第121話 処女航海
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天正六年(1578年)六月に入ってすぐの日、藤堂高虎が長浜、大浦、塩津の船乗りを連れて安濃津へやってきた。これで、『龍驤丸』の乗組員はすべて揃ったことになった。
「こ、これは大きい・・・」
安濃津の港の岸壁から初めて見る大安宅船の大きさに、高虎は思わず口に出した。隣りにいた重秀が苦笑しながら話しかける。
「だろ?よくこんなのを海に浮かべたなと思うよ」
「・・・誠に。しかし、建造してから海へ持っていくのが大変でしょうに」
「まあ、それは潮の満ち引きを利用したらしいな。日に一、二回ほど海面が上下するのを利用したらしい」
「ほう・・・。それは初めて聞きましたな」
「意外と上下するぞ?安濃津では最大六尺(約180cm)の差が出るらしい」
「そ、そんなにですか?それがしの背と同じくらいの高さですが」
「ああ。で、潮が満ちた時を見計らって船を丸太とてこで動かして海に移したそうだ」
「なるほど」
高虎がそう言って納得した。そんな高虎に重秀が尋ねる。
「ところで、例の大鉄砲は持ってきているんだろうな?」
「はい。二十匁は二十挺、三十匁は十挺持ってまいりました。あと、長距離先にいる標的を狙える銃身の長い鉄砲(狭間筒のこと)を三挺ほど」
「そうか。大鉄砲用の台座はすでに船の中にあるから、あとはそれに備え付けるだけだな。
・・・やはり、五十匁は持ってこれなかったか」
重秀がそう尋ねると、高虎は首を横に振りつつ答える。
「あれは国友でも一挺しかない貴重なもの。しかも撃つのに危険が伴います。撃ち方についてはもう少し検証が必要かと」
高虎の説明に、重秀は「仕方ないな」と言って溜息をついた。しかし、残念そうな表情で更に話を続ける。
「右馬允様(九鬼嘉隆のこと)の大安宅船には、南蛮から取り入れた石火矢(大砲の一種。フランキ砲のこと)と言う大筒(ここでは『大きな筒の鉄砲』という意味)が備え付けられているらしい。弾の重さは一貫(約3.7kg)だと聞いた」
「い、一貫!?そんな大きいのですか!?」
「ああ、それを三門乗せているらしい」
「・・・確か、右馬允様の大安宅船って六隻でしたっけ?」
「うん。一隻ごとに石火矢を三門取り付けている」
「ということは占めて十八門の石火矢ですか」
「南蛮の船軍では大筒を使用することが多いから、それに習ったんだろう。羽柴も石火矢と言うか、大筒欲しいなぁ・・・」
「国友の鍛冶衆によれば、五十匁以上の大鉄砲は難しいとのこと。それよりも、鉄砲の銃身を伸ばし、長距離を撃てる方にした方が船軍では有利になると申しておりました」
「まあ、毛利の水軍は焙烙玉を船に投げつけるからな。その前に鉄砲で沈めるなり追い払うなりした方が現実的だな」
「御意。ただ、その場合には鉄砲の数を増やし、弾を切れ目なく撃たなければならないと存じます」
「うん。与右衛門の言うとおりだ。弾薬を装填しやすくし、すぐに撃てるようにすることも必要だな」
「羽柴には紙早合がありますが、それでも弾が重いと装填に時がかかりますな」
高虎がそう言うと、重秀は「うーん」とうなり始めた。
「大きな弾を遅く撃つのと、小さな弾を早く撃つのでは、どちらが良いのであろうな?」
重秀の疑問に、高虎が「それは小さな弾を早く撃つのがよろしいでしょう」と即答した。
「若君。敵は小早を多く使う村上水軍です。素早い動きの小早に大きな弾を当てるのは至難の業です。それならば、多数の鉄砲を早く撃つことで敵の小早を寄せ付けないようにしたほうがよろしいかと」
高虎の意見に、重秀は「なるほど、一理ある」と言って首肯した。そんな時だった。重秀と高虎の側に加藤茂勝がやってきた。
「申し上げます。『龍驤丸』の出港準備ができました」
茂勝の言葉に、重秀が頷くと、茂勝と高虎を引き連れて『龍驤丸』に乗り込むのであった。
信長の命令により、『龍驤丸』は六月二十五日までに志摩の大湊に入ることになっていた。翌二十六日には九鬼嘉隆の指揮の下、大安宅船八隻(九鬼水軍六隻、滝川一益水軍一隻、織田信包水軍一隻)が堺へ進出する予定だったからである。そのため、信包と重秀は相談の上、六月二十三日まで鍛錬を行い、二十四日に大湊に向かうこととしていた。
ちなみに、安濃津から大湊までは船で一日もかからない距離にあったものの、何かあるといけないので日にちに余裕を持たせていた。
『龍驤丸』はその船員のほとんどが羽柴からの派遣であった。後日羽柴家に譲られるからなのだが、基本琵琶湖しか知らない羽柴水軍である。一応、越前一向一揆の際に若狭水軍の指揮下で海での操船技術を学んだものもいるが、その数は少ない。
なので、羽柴の船員は一緒に乗り込んでいる安濃津の舟手衆の指導の下、海での操船技術や航行技術を学んでいた。特に、新しく見るジャンク帆の操作には苦労していた。しかし、松田利助、竹本百助、井上成蔵らの舟手衆の頭目達の的確な指揮で、六月の中旬には操作が上手くいくようになっていた。
また、重秀を始め、福島正則、加藤茂勝、脇坂安治、藤堂高虎は信包の船奉行である高坂松次郎から船軍について学んでいた。特に、安宅船同士の連携については徹底的に訓練された。というのも、九鬼水軍と共に連携して戦う以上、総大将の嘉隆の指示を的確に受け取る必要があったからだ。
ありがたいことに伊勢の舟手衆は大体九鬼水軍と同じコミュニケーション方法を採用していたため、わざわざ九鬼水軍から教師を派遣して貰う必要はなかったものの、伊勢の舟手衆から教えられたコミュニケーション方法を一から学んでいった。
『龍驤丸』の訓練航海は安濃津城周辺を行ったり来たりするだけであったが、それでも重秀達は『龍驤丸』の船としての特性を掴んでいった。特性を掴むにつれて、少しずつ航海の足を伸ばしていった。六月の下旬には、一度大湊沖まで行った後、北上して長島城沖まで行ったこともあった。こうして六月二十三日までたっぷりと鍛錬を積み重ねた『龍驤丸』の船乗り達は、操作にも海にも慣れ、戦力化することに成功していた。
六月二十三日の夜。安濃津城内にある羽柴屋敷(信包がわざわざ重秀のために用意してくれた屋敷)にて、重秀達の最後の話し合いが行われていた。
「兄貴。やっぱり兄貴が『龍驤丸』を直接指揮するのはまずいって。殿さんから『さっさと帰ってこい』って文がいっぱい来ているんだろう?」
「市兄ぃの言うとおりっすよ、若。紀之介(大谷吉隆のこと)からも『若を船で堺に行かせるな』って文が来てるんですから。ここは大人しく兵庫に帰りましょう?」
「『龍驤丸』はこの脇坂甚内が身を賭してでも堺に持っていきます。どうぞ、ご安心くだされ」
「殿(小一郎のこと)より言付けを預かっております。『右馬允様と一緒に船で堺に行くくらいなら、長浜に戻って二の丸殿(縁のこと)やとら殿に顔を見せてやれ』とのことでございました」
正則、茂勝、安治、高虎は順番に重秀を説得していた。というのも、重秀が『龍驤丸』を直接指揮し、堺まで行くと言って聞かないからだ。
重秀が不満そうな顔をしながら皆に反論する。
「そうは言うが、羽柴の水軍を統括するのは私だぞ。父上からもその様に言い付かっているのに、『龍驤丸』に乗らないというのはおかしいだろう」
「しかしながら若君。高坂殿が言うには、大湊から堺まではどう急いでも一月はかかると申しておりました。一月も他の役目を放っておいて、航海にかまけている暇はないと思いますが」
「甚内殿の言う通りだぜ。兄貴よ、兵庫城だってまだできてねぇし、兵庫でも水軍を作らなきゃいけないんだろ?『龍驤丸』には松田と竹本が乗って、井上は兵庫に戻るんだ。井上と田村が兵庫や近隣の村から集めた舟手衆や漁師を鍛え上げなきゃいけないんだぜ。それをまとめるのも役目だろう?」
安治に続いて正則がそう言うと、茂勝や高虎も頷いた。重秀は諦めきらないような声を上げる。
「お前たちの言いたいことも分かる。私も自分に役目があることも分かっている。だがなぁ、この二十数日間で航海について学んだし、実践してみたいんだよ。それに、大海原を船で走るというのは実に気持ちの良いものであることを知った。もっと船に乗ってみたいんだよ」
ほぼ我が儘のようなことを言い出した重秀に、正則が「そんな子供じゃないんだから・・・」と呆れたような声を上げた。だが、ここで「分かりましたよ」と言うほど正則はお人好しではない。
というか、秀吉から直々に「藤十郎をさっさと兵庫に戻せ」と手紙を貰っていた。ここで引き下がるわけにはいかないのだ。
重秀達は長い時間言い争ったものの、正則が重秀の「兄の言うことが聞けないのか!」という言葉に怖じけつくこともなく粘り強く説得し、更に小一郎から重秀の説得方法を聞いていた高虎も同じ様に粘り強く説得した。
その結果、重秀がついに折れ、堺まで『龍驤丸』に乗ることは無くなった。ただ、九鬼水軍に合流するために大湊への航海については、正則達も譲歩して重秀が『龍驤丸』に乗ることを認めたのであった。
六月二十四日の早朝。重秀の指揮の下、『龍驤丸』は安濃津を出港、一路志摩大湊へ進路を向けた。
台風シーズンだったものの、天気は快晴で夏らしい暑さの中、船は一旦南東へ向けて進んだ。この時期の伊勢湾は南風であり、いくら風上でも進めるジャンク帆を搭載した『龍驤丸』でも南には走れない。そこで、船首を南東に向けることで、風上に進めるギリギリの進路を取りつつ、大湊へ向かうこととなった。もっとも、安濃津から見れば大湊は南東の方角にあるので、間切る(ビーティングとも言う。いわゆるジグザグ走行)必要はなかった。
「・・・とはいえ、風が弱いからな。大湊に着くのは遅くなるかも」
船尾にある平櫓の中で重秀がそう呟くと、傍にいた九鬼家の使番が重秀に声をかける。
「しかし羽柴様。それでも三刻もすれば大湊沖には到着いたしましょう。十分間に合いますよ」
「問題はその後だ。そなたの話では、大湊へ入らず、もっと南に行くと言っていなかったか?」
前日に来た九鬼の使番の話では、『龍驤丸』は大湊ではなく大湊の南にある鳥羽という港へ向かうことになっていた。
「我が殿(九鬼嘉隆のこと)は、鳥羽周辺の入江に大安宅船を集結させたいと考えております。あそこは入江が複雑に入り組んでおり、船を隠すには持ってこいな場所ですから」
九鬼家(当時の九鬼家の当主は嘉隆ではなく甥の澄隆である)の領地は志摩半島の先端部分(志摩国)である。志摩半島の先端部分はリアス海岸と小さな島が数多くあるため、海岸線が複雑であると同時に、船を停めやすい穏やかな入江を多く持つ場所であった。そこで嘉隆は大安宅船を入江に分散して停泊させ、隠すことにしたのであった。
もっとも、当時の大湊には大安宅船を8隻も収容するキャパシティは無かったため、分散して停泊させざろう得なかった、という理由もあったのだが。
「『羽柴の大安宅船は大湊沖で我が九鬼の小早と合流後、小早の案内で鳥羽に向かうように』というのが我が殿の言付けでございます」
九鬼の使番がそう言うと、重秀は「分かっている」と頷いた。
「しかし、この南風では大湊から先は艪で進むことになる。もっと遅くなるぞ?」
重秀が懸念を伝えると、九鬼の使番はリラックスしたような顔で答える。
「ご心配なく。鳥羽はそれほど遠くはありませぬ。それに、この『龍驤丸』は我等の大安宅船よりは速度は出ておりまするぞ?それがしの予想よりも早く着くものと存じます。また、この時期は夏故、日も長く出ておりますれば、多少遅れても入江の航行には支障はありませぬ」
九鬼の使番の言葉を聞いても、重秀の心配そうな表情は変わらなかった。
「・・・問題は、この船、船底が海面から深いことなんだよな。他の安宅船よりも浅い所を走ることが難しいんだよな・・・」
『龍驤丸』は他の安宅船と違い、竜骨や肋材が使われており、また、帆柱も太く高い。しかも墨を溶いた油を塗った鉄板を縞模様になるように櫓部分に貼り付けていた。もちろん船大工も馬鹿ではなく、総矢倉部分の木材を減らして軽くしたり、船体を高く造ることで、自重で沈まないようにはしているし、復元力も他の安宅船と同じくらいのものにしている。
しかしその結果、喫水が深くなってしまい、浅瀬の航行能力が制限されてしまったのである。
「他の大安宅船もそうですから、一応入江の深い部分で停泊するようにはなっております。どうぞご心配なく」
九鬼の使番がそう言うと、重秀は「そうか」と言って心配そうな表情を止めたのだった。
平櫓から出た重秀は、甲板(総矢倉の最上層)を歩いて右舷の船側から海を眺めていた。重秀の目の前には、海の他に青々とした空と白い雲、そして伊勢の山々が見えていた。何も遮るもののない広い光景を、重秀はじっと見つめていた。
「兄貴。ここにいたのか」
後ろから声をかけられた重秀が振り返ると、そこには正則が立っていた。
「市か。とうした?」
「いえ、特に何かあった訳では。ただ、声をかけただけですよ」
そう言うと、正則は重秀の隣に進むと、船の外に視線を向けた。
「いやぁ、風が気持ちいい!兄貴が船に乗って堺まで行きたいって気持ちが分かるな」
そう言いながら身体を伸ばす運動をする正則に、重秀が自嘲気味に笑う。
「・・・そう思うなら、俺がこの船に乗って堺まで行くのを見逃してくれても良いんだぞ?」
重秀がそう言うと、正則は「ご冗談を」と言って笑った。
「そんな事したら、俺は殿さんに殺されちまいますぜ」
「それは困るな」
重秀がそう言うと、二人は笑いあった。一頻り笑うと、正則が頭を下げながら重秀に言う。
「兄貴、済まねぇ。本当は兄貴の思いどおりにさせたかった。でも、やっぱり拾ってくれた殿さんを裏切ることはできねぇ」
「分かっているよ。俺だって羽柴の嫡男としての役目があることは分かっているし、俺以外に父上の跡を継げる者がいないことだって分かっている。羽柴を残すには、俺がやらなきゃならないということもな」
そう言うと、重秀は歩き出した。正則もついて行く。二人は左舷の総矢倉の端まで来ると、そのまま左舷方向へ視線を向けた。眼の前には大海原が広がっていた。方角的には尾張の知多半島があるのだが、二人の視界には入っていなかった。
「・・・海を見ていると、羽柴とかが小さく思える。伴天連の話を聞くと、大海原の向こう側に行ってみたくなる。南蛮人だけではなく、唐の国や琉球の商人達が船に乗って交易を行っている。多くの者達が海に出ているのだ。俺だって海に出たくなるというものだ」
「兄貴・・・」
正則はそう言うと、そのまま黙ってしまった。直後、重秀が視線をそのままに正則に言う。
「・・・今の言葉は忘れてくれ」
「・・・済まねえ兄貴。今さっき言ってたことは風が強くてよく聞き取れなかった」
正則がそう言うと、重秀は「そうか・・・」と言ってそのまま海の方を眺めていた。二人は黙ったまま、海を眺めていた。
―――兄貴にとって羽柴の家名は想像以上に重荷なのかもしれねぇ。船に乗りたいというのは、そこから逃げたいと思っているんじゃねえのか?―――
正則はそう思いつつ、ちらりと重秀の方を見た。重秀は黙ったまま、海を眺め続けていた。正則は思い続ける。
―――羽柴の嫡子でありながら、他に嫡子になれる兄弟もいない。だから前線に出させてもらえない。嫡男でありながら前線に出られないというのは、兄貴にしてみれば忸怩たるものがあるんだろうなぁ―――
そんな環境から抜け出したいがために船に乗りたいのではないだろうか?そう言えば、菅浦まで船で行くときはやたら機嫌が良かったな、と思い出しながら正則は視線を海の方へ移した。
―――せめて、鳥羽までの短い航海だが、その間だけでも、兄貴が日常から離れることができれば良いんだけど―――
そう思っていた正則に、不意に重秀が声をかける。
「・・・船を回り、水夫や兵達の様子を見る。ついて来い」
そう言って歩き出す重秀に、正則は「はいよ」と言いながらついて行くのであった。
注釈
志摩国鳥羽は、古代では泊浦と呼ばれていた天然の良港である。丁度1500年代後半に泊浦から鳥羽と名前が変わったと言われている。おそらく1570年代では両方の名前が使われていた可能性があるが、この小説では『鳥羽』で統一している。