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第132話 阿閇城の戦い(中編)

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 宇喜多直家率いる宇喜多勢と高砂城城主の梶原景秀が率いる梶原勢、それに毛利の援軍と石山本願寺の援軍である雑賀衆を乗せた大船団(以下毛利の大船団)が阿閇あえ城沖に現れた時、その阿閇城内では重秀が大谷吉隆と竹中重治と話をしていた。


「半兵衛殿。どうしてここへ?父上と加古川城に行っているものとばかり思っていましたが」


 重秀の質問に重治は咳をしながら答える。


「実は殿が加古川城へ向かう当日、風邪を引きましてなぁ。身体がだるくて寝込んでしまい、殿に野口城に置いていかれました。いや、全くもってお恥ずかしい」


 そう言うと、再び咳をする重治。そんな重治に重秀がいたわるように声をかける。


「そのようなお身体で野口城から来られたのですか?ここはもうすぐ死地になりますのに・・・」


「若君のことですから、この阿閇城を死守しようとしていたのでしょう?羽柴の嫡子をこんなところで失うわけには参りませぬ」


 重治がそう言うと、重秀は渋い顔をした。そして、傍にいた知宣が喜びの顔で重治に言う。


「おお!さすがは半兵衛殿じゃ。半兵衛殿、若君にこの城から逃げるよう、説得して・・・」


 しかし、重治は右手を上げて知宣の発言を遮ると、重秀に質問をした。


「若君、この城の備えはどうなっておりますか?」


 重治の質問に対し、重秀は詳しく説明をし始めた。


 田村保次郎率いる小早二番隊は毛利の大船団にヒット・エンド・ランの足止めを行った。そのため、重秀達は貴重な時間を稼ぐことができた。そしてその時間を重秀達は無駄にはしなかった。

 関船のうち、『村雨丸』と『春雨丸』の兵や鉄砲、大鉄砲、狭間筒、弾薬に桐油、兵糧を阿閇城に運び込むことに成功。また外峯四郎左衛門(本名津田盛月)が指揮をする『夕立丸』は、兵と鉄砲、兵が携帯している弾薬のみであるが、外峯与左衛門(本名津田信任(のぶとう))によって城に運び込むことに成功している。他の関船からも多少の兵や鉄砲、弾薬が阿閇城に入れられていた。

 その後、小早一番隊の指揮を執る井上成蔵によって関船隊と小早一番隊の小早は毛利の大船団の鼻先を掠めるようにして脱出に成功、東の魚住泊へ向かった。毛利の大船団に付きまとっていた小早二番隊も後を追うように魚住泊へと向かっている。

 結果、阿閇城には三百名程の兵と数多くの鉄砲と大鉄砲、大量の弾薬と少量の桐油を抱えることになった。そして、元々尾上城への補給のために多くの兵糧を持っていたため、一月ほどの籠城なら難なくこなせるだけの防御力を持つことができたのだった。


 重秀の説明を聞いた重治は、真面目な顔つきから笑顔へと変わっていった。


「それだけあれば十分です。阿閇城で敵を迎え撃ちましょう」


 そう言うと、その場にいた者達全てが唖然とした顔になった。知宣が思わず声を上げる。


「半兵衛殿、正気ですか!?敵の数は五千を超えておるのですぞ!?しかもこんな小さな城で、我が方は三百のみ!勝てるわけがない!」


「勝てますよ」


 悲痛な叫びを上げた知宣に対して、重治はさも当然のような口調で反論した。


「敵もまさか三百しかいない小城に負けるとは思っていないでしょう。それ故、敵には油断が生じるはずです。その油断に付け込めれば我等は負けはしません。それに、若君からの報せでは、毛利と宇喜多と梶原と雑賀の旗印があったとか。どう考えても烏合の衆です。恐らく、数を頼りに押し込んでくるだけでしょう」


 そう言うと、重治は一旦話を止めると、皆を見渡した。そして再び話をし始める。


「それに、この阿閇城に向かって援軍は来ています。ですよね、紀之介殿」


 そう声をかけられた吉隆は、「・・・はっ」と返事をすると、立ち上がって話し始める。


「・・・尾上城から伊右衛門殿(山内一豊のこと)が兵二百を引き連れてこちらに向かっておりまする。また、高砂城に動きなければ、残りの兵を率いて将右衛門殿(前野長康のこと)もこちらに加勢すると申しておりました」


 紀之介の言葉に皆が顔を見合わせた。援軍が来るのはありがたいが、敵は五千以上。到底及びもしない。


「援軍はまだ来ます。野口城から、弥兵衛殿(浅野長吉のこと)が兵五百を率いてこちらに向かっています。今夜には到着するでしょう」


「将右衛門殿の兵を除けば一千か・・・。半兵衛殿はこれで負ける気がしないと?」


 重秀がそう尋ねると、重治は咳をしながらも力強く頷いた。重秀は立ち上がると皆に宣言した。


「よしっ・・・!『今孔明』と言われた我が師が負けないと言っているのだ!どうしてこれを疑おうか!これより我等はこの阿閇城で敵を迎え撃つ!ここの死守が、父上と上様にとって重要ならば、どうして命を惜しもうか!皆の衆!私に続け!」


 重秀がそう叫ぶと、皆が一斉に「応っ!」と力強い返事をした。消極的であった知宣でさえ、右拳を上に突き上げて力強く返事をした。

 その時だった。一人の足軽が広間に入ってきた。


「も、申し上げます。敵が上陸を始めました・・・」


 その言葉に広間に緊張が走った。しかし、足軽は困惑しながら報告を続ける。


「上陸はしましたが・・・。敵は浜で夕飯の準備をしております・・・」





「あいつ等何やってるんですかねぇ・・・」


 宇喜多の関船から浜の様子を見ていた富川正利(のちの戸川秀安)は、呆れた口調で呟いていた。彼の視線の先では、浜に上陸した毛利勢と雑賀衆が陣地も構築せずに夕餉の準備を行っていた。


「敵が攻めてこないと思っているのだろう。あの阿呆共は羽柴の坊っちゃんが怯えて城の奥で震えていると決めつけているんだろう」


 正利の隣で軽蔑した視線を浜に送っている宇喜多直家が、あからさまに馬鹿にしたような口調で正利に言った。


「羽柴の坊っちゃんは確か、二十歳にもなってなかったはず。馬鹿にされたと思って飛び出してきませんかね?」


 何かを期待するような声で正利はそう言うが、直家が首を傾げる。


「どうだろう?弥九郎(小西行長のこと)によれば、羽柴の坊っちゃんはあの『今孔明』竹中半兵衛の薫陶を受けているらしい。恐らく罠だと思って様子を見るのではないか?」


「二十歳前でそれだけの判断ができますかね?できれば大したもんですよ」


 正利が笑いながらそう言った時だった。直家の乗る関船に、一隻の小早が近づいてきた。船首には胴丸を着た武者が仁王立ちしていた。


「殿、梶原殿が来られました・・・。相変わらず古い鎧ですな。源平合戦かと思いましたぞ」


「貧しい梶原だから仕方ないね」


 直家が薄く笑いながらそう言った。


 高砂城の梶原家の先祖は、源義経の敵役として歴史に名を残す梶原景時である。景時についてここで書くと結構長くなるので省略するが、頼朝の死後、景時と直系一族は殺されてしまう。しかし、彼の他の一族はこの時全国に散らばっており、その後散らばった先で豪族となる。高砂城の梶原家もその一族の末裔である。

 直家も正利も、景秀の胴丸姿に鎌倉武士を見たのかも知れなかった。もっとも、時代遅れという意味でだが。


 関船に乗り込んできた景秀は、直家の前で片膝をついて跪くと、直家に対して声を上げた。


「申し上げます!あの浜で呑気に飯の準備をしている者共を船に戻して頂きたい!あれでは敵に攻撃の機会を与えるばかりです!」


「そう言われましてもなぁ・・・。あの連中はそれがし如きの言うことなぞ聞きませぬぞ」


 やる気のない声でそう答える直家に対し、景秀は「なんと!」と更に声を上げた。


「和泉守様(宇喜多直家のこと)はこの中では最大の兵力を率いられているお方。ならば総大将にあらずや!」


 そう叫ぶ景秀に対して、直家は溜息をつきながら答える。


「残念ですが、それがしは所詮毛利の傘下大名。毛利の武将に命令できる立場にありませぬ。また、雑賀衆は本願寺からの派遣ゆえ、彼らは本願寺以外の者の命を聞きませぬ」


 毛利はともかく、雑賀衆は本願寺から「現地の大将の言うことを聞くように」との指示は受けていた。しかし、熱烈な日蓮宗の信者である直家は、ぶっちゃけ本願寺と付き合いたくないので嘘をついた。そしてその嘘を景秀は真に受けた。


「そうですか・・・。しからば、それがしも兵を率いて上陸し、早急に陣地構築を行いまする。少しは敵襲に備えることができましょう!しからば御免!」


 そう言って踵を返した景秀に、直家が待ったをかける。


「お待ちくだされ。梶原殿のみ上陸させるわけには行きませぬ。我が方の兵の一部も上陸させます故、その者達もどうかお使いくだされ」


 直家の提案を聞いた景秀が「おお、かたじけない!」と言って頭を下げた後、自分の小早に移るべく関船から縄梯子で降りていった。その様子を見ていた正利が直家に話しかける。


「ああいう気持ちの良い武士は死んで欲しくないですな」


「ああ、だがああいう奴ほど早死するんだ。ところで、上陸させるのは例の奴らだけにしろ。我等の直臣はまだ船に留めておけ」


 直家が意味深な笑みを浮かべながら正利に命じると、正利は「承知しました」と言って頭を下げた。正利が離れた後、直家は西の方を見た。すでに太陽が瀬戸内の島々に隠れようとしていた。





 その日の夜。日没直後にやってきた山内一豊勢二百を加えた阿閇城内では、毛利勢に気付かれないよう、暗闇の中で戦闘準備を行っていた。ただ全ての兵が行っていたわけではなく、半分の兵は休息を取っていた。

 そんな中、重秀は城の御殿の広間にいた。側には重治が控えていた。


「若君。明日の戦に備え、少しは寝たほうがよろしいかと存じます」


「いや、皆が作業しているのに寝るわけには行かぬ。それに、本当に夜襲がないとは言い切れないのでは?」


「先程も申しましたように、夜襲はありませぬ。夜の城攻めは事前の準備をしなければなりませんし、その準備をしたところで犠牲は大きくなります。毛利方はそのような準備もしてなければ、こんな小城で犠牲を払いたくない、と考えているでしょう。城攻めは日が昇ってからになると存じます。でなければ、上陸直後にのんびりと夕餉を摂らぬでしょう」


「あれは腹が立ったな。いくらなんでも馬鹿にし過ぎだろうと」


 重秀が毛利勢が上陸直後に行った行為を思い出し、怒りの表情を露わにした。重治が笑いながら語りかける。


「それだけ我等が舐められているのです。ですが、そこに勝機がございます。敵が油断すればするほど、付け入る隙ができます」


 重治の話を聞いた重秀が、しばし黙り込むと何かを考えだした。重治が不思議そうに見ていると、重秀が口を開く。


「・・・父上が光触寺で私を叱ったのは、此度の毛利勢のような侮りを戒めたのではないだろうか?」


「と、言われますと?」


 重治が興味深そうな目をしながら重秀に聞いた。重秀は話を続ける。


「阿閇城、尾上城そして安田城に人がいないと聞いた時、私は侮っていました。まあ、一千で城を三つ落とせと言われた時の反動で、つい気が緩んでしまいました。父上はそれを見抜かれていたのでしょう」


 重秀がそう言うと、重治は相好を崩しなら話しかける。もっとも、暗くて重秀からは重治の笑顔がよく分からなかったが。


「それが分かれば十分でございます。若君、この乱世において一番避けなければならぬことは慢心でございます」


「慢心」


「はい。慢心すれば隙ができます。そうすれば、勝てる戦も勝てませぬ。明日の毛利勢のように」


「・・・明日我等が勝つことを今から言うのは慢心ではありませぬか?」


 苦笑する重秀に対し、重治は話を続ける。


いにしえより数が少なき軍勢は慢心なぞいたしませぬ。それは阿閇城の兵達を見れば分かります。皆が皆、準備を怠っておりませぬ。一方、数が多ければその数を頼みに攻め込みます。どうしても慢心したくなるというもの。将たる者、この慢心を抱かぬことこそ勝利への第一歩でございます」


 重治がそう言っていた時だった。誰かが広間の外に控えた雰囲気を感じた。重秀と重治は黙って刀を手にした。


「・・・紀之介にござる。申し上げます。北より軍勢がこちらに向かってきております。浅野勢と思われます」


 そう言われた重秀と重治は、一瞬だけ黙ると同時に「合戦準備」と声を上げた。


「が、合戦準備、でございますか?」


 外にいる吉隆が思わず声を上げた。重秀が吉隆に言う。


「欺瞞した敵の可能性もある。油断大敵だ」


「・・・承知」


 吉隆がそう言うと、広間から遠ざかっていった。


 結局、北から来た軍勢は浅野長吉率いる浅野勢五百であった。迎え入れた阿閇城の城兵は静かに士気と闘志を上げたのだった。





 次の日、完全に日が昇った頃。南の海岸からこちらに向かって来る敵勢を見た重秀と阿閇城内の武将は、一斉に「うわぁ・・・」と声を漏らした。


 敵の軍勢は、陣形どころか隊列も組まずに、ただ歩いて阿閇城へ向かってきた。武器は持っているが、盾を持っておらず、自分達が撃たれるとは思ってないようであった。さらに羽柴方の諸将を激怒させたのは、普通、槍兵同士、鉄砲兵同士と同一種の兵で集団を組むのに、それがなく、バラバラでやってきたのであった。

 その様子を城壁の狭間から覗き見ていた重秀は、怒りを通り越して悲しくなってきた。


「なあ、紀之介。俺ってそんなに弱いのか?」


「そ、そのようなことは決して・・・。あ、あれをご覧下さい。あそこの軍勢は数は少ないですが、ちゃんと隊列を組んでいます」


 そう言われて視線をその軍勢に向けた重秀。その姿を見た重秀は再び悲しくなった。


「・・・胴丸に腹巻?槍じゃなくて長刀なぎなた?鉄砲はなくて弓だけ?古すぎて泣ける・・・」


「旗印は『丸に並び矢』ですね」


「ああ、高砂城の梶原勢か。・・・あそこは貧しいのか?同情で泣けてくる・・・」


 そんな話を重秀と吉隆がしているうちに、毛利勢は城の城門に近づいた。そして城壁には誰も近づかなかった。


「皆して城門に行くのかよ・・・。城門に行ったって開いてやらないぞ・・・」


 ますます悲しくなった重秀であったが、とりあえず自ら鉄砲を持つと射撃準備をした。吉隆も周りの兵隊も鉄砲を持って射撃準備をすると、後は物見櫓に登って指揮を取る重治の指示を待つだけであった。

 それから少し経った後、重治のいる物見櫓の下辺りから大きな太鼓の音がした。と同時に、阿閇城の城壁の狭間や上の方から、鉄砲と弓矢の一斉射撃が始まった。





 阿閇城に近づいた敵兵は完全に油断していた。まさか百程度の兵(そう聞かされていた)しか籠もっていない小城から攻撃されるとは思っていなかったようだ。あっという間に百人ほど地面に倒れ、敵勢はパニック状態となった。そんな中でも羽柴勢は容赦なく弾と矢を浴びせかけた。そして浴びせかけたのは弾と矢だけではなかった。

 鉄砲も弓もない兵士は、布と縄でできた手で投げる投石具(いわゆるスリングのようなもの)で石を投げて攻撃していた。石ならば別府川の川岸に唸るほどあるので、こっそりと城から出て採取していたのだ。その石が城壁や堀を越えて敵兵の頭上めがけて降り注いだ。

 さらに、火の付いた小さい樽まで敵兵に浴びせられた。菅浦産の桐油がたっぷり入った小樽に油紙を巻き、長い縄で縛ったものである。油紙に火をつけた後、長い縄を持って現代のハンマー投げの要領で遠心力の力を借りて小樽を城から敵兵に向かって投げ込んだ。地面に叩きつけられた樽は壊れて油が流れ出してくる。それに油紙の火が燃え移るのに少しは時間がかかったものの、敵を怯ませたりするには十分であった。怯んで立ち止まった兵には弾と矢と石がとどめを刺していた。当然、燃え広がった油を踏んで火傷した者もいた。


 ただ、そんな混沌の中でも秩序をもっていた集団があった。雑賀衆と梶原勢である。雑賀衆は秩序をもって撤退したが、梶原勢は秩序をもって攻め込んだ。

 しかし、悲しいかな梶原勢の装備は古すぎた。胴丸や腹巻では鉄砲、しかも水上戦で小早の船板を打ち破れるだけの威力を持つ侍筒を防ぐことはできなかった。直径約15mmの弾が容赦なく梶原勢の兵を撃ち抜いた。運の悪い者は直径20mm以上の大鉄砲の弾を食らって腕や脚を砕かれていった。

 そんな弾や矢や石の雨をかいくぐり、城門や城壁にたどり着いた梶原勢を待っていたのは、煮えたぎる桐油とついさっき厠から取り出してきた糞尿であった。ある羽柴の兵が油を鍋からぶち撒ける一方、別の所から別の兵が糞尿を桶からぶち撒けていた。油を被った梶原の兵はその熱さに身悶え、糞尿を被った兵はその酷い臭いに身悶えた。そんな兵達に大きな石が投げつけられた。


 梶原勢がその攻撃の凄まじさに耐えている中、他の軍勢は相変わらず混乱していた。海岸に逃げようとする兵と、事情が飲み込めず、城へと向かう兵達がもみ合って止まっている所に、羽柴の弾と矢が容赦なく打ち込まれていった。そんな混沌としている中、何とか兵を引き上げようとする物頭(足軽のまとめる武士のこと)が声を上げて統制しようとしていた。しかし、その直後には声を発さなくなり、そのまま前のめりに倒れていった。そのような物頭があちらこちらに見られた。もっとも、周囲の者は気づかぬほど混乱していたが。

 物頭を倒したのは狭間筒を担当する武士であった。揺れる船の上から、遠くの敵船に乗っている者を狙撃するよう鍛錬を受けた彼らにとって、固定された城の狭間からのこのこと近づいてきた物頭を狙撃することなど造作もない事だった。

 そして多くの物頭だけではなく、侍頭(そなえの指揮官のこと)まで狙撃されるようになると、とうとう雪崩を打って敵勢は海岸へと敗走した。そしてその中には、肩を狙撃されて負傷した景秀を含めた梶原勢も含まれているのだった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 慢心駄目絶対に。 素晴らしい父と師の教えですね
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