第131話 阿閇城の戦い(前編)
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追伸 少しおかしな表現がありましたので、修正しました。申し訳ございませんでした。
天正六年(1578年)九月下旬。秀吉の播磨侵攻は停滞した。糟屋武則が城主を務める加古川城に、別所・毛利連合軍が攻めてきたからであった。神吉城、志方城の別所勢と英賀城にいた毛利勢、それに御着城の小寺勢を合わせた軍勢の総数は、伝承によれば二万だと言われている。
この戦いでは、糟屋武則は初陣でありながら槍を振るって奮戦した。また、山中幸盛率いる尼子勢も豊富な実戦経験と毛利への憎悪からくる士気の高さで奮戦していた。更に秀吉が野口城から主力を率いて加古川城に入城すると、自ら指揮を執って敵勢を迎え撃ったのだった。
さて、加古川城で死闘が繰り広げられている中、羽柴水軍の小早『天津風丸』は、僚艦の『沖津風丸』、『時津風丸』と共に高砂城の更に西の海上で偵察活動を行っていた。
羽柴水軍の警戒ラインは加古川河口の西岸のラインを海にまで伸ばした所なのだが、そこら辺には銭と米で雇った近隣の漁師達による漁船の監視網ができているので、重秀は小早による偵察活動領域を更に西に伸ばしていたのだった。
そんな『天津風丸』の船員が、西の水平線から大小様々な船が湧き出してきたかのような光景を見つけた。その船員がすぐに大声を上げる。
「お頭っ!西から大船団が!」
船員の声に気がついた船頭がすぐに西の方へ見やると、確かにはるか彼方から船が湧き出ているように見えた。しばらく経っていると、その大船団が小早や関船といった軍船から成るものであると気がついた時には、船頭はすでに動いていた。
「鐘を鳴らせ!」
船頭がそう言うや否や、船員が鐘を鳴らした。決められた回数の鐘が鳴らされると、僚艦の『沖津風丸』と『時津風丸』から「了解」の意味がある鐘の音が鳴らされた。後は決められた行動をするだけである。
すなわち、『天津風丸』と『沖津風丸』がそのまま敵船団を監視し、『時津風丸』が報せるために戻るのだ。
『天津風丸』と『沖津風丸』が敵情を詳しく知るために敵船団に近づく中、『時津風丸』は帆を一杯に張って東に向かって航行した。
高砂城を北に望む海域では、『朝風丸』、『浦風丸』、『濱風丸』が高砂城周辺海域を監視していた。そんな三隻に、三角帆を張った小早が近づいてきた。それは『時津風丸』であった。時津風丸から鐘が鳴らされ、それと同時に船首にチカチカと光が輝いているのが見えた。
羽柴水軍では船同士、もしくは船と陸地の通信方法の開発や改良に力を入れていた。旗振りによる視覚による通信方法や、鐘や太鼓の音色による通信方法のほか、狼煙や和鏡(銅鏡の一種)による光の通信方法も試されていた。
狼煙については海の風で煙がまっすぐに昇らないこと、船火事と区別がつかないことから早々に失敗とされた一方、和鏡の光の反射を使った通信はそれなりに使えることから羽柴水軍では船に和鏡が乗せられていた。
現代日本で行われた実験によれば、直径7cmの鏡で2km、直径45cmの鏡では30km先から光の反射が見えた事が証明されている。なので、船同士や陸地との通信に和鏡が採用されたのも当然だったのかも知れない。
もっとも、モールス信号の様な気の利いたものはこの時代にはないし、重秀も思いつかなかった。なので鐘の音や旗振りの手段のように、予め光の長短や回数などを決めておいて、場面ごとに決められた光らせ方をしていた。
さて、船首から和鏡を光らせることで敵襲を知った『朝風丸』、『浦風丸』、『濱風丸』の各船もまた、予め決められた行動を取った。『濱風丸』が東に向かって走り出すと、『濱風丸』がいた配置に『時津風丸』が付いた。
こうして小早によるリレーが行われることで、羽柴水軍は遠方からの敵情を手に入れていた。
『濱風丸』は東に進むと、すぐに加古川河口の西岸のラインから伸びた海域の羽柴水軍の警戒網に到達した。ここにはさっき書いたように徴用した漁船による警戒が行われていたが、その中に関船が一隻―――『時雨丸』が浮かんでいた。
『時雨丸』は警戒についている漁船の保護と監視のためにいるのだが、それと同時に小早から報せを先程書いた通信方法で陸地に届ける役目も担っていた。
関船は小早よりも大きいため、多種多様かつ大型の旗、鐘、太鼓、和鏡を持っている。それらを使って遠くの陸地により詳しい情報を送ることができるのだった。さらに伝馬船も持っているため、人を派遣して情報を報せることも可能であった。
『濱風丸』の和鏡を使った通信で敵の大船団を知った『時雨丸』はすぐに別府川河口東岸にある羽柴軍の監視小屋に光を飛ばした。そして監視小屋からは伝令が4人飛び出した。彼らは馬に乗ると、2人づつのペアとなって東と北に向かって馬を走らせた。目的地は阿閇城と尾上城であった。
その頃、『沖津風丸』が敵船団の詳細な情報を持って『朝風丸』等がいる海域にやってきた。『沖津風丸』の船員が大声で『朝風丸』等に敵船団の船の種類や数、旗印を詳しく伝えると、西南に向かって走り出した。敵船団と並走している『天津風丸』と合流するためである。『朝風丸』が敵情を報せるべく、東に向かって走り出した。
『朝風丸』は『時雨丸』に合流すると、これまた船員が大声で敵情を報せた。すると『時雨丸』から太鼓の音が鳴らされた。それを聞いた周りの漁船が一斉に東に向かって走り出した。漁船に敵船団を阻止するだけの力はないし、そもそも重秀もそこまでしろとは命じていない。戦えない以上、逃げるだけであった。そして『時雨丸』が他の関船と合流すべく阿閇城沖へ向かう一方、側にいた『濱風丸』は敵情を更に探るため西に向かった。また、『朝風丸』は別府川河口の監視小屋に向かい、口頭で敵情を報せるのであった。
阿閇城本丸御殿。重秀の本陣が置かれた広間では、重秀と麾下の武将との間で軍議が開かれていた。皆険しい表情の中、広間に伝令が飛び込んできた。
「申し上げます!高砂城に入った軍勢、総勢五千は軽く超えているとのこと!」
「ご苦労!下がって休め!」
伝令に尾藤知宣がそう叫ぶと、伝令は広間から出ていった。その瞬間、重秀を含めた全ての者達から一斉に溜息をつく音が出た。
「・・・これで高砂城には五千を超える援軍が着いたことになるな」
重秀がそう呟くと、知宣も憂鬱そうな顔をしながら答える。
「毛利だけではなく、宇喜多からも援軍が来るとは思ってもいませんでした」
「宇喜多だけではない。旗印の中に八咫烏もあったと聞いている。と言うことは、雑賀衆もいるということだ」
重秀の言葉にその場にいた者達が再び溜息をついた。そんな中、重秀が声を上げる。
「・・・とりあえず、加古川城の父上と野口城の浅野の叔父上(浅野長吉のこと)、そして尾上城の将右衛門殿(前野長康のこと)に新たな伝令を送ろう。すでに送ってはいるが、高砂城の兵力の数が正確であればあるほど各城で適切な対応を取るだろうから」
重秀の言葉を受けた加藤茂勝が、伝令を派遣すべく広間から出ていった。
「・・・ここに来て、敵も本気を出してきましたかな?」
外峯四郎左衛門(本名津田盛月)がそう言うと、知宣が「そうであろうな」と答えた。そして重秀の方を見る。
「若君、如何いたしましょう」
知宣の「分かっているんでしょう?この城を放棄して尾上城に逃げましょう」というニュアンスの含まれた質問・・・というより確認の言葉に対し、重秀は質問で返した。
「・・・敵の目的はなんだろう?それが分かれば我等だけでも戦いようがあると思うんだけど」
重秀の言葉に皆が顔を見合わせた。知宣が答える。
「敵は高砂城に集結しております。ならば敵が取る道は三つ。加古川を遡って加古川城を攻めるか、尾上城を攻めて野口城まで兵を進めるか、そしてこの阿閇城を攻めて東進し、魚住城を攻めるか」
「阿閇城には来ねぇんじゃねーか?」
そう言ったのは正則だった。正則が話を進める。
「こっちには兵は水軍の兵を含めても三百しかいねぇ。こんな小さな城なんか、見過ごされるんじゃねーの?」
「とは言え、ここを抜かれて東進されたら目も当てられないぞ。魚住城より東、兵庫城まで我が方の城は兵が出払っているからな」
加藤清正がそう言うと、皆は腕を組んで唸った。そんな中、考え込んでいた重秀が口を開く。
「・・・ここは動かぬほうが良いな。敵の動きが分からぬ以上、敵の真の目的が分かるまではうろちょろせずに腰を据えたほうが良い」
重秀がそう言うと、知宣が慌てたような口調で重秀に言う。
「お待ち下さい。阿閇城は小さい城なれば、守るのは剣呑でござる。ここは、尾上城に引き退き、将右衛門殿と共に戦うべきかと存じます」
「いや、尾上城は今の兵力でいっぱいいっぱいのはず。我等が行っても入れる余地はもう無いはずだ。それよりも我等はここに残り、阿閇城を確保すべきだ。少なくとも、尾上城の背後に回ろうとする毛利方の水軍の遡上を阻止することができる」
この時重秀が想定していたのは、毛利水軍が別働隊として別府川を遡り、尾上城を攻めるのではないか、ということであった。主力は加古川を押し渡って尾上城を攻めると考えていたのだ。
そう言った考えも含めて重秀が知宣に話すと、四郎左衛門が「それがしも若君に同心致す」と頷いた。
「それに、水軍の関船と小早もある。陸と海とで共に戦えば、何とかなるであろう」
四郎左衛門の言葉に、重秀や正則、清正が頷いた。知宣は少し考えた後に重秀に言う。
「・・・分かりました。当面は阿閇城にて敵の様子を見ましょう」
こうして、重秀達三百の兵が阿閇城と水軍に分かれて毛利の動きを引き続き監視することとなった。
次の日の午後、高砂城の近くに停泊していた大船団が動き出した。監視していた羽柴の小早や、別府川河口東岸に立っていた監視小屋はすぐに大船団の動向を探った。そして監視小屋からは狼煙が上がった。この狼煙は阿閇城や尾上城からも視認することができた。
大船団はゆっくりと動き出すと、東へと向かった。小早の乗組員や監視小屋の兵達が大船団の動きを固唾を呑んで見つめていた。連中は加古川を遡るのか否か?
暫く経つと、大船団は加古川河口を更に東へと進んだ。加古川に入ろうとする船は一つもなかった。それを見た羽柴の小早の一隻が、帆走と艪漕ぎを併用して最大船速で東に向かう一方、監視小屋から複数の伝令の馬が飛び出していった。
「なんで阿閇城に来るんだよ!」
加古川河口東岸の監視小屋からやってきた伝令の言葉を聞いた重秀は、思わずそう叫んだ。周囲にいる者達も顔を青ざめた状態であった。
「報せでは、『毛利の船で海が見えない。船が七分で海が三分』だそうです」
知宣がそう言うと、その場にいた者達はますます顔を青ざめた。
そんな中、四郎左衛門が落ち着いた声で知宣に尋ねる。
「敵は全軍でこちらに向かってきているのだろうか?」
「ええ、高砂城そのものに動きはないとの報せが入っております」
知宣の回答に、重秀が反応した。
「毛利は援軍をごっそりとこちらに向かわせたのか?何考えてるんだ?」
「阿閇城は小さき城なれば、組みやすいと考えたのでは?それに、阿閇城を落とせば、敵は次の目標を選び放題となります」
知宣がそう答えると、更に自分の考えを述べる。
「阿閇城を落とせば尾上城や野口城の裏を取れますし、その気になれば加古川城の背後をつけます。それでなくとも別府川を取れば水軍で我軍の補給路を断てます。水軍を使って魚住城や魚住泊まで攻めることも可能です。どちらにしろ、我等は背後を取られます」
そうなれば秀吉は加古川城で孤立することになる。秀吉も播磨侵攻を諦めなければならなくなるだろう。
知宣が重秀に話しかける。
「恐れながら若君。それがしは阿閇城を放棄し、尾上城へ向かうべきと考えます。何卒、撤退の下知を」
知宣の提案を聞いた正則と清正が「はあぁ!?」と叫びながら立ち上がった。
「敵を背にして逃げるっていうのかよ!?」
「ここで戦っても多勢に無勢!死んでは犬死にぞ!」
正則の怒声に対して、知宣も怒声で返した。三人がにらみ合っている中、重秀がゆっくりと口を開いた。
「・・・撤退はしない。阿閇城は死守する」
重秀の言葉に正則と清正は「おおっ!」と喜びの声を上げ、知宣が失望の表情を浮かべた。そんな知宣に重秀が話しかける。
「尾上城も野口城も防御は未だ低い。特に野口城は父上の猛攻で破壊されており、再建途中だ。無傷の毛利軍に攻められたら落城も必至。阿閇城で毛利の足止めを行い、尾上城と野口城の時間稼ぎを行う。そうすれば、両城も少しは防御も高まり、父上も援軍を送るやも知れぬ」
そう言って知宣を見つめる重秀は、決死の覚悟を目に宿していた。その想いの強さに知宣は思わず怯んだ。
その様子を見ていた四郎左衛門が口を開く。
「・・・若君の決意はよく分かり申した。この外峯四郎左衛門、阿閇城の土となりましょう。ただ、羽柴唯一の嫡子をこのような小城で死なすには惜しい。若君、そこの市兵衛と虎之助を連れて脱出を」
「そう言ってくれるのはありがたいが、私は父上から阿閇城を預かっている。おめおめと逃げ出しては父上のご期待に背くことになる。阿閇城からは出ない」
重秀がそう言うと、四郎左衛門と知宣が「しかし・・・」と同時に言ってきた。そして重秀を説得しようとしたが、重秀が立ち上がりながら大きな声を上げる。
「それよりもしなければならぬことがある!沖合に集結している関船や小早を速やかに魚住泊まで後退させよ!毛利水軍のおびただしい数の船の囲まれては、全滅は必定!どうせ我が水軍では足止めにすらならぬ!引き上げさせて温存するのだ!」
重秀がそう叫ぶと、皆がその声に圧倒された。そんな中、清正が重秀に話しかける。
「長兄。どうせ水軍を下げさせるなら、船の鉄砲や火薬、桐油は城に上げた方がよろしいかと。船も軽ければ早く逃げられるし、関船の火力が阿閇城にあれば多少は守りやすいのでは?」
清正の発言に重秀は首を傾げる。
「いい考えだと思うが、そんな時はあるのだろうか?もう毛利軍もそこまで来ているのでは?」
「全ての関船ではなく、一、二隻からでもいいんじゃねぇか?鉄砲の数は一挺でも多い方がいい」
正則がそう言うと、重秀は決断した。
「相分かった。虎、別府川河口にはまだ漁船が残っていたはず。その漁船を使って下ろせるだけ下ろして城に運び入れろ」
重秀がそう命じると、清正が「承知!」と言って飛び出していった。清正と入れ違いに茂勝が飛び込んできた。
「若!大変だ!」
「どうした!?」
息を切らしている茂勝に重秀が聞いた。茂勝は息を整えると、声を上げた。
「小早の連中が毛利水軍を襲っている!」
「何っ!?命じていないぞ!?どういうことだ!?」
重秀が信じられない、という顔をして叫んだ。茂勝が答える。
「分からねえ!だけど、むやみに突っ込んではいないっす!撃ては逃げ、逃げては撃っての繰り返しっす!」
茂勝の話を聞いた知宣が呟く。
「恐らく牽制と足止めでしょう。若君が逃げ出す機会を作っているのかも」
「兄貴、これは機会だぜ。今のうちに、関船から下ろせるだけ下ろそうぜ」
正則からそう聞かされた重秀はすぐに指示を出す。
「よし、市も手伝いに行け。孫六、櫓から小早の連中に逃げるように太鼓でも鐘でも鏡でもなんでも良いから使って知らせろ。それが終わったら、孫六も船から武器弾薬を下ろすのを手伝ってやれ」
指示を受けた正則と孫六が広間から飛び出していった。直後、一人の足軽が駆け込んできた。
「申し上げます!大谷紀之介様、竹中半兵衛様、お越しにございます!お目通りを願っております!」
予想外の人物の訪問に、重秀は思わず「・・・は?」と聞き返してしまったのだった。
高砂城から阿閇城まで船で行くのに半刻程度しかかからないはずであった。しかし、毛利水軍が阿閇城沖に到着したのは、高砂城を出発してから一刻以上はかかっていた。
「まったく、あの小早は何なんでしょうなっ!撃っては引き、引いては撃つ。追いかけようにも足は早いし、横風や向かい風でもお構いなしに帆走する。かといって鉄砲で射掛けてみれば、鉄砲の数は向こうが多いからこちらの小早が撃ち負ける。あんな小早見たこと無いですな!」
宇喜多の旗を掲げる関船の上では、壮年の武者が大声で不満をぶち撒けていた。近くにいた温和な顔をした中年の武将が苦笑しながら嗜める。
「平助、そう言うな。恐らく時を稼いだのであろう。阿閇城には羽柴水軍が集結していて、その大将は羽柴筑前の息子だからのう。あの城にはその息子がいたのであろう」
「ははぁ。若君を逃がすための時を作ったと」
平助と呼ばれた男が顎を擦りながらそう言った。どことなく尊敬を込めた物言いであった。中年武将が話を続ける。
「弥九郎(小西行長のこと)の話では、羽柴唯一の嫡子だそうだ。逃さなければ、羽柴は終わるからな」
「逃しても逃さなくても羽柴は終わりでしょう。阿閇城を落とせば、羽柴は加古川城にて立ち枯れいたしますよ」
平助―――富川正利(のちの戸川秀安)の言葉に、中年武将―――宇喜多直家は何も言わずに微笑むだけであった。