし、未だ緊張と場の雰囲気のせいであまりジロジロ見ることができていない。そもそもジロジロ見たら無礼である。ただ、顔の輪郭とか目の形、鼻の高低ぐらいは認識できた。今回、信重の顔を見たら、輪郭と目と鼻が似ていたので、「よく似ておいでで」と答えた。ひょっとしたら、他の方々もそうなのではないか?と大松は思ったことを述べた。


「なるほど、よく考えたら、父上の顔をよく見れるのは母上(生母の吉乃だけではなく、養母の帰蝶も含む)や儂と兄弟、七兵衛とか叔父上方くらいだものな」


 信重はそう言うと感心したように頷いた。続けて、信重が大松に聞く。


「さて大松よ。もう少し話をしたいのだが、時間がない。実は小姓見習い達に問題を出している。なに、軽い余興だと思って欲しい」


 信重がそう言うと、大松は「はい」と答えた。信重は話を続けた。


「ときに大松よ。(いにしえ)(から)の国に李牧なる者がいたのは知っているか?」


「戦国七雄の一国、趙の将軍ですね。肥下の戦いで秦の・・・」


「そこまでは聞いていない」


「アッ、ハイ」


「その李牧が雁門にいたのは知っているな?」


「はい。そこで北方の蛮族、匈奴の侵攻を阻止し、しかも・・・」


「そこまでは聞いていない」


「アッ、ハイ・・・」


 大松が信重の意図がわからずに困惑したが、構わずに信重が話を進める。


「李牧が雁門にて馬に乗って視察に出ていた時、三人兄弟が願い出てきた。知恵を借りたいのだと言う。その三人が言うには、父親が最近亡くなり、父の遺言通り、遺産である馬を分けようと思った。遺言には『すべての馬のうち、長男が半分、次男が三分の一、三男が九分の一の馬を与える』と書いてあった。ところが、父親の残した馬はすべてで十七頭しかいなかった。どう考えても分けることが出来ない。三人としては生きた馬が欲しい。さて、李牧はなんと言ってこの三人の相続を解決したか?大松、答えよ」


 大松は問題を聞いてポカンとしていたが、慌てて信重に聞いた。


「恐れながら、そのような逸話、『史記』には書いていなかったかと・・・」


 しかし、信重は微笑みながら沈黙していた。微笑んでいたが、目が笑っていない。まるで試しているかのようだった。大松は考え込んだ。


 ―――李牧にそんな逸話あったかな?『史記』の本紀に書いていないのはあれだけ読み込んでいたので間違いない。だとすると、本紀ではなく列伝の方か?いや、列記もそれほど読み込んではいないがそんな記載はなかったはず・・・。まさか『全相秦併六国平話』か『十八史略』か?しまった、あれそれほど読んでないんだよな・・・。どうする?「分かりません」と言って謝るか?―――


 しかしながら、大松にはなにか引っかかるところがあった。


 ―――でも、算術の問題として考えると面白い問題なんだよな。要は十七頭を如何に言われたとおりに分けるかなんだけど。えーっと、確か長男に半分、ということは二分の一か。次男に三分の一、三男に九分の一ね。十七頭じゃなくて十八か十六・・・は駄目か。十八ならきれいに割れるんだけど・・・―――


「どうした、分からなければ素直に言っていいぞ?若は怒らないから」


 七兵衛がニヤニヤしながら聞いてきた。大松に解けないと思っているらしい。大松は内心ムッとしながら言った。


「もう少し、お時間をいただけませんか?算術の問題と思ったら解けそうな気が致します」


「ほう?ならば解いてみよ」


 信重の許しを得て、大松はまた考え込んだ。


 ―――十八ならば長男に九頭、次男に六頭、三男に二頭と分けられる。そうすれば合計すれば十七頭。一頭余るが分けることができる。とすると、その一頭どうする?―――


「・・・李牧は馬に乗って視察してたんですよね?」


 大松の不躾な質問に対し、信重は咎めることもせずに「ああ」と答えた。


「ならば李牧はこう言ったと思います。『この馬を貸しますから、それを加えて馬を分けて下さい。その代わり、余ったらその馬を返してください』と」


「何故そう思う?」


 信重は嬉しそうに聞いた。七兵衛は何も言わずに目を大きく開けていた。大松は自分の考えを述べた。大松が述べ終わった瞬間、七兵衛からは感嘆の声が上がり、信重からは楽しそうな笑いが起きた。


「見事!この問題を解けるとはな!他の小姓見習いは解けなかったぞ!」


 信重のお褒めの言葉に大松は平伏しながら答えた。


「恐悦至極にございまする。しかしながら、正直申せば李牧の名にこだわっておりましたらば、私めにも解けませんでした」


「李牧は引っ掛けよ。李牧の名を知らん者にはそれだけでお手上げだし、知っていてもそんな逸話は無いから混乱して答えることはできんからな。それを解けるとは、さすがよ」


 そう言うと、信重は七兵衛に笑いかけた。


「七兵衛よ、賭けは儂の勝ちだな。誰も答えられない、と言ってたもんな」


「・・・後で銭は支払いますよ。しかし、見事なもんだ。答えを知っていたのでは?」


 七兵衛が大松にそう言うと、大松は「いいえ、問題も初めて聞きました」と答えた。


「で、あろうな。これは伴天連(ばてれん)(宣教師のこと)から最近聞いた問題だからな」


 信重からそれを聞いた大松は「李牧関係ないじゃん」と心の中でぼやいた。大松がそう思っていることを知らない信重は、大松に褒美をやることにした。


「大松、問題を解けた褒美じゃ。儂の『重』の一字をやろう。元服したら、使うが良い」


 当時、武士の諱は二文字の漢字で構成されることが圧倒的に多かった。そのうち、代々に渡って使われる一文字を『通字(とおりじ)』と言い、それ以外を『偏諱(へんき)』と言う。主君からこの偏諱を与えられるということは、大変な名誉とされていたし、主従の間柄をより強固なものにすると考えられていた。これを『偏諱授与』または『一字拝領』と言う。

 ちなみに、通字を与えられることはもっと大変な名誉なことであり、特別な主従関係であることを表すことになるが、何故かこれも『偏諱授与』と称される。


「待った。今月、伯父上から弾正忠の『忠』の字を頂いて『信忠』になったばかりだろう。与えるなら『忠』の字じゃないのか?」


 七兵衛が慌てて上機嫌な信重を止めた。


「ああ、あれね。急に父上から変えろと言われても、未だに慣れてないんだよな。それに、花押(署名の代わりになる個人の記号のこと)もまだ変えてないし。当分は信重で良いんじゃないか?」


 天正二年(1574年)一月に織田信重は織田信忠に改名したと考えられる。これは、この時期に信重の発給文書の署名に『信忠』と書かれていたからである。しかし、同時期に『信重』の署名のある文書も発見されている。おそらく、移行期間があったのではないだろうか。


「それに、『忠』の字を与えると、父上から与えられたようになるから嫌なんだよな。ほら、蒲生ん所の忠三郎(蒲生賦秀のこと)、あれも確か父上の弾正忠の『忠』の字を与えたものだろ?『忠』だと儂が与えた気にならないんだよ」


信重の発言に、七兵衛が首を傾げる。


「そんなんで良いのかなぁ・・・?」


 七兵衛の疑問をよそに、信重は大松に言った。


「まあ、お主が元服する時までに新たな手柄を立てた時は改めて『忠』の字をやるから。その時はお主の好きにするが良い。とりあえず、後で『重』で一字書出(偏諱授与を証した書面)を出してやる」


 信重からそう言われた大松は、嬉しそうに「はいっ」と返事して平伏した。


注釈

 小説に出てくる『李牧と馬』は、元々『17頭のラクダ』というアラブ発祥の問題がモチーフとなっている。日本には16世紀後半にキリスト教の宣教師によって伝えられた問題だと言われている。

 

注釈

 津田信澄もまた、諱が”信重”だった時期がある。特に、大松と初めて会った頃は”信重”だった可能性が高い。しかし、ややこしくなるのでこの小説では”信澄”で統一している。

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― 新着の感想 ―
[良い点] よっしゃ若殿から一字貰えたぜこれで羽柴の家も安泰だ。 やっぱり豊臣一族。衆道は苦手か
[気になる点] 主君から一字拝領した場合は一般的には拝領した字を上(名前の1文字目)に持ってくるような? 織田信忠が偏諱を与えた人物としては細川忠興がそうと言われていますが、やはり「忠」を上に置いてい…
[一言] 「織田信重(信忠)から諱を授かった大松。羽柴秀重、後の豊臣秀重である」 秀吉大喜びで、身内とどんちゃん騒ぎしそう
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