第127話 勝龍寺城にて
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天正六年(1578年)八月下旬。重秀は石田正澄と護衛の侍数人とともに京に来ていた。
まず、京では日野輝資の屋敷へと向かった。兵庫城にて重秀を始め家臣達に学問の講義をしてくれることへのお礼と、束脩(入門費のこと)を支払う旨の証書を持ってきた。
「この証書を千宗易様にお渡しくだされば、後日銀子が届きまする。どうぞお納めくだされ」
狭い客間にて、重秀が証書を側にいた青侍に渡すと、青侍が輝資に証書を手渡した。
「ほほほ、さすがは羽柴さん。これだけの銀子をいただけるとは、教えがいがあるというものであらしゃいます。この銀子に見合うよう、しっかりとお教え致すでおじゃるよ」
「ははっ、参議様の名を汚さぬよう、しっかりと精進致す所存にございますれば、ご指導のほど、よろしくお頼み申し上げまする」
深々と平伏した重秀。しかしすぐに頭を上げると、重秀は青侍に向かって話しかける。
「ときに、参議様に須磨の話をしたいのですが」
それを聞いた青侍が輝資の方を見ると、輝資は頷いた。青侍が重秀に言う。
「殿は直言直答をお許しじゃ」
「有難き幸せ。須磨では参議様をお迎えすべく、御殿を造ろうと思っておりまする」
重秀がそう言うと、輝資が「ほう・・・」と目を輝かせながら呟いた。食らいついてきた輝資に重秀が更に畳み掛ける。
「候補と致しましては、福祥寺の境内に造ろうかと思っております。参議様に置かれましては、是非とも在中納言様(在原行平のこと)が歌を詠んだ須磨にて、歌の手ほどきを我等にして頂きとう存じまする」
重秀がそう言うと、輝資は手を叩いて喜んだ。
「羽柴さんは雅をよう知ってあらしゃいます。須磨に御殿ができたならば、京の公家共はこぞって須磨へ下りましょうぞ」
「有難きお言葉。今は摂津も安定しておりませぬ故、すぐにという訳には参りませぬが、いづれ公家の皆様に喜ばれるような御殿を作りとう存じまする」
輝資の言葉を聞いて手応えを感じた重秀は深々と頭を下げるのであった。
その後、日野屋敷を退出した重秀等はその足で広橋兼勝の屋敷を訪れた。輝資と同じ収束を渡し、お世話になる挨拶をした。広橋屋敷を出た後、宿に戻ってその日は終わった。
次の日、日の出から少したった後に宿を出ると、真っ直ぐ長岡屋敷へと向かった。長岡屋敷の表門の脇にある潜戸を叩くと、中から屋敷の小者が出てきた。
「どなたですか?」
小者の質問に答えたのは正澄であった。
「それがしは石田弥三郎。こちらにおわすは羽柴藤十郎君である」
正澄がそう言うと、小者は「へい、聞いております」と言って重秀と正澄を招き入れた。
小者の案内で客間に通された重秀達は、しばらく客間で待っていた。すると、有吉立行が客間に入ってきた。そして重秀の前に座ると、平伏しながら重秀に挨拶をした。
「羽柴様、お待ち申しておりました。有吉四郎左衛門でございまする。此度はわざわざのお運び、恐悦至極にございまする」
そう言われた重秀は、首を横に振りながら答える。
「いえいえ、どうぞお気遣いなく。して、例の物は?」
重秀が聞くと、立行は「すでにできております」と返事をした。そして両の掌を二度打った。すると、一人の侍が小さな箱を持って客室に入ってきた。その侍は立行の斜め後ろに座ると、持っていた箱を前に差し出した。
「完成した百人一首カルタにございます」
立行が重秀に差し出すと、重秀が箱を見つめた。漆塗りの金蒔絵がなされた美しい箱は、高級さの中にも風流を兼ね備えた上品な作りであった。
重秀が箱の蓋をそっと開けると、中には札を重ねた物が二つ並んでいた。左右から一枚づつ札を取って裏返して見ると、右の札には人物の絵と上の句が、左の札には下の句のみが書かれていた。
じっと見つめていた重秀が立行に語りかける。
「・・・素晴らしい出来です。これなら、カルタとして遊べますし、歌仙絵として蒐集物にもなり得ます。与一郎殿は素晴らしいものを作られました」
「若君(長岡忠興のこと)もカルタの出来に満足しておられました。過日の『結婚の儀』にて、玉姫様に差し上げられ、玉姫様も大変喜ばれたとか」
八月中旬に行われた長岡忠興と明智光秀の娘の玉との婚儀は滞り無く終わった。丹波平定直後ということで、戦勝の気分と相まって、大変華やかな婚儀となったらしい。
「そう言えば、羽柴様は明日の勝龍寺城で催される祝宴に参加されると聞いておりますが」
立行が思い出したかのように言うと、重秀が頷いた。
「与一郎殿だけではなく、日向守様(明智光秀のこと)からも招待を受けております故」
「左様でございましたか。いや、本来ならそれがしがご案内致すところ、訳あってこの屋敷から動けませぬ故、羽柴様には申し訳なく・・・」
立行がそう言って平伏すると、重秀が顔の前で右の掌を振った。
「いえいえ、どうぞお構いなく。道は知っております故」
その後、重秀は頼んだ百人一首カルタを受け取ると、長岡屋敷を後にしたのだった。
長岡屋敷を後にした重秀は、京にある小西隆佐の店へとやってきた。もっとも、ここは店というよりは伴天連達の京での活動拠点の一つとなっていたが。
重秀は小西隆佐に忠興と玉への贈り物の手配を頼んでいた。重秀自身水軍の調練で忙しく、自ら選んでいる暇のない重秀は贈り物を隆佐に頼んでいたのだった。
本来他家へ贈り物を送るのは秀吉の仕事であり、実際は妻の仕事なのだが、秀吉は播磨調略で忙しく、妻もいないため重秀が請け負う羽目となった。
もっとも、秀吉は重秀が自ら請け負うとは思っていなかった。縁に任せるものとばかり思っていたので、後日このことを知った秀吉は重秀にお説教を食らわさなければならなかった。
「これは羽柴様。ようこそお越しやす」
顔なじみの番頭に声をかけられた重秀は、その番頭に尋ねる。
「頼んでおいた物、用意してくれたか?」
「へい、旦那さんから聞き及んでおりまっせ。こちらでおま」
そう言って案内された部屋には、多くの箱が置かれていた。重秀が箱を開けて中身を確認していく。
「・・・うん、こちらの望み通りの品ばかりだ。これなら与一郎殿や玉殿も喜ぶであろう。隆佐殿には礼を言っておいてくれ」
重秀が番頭にそう言うと、顔を正澄に向けて「弥三郎、代金を」と言った。番頭が慌て両の掌を振りながら断る。
「あ、旦那さんから『お代はいりまへん』と言付かっておりますさかい、代金を受け取るわけにはいきまへん。受け取ったら叱られますさかいに」
「そういう訳にはいかんだろう。私の代わりに京や堺で買ってきて貰ったのだ。銭を払うは当然であろう」
重秀もそう言って銀子を置いていこうとするが、番頭も頑なに拒否する。そんな押し問答を長いことやっていたが、埒が明かないと思った重秀が諦めたような顔をしながら番頭に言う。
「・・・相分かった。では一旦持ち帰るとしよう。後日、隆佐殿と直接会った時にお支払いするとしよう。それなら、お主も隆佐殿に叱られることはあるまい」
重秀がそう言うと、番頭は「おおきに。助かります」と言って頭を下げた。
その後、重秀は番頭と贈り物を運ぶ人夫について手はずを整えると、宿に戻って明日の出発の準備をした。明日はいよいよ勝龍寺城へと向かうのである。
次の日、重秀と正澄、供の侍と贈り物を運ぶために雇い入れた人夫達は勝龍寺城に着いた。そして着いた途端、重秀と正澄は長岡家の家臣によって大書院へと連れて行かれた。
大書院には上座に長岡藤孝・忠興親子が座っており、二人の斜め前には左右に分かれて二人の女性が座っていた。向かって右側には壮年の女性が座っており、向かって左にはうら若き美少女が座っていた。
下座の真ん中に座った重秀は、平伏すると藤孝・忠興親子に祝辞を述べた。そして頭を上げると、藤孝が重秀に語りかける。
「羽柴殿。ようお越しになられた。我が愚息の我が儘を聞いて頂き、この兵部大輔、感謝致す」
そう言って軽く頭を下げる藤孝。それに続いて忠興も話しかける。
「藤十殿!忙しい中来て頂き誠に恐悦至極!早速紹介いたしましょう!我が妻、お玉でござる!」
やたらとテンションの高い忠興が美少女に手を差し伸ばすと、美少女がたおやかに平伏した。
「長岡与一郎様の妻、玉にございまする。父上(明智光秀のこと)からはお噂はかねがね聞いておりまする。夫共々、何卒よろしゅうお願い致しまする」
重秀も作法通りの礼をして返事をする。
「ご丁寧なご挨拶痛み入ります。羽柴藤十郎重秀にございます。与一郎殿を始め、兵部大輔様、日向守様には大変お世話になっております」
そう言うと、頭を上げて玉の方を見る。平伏しているとは言え、顔をそれほど下げていないせいか、重秀からは玉の顔が一応見えていた。知的な感じのする、現代で言うところのクールビューティーと言ったところか。
―――これはまた美しい姫君ではないか。とらも美しかったが、それ以上ではないか―――
そう思った重秀であったが、同時に、
―――拙いな。この姫は父上好みだ―――
とも思った。
「・・・藤十殿。如何なされた?その様な険しい顔をされて・・・?ま、まさか、玉によからぬ想いを抱いているということはありますまいな!?」
忠興がそう叫ぶと、いきなり立ち上がった。両手に拳を作り、今にでも重秀に飛び掛からんとしていた。重秀が慌てて両手を振りながら釈明する。
「いやいやいや!そうではなくて!・・・ああ、そうそう!ご両人へ祝儀をお持ち致しました!いや、慌てて揃えた故、お二方が気に入ってくれぬのではないかとずっと案じておりました!それが顔に出てしまったのです!ご不快にさせて申し訳ない!」
「ああ、そうでしたか。なら良いです」
そう言うと忠興は機嫌良さそうな顔をして座った。隣では藤孝が眉間を指で抑えながら溜息をついていた。
「・・・すまぬ、羽柴殿。与一郎は昔から玉のことになると己の感情を抑えきれなくなるようで・・・。儂と十兵衛殿(明智光秀のこと)が公方様(足利義昭のこと)と共に各地を放浪していた時分、玉が男共に絡まれたりするとすぐに男共を斬り捨てておった。その癖が未だに抜けぬらしい」
「それって癖って言うんですか・・・?」
うわぁ、という表情を浮かべながら尋ねた重秀であったが、これ以上追求すると何やらやばい感じがしたのだろう。話を変えることにした。
「・・・とりあえず、これは与一郎殿と玉殿への祝儀の品です。お納めくだされ」
そう言うと、重秀は懐から目録を取り出すと、両手で差し出した。壮年の女性―――藤孝の妻である麝香が受け取り、息子の忠興に渡した。
「藤十殿、かたじけなく受け取らせていただく」
「それと、百人一首カルタの遊びを考えました。その説明を書いた書物も持ってきました」
重秀がそう言うと、忠興は「おおっ!」と叫んだ。重秀が懐から書を取り出すと、麝香を介して忠興に渡した。
忠興が書を見ながら重秀に言う。
「・・・へぇ、一対一で札を取り合って競う遊び方、ですか」
「百枚ある下句の札を五十ずつ分けて互いの持ち札とし、己の札を前に並べて陣を作り、読み手が上句の札を読み上げて札を取り合っていきます。敵陣の札を取ればそのままとし、自陣の札を取れば敵陣から一枚自陣に組み込むようにします。最終的に相手の陣の札が全部無くなったほうが負けです」
重秀の考えた対戦方法は、現代で言うところの『源平合戦』というルールに近い。もっとも、現代のルールでは自陣の札を先に無くした方が勝ちなのだが。
「・・・なるほど、なかなか面白そうですな。一対一の勝負となれば、武士達も囲碁将棋と同じように熱が入るでしょう。早速それがしも遊んでみまする」
そう言ってニコニコ顔となる忠興であった。
夜になり、酒宴が始まった。婚儀内で行われる酒宴と異なり、今回は長岡・明智家の親戚や家臣以外の招待客が参加していた。そのほとんどが旧足利幕府で奉行や奉公を行い、足利義昭追放後は信長に従った者達であった。なので重秀には顔なじみが少ない酒宴であった。唯一知っている顔と言えば、村井貞勝と明智光秀と津田信澄、そして柴田勝家であった。
―――なんで柴田様がここにいるんだろう?―――
そう思いながら勝家を見つめる重秀に、隣りに座っていた信澄が耳元で囁いた。
「親父殿(柴田勝家のこと)は兵部大輔殿と日向殿に本願寺攻めの助力を頼みに来たのさ。まあ、断られたけどな」
「ああ、なるほど」
重秀がそう頷いているうちに、酒宴が始まった。
最初は和気あいあいとした酒宴であったが、そこは武士の酒宴である。自然と戦の話になっていった。
「丹波の平定が相成って、次は丹後ですか。ま、あの一色なら義父上や兵部大輔殿なら大した敵ではないでしょう。楽勝ですな」
信澄がそう言って酒を煽ると、周囲の者達も同意するような声を上げた。一方、明智光秀は薄く笑いながら首を横に振った。
「いえいえ、地の利は向こうにある故、油断はできませぬ。それに兵の回復もしなければなりませぬ。すぐに丹後へは出兵できぬでしょう」
「左様、それに丹波の人心は荒んでいる。それを安んじなければ、一揆や反乱が起きかねん。まずは足元を固めることじゃ」
光秀に続いて藤孝もそう言うと、重秀等が頷いた。
「そういや、親父殿の方はどうなってるんだ?本願寺はまだ落ちないのか?」
信澄が育ての親である勝家にそう言うと、勝家は首を横に振りながら話し出す。
「後もう少しじゃ。九鬼水軍が木津川河口に大安宅船が陣取っており、毛利水軍の輸送を阻んでおる。さらに、和泉の真鍋水軍も戦死した真鍋七五三兵衛(真鍋貞友のこと)の跡を継いだ真鍋五郎右衛門(真鍋貞成のこと)の下で復活しつつある。摂津も紀伊守(池田恒興のこと)の下で兵力を回復させており、野田城や福島城から楼の岸砦に対して圧力を強めておる」
そこまで言うと、勝家は酒を飲み干した。そして再び話を続ける。
「後は上様の許しさえあれば石山の本願寺など、一気に叩き潰せたのじゃが・・・。上様は本願寺攻めを許してはくれぬ。筑前めの播磨攻めは許したというに・・・」
そう言うと、勝家と隣りにいた養子の柴田勝安(のちの柴田勝政)は重秀の方に視線を移した。特に勝安は重秀に鋭い視線を送っていた。そんな視線を浴びて内心ビクつきつつも、重秀は落ち着いた声で話し始める。
「・・・毛利が今年の年末から来年の上旬にかけて上洛の軍を起こすとの報せを受けました。また、備前や美作では浦上の残党が宇喜多に対して反乱を起こすとの報せも入っております。毛利方が播磨へ兵を送れぬうちに、播磨に残存する織田方の国衆を救う必要がございます。それ故、上様は父上の播磨出兵を許したものと存じます。近隣の味方を失えば、敵を多く作るのは能登の畠山家を見れば明らかにて」
「確かに、能登の畠山家を救えなかった結果、播磨の国衆・・・特に小寺と別所は毛利に寝返っていたな」
重秀の話を聞いていた光秀がそう言うと、勝家と勝安の顔が渋い顔となった。そんな二人の様子を見た信澄が話題を変えようとする。
「そ、そう言えば、能登の畠山で思い出したが、確か不識庵(上杉謙信のこと)が死んだ後、越後では動乱が起きているんだっけ?右衛門尉殿(佐久間信盛のこと)が北国に攻め込めば、加賀、能登、越中はあっという間に我等のものであったろうに」
「ああ、全くじゃ!あの鈍牛、未だに越前から動こうともしない!我が養父上なら、あっという間に北国を平らげ、越後になだれ込んでいただろうに!」
勝安がそう大声を上げると、勝家が「めでたい席で大声を上げるな」と窘めた。しかし、そのめでたい席の主役も声を上げる。
「三左衛門殿(柴田勝安のこと)の言う通りでござる!上杉の影響が無くなった北国など、切り取り次第ではござらぬか。惟任の義父上なら北国を平らげていたでしょう!」
忠興の言葉に、酒宴の席のあちらこちらから佐久間信盛への不満の声が上がった。
「そもそもここ数年全くと言っていいほど動いておらぬではないか。日向殿や兵部大輔殿がどれだけ汗と血を流してきたか」
「越前で呆けている者が織田家筆頭家老とは片腹痛し」
「それでいながら己の知行を増やすことには目ざとい。戸次右近殿(簗田広正のこと)の後任に息子(佐久間信栄のこと)をねじ込み、加賀の江沼郡と能美郡、大聖寺城を我が物にしているではないか」
そんな声が上がる中、忠興の隣りに座っていた玉の顔が段々と曇ってきた。せっかくの祝宴なのに、自分とは関係のない不満を聞かされることに心を痛めてしまったのだろう。それに気がついた重秀が声を上げる。
「み、皆様方!今宵は与一郎殿と玉殿の弥栄を願う場にて、他人を恨む場ではございませぬ!恨み言ではなく、二人の門出を祝うことを述べましょうぞ!」
重秀の言葉に、宴の席が水を打ったように静かになった。
―――拙い、場が白けてしまった。これはやっちまったか?―――
重秀が背中に冷や汗をかいている中、勝家が声を上げる。
「藤十郎の言う通りよ!今は二人を祝い、幸多からんことを願おうではないか」
勝家がそう言うと、皆が口々に祝いの口上を述べた。酒宴の空気は再びお祝いモードへと切り替わった。
―――た、助かった―――
そう思った重秀は勝家に頭を下げた。すると、勝家は重秀が想像もつかないような優しい目で頷いたのであった。




