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第117話 塩飽の船乗り

感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。大変励みとなっています。


「さて、弥九郎殿。そうと決まれば、明日には堺を発ちます故、一緒についてきてくだされ」


 重秀がそう言うと、小西行長は驚いたような顔をしながら尋ねる。


「え?明日ですか?それは構いませぬが・・・。とすると、長浜へは明後日に入られるのですか?」


「いいえ。父上は今、摂津三田城におりますれば、一緒に三田城に来て頂きたい」


「ふぁ!?」


 行長の変な叫び声に重秀は驚きの表情を浮かべた。後ろに控えていた福島正則はそのおかしさに思わず吹き出していた。

 重秀は咳払いをすると、話を続けた。


「そもそも私は兵庫津へ向かう予定でした。京で用事を済ませた後、ちょっと宗易様に用事があったので堺まで足を伸ばしたんです」


「兵庫津・・・ですか?」


 重秀の話を聞いた行長がそう呟くと、何かを考え始めた。そして、重秀に話しかける。


「恐れながら、それがしは船で堺まで来ました。もしよろしければ、船で兵庫津までお送りいたしましょうか?」


「え?」


 行長の提案に、重秀が思わず声を上げた。行長が話を続ける。


「備前の沖合に、塩飽しわくという島々がございます。そこの島々には昔から舟手衆がおりまして、どこの家にも属さずに独自の勢力を築いております。一応、宇喜多とは誼を通じております故、船を融通させていただきました」


「ああ、塩飽の舟手衆か。堺でよく見るな」


 瀬戸内の海運を担う塩飽の舟手衆は、当然ながら堺にも出入りしていた。天正五年(1577年)三月には、信長が堺代官の松井友閑に対し、堺における塩飽の舟手衆に対する港の使用優先権を認め、それを妨害する他の舟手衆(大体村上水軍か紀伊の雑賀水軍)を取り締まるよう命じる朱印状を発布している。


「塩飽の舟手衆は瀬戸内の海運に多大なる影響力を持つ。まあ、もっと影響力を持つのが村上の舟手衆だが、あれは毛利の配下故、織田と敵対しているからな。というわけで、上様は村上への対抗として塩飽の舟手衆を優遇することになったんだ」


 重秀が正則達にそう解説すると、行長は頷いた。


「羽柴様のおっしゃるとおりです。とは言え、塩飽の舟手衆は村上のような水軍を持っておらず、専ら運送を生業とする舟手衆。なので今では村上の影響を受ける者も多く、中には村上水軍の一員として石山本願寺への兵糧物資の運送を行なっております。まあ、織田様への敵対行動を取っている者もおりますな」


 それを聞いた正則が思わず「駄目じゃねーか!」と声を荒らげた。清正も同調する。


「そんな連中の操作する船に長兄を乗せようとしているのか!?冗談ではない!長兄、この男の話に乗ってはなりませぬ!先程からどうも胡散臭いと思っていたが、この男、長兄を誑かして何かするつもりのようですぞ!」


 重秀が正則たちを見ると、正則や清正だけではなく、茂勝や吉隆も首を激しく縦に振っていた。

 それに対して行長は激しく否定する。


「と、とんでもない!そのようなことは、それがし全く考えてござらぬ!た、確かに我が主君、和泉守様(宇喜多直家のこと)は謀略でのし上がってこられましたが、それがしにその様な考えは毛頭ございませぬ!」


「・・・しかし、小西殿が良からぬことを考えていないかもしれませぬが、周りがどう出るか分かりませぬ。そもそも、小西殿を乗せてきた塩飽の船の水夫達は村上と結びついていないのか?。また、そうでないとしても、若君を毛利や村上に売り渡すためにそのまま連れ去ることもありえましょう」


 吉隆の発言に、正則等は大いに頷いた。行長が「そのようなこと・・・」と困惑しながら重秀を見た。重秀がおもむろに口を開く。


「紀之介の懸念はもっとも。さすがに敵の通り道を横切るのは危なすぎる。私も兵庫で色々やらなきゃいけないから、万が一の出来事にあえば父上に迷惑がかかる」


 先程、石山本願寺の支配地域を突っ切って兵庫まで戻る案を反対された事を思い出しながら、重秀はそう答えた。そんな重秀に正則が話しかける。


「いや、兄貴。兄貴の存在はそういう話では済まされないんだが・・・」


 そう話ながら、兄貴はもう少し自分の立場の重要性を自認してくれ、と思う正則であった。


 この時期の重秀は自分の存在の重要性をあまり理解していなかった。秀吉の息子であるという自覚はあるものの、周囲に自分より優れた人間が多くいると思っている重秀は、自分の存在を過小評価しがちであった。

 しかし、これは仕方のないことである。父と慕う前田利家は『槍の又左』だし、学問の師の竹中重治は『今孔明』だし、兄貴分の堀秀政は『名人久太郎』だし、二つの意味での義兄である蒲生賦秀は信長お気に入りの婿殿だし、小姓時代の先輩である長谷川秀一は今や信長の片腕たる官僚だし、同じく先輩である池田元助は信長の乳兄弟の息子だし、よく絡んでくる森長可は『鬼武蔵』の異名を持つだけの猛将ではなく、美濃金山城主として内政にも辣腕を振るっていた。最近親しくなった長岡忠興は名門細川家のお坊ちゃんで、しかも文武両道に秀でた若者であった。

 こういった綺羅星の如く輝く有能な者達に囲まれては、重秀も萎縮するというものである。特に、身分の差を考えれば重秀が自らを低く見るのは致し方のないことであった。


 さて、重秀は結局兵庫へは陸路で向かうことにした。しかし、塩飽の舟手衆に興味を示した重秀は、行長に船頭や船乗り達に会えるように頼み込んだ。


「塩飽の舟手衆は織田にとって瀬戸内では唯一味方になりそうな勢力だ。彼らがどの様に生活し、今後どの様になるのかすごく興味がある。少しでも良いから話がしたい」


 重秀は行長にそう言うと、顔を隆佐に向けた。そして隆佐に頼み込む。


「隆佐殿。すまぬが、米と酒を買いたい故、店を紹介してくれぬか?」





 次の日の朝、行長は重秀達を連れて堺の港へ向かった。そこには、複数の船が泊まっていた。中には唐船やフスタ船の姿もあったが、それには目もくれずに重秀一行は一つの和船へと向かっていった。

 その和船は、この時代から瀬戸内海で使われ始め、後世で日本の近海の海運の主力船となる弁財船であった。凌波性と操作性に優れた弁財船は、元々は瀬戸内海を航行する船として発生した船であった。もっとも、後世の弁財船と違い、この頃はまだ帆走オンリーという訳ではなく、かい(オールのこと)やを使っての人力航行も行われていたが。


 その船では、未明だと言うのに何人かの男達が船上や港の船着き場で作業を行っていた。行長がその中の一人を捕まえて話しかける。


「弥九郎じゃ。()()殿はどこにおる?」


 そう言われた男は、「ああ、小西様。姐さんならあそこに居ますぜ」と言うと、船首の方を指さした。

 そこには、長身の人物が船首で何やら他の者達に指示を出していた。行長がその長身の人物に大きな声で話しかける。


()()殿!弥九郎じゃ!こちらにおわすは・・・」


 行長が声を上げようとしたときだった。側にいた重秀がそれ以上の大声を上げた。


「羽柴筑前守が息!羽柴藤十郎である!船頭に会いたい!」


 いきなり声を上げた重秀に、行長だけではなく、側にいた正則達も驚いたような顔を重秀に向けていた。


「あ、兄貴!?いきなり本名を名乗るなよ!?」


 正則が慌てて重秀を諫めるが、重秀はそんな事も構わずに船に近づいた。そして、船の上に乗っている者達に声を上げた。


「おお、これが塩飽の船か!?あまり大したことないのう!」


 船の上にいる者達が困惑した表情を浮かべる中、船首から「うるせぇ!」と、これまた大きな声が聞こえてきた。船員が「姐さん」と言っていたので船頭は女なのだろうと重秀は予想していたが、女性らしくない野太い声を聞いた重秀は驚いてしまった。

 しかも、その姐さんが船首から重秀の近()()で来ると、重秀は更に驚くことになった。


 ―――で、でかい!ゆかりも身長は高いほうだが、それよりも高いではないのか!?―――


 豊臣秀重の身長は現代にまで残されている着物のサイズから、五尺四寸(約163cm)であったと言われている。そして正室である妙勝院(縁のこと)の身長は、史料によれば秀重と同じであったと記されており、五尺四寸だったと思われる。当時の女性の平均身長が145cmだと言われているため、当時としては高身長であった。

 もっとも、織田家の人々は高身長であったと言われている。例えば信長は約170cm、お市の方は約165cmだったと言われている。


 さて、重秀が見た女船頭はどう見ても重秀よりも背が高かった。さすがに前田利家や藤堂高虎くらいの高さはないものの、彼女の目線は重秀のそれよりも上にあった。


「アンタかい?アタシと話がしたいというのは?」


 重秀よりも一回り年齢がいってそうな女船頭は、船から港の岸壁に降り立ち、そう言いながら重秀に近づいてきた。臆することなく重秀が言い放つ。


「ああ。私は羽柴藤十郎。周りにいるのは我が家臣だ。塩飽の舟手衆と話がしたくて参った」


 重秀の言葉に、女船頭―――()()は重秀をジロジロ見ながら顎を右手で撫でていた。しばらく見ていた()()は、重秀を見つめながら口を開く。


「羽柴、といえば百姓から身を起こした織田家の重臣。その息子がアンタなのか?猿っぽくないねぇ」


「よく言われる。母親似だとも言われるな」


「へぇ、じゃあ、母親はさぞかし別嬪だったんだろうね」


「それは知らぬ。私が赤子のときに亡くなった」


 重秀があっけからんとした口調でそう話すと、()()は一瞬だけ顔を顰めた。しかし、すぐに表情を戻すと、重秀に話しかける。


「・・・で?話がしたいって?」


「ああ。だが、その前に手土産を持ってきた。受け取ってくれ」


 重秀がそう言うと、重秀は振り返って茂勝に声をかける。


「孫六。あれを」


 そう言われた茂勝は、引き連れて来た複数の背から米俵や酒樽を下ろすよう、馬丁らに命じた。近くにいた清正や吉隆も手伝う中、()()の目の前に五つの米俵と五つの酒樽が並べられた。


「少ないが、お近づきの印だ」


 重秀の言葉を聞いた船乗り達はゴクリと喉を鳴らした。そんな中、()()が嬉そうな笑みを浮かべながら口を開く。


「・・・本当に少ないね?」


「船に乗せてくれというのであれば、もっと出すのだが、話を聞くだけだ。これで勘弁してくれ」


「ま、貰えるものなら貰っておくよ。それにしても、何もない島々の話を聞きたいのかい?変わっているね」


 ()()が呆れたような声を出したが、重秀が事もなにげに話し出す。


「そんなことはない。菅浦もそうだったが、何でもないような村にも何かしらの興味ある話の一つや二つはあるものだ」


 重秀の言葉に周りは呆れたような顔をした。そんな中、()()は笑いながら重秀に話しかける。


「へぇ。本当にアンタ変わっているな。まあいいさ。何が聞きたいんだい?」


「話を聞く前に、船に乗せてくれないか?見たところ、我々の知っている丸子船とは違うからな」


 重秀の言葉に正則達がギョッとした。いきなり見ず知らずの船に乗ろうとする重秀に驚いたのだ。

 しかし、重秀は気にせずに、「立ち話も何だし、船で話を聞きたい」と()()に言っていた。()()も特に気にせず「ああ、構わないぜ」と言って重秀達を船に誘った。清正が行長に凄む。


「おい!大事ないんだろうな!?酒を飲ませて我等を酔わせて殺そうとか考えていないだろうな!?」


「そ、それがしに聞かれても・・・」


 困惑する行長に清正がまだ突っかかっていたが、重秀がそれを咎める。


「止めろ、虎。弥九郎殿に当たったって仕方ないだろう。それに、織田の支配下にある堺で変なことはしないだろう。なあ」


 重秀がそう言って()()に顔を向けると、()()は女性とは思えない獰猛な笑みを浮かべながら清正に言い放つ。


「ああ、羽柴の坊っちゃんの言うとおりだ。大体、敵意なく来た客を殺すわけ無いだろう。客が来たら心を込めてもてなす。爺ちゃんが紹鴎じょうおうって商人から教わったのをアタシに教えてくれた」


「紹鴎・・・?もしや、武野紹鴎か?」


 重秀の言う武野紹鴎は、堺の豪商で茶人である。千宗易の師匠として歴史に名を残す人物でもある。


「さぁ・・・?そこまでは分かんね。ただ、爺ちゃんがこの船で堺に出入りしてた時にお世話になった人だってのは聞いたことがある」


「へぇ・・・」


 重秀がそう言うと、船をまじまじと見つめた。確かに船自体は古めかしい。恐らくこの女船頭の祖父の代から使われていたと言うことは嘘ではないのだろう。しかし、壊れている部分が見つからないことを考えれば、恐らく大切に使われている船なのだろう。よく見たら、船乗り達は女船頭よりも年上に見える者達が多い。きっと祖父の代から乗っている船乗りなのかもしれなかった。


「・・・良い船じゃないか。名前は?」


「八幡丸さ。アタシの家は佐々木源氏の出だと言われている。なので、八幡大菩薩を信仰してるんだ。だから八幡丸って名前にしたと、爺ちゃんから聞いた」


 胸を張りながら重秀に答える()()。それに対して重秀は、「あれ?八幡様は清和源氏の氏神で、宇多源氏が祖の佐々木源氏とは関係なくね?」と呟いた。


 実際のところ、八幡信仰は皇室や桓武平氏もやっているので、清和源氏だけの信仰ではない。そもそも八幡を祀る寺社(神仏習合のため、寺でも祀られていた)は全国にあるので、それこそお稲荷様や、この頃に怨霊としてのイメージがほぼ払拭された天神様と同じ様にいろんな人達に八幡様は信仰されていた。

 ちなみに、宇佐八幡宮の祭神の一柱である比売大神ひめおおかみが航海の安全を司る神様なので、船乗りが信仰しても特に不思議ではない。





 重秀と小西行長、福島正則と加藤清正、加藤茂勝と大谷吉隆が船に乗り込み、船尾の広い場所に移ると、そこで()()と乗組員達も集まった。重秀から酒が振る舞われると、皆がリラックスしたような表情となり、口も軽くなっていった。


「そもそも塩飽の舟手衆とはどういうものなのだ?」


「勘違いされるが、塩飽は一つの島じゃない。大小二十以上の島々からなる地域だ。あそこは潮が複雑で流れが早いから、『潮湧く』から塩飽と言われるようになった、と聞いたことがある。島々には昔から魚を獲って暮らしていたから、老若男女全てが船の扱いに長けているんだ」


 重秀の質問に()()が歯切れ良く答えた。重秀が更に尋ねる。


「頭目の名は?」


「頭目、というのがいないねぇ。つい最近までは福田又次郎という讃岐の香川氏から派遣された代官がいたが、不幸にも溺死しちまった。その後は小さい島は住んでいる者達が寄合を作って決め事を作ったり揉め事を収めているし、本島とか広島とか大きな島だと年寄連中が取り仕切っている。少なくとも村上の海賊衆みたいな、一つの家が塩飽の全ての舟手衆を取り仕切っている、とは考えないほうが良いねぇ」


「ほう・・・」


 菅浦みたいなものだな、と重秀は思った。と同時に、塩飽の自治を真剣に考えれば、菅浦の様に羽柴につくかもしれない、とも思った。重秀の質問は続く。


「・・・塩飽の人々は皆漁で暮らしているのか?」


「島民のほとんどが漁だね。あとは船を作る職人。田畑が無いわけじゃないが、島に平地がないからな。田畑をやろうという奴は、ほぼいないね。後は塩を作ってる」


 ―――平地がないなら、桑と油桐、蚕を送り込めるな。養蚕をやるかやらないかはともかく、交渉には使えそうだな―――


 そう考えていた重秀は、()()に対してもっとも聞きたかった事を聞く。


「今、瀬戸内の舟手衆は毛利に靡いていそうだが、塩飽の舟手衆もそうなのか?」


 重秀の質問に対して、()()は肩をすくめながら答える。


「別に靡いている訳じゃない。銭さえ払ってもらえりゃ、アタシ等は頼まれた仕事をしているだけさ。それは織田でも毛利でも、村上でも同じさ」


「・・・村上も貴方達に銭を払っているのか?」


 重秀が驚いたような口調で尋ねた。重秀の認識では、瀬戸内の舟手衆は全て村上水軍に頭が上がらない、というイメージだったからであった。しかし、()()が否定する。


「それはよく言われる。でも、村上の連中はそこまでの影響力はない。っていうか、塩飽の島々の潮や風を読めるのは塩飽の船乗りだけだ。村上の連中は読めないから、塩飽の周辺を航行する時はアタシ等に銭を払って案内人を船に乗せているさ」


 それは村上水軍も同じである。因島、能島、来島にそれぞれ本拠地を持つ村上三家であるが、彼らは周辺海域の潮の流れを読むことができるから、案内人として報酬を貰っていたのだ。ただ、報酬を支払わなかったり、案内人を拒否して座礁したりして迷惑をかける船が多いから、彼らは武装し航海の安全を強制するようになったのである。

 それは塩飽の舟手衆も同じであった。


「・・・では、塩飽の舟手衆・・・いや、塩飽の島々に住む全ての人が益になるならば、織田・・・いや、羽柴と永続的な誼を結べるのか?」


 重秀の言葉に、()()は眉間にシワを寄せながら答える。


「まあ、アタシの口からは約束はできないが・・・。そんな事ができれば羽柴につくのもやぶさかじゃないけどねぇ」


 ()()は小馬鹿にしたような笑みを浮かべながらそう答えた。そんな()()の態度に、正則達は顔を顰めたが、重秀だけは真面目そうに考え込んでいた。


「兄貴・・・?」


 正則の言葉で我に返った重秀は、顔に笑みを取り戻すと()()達に話しかける。


「なかなか面白い話を聞かせてもらった!礼を言うぞ、()()殿。それよりも、せっかくお近づきになったんだから、酒を飲んで楽しもう!ところで、塩飽ではどの様なお酒が飲まれるんだ?」


 重秀が明るい声でそう言い始めると、船の上の場は再び明るい酒宴となっていった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] こういう人たらしな所は父親そっくり
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