第145話 三木城包囲戦
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天正七年(1579年)五月上旬。重秀が浅野長吉と共に北播磨にて検地―――村々から提出された検地帳と占領した城内に残っていた検地帳の照合を行っていた頃、秀吉率いる主力軍は三木城包囲のためにせっせと附城を作っていた。
当然、三木城の別所勢は指を咥えて見ていたわけではない。附城の築城を邪魔しようと、またはできたばかりの附城を奪ったり破壊しようと積極的に攻撃を加えてきた。
五月に行われた攻防戦は、後の世で『三木合戦』と呼ばれた一連の戦いの中では最大の戦いとなった。特に平田の附城と三木城の近くにあった太田城を巡る戦いでは、羽柴勢は谷衛好と宮田光次を失っていた。
一方、別所勢では大村城主の大村治吉が戦死。また、淡河定範も戦死したと言われているが、彼は別人の死体を自分の死体に仕立て上げて無事に三木城へ帰還している。
とはいえ、兵力の数では羽柴軍が上であり、しかも秀吉はもちろん、丹羽長秀、滝川一益、森長可といった戦上手が指揮を執っているのである。別所勢も勇敢に戦ったものの、尽く敗北し、五月下旬には城外に出て戦うことはなくなっていた。
検地途中の重秀が秀吉に呼び出され、秀吉の本陣がある平井山の附城にやってきたのは、そんな攻防戦が一息ついた五月下旬であった。
「父上。只今戻りました」
重秀は石田三成の案内で秀吉の前にやってくると、そう言いながら片膝をついて跪いた。
「おう。呼び出して悪いのう。佐吉、藤十郎に床几を出してやれ」
秀吉の命で三成が床几を差し出すと、重秀はそれに座った。その姿を見ながら秀吉は重秀に尋ねる。
「検地の方はどうなっておる?」
「ほぼ終わっております。残務は浅野の叔父上に任せております」
重秀がそう答えると、首を傾げながら秀吉に尋ねる。
「父上。事前の伝令により検地を浅野の叔父上に引き継がせ、兵をまとめてここまでやってきました。いかなる仕儀にございましょうや?」
重秀の質問に対し、秀吉が難しそうな顔をしながら話し始める。
「うむ。三木城の附城については、援軍の皆々様のお陰で何とか築城できた。これなら上様の援軍がなくても三木城を完全に干上がらせることが可能じゃ。上様からの命もあるで、上様からつけられた援軍は来月には全て帰還させる」
「全て・・・でございますか?」
重秀が不安げな顔をしながらそう尋ねた。信長からの援軍である堀秀政勢、蒲生賦秀勢、中川光重勢、織田信包勢、北畠信意勢、神戸信孝勢、森長可勢、丹羽長秀勢、滝川一益勢が全て播磨からいなくなると思ったからだ。
それに対して秀吉が首を横に振りながら答える。
「あいや、言い方が悪かったな。惟住様(丹羽長秀のこと)の軍勢と伊予守殿(滝川一益のこと)は本人が帰還するだけで、兵力は当分儂等と共にある。また武蔵殿(森長可のこと)も当分は軍勢と共に三木城包囲に参加する予定じゃ」
秀吉の言葉に、重秀は「ああ、そうでしたか」と安堵の表情を顔に浮かべて頷いた。しかし、すぐに表情を引き締めると秀吉に質問する。
「ところで父上。私も三木城包囲に参加するのですか?」
「お主に預けておった茂助(堀尾吉晴のこと)と孫平次(中村一氏のこと)の軍勢は参加してもらうが、お主には残りの兵を率いて御着城へ向かってもらう」
「御着城・・・ですか?」
「うむ。姫山城の官兵衛(黒田孝隆のこと)の話では、英賀城の兵と物資が増えているそうなんじゃ。恐らく、毛利が英賀城を起点に三木城の包囲を外からこじ開けようとしているようじゃ。そして毛利の目標は姫山城じゃろう」
「姫山城ですか?御着城じゃなくて?」
「お主も知っておろう?一昨年の今頃に起きた英賀での戦いは。毛利にしてみれば姫山城は山陽道と但馬道が交わる交通の要所。ここを抑えれば但馬に向かう小一郎を孤立化できるし、上月城から毛利の主力を播磨へ押し出すことができるからのう。あそこは毛利からすれば重要な攻撃目標じゃ」
「なるほど。そして我等から見れば是が非でも死守すべき拠点でもあると・・・。ならば、私は姫山城に入ったほうが良いのでは?」
重秀の言葉に対し、秀吉は首を横に振った。
「いや、お主は御着城じゃ。理由は三つある」
そう言いながら秀吉は右手の六本ある指のうち、三本の指を立てて重秀の目の前に突き出した。
「一つは旧小寺家の家臣団の統制じゃ。今は上総介様(織田信包のこと)が御着城に入っているが、すでに伊勢安濃津城への帰還が決まっておる。当然分部勢も同じじゃ。ここまで言えば分かるよな?」
「上総介様の代わりに旧小寺家の家臣団を統制するのですね。しかし、私のような若輩者に上手くできますでしょうか?」
不安げな重秀に対し、秀吉が笑いながら重秀に言う。
「上様の女婿たるお主なら、十分織田一門の一人として抑えることは可能じゃ。それに、半兵衛(竹中重治のこと)をつける故、向こうもお主に手出しはできまい」
秀吉の話を聞いた重秀が、「ああ、なるほど」と安堵した顔で頷いた。秀吉が更に話を続ける。
「二つ目は宇喜多との交渉じゃ。半兵衛がすでに宇喜多と複数の相手と連絡が取れるようになっている。お主は半兵衛を手伝ってやれ」
秀吉の言葉に、重秀は今度は心配そうな顔つきになった。
「父上。上様の許し無く、本気で宇喜多を調略なさるおつもりですか?」
「無論じゃ。宇喜多を敵のままにするのは拙い。備前と美作で毛利に対する壁を作っておきたいのじゃ。それに、播磨や但馬を平定した後はどうせ備前、美作の平定じゃ。さすがに毛利が支援する宇喜多を攻めるのは苦労する。それくらいは上様もお分かりであろう。後々上様に命じられて骨を折るより、叱られるのを覚悟で先に寝返らせた方が良い」
「・・・毛利は支援しますかね?播磨に対しては全力を上げて支援してませんよね?宇喜多も同じでは?」
「阿呆。毛利からすれば播磨は遠いんじゃ。だから中途半端な支援しかできぬ。しかし、備前は近場じゃ。それに、備前や美作を失えば毛利は我等織田とは直接国境を接することになるんじゃ。そうなれば毛利も本気にならざるを得んじゃろう」
「なるほど。支援のしやすさと本気度で毛利は全力で宇喜多を支えるわけですか。それならば、我等は羽柴だけではなく、織田家全軍での平定となりますね」
重秀の言葉に秀吉が渋い顔をしながら頷く。
「そう。しかも上様か殿様(織田信忠のこと)のどちらかを総大将にしてな」
毛利が本気を出すとなれば、当主の毛利輝元と、それを支える吉川元春と小早川隆景が兵を率いて備前まで出張ってくるだろう。そして自国の防衛である以上、当然あの宇喜多直家も出陣するに違いない。最悪、征夷大将軍足利義昭を総大将として、幕府軍として出てくる可能性もあった。それに相対するならば、従二位前右大臣織田信長か、従三位左近衛権中将織田信忠を引っ張ってこないと釣り合わないであろう。
「しかし、そんなことをすれば織田も損害が酷くなる。東の武田が未だ健在な中、毛利だけに大戦力を投入するわけにはいかぬ」
秀吉の言葉に、重秀が納得したように「なるほど」と頷いた。
実はこの頃、武田は同盟相手であった北条と上杉の跡目争いに関して下手を打ってしまい、結果北条と敵対するようになってしまった。なので、とても織田と戦える状況ではないのだが、遠く播磨にいる秀吉達が知る由もなかった。秀吉達が知るのは、もう少し後になってからである。
「承知致しました、父上。織田の損害を抑えるべく、宇喜多の交渉が上手くいくよう、半兵衛殿を補佐いたしまする」
そう言って頭を下げる重秀に、秀吉は嬉しそうに「うむっ」と言って頷いた。
「さて藤十郎よ。三つ目なんじゃが・・・」
そう言うと秀吉は、少し躊躇したように口を噤んだ。しかし、すぐに口を開き始める。
「・・・三つ目は、半兵衛殿を監視して欲しいのじゃ」
「監視・・・?どういうことですか?」
予想外の言葉に思わず眉をひそめた重秀に、秀吉は困り顔で話しかける。
「そんな顔をするな。いや、大したことではないのじゃが・・・。半兵衛の病が酷くなってのう・・・」
「・・・それは大したことですよ?父上」
ますます眉をひそめる重秀。秀吉も溜息混じりで話を進める。
「儂も養生しろと勧めたのじゃが・・・。本人が聞かぬでのう。『三木城陥落をこの目で見るまではここを離れませぬ!』と言って聞かぬのじゃ。そこで、御着城にて宇喜多との交渉を命じたのじゃ。海に近い御着城なら、前に言っておった潮風で少しは良くなると思うのじゃが・・・」
「しかし・・・、交渉も交渉で体力を使いますよ?むしろ長浜・・・いえ、兵庫でもよろしいので後方で養生させたほうが・・・」
心配顔な重秀に、同じく心配顔な秀吉が溜息をつきながら話す。
「それができたら苦労せぬ・・・。ああ見えて半兵衛は強情だからのう。あの者を織田に仕官させた時も苦労したわ・・・」
どこか懐かしそうな表情でそう言う秀吉であったが、すぐに真面目そうな表情で重秀に語りかける。
「ま、戦場の埃に塗れさせないだけでも良しとせねばのう。というわけで、半兵衛が無茶をしないよう、しっかりと見張ってくれ」
秀吉の言葉に、重秀は「承知しました」と言って平伏するのだった。
三木城を取り囲む附城の一つに、堀秀政が作った附城がある。重秀と蒲生賦秀がその附城を訪れたのは、重秀が秀吉と話し合った数日後であった。
「明後日には私も忠三(蒲生賦秀のこと)もここを離れるからね。まだまだ残る藤十に、今後の慰労の茶を点てようと思ってね。急な誘いだったけど、来てくれて嬉しいよ」
附城内に簡易的ながら茶の席を拵えた秀政がそう言うと、重秀は「有難き幸せ」と言いながら頭を下げた。
「何、ここ播磨はお酒も有名だからね。実際ここのお酒は美味い。その時に思ったのさ。私の理想とする茶が点てられるとね」
「ほう・・・、理想の茶ですか」
秀政の言葉に、賦秀は俄然興味が湧いたようだった。賦秀は堺で千宗易の茶の湯の修行を行って以降、日野で鍛錬を積み重ねており、茶の湯に対しての情熱はますます高まっていた。隙あらば他人の茶の湯に参加しては意見交換を行っていた。当然、弟弟子にあたる重秀とも意見交換を行ったり、互いの茶の湯の作法を見合っては色々意見を言い合っていた。
「しかし、こう言っては失礼ですが、久太殿(堀秀政のこと)が茶の湯に興味をお持ちとは思っても見ませんでした」
重秀がそう言うと、秀政は肩をすくめながら言う。
「やれやれ。こう見えても上様の小姓だったからね。上様から茶を習うように命じられて以降、茶を点てること自体は造作もないことさ。ただ、興味があるかと言われれば、実はそれほどでもないんだ。名物にも興味ないし、どちらかと言えば茶よりも酒が好きだからね」
そう言うと、秀政は手際よく茶を点てる準備を終わらせた。重秀も賦秀も客人として、これから秀政の茶と向き合うのである。
釜の中のお湯が程よい温度になったので、秀政が茶を点て始めた。信長の前で信長自身や客人に茶を点てる事の多かった秀政である。作法は完璧であり、『名人久太郎』の名は茶の湯でも存分に発揮されていた。
「どうぞ」
茶が点て終わり、作法通りに茶を差し出す秀政。茶碗の中身は濃茶であり、まずは賦秀が飲んで、次に重秀が飲む。
濃茶なので味は苦味が強かった。しかし、しっかりと練られていたため、苦味に偏りはなく、口当たりも良かった。
「見事なものです。さすがは名人久太郎ですな」
賦秀が称賛の声を上げ、重秀が同意するように頷いた。秀政が頭を下げると、二人に「では、薄茶の準備をいたします」と言って釜を持って出て行ってしまった。
「・・・釜を持って出ていかれましたが・・・?」
「人によっては濃茶用の釜と薄茶用の釜を使い分けると聞いたことがあるが・・・。しかし、あれはどちらかと言えば釜を見せるのが目的だからなぁ・・・。久太殿は釜を複数も戦場に持ち込んでいるのか・・・?」
重秀と賦秀がそう言い合いながら待っていると、秀政が釜を持ってやってきた。釜は先程と変わっていなかった。
疑問に思いつつ黙っている二人に、秀政が「薄茶を点てます故、どうぞお気楽に」と言うと、てきぱきと作法通りに茶を点てる準備をし始めた。
濃茶の時と違い、リラックスして待つ重秀と賦秀。しかし、重秀と賦秀は周囲に漂う酒の匂いに違和感を感じた。正式な茶事では懐石料理と共にお酒も提供されるため、お酒の匂いがすること自体は特に不思議ではない。しかし、今回は戦場ということもあり、懐石やお酒を廃した略式の茶会である。周囲に漂う、無いはずのお酒の匂いに重秀と賦秀に戸惑った。
そんな中、濃茶と同じように完璧な作法で薄茶を点てる秀政。しかし、そんな秀政に賦秀はだんだんと険しい視線を向け、重秀は困惑したかのような視線を向けていた。
「どうぞ」
そう言って秀政は秀重と賦秀のそれぞれの前に薄茶の入った茶碗を差し出した。見た目は普通の薄茶であった。しっかりときめ細かい泡が立っており、丁寧に点てられているのが分かった。
しかし、どう考えても、先程からのお酒の匂いはその薄茶からしているような気がした。
「久太殿・・・?この茶から酒の香りがしますが・・・?」
重秀が同じことを言おうとする前に、賦秀が話しかけた。それに対して、秀政は何事もないかのように話し出す。
「ああ。水の代わりに酒を温め、それで茶を点ててみたんだ」
「え、ええ・・・?」
重秀が思わず引いたような声を上げた。秀政が構わずに話を続ける。
「播磨の酒は甘みがあり、苦味渋みがないんだ。そこで、茶の苦味と渋みを合わせれば美味い飲み物になるのではと思い、創作してみたんだよ。私も試してみたが、中々の美味だったんで、二人にもぜひ飲んでみて欲しい」
そう言われた重秀と賦秀。互いに顔を見合わせると、同時に茶碗を口につけた。その瞬間。
「びゃあ゙ぁ゙゛ぁまずひぃ゙ぃぃ゙ぃ゙!糞不味ぃぃ゙ぃ゙!」
賦秀がそう叫んでひっくり返り、重秀は口に含んだ茶を吐き出しそうになったが、我慢して飲み込んだ。
「なんだこれ・・・!?」
重秀も思わずそう口に出すと、秀政が「やれやれ」と肩をすくめた。
「口に合わなかったかい?これの美味さが分からないとは、二人共まだまだお子様だね」
「分かるかぁ!馬鹿にしてんのかぁ!?」
賦秀が起き上がりながらも怒気を露わにしてそう叫んだ。普段は礼儀正しい賦秀が、しかも信長の小姓時代に世話になっていた先輩の秀政にここまで怒っている姿に、重秀は隣で何も言えずに驚いていた。
そんな驚いてる重秀に、秀政が声をかける。
「藤十は、どう思う?不味いと思ったかい?」
「えっ!?えっと・・・、その・・・。か、改良の余地はあるかと・・・」
本当は賦秀と同じく、クソ不味いと思っている重秀であったが、父秀吉ともども公私に渡ってお世話になっている秀政に強く言えない重秀は、当たり障りのない返答をした。
隣の賦秀は「どこに改良の余地があるんだよ!」と怒鳴っていたが、秀政は「そうかそうか」と満足したような笑みで頷いた。
「うんうん。確かに、播磨の酒でも十分美味いのだが・・・。しかし私の考えている美味さとは若干異なるのは事実。だが、この日本にはもっと茶に合うような酒があるやも知れぬ。いや、唐朝鮮、天竺、いや南蛮にあるやも知れないね。まだまだ改良の余地はあるやもしれない」
そう言う秀政に対し、賦秀が「あるわけねーだろ!いい加減にしろ!」と怒鳴り散らしていたが、秀政は意に介さずにその場で考え始めた。
そんな様子を見ていた重秀は、二人に気取られないように、そっと溜息をつくのであった。
明後日後、播磨侵攻開始時より戦っていた堀秀政勢と蒲生賦秀勢が帰国の途についた。秀吉に別れの挨拶をした賦秀と秀政が、お互いに目も合わせずに秀吉の前から去ったのを見て、秀吉は訳も分からずに首を傾げていた。
しかし、秀吉にとって秀政と賦秀の仲のぎこちなさについては特に気にすることもなかった。何故ならば、重秀と共に御着城に向かった重治の顔が、ますます悪くなっていたことが気になって仕方がなかったからであった。
―――半兵衛よ。頼むから死なんでくれ。美濃で出会ってからというもの、儂はお主を友と見ていた。そして、あの大松を立派に育ててくれた恩人でもあるんじゃ。儂はお主にまだ恩を返しておらん。頼むから、無茶をせんでくれよ―――
秀吉は遠くを見るような目をしながら、そう願い続けるのであった。