第136話 神吉合戦
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天正六年(1578年)十月上旬。秀吉と重秀が長浜や兵庫から兵と輜重の補充を受けて軍を再建させていた頃、羽柴小一郎長秀率いる羽柴別働隊が淡河城及びその支城を攻め落としていた。
淡河城城主の淡河定範は戦上手として名を馳せており、淡河城で粘り強い防衛戦を指揮していたが、丹生山城にいた加藤光泰が援軍として参戦。しかも、援軍として三木城から派遣されてきた有馬則頼が羽柴方に寝返ったことで淡河城は陥落した。
なお、この時に定範は戦死したと思われていた。しかし、彼は密かに淡河城を逃れると、三木城への生還を果たしている。この逸話から、鎌倉時代末期、赤坂城で死んだと見せかけて実は生きていた楠木正成になぞらえて、定範は『東播の河内判官(楠木正成のこと)』と呼ばれるようになる。
ちなみに余談ではあるが、別所側の記録では定範は牝馬を城外に放ち、牡馬を発情させて混乱させ、その隙をついて城外に討って出た結果、羽柴勢を敗走させたと記されている。しかし、淡河城の戦いが行われた旧暦の九月下旬(現代の11月上旬頃に当たる)は、馬の発情期(現代の4月から9月頃)からだいぶズレているため、実際にはそのような奇策は行われていないとするのが通説である。恐らくは『東播の河内判官』の異名から来たフィクションであろう。
何はともあれ、淡河城は羽柴勢の手に落ちた。小一郎は淡河城の再建を進める一方、淡河城の支城に兵を派遣して守りを固め、別所勢の逆襲に備えていた。
天正六年(1578年)十月中旬。加古川城で秀吉は今後の戦略を黒田孝隆と話し合っていた。
「兵と兵糧、武器弾薬の補充はもうすぐ終わる。次に攻めるのはどこが良いと思う?」
秀吉がそう尋ねると、孝隆は「当然、神吉城です」と即答した。
「神吉城は加古川を渡ってすぐの城。ここを抑えなければ、西へ進めませぬぞ」
「やっぱり神吉城は攻め落とさなければならぬか」
孝隆の言葉を聞いた秀吉がそう言って溜息をついた。
「官兵衛なら知っておろうが、神吉城を攻め落とすは至難の業ぞ」
神吉城は中の丸に天守閣を持ち、その周りを東の丸、西の丸、二の丸という曲輪に囲まれた堅城として有名であった。しかも城下町(というより集落)を総構で囲んでおり、長期の籠城戦に耐えられる城でもあった。
兵力が回復したとは言え、八千しかいない兵力でそんな城を攻めるのは、秀吉であっても負担であった。
そんな悩める秀吉に、孝隆が囁く。
「・・・謀略で落としますか?」
その甘い言葉に秀吉が思わず「は?」と聞き返した。
「ですから、謀略で落とすのです。実は先の加古川城の戦いで、神吉城の神吉勢は一千の兵で参加しておりました。しかし、我軍との戦いでそのほとんどを失ったようです。その時指揮を執っていたのが、神吉城城主の叔父である神吉藤太夫という者でした。
・・・その者、すでにこちらに寝返っております」
「・・・真か?」
秀吉が信じられないという顔をしながら孝隆に聞いた。孝隆は話を続ける。
「加古川城での戦いで我軍の火力の恐ろしさを知ったようでしてな。羽柴、いや織田に逆らうのが恐ろしくなったそうです」
播磨の国衆で鉄砲なんて高価な兵器を持っている者はいない。持っていそうなのは別所家か小寺家、そして英賀城の三木家ぐらいなものである。一方、鉄砲の生産地である国友を抱える羽柴家には鉄砲は唸るほど持っている。しかも、南蛮貿易で織田領には多くの硝石が輸入されており、その火薬の量は近隣の大名を圧倒するほどであった。
「で?官兵衛はその藤太夫をどう使う?」
秀吉がそう尋ねると、孝隆は自分の考えを秀吉に話し始めた。
孝隆の長い話が終わった時、秀吉は唖然としていたものの、すぐに獰猛な笑みを浮かべた。
「・・・なるほど。それなら我等の兵を損なうこと無く神吉城を取れそうだ。よし、官兵衛。その策で行こう。任せてよいか?」
秀吉がそう言うと、孝隆は「お任せください」と言って頭を下げた。秀吉が更に話す。
「ふむ。神吉城攻めには藤十郎を連れて行くか」
「若君を?」
孝隆が首を傾げながらそう聞くと、秀吉がニヤリとした顔をしながら答える。
「儂等にも和泉守(宇喜多直家のこと)のような謀略ができる人材がいるということを教えてやらんとのう」
「ああ、阿閇城攻めに和泉守殿が来ていたと言うあの話ですか。まあ、半兵衛殿(竹中重治のこと)の予想は私も殿から聞きましたが、あの方ならやりそうですからなぁ」
宇喜多直家のことを話で聞いていた孝隆がそう言うと、秀吉は頷きつつも話を続ける。
「藤十郎のことじゃ。謀略も自分でやってみようと思うじゃろう。じゃが、あやつに謀略は無理じゃ。あれは人が良すぎる」
「なるほど」
「だが身近に謀略をこなす人材がいるとなれば、その者に押し付ければ良い。本当は、本多弥八郎(本多正信のこと)が一番適任だったんだがのう・・・。しかし、官兵衛がいれば・・・」
秀吉が話を進めようとした時だった。部屋の外から石田三成の声が聞こえた。
「殿。阿閇城より紀之介が使者として罷り越しました」
「紀之介が?よし、入れ」
秀吉がそう声をかけると、部屋に大谷吉隆と三成が入ってきた。吉隆は秀吉の前に座ると、平伏しながら話し出す。
「・・・申し上げます。若君より書状をお持ち致しました」
そう言って懐から1通の書状を取り出した吉継は、側にいた三成に渡そうとした。しかし、秀吉の「直接で良い。こっちに渡せ」と言われたので、直接秀吉に渡した。
秀吉は書状を開くと、黙って読み込んでいた。読み込んでいくうちに、秀吉の顔はみるみる青ざめていった。
「・・・おい、これは真か?」
書状を読み終わった秀吉が顔を上げて吉隆に尋ねた。吉隆が答える。
「・・・はっ。すでに若君は対応をしておりますれば、殿には一刻も早く上様へお報せ頂きたく」
「如何なされたのですか?」
孝隆がそう聞いてきたので、秀吉が書状を孝隆に渡した。孝隆が書状を読んでいる間、秀吉が吉隆に尋ねる。
「書面では『詳しくは紀之介から』と書いてあった。詳しく申せ」
秀吉の言葉に、吉隆は阿閇城で起きたことを思い出しつつ、秀吉に説明し始めた。
高砂城が羽柴の軍門に降って数日後。その高砂城に一隻の船がやってきた。どうやら毛利方の船らしく、高砂城が羽柴に降ったことを知らなかったため、水と食料を補給するために入ってきたらしい。
当然、昨日まで友軍だった高砂城の城兵に捉えられ、水夫と兵は高砂城の地下牢に入れられてしまった。そしてその事を知った重秀は、尾藤知宣と加藤茂勝を高砂城に送り込み、情報収集するよう二人に命じた。
二人は高砂城の地下牢で兵ではなく水夫に事情を聞いた。水夫は元々漁師とかを徴用したものばかりであるため、詳しい事情は知らなくても自分の知っている情報はべらべらと喋るものであった。その結果、知宣と茂勝は重要な情報を聞き出すことに成功した。
阿閇城へ戻った知宣と茂勝は、早速重秀達が集まっていた本丸御殿の広間で報告した。
「・・・毛利水軍が武器弾薬兵糧を淡路の南側に集めている?」
重秀の言葉に知宣は頷いた。
「それだけではなく、毛利領内の弁財船が淡路の南部に集められているとか」
知宣の発言に、山内一豊が「ちょっと待て」と口を挟んできた。一豊は高砂城が開城、尾上城が安全になったということで尾上城から阿閇城に移ってきたのだ。
「淡路と言えばこの阿閇城より東側にある島ではないか。そんな所に毛利水軍の物資が集まっているなら、それを運ぶ船が我等の水軍によって見つかっているはずではないか?」
「それが、彼らが言うには播磨の沿岸ではなく讃岐の沿岸付近を航行していたと言っておりました」
一豊の疑問に対して、知宣がそう答えた。
「ああ、讃岐は毛利の影響下にありますからな。毛利にとっては讃岐側を通るでしょう」
竹中重治の言う通り、この時期の讃岐は毛利の影響下にあった。とは言え、積極的に毛利側についたというわけではない。
讃岐は元々阿波三好家の支配下にあった地域であった。しかし、阿波三好家当主の三好長治が長宗我部元親との戦いで戦死。四国の三好派をまとめ上げたのが、長治の弟である十河存保であった。
長宗我部元親はこの頃織田信長の同盟相手であった。敵の敵は味方、ということで存保は元親に対抗するため、毛利(正確には小早川)の影響下に入っていた。
さて、そんな話がされている中、それまで考え込んでいた重秀が口を開く。
「毛利の目的はなんだろう?」
重秀の言葉を聞いた者達が考え込んだ。そしてすぐに一豊が声を上げる。
「当然、播磨への侵攻ではござらぬか?魚住城、林ノ城は一応城兵はおりますが、数は少のうございます。これらを襲い、我等の後方を遮断するのでは?」
一豊の意見に福島正則と加藤清正が青い顔になった。もしそうなったら、兵の数が少ない魚住城と林ノ城はすぐに陥落するからだ。しかし、知宣が反論する。
「それなら淡路に集結せずに英賀城に集結するだろう。あそこのほうが淡路南部よりも人も物も多い。物資管理なら英賀城でやった方が楽だろう。それに、殿(秀吉のこと)が率いる主力がいる加古川城からの進撃を恐れる小寺や櫛橋、神吉等の支援にも回れるからな」
知宣の意見に外峯四郎左衛門が頷いた。重秀が重治の方に視線を移す。
「半兵衛殿の意見は?」
「拙者の考えは、毛利は石山本願寺への補給では無いかと考えております」
重治の言葉に、皆が「あー」と一斉に声を上げた。重治が言葉を続ける。
「九鬼水軍が大安宅船を派遣したことで、石山御坊への補給はほぼ絶たれました。今や石山御坊は風前の灯。降伏まで後僅かというところまで追い詰めております。これを見捨てることは毛利・・・いや、むしろ公方様(足利義昭のこと)にとって痛手です。畿内の拠点を失うことになりますから。なので、公方様による突き上げがあったのではないでしょうか?」
七月に堺についた大安宅船八隻は、その巨体を活かして木津川河口を封鎖。大量の鉄砲と大筒で毛利の補給船団を追い払い、木津川への侵入を許していなかった。
「恐らく石山御坊を救うべく、一旦淡路に物資を溜め込み、村上水軍を始めとした毛利水軍で一気に難波沖を押し渡ろうとしているのではないのでしょうか?」
重治の言葉に皆が納得したかのように頷いた。そんな中、重秀は首を傾げながら重治に尋ねる。
「半兵衛殿の意見に反対するわけではないのですが・・・。毛利水軍が淡路に集結した後、木津川口まで行くならば、必ずは淡路の北か南の水道を通るはずです。南の水道は阿波との間隔が狭く、また潮の流れも早くて船の難所だ、と兵庫津の船乗りから聞いたことがあります。大船団となる毛利水軍は南ではなく北の水道を通ると思います。
・・・とすると、淡路の北の対岸に当たる播磨の沿岸を、現状のように最低限の防備だけで晒すのはいささか剣呑ではないかと存じますが」
重秀の指摘に、重治も頷いた。
「おっしゃるとおりです。さすがに城を落とすということは無いにしても、牽制のため、そして航路の安全を図るために播磨・・・特に我等の水軍を攻撃する可能性は高いかも知れませぬ」
重治の発言に対し、その場はざわついた。四郎左衛門が口を開く。
「個々の船ならば村上水軍だろうが乃美水軍だろうが負ける気はしない。ただ、数が足りぬな・・・」
「いくら村上や乃美が小早中心の水軍だからといって、百隻以上の大軍で来られたら、我等は一溜りもないっ・・・です」
四郎左衛門に続いて加藤茂勝がそう言うと、その場にいた者達は溜息をついた。
「・・・船は逃がそう。勝てない戦に無駄に投入しても犬死になるだけだ。それなら温存させたほうがよい。加古川ならば関船もある程度は遡上できるから、隠すことは可能だろう」
重秀の言葉に皆が頷いた。重秀が更に話を続ける。
「この事は父上にも伝えよう。もし毛利水軍の目的が石山御坊への補給ならば、父上から上様へ伝えてもらったほうが通りやすいからな。それに、魚住城や林ノ城への援軍を送ってもらえるやも知れない」
重秀の言葉に皆が同意するかのように頷いたのだった。
「・・・なるほど。ここに来て毛利水軍が本腰を入れてきましたか」
孝隆がそう唸ると、秀吉は渋い顔になりながら口を開く。
「んまぁ、あの公方のことじゃ。本願寺を助けるよう、毛利の尻を叩いたのじゃろう」
渋い顔をしながら戯けるように言う秀吉に、吉隆が「恐れながら・・・」と尋ねてきた。
「殿も、淡路に集められた物資は石山御坊への補給物資だと思われているのですか?」
「他に考えようがなかろう」
秀吉が肩をすくめながらそう言うと、更に吉隆に言う。
「毛利水軍が播磨の我が城を攻め取るなんてありえん。そんな事するくらいなら陸から大軍で押し潰した方が手っ取り早い。そもそも、そんな事するくらいならとっくの昔に大軍を播磨に入れて防備を固めておるわ。今の当主(毛利輝元のこと)の知略については知らぬが、両川(吉川元春と小早川隆景のこと)がそれに気が付かぬ訳がない」
「・・・では、播磨沿岸の諸城へは援軍を送らないと?」
吉隆の疑問に、秀吉は少し悩んだ。そして口を開く。
「・・・確かに、ちと不安と言えば不安じゃのう。よし、茂助(堀尾吉晴のこと)と平次郎(中村一氏のこと)の軍勢をそれぞれ魚住城と林ノ城へ送ろう。それで良いか?」
秀吉がそう言うと、吉隆が「有難き幸せ」と言って平伏した。それを見た秀吉が、今度は三成に視線を移す。
「佐吉。諸将を集めて参れ。軍議を開く」
三成が「はっ」と言うと立ち上がって部屋から出ていった。秀吉は更に孝隆に指示を出す。
「官兵衛、神吉城を落とすぞ」
「え?今からですか?というか、こんな時に神吉城を落とすのですか?」
驚く孝隆に対し、秀吉は「このような時だからよ」と獰猛な笑いを顔に浮かべた。
「毛利の目が石山御坊に行っているうちに、一つでも城を落とすんじゃ。そうすれば、播磨の国衆はもっと我等に靡くぞ」
秀吉の言葉に、孝隆は「なるほど」と頷いた。しかし、孝隆には一つの疑問が頭に浮かんだ。
「・・・若君は如何いたしますか?」
孝隆にそう聞かれた秀吉は即答する。
「あやつには毛利水軍の監視をしてもらう。恐らく狙いは石山御坊じゃろうが、万が一ということもありうる」
そう言うと秀吉は、視線を孝隆から吉隆に移した。
「紀之介。藤十郎に伝えてくれ。もう少し毛利水軍の動きを調べよ、とな」
秀吉の言葉に対し、吉隆は「はっ」と言って平伏したのだった。
数日後、秀吉率いる軍勢五千が加古川城を出陣。加古川を押し渡ると神吉城を攻撃した。
神吉城の城兵一千、それに総構内の住人が一緒になって防戦する一方、秀吉軍は総構を破壊することに全力を上げた。堀を埋め、土塁を破壊し、城門に鉄砲を打ち込んで破壊した。しかし、城側の防衛の激しさに恐れをなしたのか、日没直前に秀吉はまるで逃げるかのように兵を引き上げた。この時、陣所にしようとして拒否された生石神社を腹いせに燃やしている。
さて、敵が諦めたと考えた神吉城内では、勝利を祝う酒宴が行われていた。しかし、この酒宴で警備が手薄になった隙をついて羽柴方の忍びが入り込んだ。そして城主神吉頼定の叔父であり、すでに内応している神吉貞光と接触した。そして貞光に頼定を排除するよう、秀吉の命を伝えた。
すでに羽柴とやり合う気のない貞光は、秀吉の命を受けると、すぐに行動を起こした。本丸で酔い潰れている頼定を暗殺すると、その首を持って秀吉の元へと出奔してしまった。この時に貞光は全ての城門を開け放し、火を放っていた。
貞光の裏切りと城主がいなくなったことで混乱する神吉城。そこに逃げたと見せかけて実は密かに戻ってきた秀吉軍が神吉城に雪崩込んだ。さっきまで勝利の美酒を飲んでいた城兵と住民は尽く殺され、神吉城は陥落したのであった。
「・・・ま、この程度の謀略は羽柴でもお手の物よ。のう、和泉守」
燃え落ちる神吉城の天守を見ながら、秀吉は一人呟くのであった。
秀吉が神吉城に孝隆と別所重宗の軍勢一千に委ね、貞光を連れて加古川城に帰還した時、もうすぐ十一月という頃であった。そして加古川城には、阿閇城にいるはずの重秀が父の帰りを待っていた。
「おお!藤十郎!来ておったのか!?」
城門内で出迎えに来ていた重秀を見つけた秀吉は、馬を降りると嬉しそうに重秀に近づいた。そんな秀吉に重秀は一礼した。
「・・・急ぎの報せと、父上にお願いの儀がありました故、加古川城に馳せ参じました」
若干暗い表情の重秀がそう言った。
「なんじゃなんじゃ。そのような他人行儀して。何かあったのか?」
気軽に聞いた秀吉に対して、重秀は表情を変えずに衝撃的な言葉を発した。
「淡路に集結した毛利水軍、六百隻を超えました」