第118話 兵庫にて(前編)
感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。大変励みとなっています。
三連休初日、ということで本日は大分早い投稿となりました。どうぞお楽しみください。また、来週火曜日の投稿を前倒しし、日曜日の朝に投稿致します。こちらもお楽しみください。
三月の投稿ペースについては活動報告にてお知らせしております。どうぞご参照ください。
よろしくお願い致します。
八幡丸での飲み会は二刻で終わった。最初は警戒モードだったのだが、北近江の船乗り達と親しく、船乗り達の特性を知っていた重秀と、酒にめっぽう強い福島正則や加藤清正、そして商人肌でビジネストークの上手い小西行長の活躍ですぐにくまや船乗り達と打ち解けるようになっていた。後半あたりでは互いに歌うなど、完全に友好モードになっていた。
そして重秀達が下船した後、重秀はくまにある提案をした。
「堺では塩飽の舟手衆に優先権を与えている。兵庫津でも与えるつもりだから、機会があれば兵庫津に寄ってくれ」
「へぇ。さすがは羽柴の坊っちゃんだ。でも良いのかい?筑前守に許しを得なくても?」
「兵庫津は私が預かることになってる。それに、今後のことを思えば父上もお許しになるだろう」
重秀がそう言うと、くまは「ふ〜ん」と、さほど興味なさそうな返事をした。重秀がさらに話す。
「くまよ。いづれ羽柴は上様の命で播磨に攻め上る。上様の力と父上の知恵を持ってすれば、播磨を平定することは決して苦ではない。そうなれば、瀬戸内の力関係も変わってくるだろう。もし、塩飽の舟手衆にその気があれば、何時でも羽柴が力になろう。父上もきっと塩飽と助けてくれる。その事を、他の塩飽の船乗り達に伝えといてくれ」
「今のところそうは思えないけどな。ま、話すだけ話しておくさ」
笑いながらくまがそう言うと、重秀は「邪魔したな」と言って背を向けた。正則達や行長も警戒することなく背を向けると、そのまま小西屋敷まで帰っていった。
「・・・姐さん。あの話信じるんですかい?」
祖父の代から船に乗っている初老の船乗りがくまに尋ねると、くまは口角を上げて答える。
「・・・酒を飲みながら弥九郎殿が言ってたろう?『陸路で帰る』って。和泉守(宇喜多直家のこと)の家臣が羽柴と接触した。あれは筑前守(秀吉のこと)に会うつもりだろうね。恐らく、宇喜多は織田に付くことを考えている。そうなれば、宇喜多に近い塩飽は否応にも羽柴・・・いや織田につかざるを得ないだろうね」
「この事、年寄共に伝えますか?」
「そうさね・・・」
くまはそう言うと、右手で顎を擦りながら考えた。そして、笑いながら再び口を開く。
「今はまだいい。羽柴という風が本当にアタシ等の追い風になるか、せいぜい見極めるとするさ」
次の日の未明、重秀達は一旦京に向けて堺を出発。その日のうちに京に入ると、そこで一泊した。その次の日には京を出ると、高槻城下を経由して有岡城改め伊丹城下町で一泊。そして次の日には花隈城に到着することができた。
花隈城は一応、人が住めるまでには復旧していたが、すでに廃城が決まっており、兵庫津の南側に新たな城を築く材料として使用することが決まっていた。なので、必要最低限の復旧しかなされていなかった。
そんな花隈城についた重秀は、さっそく先に来ていた者達を城の広間に集めた。集まったのは竹中重治、山内一豊、浅野長吉、福島正則、加藤清正、加藤茂勝、大谷吉隆、尾藤知宣、脇坂安治であった。なお、前野長康と石田正澄は兵庫津での市街地拡張の縄張監督のため、兵庫津に行っていた。
重秀はまずは皆に小西行長を紹介した。宇喜多の家臣であることを聞いた重治が興味深そうな表情で重秀に聞く。
「ほう・・・。さっそく宇喜多の者と接触いたしましたか」
「それはどういう意味ですか?半兵衛殿?」
重秀が不思議そうな顔でそう尋ねると、重治がさも分かったような顔で話し始める。
「大和の松永久秀、摂津の荒木村重を短期間で平定した織田の力を、西国の大名で興味を示すのは宇喜多だろうと予想しておりました。早晩、宇喜多が接触してくるだろうとも予想はしておりました」
「さすがは半兵衛殿です。では、父上もそのことは?」
重秀の質問に重治が即答する。
「無論、それがしの考えは伝えてあります。官兵衛殿も予想はしていましたね、そう言えば」
「では、弥九郎殿を連れてきたことは・・・?」
「正に僥倖です。宇喜多が羽柴と接触した。この話が毛利に伝わるだけでも毛利の動きを封じ込められます」
重治がそう言うと、重秀がホッとしたような表情を浮かべた。重治が話を続ける。
「兵庫は湊町。そして播磨に近い場所故、宇喜多と羽柴が接触していることは、播磨を通じて毛利方に伝わるでしょう」
「・・・それは、まずいのではございませぬか?」
重秀の質問に、重治が笑いながら答える。
「かといって、毛利ができることは何もありませぬ。和泉守を討とうにも、宇喜多は播磨備前美作の三カ国に跨る大大名です。疑わしいという理由で攻めるには、毛利でも苦労するでしょう。ただ、警戒はするでしょうね」
「・・・ということは、毛利は兵力を宇喜多にも割かねばならなくなるのか」
一豊の言葉に、重治が「そうなるでしょうね」と答えた。その時、重秀が何かを思いついたような顔になった。
「・・・しかし、毛利は宇喜多を抑えれば良いだけですが、播磨の毛利派の国衆は背後に敵を抱えるような形になります。西が不安定となれば、東の我等に積極的に攻勢に出られないのでは?」
重秀の発言に、重治が「おっしゃるとおりです!」と声を上げた。
「宇喜多が織田に靡く。この噂が流れただけでも、播磨の国衆達は動揺致します。小西殿が殿に会いに来た、というのはそれだけの重みが有るのです」
「そこまでいくのだろうか?」
それまで黙っていた知宣が口を開いた。知宣が首を傾げながら話を続ける。
「宇喜多が我等と接触したぐらいで、播磨の国衆はそこまで動揺するだろうか?そりゃ、実際に宇喜多が織田に寝返ったなら、それこそ毛利も含めて西国は驚天動地の騒ぎになるだろうが、まだそこまで達していないのだ。半兵衛殿の物言い、楽観的すぎると思うのだが」
知宣の発言に、重治が「おっしゃるとおりです」と頷いた。重治が更に話をする。
「しかしながら、その様になる様、工作を始めることも必要でしょう。今は取っ掛かりを掴んだに過ぎません。そこから、如何に我等の思い通りにするか。まさに策士や軍師の腕の見せ所というものです」
重治が力強くそう言うと、重治は姿勢を重秀に向け礼儀正しく平伏しながら話す。
「若君。拙者が小西殿を殿に面会させるべく、三田城に連れて参ります。何卒、ご許可を」
重治の頼みに対して、重秀が心配そうな顔をしながら声をかける。
「それは構いませんが・・・。身体の調子はどうですか?」
「ご心配なく。潮風が良いのか、海の魚が美味いおかげか、体調はすこぶる良いのです」
そう言う重治の顔は、確かに長浜や戦場にいた頃よりも顔色が良くなっていた。
「・・・分かりました。弥九郎殿をよろしくお願いします」
重秀が重治にそう言うと、今度は顔を正則の方に向けた。
「市。すまぬが半兵衛殿と弥九郎殿を護衛してくれないか?」
「えぇ〜!?まあ、竹中様を護衛するのは厭わねぇけど・・・」
正則がそう言いながら嫌そうな顔を行長に向けた。重秀がそれを咎める。
「そういう顔をするなよ、市。弥九郎殿は大切な客人だぞ」
「分かってますよぉ。小西が竹中様を襲わないように見張っときますよ」
正則の本気なのか冗談なのか分からない発言に、行長は苦笑いするしか無かった。
重治が行長と正則と共に三田城に向かった数日後、花隈城にいた重秀は兵庫から帰ってきた前野長康と石田正澄と面談を行っていた。
「若君。これが兵庫で作られる城の縄張り図。そして、城下町の縄張り図にござる」
長康はそう言って2枚の絵図を重秀に差し出した。重秀が眺めている中、長康が説明する。
「兵庫津は西国街道が北側から南に走っておりますが、湊で西に向かって曲がりまする。その街道沿いと湊周辺が町となっております。そこで、その南側、和田岬に至る部分には原野が広がっておりますれば、新たな城と城下町を作るにはそこしかないかと」
「・・・城の縄張を見ると、本丸はともかく、二の丸曲輪狭くないか?」
重秀がそう質問すると、長康が残念そうな顔で話す。
「申し訳ございませぬ。すでにある町の中に城を作るとなると、どうしても土地が制限されてしまいます。南にある須佐の入江を一部埋め立てまするが、そうすると地盤が弱くなるため、大きな城では沈む恐れがございますれば、規模は小さくせざるを得ませぬ」
「そうすると、城の内部で工夫するしか無いか。最近流行りの食違虎口や枡形虎口で入り口を攻めづらくしよう。それと、足軽長屋を兼ねて多聞櫓を多く作ろう」
重秀の提案に、長康が「承知しました」と言って頭を下げた。重秀が更に尋ねる。
「・・・天守は作るのか?」
重秀の質問に長康が「当然です」と答えた。
「兵庫が羽柴の支配下に入った、という事を下々の者達に分かりやすく伝えるには、巨大な建造物が必要です。天守こそ、それに相応しい物と存じまする」
「・・・大きな建物では地面に沈むのではないのか?」
「さすがに安土の天主ほどでかいものは作りませぬよ。大体長浜城と同じくらいのものにしようかと。それに、最新の技術である『胴木組』を採用致します故、多分上手くいくのではないかと」
『胴木組』とは、天守台の下に胴木と呼ばれる木材を敷き詰めて、天守閣が沈まないようにする土木技術である。考案者が織田信長だという説がある。
「・・・大規模な普請になりそうだが、銭は足りるのか?」
重秀が心配そうな顔つきになって長康に聞いたが、長康は首を傾げながら答える。
「殿からは『銭に糸目をつけるな』と言われております。どうも、上様より銭が出されているようでして」
「上様から?」
重秀がそう尋ねると、長康が「はい」と答えた。
重秀と長康はこの時点では知らなかったのだが、秀吉は兵庫の新しい城を播磨を始めとした西国遠征の一大補給拠点にしようと考えていたのだった。西国街道が通っており、また重要な港を抱える兵庫津は物流の中心地として機能しているため、補給物資を蓄えるという点でも優れた場所であったのだ。
そこに目をつけた秀吉が信長にその旨報告すると、信長も乗り気になり資金援助を行うこととなったのだった。
「上様が西国へ出陣なされる場合、兵庫の城が上様の御座所として使われる可能性があるということで、御殿は華美にするよう、殿より申し付けられております」
「・・・相分かった。父上の指示に従おう」
あまり派手な物を好まない重秀であったが、銭の心配をしなくて良い、という言葉に俄然やる気が湧いていた。この兵庫の城を立派な城にしようと、心の中で決意したのであった。
次に重秀は正澄から兵庫の城下町の縄張りについて話を聞いていた。
「すでに兵庫津の町は西国街道や湊を中心に発展しており、更に拡張するには和田岬へ伸びる砂州の上に町を作らざるを得ません。また、砂州の内側、須佐の入江の周囲は湿地帯故、埋め立てるなり水を抜くなりして土地を広げて町を作るしかありませぬ」
「・・・花隈城の城下町をそこに移すのは難しそうだな。誰もそんなところには住みたくないだろう」
「無理やり移すのではなく、何か恩恵を与えるしかございませぬな。長浜城でやった年貢免除ぐらいやらないと駄目かも知れませぬ」
「・・・仕方ない。南の土地の改良に携わり、その場に住むものには、年貢の免除を・・・五年間約束するとしよう」
「五年ですか。短くないですか?」
正澄が心配そうな顔つきでそう言うと、重秀が眉間にしわを作りながら話す。
「昔読んだ漢籍によれば、湿地帯を埋めて田畑として安定した土地にするのに五年はかかると書いてあった。ならば、五年も余裕を与えれば、年貢を支払うことはできるようになるだろう・・・」
重秀はそう言ったものの、顔からは眉間のしわがなくなることはなかった。重秀自身、五年の年貢免除だけで本当に人が住み着くかどうか自信が持てなかったのである。
少し経って、重秀が再び口を開く。
「・・・やはり、五年だけでは足りなさそうだな。やむを得ぬ。十年間は年貢免除とする」
「若君、それなら十年経ったら皆逃げ出すのではありませぬか?」
長康の言葉に、重秀は「それはないだろう」と言った。重秀の話は続く。
「長浜のように永遠に年貢を免除することはできぬ。それに、十年も住み慣れた場所を離れる奴はそうそういないだろう。それに、年貢を納めるのはどこだって同じだ。むしろ、年貢があっても兵庫に住みたい、と思わせられる政をすればよいのだ」
重秀の言葉に、長康と正澄が納得したような顔をした。重秀が更に話を進める。
「ところで、寺は移転に同意したのか?」
「同意したのと同意していないのが半々といったところです。総構の惣門付近に移転するのはともかく、惣門の外はやはり抵抗があるようです」
重秀は兵庫の城を高槻城や有岡城、花隈城のような総構の城にしようと考えていた。ありがたいことに兵庫津の町そのものはすでに堀と土塁によって囲まれていたので、新たな工事をする必要はなかった。しかし、町の入口である惣門の防御が弱いと感じていた。
そこで、重秀は惣門付近に町中の寺を移転させ、寺町にしようとしたのだ。当時の寺は石垣や土塁、堀によって防御がなされているのが普通であったため、砦の代わりとして使われることがあった。
そういった砦化した寺を惣門付近に集中することで、惣門の防御力を高めようとしたのだった。また、総構の外にも寺を移すことで、寺を支城代わりとしようとしたのだった。
「・・・寺の年貢を減らすことで移転を促せられないか?」
「元々ここいらの寺は不入ですから、意味ないですね」
正澄の言葉に、重秀は頭を抱えた。
「まいったな。ここで寺領の加増を認めると、我等の収入が減るから避けたいな・・・。いっそ、南蛮寺(カトリック教会のこと)でも作るか」
「ああ、それは良いかもしれませんね。兵庫津にも南蛮船や伴天連は来ますからな。南蛮寺の一つくらい作ったら喜ぶでしょうな」
重秀の考えにキリシタンでもある長康が賛同した。
その後、重秀と長康、正澄は兵庫の新しい城について日が暮れた後も話し合うのであった。
花隈城には重秀専用の屋敷はない。重秀だけではなく、福島正則、加藤清正、加藤茂勝、大谷吉隆、そして小姓見習いの黒田松寿丸(のちの黒田長政)も同様である。従って、彼らは別の人が住んでいる屋敷に間借りさせてもらっていた。
正則達は間借り先が大体固定されているのに対し、重秀はその日の気分で間借り先を変えていた。何故重秀が間借り先を彷徨っていたのか?明確な資料が残っていないため、その理由はよく分かっていないが、通説では『家臣とのコミュニケーションをとるため』と言われている。
もっとも、後年黒田長政が語った話では「あの方(重秀のこと)は飽きっぽいところがあった」ということなので、ひょっとしたら飽きるたびに屋敷を変えていたのかもしれない。
この日、重秀と松寿丸が訪れたのは浅野長吉の屋敷であった。
「おう、藤十郎。よく来たな」
「叔父上、お邪魔致します」
「そんな他人行儀するなよ。叔父甥の関係の前に、もう主君と家臣の関係なんだから」
「叔父上の主君は父上ですよ」
「そういう意味で言ったんじゃねぇよ」
長吉と重秀がそう言いながら居間へと向かった。居間では長吉の妻であるややと、数人の侍女がすでに夕餉の準備を終えていた。
「叔母上、お久しゅうございます」
「ああ、大松・・・じゃない。藤十郎。よく来たね」
ややが重秀に挨拶を返した時だった。居間の囲炉裏の側から子供の泣き声がいきなり上がった。
「ありゃ、長満(のちの浅野幸長)が泣き出したよ。そろそろ腹をすかしたかねぇ?」
「いや・・・、臭うぞ。これはやったな?」
ややの疑問に長吉が鼻を動かしつつ、顔を顰めて答えた。
「あ、では私がおしめを替えましょうか?」
重秀がそう提案をすると、松寿丸が「わ、若君!?」と素っ頓狂な声を上げた。
「羽柴の若君が、おしめを替えるなどとんでもないことです!」
「松寿丸の言うとおりだぞ。大体、おしめを替えたことあったか?」
松寿丸に続いて長吉がそう聞くと、重秀は「いや、ないですね」と答えた。
「でもまあ、私にも子ができたらやらなきゃいけないかもしれないし、今のうちに・・・」
「もうすぐ兵庫城主になろうって奴がおしめを替えるなんてあり得ないから心配するな。っていうか、このことが殿の耳に入ってみろ。浅野家がお叱りを受けるんだぞ。ほら、こっちはややと侍女に任せて、さっさと膳の前につけよ」
重秀に長吉がそう言うと、囲炉裏の周りに配置された膳に促した。
「おお、久々の納豆だ。やっぱり浅野に来たらこれだよな」
「えぇ・・・」
重秀はそう喜ぶと、嫌そうな顔をしている松寿丸と共に膳の前に座るのであった。