第133話 阿閇城の戦い(後編)
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竹中重治は物見櫓から敵が敗走しているのを見ると、下の兵に太鼓を鳴らすように伝えた。命を受けた兵達が複数の太鼓を鳴らした。
「よし、行くぞ!」
太鼓の音を聞いた馬上の山内一豊が、愛用の槍を握りしめながら側にいた馬上の五藤為浄と祖父江勘左衛門にそう言うと、二人だけではなく周囲の山内勢の兵達からも「応っ!」と言う声が上がった。そして一豊達は城門の前に移動していった。
その一豊の後ろからは、福島正則、加藤清正と彼等が指揮する兵、そして浅野長吉が率いる浅野勢の二百がついてきていた。
「おい、市兵衛に虎之助。あまり油断するなよ?敗走している敵しか目に入らず、伏兵や逆襲してきた兵に討たれた者は多いんだからな」
馬上の長吉がそう言うと、同じく馬上の正則と清正は「分かってますよ」と長吉に言った。長吉が「そうか」と笑いながら言うと、正則が声を上げる。
「弥兵衛殿、久々の戦だからといってあまり気張らないでくださいよ!力みすぎて落馬なんてしたら、世の笑いものだぜ!」
正則の言葉に、清正だけではなく周りの兵達からも笑いが起きた。長吉も笑いながら「うるせーぞ!」と声を上げた。
直後、前方の山内勢から地面をも揺るがすほどの雄叫びが聞こえてきた。いよいよ城門が開き、追撃戦が始まるのであった。
「山内伊右衛門っ、一番槍!」
そう言いながら一豊は馬上から槍を繰り出して、兜を被った武士に突き刺した。しかし、一豊の心は今までの怒りが無くなり、かえって虚しさが広がっていた。
敵が敗走した時の追撃部隊として、また城の防衛が危うくなった時の予備部隊として温存されていた山内勢二百は、浅野勢二百と共に阿閇城の北側に配置されていた。そして自分の兵に、城の南側の攻防戦をつぶさに報告させていた。兵から伝えられる報告を聞いた一豊は、敵勢のあまりにも馬鹿にしたような動きに激怒していた。必ずこの怒りを敵にぶつけようと、闘志を高めていた。
しかし、城門のある東側に移動し、そこから城外に出た一豊の目に飛び込んだのは、敵勢が無様にも逃げ出している光景であった。そんな逃げ出した敵の武士に、一豊は背中から槍を突き刺したのであった。
「・・・お、お見事!」
為浄が戸惑いながらもそう叫んだ。一豊の放浪時代からの長い付き合いである為浄は、一豊の気持ちがよく分かっていた。逃げる兵の背中を討っても褒められるようなものではないと。しかし、兵を鼓舞しなければならないのだ。為浄は大声を上げる。
「殿が一番槍を立てられた!敵は総崩れぞ!皆も続け!」
為浄の声に発奮した山内勢の兵達が、我先に敵兵に槍を突き立てていく。そんな中、甚左衛門が声を上げる。
「殿!右手に宇喜多の手勢!まだ無傷のようですぞ!」
一豊が甚左衛門が言った方向に目を向けると、確かに敗走する集団の中に宇喜多の旗印をもった一団が固まっていた。城に向かって前進しているようだが、逆流する人の流れで思うように前に進めていないようであった。それが一豊にとって絶好の機会だと思った。
「全軍、右手の宇喜多勢に突っ込むぞ!」
一豊の言葉に、山内勢の全員の速度が上がった。
「・・・なんだって?」
阿閇城の南側の海岸に近い沖に停泊している宇喜多の関船。その船上で富川正利(のちの戸川秀安)は報せに来た兵に思わず聞き返した。
「で、ですから、お味方総崩れ!我が宇喜多勢は無論、毛利勢、梶原勢、雑賀衆尽く敗走し、我が方の船に戻ってきております!さらに、敵の兵五百程が追撃に移った模様!」
「五百!?敵数は百前後と聞いていたぞ!?」
驚く正利に、床几に座っていた直家が話しかける。
「我等の船団が阿閇城沖についた時、敵の船団が鼻先をかすめて逃げていただろう?その時に兵を降ろしたのだろう。それに、近くには敵が築いた尾上の城もある。そこから援軍を得たのであろう」
「そ、それにしたって我が方は八千の兵がいるのですぞ。なのに総崩れとはおかしいではございませぬか?」
「八千のうち、我が宇喜多の四千のほとんどは船に残っているからなぁ。攻め込んでいるのは約半数。しかも物見の報せでは、我が方は近場である東の城門に陣形も組まずに殺到したらしいではないか。恐らく城の抵抗を考えずに歩いていったのであろう。そんな相手であれば、どんなに小さき城の少ない守り手であっても、上手くやれば敗走させるぐらいはできるだろう」
正利は直家の言葉に、納得するかのように頷いた。
「して殿。次は我等が上陸して城を落としまするか?」
そう尋ねてきた正利に対し、直家は呆れたような声を上げる。
「はぁ?何言ってるんだ。我等にそこまでする義理はない。そもそも、此度の戦は播磨の小寺と別所がどうにかすべき戦で、我等が首を突っ込むべき戦ではない」
「し、しかし殿。これは毛利家からの命令で・・・」
「その毛利は誰を派遣してきた?両川(吉川元春と小早川隆景のこと)どころか、一門衆や庶家衆もいないのだぞ。まあ、いなくてもいいが、乃美や村上といった水軍衆すら寄越していない。来たのはよく分からん国衆ばかりではないか」
「それは、我等宇喜多を信用して・・・」
正利は本気でそう思っていない口調で言うと、直家は正利に顔を近づけて言う。
「本気でそう思っているのか?平助よ、お主にも分かっているのだろう?毛利は宇喜多を壁にしか考えていないと」
直家にそう言われた正利は黙り込んでしまった。直家は鼻で溜息をつくと、話を続ける。
「こんな阿閇城などという小城に儂自ら兵を率いてきたのは、備前で蠢動する与次郎殿(浦上宗景のこと)や浦上の旧臣の殲滅に毛利の力が必要だからだ。しかし、毛利はこちらに出兵を命じてきているのに、こちらの出兵要請にはまともに扱ったことがない。そんな相手に真面目に付き合っていたら、命がいくつあっても足りぬわ」
そう言った直家であったが、何かを思い出したかのような顔つきになると、正利に尋ねた。
「そう言えば、あいつ等どうした?ほら、裏で与次郎殿と繋がってた三人。確か、昨日のうちに上陸させてたよな?」
「その内の一人でしたら、すでに山内伊右衛門なる羽柴家中の者に討たれたと聞いております。残りの二人はまだ討たれたとの報は来ておりませぬ」
正利の返事を聞いた直家が、眉を八の字にして目だけを上に向けた。その表情は、長年の付き合いである主君が謀略を考えている表情だということを正利は知っていた。
「・・・平助、その二人には殿軍を命じろ。逃げるお味方を支え、羽柴の追撃を食い止めよとな」
視線を上に向けたままそう言う直家に、正利は「承知」と言って頭を下げたのであった。
直家の命令は即座に上陸していた宇喜多勢に伝えられた。殿軍を伝えられた宇喜多の将は反発したものの、かといって他に秩序を保っている部隊がいないことが分かると、渋々承知した。
そして、彼らが態勢を整えると同時に、それぞれに山内勢と浅野勢が襲いかかってきた。
「何だこいつ等、陣形を組んでいる割に手応えがないな!」
馬上で正則がそう叫びながら槍を振るっていると、近くで同じように槍を振るっている清正が大声で返す。
「手応えがないのは好機!兜首落として散々馬鹿にしてきた報いを受けさせてやるっ!」
そう叫んだ清正の目に、一際立派な甲冑を身に着けた騎馬武将が現れた。如何にも敵将っぽい出で立ちであった。清正は大声で名乗る。
「羽柴筑前が息、藤十郎君が義弟、加藤虎之助なり!敵将とお見受けした!尋常に勝負!」
清正の名乗りに対し、その騎馬武将は「百姓の下の似非侍に、名乗る名はないわ!」と言って逃げ出した。
「あ、待て、この野郎!」
そう言って追いかけようとするが、その騎馬武者の周りにいた馬廻らしき騎馬武者達が壁となって塞がった。
「どけっ!」
清正がそう言いながら馬廻達と槍を戦わせるが、中々抜けない。それどころか数に押されて劣勢となった。清正が「拙いな」と思わず口にした瞬間、馬廻の集団の横合いから正則が槍を振るって突っ込んできた。と同時に、味方の槍兵が清正を囲むと同時に、馬廻達に一斉に槍を突き出してきた。何人かの武者が落馬する。
「虎!ここは俺に任せてあの敵将を討ち取ってこい!」
「次兄!恩に着るぜ!」
そう言って馬を走らせる清正に、正則が「都合の良い時だけ次兄呼びするな!」と怒鳴った。
清正が敵将に追いつくと、「待て!武士らしく一騎打ちしろ!」と叫んだ。敵将は馬を返すと、刀を抜いて雄叫びを上げながら清正に向かってきた。
しかし、刀と槍の戦いである。清正は槍のリーチ差で敵将の刀を捌くと、その槍を敵将の右肩にぶっ刺した。敵将は清正の槍で貫かれ、そして落馬した。
清正は馬を降りて刀を抜いて落馬した敵将に近づいた。敵将はぐったりとしており、動こうともしなかった。清正が敵将を仰向けにして話しかける。
「戦ゆえ首を取らせてもらう。恨んでも構わないぞ」
すると敵将は清正が予想もしていないことを言った。
「ああ、恨んでやる。だがお主ではない。恨むのは和泉守よ!」
そう言うと、敵将は続けて「さあ、首を取って手柄とせよ!」と叫んだ。清正は黙って刀を敵将の首に突き刺した。
宇喜多の関船。今まで甲板で戦の推移を見ていた直家は、今は船内に引き籠もっていた。そんな直家に正利が近づいてきた。
「申し上げます。我が方の殿軍、全滅いたしました」
当時の全滅は、文字通り全ての兵がいなくなったことを指す。現代の軍事用語のように消耗率50%の事を言うわけではない。もっとも、戦死者100%という意味でもない。逃亡していなくなった者もいるからだ。
「あいつ等死んだか?」
直家の質問に、正利は「いいえ、一人生き残りました」と答えた。直家は眉を八の字にして目だけで上を向いた。
「・・・まあ、そいつは後でどうにかしよう。で?味方はどうなった?」
直家が視線を正利に戻しながら尋ねると、正利は淀みなく答える。
「ほとんど船に乗って海上に逃れております。しかしながら、鉄砲隊や弓隊も追撃に加わったようで、波打ち際より射掛けてきております。敵の士気の高さと勢いから、総大将が出てきたものと思われます」
「ほう、羽柴の坊っちゃんが満を持して出陣してきたか。では撤退しよう」
「・・・撤退、ですか?」
首を傾げながら言う正利に、直家が語りかける。
「さんざん打ちのめされたのだ。士気は限界まで落ちているだろう。そんな軍勢では勝ち目はない。また、前にも言ったがこの戦で宇喜多の兵を損なう気はさらさら無い。さっさと帰ろう」
「では、撤退先は高砂城ではなく・・・?」
「備前だ。まあ、梶原勢と雑賀衆はそれぞれ元いた場所へ撤退するだろうが、我等は備前へ撤退する。毛利は知らん」
「よろしいのですか?毛利から何か言われませぬか?」
「言い訳は考えてある。『阿閇城に一万以上の兵がいた』とか『摂津から織田の援軍が来ていた』とか。それに、儂はこれから病に倒れる」
元気そうな声でそう言う直家に、もはや何を考えているのか理解している正利は分かったような口調で答える。
「ああ、では石山城にて療養しなければなりませぬな」
「そういう事。撤退はお主に任せるから、後はよろしくな」
直家がそう言うと、正利は「承知いたしました」と言って頭を下げたのだった。
その後、宇喜多勢を乗せた船が阿閇城の沖から離れていた。負傷した梶原景秀を回収した梶原水軍も高砂城へ向けて船を進め、雑賀衆の船もいつの間にか消えていた。残された毛利の船団も、戸惑いつつも宇喜多の船団を追うように西へと向かっていった。
その様子を浜から見ていた羽柴の兵達は、一斉に歓喜の声を上げた。鉄砲隊や弓隊などの兵を率いてきた重秀や護衛の加藤茂勝や大谷吉隆、そして正則や清正、一豊や長吉も一緒になって喜びを爆発させていた。
船団撤退の報は阿閇城にも伝わった。しかし、物見櫓からその様子を見ていた兵達によって、すでに知れ渡っていた。城内で鉄砲の指揮を取っていた外峯四郎左衛門や尾藤知宣も喜びを爆発させた。当然、策を立てた竹中重治も城内で喜んでいたが、むしろ撃退できたことに安堵していたのだった。
次の日。阿閇城の本丸御殿の広間にて軍議が開かれていた。前日の夜、敵が引いたと見せかけて再び攻めてくるのでは?と思った重秀は、勝利の酒宴を行わずに引き続き警戒に当たらせていた。もっとも、夜に冷えた身体を温めるという名目で、少しだけ飲酒を許してはいたが。
しかし重秀の予想に反し、夜に毛利勢が引き返すこともなく朝を迎えたため、重秀は昨日の戦果のまとめの報告を受けると共に、今後の対応を協議することとなった。
「昨日の戦で我が方の戦死者は六十三名、負傷者はその倍ですが、負傷者のほとんどは軽症であり、二、三日中には復帰してくるでしょう。一方、敵の損失ですが、戦死者二千人から三千人になると思われます。敵の虜囚から聞いた話では、敵の兵数は八千だったので、およそ三割から四割の兵を討ち取ったことになります」
知宣の報告を聞いた者達から驚きと歓喜の声が上がった。知宣の報告はまだ続く。
「討ち取った物頭の首は二十七、侍頭の首は二。ただし、鉄砲や矢で死んで誰に討ち取られたかは不明な物頭や侍頭はその倍はおります。虜囚は二十名ほど」
「・・・虜囚の数はそれだけか?」
重秀が聞くと、知宣は一瞬躊躇したものの重秀に答える。
「若君。二十名は人質としての価値のある者でかつ、怪我をしていない者だけにございます。それ以上収容できるほどこの城は広くありませぬ。あとはご察しあれ」
そう聞いた重秀は「ああ。そういうことか」と言って黙ってしまった。恐らく二十人以外の虜囚は重秀の知らないところで命を取られたのであろう。
長吉が話題を変えるべく口を開く。
「しかし、これだけの勝利を上げたのだ。我等の名は史に残るであろうな」
そう言うとその場にいた者全てが喜んだ顔になった。後世にまで名が残るのであれば、これほどまでの誉れはないからだ。
「うん。この事は父上に上様への言上をお願いしておこう。きっと上様もお喜びになられるであろう」
重秀がそう言うと、皆が「おおっ」と感嘆の声を上げた。防衛戦だったとは言え、少しは恩賞が出るだろうと期待したのだった。
「して、今後は如何する?」
一豊の言葉に、重秀が答える。
「当分は城の守りを固める。また、水軍・・・特に小早隊を阿閇城に戻す。小早隊には西に展開して再び毛利水軍の監視に入ってもらう。すでに軍議前に魚住泊に伝令を放っている」
「関船隊は如何いたしますか?」
「魚住泊と阿閇城の間の海を守ってもらう。ついでに、物資運送もやってもらおうと思っている」
四郎左衛門の質問にも澱みなく答えた重秀。その後も城の修復について話し合われた。
そんなこんなで軍議が終わり、皆が与えられた役目を行おうと立ち上がったときであった。清正が何かを思い出したかのように声を上げた。
「あ、そうだ。半兵衛様にお尋ねしたき儀がございました」
「なんでしょうか?」
一旦立ち上がった重治が座り直した。それを見た皆も座り直した。清正が口を開く。
「実は、敵将を討った時に気になることを申しまして」
「気になること?なんだそれ」
隣りに座っていた正則の発言を受けて、清正が話し始める。
「その敵将は、『和泉守を恨む』と言い残しておりました。和泉守というのが誰か気になってまして」
「ふむ、思いつくのは宇喜多和泉守ですな。宇喜多家の当主です」
重治がそう答えると、重秀が声を上げる。
「待った。虎が討ったのは宇喜多の将だったよな?何故主君を恨むんだ?」
重秀の疑問に、皆が首を傾げた。そんな中、渋い顔をして考え込んでいた重治が知宣に声をかける。
「・・・甚右衛門殿。虜囚の中に宇喜多の者はおりますか?」
「数は少ないですがおります。その者達に首実検で証言してもらいました故」
「その者達と話をしたいのですが」
重治の言葉に、重秀が慌てた。
「お待ち下さい。いくら虜囚とは言え、敵方への尋問を半兵衛殿にやらせては危のうございます」
そう言う重秀に対し、重治は少しムッとした表情となって重秀に返す。
「お言葉でございますが若君。拙者も武士なれば、その程度の危険を恐れることはありませぬ。いくら若君が拙者を案じているとは言え、あまり舐めないで頂きたい」
そう言われた重秀は「う、うん」と頷いた。しかし心配なものは心配である。
「分かりました。虜囚への尋問をお願い致します。虎、護衛を頼む」
重秀が清正に護衛を頼むと、重治は「過保護ですなぁ」と笑ったのであった。
阿閇城の戦い。豊臣秀重の人生を語る上で、この戦を語らないということは決して無い。
一千の兵で八千の敵に勝利したこの戦いは、世間に与えた衝撃は大きく、信長の一代記でも大々的に取り上げられている。また、興福寺の日記や徳川家臣による日記にも書かれていることから、少なくとも秀重の戦果は畿内や東海地方といった信長の影響力が強い地域には伝わっていたようである。
後世に書かれた秀吉の軍記物では、秀重が自ら籠城の策を練り、追撃部隊を指揮し、先頭に立って戦う姿が描かれている。結果、豊臣秀重は知勇兼ね備えた若武者として庶民に知られることとなった。ちなみに、この時竹中半兵衛は病に倒れて阿閇城にいないことになっていた。
一方で、秀重自身が書いた『長浜日記』では、阿閇城の戦いの記載は少ない。『兵一千で敵八千を迎え撃ち、敵は一日で退いた』としか書いていない。また、伝承では秀重はあまりこの戦いのことを口にしなかったとも言われている。