第154話 長浜城にて
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追記 第154話の侍女の数について書き直しました。詳しい事は活動報告をご参照下さい。
次の日、重秀は安土城本丸天主にて、信長から正式な宇喜多調略の命令書を貰った。いわゆる朱印状で、信長の署名の横には歴史上有名な『天下布武』の朱印が押されていた。
こうして宇喜多調略の許可を貰った重秀は、朱印状を貰った次の日に大谷吉隆と共に長浜城へ帰還することとなった。
さて、長浜城二の丸御殿では、縁ととらが百人一首のカルタで遊んでいた。
重秀と長岡忠興(のちの細川忠興)のアイデアでできた百人一首カルタは、羽柴家と長岡家、そして長岡家から送られた信長や信忠、京の公家衆の一部しか保有していない。しかし、百人一首の歌集として、また歌を詠んだ人物を描いた歌仙絵の新たな形として、京では注目されていた。
縁ととらが遊んでいたのは、乳母である夏が上句の札をランダムに読み上げ、床にばら撒かれている下句の札を早く取るという、我々が知っているカルタの遊び方であった。
「わたの原〜」
夏が上句を読み上げると、即座に反応したのはとらであった。すぐに下句の札に右手を伸ばし、その札を取った。
「やった!今度は先に取った!『三笠の山にいでし月かも』!」
「違います」
嬉しそうに喜ぶとらに、冷や水を浴びせるが如く言葉をかける夏。続けてとらに言う。
「その句の初句(和歌の第一句のこと)は『天の原』です。『わたの原』ではありませぬ」
夏の言葉に、とらが「え〜っ!?」と残念そうな声を上げた。縁が思わず笑い出す。
「うふふふ。『わたの原』が初句の歌は二句ありますから、それを間違えることはよくあります。しかし、阿倍仲麻呂の歌と間違えるとは思いませんでした」
「・・・夏の言い方が悪んじゃないの!?『わたの原』ってちゃんと言ってなかったのではないの!?」
「そんな訳無いでしょう。それに、『わたの原』は二句あります。大体は次の七句の読み出しで判断致します。初句で判断いたしませぬ」
とらの抗議に対して、夏がそう反論すると、とらは「むーっ」と言って頬を膨らませた。その子供っぽさを見て、縁は更に笑うのだった。
そんな仲の良い空気の中、部屋の外からバタバタと足音が聞こえた。夏が「誰ですか、はしたない」と苦言を呟くと、障子が勢いよく開いた。そこには、両膝をついて跪いている照がいた。
「なんですか、照。はしたなく足音を立てて。そなたは・・・」
そう言って注意しようとする夏を遮るように、照が大声を上げる。
「申し上げます!若君、お戻りにございまする!」
照の言葉に、最初は黙っていた縁達。しかし、すぐに「えーつ!」と大声を上げた。
「き、聞いていませんよ!?夏!どうなっているのです!?」
「わ、私にも分かりませぬ。それよりも若君を出迎えないと・・・!」
慌てる縁と夏。一方、とらはスッと立ち上がると、部屋の右側の隅に移動して座り、姿勢を正した。日野城から付いてきたとらの侍女達もとらの後ろ側、ほぼ襖につきそうな位置に座った。
そして、夏が床に散らばったカルタを回収する暇もなく、重秀が部屋に入ってきた。
「今戻った!」
そう大きな声で部屋に入る重秀を、縁と夏が慌てて平伏した。一方、とらは落ち着いて平伏していた。
「お、お戻りなさいませ、御前様!出迎えにも行かず、どうぞお許しくだされ!」
そう言いながら、平伏した状態から頭を上げずにいる縁。重秀はそんな縁の側に近づくと、百人一首カルタが散らばる床の手前で座り込んだ。そして縁に声をかける。
「謝ることはない。御方様(お濃の方のこと)に安土まで呼び出されたついでに寄っただけだ。報せなかったのがこちらのせいなのだから、縁が気に病むことはない」
そう言うと、重秀は床においてあった百人一首カルタの札を一枚取り上げる。
「お、カルタで遊んでくれているのか。縁と・・・とらとで遊んでいたのか?」
「はい。中々面白うございます。まあ、とら殿が弱いので、いつも私が勝っているのですが・・・」
「だって、百人一首全て覚えていないんですもの」
部屋の端にいたとらがそう言うと、重秀に膝で移動しながら近づいてきた。そして重秀の袖を掴むと、軽く振りながら言う。
「お兄様ぁ。どうかお姉様とカルタで勝負して勝ってくださいまし。私の仇を取って下さいまし」
「おお、良いぞ。多分返り討ちにあうと思うけどな」
笑いながらそう答える重秀に、夏が冷たい視線を送る。そんな視線を受けつつ、重秀は顔をとらから縁に向けた。笑顔が真面目な顔に変わり、それを見た縁が姿勢を正す。
「ときに縁。悪いが二の丸にいる全ての侍女と小者を広間に集めてくれ。これから大切な話がある」
「あ、はい。承知致しました」
真剣な顔で重秀に言われた縁は、そう答えると夏に「皆を広間に集めなさい」と命じたのだった。
長浜城二の丸御殿の広間。その広間には縁ととらを中心に、乳母の夏と七、照とその他の侍女達。そして広間の外、縁側とその先の庭には小者達が控えていた。
さて、女だらけのこの広間には二人の男性がいた。一人は石田正継。石田正澄・三成兄弟の父親である。彼は家督を正澄に譲って隠居していたのだが、正純と三成が兵庫と三田に行くことになり、長浜城の留守をする人間が足りなくなってしまったため、急遽秀吉に登用されたという経歴であった。彼は長浜城の留守居役である杉原家次の補佐として、また二の丸御殿の留守居役として、長浜城に滞在していた。
もう一人は河北算三郎。縁が輿入れしてきた際に付いてきた織田家の家臣である。彼は縁を始め、乳母の夏や七を警護するため、長浜城に残っていた。
ちなみに重秀の乳母とされている千代は長浜にはいない。彼女は去年のうちに山内一豊の家臣の妻子を引き連れて兵庫に引っ越していたからだ。
重秀の急な帰還と急な呼び出され、侍女達の顔には緊張の表情を浮かべる者達が多くいた。そんな緊張感漂う広間に、重秀が吉隆を太刀持ちとして伴いながら広間に入ってきた。広間にいた者達が一斉に平伏した。
「一同大義!面を上げよ!」
広間の上段の間の真ん中に座った重秀がそう言うと、縁達は一斉に面を上げた。重秀が声を上げる。
「皆の者。よくぞ留守を守ってくれた!父を始め、羽柴の者達の活躍で播磨はもうすぐ織田の支配下に入るものと思われる。これも、長浜城をよく守り、我等に後顧の憂いを持たせなかった皆の働きのおかげである。この羽柴藤十郎重秀、礼を言う」
そう言って重秀が頭を下げると、下座の者達は慌てて平伏した。そして頭を上げた重秀が話を続ける。
「さて、私は昨日まで安土に滞在していた。播磨より御方様が私を召し出した故、安土へ参った。そこで御方様より、私と縁が不仲なのではないか、と詰問されてしまった」
そう言うと、重秀の目の前にいた縁が「ええっ!?」と思わず声を上げてしまった。夏も驚いたように両目を開けて丸くしていたが、七は渋い顔をしていた。
重秀が話を続ける。
「どうやら、御方様に間違った風聞が伝わってしまったようだ。しかしながら、私の話を聞いて下さり、何とか誤解を解くことができた」
重秀の言葉に、縁と夏、そして七が胸をなでおろした。そんな様子を見ながら、重秀が更に話を続ける。
「しかしながら、確かに御方様が懸念されることも分かる。縁とは一年以上も会っていなかったからな。縁には寂しい思いをさせたと思っている。すまぬ」
そう言って縁に頭を下げる重秀に、縁は「とんでもございません!」と言って平伏した。
「御前様は養父上様の命を受けて播磨へ参っているのです。全ては織田のためにございます。織田の姫として、どうして御前様に不満を持ちましょうや」
そう言うと、縁は横に向け、視線を後ろに投げかけた。そして強い口調で言う。
「この中に私と御前様との仲を裂かんとする不埒な輩がいるのであれば、追放致します!」
縁の激しい言葉に、侍女達は頭を下げた。まるで、縁の怒りを避けようとしているようだった。そんな怒り心頭の縁に、重秀が宥めるように話しかける。
「待った待った。実は三河の徳川家では、嫡男岡崎様(徳川信康のこと)と織田の大姫様(徳のこと)が不仲になっており、御方様も大変心を痛めていた。しかも、徳川に良からぬ風聞があるとも聞いた。そのようなことがあれば、御方様が私と縁の仲を案ずることもやむを得まい」
そう言いながらも、重秀も夫婦の営みが外に漏れることに懸念を持っていた。さすがに縁や照、そして将来のとらとの行為が外に漏れるのは恥ずかしいものである。もっとも、それ以外のことが外に漏れること自体は余り気にしていなかった。それで養母のお濃の方が安心するなら結構な話だからだ。
「それよりも、一年も縁に会わなかったことは私の不徳の致すところ。そこで、縁ととら、そして照や乳母達をそろそろ兵庫城に移そうと思う」
重秀がそう言った瞬間、縁が「真ですか!?」と言いながら重秀に笑顔を向けた。その目は、嬉しさを表すかのようにキラキラと光っていた。
そんな縁の表情を見て、重秀が若干引きながら話を続ける。
「あ、ああ・・・。ただ、私は早急に父上の下へ戻らなければならぬ。三日間は長浜に滞在する故、その間に準備できれば、だが」
「三日で準備ですね!?分かりました!早速致します!」
ウキウキ気分でそう答える縁に、七が「お待ち下さい!」と声を上げる。
「三日で準備など、無理です!大体、侍女達が準備できておりませぬ!」
「おや、これは異な事を仰る。御姫様は常日頃から『いつ藤十郎様から兵庫へ来いとのお達しが来るやもしれませぬ』と言っておられたではありませぬか。御姫様はすでに荷を選別し、長浜に置いていく物と兵庫に持っていく物をまとめておられます。私も、照や主だった長野家の侍女達も同じように準備はできております」
慌てる七とは対称的に、夏は落ち着いた、というより勝ち誇ったような口調で七に言った。七が「ぐぬぬ」と唸る中、夏が重秀に平伏しながら言う。
「恐れながら若君。我等御姫様に付けられし伊勢の侍女、全ていつでも兵庫へ向かうこと可能でございます」
「あいや、しばらく」
夏がそう言った瞬間、広間の片隅から男の声が上がった。皆が一斉に声の主に目を向けると、そこには河北算三郎がいた。算三郎がはっきりとした口調で声を上げる。
「恐れながら、大勢の侍女の移動となりますと、護衛の数が足りませぬ。また、兵庫までの道中、泊まる場所や休憩場所を手配しなければなりませぬが、三日間でそれを成すのは難しいかと存じます」
「護衛と宿泊場所か・・・確かに難しいな。算三郎、どのくらいの数なら護衛できる?」
「若君と護衛を含めて百名が限度かと」
「百名ですか!?それでは侍女全てを連れて行く事ができませぬ!」
算三郎の回答に夏がそう声を上げた。しかし、重秀が夏を諫める。
「夏、落ち着け。もし全ての侍女を連れて行きたければ、今回は諦めればよい。そして後日準備を整えて縁を呼び寄せるならば、全ての侍女を連れていけるだろう」
「なりませぬ!」
重秀の言葉に、今度は縁が声を上げる。
「せっかく藤十郎様が私を兵庫に連れていくと言っているのです!この機を逃せば、いつ行けるか分かったものではなりませぬ!」
そう言うと、縁は重秀に向かって深々と頭を下げる。
「後生でございます。何卒、兵庫へ連れて行ってくださいまし。一緒に兵庫に行きとうございます!」
重秀は悩んだ。確かに急な引っ越しなため、その準備ができていなかった。しかし、この機会を逃すと、今度はいつ兵庫へ呼び寄せられるか分からない。
それに、もしここで縁の機嫌を損なえば、今度は縁がお濃の方に夫婦仲に距離があることを訴える可能性があった。そんな事をされれば、お濃の方は完全に重秀と縁の仲を怪しむだろう。そしてそれが信長に伝われば、信長はどう思うだろうか?徳川の一件があった以上、信長の羽柴に向けられる目は厳しいものになるだろう。
そして、重秀にも縁に負い目があった。兵庫城がある程度完成したら呼び寄せると言っておきながら、本丸御殿ができたのに未だに呼び寄せていないのだ。それでは縁に申し訳が立たなかった。
ただ、縁が兵庫城に移ったからといって、重秀と甘いイチャラブ生活が待っているわけではない。重秀は西播の抑えとして御着城に行かなければならない。結局離れ離れになるのだ。
しかし、兵庫城は長浜城よりは近い。それに、宇喜多の寝返りが上手くいき、三木城の包囲も問題なければ、重秀が兵庫へ帰れる機会は増えるだろう。つまり、縁と一緒になれる可能性も高くなる。そうなれば、お濃の方も少しは安心するだろう。
そう考えた重秀は、決断を下す。
「百名ならば宿泊場所も休憩場所もなんとかできる。いや、私がなんとかする。縁を万難を排して兵庫に連れていくぞ!」
重秀が力強くそう言うと、縁が「御前様!」と歓喜の声を上げた。一方、夏は怪訝そうな声で重秀に尋ねる。
「若君のご決断に反対する訳ではないのですが・・・。連れて行く侍女が少ないと、兵庫城での生活に支障が・・・」
「元々兵庫城の本丸御殿は狭い。縁が連れてきた大勢の侍女は入り切らぬぞ。それに、足りなければ、後から長浜から追加で来てもらえばよい」
重秀がそう言うと、今度は七が焦ったような声で重秀に言う。
「恐れながら申し上げます。伊勢から来た侍女だけ連れて行くは不公平というもの。何卒、連れて行く侍女の半分は尾張から来た者共をお入れくださいまし」
「・・・三日以内に準備できるか?」
重秀がそう尋ねると、七は「必ずや」と答えた。重秀は考えた。恐らくその侍女の中にお濃の方に報せる者が入るのだろうと。
しかし、これを断ると、お濃の方が良からぬ疑念を持つかもしれない。そうなると、やっぱり織田と羽柴の関係にヒビが入ることになる。
重秀は溜息をつくと、七に言う。
「・・・相分かった。ただし、七は長浜に残れ」
重秀の言葉に、七が「えっ!?」と驚く。
「別に驚くことではないだろう。二の丸には多くの侍女が残ることになる。そうなった場合、二の丸の侍女は誰が束ねるのか?今まで夏と七が束ねてくれていた以上、どちらかが残らねばならない。そして、夏には私に歌を教えるという役目がある。ならば、残るのは七ではないか」
そう言うと、七は「し、しかし・・・」と口を開いた。しかし、更に重秀が話を続ける。
「まあ、長浜に残るのはそれほど長くはならないだろう。そんなに気落ちする必要はない」
重秀の言葉に、七は「そう言うことじゃない」と心の中で呟いた。というのも、お濃の方に情報をあげていたのは七だからである。尾張から来た侍女達から情報を集め、選んでまとめてきたのが七であった。しかし、七が長浜に残るとなると、兵庫城内の情報を兵庫城内にいる侍女経由で掴むと、どうしてもタイムラグが生じてしまう。これではお濃の方に素早く、しかも正確な情報を上げることができなくなる。
それを防ぐために、何とかしようと七は重秀を説得しようとした。しかし、横から夏が割り込んでくる。
「七殿。若君が二の丸の留守をお願いしておられるのです。留守居役は重要なお役目。それを断るとは、若君の信頼を損なう行為になりませぬか?」
夏の物言いに、七が思わず夏を睨みつけた。しかし、夏は涼しい顔をしていた。
夏にしてみれば、尾張の侍女達のまとめ役である七が長浜に残れば、当然兵庫城内の奥向の主導権を夏を中心とした伊勢の侍女達で牛耳れる。今までは千代が間に入っていたのと、縁が尾張の侍女達の顔を立てていたので夏も大人しく従っていたが、これを機に兵庫城内のしきたりや作法を長野家と同じにしようと考えていた。
そして夏の目論見を当然分かっている七は、夏を睨みつけると反論をした。
「私は御方様に縁様の面倒を見ろと命じられた身。縁様から離れることになれば、御方様の命に従えなくなります」
「我等は御姫様にお仕えし、若君と御姫様の仲睦まじきを支え、もって羽柴の奥向を安んじなければなりませぬ。羽柴の本拠地である長浜を安んじることも、重要な役目と思いますが?」
夏のさらなる反論に、七は「それは・・・」と言い募ろうとした。しかし、縁がそれを止める。
「七、それに夏もそこまでにしなさい!藤十郎様の御前ですよ!」
縁の一喝で七と夏が口を噤んだ。そして、はっきりとした口調で諍いを止めた縁を、重秀は驚いたような表情で見つめた。そんな重秀に縁が頭を下げる。
「申し訳ございませぬ、御前様。御前様の前で見苦しいところをお見せ致しました」
「頭を下げなくてよい。それよりも、とらのことだが・・・」
重秀はそう言うと、視線を縁からとらへと向けた。
「できれば、とらも兵庫へ連れていきたい。長浜に置いていったとなれば、今度は蒲生家との不仲、という風聞が立つかもしれない。痛くもない腹を探られるのは勘弁して欲しい」
「私の侍女は二十名もおりませぬ。また、私も含めて武術を嗜むものばかりにて。私めがお姉様の護衛を務めることも可能かと」
とらの言葉に、重秀が「いやいや」と右手を振った。
「さすがに護衛はやらすことはできぬ。まあ、侍女も少ない故、とらの侍女は全員連れて行く。算三郎、良いな?」
重秀がそう尋ねると、算三郎が「承知仕りました」と言って平伏した。
こうして縁ととら、そして侍女として当然兵庫へ向かう照の、忙しい三日間が始まるのであった。