第157話 宇喜多の寝返り
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「では、宇喜多調略は引き続き藤十郎に任せよう。よいな?」
秀吉の言葉に重秀は一瞬躊躇した。若輩者の自分に、あの化け物を調略できるのであろうか?
しかし、調略を任されていた竹中重治に三木城から動かすことは色んな意味で憚られるし、むしろ羽柴の頭脳が死ぬ間際であることは宇喜多に知られたくない。重秀はそう思っていた。
そして、信長に宇喜多調略を願い出た以上、自分がやらなければならない、とも思っていた。なので、重秀は力強く頷く。
「・・・承りました。必ずや、宇喜多を説得して織田に寝返らせまする」
そう言う重秀を、秀吉達は頼もしそうに見つめていた。そんな中、黒田孝隆が口を開く。
「恐れながら筑前様。それがしに若君の補佐をさせていただけぬでしょうか?さすがに相談相手がいないのは、いささか不安にて」
「黒田殿のお申し出はかたじけないのですが・・・。相談相手でしたら、将右衛門殿(前野長康のこと)がおります。彼は父上が美濃での調略に参加して以来、羽柴の調略を担ってきた御方です。丁度御着城におりますれば、宇喜多調略については将右衛門殿にお尋ね致します。黒田殿には父上の傍に居ていただきたいのですが」
未だ孝隆との間に重治ほどの親近感を抱いていない重秀がそう言って断ろうとした。しかし、重治が重秀に言う。
「なりませぬ。官兵衛殿は今後羽柴の軍師としての立場になられる御方。そのような方と意思疎通する絶好の機会にございますれば、ここは官兵衛殿の補佐を受けるべきです」
そう言うと重治は咳き込んだ。一方、重治の言葉に驚いたのが孝隆であった。
「それがしが・・・、筑前様の軍師でございますか?しかしそれがしは・・・」
「官兵衛殿が上様の直臣になりたいことはそれがしも承知しておる。それに、己の才を活かして名を挙げたいという気持ちを持っていることも承知しておる。しかし、殿の補佐ができる知略を持つ者は、それがし以外に官兵衛殿を置いて他にはいないと存ずる」
重治はそう言うと、咳き込みながらも孝隆に頭を下げる。
「それがしが死んだ後、殿を知謀で支えることができるのは官兵衛殿のみでござる。何卒、この死にぞこないの願いをお聞き届け下され」
「あ、頭をお上げ下され!・・・分かりました。お役に立てるとは思いませぬが、この黒田官兵衛、筑前様のお役に立てるよう、持てる才を発揮致しまする」
そう言って孝隆が重治に頭を下げた。秀吉も孝隆に頭を下げながら声をかける。
「おお、官兵衛が儂のために今後も力を貸してくれるのはありがたい!ほれ、小一郎に藤十郎!お主達も官兵衛に頭を下げぬか!」
「は、ははっ」
秀吉の言葉に促されるように、重秀と小一郎が同時に返事をしながら頭を下げた。孝隆も気恥ずかしそうに頭を下げた。それを見ていた重治が深く溜息をつくと、また話をし始めた。
「・・・宇喜多が織田につけば、もはや三木城は落ちたも当然でござる。・・・殿、その後はそれがしにお任せ願えぬか?」
「・・・任せるとは?」
秀吉が怪訝そうに尋ねると、重治は微笑みながら話す。
「それがしが三木城に乗り込んで別所小三郎(別所長治のこと)を説得し、降伏させまする」
「待て、半兵衛。それは許さぬ。・・・いや、お主の決死の覚悟を止めるわけではない。上様が別所の根切りを命じておられる。それを無視して降伏させるは難しいと思う」
「・・・上様のお怒りは別所のみでございます。別所の一族、特に当主と当主を惑わせた山城守(別所吉親のこと)のみの自刃を条件に致せばよろしいかと」
「・・・なるほど。そうすれば上様のご勘気は少しは免れそうだな・・・」
秀吉がそう言うと、更に孝隆が口を挟んでくる。
「それに、別所以外の東播の国衆や兵、百姓が救われます。これらは全て筑前殿のものになりますれば、今後の但馬平定や対毛利戦で有利になりましょう」
「官兵衛の言うとおりじゃ・・・。分かった。半兵衛の好きにすればよい」
重治の言葉に秀吉がそう言うと、重治は「有難き幸せ」と言って平伏するのであった。
平井山の附城で話し合いを終わらせた重秀は、姫山城に戻る孝隆と付き人としてついてきた栗山利安、そして今までずっと付いてきてくれた大谷吉隆と共に御着城に到着した。
本来、そこで孝隆達と別れる予定だったのだが、この時出迎えてくれた山内一豊から、阿閇城からの伝言を伝えられていた。
「えっ?弥九郎殿(小西行長のこと)が阿閇城に来ている?」
「ええ、女船頭のくま殿も、塩飽の船方(船の持ち主)の男達を十人以上連れてきているとか」
「それ、いつの話だ?」
「一昨日に甚右衛門殿(尾藤知宣のこと)からの使者がやってまいりました」
「・・・結構待たせているのか。では、今から阿閇城に向かうとしよう」
重秀がそう言うと、一豊が「お休みになられないので?」と驚いたような顔をした。
「うん。使者を待たせては相手に失礼だろう。それに、宇喜多の調略は上様から許しを得ている。これからは堂々とできるからな」
重秀の言葉に、一豊は更に驚いた顔をした。そんな一豊から重秀は視線を孝隆に向ける。
「黒田殿、これより阿閇城に向かいますが、よろしいですか?」
「無論です。お供仕りまする。それと、それがしのことは何卒官兵衛とお呼び下され」
「それでは黒田殿に失礼です」
「しかし、君臣の分は弁えるべきかと」
「黒田殿は羽柴の家臣ではないのでは?」
「家臣ではなくとも、黒田はいづれ羽柴の下につくのですから、どうぞ呼び捨てで」
「では、官兵衛殿と呼びますよう。それ以外で呼ぶ気は私にはありませんよ」
「それで構いませぬ」
そう言って笑う孝隆。それに対して重秀は、このやり取りにどこか懐かしさを感じていたのだった。
その日のうちに阿閇城に移った重秀と孝隆達。尾藤知宣の案内で、さっそく小西行長の滞在している部屋を訪れた。
「小西殿!待たせて申し訳なかった!」
そう言って部屋に入るなり行長に向かって平伏する重秀。行長と随員である部下数名は最初は唖然としていたものの、すぐに姿勢を正すと一斉に平伏した。
「羽柴殿!どうぞ頭をお上げ下され!そのようにされては、我等立つ瀬がありませぬ!」
行長の言葉で重秀が頭を上げる。
「いや、実は安土に呼ばれまして。その後に長浜や京、兵庫に寄った後、父に会いに三木城の方へ行ってました」
「それはまたお疲れのところ来て頂き申し訳ございませぬ」
「いえいえ、客人を待たせたこちらが悪いのです。・・・夜も遅い故、交渉は明日でよろしいですかな?」
重秀の質問に、行長は「はい」と答えた。重秀は頷くと再び平伏する。
「それでは今宵はゆっくりをお休み下さい。明日また話し合いましょう」
そう言うと、重秀は立ち上がって部屋から出ていった。案内してきた知宣やついてきた孝隆達も慌てて部屋を出ていくのであった。
重秀が次に向かったのはくま等塩飽の船方達がいる部屋であった。ここでは福島正則と加藤清正、そして加藤茂勝が塩飽の者達と酒を飲んでいた。
「市、虎!今戻った!」
そう言いながら部屋に入った重秀を見た正則と清正は酒を吹き出して驚いたが、すぐに姿勢を正して平伏した。茂勝も慌てふためきつつも姿勢を正したものの、飲みすぎたせいか思うように体が動いていなかった。くまを始めとする塩飽の者達はただ唖然としていた。
「羽柴筑前守が息、羽柴藤十郎である!皆の者、待たせて申し訳なかった!」
そう言って重秀は立って頭を軽く下げた。その瞬間、くま以外の塩飽の者達は一斉に平伏した。
「よぉ、羽柴の坊っちゃん!随分と遅かったね」
くまが酒を煽りながらそう言うと、重秀は座りながらくまに言う。
「安土に呼び出されたのでね。しかし、此度は大人数で来たんだな」
「アンタの話を知り合いに話したら、興味ある連中が来たってわけだ。とはいえ、来たのはアタシの爺さんと付き合いの長い船方連中だけどな」
くまの話を聞きながら、重秀は塩飽の者達を見渡した。誰も彼もよく日に焼けた、如何にも海の男という感じの者達であった。
「お嬢、これがあの羽柴の若君かい?確かに日に焼けているが、塩っ気が薄いなぁ」
一人の船方がそう言うと、皆が笑い出した。重秀も笑う。
「私も海にいつも出ているわけではないからな。しかし、昨年行われた木津川口の戦いでは船に乗って参戦していた。船軍はまだまだ経験浅いが、これからどんどん海に出ていくさ」
「あの戦には我等塩飽の船方が何人も参加していた。だから羽柴の軍船の噂は聞いておりやす。巨大な安宅船に南蛮船たぁ、初めは嘘かと思いましたぜ」
別の船方がそう言うと、他の船方が話を続ける。
「しかし、こっちに来てみりゃあ、馬鹿でかい安宅船はあるわ、三角の帆を掲げた船が多く走るわ、お嬢の言う通りだったわけよ。しかも、その船を俺等塩飽で使わせてくれるとなりゃあ、羽柴様の提案、乗ってみようじゃねぇかと思ってまさぁ」
船方の言葉に他の船方が頷いた。どうやら、重秀がいない間の塩飽との交渉は上手くいっていたようであった。
「・・・アタシも爺さんの伝手を使って塩飽の年寄数人に話してみた。私等が塩飽の島々や海を私等自身で治めることを認めてくれるなら、羽柴に与するのは吝かではないし、蚕や牛、油桐をやるのも悪くはない。ただ、『人』を羽柴の水夫に数年するというのは、渋る者が多くてな」
くまの発言に、重秀は肩をすくめながら答える。
「それは仕方ない。まあ、話を聞いてくれただけでも良しとするさ。いづれ播磨が落ち着いたら、塩飽に行こうと思っている。その時に詳しく話をするさ」
「塩飽に乗り込んでくるってのかい!?」
驚きの声を上げるくまに、重秀は笑いながら言う。
「言っとくけど、脅すために行くんじゃないぞ。噂の巨大な安宅船と南蛮船。実際に見てもらったほうが分かりやすいんじゃないか?他の海賊衆から塩飽を守れるのは羽柴だけだって」
そう言われたくまと塩飽の者達は互いに顔を見合わせた。そんな様子を見た重秀が、更に声をかける。
「そんなに警戒しなくたって良いって。まあ今宵は、いや今宵もかな?酒を飲んでいってくれ。詳しい話は明日以降にすることにしよう」
そう言うと、重秀も塩飽の者達との酒宴に参加するのであった。
その様子を見ていた孝隆は、成り行きで一緒に酒を飲む羽目になってしまいつつも、冷静に重秀を見つめていた。
―――なるほど。こういうところは父親似だな。噂で筑前様の実子ではないと聞いたことがあるが、噂は噂でしか無いか―――
楽しく酒を酌み交わしながら話をする重秀を見ながら、孝隆はそう思っていた。さらに孝隆は思う。
―――羽柴藤十郎。まだまだ若いが、それ故に才を伸ばす事は可能。すでにこれだけの才があるのだから、さらに伸ばせば父親を超えるやもしれぬ。いや、織田の姫を娶っているから、少なくとも織田家中では父親の上に行くことは確実だ。
・・・面白い。羽柴親子が起こす風に乗って、俺の才を更に天下に轟かせてやる―――
孝隆はそう思いながら、酒を美味そうに飲み干すのであった。
次の日。阿閇城本丸御殿の広間では、重秀と行長の交渉が始められていた。重秀がまず信長の朱印状を見せる。
「小西殿。我が義父上様は宇喜多の調略を認めてくださいました。義父上様は、宇喜多を新たな備前、美作の太守として認める用意がございます」
「・・・確かに確認いたしました。我が主、和泉守(宇喜多直家のこと)も安堵致すことでしょう」
一方、行長も重秀に寝返りの条件を話し出す。
「我が主、和泉守を誠心誠意説得しました。その結果、条件として『人質として御方様と八郎君(のちの宇喜多秀家)を筑前守様に差し出す』と『和泉守の名代として、与太郎様(宇喜多基家のこと)を前右府様の元へ遣わす』であれば、同意いたすとの言質を取っております」
行長の言葉に、重秀は複雑そうな表情を浮かべた。
「小西殿の骨折りを否定するわけではないのですが・・・。嫡男と正室を人質に出すのは良いとして、何故に羽柴なのですか?ここは前右大臣たる義父上様に差し出すのが筋というものではありませぬか?」
「私もそう申したのでございます。和泉守も同意いたしましたが、御方様が強硬に反対いたしまして・・・。御方様も安土へ送ろうと思ったのですが、今度は和泉守が反対いたしまして。色々話し合った結果、播磨でしたら我慢すると和泉守が申しておりました」
何を我慢するんだ、と重秀は思った。そう思っていた時、行長が何かを思い出したような表情で重秀に声をかける。
「もし羽柴様が、いえ、織田様がこの条件飲んでいただければ、でかい土産を用意すると我が主が申しておりました」
「土産?」
重秀だけでなく、羽柴の者達が首を傾げると、行長は腹に力を込めて言い放つ。
「伯耆国の国人、南条勘兵衛(南条元続のこと)を寝返らせてご覧に入れます」
行長の言葉に、重秀だけではなくその場にいた羽柴の者達が驚きの声を上げた。行長が更に話を続ける。
「実は、天正四年(1576年)に旧尼子家臣の福山次郎左衛門(福山茲正のこと)なる者が吉川駿河(吉川元春のこと)の息のかかった者に討たれるということがございました。それ以降、南条殿は毛利からの離脱を計っているとの噂を耳に致しました。
・・・そこで、我が宇喜多が仲介役となり、南条を織田へ寝返らせようと画策しております」
「・・・もう画策しているのですか?早くないですか?」
そう言って眉をひそめる重秀。そんな重秀の顔を見た行長が、溜息を一つついて説明し始める。
「・・・実は、我が主和泉守は有岡城が織田に攻め落とされた後、織田への臣従を検討しておりました。その時の手土産の一つとして、どこか他の家も寝返らせようと考えておりました。そんな時に南条の話を聞いたものでして、そこから調べていたのでございます」
「伝手はあるということですか」
重秀がそう言うと、行長は「御意」と言って頭を下げた。重秀は両腕を組んで考え込んだ。しばらく経って、重秀が口を開く。
「・・・宇喜多殿の条件は全て承知した。ただし、南条への調略はこちらの指示があるまで控えて頂きたい。但馬と因幡が我等に組みしていない時に寝返られては、南条がかえって孤立いたしまする。我等が援軍を送れぬ以上、但馬と因幡の動向がこちらに靡くまで調略は控えて欲しいとお伝え下され」
重秀の言葉に、行長は黙って頭を下げるのであった。
その後、条件の詳細な内容について話し合われた。人質となる直家の妻子そして安土へ向かう基家は、行長の案内で一旦平井山の附城にて秀吉と面会することになった。しかし、その後が問題となった。
「平井山の附城に若君と御方様を置くは、さすがにご容赦願いたい。別所攻めの最前線に置かれては、我が主が心配いたしまする」
「さりとて、他に置く場所となると、摂津の三田城か兵庫城しかございませぬ。播磨より東に置きたくないという和泉守様のご意思を無視するわけには参りませぬ」
行長と重秀がそう言い合う中、二人の間に割って入ったのは孝隆であった。
「あいやしばらく。それならば、我が姫山城にてお預かりいたしましょう。この黒田官兵衛、宇喜多殿の妻子を生命を賭してお守りいたしまする」
孝隆の提案に納得した重秀と行長は直家の妻子についての扱いについて細かく話し合った。
基家の安土訪問については、平井山の附城から重秀が安土まで同行し、安土で信長と面談するよう手配することとなった。
そして、行長は重秀に対し、宇喜多家が織田へ寝返った証拠として、毛利方の播磨の拠点の一つである上月城を攻めることが約束された。また、羽柴が英賀城を攻める際には、宇喜多の水軍を派遣することが約束されたのであった。
宇喜多直家の織田への寝返り。この結果、備前と美作が壁となり、毛利が播磨へ大軍を送り込むことが不可能となった。播磨は、再び織田のものとなりつつあった。