第14話 正月の宴
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活動報告でも書きましたが、不定期ながら火曜日にもアップできるか試しています。
天正二年(1574年)一月。一月は新年の始まり。その祝賀として岐阜城には連日多くの来賓が来ていた。未だ石山本願寺は健在ではあるものの、足利義昭を追放し、畿内を掌握した織田信長には家臣や勢力範囲内の国衆だけではなく、公家や商人、遠国からの使者が新年の挨拶に来ていた。これらを饗すのが小姓たちの仕事であった。
万見仙千代(万見重元のこと)や長谷川竹(長谷川秀一のこと)らの先輩小姓が接待を行う一方、大松や犬千代ら小姓見習いは客人には会わないですむ仕事が申し付けられていた。例えば草履取りである。
草履取りといえば秀吉が小者をやっていた頃、信長の草履を懐に入れて温めた、という逸話がある。しかし、大松たちのやっている草履取りはそんなのんきな話ではない。
来客の草履を管理し、誰がどの草履を履いていたのかを把握しなければならない。間違えて出せば叱責ものだ。いや、叱責で済めばよいが、手打ちにされる可能性もある。
ありがたいことに、堀秀政や蒲生賦秀らの先輩小姓達の努力のおかげで、管理をしやすくする仕組みは出来上がっている。しかし、それでも大松たちには大変なことには変わりない。その場で来客の顔と草履の特徴を覚えなければならないからだ。
この日、岐阜城には重臣と、旧浅井・朝倉領からやってきた国衆による宴会が開かれていた。大松達は登城ラッシュによる草履の物量攻撃が終わり、やっと一息ついていたところであった。
「皆、ご苦労であった」
そう声を掛けたのは、先輩小姓の一人である池田勝九郎(池田元助のこと)であった。
「宴は一刻ほどで終わる。その間は休んでおけよ」
そう言うと、勝九郎はちらりと大松を見ると、どこかへ行ってしまった。
「・・・今回は小言は無しか。珍しいな」
大松の側にいた犬千代が呟くと、それを聞いた中川梅千代(のちの中川光重)が同意した。
「本当にな、特に大松に小言を言うのにな」
勝九郎は何故か大松に小言が多かった。ミスをしていない場合にも何かしら揚げ足取りをしていたのだ。
「期待していて言ってるなら我慢するけど、あの人の小言、そういうんじゃないんだよなぁ」
どこか蔑んでいる雰囲気が言葉の端々にあることを感じていた大松は、そう言うと溜息をついた。そんな大松に犬千代が声を掛けた。
「まあ、あんな事があった後に大松にチョッカイを出そうという奴はいないだろう」
大松の集団リンチ事件が終わった後、信長は小姓の綱紀粛正を徹底させた。大松が三日間の謹慎を終えて岐阜城に戻れば、大松に対する周りの反応が変わっていた。まるで『触らぬ神に祟り無し』だ。
更に今年、新年早々に秀吉は信長によって筑前守に任官されている。形骸化した官位はもはや誰でも勝手に名乗っているが、秀吉の貰った官位は信長が朝廷に上奏して手続きを踏んで貰ったものである(金銭で買ったとも言う)。朝廷の権威をも持つことになった羽柴筑前守秀吉の息子に、そうそう手を出せる者はいなくなった。
そんな話をしている最中、彼らに近づいてくる人影があった。梅千代が反応して立ち上がる。
「・・・羽柴様!?もうお帰りで!?」
噂をすれば影、という典型的な形で現れた秀吉に、梅千代が思わず大声を出してしまった。大松達も思わず立ち上がるが、秀吉は唇に人差し指を当てながらやってきた。
「しーっ、お静かに!儂はただ抜け出してきただけじゃ。ほれ、大松。差し入れじゃ」
そう言って秀吉は、袂から紙に包まれた何かを取り出して大松に渡した。大松が開けると、そこには色々な色をした小さい棘のついた粒が何個かあった。
「なんです?これ」
「南蛮の菓子で、コンフェイトというものじゃ。宗易様(千宗易のこと)がお土産に下さったのじゃ。ささ、皆の分もあるでな。お勤めの骨休めと思うて食べてくだされ」
そう言うと秀吉は袂から紙の包みを一つづつ小姓見習い達に渡していった。秀吉は渡す際、その小姓見習いの父親の名前を正確に言い、その父親に対する謝恩の気持ちを述べながら渡したのだ。最初は遠慮していた小姓見習い達も、自分の父親が十二万石の大名から持ち上げられたら悪い気はしない。次々に秀吉から受け取っていった。
「・・・何をしておられるのですか?羽柴様?」
大松達がコンフェイトの甘さに酔いしれていた時であった。急に低い声で秀吉に声を掛ける者がいた。
「おお、紀伊守殿(池田恒興のこと)のご嫡男、勝九郎殿か!いやいや、大きくなられましたのう。お勤めご苦労に存じまする」
「お言葉痛み入ります。それより、困りますな。こいつらに物を与えるのは。勤め中にございまするぞ」
秀吉の陽気な言葉に反して、勝九郎の声は怒りに染まっていた。秀吉は構わず話を続ける。
「まあまあ、そんな固いことを言わずに。このコンフェイトなるものは南蛮の菓子でしてなあ。長い航海でも腐らず、小さくて嵩張らず、口に入れるのも容易。それでいて甘くて美味いときた。勝九郎殿、これを日本で作れるようになれば、画期的な兵糧になると思いませなんだか?」
この時代、南蛮貿易にてポルトガルからやってきた物に砂糖を利用したお菓子があった。カステラとかコンフェイトなどである。コンフェイトは後に日本でも国産化され、金平糖となる。また、旧帝国陸軍では乾パンと金平糖を一緒に入れたものを戦闘糧食とし、それは現代の自衛隊にも継承されている。
「それとこれとは話が・・・!」
勝九郎が怒って大声をあげようと大口を開けた瞬間、秀吉はコンフェイトを勝九郎の口の中に放り込んだ。
「・・・!?」
思わず舐めてしまった勝九郎。初めて味わう甘さに思わず噛み砕いてしまった。
「・・・!」
さらなる甘さと旨さに、勝九郎は不覚にも感動してしまった。そんな勝九郎に、秀吉は囁きかける。
「どうですかな?甘いでしょ?美味いでしょ?勝九郎殿もいづれは池田家を継いで軍勢を率いる身。兵糧のことも考えなければなりませんなぁ」
そう言いながら秀吉は、勝九郎の右腕を取ると、持ち上げて右の掌を開かせた。そして、コンフェイトの入った紙包みを一つ、掌に乗せた。
「ささ、持って帰って是非ともご検討くだされ。何、これも御屋形様の天下布武のため。腹が減っては戦はできませぬからなぁ。これで兵糧が少しでもマシになれば、御屋形様もお喜びになりましょう。池田の名も上がるというものです」
勝九郎は右掌に乗っている紙包みを見ながら震えていた。秀吉がなにかに気がついたような顔をして話す。
「おお、儂としたことがつい手抜かりを。日頃、勝九郎殿にはうちの大松がお世話になっておりますからな。是非ともお礼をさせてくだされ」
そう言って勝九郎の右の掌にもう一つコンフェイトの入った紙包みを置いた。勝九郎は紙包みを握ると、それを袂に入れた。
「・・・良いか。もうすぐ宴は終わる。そろそろ草履を出す準備をしておけよ」
勝九郎は大松達を見ずにそう指示を出すと、そそくさとどこかに行ってしまった。
「では儂も宴に戻るかのう。今年の宴は御屋形様が余興を催されるから楽しみじゃのう」
そう言いながら秀吉は軽い足取りで戻っていった。
「いつも思うんだけど、藤吉おじさん、相変わらずすげぇな・・・」
犬千代が大松に小声で話しかけた。大松はそれに答える。
「・・・改めて思うよ。父上の恐ろしさを・・・」
ああいうことしてるから、昔からいる方々に嫌われるんじゃ・・・、と思いながら大松は呟いた。
それから半刻ほど経って、宴が終わったのか、玄関の方へ向かってくる足音が聞こえてきた。大松達が草履を出せるように準備し終えた時、玄関に多くの人がやってきた。大松達の仕事の始まりだった。
一人の小姓見習いが玄関に来た人の名前を言い、その名前を聞いた別の小姓見習いがその人の草履を保管場所から出す。それを草履を差し出す小姓見習いに渡して、草履を客の前に揃えて差し出す。その一連の作業をするグループが十近い数いるのだ。
しかしそれでも玄関は混雑する。バラバラに登城してきたのとは違い、一斉に下城するのだ。捌く数が違っていた。しかし、いつの間にか帰ってきていた勝九郎の指揮のもと、何とか間違えずに草履を全員分出すことに成功した。
「・・・終わったか?」
「いや、まだ重臣たちが残ってる」
「ってか、今出ていったのは旧浅井・朝倉の家臣達だったぞ?」
犬千代達が小声で話し合っていた。そんな中、勝九郎が声を出した。
「重臣たちはまだ残って宴をなさっている。もうすぐ終わるから、まだ休むな」
そう言われた大松達は、そのまま待機した。
それから半刻ほど経って、また玄関に向かってくる複数の足音が聞こえてきた。今度は重臣や馬廻りの方たちのお帰りのようだ。その中には秀吉や前田利家、中川重光といった小姓見習い達の父親も含まれていた。
―――おや?―――
秀吉の様子を見た大松が違和感を感じた。父にしてはあまり酔っていないのだ。酒好きな秀吉は「お城で飲む酒は格別に美味い!」と、へべれけになって屋敷に戻ってはそんなことを言っていた。しかし、今回はそこまで酔っていないようであった。
大松はその理由を知りたいと思ったが、今は仕事の最中、さすがに声を掛けるのはまずいと思い、他の客と同じ様に草履を差し出した。
この後はお片づけと掃除である。普段の宴なら、お片付けから小姓見習いが動員されるが、今回だけは別で、まずは先輩小姓がお片付けを行い、後に小姓見習いが掃除を行った。
それが終わると、軽く晩飯を取ってあとは寝るだけである。大松達も晩飯を取ったが、何かがおかしい。
「・・・おい、大松。なんかおかしくねぇか?」
「犬千代もそう思うか」
「ああ、万見様と長谷川様がいない。いつもだったらどっちかがいるはずだけど」
「池田様は今日は夜の番だからいないのは分かるけど・・・」
そう言いながら晩飯を食べ終わると、大松と犬千代は他の小姓見習い達と共に自分たちの部屋へと帰っていった。
それから少しして、大松と犬千代や他の小姓見習い達が一緒に寝泊まりしている部屋に、万見仙千代がやってきた。
「あー、疲れた疲れた」
心底疲れたような顔をして入ってきた仙千代に、大松が話しかけた。
「万見様、夜遅くまでのお勤めお疲れさまでした・・・。まさか今夜も囲碁将棋ということは無いですよね・・・?」
「馬鹿言え。この状態でやったら、大松どころか犬千代にすら勝てんよ」
ははは、と笑いながら仙千代は言った。
小姓見習いが学ばなければならない遊びが囲碁と将棋である。なぜなら主君たる信長が好きだから。信長は暇を見つけては小姓相手に囲碁や将棋で遊んでいた。他にも囲碁将棋の名人を城に招いて対局を見たり、自らと打たせていたりしていた。
仙千代は信長お気に入りの小姓の一人で、よく囲碁将棋の相手をさせられていた。相手をさせられていくうちに腕を伸ばし、今では後輩の小姓たちに教えるまでになっていた。
さて、そんな仙千代は囲碁将棋にだけに限れば、大松を気に入っていた。大松は浅野長吉の影響で囲碁将棋を嗜んでおり、しかも将棋は好きな遊びだったので、元々のポテンシャルは高かった。岐阜城に上がってからは仙千代に鍛えられ、少なくとも同年代の小姓見習い達よりは腕は良かった。なので、よく仙千代の囲碁将棋の練習相手をさせられていた。
「ところで、長谷川様はまだ戻られていないのですか?」
犬千代の質問に仙千代は首を横に振った。
「いや、あいつはもう寝てる。今日の宴でやたらと心をすり減らしていたからな・・・」
「長谷川様が?あの方、宴とか余興とか接客とか、えらい楽しくやる方なのに。珍しいですね」
「あー、あの余興はさすがの竹(長谷川秀一の幼名)も楽しくはできないと思うぞ」
「そういえば・・・」
仙千代と犬千代の話に大松が加わる。
「私の父が『今年の御屋形様の余興が楽しみ』と城内でおっしゃってましたが・・・?」
「・・・なんで仕事中のお前が来客の羽柴様と話をしてるのか、というのは羽柴様から貰った南蛮菓子に免じて聞かなかったことにしてやる。・・・お前ら耳貸せ」
そう言われた大松と犬千代は、仙千代に顔を近づけた。
「実はな・・・。御屋形様の今年の余興は『はくだみ』よ」
「『はくだみ』?」
「髑髏に漆を塗って、金粉をまぶしたのよ」
「ええっ・・・」
大松達が引いた。仙千代が話を続ける。
「しかも、その髑髏が、浅井長政、浅井久政、朝倉義景の三人よ」
浅井長政、浅井久政、朝倉義景の三人の首は、それまで京にて晒されていた。
「何でも唐の国の古からの風習らしいが・・・。大松、お前漢籍に詳しいだろ?なにか知っているか?」
「・・・髑髏を酒坏にした、という話でしたら、確か『戦国策』にあったと思いますが、『はくだみ』というのは知りませんでした。ひょっとしたら別の時代の話にはあるかもしれません」
『戦国策』によれば、貞定王十四年(紀元前455年)晋の政治家で名家趙氏の当主である趙無恤なる人物が、同じく晋の政治家で当時の晋の実権を握っていた智瑶を晋陽の戦いで撃破。捕虜となった智瑶を殺害後、その頭蓋骨で酒坏を作ったとされる(便器にしたという説もある)。一説では、酒宴で智瑶から酒を浴びせられた報復だと言われている。
―――ひょっとしたら『十八史略』には載っているかも。漢籍を教えてくれる公家さんからも薦められたから、今度読んでみよう―――
仙千代に言われて大松は首を傾げながら、心の中でそう思った。
「そうか・・・。なぜ、御屋形様があのようなことをされたのかのう・・・?」
仙千代も首を傾げた。
「それで、その余興は上手くいったのですか?」
犬千代の質問に仙千代はまた首を傾げつつ答えた。
「一応、な。皆様歌って踊ってたが・・・。あれ、どう考えてもやけくそだったと思うぞ。酒もそんなに進んでなかったし」
「あ、だから父上そんなに酔ってなかったんだ」
大松が納得したような顔で呟いた。
「羽柴様は宴の時は結構騒ぐんだけどなぁ。今回は大人しくしてたな。なんでだろう?」
仙千代の発言に、大松はまた首を傾げたのだった。結局、大松が秀吉からこの日の心情を聞くことは生涯なかった。
注釈
織田信長が浅井長政・久政親子と朝倉義景の頭蓋骨に『はくだみ』を行ったことについては資料に残されているが、何故それを行ったかについては資料が残っておらず、理由付けについては学説で争われている。
ただ、後世の軍記物に記されているような『髑髏で酒坏を作った』というのは、当時の資料に残っておらず、後世の作り話であることは学説の一致するところである。
なお、いわゆる髑髏杯は世界中で作られていることが確認されている。