第149話 宇喜多との交渉(完結編)
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交渉三日目。重秀と小西行長の交渉は最終日を向かえた。
「和泉守が心血注いで守った備前、美作、播磨の所領を一寸たりとも渡さないという小西殿の心意気、この藤十郎感服仕りました。父上とも相談の上、所領安堵を義父上様に何とか許してもらえるよう、骨を折る所存にございます」
重秀がそう言うと、行長は内心ホッとしながらも平伏した。重秀は更に言葉を続ける。
「しかしながら、義父上様は和泉守を信じておりませぬ。あれだけ謀略調略でのし上がってきた梟雄、どうして信じられましょうや。ここは、和泉守が嫡男と共に自ら安土に行き、義父上様に頭を下げ、嫡男を人質として差し出す他にございませぬ」
「しかし、それは昨日お断り申し上げましたが・・・」
そう言ってやり過ごそうとした行長に、重秀は鋭い視線を向けつつも声を上げる。
「こちらは宇喜多の所領安堵を呑んだのです。これから義父上様にその旨言上し、許しを得るために説得しなければなりません。羽柴に義父上様のご勘気を被るという危ない橋を渡らせておいて、和泉守が保身に走るとは片腹痛し。私も義父上様に『やっぱり宇喜多は信用できません』と言上いたしてもよろしいのですよ?私はこう見えて前右府様と三位中将様(織田信忠のこと)の小姓を務めた身。前右府様と三位中将様に直言直答を許されている身です」
はっきりと言う重秀に、行長は思わずたじろんだ。しかし、行長は反論する。
「し、しかしながら、もし我が主君が安土に行った後、安土で殺される虞が無きにしもあらず・・・」
「ありえませぬ」
行長の反論に、重秀はピシャリと言った。
「義父上様は自らの城内にて、頭を下げに来た者を殺したことは今までございませんでした」
正確には永禄元年(1558年)に信長は病と偽って弟の織田信行を誘い出して殺している。重秀もその事は知っていたが、あえて無視をした。もっとも、信行は前に謀反を起こしていたし、この時も謀反を計画していたというから、頭を下げに行った人ではない。
「まあ、これは半兵衛殿から教わったのですが、人というものは自分のやってきたことは他人もやってくると思うもののようですね。和泉守も散々やってきたから自分もやられると思っているのでしょうね」
「無礼な!」
重秀の言葉に声を上げる行長。重秀が冷静に返す。
「じゃあ、やっていないと?ではどうやって備前、美作、播磨の領地を得ることができたのですか?宇喜多和泉守家は一度は没落し、放浪の身になったと伺いました。そこから今まで、手を汚さずに来たと言われるのですか?」
重秀の言葉に言葉が詰まる行長。重秀がさらに畳み掛ける。
「和泉守がなされてきたことについては批難する気はありません。乱世故、謀略調略はどこでもやっておりますから。しかし、それで信頼が失われたのは自業自得というもの。義父上様の信頼を取り戻せるのは、和泉守の今後の対応次第と思いますが」
「し、しかし、毛利はそのようなことをしなくても盟を結んでくれましたが・・・」
「義父上様は右馬頭(毛利輝元のこと)ほど優しくはありません。それに、義父上様は義弟である浅井備前(浅井長政のこと)に裏切られて以降、松永弾正(松永久秀のこと)や荒木摂津(荒木村重のこと)といった味方に裏切られ続けてきました。宇喜多を怪しむのは仕方のないことではありませんか?」
重秀がそう言うと、行長は黙り込んでしまった。しばらく沈黙が続いた後、行長が平伏しながら重秀に懇願する。
「・・・我が主の安土行きは呑みます。前右府様への臣下の礼も致します。ですが、八郎君の質入れだけは、何卒お許しくだされ。八郎君は宇喜多唯一の嫡男にて、他に跡継ぎは居りませぬ。それに、齢八にて、御方様(宇喜多直家の継室、福のこと)も手放すことを認めませぬ。何卒、質入れだけはご容赦あれ・・・」
「しかしですな。黒田官兵衛殿(黒田孝隆のこと)は唯一の嫡男である松寿丸(のちの黒田長政)を織田の人質にしようとされ、実際に長浜城まで連れて来られました。父筑前はそれに感銘を受けて、義父上様に松寿丸の質入れの撤回を義父上様に申し入れたのです。そして、義父上様も官兵衛殿の誠意を汲み取り、松寿丸の質入れを取りやめたのです。
・・・正直、そこまでの誠意を見せなければ、義父上様は宇喜多を信じませぬよ」
重秀の言葉に、行長は黙り込んだ。そして項垂れるとそのまま考え込んでしまった。
しばらく経った後、行長は顔をあげると重秀に言う。
「・・・分かりました。我が主の安土行きと八郎君の質入れについて、和泉守様に受け入れるよう、説得してみます。
・・・しかしながら、どうしても難しい場合、多少の妥協を認めて頂きたいのですが・・・?」
行長の言葉に対し、重秀が悩んだふりをする。
「そう言われましても・・・。ただ、義父上様はよく上洛をなされております。安土でなく京で会うことぐらいなら、可能かと存じますが・・・」
悩んだふりをしながらそう言うと、行長はまた黙ってしまった。だいぶ悩んだ挙げ句、行長は再び頭を下げた。
「・・・分かりました。必ず我が主和泉守様に申し上げ、説得してみせまする。それまで、宇喜多領への侵攻はなされませぬよう、この小西弥九郎、伏してお願い申し上げまする」
行長が広間から居なくなって少し経った後、重秀は控えの間で寝ているであろう重治の元を訪れた。しかし、控えの間にいたのは、重治だけではなかった。
「ち、父上・・・」
重治が上半身を起こしていた布団の縁の側には、三木城包囲のために平井山の附城で陣頭指揮を取っているはずの秀吉が、兜を脱いだ具足姿で座っていた。
「ち、父上。ご、ご機嫌麗しく」
「麗しくはないな、藤十郎よ」
重秀の挨拶に対し、あからさまに不満げな顔をしながらそう言う秀吉。重秀は思わず「ははっ!」と言って平伏した。
「・・・時に父上。何故阿閇城へ・・・?」
平伏しながら、重秀は秀吉に尋ねた。秀吉が不満げな声で答える。
「官兵衛と話し合うために姫山城へ行ってきたのじゃ。その帰りにお主と半兵衛の様子を見ようと御着城に行ったら、いないと言うではないか。伊右衛門(山内一豊のこと)に聞いたら、阿閇城にいると答えた故、こっちに来たのじゃ」
そう言うと、秀吉は重秀を怒鳴りつけた。
「このど阿呆!何故半兵衛が病に倒れたことを伝えんのじゃ!聞けば、死ぬ直前だったと聞いたぞ!?何故それを儂に伝えんのじゃ!?」
「殿。若君を責めまするな・・・。全てはそれがしが若君にお報せせぬよう、お願いいたしたが故・・・」
重治がそう諫めるが、秀吉は「んなこたぁ分かっとる」と重治を見ずに答えた。
「どうせそんなところじゃろうと思ったわ。じゃがな、それで儂が知らなければ、儂は半兵衛が死の淵にいたことを知らず、半兵衛は病じゃが軽い役目ならできるじゃろうという前提で今後の成り行きを考えることになっておった。そこでもし半兵衛が死んでおったら、儂の考えが根底から覆ることになるんじゃ。その結果、播磨を失ったり、家臣や与力が亡くなることもあるんじゃぞ」
秀吉がそう言うと、重治も黙り込んでしまった。秀吉が重秀に言う。
「藤十郎。どうもお主は儂にあまり報せないようじゃ。いや、儂の与えた役目や儂が知りたいことについては言えばちゃんと報せる故、あまり注意しなかったのじゃが、さすがに羽柴の今後に影響のあることを報せないのはどうかと思うぞ。お主はまだ若い故、どのような話が羽柴の益や損になるかはまだ分からぬと思う。それ故、どの様な小さな事でも儂に報せよ。良いな?」
秀吉の言葉に重秀が「以後気をつけます」と言って頭を下げた。重治も頭を下げる。
「若君に黙るように申し上げたのはそれがしの咎。何卒、罰するならそれがしに・・・」
「何を言っておるのじゃ。儂が・・・」
罰するわけなかろう、と言おうとした秀吉だったが、顎を右手でさすりながら考え込んでしまった。そして、ニヤリと笑いながら重治に語りかける。
「ふむ。藤十郎に口止めさせた罪は重い。よって、三木城攻めから外し、兵庫で養生という名の謹慎を命じる」
秀吉の言葉に重治が「えっ!?そんな!」と声を上げるが、それ以上の大声で秀吉が怒鳴る。
「やかましい!戦場から、いや播磨から外すことがお主への罰じゃ!兵庫でしっかりと養生いたせ!そして妻と子と一緒に過ごしてこい!」
そう言うと秀吉は、今度は泣きそうな声で重治に懇願する。
「頼む・・・。半兵衛よ。儂も羽柴筑前守として偉くなったせいで、誰も昔のように諫言してくれるものが居なくなった。側にいるもので唯一の例外はお主と小一郎だけじゃ。儂ゃあお主を友のように思うとる。頼むから、儂より先に死なんでくれ・・・」
そう話す秀吉に、半兵衛も涙を流しながら秀吉に頭を下げる。
「・・・そのお言葉、竹中半兵衛にとり如何なる金銀宝物にも優るお言葉にて。この竹中半兵衛、もはや思い残すことはございませぬ」
「何言っとるんじゃ。儂はお主にまだまだ報償を存分に与えておらぬ。この播磨が平定できたら、羽柴家は全員播磨に移って、北近江十三万石丸々半兵衛にくれてやるわ」
秀吉がそう言うと、重治が笑いながら断る。
「いや、殿。それはお断りいたしまする。むしろ、海の魚が食える場所が欲しゅうございます。具体的には兵庫城か阿閇城をば」
「なんじゃ。しっかりと欲しい城を言いよって。そんな欲があるならば、当分死なぬわな」
秀吉がそう言うと、重治と秀吉は笑いあった。そんな二人を、重秀は微笑みつつも黙って見つめていた。
秀吉と重治が笑いあっていると、風通しを良くするために開いていた障子から、福島正則と加藤清正が入ってきた。
「兄貴!そして竹中様!ただいま戻りました!今日も飲んできましたぞ!」
そう言ってズカズカと入ろうとした正則は、秀吉の姿を見るや慌てて座って平伏した。隣で酒に酔って真っ赤な顔をしていた清正も、慌てて平伏した。
「こ、これは殿!お見苦しいところをお見せ致しました!」
「・・・まっこと、見苦しい姿を見せたのう。市に虎よ」
こめかみに血管を浮かび上がらせながら低い声で言う秀吉に対し、正則と清正は床に這いつくばるように平伏していた。重秀がフォローするかのように秀吉に言う。
「父上。これには事情がございまして・・・」
そう言うと重秀は塩飽の舟手衆を羽柴に組み込む考えを伝えた。
「・・・と、言うわけで、以前知り合った女船頭のくま殿に、塩飽の年寄共との繋ぎを頼んでいたところでございます」
重秀の話を聞いた秀吉が溜息をつきながら言う。
「まぁ〜た、お主は儂に報せずにそんなことをする・・・。まあ、塩飽の舟手衆は瀬戸内でも村上に負けぬほどの航行術を持っておるし、上様からも一目置かれているからのう。羽柴に取り込みたいというのは分かる。それは認めよう。
・・・しかし、塩飽に乗り込んでお主自ら交渉しようというのは、ちと早計ではないか?お主は菅浦との交渉時とは立場が異なるのだぞ」
「しかし父上・・・。こう言っては自惚れと責められること承知で申し上げますが、船乗りの気質が分かり、菅浦の惣を知っていて羽柴の名代が務まりそうな者は、私めを置いて他にいないと存じますが」
重秀の言葉に秀吉は黙ってしまった。そして、両腕を組んで口をへの字にしながら両目を瞑って考え込んでしまった。考えることしばし、両目を開いて重秀に話しかける。
「・・・確かに、あの塩飽と交渉できそうなのは藤十郎ぐらいか・・・。相分かった。お主に塩飽を任せよう。じゃが、あまり御着城から動くなよ?お主には西播の抑えもやってもらわなければならぬのだからな」
「承知しました。しかし、そうなると誰を介させましょうか・・・」
そう言って悩む重秀に秀吉が「そこで這いつくばっている二人で良いじゃろう」と正則と清正を指さした。
「御着城なら将右衛門(前野長康のこと)と伊右衛門がおるのじゃ。その二人と兵がいれば、旧小寺家の家臣は抑えられるし、姫山城や他の西播の城に援軍を送ることは造作でもない。それに、酒を飲んで言葉を交わしているならば、向こうも受け入れておるのであろう。それに、あの二人にも他家との交渉にそろそろ関わらせてもよかろう」
秀吉の言葉に、重秀が「承知しました」と言って頭を下げた。
「時に、弥九郎(小西行長のこと)と、その女船頭は何時帰るんだ?」
「明日の朝には出立いたしますが」
秀吉から急に別の話を振られた重秀。すぐに答えると秀吉は更に質問をする。
「では、今宵は酒宴かな?」
「・・・一応、そのつもりですが・・・?」
重秀がそう答えると、秀吉がニヤリと笑った。
「では、儂もその酒宴に参加しよう。平井山では中々酒が飲めなかったからのう。久々に酒が飲みたい。ついでに、女船頭とやらを見てみたい」
そう言っている秀吉のニヤリとした顔が少し変わったことに重秀が気が付いた。ニヤついている顔から、獰猛な笑みを浮かべた顔に変わったからであった。その笑顔のまま、秀吉が更に言う。
「今回、半兵衛と藤十郎は和泉守と塩飽に調略を仕掛けた。儂も、ちと調略を仕掛けてみるかのう」
その日の夕刻。重秀から「ささやかながら酒宴を開きます故、どうぞご参加下さい」と誘われた行長とその部下たち。更に正則から「船の上ではなく、城で飲まないか?」と誘われたくまと『八幡丸』の乗組員達。阿閇城の広間にやってくると、上座には重秀の隣に小さい猿面の男が座っているのが目に入った。
「さあさ!よくぞ来られた!弥九郎殿もくま殿も、そして皆々様。この三日間は骨折りでしたなぁ!今宵はこの羽柴筑前が皆々様を慰労いたしましょうぞ!」
猿面の小男―――秀吉が陽気にそう言うと、弥九郎とその部下は即座に平伏し、くま達船乗りは困惑しながらもぎこちなく平伏した。
「さあさあ、その様に固くならずに!今宵は無礼講で参りましょうぞ!」
秀吉のその言葉で始まった酒宴は、確かに形式張ったものではなく、秀吉と重秀と羽柴の家臣と行長達、くま達が車座になって酒を酌み交わすようなものであった。
そんな中、秀吉は行長を自分の隣に座らせると、行長に酌をしながら秀吉は話しかけていた。
「弥九郎殿よ。この度は骨折りじゃったのう。和泉守殿にはくれぐれもよろしゅうお伝えくだされ」
秀吉がそう言うと、行長は恐縮した面持ちで「はっ」と答えた。更に秀吉が話しかける。
「しかし、聞いた話では、お主は宇喜多を守るために我が息藤十郎とやりおうたようじゃのう。いや、そのことを責める気はない。お主は宇喜多の家臣として当然のことをやったまでじゃ」
「有難きお言葉にて」
「そんなお主から見て、藤十郎はさぞ大したことのない相手に見えたであろうのう」
「とんでもない。若君は筋の通った主張をなさって羽柴、いや織田の益を守らんとしておりました。羽柴と織田の先は安泰であると確信致しました」
「そう言っていただけるとありがたい。しかし、我が愚息はまだまだ修行が足りぬ。そなたのような優秀な者が側に居てくれるとありがたいのだがのう」
「何をおっしゃられまするか。それがしのような非才の身。若君の側に居てもお役には立てぬでしょう」
「しかしながら、弥九郎殿は宇喜多では外様であろう?しかも、実家は堺にて羽柴や織田との繋がりのある商家。和泉守殿より疑いの目を向けられるのではないか?」
「我が主は家臣を大切にしておられるお方。例え謀略調略で信用がないと言われても、家臣に非道なことはなされぬお方にございまする」
実際、宇喜多直家は暗殺や謀殺を行った家臣をスケープゴートにしたり見捨てたりしていない。むしろ丁重に扱っていた。そのため、家臣からの信頼の厚い主君であった。
「ほうほう。和泉守殿は家臣を大切になされておられるのですか。さもありなん。家臣は宝ですからのう。しかも、汚い仕事をする家臣は、金銀よりも価値が高い」
そう言うと秀吉は、行長に鋭い視線を送った。行長が思わず息を呑みこんだ。秀吉が話を続ける。
「しかしながら、人というものは嫉妬で何をするか分かりませぬからなぁ。儂も織田家中では出世頭と言われておるが、人の心など表面でどうとでも繕えるものじゃ。内心は嫉妬で乱されているものも多い。そういった者が、讒言で陥れようとする事に暇はありませぬからなぁ。弥九郎殿も他の家臣に目をつけられ、あらぬ誹謗中傷を受けるのではないかと、この筑前心配しているのじゃ・・・」
そう言うと秀吉は視線を緩め、行長の手を握りながら優しい声で更に語りかける。
「・・・ま、弥九郎殿に今すぐどうこうせいとは言わぬ。しかし、羽柴はいつでも門を開いている、と覚えておいてくだされ」
そう言うと、秀吉は行長にニコリと笑うのであった。