第122話 照
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天正六年(1578年)六月二十六日。日が昇り、明るくなった鳥羽湾では、波のない海面を数多くの小舟がせわしなく動いていた。
小舟がちょこまかと動いている中で、海面に浮かぶ三隻の大安宅船は、全く動かずにいた。それはまるで、鳥羽湾に最初から築城された城のようであった。そんな浮かぶ城に小舟が接舷し、積み荷を大安宅船に引き渡しては、さっさと離れていった。
重秀はそんな鳥羽湾の様子を、桶の山と呼ばれる海に突き出た小山から眺めていた。
ここには元々志摩の海賊衆の盟主的存在であった橘氏の館があった。九鬼嘉隆は大安宅船を鳥羽やその周辺に集結させる際、橘館を仮の司令部として利用していた。そして、わざわざ『龍驤丸』に乗ってやってきた重秀達を泊めさせていたのだった。
「・・・こうやって見ると、三者三様だなぁ。いや、三船三様と言うべきか?」
重秀はそう呟くと、視界に入っている三隻の大安宅船を見比べていた。
まずは織田信包が造った大安宅船。重秀によって『龍驤丸』と名付けられた大安宅船は、ジャンク帆が折りたたまれているため、見た目は他の大安宅船とさほど変わらなかった。しかし、近くから見れば総矢倉の部分に縦縞模様のように張られた鉄板の黒と、鉄板が張られていない木の色が、あたかも虎の模様に見えるだろう。
「本当ならば、木の部分を少なくして遠目からは黒く見えるはずだったんだが・・・」
急遽黒い鉄板を貼ることになった『龍驤丸』であったのだが、如何せん墨と油と鉄板が足りず、結局は琵琶湖に浮かぶ羽柴の軍船と同じ虎柄になってしまったのだった。
「ま、九鬼様の大安宅船と区別できるから良いんだけどな」
そう言うと重秀は視線を別の大安宅船に移した。いわゆる『伊勢船』であるその大安宅船は全体が黒く塗られており、遠目からでもその重厚さを醸し出していた。
「どんだけの漆を使ったんだか・・・」
重秀が呆れつつもそう呟いた。重秀はあの黒船が、九鬼嘉隆によって造られた大安宅船であることを昨日のうちに嘉隆本人に聞かされていたのだ。
「・・・漆を使うことで防塩と防水、そして防腐性を高めている。まあ、防火性がないのが欠点だが、総矢倉が高いから焙烙玉が船内に飛び込むことはないだろう。それに、最上階の甲板には鉄板を敷き詰めているから、燃えるということもないだろう」
そう言いながらも嘉隆は渋い顔をしていた。重秀がその理由を問うと、「造った六隻の大安宅船全てを漆で塗った。お陰でえらく銭がかかったのよ」と自嘲気味に笑いながら話していた。
ちなみに、鳥羽には嘉隆の造った黒い大安宅船は一隻しか無い。他の五隻は別の入江にあるらしい。今日一斉に投錨した後、志摩半島沖で合流することになっていたのだ。
そんなことを思い出しながら、重秀はまた別の安宅船に視線を向けた。その大安宅船は嘉隆の造った黒い大安宅船と同じ『伊勢船』であった。しかし、形は同じでも、その見た目は全く違っていた。何故なら、その大安宅船は真っ白だったからであった。
「驚きの白さだよなぁ・・・」
そう呟きながら、重秀は昨日白い大安宅船を造らせた張本人―――滝川一益が話していたことを思い出していた。
「・・・我が大安宅船は全体に漆喰を塗っておる。防火性を高め、敵の焙烙玉や火矢に対抗するためだ。まあ、すぐにカビが生えるという欠点はあるが、それはそれで落ち着いた色合いになるであろう。要は燃えなければよいのだ」
一益の言葉を思い出しながら、重秀は改めて白い大安宅船を見た。朝日に照らされて白く光る大安宅船は、九鬼の黒い大安宅船とは違う荘厳さを醸し出していた。
「・・・こうやって見ると、羽柴の虎柄は目立たないなぁ・・・。木の色をそのまま使っているから、虎柄という割には地味なんだなぁ・・・。いっそ、木の部分は金箔を貼るか?」
そんな贅沢なことを考えている重秀の後ろから、誰かが声をかけてきた。
「若!そろそろ出帆の刻限っすよ!」
重秀が振り返ると、加藤茂勝が走りながらやってきた。茂勝が重秀の近くまで来ると、息を切らせながら話し続ける。
「もう右馬允様(九鬼嘉隆のこと)も船に移っております。見送りに参りましょう」
そう言われた重秀は「そうだな」と言って頷くと、茂勝とともに歩き出した。
鳥羽湾から三隻の大安宅船が海に出ようとしていた。停泊地の近くにある相島(今の真珠島)の側を、まずは九鬼の小早が北に向けて走り出した。その後に続くように、黒い大安宅船が動き出した。艪を漕いでゆっくりと進む黒い大安宅船の後を、今度は滝川の白い大安宅船が動き出した。こちらも艪を漕いで進み始めると、ゆっくりと舳先を北に向けて進んでいった。白い大安宅船が十分に進んだ後、『龍驤丸』が動き出した。
特徴的なジャンク帆は上げず、二百本以上ある艪を百足の足のごとく動かしてゆっくりと旋回する『龍驤丸』。舳先を北に向けると、まるで親鴨に付いて行く子鴨のように、先に行く大安宅船を追いかけていった。
そんな様子を重秀は福島正則、加藤茂勝、藤堂高虎、井上成蔵らと共に鳥羽湾に面する海岸から眺めていた。脇坂安治と松田利助、竹本百助が『龍驤丸』に乗り込んで堺まで行く予定であった。
「・・・これから一月もかけて海の上か・・・。甚内のことはどうでもいいが、松田と竹本は苦労しそうだなぁ」
正則がそう言うと、重秀が笑いながら口を開く。
「一月ずっと海の上というわけではない。紀伊国にも九鬼の根拠地があるから、そこで補給を受けることになっている。上陸することもあるだろう」
重秀の言うとおり、紀伊国牟婁郡九木浦には九鬼の根拠地があった。というか、九鬼家の本来の本拠地はそこである。
嘉隆の計画では、一旦九木浦にて物資の補給を行うことになっていた。九木浦から堺まで大安宅船は無補給で行くことになる。
「して、若君。帰りは如何いたしまするか?我が殿からは長浜に寄るように言付かっておりまするが」
高虎がそう尋ねると、重秀が頷きながら答える。
「分かっている。一旦長浜へ行くが、その前に安濃津と日野に寄る。上総介様(織田信包のこと)に別れの挨拶をしていきたいし、せっかくだから忠三殿(蒲生賦秀のこと)にも会いたいし」
重秀がそう言うと、高虎は「承知いたしました」と言って頭を下げた。重秀が正則達に声をかける。
「よし!これで伊勢での我等の役目は終わりだ!長浜へ帰るぞ!」
重秀の声に対し、正則達は「応っ!」と答えるのであった。
大安宅船を見送った重秀が、安濃津城と日野城、そして安土の羽柴屋敷を経由して長浜城に到着したのは、七月六日であった。長浜城に入った重秀は、さっそく留守居役の小一郎と面会をした。
「おお、藤十郎。だいぶ日に焼けたな」
「一月近く海に居りました故」
「うむ。では安濃津の話を聞かせてくれまいか?」
小一郎の言葉に重秀は頷くと、安濃津での出来事を話した。
「・・・相分かった。後は与右衛門から話を聞く故、もう二の丸御殿に戻って良いぞ」
「承知いたしました。ところで、父上から摂津の方で何かあった、という報せはございましたか?安濃津にも文を送っていただきましたが、父上は身の周りのことしか報せませんでしたから、気になっておりました」
「ああ、その件については明日ゆっくりと話そう。今日は長旅の疲れを癒やし、縁様やとら殿に顔を見せてやれ。久しく会っていないのだからな」
そう言うと、小一郎は追い立てるようにして重秀を二の丸御殿へ行かせたのであった。
井上や正則と分かれた重秀は、二の丸御殿に入ると、そのまま『奥』まで進んだ。『奥』ではすでにとらや照、そして夏と七と侍女達が揃って重秀の帰りを待っていた。
「お戻りなさいませ。若君」
待っていたとら達の出迎えの言葉に「うん。今戻った」と答えた重秀だったが、すぐに夏に尋ねる。
「縁はどうした?」
「御姫様は穢れにつき、お籠りあそばしております」
ここで言う穢れとは、生理のことである。この時代、生理中の女性は外の小屋に籠もることを余儀なくされていた。
元々は生理に伴う痛みや不快感を和らげるために静かな環境に女性を置くためのものだったのだが、血イコール穢れという考え方が広まると穢れから他人を離すため、という目的も加わり、この時代では生理中の女性は普通に隔離されていた。
羽柴の正室たる縁をさすがに外の小屋に放り込む訳にはいかないのと、そもそも百姓の出の羽柴家では生理イコール穢れという意識が希薄だったことから、隔離用の小屋は長浜城にはなく、縁は『奥』の一室に籠もっていた。
「・・・そうか。せっかくお義母上の文を渡そうと思ったのに。ついでに伊勢で海魚の干物を土産に持ってきたのだがなぁ」
「海魚の干物ですか!?大好物です!」
重秀が呟くように言った台詞に、照が激しく反応した。
「これっ!照!はしたない!」
そう言って叱る夏に、重秀が「ああ、良い。干物はたくさんあるから」と言って窘めた。
「・・・縁に会うこと罷りならぬか?」
重秀が夏と七に尋ねると、二人は「なりませぬ」と言った。
「若君、御姫様も久方ぶりに若君にお会いできることを楽しみにしておりました。しかし、あえてお籠りになったのは、若君にもし会った後に何かあれば、申し訳が立たないという想いからでございます。何卒、何卒御姫様のお気持ちを組んでくださいまし」
「二の丸殿(縁のこと)は若君を第一に考えるお方にございまする。もし、若君に穢れが移ってしまったら、二の丸殿は必ずや自身を責めなさるでしょう。何卒、二の丸殿をお苦しめになるような事はお控えあるべし」
夏と七にそう言われた重秀は、「・・・相分かった」と元気無く頷いた。しかし、重秀は笑顔を取り戻し、今度はとらに話しかける。
「とら。日野城に寄った時にとらの母上から文を預かってきた。後で渡しておこう」
「まあ、ありがたき幸せ。母がお兄様にご迷惑をおかけになりませんでしたか?」
「それはないから案ずるな」
「それならよろしいのですが・・・。ところで、大安宅船というのはどの様な船だったのでございますか?」
「ああ、詳しい話は言えぬのだが、差し障りのない範囲で話そう。そもそも・・・」
重秀はそう言うと、とらや照、夏と七に大安宅船と乗って鍛錬を行った一ヶ月間の経験を土産話として話し始めたのであった。
その日の夜。日記をしたためた重秀は、身体を伸ばしつつそろそろ寝ようかと考えていた。そんな時、障子の外から声をかけてくる者がいた。
「若君。夏にございます」
重秀が「入れ」と言うと、夏が作法どおりに部屋に入ってきた。そして、平伏しながら重秀に言う。
「申し上げます。御姫様からの言付けがございます」
「縁から?なんだ?」
そう言いながら身体を夏の方に向けて座り直す重秀に、夏は能面のような顔をしながら話し始める。
「『今宵は照と褥を共にし、心身の疲れを休ませますよう』との言付けにございます」
「ちょっと待て」
重秀が夏の発言を右手を上げつつ止めた。重秀が話を続ける。
「疲れて帰ってきているのに、照と褥を共にしてみろ。更に疲れるではないか」
「・・・恐れながら、若君は一月近く船に乗っていたとか。水夫は欲求不満となりやすいがため、湊には遊女が数多くいると聞いております。本来ならば、御姫様が若君の不満を受け止めるのが筋なのでございますが、ご存知のとおり御姫様はお籠り中。そこで、照をと・・・」
「湊に遊女が多いって、よく知っているね・・・」
「安濃津には短いながらも住んでおりました故。それに、市兵衛殿から『兄貴は誘っても遊女屋に入らなかった』と聞いております」
何を言っているのだあいつは、と内心舌打ちしながら重秀は顔を顰めた。
「・・・上総介様(織田信包のこと。縁の実父)のお膝元で女遊びができると思うか?」
重秀がそう聞くと、夏は「分かっておりまする」と言って頷いた。
「それ故、照で満たしていただきたいと御姫様は仰っているのです。若君も、御姫様に癒やされたいと考えていたのではございませぬか?穢れでお籠りと聞いた時に大層残念そうな顔つきをいたしました故、妾も七殿もそう愚考いたしましたが」
夏からズバリ本心を指摘された重秀は怯んだ。確かに、正則達や船乗り達が遊女談義に花を咲かせている中、重秀は悶々と過ごしていたからだ。夏が更に畳み掛ける。
「照も若君のお相手をすることは承知しておりまする。何卒、我が娘の覚悟をお汲み取りくださいまし」
そう言われた重秀は、観念したように「相分かった」と頷くのであった。
寝所に入った重秀は、真っ直ぐに布団の敷いている場所へ歩いていった。そこでは、照が大人しく正座をして待っていた。照は平伏すると、
「お待ち申しておりました。初めてではございますが、どうぞ可愛がってくださいまし」
と言って再び顔を上げた。
「・・・白粉してないのか?」
重秀の質問に、照は「はい」と答えた。
「私めと若君とは祝言を挙げておりませぬ故」
当時、既婚女性は眉を落として顔に白粉を塗り、おでこに眉を書くのが普通であった(お歯黒は子供を産んでから)。一方、愛妾である照は既婚女性とは見做されていなかったので、白粉もせず、眉も落としていなかった。
しかし、これが白粉の匂いが苦手な重秀にはありがたかった。縁の時はいくら薄く塗っているとは言え、やはり匂いはあったからだ。それに、せっかくの柔肌が粉まみれになっているのも重秀は嫌がった。
「・・・で、気になっていたんだが、照の横にある桶は何だ?」
重秀がそう言って指を指した先には、底の浅い桶が一つ置いてあった。暗くてよく見えなかったが、何か液体のようなものが入っている感じであった。
「これですか?黄蜀葵の根を乾燥させて粉状にした物を水に入れたものです。さらに、とろみが付くように鶏卵白も入れております」
照の言葉を聞いた瞬間、重秀は「げぇ!?」と声を上げた。
黄蜀葵の根を細かく刻み、水につけると『ネリ』と呼ばれる粘液が出る。これは和紙を作る際に植物の繊維を均一に分散させる添加剤として、紙漉きの際に水に入れて使用するのである。
なお、ネリは腐りやすいため、長期保存ができない。そこで、黄蜀葵の根を乾燥させて粉状にし、保存性を高めたものもある。水と混ぜれば粘液になるのだが、直に抽出したものよりは粘性は少ない。
羽柴では北近江の小谷で紙を生産しているので、当然黄蜀葵の根も手に入りやすくなっていたし、粉末状のネリも手に入れることも簡単であった。
さて、この黄蜀葵の根から出てくる粘液には、もう一つ重要な使い道がある。それは、衆道の際に使われる潤滑剤である。いわゆるラブローションというものである。
衆道では肛門性交が普通に行われる。肛門に男性器を入れやすくするために男性器に潤滑液を使う必要がある。大体唾液で済ますのであるが、より潤滑させるために黄蜀葵のネリを使うことがあるのだ(そもそも唾液はすぐに乾くので長時間楽しめない)。
小姓時代に衆道を教わった重秀は当然黄蜀葵の粘液の使い方を知っており、それ故衆道に苦手意識を持っている重秀にとって、黄蜀葵の粘液は嫌なことを思い出させるトラウマアイテムであった。
「いや、なんでそんなのがあるんだよ。というか、量が多すぎるだろう」
「程よい粘度を出そうと思って、色々足していったらこの量になってしまいました。そんなことより、これで滑りが良くなりますから、これを若君のアレに塗って、さっさとズブっと挿入れて下さい。房中術とかいらないんで」
「なんでだよ。そもそも初めてだろうに。丁寧にヤらないと痛い思いするのは照だぞ」
重秀が苛立ったようにそう言うと、照は顔をうつむきながら答える。
「・・・所詮私めは腹を貸す身なれば、若君に愛でられるなど、畏れ多いことにございます。何卒、私めではなく、御姫様を愛でて頂きとう存じまする」
照の話を聞いた重秀は、黙り込むと照の前にドカッと座った。贅沢に蝋燭を大量に使って明るくされた布団の上で、照が震えているのが見えた。
重秀は優しい口調で照に語りかける。
「・・・照は本当に縁想いだな」
そう言って重秀は照の頭を撫でた。更に話を続ける。
「照の気持ちは分かった。しかし、房中術はそもそも陰と陽の巡り合わせを行うことで、男女の身体を健やかにし、もって丈夫な子を孕ませるのが目的。腹を借りるとかは関係なく行われるものだ」
そう言うと、重秀は右手を照の頭から離し、左手と共に照の背中に回して抱き寄せた。
「初めてだから不安なのは分かる。まあ、私に任せておけ」
本番経験は縁の一回だけだが、前戯については結婚前に散々鍛錬してきた重秀である。あっという間に照の着物を脱がせてみせた。
高身長で痩せ型の縁と違い、照の低身長ながら豊かな胸が蝋燭の明りで浮かび上がってきた。重秀は傍にあった桶から黄蜀葵の粘液を手ですくい取ると照の胸に塗りつけてきた。
「ひゃああっ!」
思わず悲鳴を上げる照に構わず、重秀は粘液を照の胸だけではなく、全身に塗りまくった。
「わ、若君、何を」
粘液の冷たさとヌルヌルした感触、そして重秀の指の動きで思わず嬌声を上げた照に、重秀が囁く。
「せっかく多く作ったんだ。全身に擦りたくって肌を合わせれば、滑りもより良くなって気持ちよくなるんじゃないか?」
そう言いながら重秀は自分の身体にも粘液を付けると、そのまま照の身体に覆いかぶさるのであった。