第146話 宇喜多との交渉(前編)
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天正七年(1579年)五月下旬。秀吉の命で御着城に入った重秀は、本丸御殿の広間にて、旧小寺家の家臣団および姫山城の黒田孝隆とその家臣団と面会を行った。
秀吉の言うとおり、播磨では重秀は織田家の一門衆として捉えられており、しかも阿閇城の戦いでの武名が播磨で鳴り響いていたことから、旧小寺家の家臣団や黒田家家臣団からは畏敬の念で重秀のことを見ていた。
織田の一門衆はともかく、阿閇城の戦いでの武名は重秀にとってはあまり誇るべきものではないため、内心では違和感を感じていたものの、その違和感を表に出さないという大人の対応は最後まで貫いていた。
さて、そんな面会が終わった後は情報交換であった。竹中重治から三木城包囲の状況が伝えられた後、孝隆から英賀城の情報が重秀達に伝えられた。
「英賀城の兵糧、兵力は毛利によって強化されております。ただ、英賀城兵の士気が落ちているとの報せが、内部に潜入した間者によってもたらされております」
孝隆の発言に重秀が「士気が落ちている?」と思わず口にした。孝隆が話を続ける。
「石山本願寺が織田との和議に入ったことで、英賀御堂の一向門徒の中に織田との和議を唱える一派ができたそうです。その一派の中には、城主三木掃部助(三木通秋のこと)の家臣も含まれているようです」
孝隆の発言に対し、重治が顎をさすりながら言う。
「・・・ならば、その一派を支援すれば、三木掃部助を寝返らすか、それが無理でも英賀城内を分裂に追い込むことができますな」
ニヤリと口角を上げて言う重治に対し、重秀が「半兵衛殿」と声をかける。
「半兵衛殿には重要な仕事があります。英賀城に調略をかけるのであれば、黒田殿にさせるがよろしいかと」
病人である重治にこれ以上仕事を増やさせたくない、と考えている重秀がそう釘を差すと、重治は黙って頭を下げた。
「まあ、英賀城への調略はそれがしにお任せあれ。若君と竹中様には、御着城にて西播に睨みを効かせていただければ、西播は安定いたしますでしょう」
孝隆がそう言うと、重秀は「若輩者であるが、西播の者達が安心できるよう、骨を折る覚悟です」と言った。
こうして、旧小寺家の家臣団および姫山城の黒田孝隆とその家臣団との面会は終わった。旧小寺家の家臣団と黒田家の家臣団が席を外し、広間には重秀と重治、そして前野長康と山内一豊が残った。
「・・・あの様子からすれば、黒田殿は半兵衛殿が宇喜多家と交渉を持とうとしていることは知っているようですな」
重秀の言葉に重治が「でしょうね」と頷いた。
「まあ本来ならば、それがしは殿(秀吉のこと)の側にて三木城攻めの指揮の補佐をすべきところ、御着城くんだりまで来ているのです。あの官兵衛殿が気付かぬはずがありませぬ」
重秀がそう言うと、長康が両腕を組みながら重治に言う。
「・・・あの黒田殿が気付いているならば、他の者も気付いているのではないか?毛利にこの事、露呈するのではないか?」
「・・・そうなれば、毛利だけではなく当然上様の耳に達しよう。我等にお咎めが来る可能性があるな・・・」
一豊が深刻そうな表情でそう言うと、重治が「ご心配なく」と力強く言った。
「黒田殿は殿の側におりました故、殿のお考えを見抜く事ができました。一方、他の方は殿の側に居た訳ではありませぬ。恐らく気が付かぬでしょう。あとは、ここにいる我等が口を噤めば、毛利や上様に露呈することはありますまい」
重治の言葉に、長康と一豊が一斉に安堵の表情を浮かべた。しかし、重秀が首を傾げながら言う。
「しかしながら、宇喜多の使者を御着城に迎えるのはちと拙いのでは?他人に見られると厄介だと思うのですが・・・?」
重秀の言葉に、重治が「そうですな」と頷いた。
「例えば、明石与四郎殿(明石則実のこと)と、宇喜多家の客将である明石飛騨守(明石行雄のこと)は縁戚同士なので、この繋がりを通して明石飛騨守とは連絡が取れるようになっております」
「・・・ということは、与四郎殿の居城である枝吉城に明石飛騨守の使者が来ることになりますか。なるほど、それなら御着城内の者共には悟れらませんね」
重秀が安堵した表情になってそう言った。しかし、長康が渋い顔で口を挟む。
「お待ちくだされ。枝吉城は東播、しかも摂津の国境に近い場所ですぞ。そんなところに宇喜多の使者を招いて交渉事ができましょうや?」
長康の発言に、重治が苦笑いしながら首を横に振る。
「確かに、手間がかかって仕方ありませんな。しかしながら、それ以外の伝手を利用するとなると、向こうの使者とのやり取りは御着城となるでしょうな」
「それだと、使者を御着城に迎え入れた時点で怪しまれますなぁ・・・」
長康の言葉に皆が「う〜ん」と唸り始めた。重秀が重治に尋ねる。
「・・・ところで、他の伝手って、誰なんですか?」
「小西弥九郎殿(小西行長のこと)ですよ」
「小西殿ですか」
重治の返答にそう返した重秀。この時、重秀の脳裏に堺での出来事が思い出された。
「・・・小西殿は塩飽の舟手衆と繋がりがあります。とするならば、船を使ってのやり取りはできそうです」
重秀の言葉に一豊が反応する。
「・・・では、阿閇城での交渉になるか?あそこは海に面しているし、我が水軍の拠点にもなっている。しかも城番は津田・・・外峯四郎左衛門殿だ。毛利にも上様にも密告することはないだろう」
外峯四郎左衛門こと津田盛月については、この頃には一豊や長康にも伝わっていた。二人共盛月の境遇に同情しており、秘密を保っていた。
織田の一門でありながら信長から勘気を食らって追放されている盛月なら、確かに宇喜多との密談を毛利や信長に漏らすことはないだろう。
しかし、重秀には別の考えがあった。
「・・・私は、むしろ半兵衛殿には兵庫で弥九郎殿と交渉してもらいたいと考えているのですが」
重秀の発言に、皆が「兵庫ですか?」と一斉に声を上げた。
「兵庫津では、堺と同じように塩飽の船には湊での優先権を与えています。弥三郎(石田正澄のこと)からの報せでは、風待ちや補給、商いで少数ながら兵庫津を利用する塩飽の船があるそうです。それを利用すれば、より目立たなく宇喜多・・・、いや弥九郎殿と交渉することができる気がする、と思うのですが」
そう言った重秀に対し、長康が懸念を表する。
「確かに、兵庫津だとより一層秘密が保てますな。しかし、枝吉城よりも遠いですな・・・」
「そこは半兵衛殿に兵庫にて交渉してもらうしか無いと思っています」
重秀がそう言うと、視線を長康から重治に移した。重治は批難めいた視線を重秀に向けていた。
「・・・若君。まさかそれがしを兵庫に移すおつもりですか?何度も言うようですが、それがしは戦場での死を願っており、殿よりその許しを得ております」
そんなことを言う重治に対し、重秀は「分かってます」と答えた。
「別に半兵衛殿を前線より引き上げようとは思っておりませぬ。むしろ、宇喜多との交渉は秘密にすべきところ、前線に近ければ目立ってしまいます。ここは、兵庫こそが宇喜多との前線と考えるべきかと」
重治に視線を逸らさずに言う重秀に、重治は息を呑んだ。しかし、すぐに表情を和らげると、重治は重秀に言う。
「・・・若君のお言葉ごもっとも。しかしながら、それがしが御着城に入ったことはすでに知られております。これが兵庫に下がったことを知られれば、敵はそれがしの行動に不審を抱きましょう。更に言えば、身体の弱いそれがしが、病に倒れて兵庫で養生しているという風聞をばら撒かれます。それは避けねばなりませぬ」
「とすると、やはり弥九郎との接触は、阿閇城のほうが良いかも知れぬな・・・。四郎左衛門を介した方が、何かと都合が良い」
「津田・・・じゃなかった、外峯殿は確か兄上(中川重政のこと)と共に上様の使いとして諸国の国衆や商人、公家とも交渉した経験がある。此度の宇喜多との交渉でも、勝手を知っておられるから、力になってくれるに違いない」
長康と一豊がそれぞれ言うと、重秀が「相分かった」と頷いた。続けて皆に言う。
「阿閇城で交渉することにしよう。半兵衛殿には極秘裏に阿閇城に移ってもらい、そこで四郎左衛門と共に小西殿と交渉してもらおう」
こうして羽柴と宇喜多の交渉場所は決まった。あとは宇喜多の小西行長との交渉を始めるだけである。
まずは重治が重秀のコネを使って、堺の小西隆佐と連絡を取った。行長の父である隆佐を通じで交渉ルートの開通を報せたのである。隆佐が堺にいた塩飽の船を使って行長と連絡を取ると、行長はさっそく直家に面会を求めた。
「殿。羽柴の竹中半兵衛より、交渉についての連絡が来ました」
「やっと来たか。お主が筑前と会ってから、一年以上は経っているな」
備前石山城本丸御殿の書院にて、行長と直家は話し合っていた。側には富川正利(のちの戸川秀安)が控えていた。
「して、交渉の場所はどこだ?」
直家の質問に対し、行長が「阿閇城を指定してきました」と答えた。それを聞いた直家が笑い出した。
「阿閇城か!そう言えば羽柴は阿閇城の勝利を声高に叫んでおったな!どうやら勝利した城で交渉することで、我等より有利に立とうとしているつもりか!?」
そう言って笑う直家と、追随して笑う正利であったが、行長は首を横に振りつつも直家に言う。
「いえ。陸路では目立つので船で来いとの言伝でございます」
行長の言葉に、直家が「あっそう」と白けたような物言いで言った。
「ふん。まあ良い。・・・弥九郎、すまぬがお主が阿閇城まで行って交渉してくれるか?」
直家がそう命じると、行長は「承りました」と言って平伏した。直家が行長に言う。
「良いか。織田にとって宇喜多は毛利の壁となる存在。無下にはできぬはずじゃ。強気の交渉で、なんとしても今の領地を認めさせるのじゃ。何、織田にしてみれば我等の与力は喉から手が出るほど欲しいはずじゃ。せいぜい我等を高く買ってもらうのじゃ」
そう言うと直家は視線に力を込めて行長を見た。その視線の力強さに、行長は思わず身震いをした。視線だけで殺されそうだ、と行長は思った。
「弥九郎。そなたを商人出身だと知っておきながら重用しているのは、そなたが商人の感覚を未だ持っているからじゃ。安く買い、高く売ることこそ商人の真骨頂ぞ。お主にはその才覚がある。存分にその才覚を発揮せよ。良いな?」
直家の言葉に、行長はただ平伏して「ははぁ!」と答えることしかできなかった。
同じ頃、御着城では重秀が重治から宇喜多との交渉についてのレクチャーを受けていた。
「・・・という訳で、宇喜多は自らを高く売ってくるでしょう。しかし、それでは上様からの所領安堵など貰える訳がありませぬ。上様が宇喜多の所領安堵を貰うには、和泉守が安土まで出向いて上様に頭を下げ、なおかつ息子を人質に出すしか無いと思われます」
「宇喜多に息子が居たのですか?あまり聞いたことがないのですが」
重秀が首を傾げながらそう言うと、重治が解説を始める。
「継室との間に八郎(のちの宇喜多秀家)と呼ばれる嫡男が一人おります。他に息子は居ないようなので唯一の嫡男がこの八郎と相成りまするな」
実際のところ、直家には他に息子がいるのだが、継室の連れ子だったり弟から貰い受けた養子だったりするので、血筋からすれば八郎が嫡男ということになる。
「ということは、その唯一の嫡男を上様へ質に出せば、確実に宇喜多は上様の麾下に加わりますね」
「ええ。そのことを交渉時に強く申し上げましょう」
重治がそう言うと、重秀は少し考えた。そして首を傾げつつも重治に話す。
「しかしながら、その様な要求を宇喜多が呑みますかね?」
「呑まないでしょうね」
重治の即答に、重秀が思わずポカンと口を開いた。重治が笑いながら話を続ける。
「最初は向こうの呑めない条件を出すのですよ。どうせ向こうもこちらの呑めない条件を出してきます故。そこから、お互いの妥協できるところまで譲歩し合うのです。ま、その交渉が一番苦労するのですが」
そう言う重治に対して、重秀は「そう言うやり方もあるのですね」と頷いた。重秀も秀吉について行って菅浦と交渉したり、摂津では能勢や兵庫津の会合衆と交渉したりしていたが、その様な交渉術はついぞしてこなかった。
そんな風に重秀と重治が話し合いをしていると、障子の外から声がした。
「長兄、虎之助にござる。殿より文が参りました」
加藤清正の声に重秀が「入れ」と言うと、障子が開いて清正が部屋に入ってきた。
「こちらでござる」
そう言って清正は書状を包んだ紙を差し出した。清正が重秀に書状を渡して部屋から出ていった後、重秀が紙を開くと二通の書状が出てきた。まずは上にあった一枚目の書状に目を通し、次に二枚目に目を通す。重秀は二枚目の書状を読むに連れて、顔に若干の驚きの表情が現れた。
「・・・如何なされましたか?若君」
重治がそう尋ねると、重秀は黙って書状を重治に手渡した。
重治が書状に目を通すと、一枚目は秀吉からの手紙で、三木城の近況が書かれた後に、長浜からの報せを同封したことと、それに対する秀吉の考えが記されていた。二枚目がその長浜からの報せであり、それは上杉での後継者争いが終わったことが書かれていた。
「・・・どうやら、上杉家の跡目は不識庵(上杉謙信のこと)の姉の子が継ぐようになったようですな。そして北条からの養子は自刃ですか・・・」
重治がそう呟くと、重秀が話しかけてくる。
「父上からの文では、『東国は織田にちょっかいを出せなくなった。上様は西国に大軍を送り込むことが可能になった』と書いてありましたが・・・?」
「北条からの養子が自刃したのです。当然、実家の北条家は激怒いたすでしょう。北条と同盟を組んでいた武田は何故か北条からの養子ではなく、不識庵の姉の子と和議を結んでおり、北条の養子を見殺しにしたようです。当然、北条と武田の関係は悪化しております。上杉は上杉で跡目争いの後始末があります故、上杉、武田、北条は揉めるでしょうね。その隙をついて徳川様が武田を、佐久間様が上杉を攻めるでしょうから、上杉、武田、北条は我らに手を出せないでしょう。
・・・ということは、上様は背後を気にせずに西国に大軍を差し向けることが可能となります」
「・・・殿と半兵衛殿がそのように予想するということは、織田は毛利、宇喜多との全面衝突が可能になった、ということですか?」
重秀の言葉に「おっしゃるとおりです」と重治が言った。
「我等は宇喜多との交渉をいつでも打ち切れるということになります。そうなれば、慌てるのは宇喜多でしょうな」
重治の言葉に、重秀が尋ねる。
「・・・ということは、宇喜多に無条件での降伏を呑ませることが可能なのではありませんか?こちらの条件を呑まなければ、宇喜多を滅ぼすことも可能。ならば、こちらは如何用にもできるはずです」
重秀の発言に対し、重治は顔に怒りの表情を浮かべつつも重秀を諭す。
「なりませぬ。そのようなことをすれば、宇喜多を猫に追い詰められた鼠にしてしまいます。鼠は追い詰められれば反撃いたします。そうなれば、猫も傷を負うことになります。しかも鼠の後ろには犬がいることをお忘れなく」
重治の言葉に重秀は黙り込んでしまった。しかし、すぐに重治に質問する。
「半兵衛殿は、どの程度まで譲歩されるおつもりか?」
「最低条件は和泉守が安土まで来て上様に臣下の礼をすること。あとは、嫡子以外の者を人質として差し出すこと、ぐらいなものですかな」
「領地の割譲は求めないと?」
重秀がそう尋ねると、重治は頷いた。
「領地の割譲は難しいかと。ただ・・・、交渉次第では播磨の領地の割譲はできるかも知れませぬ。ただ、そうなった場合は人質と和泉守の臣下の礼は諦めなければならないかも知れませぬ」
重治はそう言うと、重秀は「うーん」と唸った。そんな重秀を見て、重治は笑いながら言う。
「まあ、弥九郎殿が阿閇城へ来るのは当分先です。時は十分ありますゆえ、それまでに存分に話し合い、相手の出方を想定しておきましょう。それから交渉に挑むと致しましょうか」
それからというもの、重秀は重治や長康、一豊と共に宇喜多との交渉に対する対策を練った。その対策は連日連夜に渡る大仕事であり、確実に重治の体力を蝕んでいった。
「半兵衛殿。少しはお休みになられたほうが・・・」
「いえ、若君。宇喜多の寝返りはこの播磨平定、いや、今後の毛利討伐においても必ず成し遂げなければならぬことです。ここでそれがしが休んでは、今後に影響が出ます」
重秀が心配するたび、重治はそう言って休むことを拒んだ。そして、重秀を安心させるかのように、弱々しい笑顔で話す。
「殿や若君のご配慮により、湯山温泉(有馬温泉のこと)で湯治をしたり、兵庫津や阿閇城で潮風に当たったり美味い海の魚を食したり致しました。また、長浜にいた頃は鶏や『琵琶湖の鯨肉』を若君に食わされておりました。そのおかげか、一年ぐらいは寿命が伸びたように思えます。どうぞ心配召されますな。それがしは三木城本丸に殿の瓢箪と若君の玉箒が掲げられるのを見るまで、決して死にはしませぬ」
そう言う重治に対し、重秀は何も言うことができなくなるのであった。