第128話 播磨侵攻
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天正六年(1578年)九月に入って数日後、摂津有馬郡にある三田城に羽柴小一郎長秀率いる長浜の軍勢が入った。その次の日、三田城から羽柴筑前守秀吉が率いる軍勢が出陣。昼夜の行軍の後、兵庫城に入った。
秀吉は兵庫城で2日間の休みを取った。その間、信長からの援軍が兵庫城に入ってきた。
すでに入城していた堀秀政の軍勢を除けば、この時兵庫城に入った軍勢は丹波より尼子勝久を総大将にしつつも実質的には山中幸盛が指揮する尼子勢、近江より羽柴と縁戚関係となった蒲生賦秀率いる蒲生勢、美濃より信忠の生母である吉乃の遠戚である生駒親正率いる生駒勢、同じく伊勢より織田信包の重臣であり、重秀正室の縁の親戚に当たる分部光嘉率いる分部勢、そして尾張より重秀の小姓時代の同僚で重秀の幼馴染の蕭の夫の中川光重が、未だ織田信長から干されている中川重政に変わって中川勢を率いてやってきた。
他にも美濃や尾張の国衆が率いる小軍勢が兵庫城に入っており、兵庫城には八千人以上の兵が集結していた。さらに、苦戦に備えて信長は織田信忠を総大将に北畠信意(のちの織田信雄)、神戸信孝、織田信包、津田信澄など織田一門の軍勢を準備させていた。
出陣の前日、兵庫城内にて軍議が開かれた。本丸御殿の表書院で行われた軍議は、狭い書院に多くの武将が集まったせいで熱気がこもっていた。そんな軍議で秀吉はとんでもないことを口にする。
「明後日までに魚住城を攻める。その後、三日以内に魚住城を落とす」
秀吉の言葉を聞いた諸将が驚きの声を上げた。援軍に来た将だけではない。羽柴の将も同じく驚きの声を上げていた。冷静だったのは事前に聞いていた重秀と蜂須賀正勝ぐらいのものであった。
「詳しい話は半兵衛、お主から聞かせてやれ」
秀吉からそう言われた竹中重治は、「ははっ」と返事をすると、諸将の前にある大きな絵図を騎乗の際に使う竹製の鞭で指しながら解説する。
「この絵図は播磨の西国街道沿いを表した地図になりますが、まず我等が播磨の国境を超えた場合、最初に立ちふさがるのがこの林ノ城です。ただ、この城は明日には我等の手に落ちているでしょう」
「・・・それは、調略で寝返っている、ということでござるか?」
賦秀がそう尋ねると、重治が「左様」と首肯した。
「まあ、正確に言うならば、林ノ城の北にある枝吉城の明石与四郎殿(明石則実のこと)がすでに我が方に寝返っておりまして。今日あたりにも事前に送り込んだ稲田太郎左衛門殿(稲田種元のこと)と共に城主の大屋肥後守を謀殺するでしょう。明日の夜は林ノ城で酒宴ですかな」
弾んだ声でそう言う重治に、賦秀は「はぁ・・・」と呆れたような声を出しつつ納得した。重治の説明はまだ続く。
「上手く行けば明後日には魚住城に取り付くことができます。ここは毛利の水軍が三木城へ兵糧を運ぶ拠点故、早急に落とす必要がございます」
「それだけの重要拠点ならば、兵の数も多かろうな。三日で落とせるのか?」
疑問を呈した親政に対し、重治は微笑みながら答える。
「確かに魚住城は補給の拠点でございますが、重要拠点とは言えませぬ。むしろ、毛利の補給路で重要拠点なのは・・・」
そう言うと重治は鞭で絵図のある一点を指した。そこには、『高砂城』と書いてあった。
「・・・この高砂城にござる。高砂城には梶原水軍の拠点故、湊も大きく、船を多く収容できますれば、三木城の喉元はここと言わざるを得ません」
実際のところ、三木城への補給路は他にもあるのだが、高砂城側の加古川そして支流の美嚢川を使えば船で三木城まで兵糧物資を届けることが可能であるため、加古川河口にある高砂城は確かに重要拠点であった。
「して、魚住城と高砂城の兵力は?」
「間者からの報告では、魚住城は三百ほど。高砂城は五百ほどと報せが来ております。しかし、毛利の援軍が来ればもう少し増えるかと」
「毛利の援軍はまだ来ていないのかい?」
ざっくばらんな口調で秀政がそう尋ねると、重治は頷いた。
「魚住城、高砂城には毛利の援軍は来ておりませぬ。間者からの報せでは、英賀城と御着城に集結しているとのこと」
「ということは、英賀城から船を使って魚住城や高砂城へ援軍を送れるね」
「海上からの援軍は羽柴水軍が阻止致します!」
秀政の発言に対し、それまで静かにしていた重秀が大きな声を上げた。皆が一斉に重秀の方を見た。
「この日まで、羽柴は水軍の鍛錬を積み重ねてきました。毛利の援軍を魚住城、高砂城には近寄らせませぬ!」
重秀の決意を聞いた羽柴の諸将は「さすが若君!」と褒め称えたものの、援軍として来た諸将は互いに顔を見合わせた。はて、最近できた羽柴水軍が、あの毛利水軍を阻止できるのであろうか?
そんな中、それまで黙って話を聞いていた山中幸盛が静かに口を開く。
「・・・拙者は船軍はよく分からぬ。だから、船軍についてどうこう言うつもりはない。しかし、援軍の懸念と言うならば、三木城からの援軍を懸念すべきにあらずや?」
「その懸念は無用じゃ。三田城より我が弟小一郎が率いる軍勢が淡河城を攻め落とすことになっておる。軍勢は羽柴勢、宮部勢、木下勢と荒木勢を中心とした有馬郡の国衆達じゃ」
幸盛に対して秀吉がそう答えた。ちなみにここで言う木下勢とは木下昌利のことではなく、秀吉の与力の木下祐久及びその兄である木下利匡(としまさとも言う)のことである。秀吉や小一郎系の木下との関係はよく分かっていないが、親戚だったのではないかと言われている。また、荒木勢とは元三田城城主の荒木重堅のことである。
秀吉の話は続く。
「総勢二千の軍勢じゃ。まあ、攻め落とすと言っても牽制じゃ。あくまで三木城の目をこちらに向けさせないようにするためのものじゃ。さらに、上様の命により日向殿(明智光秀のこと)の軍勢の一部が丹波と播磨の国境に展開してくれるらしい。これも三木城への圧力となるじゃろう」
秀吉がそう言うと、幸盛は「さすがは筑前殿。見事な策にございまする」と言って頭を下げた。
その後、軍議は続き、諸将は己の役割を確認していくのであった。
その日の夜。兵庫城の広間で行われた酒宴で、重秀は久しぶりに光重と会話をした。
「梅千代・・・じゃない、清六郎と肩を並べて戦うのは初めてじゃないか?」
そう言う重秀に対して、光重は暗い顔で答える。
「ああ。長島一向一揆の時は俺は岐阜でお留守番だったからな。それ以来戦場で大松・・・藤十郎とは出会ったことすら無かったからな」
「まあ、今回俺は水軍だからな。肩を並べていると言えるかどうかは分からないが・・・」
重秀がそう言うと、光重は自嘲気味に笑った。
「俺も兵を率いて来るのは初めてだからな。今まで中川勢と言うものが無かったからな」
光重の言葉に重秀は思わず黙ってしまった。
柴田勝家と領地の境界線でトラブルとなり、重政の弟である津田盛月が勝家の代官を殺害したことがあった。それを聞いた信長が激怒、重政と盛月を改易した上、徳川家康の下に追放したことがあった。その後、重政は許されて帰参したものの、一時期は秀吉や明智光秀と争っていた出世コースからは外され、中川家は織田家中では窓際族と化していた。
一応、尾張に知行があるので、信忠の家臣としての地位は持っていたが、やはり織田家の重臣で信長の義弟である柴田勝家に喧嘩を売ったのが悪かったのか、中川家に近づこうという織田家の家臣はほぼいなかった。秀吉ですら、ここ数年は新年の挨拶を寄越すこともなく、重秀の名義で友人の光重と幼馴染の蕭に肉や緞子の反物を送っているだけの付き合いである。例外は蕭の実家の前田家と、重政の妹(姉という説もある)が嫁いだ竹中重矩(竹中重治の弟)の家くらいなものである。
そんな中、光重は不遇の中で信忠の下、一生懸命働いた。時には尾張領内の内政に力を発揮し、時には信忠軍の馬廻衆の一員として戦ったこともあった。そんな努力をコツコツと積み重ねた結果、何とか兵を率いるまでの知行を得るようにはなっていたのだった。
「此度の戦は中川家の功を立てる絶好の機会だ。筑前様の指揮の下、先陣を賜って功を上げ、中川家の武威を示してやる」
目を血走らせながら酒を煽る光重に、重秀が心配そうな顔で話しかける。
「・・・あまり無理はするなよ。蕭ちゃ・・・蕭殿を悲しませるようなことはするなよ」
重秀の言葉に、一瞬だけムスッとした光重であったが、「分かっているよ」と言うと酒を飲み干した。そして、
「武具の最後の点検をしてくる」
と言って立ち上がると、その場から去ってしまった。
残された重秀に、今度は秀政と賦秀が近づいてきた。
「やれやれ、梅千代だった頃はもう少し可愛げのある子だったんだけどねぇ・・・」
「あれでは、戦場で力みすぎて討ち死にしそうですな」
傍に座った秀政と賦秀に「堀様、忠三殿・・・」と声をかけた重秀。途端に賦秀の顔が険しくなった。
「忠三・・・殿?」
「あ、いや、義兄上」
重秀がそう言うと、二つの意味で義兄である賦秀は機嫌良さそうな顔つきに変わった。
「清六郎の事は気にするな。中川の境遇と羽柴の境遇を考えれば、ああいう態度になるさ」
賦秀がそう言うと、続けて秀政も重秀に話す。
「まあ、土玄殿(中川重政のこと)が戻られた後の処遇を考えれば、清六郎もああなってしまうのは致し方ないさ。とはいえ、不安と言えば不安なんだけど」
そう聞かされた重秀は、秀政と賦秀に頭を下げながら頼み込む。
「堀様、義兄上。清六郎の事を頼みます。あれでは、死に急ぐようなものです。上様のご不興が未だ中川家にあるとしても、殿様の臣としてまだまだ必要な男でございます。むざむざ死なすわけには参りませぬ」
重秀の頼みに秀政が反応した。普段飄々としている秀政が、力強く頷いたのだ。
「分かっている。まあ、小姓時代からの付き合いだ。無理はさせぬよう、目付として口を挟んでいくさ」
秀政がそう言うと、酒をぐいっと呑んではまた手酌で盃に酒を注いだ。
―――堀様は相変わらず酒に強いなぁ。顔が全く変わらない―――
重秀がそう思っていると、賦秀が重秀に話しかけてきた。
「さっきの中川の話だが・・・。上様は未だに左馬允(津田盛月のこと)を許していないらしい。それが中川家に影響を及ぼしているのやも知れぬなぁ」
盛月は兄の重政が帰参を許されているのに、未だ信長から追放を受けたままであった。今では行方が知られていない。
「そういや、どこかの家に仕えたという話も聞かないし、どこかで死んだという話も聞かないな。一体どこで何をしているのやら」
秀政がそう言うと、再び酒を呑んではまた盃に注いだ。それを見ながら重秀が不安げな顔をした。
「・・・まさかとは思いますが、播磨かその先で敵となって清六郎の前に立ち塞がってくる、ということはないでしょうか?」
それを聞いた秀政と賦秀は顔を見合わせた後、「それはない」と同時に言った。
「あの方は一応、織田一門だ。さすがに毛利や公方様の側に行こうとは思うまい」
「そんなことをすれば、一族郎党再び追放の憂き目にあうことになる。そうなることは左馬允もよく知っているはずだ。そこまで愚かなことはしないだろうね」
賦秀と秀政のそれぞれの言葉に重秀も「それもそうですね」と安心したような声を出した。
その後、酒宴が終わるまで重秀は秀政と賦秀と語り合うのであった。
次の日、出陣の儀式が兵庫城で行われた。その後、別所重宗の軍勢を先頭に、兵庫城に集結していた秀吉の主力部隊が出撃した。と、同時に重秀は水軍を率いて出撃すべく、兵庫津で将兵と水夫を前に演説を行っていた。
「いよいよ羽柴水軍の初陣である。相手は瀬戸内で鳴らした播磨水軍、そして援軍の毛利水軍である。相手は百戦錬磨の舟手衆。我等だけでは勝てぬと思われる」
そう言われた将兵達からどよめきが起こった。重秀が静かになるまで口を閉ざしていると、すぐにどよめきは収まった。重秀が再び口を開く。
「しかし、ここ数ヶ月は鍛錬に継ぐ鍛錬で皆の腕は上がっている。私や虎、孫六の考えた戦法なら、陸戦に強い我等なら十分戦える。あとは、皆の胆力だけだ。船の上、海の上で戦うことに不安を持つだろうが、少しでも不安を持てば討ち死には必定!不安に打ち勝ち、陸と同じように戦えば我等に勝機あり!ここで手柄を挙げようぞ!」
そう叫んだ重秀が拳を上げると、皆が「応っ!」と同じ様に拳を上げた。やはり、数ヶ月間の鍛錬で将兵や水夫の一体感は高まっていたようだった。
重秀の激が飛んだ後、将兵や水夫たちはそれぞれが乗る船に向かっていった。小早は直接入江の桟橋に繋がれているので桟橋から乗るが、関船は入江外の浅瀬に投錨しているので、渡し船を使って乗り込むことになっていた。
その様子を大谷吉隆は黒田松寿丸と共に見ていた。黙って見つめる吉隆を、松寿丸はたまに見上げては視線を海に戻していた。そんな二人に重秀が近づいた。
「紀之介」
「これは若君」
そう言って頭を下げる吉隆であったが、その目は赤く腫れ上がっていた。不安そうな視線を送る松寿丸に気が付きつつ、重秀は吉隆に声をかける。
「紀之介のことは伊右衛門(山内一豊のこと)に話してある。伊右衛門の下で父上を支えてやってくれ」
重秀がそう言うと、吉隆が「若君のご配慮に感謝致します」と言って再び頭を下げた。松寿丸が思わず重秀に声をかけた。
「や、やっぱり紀之介様を船に乗せないのですか?」
「あれだけ船酔いが酷いのであれば、かえって迷惑だ。紀之介を船に乗せる訳にはいかない」
重秀が答えたとおり、吉隆は船に弱かった。琵琶湖にいたときから船酔いすることは知られていたが、海での船酔いの酷さは戦闘どころか船上で生活する際にも支障をきたすほどであった。
それでも重秀は、「一月も乗れば慣れるだろう」と言って吉隆を船に乗せ続けた。しかし、船酔いしていた他の者達が慣れていくのに、吉隆はどうしても慣れることができなかった。
重秀に仕えて以降、重秀の側で重治の兵法を聞き、兵法については詳しくなった吉隆。さらに去年の有岡城攻め、花隈城攻めでは実戦を経験し、有能さの片鱗を見せ始めてきた吉隆であったが、船の上では言葉に出来ないほどの役立たずであった。
とうとう重秀は出陣の前々日に吉隆を水軍から外すことを決定。その旨を吉隆に伝えると、冷静沈着な吉隆にしては珍しく感情を露わにし、涙を流しながら猛抗議した。
「船酔いごときで若君に見捨てられるなら、死んだほうがマシです!」
そう言って脇差しを抜いて腹を切ろうとした時には、重秀だけでなく福島正則や加藤清正までが止めにかかったほどであった。結局、一刻かけて説得した結果、吉隆は船を降りることを了承した。
「・・・伊右衛門はお主の軍才を買っている。伊右衛門の下で存分に働くが良い」
「・・・ははっ」
そう言って礼をする吉隆から、重秀は視線を松寿丸に移した。
「松寿丸。お主の父と善助(栗山利安のこと)は先陣の孫右衛門尉殿(別所重宗のこと)と共に行動されている。二人共いなくて寂しいだろうが、弥三郎(石田正澄のこと)共々兵庫城の守りは任せたぞ」
重秀がそう言うと、松寿丸がムッとした顔つきになった。
「恐れながら若君!私めは子供ではございませぬ!父上や善助がいなくても、寂しゅうございませぬ!」
口を尖らせてそう言う松寿丸に、重秀は笑いながら「そうだったな」と答えた。そしてそのまま話を続ける。
「それならば、兵庫城は任せたぞ」
「は、はいっ!」
元気よく返事をする松寿丸に相好を崩した重秀は、手を振りながら二人から離れて行った。
重秀が次に訪れたのは、入江にある桟橋の一つであった。この桟橋は、入江の外で投錨している関船へ向かう渡し船へ乗り込むための桟橋であった。そこで重秀は、ある武将に声をかけた。
「四郎左衛門、息災か?」
「これは若君」
四郎左衛門と呼ばれた武将は、隣りにいた若武者と共に片膝を付いて跪いた。重秀が話をする。
「四郎左衛門、船軍はこれが初めてだろうが、水野にいた頃は今川や武田を相手に兵を率いて武功を上げたと聞いている。ここ数ヶ月の鍛錬で『夕立丸』の水夫達を見事統率していた。船長として、息子共々見事な働きをすることを期待している」
重秀がそう言うと、四郎左衛門と息子と言われた若武者が再び頭を下げた。その後、重秀がその場を去るのを見届けた二人は、周りに聞こえないように囁きあった。
「・・・どうやらまだ気がついていないようですな、父上」
「うむ、清六郎の軍勢が来ると知った時にはさすがに心が乱されたが、まだ清六郎は我等に気が付いていないようだ。まあ、向こうも水軍にいるとは思うまい」
「・・・このまま隠し通せばよいのですが」
「なに、上様も清六郎も、海まで捜しに来ることはあるまい。それよりも、拾ってくれた若君の恩に報いることを考えよう」
そう言うと外峯四郎左衛門―――本名津田盛月と息子の与左衛門―――本名津田信任は、桟橋から渡し船へと移っていった。