第140話 第二次木津川口の戦い(後編)
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毛利方の水軍の総指揮を取っていた村上武吉の命令によって、石山御坊への補給物資を運んだ船団は、児玉水軍や粟屋水軍、そして乃美水軍の護衛の下、九鬼水軍の大安宅船を避けるように北へ迂回していた。
「なんだ、あの船は?」
輸送船団の護衛の任に就いていた乃美水軍の総大将、乃美宗勝(浦宗勝とも言う)は、自分の乗っている安宅船の前方にいる船を見て思わず呟いた。
その船は、三角形の帆を張っており、船首がやたらと尖った船であった。船の側面から飛び出ている棒のようなものは、艪ではなく細長い櫂であった。
更によく見ると、その奇妙な船の側に、似たような船が数隻いた。
「あれは南蛮船か?にしては大きいな・・・?」
宗勝も南蛮人が博多と堺を行き来するのに小さな南蛮船を使っているのは知っていたし、実際に見たこともあった。しかし、それは小型の関船程度の大きさで、目の前の船よりは小さいものであった。
その船に船団が近づくに連れて、その船が南蛮船でないことが宗勝にも分かった。その南蛮船の船首付近に、どう考えても日本の城でしか見ない瓦屋根の櫓があったのだ。
「あ、あれは敵ぞ!合戦準備!」
宗勝がそう言うと、側にいた家臣の一人が「合戦準備の鐘を鳴らせ!」と船の後ろに叫んだ。船尾から鐘が鳴らされると、船の中がにわかに騒がしくなった。
「殿、あれはどこの船でしょうか?」
件の家臣が宗勝にそう尋ねると、宗勝が即答する。
「おそらく羽柴じゃろう。羽柴水軍が三角形の帆を使っていることは播磨にいた我が方の舟手衆から聞いたことがある。聞いた時は信じなかったが、どうやら真だったらしいな」
「羽柴?なら大した敵ではありませぬ。このまま蹴散らしましょうぞ」
その家臣が小馬鹿にしたような笑みを浮かべながらそう言うが、宗勝が首を横に振る。
「いや、足の遅い輸送船団を抱えて戦うのはちと拙い。それに、羽柴と言えばあの巨大な安宅船を造った織田の重臣。あの南蛮船にも我等が考えつかないような代物があるやも知れぬ」
宗勝の言葉に、家臣は「はぁ」と生返事をした。どうやらあまりピンときていないようだった。その時だった。見張りをしていた兵が大声を上げた。
「殿!前方の船団が逃げ出しています!」
「何!?」
宗勝とその家臣が同時にそう言いながら前方を見た。確かに前方の船団は舳先を北に向けると、滑るように動き出したのであった。
「なんだ。大したことないですな、殿。奴ら我等の大船団を見て逃げ出しましたぞ。まあ、昨日今日できた羽柴水軍なぞ、敵ではありませんでしたな」
家臣が馬鹿にするように笑いながらそう言っていた横で、宗勝は前方の船団の速度がやたら速いことに違和感を抱きながら、黙って前方の船団を見つめていた。
重秀率いる羽柴水軍関船隊が、毛利の輸送船団の前方にいたのは偶然であった。重秀の考えでは、大安宅船と毛利勢が戦闘を始めて少し経った後、北側から周って毛利方の後方から襲う予定だったからであった。
この日の風向きは北西。なので北西の位置から毛利の後方を襲うために、たまたま戦闘海域の北側を西へ進んでいたのだった。
そしてその移動中に毛利の輸送船団に遭遇。重秀は戦闘を避けるべく、更に北へ逃れることにした。
「敵には我等が逃げ出したように思えるんだろうな。まあ、実際逃げているんだが」
羽柴水軍関船隊の旗艦である『村雨丸』の船尾の二層櫓の二階で重秀が独りごちた。それを聞いた福島正則が複雑そうな表情で重秀に語りかける。
「仕方ねぇよ、兄貴。あれだけの船団に六隻だけで突っ込もうってのは、さすがの俺でも無理って思うぜ」
「・・・真っ先に突っ込みそうなお前がそう言うなら、まあ無理なんだろうな」
苦笑する重秀に、ムッとしたような顔の正則が反論する。
「兄貴。勘違いして欲しくないんだが、俺は別に恐ろしくて言ってるんじゃねぇ。陸の上なら大軍だろうと何だろうと俺の槍で蹴散らしてやる。だが、船軍だとそうはいかねぇ。船軍だと人の強さじゃなくて船の強さと数になるからなぁ。俺の槍ではどうにもならねぇ」
そう言う正則に対して、重秀は「悪い悪い。別に馬鹿にしているわけじゃないんだ」と笑いながら謝る。
「市の言うとおり、我等関船六隻であの大船団に挑んで勝てるとは思っていない。それに、先程の位置はどう考えても我等に不利な位置であった。移動して有利な場所に行くのも戦法だろう・・・。不本意ではあるけど」
重秀はそう言うと腕を組んで黙り込んだ。その顔には不満そうな表情が浮かんでいた。
―――本当は、兄貴が関船隊を率いて突っ込みたかったんだろうな―――
意外に血の気の多い兄貴分を見た正則は、重秀を慰めるべく口を開く。
「そう言えば、半兵衛様が言ってたけど、真の名将というのは退くのを躊躇しないものだと言っていたな。そう考えると、兄貴は名将なのかも知れないな」
正則が真面目そうにそう言うと、重秀は「名将なんかじゃねぇよ」と、ますます不満そうな顔をしながら言った。しかし、溜息を一つ吐き出すと、気を取り直したのか不満顔を解いて呟く。
「ま、今は一旦退くさ。この船の真の強さを発揮させるのと、数の劣勢をひっくり返すためにな」
毛利の輸送船団が木津川河口に到着したのは、羽柴の南蛮船っぽい船に遭遇してから一刻後であった。宗勝の眼前には河口を埋め尽くさんとする小早の群れがひしめき合っていた。
「あれは真鍋水軍だな。だいぶ戦力を回復したようだな」
そう言った横で、先程から側にいる家臣が「しかし、前の戦いでは負けてましたよね?」と尋ねてきた。
「真鍋も我等に比べたら、大した事無いのでは?」
その家臣の言葉に、宗勝は溜息をついた。
「・・・慢心するな。敵を侮れば、必ず足を掬われるぞ」
宗勝がきつく戒めると、その家臣は「はっ、申し訳ございません」と頭を下げた。
真鍋水軍との戦いが始まった。毛利方はいつも通り焙烙玉や焙烙火矢、そして普通の矢で攻撃を開始した。一方、真鍋の方は鉄砲で応戦した。その鉄砲の数は、前に行われた木津川口の戦いの時よりも多かった。しかも、装填速度も早くなっており、毛利方の小早が近づくことが難しくなっていた。
これは、近くに鉄砲の生産地である堺が近かったことと、羽柴や蒲生から大量の紙早合や竹早合が真鍋に入っていたことが要因の一つであった。特に、蒲生の竹早合は羽柴の紙早合よりも湿気に強いことから、真鍋勢は大量に導入していたのだった。
しかも、真鍋水軍の指揮官である真鍋貞成にとって、今回の戦は前の木津川口の戦いで戦死した父親である真鍋貞友の仇討ちであった。当然その思いは真鍋の兵達にも伝わっており、士気はとても高いものであった。
そして、毛利方の船の数は多いが、そのほとんどが輸送船であった。護衛を務める乃美水軍、児玉水軍、粟屋水軍の数は二百隻ほど。そして真鍋水軍も二百隻ほどであった。数は均衡していたし、護衛しながら戦う毛利方と自由に戦える真鍋方では、その動きに歴然の差が出ていた。
その結果、戦いの推移は一進一退であった。ただ、真鍋水軍のほとんどが小早なのに対し、毛利方は少ないながらも関船や安宅船を持ち込んでいた。戦いが一進一退なのを見た宗勝や児玉水軍の指揮を執っていた児玉就英、粟屋水軍の指揮官等は真鍋水軍を排除するため、関船や安宅船を投入していった。
「殿!このままでは木津川を遡ることができませぬ!後方から更に軍船を呼び寄せましょう!」
家臣の言葉に対し、宗勝が拒否する。
「ならぬ!先程の羽柴の軍船がどこにいるか分からぬのに、護衛の船を呼び寄せるわけにはいかぬ!」
「しかし殿!このままでは真鍋を押し切れませぬぞ!」
家臣にそう言われた宗勝は、それでも拒否し続ける。
「ならぬものはならぬ!輸送してきた船の中には漁民などの民草も大勢いる!彼等を丸裸にはできぬ!」
そう言うと宗勝は、周りに聞こえるよう更に大声を上げる。
「よいか!我等は小早川家のみならず、毛利家でも名のしれた乃美勢よ!真鍋如き、援軍無しで押し切ってみせようぞ!」
宗勝の獅子吼する姿に、件の家臣だけでなく周囲にいた者達が一斉に「応っ!」と大声で応えた。
さて、乃美・児玉・粟屋水軍と真鍋水軍が死闘を続けている頃。石山御坊への補給物資を大量に積み込んでいる弁財船の集団は、少数の護衛がいる状況で乃美水軍らの後方で待機をしていた。
その護衛の指揮を執っているのは、乃美盛勝。乃美宗勝の嫡男である。彼は父と共に陸や海で戦ってきたが、この木津川河口に来たのは初めてであった。
そんな盛勝が見張りをするために、自身が乗っている小早の甲板の上で西北の方角を見ていると、その方角から六隻の船が横一列になってこちらに向かってくるのが見えた。
「何だあれは?」
そう呟きながら六隻の船を見つめる盛勝。三角形の帆を張り、船の左右から突き出している櫂が一糸乱れぬ動きをしていた。そんな船が六隻も、しかも想像以上の速さでこちらに向かってきたのだ。
「て、敵襲!」
盛勝がそう叫び、すぐに警報の鐘を鳴らそうと鐘の近くまで行こうとした。しかし、その行動はいささか遅すぎた。敵船の船首にある二層櫓の上下階から、煙と閃光が見えたと思った瞬間、盛勝の側を何かが高速で通り過ぎた気配を感じた。と同時に、周囲から悲鳴が上がった。
盛勝は悲鳴の上がった方に視線を移した。そこでは、兵や水夫が血まみれになって倒れていた。中には腕が引きちぎられた者もいた。
「な、何なんだこれは・・・?」
顔を青ざめながらそう呟く盛勝。そんな盛勝に、一人の武将が大きな声で注意を呼びかける。
「若様!敵船が突っ込んできます!」
そう言われた盛勝が敵船の方に視線を向けると、何やら先端を尖らせた特徴的な船首が、勢いよくこちらに向かって来るのが見えた。
「み、皆掴まれ!」
盛勝がそう叫んだ時だった。小早の土手っ腹に敵船の船首が勢いよくぶつかった。その衝撃は盛勝の想像以上であった。何かに掴まろうとした手は、虚しく空を掴んだ。そしてよろめいた身体を支えようと足に力を入れたが、すでに身体は倒れつつあった。そして、背中から倒れようとした盛勝の身体を受け止める甲板はなく、背中の先には海しか無かった。
盛勝の身体はそのまま海へと落ちていった。波しぶきを上げて落ちた盛勝であったが、そこは将来の乃美水軍の指揮官である。落ちても甲冑の重さで沈まないよう、小具足姿だったこともあり、すぐに海面に浮かび上がった。そして彼の目に飛び込んできた光景は信じられないものであった。
自分が乗っていた小早が真っ二つになって引き裂かれ、みるみる沈んでいるのを顧みず、敵の船が更に進んでいたのだ。しかも自分に向けて。
盛勝は急いで泳いで船の進路から遠ざかろうとした。敵の船の櫂がやたら長いので、結構な距離を泳がなければならなかった。しかし、何とか敵船に轢かれることを逃れることができた。
落ち着いた盛勝が周囲を見渡すと、敵船が自軍の小早や弁財船に突っ込んでいく光景が見えた。船首にある二層櫓から鉄砲の発砲炎を煌めかせながら突っ込んでいく敵船は、小早や弁財船をまるで卵のように船体を割っていった。一方、自軍の小早や弁財船は敵船からの発砲で水夫や兵士が血を噴き上げながら甲板に倒れたり、もしくは海へと落ちていった。鉄砲玉が当たらずに生き残った者達も、船が体当りされると衝撃で海へ飛ばされていった。
そして、この時期、旧暦の11月は今の暦で12月である。さすがに海水も冷たくなっていた。そして、盛勝と彼のように無傷で海に投げ出された者達は、体力があるので冷たい海水に耐えながらも波間に漂っていたが、鉄砲に撃たれたり船の体当たりの際に怪我を負った者は急速に体力が奪われ、知らないうちに海の中へ没していったのだった。
「・・・なんちゅう脆い船だ」
『村雨丸』の船首二層櫓の一階部分で、何隻目かの船が沈んでいくさまを、正則は狭間から覗き見ていた。正則からしてみれば、毛利の船がこんなに呆気なく沈んでいくさまを、信じられないような思いで見つめていた。
もっとも、これは毛利の船だから体当たりで沈んだ、とも言える。
というのも、前回の木津川口の戦いにて毛利は船を多く失っている。これは柴田勝家がその時に木津川口砦を奪っただけではなく、木津川を遡上する毛利の船団にも攻撃を加えていたのが原因であった。
勝家の攻撃で多数の輸送船を失った毛利は、新たに小早や輸送専用の弁財船を大量に作った。しかし、数を短時間で多く揃えるため、その建造工程がだいぶ省略されていたのだった。
さすがに進水した船がすぐに浸水した、ということはないのだが、それでも船体の横からの衝撃を受け止める梁が少ない、若しくは無い船が多く造られていた。そんな欠陥のある船に、体当たり戦法もできる強度を持つ『村雨丸』がぶつかっていったのだ。結果は明らかというものであろう。
『村雨丸』の突進を喰らった小早や弁財船は、卵の殻が割れるように船体を割られて呆気なく沈んでいった。そして、その様な戦果を挙げた船は『村雨丸』だけではなかった。
『村雨丸』を中心に、『春雨丸』『五月雨丸』『夕立丸』『時雨丸』そして『秋雨丸』が横一列になって突っ込んでいったのだ。それぞれの船にぶつけられた小早や弁財船は、全て『村雨丸』にぶつけられた船と同じ運命を辿ったのだった。
正則は狭間から前方を見ると、新たな弁財船を見つけた。
「よし!次はあの船だ。撃ち方用意!」
正則がそう言ったが、側にいた兵から「すでに弾薬は装填済みです」と返事が来た。
「・・・よし、放て!」
正則が気恥ずかしそうに号令をかけると、正則の周辺と上部から火薬の爆ぜる音が一斉に鳴り響いた。
正則のいる船首の二層櫓には、二十匁筒と三十匁筒が複数集中配備されている。一階には三十匁筒が、二階には二十匁筒が配備されている。それぞれ10挺づつ配備されているが、全てを同時に撃つことはスペース上の問題からできない。船首正面から同時に撃てるのは精々4〜5挺である。その代わり、二段撃ちを行うことで数の少なさをカバーしていた。
正則の号令で二十匁筒、三十匁筒が火を吹いた。正則が狭間から目標の弁財船を見ると、船の周囲に水柱が何本か上がる中、船の上では弾が当たったのか、人が倒れたり木片が飛んだりしたのが見えた。直後、正則の頭上で発砲音が聞こえた。装填を終えた二階の二十匁筒が再び火を吹いたのだ。少し遅れて今度は一階の三十匁筒が火を吹いた。
二十匁筒は人が構えて撃つが、三十匁筒は台座に固定して撃っている。こうしないと人体に負担がかかり、長時間撃てないからだ。その代わり、装填や三十匁筒を台座に固定する時間がかかり、発射速度はどうしても遅くなっていた。
正則が再び狭間から目標の船を見ると、もう目の前にその船はあった。
「ぶつかるぞ!」
そう言うと、正則は足を踏ん張り、壁に手をついて衝撃に備えた。周りの兵達も同じように備えた。直後、正則達に衝突の衝撃が伝わった。外から大きな衝撃音が聞こえ、周りの木材から軋む音が大きく鳴り響いた。
『村雨丸』の船尾にある二層櫓の二階。重秀はそこで船と関船隊の指揮を執っていた。
「行け、行け!どんどん体当りして沈めるだけ沈めるのだ!」
体当たりで次々と敵の小早が沈むのを櫓の窓から見ていた重秀は、腕を振り上げて興奮しながら声を上げた。側にいた加藤茂勝が思わず声をかける。
「若、若っ!あまり体当りすると、こちらの船が壊れるっすよ!」
茂勝の言うとおり、実は数隻の船に体当りしたところ船首の方で浸水があった、という報告が上がっているのだ。
今のところ、船に乗っている大工が修復し、浸水は止まっているが、あまりやりすぎると船の損傷が大きくなり、こちらも沈みかねなくなる。そろそろ体当たりをやめるべきだと茂勝は思っていた。
茂勝の言葉に冷静さを取り戻した重秀は、振り上げていた腕を下ろすと、茂勝の方に視線を移した。
「・・・確かに、あまり体当りしてもこちらの船の損傷が大きければ沈んでしまうな。帰れなくなるのも困るし、そろそろ体当たりは止めるか」
もう少し、せめてあと四隻沈めて、計十隻沈めたかったのに、と思いつつ重秀はそう言うと、茂勝と側にいた太鼓係の兵に命じる。
「一旦後退する。逆進して距離を取れ。然る後は鉄砲による攻撃とする」
重秀がそう命じると、側にいた太鼓係の兵が船尾の外にある太鼓をリズミカルに叩いた。。重秀からの命令は太鼓の音色によって全ての船に伝えられた。
一方、茂勝は下の階に降りると、下の階で櫂を漕いでいる水夫たちに逆進を命じた。一本の櫂を三人で漕ぐ『村雨型』は、その三人の定位置を変えることですぐに逆に漕ぐことができるようになっていた。
すぐに位置替えが行われ、櫂が逆方向に漕がれると、『村雨丸』を始めとする羽柴水軍の関船全てが後退を始めた。その一糸乱れぬ艦隊行動に、毛利の水夫達は思わず見とれていた。しかし、再び体当りしてくるのではと気が付いた水夫達が船を動かし始めた。慌てているのか、船は思うように動かず、かえって周囲の船と衝突するなどして混乱していた。
そんな中、一旦離れた羽柴の関船隊は、単横陣から単縦陣に変更すると、再び船団に近づいてきた。そして毛利の船団のうち、外周にいた船を鉄砲で攻撃し始めたのだった。