第150話 安土への呼び出し(前編)
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天正七年(1579年)七月。小西行長との交渉を終わらせ、西播の抑えとして御着城に居た重秀は、長谷川秀一の突然の訪問を受けた。重秀は客間で秀一と会った。
「これは長谷川様。御着城へのお越し、骨折りでございました」
「いや、元々三木城包囲に参加する予定であった故、ここまで足を伸ばしたのよ」
岐阜城で小姓をやっていた重秀にとって、秀一は小姓の先輩であった。そのため、機会があれば互いに訪問し合っていた。重秀は今回もそんな私的な訪問と思っていた。
「茶を点てます故、こちらへ・・・」
「いや、良い。実は今回は上様の命でやってきたのだ。それに、すぐに三木城へ戻らねばならぬからな」
「上様の?」
「ああ。上意故、謹んでお受けするように」
そう言うと、具足姿の秀一が立ち上がった。重秀が平伏すると、秀一は手に持っていた書状を開いてその内容を読み上げた。
「上意。羽柴藤十郎。審問したき儀あり。早急に安土に出頭せよ。なお、安土に到着後は堀久太郎(堀秀政のこと)の指示に従うように」
そんな意味の内容を聞かせた秀一に、重秀はただ「ははぁ!」と返事をしたのであった。
それから二日後。重秀は大谷吉隆を連れて三木城近くの平井山の附城に来ていた。秀吉の本陣がある附城で、秀吉本人に会うためである。
ちなみに、福島正則と加藤清正、加藤茂勝はこの場にいない。三人は阿閇城にて水軍の鍛錬に参加したり、くまを通して塩飽をまとめる年寄達と交渉をしていた。ただ、さすがに正則達若い連中には荷が重いため、塩飽との交渉の責任者には尾藤知宣がなっていた。
さて、重秀は平井山の附城に入ると、石田三成を従えた秀吉と面会した。
「藤十郎。お主が来たということは、安土へ向かうのじゃな?」
「はい。しかしながら、上様に呼び出される理由が分からず、困惑しております。長谷川様からは何も聞かされていませんし・・・」
「藤五(長谷川秀一のこと)からもこの件について聞いているが、儂にも訳が分からぬ。藤五に聞いても本人は知らぬらしい」
秀吉と重秀が困惑した顔になりながらそう話した。重秀が小声で秀吉に話しかける。
「もしや、宇喜多の調略が露見したのでは・・・?」
しかし、秀吉が「それはありえぬ」と首を横に振った。
「宇喜多との調略は限られたものしか知らぬ。それに、そもそも露見したとなれば儂が呼び出されることになる。お主を呼ぶ訳がない」
「それもそうですね・・・」
「それに、ちと気になることがある」
秀吉がそう言うと、重秀が首を傾げた。秀吉が話を続ける。
「藤五の話では、上様は上洛予定じゃそうだ。上様の呼び出しなら、むしろ京に呼び出されると思うのじゃがのう・・・」
そう言うと秀吉も首を傾げた。
結局、秀吉も重秀も信長の意図が見えずに互いに困惑するだけであった。しかし、宇喜多の寝返りの謀が露見した事を想定し、宇喜多への交渉は和議と称して時間稼ぎを行っていることとした。
即ち、三木城の包囲を毛利によって西と北から破られぬよう、宇喜多を介して毛利と和議の交渉を行っている、としたのだ。当然、本当の和議の交渉ではなく、あくまで三木城を落とすまでの時間稼ぎとしての偽の交渉である、ということにしたのだ。
そんな話し合いが終わり、重秀が秀吉の元から離れようとした時だった。
「ああ、藤十郎。すまぬが、お主にお願いがあるのじゃが」
「お願い?何でしょう?」
重秀が聞こうと再び秀吉の傍にやってきた。秀吉が重秀に言う。
「京に寄って、上様に曲直瀬道三殿を兵庫に派遣することについて許しを得て欲しいのじゃ。道三殿は京で、いや日本で一番の医者じゃからのう。半兵衛の治療を頼みたいのじゃ。それと、道三殿に文を届けて欲しい。後で書いて渡す故、それを持ってってもらいたいんじゃ」
平井山の附城から安土に向かった重秀は、まずは兵庫を目指した。兵庫城につくと、重秀は兵庫城内の竹中屋敷へと向かった。竹中重治を見舞うためである。
「これは若君。お見苦しいところをお見せ致した」
布団の上で、妻に支えられながら上半身を起こした状態で挨拶をする重治。顔色は青白く、阿閇城にいたときよりも痩せているように見えた。
「半兵衛殿。身体はあまり良くなさそうですね」
重秀が心配顔でそう言うと、重治は咳き込みながら弱々しい笑顔で話しかける。
「いえいえ。これでも幾分は身体が良くなったのです。やはり、潮風は良いですな」
「とてもそうは見えませぬが・・・」
重秀がそう言うと、重治が妻に何か話しかけた。妻が部屋から出ていった後、再び重秀に話しかけてきた。
「して、兵庫へは何用でお戻りに?」
そう聞かれた重秀が、安土に呼び出されたことを詳しく話した。
「・・・なるほど。安土への呼び出しですか」
重秀の話を聞いた重治がそう言うと、重秀は恐る恐る尋ねる。
「・・・半兵衛殿はそれがしが安土に呼び出された訳が分かりますか?」
重秀の質問に対して、重治は首を横に振る。
「いいえ。ただ、宇喜多寝返りの謀や播磨の事とは関係ないと思います。それならば殿(秀吉のこと)を呼び出せばよろしいですし。若君を名指しで呼び出したりはしませぬ」
「半兵衛殿もそう思われますか」
「はい。ひょっとしたら、呼び出したのは上様ではないやも知れませぬ。先程若君は上様が上洛していると仰っておりました故、上様以外の方の呼び出しかも知れませぬ」
「上様ではない?すると、殿様(織田信忠のこと)でしょうか・・・?」
重秀がそう言ったときであった。部屋の襖が開いた。重治の妻と、小さな男の子が入ってきた。妻と男の子は重秀の側に座ると、平伏した。そして男の子が話し始める。
「お初にお目にかかりまする。竹中半兵衛が息、竹中吉助(のちの竹中重門)にごじゃりまする」
若干舌足らずな喋りで挨拶をする吉助に、重秀が話しかける。
「おお。噂の吉助か。話は半兵衛殿から聞いている。歳はいくつか?」
「七つでごじゃりまする」
「七つか・・・。そろそろ学問を始める頃かな?」
そう言うと重秀は重治に顔を向けた。
「吉助の学問の師は如何なされるおつもりか?」
「すでに、松寿丸(のちの黒田長政)と共に兵庫城にて、弥三郎殿(石田正澄のこと)や城に出入りしている僧に読み書きや算術を習わせております」
そう言うと、急に重治は姿勢を正した。そして重秀に向かって平伏する。
「若君。それがしはこの先長くはありませぬ。何卒、我が愚息のことをお願い申し上げます」
重治の突然の行動に驚いた重秀であったが、すぐに真面目な顔つきになると、力強く頷いた。
「半兵衛殿のご子息なら当然、私の傍にあるべきでしょう。必ずや、重用致します」
「あ、そこまでしなくていいです」
急に顔を上げてそう言う重治に、重秀は肩透かしを喰らった気分になった。重治は言う。
「我が息子に才があるとは限りませぬ。その様な者を重用すれば、若君の迷惑になりまする。もし我が愚息が非才ならば、遠慮なく遠ざけて下さい」
「いや、半兵衛殿の息子が非才とは思いませぬが・・・」
「情は無用です。史を見れば、身内だからとか先代に世話になったからという理由で非才な者を重用すれば、必ずや亡国を招き民を苦しめまする。若君は必ず天下を治める為政者となられます故、何卒、民を苦しめるような政を致しまするな」
この時、重秀は重治の言葉に違和感を感じた。自分が天下を治める為政者になる、と言う言葉が大袈裟に感じたのであった。そして、重治はその様な大袈裟なことを言う人物ではない。
「・・・珍しいですね。半兵衛殿がそんな大それた事を仰るのは。天下はすでに上様が治めておられます。そして、殿様も天下を治める者としてふさわしいお方です。私が治めることはないでしょう」
重秀がそう言うと、重治は静かに微笑んだ。重秀にとってはその微笑みの意味が分からなかった。ただ、何か言わなければならないと感じたのだろう。重秀は重治に言う。
「・・・ま、まあ、史を顧みるに、確かに身内贔屓で有能な者を遠ざけた家は悲惨な末路を迎えております。分かりました。吉助を贔屓せず、才あるならば重く取り立てましょう」
重秀がそう言うと、重治は微笑んだまま頷いたのであった。
重秀が兵庫を発ち、京に着いたのが二日後の夕刻であった。この頃には兵庫から京までの街道が池田恒興によって整備され、大分移動しやすい道となっていた。ちなみに秀吉も兵庫から姫路までの西国街道の整備を考えているのだが、毛利や宇喜多が攻めてくることを危惧して未だ整備できていなかった。
京に着いた重秀は、その日のうちに信長が滞在している妙覚寺へ吉隆と共に向かった。義父である信長に面会を申し込んだのである。当然、すぐに会えるとは思っていないので、予めアポイントを取っておこうとだけ考えての行動であった。
ところが、取次を行った小姓が「しばらくお待ちを」と言ってきたのである。
「上様は今日中に会われるとのこと。しばらく別室でお待ちくだされ」
そう言うと、その小姓は側にいた若い小姓に声をかける。
「おい、乱。羽柴様をお部屋にご案内しろ」
乱と呼ばれた小姓見習いが「こちらへ」と言って重秀と吉隆を案内した。そして別室に入ると、その小姓見習いが「白湯をお持ち致します」と言って部屋から出ていった。
それからしばらく経って、二つのお椀を持って部屋へ入ってきた。
「どうぞ」
そう言って小姓見習いが白湯を差し出した。重秀と吉隆が口をつけると、程よい温さで飲みやすかった。
「かたじけない。飲みやすい白湯であった。ところで、初めてお目にかかるが・・・」
お椀を置いた重秀が若い小姓に尋ねると、その若い小姓は姿勢を正すと、礼儀正しく頭を下げる。
「これはご無礼仕りました。私、美濃金山城主、森武蔵守(森長可のこと)の弟の森乱丸と申します」
若い小姓がそう自己紹介すると、重秀は思わず「えっ!?」と驚いた。
「勝蔵殿に弟がいらしたのですか!?」
「はい。私の他に三人いますよ」
「そんなにいたの!?」
驚く重秀の顔を見て、乱丸が思わず吹き出した。重秀の隣りにいた吉隆が「無礼な!」と声を上げると、乱丸は慌てる様子もなく頭を下げる。
「ご無礼仕りました。噂に聞いていたのとは違うお姿でしたので、つい。どうぞお許しくだされ」
「ああ、いや。それは気にしていないので。しかし、噂ってなんですか?」
尋ねる重秀に、「ご存知ないのですか?」と乱丸は首を傾げながら言う。
「若いながらも知勇優れた武将だと。調略や謀略をやらせれば、蝶が花に誘われるが如く敵は寝返り、戦になれば蜂の如く苛烈に戦うと。また、新たな政編み出し、民が豊かになるを喜び、まさに大唐の太宗(唐王朝二代目皇帝、李世民のこと)が如しと」
乱丸の言葉に、重秀は思いっきり鼻白んだ。過大評価も良いところだと思った。あまりにもよく言われすぎて、かえって悪意で言われているのではないかと思ったほどだった。
「・・・そんな大それた人物ではありませぬ。何卒、騙されませんように」
過大評価に嫌悪感を隠さずにそう言う重秀に、乱丸は真面目そうに話を続ける。
「しかしながら、兄上も羽柴様のことを褒めておられました。兄上は羽柴様を高く評価しておられます」
「若いながらも所領を治める武蔵守殿にはまだまだ及びませぬ」
そう言いながら、重秀は喋って乾いた口の中を潤すべく、白湯を再び飲んだのだった。
それから暫くの間、乱丸と話をしていると、部屋に誰かがやってきた。先程、乱丸に案内を命じた小姓であった。
「羽柴様。上様がお呼びです」
そう言われた重秀は、部屋に吉隆を置いて移動した。小姓の案内で信長がいる広間に通されると、そこには明智光秀と柴田勝家がいた。
光秀と勝家がいることに内心驚きながらも、重秀は広間の下座、縁側に近い場所に座ると、平伏しながら挨拶をした。
「上様におかれましては、ご機嫌麗しく。羽柴藤十郎重秀、播磨より罷り越しました」
「大義」
重秀の挨拶に、簡単な返事をする信長。そんな信長から、驚くような言葉を重秀は聞く。
「して、余に何用だ?」
信長から直にそう言われた重秀は、思わずキョトンとした顔を信長に向けてしまった。
「・・・は、長谷川様より、上意にて安土へ召し出されました故、安土に向かう途中でございました。上様が京におわしますことを聞きました故、まずはご挨拶にと参上した次第にございまする」
動揺しながらもそう言う重秀に、信長は「何言ってるんだ?こいつ」と言いたげな顔で重秀の顔を見ていた。
信長の手前側、左右に分かれて控えていた光秀と勝家が訳が分からない、というような顔をしながら信長と重秀の顔を相互に見ている中、信長が何かを思い出したように「ああ」と呟いた。
「思い出した。確かに、竹(長谷川秀一のこと)に余の命を伝えておった。しかし、あれは余が呼び出したにあらず。呼び出したのは帰蝶よ」
「御方様でございますか?」
勝家が思わず信長に聞いた。信長は頷きながら言う。
「うむ。藤十郎に聞きたいことがあるそうじゃ」
そう言うと信長は視線を勝家から重秀に移した。
「藤十郎よ。汝が帰蝶に呼び出された理由、実は余にも分からぬ。まあ、詳しいことは安土に残っている久太に尋ねるが良い」
信長からそう言われた重秀は、「承知致しました」と言って平伏した。直後、信長が高い声で重秀に尋ねてくる。
「時に藤十郎。播磨の戦況はどうなっておる?」
信長にそう聞かれた重秀は、播磨での自軍の陣営と敵の陣営、兵力の配置、毛利や宇喜多、但馬の山名の動きを詳しく伝えた。特に、七月に入る直前に小一郎が竹田城を落としたことについては更に詳しく話した。
「・・・竹田城を落としたことにより、竹田城の南にある生野銀山が我等のものと相成りました。これで、但馬の山名の財を押さえることができました。早晩、山名は我等に屈服するものと思われます」
重秀の話に、勝家と光秀が感嘆の声を上げる一方、信長は不機嫌そうな顔を隠さなかった。重秀が焦りつつも話を終わらせると、信長が「今宵は大儀であった。もう下がって良い」と命じた。
しかし、重秀が恐る恐る声を上げる。
「お、恐れながら、上様にお願いしたき儀がございます!」
「なんだ。何か言いたいことがあるのか?」
不機嫌そうに低い声で言う信長。そんな信長の態度に、光秀は内心ハラハラとし、勝家は「余計なことを言うな」と言いたげに重秀を睨んでいた。
そんな中、重秀が緊張気味に言う。
「父筑前より、上様にお願いがございますれば、お聞き届けいただけますよう、伏してお願い申し上げまする」
信長の機嫌がますます悪くなっていく。そんな中、重秀は勇気を振り絞って信長に言う。
「じ、実は我が師、竹中半兵衛が病に倒れました。地元の医師では手の打ち様がなく、余命幾ばくもない状況でございます。何卒、名医として名高い曲直瀬道三殿を兵庫に遣わせて・・・」
「許す」
信長の即答に、重秀は面食らった。信長は言う。
「半兵衛はまだまだ必要な人材よ。死なせてはならぬ。道三へは後で長門(村井貞勝のこと)を通して儂からも命じておく」
「あ、有難き幸せ。上様のお慈悲、この藤十郎生涯忘れませぬ。それではこれにて」
重秀が平伏し、そそくさと広間から去っていった。その後、信長は不満そうな声で呟く。
「猿め・・・。但馬にまで兵を出すとは。余は調略しろとは言ったが、兵を出せとは命じておらぬぞ・・・」
「なんと。それは明確な軍規違反。猿めを呼び出しまするか?」
勝家がそう言うと、光秀が「恐れながら」と口を挟んできた。
「確かに筑前殿のなさりようは越権行為。しかしながら、生野銀山は今後の織田の財を支える重要拠点。そこを早急に押さえた手腕は認めるべきかと」
「権六、そして金柑。余は別に猿のなしたことを責める気はない。むしろ、よくやったと褒めたいのよ」
不満げにそう言う信長に、勝家と光秀は互いに顔を合わせた。信長の真意が読めなかったからだ。秀吉のやったことが褒められるなら、何が不満なのだろうか?
「分からぬか?猿の軍勢は手一杯、もはや余裕がないのじゃ。これでは長浜城に兵を戻し、例の計画に使えぬではないか」
信長が『例の計画』と言った瞬間、勝家と光秀は息を呑んだ。それは、重秀が来るまでに話し合われていた計画のことであった。
「・・・上様は、右衛門尉殿(佐久間信盛のこと)対策に、猿・・・筑前の軍勢を使うおつもりでしたか・・・?」
勝家の言葉に、信長は「で、あるな」と答えた。
「金柑が作る策ならば、兵力を使わずにあの牛(佐久間信盛のこと)めを捕らえることができよう。しかし、あの牛が越前で謀反を起こすやもしれぬ。そうなった場合、兵力が必要じゃ。一応、五郎左(丹羽長秀のこと)と城介(織田信忠のこと)の軍勢がいるが、長浜の猿がいればさらに安心じゃ」
信長の言う『例の計画』。それは佐久間信盛の改易、追放であった。信長はその計画を勝家と光秀に打ち明けていたのだった。