第143話 三木城へ
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丹羽長秀の官職について、活動報告に記載しております。ご一読のほど、よろしくお願いいたします。
ご指摘頂きありがとうございました。
追記 内容に誤りがありましたので修正しました。詳しくは活動報告を御覧ください。
天正七年(1579年)二月のある日。秀吉は安土城へ来ていた。播磨の平定について信長へ報告するためと、加古川城と阿閇城を守った際に褒美としてもらった馬のお礼を述べるためであった。
小姓に案内された秀吉は、なんと本丸御殿ではなく安土城天主へと連れて行かれた。五層七階からなる巨大な天主に圧倒されつつ、秀吉は小姓の案内で、最後の工事や搬入が行われている中、天主最上階までやってきた。そこは他の城で言うところの奥書院であり、信長の個人的な書斎となっていた。
そこに座っている信長を見た秀吉は、思わず驚きの声を上げそうになった。何故なら信長は南蛮服を着て胡座で座っていたからだ。
「Boa tarde!(ポルトガル語で『こんにちは』のこと)猿よ。よう来たな!」
信長から高い声でそう言われた秀吉は、すぐに平伏した。
「上様に置かれましてはご機嫌麗しゅう」
「おお、機嫌も良くなろうというものよ!石山本願寺との戦もようやっと終りが見えてきたからのう!」
嬉しそうに言う信長に対して、秀吉は顔を上げつつも明るい声で信長にお祝いの言葉を言う。
「石山本願寺が朝廷を介して和議を願い出たこと、まさに祝着至極!」
「まったくよ!これでようやっと石山の地を手に入れることができようぞ!」
そう言うと、信長は嬉しそうに笑った。信長は更に上機嫌に言う。
「播磨も汝の働きで平定に道筋が見えた。まだ英賀城と三木城が落ちておらぬが、汝ならこれも落とせようぞ」
しかし、信長の発言に対し、秀吉は目線を落として黙り込んでしまった。秀吉の予想外の反応に、信長は思わず高い声で尋ねてしまう。
「如何した?猿よ。汝らしくないではないか」
信長がそう尋ねると、秀吉は「はっ・・・」と返事はしたものの、また黙ってしまった。秀吉の態度に信長の機嫌がみるみる悪くなる。
「・・・猿よ。言いたいことがあれば言え。余に何も言うことがなければ、もう帰れ」
信長の言葉に、秀吉は「然らば申し上げます」と言って顔を上げた。
「恐れながら上様。播磨の沿岸部は英賀城を除き、尽く織田の支配下と相成り申した。次は三木城でございまするが、三木城は堅牢な城にて、この猿めの手勢では心もとのうございます」
「援軍か?それならば伊勢の伊予(滝川伊予守一益のこと)と若狭の五郎左(丹羽長秀のこと)を援軍に遣わす。それでも足りぬ場合は城介(織田信忠のこと)麾下の武蔵(森武蔵守長可のこと)を送り込んでやる。なんなら、丹後平定を終わらせた金柑(明智光秀のこと)と兵部(長岡藤孝のこと。のちの細川幽斎)も条件次第で送り込んでやる」
「・・・それよりも、少ない兵力で三木城を落とす策を考えました。その策の実行をお許し頂きたく」
「策だと?」
信長がそう疑問を呈すると、秀吉は策を説明した。
「・・・という訳で、三木城の周りに附城を作り、兵糧攻めにしとうございます」
「それは構わぬ。しかし、それなら余に相談せずともさっさと実行すればよいではないか」
「しかしながら、この策を実行するには、備前より毛利の大軍が来ないことを前提としております。姫山城を始め、鶏籠山城と置塩城が西播の守りとなりますが、そこに兵力を割きますれば、三木城への包囲に使う兵力が足りませぬ」
秀吉の発言を聞いていた信長は、眉間にしわを寄せながら口を開く。
「猿・・・。まさか、備前の宇喜多を寝返らせると言いたいのではないだろうな?」
信長が声を低くしてそう尋ねると、秀吉はただ一言「御意」と答えた。
「恐れながら上様。浦上遠江守様(浦上宗景のこと)の備前奪還は失敗致しました。和泉守(宇喜多直家のこと)は毛利の力を借りずに浦上を鎮圧致しました。もはや浦上が備前に返り咲くことはなくなりました」
浦上宗景は十二月に自身を支持する旧臣達と蜂起した。しかし、宇喜多直家が事前に阿閇城の戦いのドサクサに紛れて密かに宗景と結びついていた旧臣を死なせていたため、宗景は備前内で思うように兵力と国衆の支持を集めることができなかった。
結果、第一目標であった天神山城を奪還することに失敗し、宗景の蜂起は失敗に終わっていた。
ちなみに宗景は、二月頃には播磨に退去していたらしいが、当時の資料ではその後の足取りがプツリと途切れている。
「この猿めも上様が遠江守様を支持していたことを鑑み、影ならがご助力しようと思いましたが、いつ、備前のどこに入ったかを把握することに時がかかり申した。どこにいたかが分かった時には、手遅れでございました・・・」
実際のところ、秀吉は支援する気はなかった。ただ、宗景が備前に入った後に連絡が付かなくなったのは事実であった。もっとも、秀吉は播磨平定に忙しくてそれどころではなかったのだが。
「・・・それで?遠江守に変わって、和泉守を味方に引き込みたいと?」
「御意。和泉守の望みは所領安堵にございます。これさえ上様から認められれば、宇喜多は毛利から寝返りまする」
そう言うと、秀吉は深々と平伏しながら信長に許しを請う。
「上様。何卒、何卒宇喜多の調略をお許しくだされ。宇喜多の所領安堵の朱印状さえあれば、この猿めがすぐにでも宇喜多をお味方にしてご覧に入れまする!」
しかし、信長の答えは「ならぬ」であった。
「猿よ。和泉守は信用できぬ。寝返らせたからと言って彼奴なら必ず我等を裏切る。裏切られることが分かっている相手を味方にすることほど馬鹿馬鹿しいことはない」
「しかしながら上様・・・」
秀吉が顔を上げて反論しようとするが、信長は右手を上げて秀吉の発言を止めた。
「猿。援軍は送る。伊予と五郎左と武蔵だ。足りなければ金柑と兵部、更に尾張や美濃の連中を送り込む。汝は余計なことを考えず、ただ三木城を落とすことのみを考えよ。良いな?」
有無を言わさない信長の言葉に、秀吉はただ「承りました」と言って平伏した。しかし、すぐに顔をあげると、秀吉は恐る恐る信長に尋ねる。
「宇喜多の調略は諦めまする。ですが、三木城の別所への寝返りの調略は・・・?」
「裏切っても許されるという甘い考えを持たせないようにしろ。良いな?」
秀吉の言葉に対して、信長はそう返した。秀吉が再び顔を下げる。
「承知いたしました。別所は許さず、尽く根切りに致しまする。が、叔父である孫右衛門尉殿(別所重宗のこと)は最初から上様にお味方しております。何卒、寛大な処置を・・・」
秀吉がそう願い出ると、信長は受け入れた。「良きに計らえ」と低い声で答えると、秀吉は深々と平伏した。そんな秀吉の頭上に、信長の高い声がかけらた。その声からは、機嫌が治ったことが秀吉にも分かった。
「猿よ。汝は半年近く播磨にて戦場の埃に塗れてきた。実に骨折りであった。せっかくだ。この安土の天主を見ていけ。まだ完成ではないが、それでも十分見応えはあろう。ついでに長浜にも寄っていけ。たまには御母堂に元気な姿を見せてやれ」
秀吉が長浜に滞在していた小一郎と共に播磨の御着城に戻ったのは、天正七年(1579年)のもうすぐ三月になろうとしていた頃だった。
秀吉は羽柴家中の主だった家臣を御着城に集めた。その中には、当然重秀も入っていた。
御着城の本丸御殿の広間にて、秀吉は安土で信長と話したことを皆に伝えた。
「そうでしたか・・・。ゴホッ。宇喜多調略の許可はなりませんでしたか・・・。ゴホッゴホッ」
咳をしながらそう言う重治に、秀吉は思わず声をかける。
「半兵衛。だいぶ咳が酷いようじゃが、本当に大事無いのか?」
秀吉の疑問に対し、答えたのは重治ではなく重秀であった。
「半兵衛殿は阿閇城では然程体調を崩しませんでしたが、今年に入り御着城に在中しているうちに、体調を崩されたようでございます」
重秀の言葉に、秀吉は顔を顰めた。視線を重秀から重治に移すと、秀吉は再び重治に声をかける。
「・・・半兵衛。お主、一旦京で養生してはどうじゃ?儂なら、京で奉行をしていた伝手を使えば、名医の誉れ高い曲直瀬道三を紹介できるぞ?」
そんな秀吉の提案に対し、重治は首を横に振って拒否する。
「京なんぞに行けばより悪くなります。それよりも、戦場の方が良いですな。風を感じられる所だと不思議と咳がおさまるのです」
重治の言葉に重秀が何かを思い出したかのような顔つきになった。
「そう言えば、阿閇城・・・、いや、兵庫津にいた時は咳が不思議と治まっておりましたな。意外と潮風が良いのやも知れませぬな」
「おお。しからば、それがしも水軍に行ったほうが良いかも知れませんな。そうなると、『今孔明』ならぬ『今公瑾(三国時代の呉の軍師兼水軍都督の周瑜のこと)』になりますかな」
あっはっはっ、と声を上げて笑う重治に対し、重秀は「周公瑾だったら早死確定でしょうに・・・」と渋い顔をした。
一頻り笑った重治であったが、すぐに真面目な顔つきに変わると、重秀と秀吉に平伏しつつ声を上げる。
「殿、そして若君。それがしも武士として生を受けた以上、武士として死にたいのです。武士にとって最高の死場は戦場でござる。何卒、それがしから最高の死場を奪わないでいただきたい!」
病人とは思えないほどの力のこもった言い様に、重秀や秀吉だけではなく他の諸将も息を呑んだ。
しばらく沈黙がその場を支配した後、秀吉が決心するかのように口を開く。
「・・・分かった。半兵衛がそう言うのであれば、京へはやらん。三木城陥落まで、しっかりと付き合ってもらうぞ!」
秀吉がそう声を上げると、重治は「ははぁ!どこまでもお供いたしまする!」と言って再び平伏した。
「よし、半兵衛についてはここまでにしよう。それよりも今後の話じゃ。上様は更に援軍を寄越してくれることになった。滝川伊予守殿、惟住五郎左衛門尉様(丹羽長秀のこと)、森武蔵守殿(森長可のこと)、更に、惟任日向守殿(明智光秀のこと)と長岡兵部大輔殿(長岡藤孝のこと。のちの細川幽斎)も寄越すとも言っておられた。まあ、このお二方は連戦続き故、難しいかも知れぬが、それでも尾張や美濃の国衆のさらなる追加派遣も認めてくれた。ざっと見積もって二万の大軍がくることになっちょる」
秀吉の言葉にその場にいた者全てが息を呑んだ。
「・・・それに合わせて今までいる軍勢を合わせれば三万を超える兵が揃う訳か。ならば、力攻めでも行けるんじゃねぇのか?」
蜂須賀正勝がそう言うと、側にいた黒田孝隆が首を横に振った。
「それは少し難しいと存じます。黒田を始め、赤松や旧小寺家家臣は西播の防衛のため、兵を派遣できる余裕がございませぬ。宇喜多調略ができぬ以上、西播の防備強化は喫緊の課題でござる」
「それでは結局、三木城は包囲して兵糧攻め、ということか・・・」
小一郎の言葉に、皆が諦めたかのように頷いた。その時だった。重治が呟くように口を開く。
「・・・兵糧の買い占めが上手く行けば、兵糧攻めも早く終わったのですが・・・」
「・・・なんじゃと?どういう意味じゃ?半兵衛」
重治の呟きに反応した秀吉がそう聞くと、重治は残念そうな顔をしながら話し始める。
「去年、殿はそれがしが播磨で兵糧を買い占めよと申し上げたのを覚えておいでですか?」
「・・・ああ、覚えておる。あまり上手く行かなかったが」
秀吉が何かを思い出したかのような顔でそう言うと、続けて重秀も口を開く。
「そう言えば、小一郎の叔父上からその様な話を聞いた記憶がございます。あれは、播磨侵攻に備えて兵糧を増やそうとしたのではないのですか?」
重秀の質問に、重治は「それもありますが」と言いながら更に話を進める。
「実はあれにはもう一つ策が秘められていまして・・・。播磨の米を買い占めることで、三木城への兵糧米を減らそうと思ったのでございますが・・・」
重治がそう言うと、孝隆が難しそうな顔をしながら話し始める。
「いや・・・、半兵衛殿。それはいくら何でも無理というものでござる。播磨は大国でござる。ちょっとやちょっとの米の買い占めでは米不足など起きませぬぞ?それに、他国から播磨へ至る街道は多くありますれば、それらを経由して兵糧米はいくらでも手に入りますぞ」
孝隆がそう話すと、それまで話を聞いていた重秀が尋ねる。
「・・・ならば、小国で他国との街道を全て切断できれば、半兵衛殿の策は上手くいくのですか?」
重秀の言葉に、皆は互いの顔を見合わせた。そんな中、秀吉が首を傾げながら口を開く。
「・・・まあ、そうなるとは思うんじゃが・・・。そんな都合の良い国があるかのう?」
秀吉の言葉に皆が一斉に首を傾げ始めた。そんな中、孝隆が考え込みつつも話し始める。
「まあ、それは今後の課題として調べてみる価値はあるかと存じまするが、今は三木城です」
「それもそうじゃな。ともかく、三木城攻めの今後の策じゃが・・・」
秀吉がそう言うと、三木城攻略のための作戦会議が始まった
「まず、三木城の周辺の支城を攻め落とす。官兵衛、絵図を」
秀吉がそう言うと、孝隆が皆の前で一枚の大きな紙を床の上に敷いた。
「三木城周辺の支城を描いた絵図にござる。南側の支城については井ノ口城を除きすでに落としております故、此度は無視して構いません。我等が目指すは三木城の北部。特に加古川沿いに集中している別所家配下の国衆の城を尽く取る必要がございます。そこで・・・」
孝隆が一旦発言を切ると、視線を重秀に送った。
「・・・若君にこれらの城を落としていただきたい」
「承知致しました。して、我が手勢は如何ほど連れていけばよろしいので?」
重秀の質問に対し、答えたのは孝隆ではなく秀吉であった。
「兵数は二千。茂吉(堀尾吉晴のこと)と孫平次(中村一氏のこと)をつける」
「に、二千で加古川沿いの城を落とすのでございますか!?ざっと見たところ、井ノ口城より北には十近い城が加古川沿いに点在しておりますが!?」
重秀が驚いたように声を上げると、秀吉はニヤリと笑いながら答える。
「何を言っとるんじゃ。お主は阿閇城を始め、三つの城を一千の兵で落としたではないか。此度も同じよ」
秀吉の言葉を聞いた重秀は即座に理解した。これらの城はほとんどが空城なのだと。
「・・・では、油断なく城を接収してまいります。禁制はいつもどおりの内容でよろしいですか?」
「お主は話が早くて助かる。ついでに検地もしてきてくれないか?弥兵衛(浅野長吉のこと)とその手勢をつけるから、一緒になって検地をしてきてくれ」
「承知致しました」
そう言って平伏する重秀。すると、秀吉は何かを思い出したかのような顔になり、続けて重秀に言う。
「ああ、そうそう。すまぬが半兵衛は儂の側に置くからそのつもりで」
秀吉の言葉に重秀が「えっ?」と思わず声に出した。秀吉が説明をし始める。
「実は官兵衛には姫山城にて黒田勢の指揮を執ってもらう。それに、御着城には上総介様(織田信包のこと)に居ていただき、西播の国衆の抑えになっていただく。その時に上総介様に西播の状況を話せる者を側に置いておきたいのよ」
―――なるほど。父上は三木城攻めの作戦立案を半兵衛殿に一任するおつもりか―――
秀吉の考えを正確に読み取った重秀は「畏まりました」と言って頭を下げた。それを見た秀吉は満足そうに頷くと、次に小一郎の方を見た。
「小一郎。淡河城は作内(加藤光泰のこと)と源次郎殿(有馬則頼のこと)に任せ、宮部、木下、荒木の手勢を率いて姫山城へ向かえ」
秀吉の命令に、小一郎は頷いた。しかし顔には疑問の表情が浮かんでいた。
「・・・兄者の命なら従うが・・・。姫山で儂は何をしたら良いのじゃ?」
小一郎の疑問に対し、秀吉は真剣な眼差しを小一郎に向けながら話し始める。
「小一郎。お主には但馬を平定してもらいたい」
秀吉の言葉に、小一郎だけではなくその場にいた者全てが「はぁ!?」と驚きの声を上げた。
「あ、兄者。へ、兵力は!?」
「但馬に詳しい尼子衆や儂の兵を貸すから・・・。四千じゃな」
「はあぁ!?四千で但馬一国を平定するのか!?兄者、いくら何でも無謀じゃ!それとも何か?藤十郎のように、但馬の全ての城が空城だと言うんか!?」
温厚沈着な小一郎が声を荒げるという、めったに見ない光景に重秀達は目を丸くした。そんな中、重治が穏やかな声で小一郎を落ち着かせる。
「小一郎殿。落ち着いてくだされ。殿も、説明が足りませぬぞ」
重治がそう注意すると、秀吉は舌を出しつつ頭を自分で軽く叩きながら笑う。
「あっはっはっ。流石にからかい過ぎたのう。小一郎よ。案ずるな。お主に本気で但馬を平定しろとは申しておらぬ」
そう言うと、秀吉は説明し始めた。
「小一郎には但馬南部にある竹田城まで落として欲しいんじゃ。あそこは但馬道(但馬と姫路を結ぶ街道)と山陰道が交わる要所故、あそこを押さえれば毛利が山陰から播磨や京へ来ることができなくなる」
「更に申し上げれば、竹田城が落ちれば、その南にある生野銀山を我等の手に完全に押さえることができまする。山名の財源たる生野銀山を押さえれば、山名は勝手に崩壊致します。あとは混乱している山名家の家臣や国衆に調略をすれば、但馬の平定はなったも当然です」
秀吉に続いて孝隆の説明を聞いた小一郎は、納得したような表情で「相分かった。任せてもらおう」と頷いたのだった。