第158話 宇喜多の人質
感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。大変励みとなっています。
天正七年(1579年)九月中旬。重秀は福島正則と大谷吉隆、そして五十名ほどの兵と共に平井山の附城にやってきた。目的は小西行長に連れられてやってきた宇喜多直家の妻子と養子を、秀吉と面会させるためである。
ちなみに黒田孝隆はこの場にいない。宇喜多が上月城を攻めるとの報せが入ったため、上月城の情報を集めるために姫山城に残っていた。
「ご無事な到着、重畳でございます。殿がお待ちかねにございます」
石田三成の出迎えを受けた重秀達は、三成の案内で平井山の附城の広間にやってきた。
「・・・附城と言っておられましたが、この様な立派な御殿があるとは思いもしませんでした」
広間で待機中、行長が重秀にそう尋ねると、重秀は苦笑しながら答える。
「父上は附城であっても居心地を良くし、体調を万全にして戦に備えられるよう、心を砕いておられます。また、長期の城攻めでは兵達の士気も下がりますれば、少しでも士気が下がらぬよう、附城の居住まいにも気を遣っております」
重秀がそう答えた直後、小姓である木下治兵衛(のちの三好秀次)が「殿の、おなぁり〜!」と大声を上げて秀吉が来ることを伝えた。
皆が平伏して待つことしばし。秀吉が広間に入ってくると、上座の真ん中に座った。
「一同大義!」
秀吉がそう声を上げると、重秀がさっそく顔を上げる。
「父上。宇喜多家より、嫡男八郎殿(のちの宇喜多秀家)と御方様(福のこと)、そして宇喜多与太郎殿(宇喜多基家のこと)とその付き人である岡豊前殿(岡家利のこと、岡利勝の名で知られる)がお見えになっております」
重秀がそう言うと、重秀の横に並んで座っていた八郎と福、基家が顔を上げた。ちなみに行長と家利は三人の後方に座っていた。
まずは基家が自己紹介をする。
「宇喜多与太郎基家と申しまする。この度は羽柴筑前守様にご拝謁の栄誉を賜り、恐悦至極に存じまする」
「おうおう、立派な若武者でござるのう。歳はおいくつか?」
秀吉が直に聞いてきたので、基家は戸惑った様子であった。重秀がすかさずフォローする。
「父上はざっくばらんなお方にて、直言直答を気に致しませぬ。どうぞ、直接お答え下さい」
そう言われた基家は、戸惑いながらも「十八でございます」と秀吉に言った。
「おお、十八にござるか!我が息藤十郎も十八にて、どうぞ仲良うやって下され!」
そう言って頭を下げる秀吉に、基家はただ「はあ・・・」と返事をするのが精一杯であった。
基家の次に自己紹介をしたのは、宇喜多直家の正室の福であった。やや肉付きの良い、品の良い顔立ちの女性であった。
「宇喜多和泉守(宇喜多直家のこと)の妻、福と申しまする。こちらに居りますのは我が息、八郎にございまする」
そう言って一旦頭を下げる福。福の顔を見て唖然としている秀吉に、福の隣りに座っていた男の子が声を上げる。
「宇喜多和泉守が息、八郎と申しまする。羽柴筑前守様のご尊顔を拝し奉り、恐悦至極にございまする」
およそ8歳とは思えないようなしっかりとした口調で八郎は言った。しかし、秀吉は呆然としており、八郎の話を聞いていなかった。
「兄者・・・?おい、兄者!」
同席していた小一郎の声で、秀吉はやっと我に返った。
「ん?なんじゃ?小一郎?」
「小一郎、じゃないじゃろうが。八郎君が挨拶しとるのに、何を呆けとるんじゃ」
呆れた口調の小一郎の言葉を聞いた秀吉が、慌てて八郎に声をかける。
「おお、おお!これは失礼致した!いやいや八郎殿!よう来られましたな!この筑前、八郎殿を賓客としてお迎え致す故、何も案じなさいますな」
人懐っこい笑顔で秀吉がそう言うと、八郎は「はい。かたじけのうございます」と言って平伏した。
秀吉は福にも顔を向ける。
「お福殿。どうぞご案じなされますよう。この羽柴筑前、貴方様をお守り致す。この生命にかけても!」
「まあ、なんと心強い物言い。息子共々よろしゅうお頼み申し上げまする」
そう言って平伏する福に、秀吉は鼻の下を伸ばしながら更に話しかける。
「いやいやお福殿。どうぞご遠慮なさいますな。この平井山にて、ごゆるりとなされよ」
秀吉の発言に、重秀と行長が慌てる。
「ち、父上?宇喜多との約束では、八郎殿と福殿は姫山城にて預かることになっておりますが!?」
重秀がそう言うと、行長が勢いよく首を縦に振った。しかし、秀吉は意に介さない。
「何を言う。人質として儂のもとに来たのじゃ。儂が責任を持って保護するのが当然であろう」
「お待ち下さい。そう言うのであれば、より一層戦地から遠ざけるのが筋というものにございましょう。もしこのこと和泉守様に伝われば、和泉守様はご不快に思うやもしれませぬ」
重秀がそう言うと、小一郎も重秀の言うことに同意する。
「兄者。藤十郎の言うとおりじゃ。兄者だけではなく八郎君と御方様を守り切るのはちときついぞ。いや、それだけではない。御方様の侍女も守らにゃいかん。いくら宇喜多の護衛がいるとは言え、その数は少ないんじゃ。羽柴の兵も決して豊富というわけではない以上、平井山の附城に滞在してもらうのは止めたほうがええと思うんじゃが」
小一郎がそう言うと、重秀も頷いた。今度は重秀が説得する。
「それに、平井山の附城はあくまで仮の城にございます。戦には向いておりますが、女子供が滞在するにはいささか不便かと存じまする」
重秀がそう言ったときだった。福が「恐れながら」と艶のある声を上げた。秀吉達が一斉に福を見ると、福は顔を上げて話し始める。
「私や八郎に対しての気遣いはご無用にございまする。私共は羽柴様への人質として播磨に参りました。人質としてどうして贅沢なことが言えましょうや。それに、私も八郎も武家の妻子にございまする。籠城戦も当然覚悟の上にございまする。どうして滞在場所について文句を言えましょうや。どうぞ、ご遠慮なく附城に置いてくださいまし」
福はそう言うと、顔を隣りに座っている八郎に向けた。そして八郎に語りかける。
「さ、八郎よ。そなたも武士。その覚悟を筑前様にお見せ致すのです」
そう言われた八郎は、「はい、母上」と言うと、秀吉に顔を向けて平伏しながら声を上げる。
「この八郎、幼少の身でございまするが、武士として死ぬる覚悟はできておりまする。何卒、羽柴筑前守様の思し召しのままに」
八郎がそう言うと、周囲から感嘆の声が聞こえた。特に秀吉は感動したかのような表情を顔に浮かべていた。
「おお・・・。なんという覚悟。八歳にして武士の覚悟を宿しておるとは、この筑前、感服仕った!」
そう言うと秀吉は重秀と小一郎を相互に見ながら声を上げる。
「小一郎に藤十郎よ、見たか!?お二方の覚悟を!女子供と言えど、これだけの覚悟で来られたのじゃ!この覚悟に羽柴筑前が報いずして、どうして宇喜多殿の信を得られようか!?」
そう言うと秀吉は顔を重秀から福へと向けた。真面目な顔つきをする秀吉であったが、信長などに向ける真面目な顔とは違い、どことなく下心が見え隠れしてそうな顔つきであった。
「という訳です。お福殿。この羽柴筑前が居る限り、貴方様を不安な想いにさせませぬ。何卒、この猿めの側でごゆるりとご滞在くださいませ」
声色を変えてそう言う秀吉に、福は色っぽく「よろしゅうお頼み申し上げまする」と言った。柔らかい笑みを浮かべながら平伏する福を見た秀吉が、鼻の下を伸ばすのを重秀と小一郎は見逃さなかった。
八郎と福、そして基家が行長と家利と共に広間から出ていくと、小一郎がその場に居た羽柴の者達に解散を命じた。そして、上座に座って未だ鼻の下を伸ばしてボーッとしている秀吉の左腕を掴んだ。
「兄者。話がある」
「な、何じゃ!?小一郎・・・って、藤十郎!?」
秀吉が我に返って小一郎になにか言おうとしたのと同時に、今度は重秀が秀吉の右腕を捉えてきた。
「父上、私も話がございます」
「お、おい!二人して何事じゃ!?」
秀吉は小一郎と重秀に腕を掴まれたまま、引きずられるようにして広間から出ていった。
広間の近くの部屋に放り込まれた秀吉は、放り込んだ自分の弟と息子に怒声を上げる。
「小一郎!藤十郎!これが主君に対する扱いか!?」
「人質の人妻に色目を使う奴を主君にした覚えはないわ」
小一郎が冷たい声でそう言うと、秀吉が一瞬だけ言葉に詰まった。すかさず重秀が秀吉の目の前に座って苦言を呈し始める。
「父上。一体何をお考えですか。お福殿は宇喜多和泉守様(宇喜多直家のこと)の正室にして、八郎君の母上でございますぞ。その様な方に、あの様ないやらしい目で見ては、他の者に怪しまれまするぞ」
「いや、すでに怪しまれておる。弥九郎殿(小西行長のこと)や豊前殿の顔を見たか?何時でも兄者に飛び掛からんとしていたぞ。あれで兄者が斬られても、誰もあの二人に文句を言う奴は羽柴の中でもおらんじゃろう」
重秀に続いて小一郎もそう言うと、秀吉は「なんじゃなんじゃ!」と不貞腐れながら叫んだ。
「あの様な見目麗しい女子を見たら、誰だって鼻の下ぐらい伸ばすじゃろう!小一郎じゃって、お福殿に笑いかけられれば、鼻の下ぐらい伸ばすじゃろう!」
「いや、全然」
真顔でそう答える小一郎に、秀吉は心の中で「そういやこいつは尼にしか興味示さなかったか」と愚痴った。そんな秀吉に重秀が話しかける。
「父上が女子好きなのはもう仕方のないこと。そのことについてどうこう言うつもりはございませぬ。しかしながら、他所様の妻を、しかもその子供がいる前で色目を使うのは人ではなく畜生の成すことにございます。顔が猿なのは致し方ないとしても、人倫だけはどうぞお守り下され」
随分と毒のある物言いに秀吉だけでなく小一郎も絶句した。二人が何も言えなくなったのを見計らって、更に重秀が畳み掛ける。
「それに、ここには半兵衛殿がいらっしゃいます。父上と共に過ごす半兵衛殿に、どうか醜態をお見せなさいますな」
竹中重治のことを持ち出された秀吉は、「うっ」と言って言葉を詰まらせた。さすがに死出の旅路に向かおうとしている重治には良い格好を見せたい秀吉である。しゅんと身体を小さくして頷く。
「・・・分かった。藤十郎の言う通りぎゃ。お福殿に手を出すのはよそう」
そう言う秀吉に、重秀は安堵の表情を見せた。しかし、小一郎はまだ胡散臭そうに自分の兄を見下ろす。
「・・・藤十郎の前だからそんな殊勝な態度なんじゃないのか?兄者。こう言ってはなんじゃが、藤十郎が与太郎殿と安土に向かった後に、口説くか脅すかでお福殿の気を引こうとしとるのではないか?『儂は何もしておらぬ。お福殿の方から儂に迫ってきたのじゃ。添え膳喰わぬは男の恥』とか言ってのう!」
小一郎の物言いに、秀吉もさすがに頭にきたのだろう。大声を上げて反論する。
「なんじゃ小一郎!その物言いは!?さっきから聞いておれば、そんなに儂を信じられぬか!?儂は藤十郎の前では嘘はついたことはない!」
「ああ、嘘は言わんじゃろうな!じゃが本当のことは言わぬ!それに兄者のことじゃ!藤十郎を言い包める手段など、百八つぐらいあるじゃろう!」
「そんな訳あるかぁ!」
小一郎と秀吉の言い合いに、重秀は最初は戸惑った。秀吉はともかく、小一郎がこんなに大声を上げるのは珍しいからだ。そして、重秀はふと疑問が湧いた。
―――叔父上は何故こんなに怒っているのだろうか?いや、父上がお福殿に手を出さないようにしようとしているのは分かるけど、それならば理をもって言えば父上なら納得してくれるはず。どうも、別の意図がありそうな気がする―――
とりあえずこの言い争いを止めよう、と思った重秀が、秀吉と小一郎に話しかける。
「お二人共、落ち着いて下さい」
しかし、秀吉と小一郎の言い合いはまだ続いていた。重秀の声も大きくなる。
「お二方、お静かにっ、お静かに!」
それでも治まらなかったので、重秀は大きく息を吸うと、思いっきり大きな声を上げる。
「止めろっつてんだろ!糞野郎共がっ!」
船の上で水夫達の荒い言葉を学んだ(?)重秀が、船の上でしか言わないような言葉で言うと、秀吉と小一郎の言い争いはピタリと止んだ。そして、ゆっくりと重秀の方へ顔を向けた。重秀が小一郎にさっきの叫び声とは打って変わって穏やかに話しかける。
「叔父上。如何なさいましたか?叔父上にしては珍しく激昂されておられる様子。いつもでしたら、穏やかに父上を諭されておられたではありませぬか。父上もそう思われませぬか?」
そう聞かれた秀吉は、重秀の変化に戸惑いながらも「お、おお、そうじゃな」と首を縦に振った。そして小一郎に尋ねる。
「・・・小一郎よ。何かあったのか?いや、お主には竹田城攻略とその守りを任せた故、慣れぬ重責で負担をかけたとは思うが、何か、儂に当たり散らしたいという気持ちがあったのか?」
さっきまでの怒りはどこへやら。秀吉は心配そうな顔を小一郎に向けてそう言うと、小一郎も落ち着いたのか、顔の表情を和らげて溜息をついた。
「いや、竹田城については特に負担にはならなかったんじゃ。あそこでは善祥坊殿(宮部継潤のこと)や式部少輔殿(尼子勝久のこと)が良き相談相手になってくれた故な。ただ・・・」
そう言うと小一郎は俯いた。秀吉と重秀が黙って小一郎が話すのを待つ。しばらく経って、小一郎の口が開く。
「・・・与一郎(木下与一郎吉昌のこと)が、病に倒れた」
「なんじゃと!?」
小一郎の言葉に、秀吉が思わず声を上げた。重秀も驚きの表情を浮かべた。小一郎が話を続ける。
「竹田城からこっちに来る途中に発病してな。今は儂の附城の一室で休ませておる。将監殿(木下昌利のこと)の話では、元々身体が弱く、季節の変わり目ごとに体調を崩しておったらしい。そんな中での長い戦地暮らしじゃ。大分身体の負担が大きかったようじゃ」
小一郎がそう言うと、秀吉は不満げな顔で声を荒げる。
「な、なんでそんな大事な事を話さなかった!お主の実の子ではないか!」
「兄者に余計な心配をさせとうなかったんじゃ!ただでさえ半兵衛殿が亡くなるやもしれぬという時に、兄者にこんな事話せるか!」
そう言うと、秀吉は黙ってしまった。それを見た重秀が小一郎に声をかける。
「・・・それで叔父上。医者には見せたのですか?」
「いや、見せてはおらぬ。おらぬが、将監殿が言うには昔から与一郎が病になった時に飲ませる薬があるそうじゃ。それを飲ませて二、三日寝かせておけば良くなったそうじゃ」
「その薬、変な薬ではないでしょうな・・・?」
小西隆佐との付き合いで薬の知識もある重秀は、つい小一郎にそう訪ねた。
「地元の寺の和尚に調合してもらった薬じゃから、危ないものではないそうじゃ」
小一郎の答えに「そうですか」と答える重秀。しかし、秀吉がそこで口を挟む。
「しかし、薬だけではどうも信用できん。儂が医者を呼び寄せるから、診てもらえ」
秀吉の提案に対し、小一郎は拒否しようとする。
「いや、兄者。与一郎のためにそこまでせんでも・・・」
「阿呆。これは小一郎のためじゃ。与一郎の事で気がそぞろになっては、今後の三木城の包囲に支障をきたすわ」
秀吉がそう言うと、小一郎は一瞬黙り込んでしまった。しかし、兄の厚意をありがたくは感じたようで、深々と頭を下げた。
「兄者、すまぬ。兄者のご厚意、素直に受け取ろう。それと、さっきは悪かった。ちと頭に血が昇っておった」
「気にするな。儂も少し意地になっておったわ。言い過ぎた。すまぬ」
そう言って秀吉も頭を下げた。そんな二人の様子を見ていた重秀は、ホッと胸をなでおろした。その直後、頭を下げていた秀吉が頭を上げると、小一郎に両手を合わせながら頼み込む。
「その代わりと言っちゃあなんだが、お福殿をこの平井山に置いてもよいじゃろうか・・・?男ばかりの殺風景な附城で、目の保養は必要だぎゃ・・・」
「・・・人質として、八郎君とその母親を置くんじゃ。もし手ぇでゃあたら、三木城に一人で突っ込んでもらうでなっ!」
小一郎の尾張訛りの大声が部屋中に鳴り響いた。