第134話 阿閇城の戦い(完結編)
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天正六年(1578年)十月になった直後のある日。加古川城の攻防戦は終わった。秀吉が指揮する羽柴勢五千は、毛利勢二万の攻撃をはねのけ、防衛に成功していた。
この結果、加古川城と阿閇城の防衛に成功した羽柴勢は、加古川の東岸を確保することに成功。更に加古川を使った三木城への補給ルートを抑えたことで、東播における三木城への補給ルートを全て抑えることに成功したのだった。
さて、阿閇城で毛利水軍や高砂城の監視警戒を行っていた重秀の元に秀吉がやってきたのは、加古川城の攻防戦が終わった直後のことであった。
事前に知らされていた重秀等が城門の外まで出迎えに出ていると、道の遠くの方から一騎の騎馬武者が猛スピードでこちらに向かってきた。重秀達がそれが秀吉であると分かった時には、馬の速度を落としながらも止まらずに馬から飛び降りた。ひらりと軽快な動きで地面に降り立った秀吉は、顔をクシャクシャにしながら重秀に向かって走ってきた。
重秀が「猿っぽい動きだなぁ・・・」と父親に対して失礼なことを心の中で呟きつつ、礼をして秀吉を迎えた。
「父上、この度は阿閇城へようこそ・・・っ!?」
秀吉に挨拶を述べようとしていた重秀に、秀吉は泣き喚きながら抱きついた。
「藤十郎!このど阿呆!どうして逃げなかった!お主が阿閇城で敵を迎え撃つと聞いた時は生きた心地がしなかったぞっ!」
そう叫ぶと、秀吉は重秀から離れると、ベタベタと身体中を触り始めた。
「怪我はしとらんか?どこか痛いところはないか?疲れていないか?」
「見ての通り、特に怪我はしておりませんし、疲れてもおりませぬ」
呆れたような声を出す重秀に対して、秀吉は何故か怒り出した。
「阿呆!儂が、親が泣くほど心配しておるのに、何をそんなに呑気な面をしとるんじゃ!儂がどんだけ心配したかっ!・・・お主が討ち死にしたとなれば、儂は死んだねねになんて詫びればよいか・・・っ」
そう言ってオイオイと泣き出す秀吉。そんな秀吉を見て、内心嬉しいやら恥ずかしいやららで複雑な表情を見せた重秀。そんな二人を見て、竹中重治が声をかけてくる。
「まあまあ二人共。ここではなんですから、城に入りましょう。ほら、もうすぐ殿の馬廻衆も到着するようですし」
重治の言う通り、秀吉に引き離されていた馬廻衆の集団が城に近づいてくるのが見えた。しかし、秀吉はお構いなしに重治の右手を両手で掴むと、ぶんぶん振りながら声を上げる。
「おお、半兵衛!よくぞ、よくぞ藤十郎を守ってくれた!この筑前、この恩は一生忘れぬぞ!」
泣きつつも笑う秀吉に、重治は「分かりましたから、城に入りましょう」と言って、秀吉を城に誘うのであった。
阿閇城本丸御殿の広間では、上座に秀吉が座り、下座に重秀以下阿閇城で戦った将達―――竹中重治、尾藤知宣、外峯四郎左衛門、福島正則、加藤清正、加藤茂勝、大谷吉隆が座って畏まっていた。ちなみに浅野長吉と山内一豊は、兵を率いてそれぞれ野口城と尾上城へ帰還していた。
さて、重秀の口上で阿閇城の戦いの詳しい話を聞いた秀吉は、上機嫌に声を上げる。
「うむ、わずか一千でこの小城を八千の毛利勢から守りきったこと、この羽柴の誉れであるぞ!藤十郎よ、よくぞ守りきった!褒めて遣わす!しかも自ら鉄砲を持って兵と共に戦い、しかも追撃に参加して兵を鼓舞したること、将として見事なり!」
秀吉からのお褒めの言葉に、重秀は深々と平伏する。
「有難き幸せ。しかしながら、此度毛利の大軍を退かせたのは皆の働きあってからのこと。何卒、上様にこのことを報せることをお願いしたく存じまする」
重秀の言葉に、秀吉が「うんうん」と言って頷いた。
「無論じゃ。加古川城の事と合わせて上様と殿様に報せようぞ」
秀吉がそう言うと、重秀達は改めて「有難き幸せ」と言って平伏したのだった。
「ところで父上。加古川城の戦はどうなっていたのですか?結構な大軍が攻め寄せたと聞きましたが」
重秀の質問に、秀吉は加古川城の攻防戦について話し始めた。
加古川城の戦いは、毛利勢二万による加古川城攻めから始まった。そのうち、主な軍勢は神吉城の神吉勢、井ノ口城の依籐勢、志方城の櫛橋勢、御着城の小寺勢、そして三木城の別所勢が占めていた。当然、毛利の援軍も加わっていた他、播磨随一の一向門徒を抱える英賀御堂から一向門徒の援軍も加わっていた。
しかし、いざ戦いが始まってみると、積極的に攻めてきたのは別所勢と依籐勢、神吉勢と英賀の一向門徒ぐらいなもので、残りは消極的に攻めてくるだけであった。
「そのおかげで、我等も守りやすかったというのもあるな。とはいえ、数の多さでは向こうが有利。長くやられるとこちらの士気が下がる。士気を高めるのに苦労したわ」
秀吉がそう言うと、今度は味方の状況を語り出した。
秀吉本隊や糟屋勢はもちろんのこと、援軍としてやってきた尼子勢、蒲生勢、分部勢、堀勢は皆一丸となって加古川城を防衛していた。特に山中幸盛は、尼子勢の中から精鋭を募ると夜に城外に出て夜襲を仕掛けるなど、大活躍したようであった。
結果、城内の士気が低下することは避けられた。
「ただ、阿閇城に毛利の軍勢が来たという報せにはさすがに動揺したんじゃがな」
秀吉の話によれば、三百の兵しかいない阿閇城に毛利勢五千が攻めてきた、という重秀の報告で、秀吉と諸将達は自分たちの置かれた状況が一気に不利になったことを理解したと言う。
また、重秀が阿閇城に残って防衛することの報せを受けた秀吉は狂乱と化したらしい。自らの馬廻衆を引き連れて阿閇城へ行くと言って聞かなかったらしい。
その後、竹中重治が阿閇城へ向かったとの報せを野口城から届いた時には、黒田孝隆が「半兵衛殿ならきっと若君と阿閇城をお救いいたしましょう!」と言って秀吉を宥めた。秀吉も重治には信頼を置いていたので、少しは落ち着きを取り戻したようだったが、阿閇城から毛利勢が引いたという報せが入るまでは気が気でなかったそうだ。
「まあ、皆も皆阿閇城陥落と藤十郎討ち死には覚悟しておったようじゃがの」
後日、重秀が蒲生賦秀から聞いた話では、
「分部殿が思わず『大姫様(縁のこと)はこれで未亡人か』と呟いた時、久太殿(堀秀政のこと)が大変激怒されていた。今まであの人が激怒したのを見たことなかったから、心底驚いたぞ」
ということだったらしい。また秀政からも後日聞いた話では、
「いやいや、さすがに筑前殿の前での与三左衛門殿(分部光嘉のこと)のあの物言いはひどかったからね。それに長い付き合いの藤十郎がそう簡単に討ち死にするとは、私も信じたくなかったからつい大声を上げてしまったんだ。とはいえ、阿閇城陥落は忠三(蒲生賦秀のこと)共々覚悟はしていたんだけどね」
と言っていた。
そして、阿閇城防衛成功と重秀が無事だという報せが加古川城に届いた時、秀吉達は最初は信じられなかったらしい。石田三成を阿閇城に物見に行かせようとした時、尾上城の前野長康からの使者が「毛利勢が阿閇城から撤退した」との報せが入ったのと、重治からの続報が入ったことから、ようやく信じたようである。そして加古川城の秀吉本陣は歓喜の叫び声に包まれたのだった。
「それから二日後に加古川城を攻撃していた敵も撤退を始め、ようやく加古川城の方も終わったということじゃ」
秀吉が心底安心したような表情を見せながらそう言って締めくくった。
「・・・父上の心労、お察しいたしまする」
「まったくじゃ。まあ、生きていてくれて本当に良かった」
そうホッとする秀吉の顔は、まさに子を大切に想う親の顔であった。
秀吉と重秀等の会談も終わり、秀吉が石田三成と共に書院にて休んでいたところ、重秀と重治がやってきた。
「おう、藤十郎に半兵衛か。如何した?」
「殿。今後のことについてお話が」
重治がそう答えると、秀吉は急に真面目くさった顔つきになった。
「・・・佐吉。人払いじゃ。それと、終わるまで誰も入れるなよ・・・。ああ、急ぎの用件ならば入れても良いからな」
秀吉がそう言うと、三成は「承知致しました」と言って出ていった。秀吉、重秀、重治の三人だけになった書院で、まずは重治が口を開いた。
「殿が阿閇城に来られたのは、若君のご無事を自身の目で見たかっただけではございますまい?」
重治の言葉に、秀吉は苦笑しながら「藤十郎に会いたかったのは誠じゃぞ」と言った。しかし、再び真面目な顔つきになると、溜息をつきながら話し始める。
「ま、確かに半兵衛の意見も聞きたいと思っていたところよ。加古川城と阿閇城は守りきった。その結果、儂等は播磨から叩き出されることはなくなった。が、これ以上進むにも兵が足りん。正直、御着城まで持たぬやもしれん」
「しかし父上。殿様(織田信忠のこと)の援軍を得られるとおっしゃっていませんでしたか?」
重秀がそう口を挟むと、秀吉は首を横に振った。
「あれは毛利の大軍が来た場合の話じゃ。此度の毛利の援軍では殿様の援軍を得るにはちと推しが足りん。せめて、両川(吉川元春と小早川隆景のこと)のどちらかが来てくれれば、殿様のご出馬を仰げたんじゃがのう・・・」
「官兵衛殿(黒田孝隆のこと)は何か仰っておられましたか?」
重治の質問に、秀吉が答える。
「此度の勝ち戦で播磨の国衆達にどのような影響が出るか、それを探らせて欲しいと言ってきた。官兵衛の予想では、織田に靡く国衆やその家臣が結構出るやも知れぬと言っておった。とりあえず、志方城の櫛橋家を調略したいらしい。あそこは官兵衛の妻の実家だからな」
秀吉の話を聞いた重治は、少し考えた後に声を落として話し始めた。
「殿。拙者は今こそ備前の宇喜多の調略を優先すべきと考えまする」
「何?宇喜多を?」
秀吉が驚いたような声を上げた。重治が重秀をちらりと見ながら秀吉に話す。
「若君の前でこのようなことを申し上げるのは心苦しいのですが・・・。阿閇城は勝ちを譲られたのではないかと存じまする」
「はあぁ!?それはどういうことでございますか!?」
重秀が思わず声を上げた。重治が詳しく説明をし始める。
「虜囚の中に宇喜多の物頭がいました。彼の話によれば、宇喜多勢を率いていたのは宇喜多和泉守(宇喜多直家のこと)。そして和泉守は四千以上の兵を連れてきたそうです。しかし、宇喜多勢のほとんどは船に残っていたそうです」
「は、半分も温存していたのですか!?ならば何故宇喜多は全軍で攻めてこなかったのですか!?」
信じられない、というような顔で大声を上げる重秀に、秀吉が宥める。
「落ち着け、藤十郎。・・・半兵衛、続けてくれ」
「しからば。それだけの兵力を持ちながら、宇喜多は動かなかったのです。それがしが思いまするに、宇喜多は我等と戦いたくなかったのではないでしょうか?」
重治の言葉に秀吉は「ふむ・・・」と言って考え始めた。そして重治に尋ねる。
「・・・作戦の失敗を悟った、とは考えなかったか?阿閇城の抵抗を見た和泉守が、阿閇城を落としても野口城や尾上城を落とせない以上、これ以上の攻めは無駄だと思って兵を引き上げたと思わなんだか?」
「四千も兵がいればその二つの城も十分落とせます。それに、高砂城にて毛利の援軍を要請することも可能です。しかし、我が方の水軍による物見によれば、少なくとも御着城あたりの海には宇喜多の船は見つからなかったと」
「とすると、宇喜多は備前まで引いたと見てよろしいのでしょうか?」
重秀がそう尋ねると、重治は頷いた。
「確証は持てませぬが、その可能性は高いかと」
重治の答えに対し、秀吉が疑問を呈する。
「何故そう思う?英賀城は毛利や一向門徒の巣窟。そこで待機しているとは思わないのか?」
播磨英賀城は海に面する城であり、かつ夢前川と水尾川に囲まれた城である。水軍が集結するには持って来いの城であると同時に、毛利にとって西播における重要な補給拠点であった。
「四千の兵を播磨に置いておくほど宇喜多に余裕はございませぬ。そんな兵があるなら、むしろ備前で蠢動している遠江守様(浦上宗景のこと)の抑えに使いますよ」
立て板に水のように話す重治に、秀吉は「ふむ」と頷いた。
「つまり、半兵衛はこう言いたいのだな?宇喜多は阿閇城を落とすことはできたが、それをしなかった。しかも、阿閇城を落とした後の展開を考えてやむを得ず兵を引いたのではなく、わざと兵を引いたと」
秀吉の言葉に重治が「はい」と答えた。
「そんな・・・。それでは、我々の勝ち戦は和泉守によって作られていたということですか・・・?皆が、あれだけ決死の思いで戦ってきたというのに・・・」
重治の話にショックを受けた重秀が顔を青ざめながらそう言うと、秀吉が慰める。
「そう思うな、藤十郎。囲碁や将棋でわざと敵に石や駒を取らせてこちらが有利になる展開は、よくある話じゃろう。相手に勝ちを譲ることで、己の利益をより膨らませようとするのは戦でもよくある話じゃ」
「・・・宇喜多の利益とは何でしょうか?」
重秀がボソリと呟くと、重治が「当然、宇喜多家の存続です」と断言した。
「宇喜多和泉守は没落していた宇喜多家を復活、それどころか大大名まで押し上げました。当然、その存続を願うはずです」
「確か、宇喜多に仇なす家は謀略をもって滅ぼしていたな」
「ええ、この阿閇城での戦でもやってますよ」
秀吉の言葉にしれっと答えた重治に、秀吉と重秀は「はぁ?」と尋ねた。
「・・・伊右衛門殿(山内一豊のこと)や虎之助殿(加藤清正のこと)が討ち取った宇喜多の将ですが、調べたら浦上の旧臣、しかも遠江守様の追放後に宇喜多に降った者だそうです。恐らく、遠江守様と裏で繋がっていたのではないですか?」
「ああ、遠江守が蠢動しているから、獅子身中の虫を退治したのか。己の手を汚さずに」
秀吉は知らなかったが、直家が阿閇城の戦いに投入した獅子身中の虫は三人。そのうち二人は阿閇城の戦いで戦死しているが、もう一人については記録が残っていない。伝承では阿閇城の戦いが終り、備前へ撤退している途中で病死したとも船から転落したとも言われている。
さて、重治の話を聞いていた重秀は、その場で頭を抱えながら蹲っていた。秀吉と重治が気が付いて声をかけようとしたが、二人は思わずぎょっとしてしまった。なんと重秀が泣いていたのだ。
「ど、どうした!藤十郎。どっか痛いのか?どこか怪我したところでもあったか!?」
そう言って慌てる秀吉に対し、重秀は首を横に振ると、嗚咽を交えながら話し始める。
「いえ、そういうわけではございませぬ・・・。父上、それがしはさっきまで兵一千で毛利の軍勢八千を退けたと思い、大功を挙げたと思っておりました。しかし、その大功も全ては敵将、宇喜多和泉守の思惑通りだったと聞き、それを見抜けぬ自分の愚かさを恥じている次第にございます・・・。それがしは、口惜しゅうございます!」
「それは違いますぞ、若君」
重治が情けなさと悔しさで泣いている重秀に対して声をかけた。秀吉が何も言わずにじっとしている中、重治が重秀を諭すように語りかける。
「若君はまだまだお若い。学問に打ち込まれているとは言え、まだ知らないことは多くあります。しかし、それは経験が不足しているからです。宇喜多和泉守は若君よりも長く生きた武将。しかも、没落し放浪を経験した身。その凄惨さは若君には想像にもつかないものでしょう。それ故、彼は生き延びるためにあらゆる事を行い、糧としてきたのです」
重治がそう言うと、横から秀吉が口を挟む。
「・・・まあ、あの和泉守は乱世が生み出した化け物よ。底辺を彷徨い、己の才を信じ、他人を蹴落とすことで没落した宇喜多を一代で復活させた。いや、それ以上に大大名にしたのじゃ。さすがに儂の息子とは言え、そう勝てる相手ではないわ」
「・・・若君。若君はこれからも挫折することはございましょう。しかし、その挫折とどう向き合うかが、今後若君が名将に成るか愚将に成るかの分岐点と心得られよ。ここで挫折としっかりと向き合い、内省し、自らの糧とすることで、若君は素晴らしい将となり得ましょう。この半兵衛、しっかりと支えまする故、何卒お嘆きなされますな」
重治の言葉を聞いた重秀は、涙を腕で拭うと「はい。より一層励みまする」と言って重治の手を取りながら頭を下げた。
そんな様子を見ていた秀吉が笑いながら重秀に言う。
「まあ、心配するな!この乱世、多くの者がのし上がってきた。中には和泉守以上の化け物もおった。毛利の先々代(毛利元就のこと)やその先々代を苦しめた謀聖(尼子経久のこと)とかじゃな。しかし、そいつらはとっくに死んどる!それに、のし上がってきたという点では、この羽柴筑前守、人後に落ちるとは思っておらん!そんな儂の息子が藤十郎、お主よ!もっと自信を持たんかい!」
そう言って重秀の肩をバシバシ叩く秀吉に、重治が笑いかける。
「ああ、そう言った意味では殿も化け物でしたな」
「実際はただの猿じゃがな」
重治と秀吉はそう言い合うと、思いっきり笑い合った。そんな二人を見た重秀は、つられて笑い出したのであった。