第141話 第二次木津川口の戦い(完結編)
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追記 内容について訂正がありました。詳細は活動報告をご参照下さい。
輸送船団が羽柴の関船に襲われていることを乃美宗勝が知ったのは、頑強に抵抗する真鍋水軍に手こずっている最中のことだった。
「は、羽柴水軍に我が船団が喰い散らかされているだと!?」
初めて遭遇した時、羽柴水軍は北に向かっていった。宗勝はあれを逃げたとは判断していない。そのため、羽柴水軍が襲ってくることを想定して、護衛の小早を前線に呼ぶこともなく待機させていたのだ。たかが羽柴水軍の関船六隻。こちら側の小早でも十分護衛はできるだろうと考えていた。
しかし、その考えは間違っていた。宗勝は神辺合戦で初陣を飾り、あの厳島の戦いにも参加した歴戦の強者である。陸でも海でも両川と言われた小早川に勝利を導いてきた名将は、羽柴水軍というものに対してどこか見くびっていたのかも知れない。
―――儂としたことが、とんだ失態じゃ!―――
宗勝はそう思いつつも、側にいた家臣に命じる。
「全船に命じよ。退くと」
宗勝の予想外の命令に、家臣は思わず「殿っ!?」と声を上げた。
「乱戦中に退くは剣呑です!それに、もう少しで真鍋を突破できると言うに・・・!」
頑強に抵抗している真鍋水軍であったが、その数は確実に減っていた。ここで踏ん張れば、突破は可能と思えた。
しかし、宗勝が首を横に振りながらその家臣に言う。
「西を見よ。すでに日が傾いておる。半刻もせずに日没じゃ。夜戦もできなくはないが、戦の後に夜の川を遡上することになる。我等は木津川を知っているが、輸送している船は全てがそうではない。遡上できずに座礁する船が出てこよう。すでに羽柴によって輸送船団は襲われている。これ以上物資を失うわけにはいかぬ」
「し、しかし・・・」
「それに、輸送船の水夫は毛利各地からだけではなく、周辺国の舟手衆も参加している。これらを危険に晒しては、今後は毛利に船を貸そうという舟手衆はいなくなるぞ!」
毛利の輸送船団に参加しているのは何も毛利領の舟手衆だけではない。伊予や讃岐、淡路の舟手衆も含まれていたし、何と言っても塩飽の舟手衆も加わっているのだ。特に塩飽の舟手衆は、難所である塩飽諸島周辺の海域の案内人として大事な存在である。彼等に損害、特に死者が出れば、今後は塩飽の舟手衆の協力が得られなくなるかも知れないのだ。そうなれば、毛利水軍は塩飽諸島より東へ進むのが難しくなる。それは避けたいところであった。
「・・・承知致しました」
不満そうな顔で件の家臣はそう言って船尾の太鼓台に向かった。太鼓で後退を命じるためである。宗勝はもう一度西の方を見た。
西日が海に向かっているのが見えた。と同時に、西日にまとわりつくような薄黒い煙が漂っているのも見えた。
―――護衛の任についているあ奴は無事であろうか?―――
宗勝は自分の息子の安否を思いつつ、西の方角を見つめていた。
その頃、重秀率いる関船隊は、再び体当たりで毛利の輸送船団を襲っていた。と言っても体当たりによる衝撃で船を沈めるのではなく、衝撃を与えずに接舷し、船首の渡し橋や船の両舷から大徳利の瓶を相手に投げ入れるためである。
1升から2升入る大徳利の瓶には酒ではなく桐油が入っていた。これを毛利方の船に投げ入れると、瓶が割れて桐油が甲板や船腹に広がっていく。そこを狙って火矢を放って火を点けていた。
当然、接舷しているため、敵も反撃してくる。輸送船とはいえ兵が全く乗っていないわけではない。輸送船内にいた兵は鉄砲や弓、そして近づいてきた羽柴の関船の狭間に向かって槍を突き通そうとした。しかし、羽柴の関船から放たれる大量の鉄砲玉によって命を散らしていった。
抵抗しなくなった船に、羽柴の関船から次々と大徳利の瓶が投げ入れられる。船首船尾にある二層櫓の二階から直接投げ入れられる瓶もあれば、船の中央から竹束によってできた高い壁の上から、長い縄を引っ張って放物線を描くように投げ込まれた瓶もあった。
それらは毛利方の船にぶつかると、割れて中の油がぶち撒けられた。そして、大徳利を数個投げ込まれた船に向かって、複数本の火矢が放たれると、関船は毛利方の船から急速に離れた。離れた直後、その毛利の船は全体を炎に包まれた。
「・・・そろそろ潮時かな・・・?」
『春雨丸』の指揮を執っていた加藤清正は、燃えながら沈む毛利の船を見ながら、そう呟いた。
『春雨丸』は他の関船と同じように、多くの毛利方の船に火を放ってきた。また、二十匁筒、三十匁筒で毛利方の船を無力化、もしくは航行不能にしてきた。
しかしながら、弾薬も桐油も無くなりつつあった。無論、全部使い果たせばもう一隻は沈められるかも知れない。しかし、長兄たる重秀がそれを認めるとは思えなかった。
―――長兄は慎重なお方だ。おそらく全ての弾薬と油を使い切ることを認めないだろう。余裕あるうちに撤退を命じるはず・・・。ならば、そろそろ打ち止めとするべきであろうな―――
長い付き合いの重秀の性格を鑑みた清正は、近くにいた大男―――木村又蔵に命じる。
「・・・『村雨丸』に報せよ。『我、弾切れ』と」
そう命じられた又蔵は驚いて清正に声をかける。
「まだ弾も玉薬も残っておりますが」
「とは言え、もう一隻沈めるか沈めないかの量しか残っていないだろう。帰りのことを考えれば、少しは余裕があるうちに報せた方が良い」
又蔵は清正の言葉を聞いて少し悩んだ。武士としてはもっと功を挙げたい。しかし、この船の長は目の前の若い武者だ。逆らうわけにはいかなかった。
「承知しました」
又蔵がそう言うと、近くにいた兵に「鏡で『村雨丸』に伝えよ」と命じたのであった。
『春雨丸』から伝えられた鏡による通信で、『村雨丸』にいた重秀は『春雨丸』の弾切れを知ることができた。
「『春雨丸』も弾切れか」
重秀はそう呟くと、船尾の二層櫓の2階から西の方角を見やった。すでに西日が海に沈み始めようとしていた。
「若。他の船からも弾切れの報せが入ってるっす。この『村雨丸』も、矢と油はもうないっす」
加藤茂勝の言葉に、重秀は溜息をつきながら側にいた兵に伝える。
「全船に伝えよ。退くぞ」
側にいた兵が「はっ」と言うと、太鼓を鳴らすために離れていった。
「若。敵の軍船が来なくてよかったっすね」
茂勝の言葉に重秀は首を横に振った。
「それはまだ分からない。これから追撃があるかも知れないしな」
「しかしこれから夜っすよ?追撃は無理じゃないですか?」
茂勝の疑問に対し、重秀が首を傾げながら答える。
「それはどうだろう?夜に航行するのもいるし、毛利水軍は歴戦揃いだ。こちらの考えつかない様な戦法で反撃に来るかも知れない。ここは引き上げよう」
重秀がそう言った直後であった。兵が一人、重秀の元に息を切らせながらやってきた。
「も、申し上げます!東から敵船が多数やってきています!。さらに、南からも敵船と思わしき影が見えるとの由!」
「み、南からだって!?」
重秀が驚いて思わず声に出した。隣りにいた茂勝も口を開けて唖然としていた。
「ま、まさか、九鬼様の大安宅船や『龍驤丸』がやられたということは・・・?」
茂勝の言葉に対し、重秀は黙って考え込んでいた。右手を拳にして、口元に当てて考えることしばし。重秀が口を開く。
「孫六。風向きはまだ西風か?」
「いえ、先程から北西の風に戻ってるっす」
茂勝の回答を聞いた重秀は、凛とした声で茂勝や周りの者達に声を上げる。
「今よりここを脱する。目的地は堺だ」
「堺っすか!?兵庫に戻られないんすか!?」
驚きの声を上げる茂勝に、重秀は説明し始める。
「今から風上にある兵庫に戻るのはちときつい。それならば、堺に行ったほうが良いだろう。ここからは近いし、織田の支配下だ」
「堺では南に向かうことになります。南から来る敵船と鉢合わせになるっすよ?」
「敵も九鬼様の大安宅船の攻撃を受けて損傷を得ているはずだ。大体、あの巨船八隻を小早中心の敵勢が沈めるなど並大抵のことではない。おそらく損害は大きいはずだ。我等を相手にすることはないと思う。
・・・それに、戦がどうなったか知りたい。それを知るには、堺に向かうのが一番だ」
「俺も兄貴の意見に賛同するぜ」
重秀が意見を述べた後、急に声をかけてきた者がいた。福島正則であった。
「市か。どうした?」
疲れたような顔をした正則に重秀が声をかけると、正則は若干焦ったような表情を浮かべながら言う。
「兄貴、ここで議論している場合じゃねぇ。東からの敵の速度が上がってきてるぜ。船を風上に向けている暇はねぇ」
正則からそう言われた重秀は、「分かった」と言うと皆に命じる。
「全船に報せよ。このまま全速で南の堺へと向かう!」
村上武吉率いる村上水軍が、毛利の輸送船団とその護衛隊に合流したのは、日が沈んだ直後であった。その様子を見ていた宗勝は、薄暗い中でも村上水軍が激闘を繰り広げていたことが分かる傷跡を多く見つけていた。
「だいぶ酷くやられているな、向こうも・・・」
そんなことを言う宗勝であったが、顔にはどことなくホッとした表情を浮かべていた。
というのも、先に輸送船団に合流した時、羽柴の関船はいなくなっていたが、どうやら海に落ちた者達に鉄砲を放つようなことはしなかったらしく、溺者が多く海の波間に漂っていたからだ。中には寒さに体力を奪われ、救助されずに沈んでいく者もいたが、宗勝の息子である盛勝を始め、多くの者が救助されていたのだった。
「羽柴が溺れている者にとどめを刺さなかったのは、何か考えがあってのことなのでしょうか?」
家臣の一人がそう訪ねると、宗勝は首を横に振った。
「分からん。何か考えがあったのか。それとも何も考えていなかったのか・・・。それよりも、今後のことを掃部殿(村上武吉のこと)と決めなければならない」
そう言うと、宗勝は自身が乗っている安宅船を、武吉が乗っている安宅船に近づけるように命じた。
それから半刻後。宗勝は他の将達と共に武吉が乗っている安宅船にいた。そこで、武吉から頭を下げられた。
「皆の衆。此度は我等の負けよ。兵糧物資を石山御坊に運べなかった以上、我等は潔く敗北を認めるべきじゃ。そして此度の戦の敗戦の責は儂にある。儂は公方様に詫びるために鞆にて腹を切るつもりじゃ」
いきなりそう言われた宗勝等は面食らってしまった。宗勝が声をかける。
「掃部殿。敗戦の責と言うならば我等も同じこと。我等は木津川河口を抑えること能わず、しかも輸送船団を襲われました」
そう言うと、宗勝は真鍋水軍との戦いと、羽柴水軍が輸送船団を襲ったことを包み隠さず武吉に話した。そして、全てを言い終わった宗勝は、武吉に頭を下げながら謝罪する。
「此度、真鍋を討ち破ることができず、しかも羽柴如きに船団を襲われたのは、指揮を執った儂と護衛の任にいた愚息の責。二人で腹を切る故、掃部殿は腹をお切りなさいますな」
「何を言う。小早川家を支える乃美家を断絶させる気か?そもそも小早川の殿様が、一度の敗戦でお主が腹を切ることを許しはしまい」
武吉がそう言って宗勝を諌めると、宗勝が「有難きお言葉」と言って頭を更に下げた。武吉はそんな様子を見ながら、ふと思った疑問を口にした。
「しかし・・・、羽柴と言えば海で戦ったことはないはず。そんな素人が、南蛮船のような船を操って護衛の船を沈め、輸送船団を襲うことができるのであろうか?いや、そもそも羽柴は何故南蛮船を持っているのだ?」
「あの南蛮船もどきは日本の城で見られる瓦屋根の櫓を持っておりました。どう考えても日本で造られたものです」
宗勝がそう答えると、武吉は唸った。
「あの巨大な安宅船といい、南蛮船もどきといい、織田の造船技術は侮れぬな・・・」
そう言う武吉に、今まで黙っていた児玉水軍の指揮官、児玉就英が声を上げる。
「巨大な安宅船であろうと南蛮船であろうと、船は船。船体を破壊すれば海に沈みましょう。その手段は今後考えれば良い。それよりもこれから如何されるのか。今は木津川河口から離れた海域にいるが、このまま淡路に引き上げるのか。それとも明日再び木津川へ攻め上るのか」
就英がそう言うと、宗勝が遠慮がちに武吉に話しかける。
「・・・輸送船団の被害は三十隻ほどの軽微なもの。羽柴勢は護衛の小早を四十隻以上沈めたが、輸送船への攻撃は時が無かったらしく、攻めきれていなかったらしい。これらの物資を石山御坊に運び込めば、我等の勝利と一応言えるのでは?」
しかし、武吉の答えは宗勝や就英が考えていたものと違っていた。
「いや、淡路へ引き上げる。巨大な安宅船八隻、その全てが未だ健在。しかも羽柴の南蛮船もどきが六隻も健在。そして真鍋水軍も数を減らしたとはいえ木津川河口に陣取っている。それに対して我等もだいぶ数を減らしてしまった。村上勢はあの巨大な安宅船のせいで数多くの船を失った。特に黒色と木の色の虎柄の安宅船は他の安宅船と違って動きが早く、体当たりで関船を沈めるほどの頑丈さを持っていた。あんなのに輸送船団に乗り込まれたら目も当てられぬ」
悔しそうな顔をしながらそう答えた武吉。そんな武吉の言葉に、宗勝が違和感を感じていた。
―――はて。黒色と木の色の虎柄模様?どこかで見たような?―――
しかし宗勝がそれを思い出すのを遮るように、就英が声を上げる。
「・・・不本意であるが、総大将は掃部殿。ここは従おう。それに、この海域にとどまれば、敵の夜襲を受けるやも知れぬ。児玉勢の指揮を執るため、それがしは己の船に戻らせてもらう」
そう言うと床几から立ち上がって去っていった。宗勝も自らの水軍の指揮を執るため、他の諸将と共に武吉の元から座を辞したのだった。
十一月八日。毛利の大船団が木津川河口から去って二日後。重秀は堺にいた。そして、ここで九鬼嘉隆の本陣にて軍議に参加していた。羽柴勢の戦果を報告するためだった。
「・・・以上、我等が沈めた小早は四十三四隻。一方、輸送船と思われる弁財船は三十六隻を沈めました」
淡々と報告する重秀に対し、その場にいた諸将は微妙な表情を浮かべた。
「弁財船三十六隻か・・・。もう少し沈めてくれれば、石山御坊に大打撃を与えられたものを・・・」
軍議に参加している堺奉行の松井友閑が不満そうな顔でそう言うと、嘉隆が苦笑しながら友閑に話しかける。
「いやいや。弁財船の積める量を考えれば、石山本願寺には無視できないほどの量が海に沈んだと考えられる。弁財船の積める量を五百石とすれば、占めて一万八千石。全て米だとすると、無視できぬ数ですぞ」
1石が大人男性が食べる米の1年分とされている。つまり18000石だとすると18000人分の1年間食す米が海の藻屑と消えたことになる。もっとも、すべて米ということはありえないのだが。
「それに、昨日は毛利水軍を探しましたが、少なくとも難波沖には居りませんでした。敵は引き上げたものと判断します。これで石山御坊への兵糧物資の輸送は完全に絶たれたものと思われます」
嘉隆の言うとおり、木津川河口で行われた戦いの次の日には、九鬼と真鍋、そして堺で弾薬の補給を受けた重秀の関船隊、更に堺とその近辺の漁船が毛利の大船団を探すべく、難波沖に繰り出していたのだ。しかし、難波沖には毛利水軍の船は全く見えず、重秀の関船の一隻は淡路洲本城が遠くに見えるところまで偵察に行ったが、大船団は見つからなかった。
その報告を受けた嘉隆は、毛利の大船団は淡路の南側―――少なくとも福良泊まで退いたと判断したのだった。
「では、我等にとって此度の戦は勝ち戦だったと・・・?」
友閑の疑問に嘉隆は「そう考えてよろしいかと」と頷いた。
「少なくとも、上様より厳命された『石山御坊への兵糧物資の搬入の阻止』は達成された。目標は達成されたのだから、此度は勝ち戦と見ていいだろう」
嘉隆の言葉に諸将は安堵と喜びの表情を浮かべた。天正四年(1576年)の木津川口の戦いでは、毛利水軍に惨敗して以来、雪辱を果たさんと鍛錬と研鑽を積み重ねてきたのだ。その努力が報われたのだった。
ただ、真鍋水軍の指揮官である真鍋貞成は何か物足りなさそうな表情であった。何故ならば、彼は父の敵である村上武吉を討ち取ることもできず、更に木津川河口での防衛戦で数多くの兵と船を失っていたからだ。勝ったからとは言え、あまり嬉しいとは思っていないようだった。
「して、今後は如何致す?」
友閑の質問に嘉隆ははっきりと即答する。
「敵が石山御坊への兵糧物資の運搬を諦めていない以上、我等はここを退く訳にはいきませぬ。当分は木津川河口にて警戒に当たります。ときに藤十郎殿」
嘉隆から急に声をかけられた重秀が、慌てながらも「は、はい」と返事をした。嘉隆が話を続ける。
「『龍驤丸』も当分は堺に置きます故、甚内殿(脇坂安治のこと)とその配下は当分お借りしてもよろしいかな?」
「もちろんです。存分にお使い下さい。私も関船六隻と共に堺にて待機して、また来るであろう毛利水軍に備えようと思います」
重秀がこう答えると、嘉隆は「かたじけない」笑いながらと答えた。
重秀の予想は外れた。いくら待っても毛利の大船団が木津川口に来ることはなかった。十日後、真鍋水軍が小早で福浦泊まで物見に行ったところ、福浦泊には大船団はいなかった。
九鬼嘉隆は毛利の大船団が西に下がったと判断した。そして、木津川に毛利の大船団は当分来ないと判断した。そのため、重秀は堺にいる必要がなくなった。重秀は年末までには関船隊を率いて兵庫津に撤退したのだった。