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第124話 兵庫城(前編)

感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。大変励みとなっています。


PV数250万を突破いたしました。総合評価15000pt突破いたしました。ご愛読頂きありがとうございました。


今後ともよろしくお願いいたします。


 天正六年(1578年)八月上旬。兵庫津に千宗易、山上宗二、そして長谷川信春(しんしゅん)(のちの長谷川等伯)がやってきた。彼らは兵庫津の入り口に当たる湊口惣門に差し掛かると、そこで意外な人物の出迎えを受けた。


「やあやあ宗匠!よくぞ兵庫までお越しくださいましたな!」


「・・・筑前守様?何故この様なところに?」


 秀吉の姿を見つけた宗易が思わず声を上げた。隣りにいた宗二は目と口を大きく開けて驚いていた。


「いやぁ、兵庫城の様子を見に来たら、藤十郎から『今日宗匠が来られる』とほざきましてなぁ。あ奴は肝心なことを儂に言わなくて困る!というわけで、儂が出迎えたっちゅう訳ですわ」


 たはは、と笑いながらそう言う秀吉に、宗易は「私如きにこの様なところまで出迎えに来てくださり、恐悦至極に存じまする」と言いながら深々と頭を下げた。

 秀吉が慌てたように両手を振りながら宗易に言う。


「宗匠、宗匠!頭をお上げくだされ!上様の御茶頭の一人であり、我が師匠たる宗匠に頭を下げさせては儂の面目が立ちませぬ!ささ、頭をお上げくだされ!」


 そう言うと秀吉は宗易の手を取ると、宗易に負けじと頭を下げた。


 なにはともあれ、宗易達は秀吉と護衛の兵達に囲まれて兵庫城に入った。兵庫城はまだ完全に完成はしていないものの、防衛施設としての機能はしていた。

 西国街道は北から兵庫津を通り、途中で西に曲がるが、その曲がる部分から道を南に伸ばし、入江にぶつかる部分でその道を丁字路にして東西に伸びる二つの道に分ける。その道に囲まれるようにして兵庫城は建っていた。西国街道から少し離すことで、敵から直接のアクセスを避けていた。

 宗易たちがその道を通り、武家屋敷の並ぶ侍町を抜けて搦手門へと向かう。搦手門の前には大きな堀があり、その堀にはこれまた大きな木橋が架けられていた。しかもこの木の橋はわざと城の外壁と並列的に架けられるよう、食違虎口と言われる作りとなっていた。これで木の橋を渡ろうとする敵の側面に鉄砲や弓で攻撃できるようになっていた。

 宗易達が搦手門をくぐると、そこは石垣と城壁が目に飛び込んできた。宗易が左右を見渡すと、左右も石垣と城壁で囲まれており、右側に城門があった。俗に言う虎口と呼ばれる施設である。門の内側を壁で囲んだ虎口を内桝形虎口と言うが、兵庫城のも内桝形虎口であった。

 右側の門をくぐると、更に桝形虎口となっており、左右の城壁にそれぞれ城門が付いていた。


「宗匠、この右手の城門の先に本丸御殿と天守がございますぞ」


 秀吉がそう言って宗易達を案内した。宗易が視線を秀吉が指差す方へ向けると、そこには天守の骨組みが建てられていた。


「天守はまだできておらぬのですね」


「まあ、天守よりも先に作らなければならぬものが多くて、ついつい後回しになってしまいましてなぁ」


 秀吉が笑いながら宗易の質問に答えた。宗易の横から宗二が質問する。


「左側の門の向こう側は一体・・・?」


 そう訪ねた宗二に対し、秀吉が答える。


「あの門の先は上様の『御座所』となっている。まあ、宗匠や宗二殿はいづれ上様に招かれて『御座所』に入れると思うのじゃが、今は建造中でしてなぁ。危ないのでどうか入らずに」


 秀吉の発言に対し、宗易が「分かっております。どうぞ案じなされませぬよう」と言って頭を下げた。どうやら秀吉の「上様の警護の秘密上、無闇に立ち入るな」という言外の意図も汲み取っていたようだった。


 そんなこんなで本丸御殿の玄関まで来た宗易達は、ここで重秀を始め羽柴の家臣団の出迎えを受けた。


「宗匠、宗二殿、そして長谷川殿。ようこそ兵庫城へお越しくださいました」


 重秀がそう言って頭を下げると、周りにいた者達も宗易達に頭を下げた。今までその様な場面に出くわしたことのない信春が唖然とする中、宗易と宗二は慣れた感じでお辞儀をした。


「これは藤十郎様。わざわざの出迎え、恐悦至極に存じまする。筑前守様からこちらに来る途中で、この城の縄張や普請に携わったと聞きました。見事な城であると感嘆しておりまする」


「恐れ入りまする。しかしながら、この城は全て前野将右衛門殿(前野長康のこと)が縄張から普請、作事を行ってきました城でございます。私は何もしておりませぬ」


 宗易の挨拶に対し、重秀がそう言って謙遜したが、横から秀吉が「何を言っておるか」と口を挟んできた。


「食違虎口や複数の内桝形虎口、それに多門櫓の多用はお主の提案じゃろうが。何もしてないわけなかろう」


「提案はしましたが、その後の作事には参加しておりませぬ。その時は安濃津にいましたから」


「阿呆。実際に作事しなければ関わったことにはならぬという法があるか。そんなこと言ったら上様は安土城を造ったという評価を得られぬではないか」


「いや、上様は確か本丸の石垣を自ら運んでませんでしたっけ・・・?」


 重秀がそう呟くのを無視して、秀吉は宗易達を本丸御殿へと案内したのであった。





 兵庫城の本丸御殿は長浜城の本丸御殿よりも狭い。ただでさえ狭い兵庫城の本丸。そこに御座所という施設のスペースを取ったため、自然と本丸御殿が狭くなってしまった。そんな本丸御殿の表書院では、秀吉が上座に座り、重秀や家臣団が表書院の左右に別れて座り、下座の真ん中では宗易を先頭に、宗二と信春がその後ろに、三人で三角形になるような形で座っていた。


「筑前守様、ご紹介致します。こちらに侍るのが絵師の長谷川信春にございまする」


 宗易がそう言って信春を紹介した。信春がおでこを床にこすりつけるほどの平伏をしながら声を上げる。


「ご、御前に侍りまするは能登は七尾の生まれ、染物屋長谷川宗浄が養子、長谷川信春と申します!絵にはいささか腕に覚えがございますれば、何卒お引き回しの程、よろしくお願い申し上げまする!」


 やたらと力の入った自己紹介をした信春は、顔をあげると懐から二本の巻物を取り出して前に差し出した。


「こ、これはそれがしが描いた仏画と水墨画にございまする!羽柴様に献上致しまする!」


 秀吉は信春の側にいた三成に合図を送ると、三成が巻物を受け取り、秀吉に渡した。秀吉が巻物を巻いている紐をほどき、まずは一本の巻物を広げた。

 それは掛け軸であった。その掛け軸には観音菩薩が鮮やかに描かれていた。秀吉が思わず「ほう・・・」と声を上げた。

 続けてもう一本の掛け軸の紐を解いて広げる。そこには、水墨画で竹林で佇む虎の姿が描かれていた。モノクロであるものの、竹の節や葉の繊細な描かれ方と、虎のダイナミックな姿が互いを引き立てる構図と手腕は、信春がただの絵師ではないことは秀吉にも分かった。


「・・・いや、見事な掛け軸を貰った。さすが宗匠が推薦するだけの腕を持っているな」


 秀吉が信春にそう言うと、信春は「はっ!もったいなきお言葉!」とおでこを床に叩きつけて平伏した。


「ふむ、藤十郎から『本丸御殿の障壁画は宗匠推薦の長谷川信春殿がよろしいかと』と文で知らせてきた時は、何言ってるんだ?こいつは?と思ったが、これなら本丸御殿の障壁画は任せても良いな」


 秀吉がそう言うと、急に悲しそうな顔つきになった。皆が訝しる中、秀吉が話を続ける。


「ただ・・・。済まぬが、『御座所』については狩野一門の絵師に任せることになっておる。あそこには儂の家臣の息子が弟子入りしておってのう。今では師匠と共に安土城の障壁画を描くようにまでなっておる」


 秀吉の言葉を聞いた宗易と宗二は驚いたような顔をし、信春の顔から血の気が引いた。秀吉が更に言葉を続ける。


「まあ、『御座所』はな、上様がお泊りになる所故、無名な絵師よりも有名な絵師に頼まざるを得ぬ。それは理解できるな?しかも、狩野一門はついでに本丸御殿も描いて良いと言ってきた。弟子入りした例の家臣の息子の誼で、ということでな。

 ・・・しかし、狩野一門はちと高い見積りを出してきてのう。いや、天下の狩野一門じゃ。銭については不満はないのじゃが、これから先、播磨平定に銭が必要と考えるとのう。それに、狩野一門は他の仕事で忙しくてのう。どうも完成に時がかかりそうなんじゃ・・・」


 秀吉がそう言った瞬間、信春が大声を上げて懇願する。


「銭はいりませぬ!時もかけませぬ!何卒、何卒本丸御殿の障壁画は私めにお任せくだされ!」


 そう言って信春がおでこをガツンと床に叩きつけて平伏した。さっきからおでこを床に叩きつけているせいか、すでにおでこに血が滲んでいた。そんな様子をじっと見ていた秀吉。真面目そうな顔が急に破顔すると、大笑いしながら信春に話しかける。


「あっはっはっ!そなたの想い、この筑前確かに受け取った!しかしのう、いくら無名な信春殿に絵を頼むとは言え、無給無休で働かせては羽柴の面目が立たぬ。なので、狩野一門が見積もった銭の額をお支払いいたそう」


 ポカンとした顔をしながらおもてを上げる信春に、秀吉は更に話しかける。


「時もそれほどく必要はない。描くのに必要な物があれば遠慮なくそこにいる藤十郎や将右衛門に請求せよ。お主の持てる力をこの本丸御殿で解き放つがよい」


 秀吉がそう言うと、信春が「有難き幸せ!」と言って再びおでこを床に叩きつけて平伏した。叩きつけた衝撃で、床に血が飛び散るほどであった。





「父上、信春殿への支払い、値切るものと思っておりました」


 宗易達との会見が終わった後の表書院にて、残っていた重秀が同じく残っていた秀吉にそう語りかけた。秀吉がクツクツ笑いながら重秀に答える。


「あそこで値切れば羽柴の名折れよ。それに、城の茶室の造成は宗匠がただで監督してくださるとおっしゃっていたではないか。宗匠の茶室を持つ城はこの兵庫城は初めてぞ。その栄誉を受けられるのであれば、銭を払うに躊躇ためらいはない」


 重秀が「なるほど」と言うと、秀吉は話題を変えた。


「ところで、参議様(日野輝資のこと)と頭弁とうのべん様(広橋兼勝のこと)のあれな。お受けすることにした。すでに返事の文は出している故、兵庫城にて講義を受けるように」


 秀吉の言う「あれ」とは、輝資による儒学と和歌の講習と兼勝による文筆の講習のことである。


「承知いたしました。公家衆から学問を習うのは気が引き締まる思いにて、羽柴の恥にならぬよう精進致します」


 そう言って平伏する重秀。しかし、すぐに頭を上げると、重秀は秀吉に自分の想いを伝える。


「しかし、兵庫城まで来られるとは思いもしませんでした。てっきり、私めが京まで足を伸ばすのかと」


「あのお二方、兵庫には興味を示してはおらぬ。むしろ須磨に興味があるらしい。須磨に行くのを楽しみにしている、と返事に書いておったわ」


 ムスッとした顔つきで脇息きょうそく(肘を乗せてもたれかかる安楽用具のこと)にもたれ掛かって言う秀吉。重秀はふとゆかりを思い出した。


「・・・やはり、光の君の物語で名を馳せたからでしょうか?」


 重秀がそう聞くと、秀吉は首を横に振りつつ答える。


「というより、在中納言(在原行平のこと)の故事から、須磨に興味を持ったらしい。『松風村雨伝説』はもはや公家衆では知って当たり前な話だからじゃのう」


「ああ、あの話ですか」


 重秀がそう言うと、最近聞いた伝説を思い出していた。


 平安時代から須磨は貴族の隠遁先、もしくは軽い流刑の地として貴族社会では知られた場所であった。『源氏物語』で光源氏が権力闘争に負けて須磨に落ち延びていった話があるが、それは在原行平の逸話がモデルとされている。

 在原業平の兄であり、在中納言、在民部卿として知られる在原行平は、『伊勢物語』等で色男ぶりを喧伝された弟とは違い、謹厳実直、有能な能吏として知られていた。そんな行平であったが、ひょんな過失で須磨に流されたことがあった。ここで彼は現代にまで伝わる『松風村雨伝説』を残すことになった。

『松風村雨伝説』とは、流された行平が地元の海女の姉妹に『松風』と『村雨』と名付けて愛したものの、行平が許されて京に帰ったため、姉妹は悲しみのあまり出家する、という伝説である。


「あの話を聞いて思ったのですが、兄も兄ですね」


 重秀が呆れたような口ぶりでそう言うと、秀吉はいやらしい笑みを浮かべた。


「血は争えぬものよ。さだめし、在中納言は海女姉妹のアワビに舌鼓を打っていたのであろうよ」


 グヘヘヘ、と笑いながら秀吉が卑猥なことを言ったが、重秀は「はあ、確かに須磨の海ではあわびは採れそうですな」と頓珍漢な返しを言ってきた。そんな重秀をジト目で見つつ、話を続ける。


「・・・まあ、有職故実を知らなければ公家衆からだけではなく、他の武家からも馬鹿にされる。藤十郎よ、せっかく公家より学ぶ機会を得たのだ。しっかりと学問を習うのだぞ」


 念を押すように秀吉がそう言うと、重秀は「畏まりました」と言って頭を下げた。しかし、すぐに頭を上げると重秀は秀吉に聞く。


「・・・父上、この藤十郎に考えがございまする。どうぞお聞き下され」


「考え?何じゃ?」


 秀吉がそう言うと、重秀は自分の考えを秀吉に披露し始めた。


 兵庫津に戻った重秀は、築城や新たな軍船建造に力を入れている合間を縫って、須磨を視察していた。縁が兵庫に来た時に、須磨を案内するので事前に下調べしたのだ。


 須磨には名勝や建物が多く残っている。白砂青松はくしゃせいしょうの景勝地として有名な『須磨の浦』。菅原道真が太宰府に流される途中で寄った跡地に建立された『綱敷天神』。その昔、和田岬沖から引き上げられたという聖観音像を祀っている『福祥寺』。そして源義経の鵯越えの逆落としで有名な一ノ谷の戦いの場所となった『一ノ谷』も須磨にある。


 そんな須磨を調べた重秀は、ついでに地形も調べた。そしてふと思った。


 ―――そうだ!ここに城を作ろう!―――


 須磨は海から陸地に上がるとすぐのところに山がある。特に鉢伏山は海に面した山で、西国街道は鉢伏山と海岸の間を抜けるようにして通っていた。他にも旗振山、鉄拐山、高倉山、月見山、栂尾山、横尾山、東山と言った山々が須磨の西から北に横たわっていた。

 こういった須磨の地形から、ここに兵庫津の西の防御拠点としての城を作ろう、と重秀は考えたのであった。


「いや、兵庫城を作ってさらに築城は、いくらなんでも銭が足りぬぞ」


 秀吉がそう渋ると、重秀は「いや、そんな大それた城でなくて良いのです」と言った。


「山・・・特に鉢伏山の山頂に小さな城を作り、そこに監視の兵を置くのです。そうすれば、西国街道だけでなく海も見張ることができますれば、そこに狼煙台を作るのです」


「なるほど。西国からの敵が来るのを察知し、報せることができる城が欲しいというのか」


 秀吉がそう尋ねると、重秀はちょっと困ったような顔をした。


「・・・実は、それだけではないのですが・・・」


「なんじゃ。せっかくここまで言ったのじゃ。言うてみい」


 秀吉がそう言って促すと、重秀は意を決したような顔をして話し始める。


「では申し上げます。月見山に御殿を抱える城が欲しゅうございます」


「ほう・・・。何故じゃ」


 秀吉の質問に、重秀はよどみなく答える。


「須磨は景勝地でございます。また、在中納言の『松風村雨伝説』や源平の合戦が行われた場所故、公家だけではなく武家も一度は来てみたいところではないかと拝察いたします。そこで、御殿でもてなすのでございます。特に月見山は在中納言が月を見て歌を詠んだ地と言われております。そこで饗された公家や武家はたいそう喜ぶのではないかと」


 重秀の考えを聞いた秀吉は内心舌を巻いた。つまり須磨を公家や武家をターゲットにした観光地にしよう、と言っているようなものなのだ。


「なるほど。景勝地たる須磨で公家や武家を饗せば、羽柴の名が一段と上がるな。しかも、一ノ谷は上様がご執心である幸若舞『敦盛』の舞台じゃ。上様を饗せば、さぞかしお喜びになるじゃろう。じゃが・・・」


 秀吉はそこまで言うと、困ったような顔をした。重秀が訝しる中、秀吉は残念そうな口調で重秀に言う。


「・・・しかしな、播磨への出兵で銭がかかる。それに、上様がお越しになる際は兵庫城の御座所が饗応の場となる。見張りの城はともかく、饗応のための城は考え直せ。もし、饗応のための御殿が欲しくば、寺か神社に寄進して御殿を作らせよ。もしくは兵庫城を拡張して新たな御殿を作り、そこで饗すが良い。とにかく、月見山に城を作るのは罷りならぬ」


 秀吉の言葉に重秀は一瞬だけ不満そうな顔をした。しかし、直後には納得したような顔になると、「承知いたしました」と頭を下げた。それを見た秀吉が慰めるように言う。


「藤十郎。お主の考え、儂は気に入っておる。いづれ、羽柴で大々的に兵庫にて上様や殿様、公家衆をお呼びして饗応を催そうぞ。いや、まずは日野の参議様や広橋の頭弁様を饗そうぞ。羽柴がただの田舎者ではないことを、京や西国の連中に知らしめてやるのじゃ」


 秀吉が真剣な眼差しでそう言った。その眼差しには、少しの苛立ちや焦りが感じられた。それに気がついた重秀が秀吉に尋ねる。


「・・・父上。ずいぶんと力が入っておりますな。何かございましたか?」


 重秀がそう言うと、秀吉は忌々しげな顔つきになった。


「ふん。それもこれも、みんな別所のせいじゃ!」


 そう言うと、秀吉は重秀につい最近起こった不愉快な出来事を話し始めるのであった。


注釈

紀貫之の書いた『土佐日記』には、老海鼠ほやを男性器、貽貝いがいあわびを女性器として表現している下りがある。

少なくともその時代から鮑イコール女性器と思われていたようである。

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