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第142話 天正七年の正月

感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。大変励みとなっています。


ブックマーク数が3400件突破しました。どうもありがとうございます。


誤字脱字報告ありがとうございます。お手数をおかけしました。


第143話では誤字脱字、計算間違い、また文章がおかしな部分があったりとお見苦しいところをお見せしました。大変申し訳ございませんでした。

 天正七年(1579年)一月三日。正月三ヶ日の最終日であるこの日、羽柴小一郎長秀は安土城内にある前田屋敷にいた。

 兄秀吉と甥重秀の代理として信長に新年の挨拶をした後、そのまま長浜城へ戻る予定だったのだが、前田利家から屋敷へ招待されたので尋ねることにしたのだった。


「新年あけましておめでとうございます。前田様」


「うん。おめでとう、小一郎」


 そう挨拶を交わした二人は、献三献を済ますと雑談を始めた。


「藤吉も藤十も安土に来ぬとは珍しい。いや、今年は重臣たちはほとんど安土に来ておらぬ。来ているのは惟住様(丹羽長秀のこと)と惟任様(明智光秀のこと)だけじゃ」


 利家がそう言うと、小一郎は笑いながら話す。


「兄者も前田様にお会いできないことを残念がっておりました。しかしながら、御着城を落とし、播磨と備前の国境まで織田の勢力を伸ばしました。備前には毛利と同盟を組んでいる宇喜多が居りますれば、それに備えるために姫山城から動けぬ状況でござる」


「分かっている。去年の秀吉は実によく働いた。それに、藤十郎も随分と働いた。藤十郎の名は越前にも鳴り響いているぞ」


 そう言うと、利家は斜め後ろに控えていた前田利勝に「なあ」と聞いた。利勝は「はっ・・・」と言葉少なげに答えた。


「・・・済まんのう、小一郎。孫四郎の奴、藤十郎の活躍を聞いて己を不甲斐なく思っているらしい」


 苦笑いする利家に対し、小一郎は微笑むと、視線を利家から利勝に移して話しかける。


「孫四郎殿。藤十郎は他の方に支えられて功を挙げたのみ。己の槍働きで功を挙げたわけではございませぬ。それに、いづれ前田家にも武功をお挙げなさる時も必ず来られましょう」


「・・・どうでしょうか?右衛門尉様(佐久間信盛のこと)の下にいる限り、武功を挙げるは無理と思いますが」


 思いっきり不満げな顔をしながら利勝がそう言うと、利家が嗜めるように利勝に言う。


「そういうことを申すな。今は越前は雪の中。雪解けすれば、加賀や能登、越中へ兵を率いて雪崩れ込むわ」


「・・・父上はそれでも『槍の又左』と言われた猛将ですか。蚕にうつつを抜かし、戦場を忘れましたか」


 利勝の棘のある言い方に、利家が「孫四郎!」と怒鳴った。利勝は不満げな顔を隠そうともせず、黙って立ち上がるとそのまま客間から出て行ってしまった。


「・・・すまぬ、小一郎。見苦しいところを見せた。後であ奴をきつく叱っておく」


 利家がそう言って小一郎に謝った。小一郎は首を横に振りながら利家に言う。


「いえ、どうぞお気遣いなく。それに、孫四郎殿の気持ち、武士としては当然の思いでございましょう」


「あ奴は焦っておる。まあ、同い年で共に育った藤十郎が、阿閇城や木津川口で武功を挙げたと聞けば、焦るのも致し方ない」


 利家がそう言って溜息をついた。利家の表情に、小一郎が何か感じたようだ。小一郎が利家に心配そうに尋ねる。


「・・・前田様も、右衛門尉様について思うことがお有りなのではございませぬか?」


「無いわけなかろう。去年はずっとあの方と口喧嘩していたような気がするわ」


 疲れたような表情でそう言うと、利家は小一郎に愚痴るように語り始めた。


「不識庵(上杉謙信のこと)が亡くなった後、越後では跡目争いが勃発した。しかし、我等がそれを知ったのは夏になってからだ。あまりにも遅すぎる!」


 確かに遅いな、と小一郎は思った。北国街道や日本海の航路から長浜へもたらされた情報によれば、三月の下旬までには上杉家の跡目争いに関する噂は入ってきていた。そして、四月までには詳しい情報が長浜城だけではなく、三田城や兵庫城にも伝わっていたものであった。


「しかも、上杉の跡目争いを知った上様より出陣の下知が来たと言うに、右衛門尉様は全く動かぬ!『まずは加賀と能登の状況を調べる』だと。阿呆か!常日頃からやっておけ!」


 そう言うと利家はドンッと畳に拳を叩きつけた。その衝撃が小一郎の尻にも伝わった。利家は更に語る。


「・・・おかげで今年の新年の宴は針の筵よ。儂や内蔵助(佐々成政のこと)は参加したが、右衛門尉様は参加しておらぬ。お陰で上様だけでなく、他の家臣達からも白い目で見られたわ・・・」


「そう言えば、右衛門尉様は安土に来ていらっしゃらぬので?」


「ああ。色々と忙しいらしい。何が忙しいのかは知らぬがな」


 利家はそう言うと不貞腐れたように鼻から息を吐き出した。小一郎は困ったような顔をしながら利家を励ます。


「・・・いづれ、前田様の武を必要とする日が必ず参ります。何卒、腐らずに」


「ああ。分かっておる」


 そう言って頷いた利家。すると、何かを思い出したかのような顔をしながら小一郎に尋ねる。


「そう言えば、藤吉からの文では、神吉城を落とした後は先に進めぬと書いていたな。しかし実際は志方城、御着城を落としているではないか。一体、何があったのだ?」


 何かを期待するような口調でそう尋ねた利家。それに対して小一郎は苦笑いしながら話し始める。


「確かに、十月が終わるまでは兄者も兵力が足りず、神吉城より先に進めぬ状況でした。しかし、十一月六日の木津川口の戦いで、流れが一気に織田に傾きました。兄者はその流れに乗ったのでございます」





 第二次木津川口の戦いで織田は毛利を撃退した。しかも水上戦で、である。当然信長は喜んだ。そして信長は第二次木津川口の戦いでの勝利を更に広げることにした。

 まず、安土に集結させていた信忠軍団(尾張、美濃の武将や与力からなる軍団)を天王寺砦など石山御坊を包囲するための附城に派遣した。結果、余裕のできた柴田勝家は筒井順慶と共に木津川口砦を攻め落とした。

 一方、池田恒興率いる軍勢も楼の岸砦を牽制ではなく本格的に攻めた。こちらは守りに入っていた雑賀衆によって苦戦したものの、信長の命で丹後攻めを終わらせたばかりの明智勢を投入。さらに津田信澄勢を追加で投入した。結果、数で圧倒した池田勢は楼の岸砦を陥落させることに成功した。

 結果、信長による石山御坊包囲は完成した。完全に包囲された石山本願寺へ、毛利は二度と海上補給ができなくなってしまったのだった。


 さて、信長は攻勢に出た。織田信包、北畠信意、神戸信孝を中心とした伊勢の軍勢を秀吉の援軍として播磨へ派遣した。約一万の援軍を得た秀吉は、志方城を力攻めで攻め落とした。この時活躍したのが信意率いる北畠勢であった。

 もっとも、志方城は一千の兵が籠もっていたものの、城内で疫病(諸説あるが赤痢だと言われている)が流行り、戦える状況でなかったため、力攻めと言う割には味方の被害は軽微であった。


 志方城が陥落し、櫛橋政伊(まさこれ)が降伏したことで、秀吉の次の攻撃目標は御着城となった。

 志方城に尼子勢を置いて三木城への牽制とした後、秀吉は一万五千の軍勢をもって御着城を包囲した。そして、包囲が完了したのと同時に黒田孝隆の策略がついに実を結ぶこととなる。

 御着城が包囲されると同時に孝隆が栗山利安を連れて姫山城へ帰還。父親である黒田職隆から城と家臣団を譲り受けると、主君であった小寺政職に対して反旗を翻した。そして軍勢を率いて御着城包囲に参加した。

 更に、備前との国境に近い鶏籠山けいろうざん城主の赤松広英と置塩城主の赤松則房が織田側へつくことを表明。人質を秀吉に差し出してきた。元々広英と則房は毛利方につきたかったものの、二人の領地を狙う宇喜多直家が二人を妨害していた。そこを孝隆が目をつけ、二人を織田に内応させたのであった。

 ただ、去年から内応させていたものの、別所と小寺が毛利方についていたので、表立って織田側についたわけではなかった。しかし、姫山城が織田についたことで、赤松の二人は遠慮なく織田についたのであった。


 さて、御着城が包囲され、十二月になると播磨の毛利方の国衆に凶報が伝えられた。石山本願寺が織田に降伏するという情報が流れたのである。

 正確に言うならば、石山本願寺が朝廷を介して織田に和議を持ちかけているだけなのだが、法主たる顕如が石山御坊からの立ち退きを承諾していることから、織田からは事実上の降伏したに等しいと見ていた。

 この時期、石山御坊の顕如と教如の仲は最悪な状態であった。雑賀や淡路から来た一向門徒は毛利の援助で家族を養っていたことから、石山御坊の引き渡しに反対であった。そしてそんな一向門徒を見捨てることのできない教如が未だ強硬派の代表となっていた。

 しかし、そんな教如に顕如が激怒し、ついに石山御坊から追放してしまった。そして教如を追放した顕如は、朝廷を介して織田と和議を結ぼうとしていたのであった。

 信長はこの情報を故意に流した。こうすることで各地の一向一揆、特に加賀などの北陸の一向一揆に大打撃を与えようとしたのである。そして、この情報を信長から伝えられた秀吉は、播磨どころか但馬、備前、美作など、毛利勢力の地域にばら撒いたのであった。

 この秀吉の謀略に対し、英賀城の一向門徒達には動揺が広がったものの、英賀城主の三木通秋はよくこれを抑えた。一方、御着城は抑えることができなかった。城主である小寺政職(まさもと)は十二月の暮に、元々毛利に寝返ることに反対していた小河良利や江田善兵衛等によってクーデターを起こされて家族共々追放されてしまった。

 結果、秀吉は味方の血を流さずに御着城を落とすことに成功した。こうして、秀吉が願っていた姫山城の解放がなり、かつ三木城への補給路のうち、播磨南部のルートを全て潰すことに成功したのだった。


「兄者は三木城を完全包囲しようと策を講じております。山陰からも三木城へ兵糧物資は運ばれておりますし、出雲から吉川家が援軍に向かうやも知れませぬから」


「吉川・・・。両川の片割れか。武名は儂でも聞いておる」


 小一郎から聞いた利家が渋い顔を作りつつも、明るい声で呟いた。その声には、いづれ戦ってみたい、という願望が含まれていた。


「・・・いっそ、越前の雪解けまで藤吉の下で戦わせてもらおうかな?このままでは、武功云々の前に腕が鈍りそうだ」


 真面目な顔をしてそう言う利家に対して、小一郎は「ご冗談を」と言って苦笑いした。


「雪解けがなされれは、佐久間様も加賀平定へ動かれましょう。その時に前田様がいなくては、佐久間様も困りましょう。何、あと少しの辛抱でございますぞ」


 そう言って小一郎は利家を慰めるのであった。





 安芸国にある吉田郡山城。郡山という山全体を城郭とした巨大な城は、毛利家の居城である。

 その城郭の一角に、小早川隆景の屋敷がある。その客間には、屋敷の主である隆景と、兄で吉川家当主の吉川元春が二人きりになって話し合いをしていた。


「幸鶴(幸鶴丸のこと、毛利輝元の幼名)の様子は?」


「大分疲れが見えるな」


 元春の質問に隆景がそう答えると、元春は情けないという気持ちを顔に表した。


「まったく。そのようなことで毛利家の当主が務まるか。新年早々疲れていては、この先体力が持たぬぞ」


「致し方あるまい。正月早々にともに呼び出され、公方様(足利義昭のこと)に長く叱られていては、幸鶴も気が参ろうて」


 そう言って溜息をつく隆景に対し、元春が渋い顔をしながら言う。


「だから父上(毛利元就のこと)の言うとおり、天下に首を突っ込むなと言ったのだ」


「その意見には儂も同意する。しかしながら、今更公方様を追い出すわけにはいかぬ。毛利家の面目が立たぬ」


「・・・播磨や石山御坊での我等の戦いで、すでに面目は立たなくなっているのではないか?」


 元春の言葉に隆景は黙り込んでしまった。石山御坊への補給と播磨国衆への取次は全て隆景の指揮の下で行われていたからである。

 しかし、播磨は次々と秀吉に攻略され、石山御坊への補給は失敗した。しかもその噂が織田方に流されてしまったため、播磨だけではなく但馬、備前、美作にまで広まっていた。


「それはひとえに儂の不甲斐なさのせいだ。すまぬ」


 顔色を悪くしながらも、素直に頭を下げる隆景。それに対して元春は「もう良い」と首を横に振った。


「戦に勝敗はつきもの。勝つ時もあれば負ける時もある。それに、まだ播磨を失った訳では無い」


 元春の言葉に隆景が頷いた。


「そうだ。まだ英賀城と三木城が残っておる。まだ奪還は可能だ」


「・・・何か考えはあるのか?」


 元春がそう尋ねると、元気を取り戻したのか、隆景は明るい声で話し始める。


「英賀城に兵と物資を送り込む。そして御着城を奪還する。丁度鞆に小寺加賀守(小寺政職のこと)がいるから、そいつを旗頭にして攻め込む。そこから加古川周辺にまで進出し、加古川を使った三木城への補給路を再構築する。そして船で増援を送り、東播を奪還する」


「・・・備前から陸路を使っての進撃ではないのか?」


 元春がそう質問をすると、隆景は渋い顔をしながら答える。


「・・・和泉守(宇喜多直家のこと)が信じられなくなった。やはり、兄上の言うとおり、あの者と誼を通じるべきではなかった」


 直家の謀略の腕に危機感を持っていた元春は、宇喜多家との同盟に反対していた。しかし、隆景がその反対を押し切ったのであった。


「・・・今更悔やんでも仕方ないだろう。それよりも、備前と美作はどうなっているのだ?」


「・・・浦上遠江守(浦上宗景のこと)の天神山城攻めは失敗した。和泉守は予め浦上に寝返る旧浦上家臣を粛清していたようだ。お陰で早々と、しかも宇喜多独力で鎮圧に成功したようだ」


「なんだ。では西国街道は安全ではないか。何故そちらを使わぬ」


 元春の疑問に、隆景が答える。


「・・・前々から宇喜多は我等から離れようとしている節があった。ただ、宇喜多独力では備前と美作の浦上の残党を抑えられぬから毛利に従っていた。しかし、今回宇喜多が独力で遠江守の蜂起を鎮圧してしまった。これで宇喜多は自信をつけたはず。すぐに織田に寝返るとは思えぬが、今後は毛利の思い通りに動かぬかも知れぬ」


 そう言うと隆景は元春に頭を下げた。


「兄上。頼みたいことがある。兄上の担当である山陰から、但馬を経由して三木城へ兵糧や援軍を送ってもらえないだろうか?儂が山陽で織田を戦っている間、但馬方面まで織田は手をつけられぬだろうから」


 そう言う隆景に対し、元春は笑いながら「分かった」と頷いた。


「実は因幡の山名中務大輔(山名豊国のこと)の動きがおかしい。どうも織田と通じている可能性があるらしいのだ。そこで、儂は一旦伯耆に戻り、東進しようと思う。因幡、但馬を固めてから三木城へ兵と兵糧を送ろうぞ」


「かたじけない」


 隆景が再び頭を下げると、元春は「俺とお前の仲ではないか」と笑った。しかし、すぐに表情を引き締めると、隆景に尋ねる。


「して、播磨での戦。勝ち目はあるのだろうな?」


「・・・勝たねばならぬ。例え相手が戦巧者の羽柴筑前であってもな」


 難しそうな表情をしながらそう言う隆景に、元春は不思議そうな表情を顔に浮かべながら聞いてくる。


「羽柴筑前は百姓出と聞いたが、そんなに戦が上手いのか」


「本人が知恵者なのか、それとも家臣に有能なのがいるのかは知らぬが、硬軟混ぜ合わせた手段で播磨を切り取っている。正直、百姓出なのは偽りなのではないかと疑っている。しかも、羽柴の水軍が意外と侮れぬ」


「聞いた話では、南蛮船もどきを使っているとか?どこでそんなのを手に入れたのやら」


 元春が信じられないような口調でそう話すと、隆景も頷きながら答える。


「羽柴について調べたが、奴の居城は琵琶湖のほとりの長浜城だ。船自体は知っていると思うが、正直あそこまで船軍ふないくさができるとは予想だにしていなかった」


「しかし、数は少ないし、できたばかりの水軍だろう?我等が本気出せば、鎧袖一触なのでは?」


「そうしたいのは山々だが、木津川口の戦いでの損害の回復が終わっておらぬ。当分は動かせられぬ」


 隆景の発言に、元春は思わず眉をひそめた。そんな時だった。客間の外からドタドタと駆ける足音が聞こえた。そして障子の外から声が聞こえた。


「申し上げます!豊前松山城主、杉七郎殿(杉重良のこと)が大友に寝返りました!箕島にて兵を挙げたとの報せが入りました!」


「七郎がだと!?馬鹿なっ!?」


 元春が思わず声を上げた。無理もない。重良には毛利の重臣で庶家筆頭の福原貞俊の妹が嫁いでいるのだ。それが九州の大友家に寝返るなど、元春には信じられなかった。

 しかし、隆景が溜息をつきながら首を横に振る。


「兄上、去年三月に市川式部(市川経好のこと)の嫡男が大友に寝返り、反乱を企てたではないか。恐らく、大友の調略は我等が考えている以上に浸透しているのやも知れぬな」


 そう言うと隆景は立ち上がった。元春が「何処かへ行くのか?」と尋ねると、隆景は疲れたような顔をしつつ、笑って答える。


「これから幸鶴・・・いや、殿に会ってくる。この事を報せ、未だ上洛の大軍を率いることに固執している幸鶴を説得して止めさせてくる。そして大友への対応を話し合わなければ」


「・・・では俺も行こう」


 元春も立ち上がりながらそう言った。言いながら元春は思った。俺が行かなければ、又四郎(小早川隆景のこと)は絶対に幸鶴を説得と称してぶん殴ると。そして、それは俺が止めないと、とも思った。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 越前様(丹羽長秀) 越前守に任官したのは賤ヶ岳以降、秀吉より越前に封じられた頃…と記憶が。 記憶違いだったら申し訳無い。
[良い点] 長兄である隆元が死んだあと、大内家系列の家臣は冷遇されたからなあ。 落ち目になれば裏切るよ
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