第114話 引っ越し準備
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天正六年(1578年)二月。秀吉が摂津三田城に向けて兵を発した。付き従うのは木下家定、加藤光泰、仙石秀久、神子田正治、宮田光次、戸田勝隆、片桐且元、石田三成、増田長盛、木下弥助そしてもはや織田の人質とは言えないほど自由に動き回っている黒田孝隆である。また、秀吉の小姓見習いとして、木下治兵衛(のちの三好秀次)が付き従っている。
秀吉が長浜を出立する日、長浜城の小広間にて、秀吉から小一郎に対して長浜城の城代への任命式が行われた。
小具足姿の秀吉が上座上段の間にて座っている前で、小一郎が下段の間の真ん中辺りに座っていた。そしてその後ろには、小一郎配下の者として木下昌利、木下与一郎吉昌、堀秀村、小堀正次そして藤堂高虎が座っていた。さらに、与力なので近江に残る宮部継潤、堀尾吉晴、中村一氏らも後ろに控えていた。
「小一郎!長浜城城代を申し付ける!長浜の地を滞りなく治めるように!」
「謹んでお受けいたしまする!心して留守をお守り致しまする!」
小一郎がそう言って平伏すると、後ろに座っていた小一郎の家臣達も揃って平伏した。
「続いて藤十郎!前へ!」
「はっ!」
秀吉から見て右側、上段の間に一番近い場所に座っていた重秀が返事をすると、下段の間の真ん中辺りに座っていた小一郎とその家臣が立ち上り、入れ替わりに下段の間の左右の端に座っていた重秀達が下段の間の真ん中辺りに座った。重秀が小一郎のいた場所に座り、平伏すると、後ろに座っている者共も平伏した。
「藤十郎!お主に兵庫城の普請を任せる!すでに将右衛門(前野長康のこと)に縄張りを任せている故、将右衛門と半兵衛(竹中重治のこと)の補佐を受けつつ築城すべし!」
「ははぁ!謹んでお受け致しまする!」
重秀が再び平伏すると、秀吉は重秀の後ろで座っている者達に声をかけた。
「藤十郎はまだ十七歳。色々やっておるが、まだまだケツの青い若造よ。皆の衆!しっかりと鍛えてやってくれよ!そして、仲違いせずに藤十郎を支えてやってくれよ!」
秀吉がそう言うと重秀の後ろから「承知しました!」と言う大声が一斉に上がった。
長浜から三田へ向かった秀吉達を見送った後、二の丸御殿に戻った重秀は、広間にて共に兵庫へ向かう者達と話し合いをしていた。
重秀に従い兵庫まで向かうのは、山内一豊、福島正則、加藤清正、加藤茂勝、大谷吉隆、石田正澄、浅野長吉、竹中重治、尾藤知宣(前の尾藤知定)、脇坂安治である。
また、菅浦、長浜、大浦、塩津から舟手衆の頭として松田利助、田村保四郎、竹本百助、井上成蔵が広間の縁側で控えていた。
さらに、重秀で小姓見習いを務めた黒田松寿丸(のちの黒田長政)も父親と離れて重秀の下で引き続き小姓見習いをすることになっている。そしてその後見として栗山利安も兵庫へ向かうこととなっていたため、二人は広間の隅っこの方で控えていた。
「えっと、甚右衛門(尾藤知宣のこと)と甚内(脇坂安治のこと)は此度より父上からこちらに遣わしてきた者共だ。また、松寿丸の後見として善助殿(栗山利安のこと)も共に兵庫へ来ることとなった。皆の者、よろしくな」
重秀がそう言うと、皆それぞれが「よろしゅうお頼み申し上げる」と言い合った。
「さて、この件で何か聞きたいことがあるか?」
重秀の代わりに一豊がそう尋ねると、さっそく正則が声を上げる。
「なんでまた甚内殿が兄貴の下に来たんだ?」
棘のある声でそう質問をした正則に対して、安治は何でもないかのような表情で正則に視線を送った。重秀が咎めるような口調で正則に言う。
「市、そんな言い方はないだろう。甚内がこっちに来たのは、水軍を学んでもらうためだ。前にも言ったが、甚内は船軍に興味があるから、兵庫で我等と共に水軍の創設を手伝ってくれるということだ」
重秀がそう答えると、正則は納得しているのかしていないのか分からないような声で「へぇ」と答えた。一豊が正則を咎める。
「市兵衛、その様な態度は無かろう。義兄弟の契りを結んでいるとは言え、若君は主君だぞ。公の場では礼節を保て」
一豊の叱責を聞いた正則が重秀に対して頭を下げた。しかし、安治に対しては何のアクションも起こさなかった。
そんな正則の様子に眉をひそめながら、重秀は「他に聞きたいことはないか?」と声を発した。
「恐れながら、若君にお尋ねしたいことがございます」
そう言ってきたのは安治であった。正則と清正が批難の視線を安治にぶつけるが、当の本人は意に介さずに重秀に聞く。
「長浜や塩津、大浦や菅浦より舟手衆を何人か連れて行くようですな?」
「ああ、後ろの縁側に控えている者達が我等と共に兵庫へ向かう舟手衆の頭だ」
そう言って重秀が手を差し出すと、皆が一斉に縁側の方へ顔を向けた。縁側で座っていた松田、田村、竹本、井上の四人が平伏した。
「他にもそれぞれの湊の若い衆が十名から二十名ほど、兵庫に来ることになっている」
重秀がそう言うと、皆が再び重秀に顔を向け直した。そして安治がまた質問をする。
「・・・船大工は連れて行かないので?」
「先に城を作るための職人や大工、穴太衆を連れて行くので、船大工を連れて行く余裕がないのだ。それに、連れて行くならばフスタ船を作った経験のある船大工を連れていきたい」
「・・・確か、その者達は安濃津にいるんでしたな?」
安治の言葉に重秀は頷く。
「ああ、今は大安宅船の建造を手伝っているから、それが終わったら兵庫に呼び寄せるつもりだ」
重秀の回答に、安治が「得心いたしました」と言って頭を下げた。その時、茂勝が声を上げた。
「若、琵琶湖の安宅船やフスタ船は持っていかないのですか?」
茂勝の言葉に重秀は渋い顔をしながら答える。
「実は、船大工達に『解体して陸路で運搬し、兵庫で組み立て直せないか?』と聞いたことがあったのだが、大工達はにべもなく『無理です』と言われたよ。丁寧に解体すること自体無理なんだと」
「それは勿体ないですな。良い船なのに」
安治がそう言うと、重秀も残念そうな声で話を続ける。
「こればかりは仕方がない。ただ、兵庫で水軍を作る際にどうしても人手が足りなくなるのは必定。ならば、琵琶湖の安宅船とフスタ船で鍛錬を積んでもらってから兵庫へ呼び寄せるさ」
重秀がそう言って締めると、次に長吉が重秀に声をかける。
「ところで半兵衛殿が付いてくるようだが、本当に半兵衛殿はこっちで良いのか?義兄貴の側で調略をしなくて良いのか?」
長吉の質問に答えたのは、重秀ではなく重治本人であった。
「調略なら兵庫でもできますし、それよりも、若君にまだまだ教えなければならないことがありますから、私の方から殿に兵庫に行かせてくれと頼んだのでござるよ」
何回か咳き込みながら重治がそう言うと、重秀が諦めたような表情で話を続ける。
「私としては、半兵衛殿には温泉で湯治をしながら調略を進めて欲しかったんですが・・・」
「人をいつまでも病人扱いしないでいただきたい。湯治を行ったおかげで、体調も良くなり申した。また、『琵琶湖の鯨肉』や伊勢からやってくる海の魚のを積極的に食して以降、身体が良くなりましてな。今なら槍を振るって三木城でも石山本願寺にも突撃できまするぞ」
重治がそう言うと、立ち上がって槍を振るうかのような動きをした。ちなみに、重治が言っていた『伊勢の海の魚』とは、正確には干物のことである。重秀と縁が結婚したのをきっかけに、長浜では安濃津からの流通で、海の魚の干物が手に入りやすくなっていた。
重秀が呆れたような顔をしながら重治に言う。
「すぐに殺られそうなので止めてください。・・・というわけです、叔父上。父上も諦めて兵庫へ向かうことを認めました」
重秀の言葉を聞いた長吉が、「それなら仕方がないか」と溜息をつきながら頷いた。
「ところで・・・、若君の奥の方々も兵庫に移られるのですか?」
槍を振るう真似事をしたせいか、激しく咳き込みながら尋ねる重治に、重秀はうんざりしたような顔をしながら話し出す。
「いや、すぐには兵庫へは行かない。落ち着いたら呼び寄せるつもりだ」
そう言うと、重秀は昨日あった二の丸御殿『奥』の事を思い出していた。
とらとの祝言が終わって数日後、奥向も落ち着いたところで重秀は正室の縁、側室の とら、愛妾の照、そして乳母の千代、夏、七を呼んで話し合いをした。
重秀は当初、妻や乳母達を兵庫に連れて行く気はなかった。なので長浜城の二の丸御殿に残るように申し渡した。ところがこれに縁が猛反発した。
「とんでもございませぬ!夫が城を移ると言うのに、妻が、特に正室が離れ離れになるなど、聞いたことがございませぬ!」
「しかしなぁ。兵庫の城はまだできていないし、花隈城を廃城にして兵庫に城を築くから、当面は住む場所がないのだ。私は武人故、雨風がしのげればどこでも良いのだが、縁達はそうも行くまい」
「でも・・・!」
なおも言い募る縁に対して、夏が諭すように話しかける。
「恐れながら御姫様、御姫様は生を受けて以降、それなりのお暮らしをしており、戦場やそれに近いの生活をなされた経験がございませぬ。その様な御姫様が、御殿も屋敷もない生活を送れる様なお方ではないと、この夏めは確信しております」
あまりの言い様に、縁が思わず「夏!」と声を荒らげた。そしてそのままの勢いで縁は夏に声を上げる。
「私は武人の妻として羽柴に嫁いだのですよ!籠城戦で共に城と運命をする覚悟ぐらい、私にもあります!」
「だから、その城すらないんだってば」
縁の発言に対して、重秀が冷静にそう言うと、縁は批難の眼差しを重秀に向けた。しかし、すぐに懇願するような目になると、重秀の袖を掴みながら訴える。
「御前様、後生です。何卒、何卒私を兵庫に連れて行ってくださいませ。義父上様より、早く子を生すように、と言われております。離れ離れになれば子を生すことはできませぬ。すでに褥を共にした以上、兵庫に行き羽柴の妻としての務めを致しとうございます」
「・・・気持ちは嬉しいのだが・・・。そもそも御殿も屋敷もないのに、そんなことをできると思うのか?そりゃ、外でもできると言われればできるが、この寒い時期に外でヤるのは・・・」
重秀のトンデモ発言に、夏や七、そして千代からも「若君!」と批難の怒声が上がった。重秀が慌てて自らの口を手で押さえた。少し経って、口元から手を離すと、縁を説得し直した。
「ずっと縁を長浜に置いていくわけではない。城ができ次第、兵庫へ呼び寄せるから、それまで堪えてくれ」
「築城に数年かかるのはこの縁にも分かっております!そんな長い期間待つことなどできませぬ!」
そう言ってへそを曲げる縁に、重秀は困り果てたような顔をした。そんなときだった。それまで黙っていた とらが呟く。
「・・・そう言えば、お姉様は『兵庫へ行けるなら、是非とも須磨にも行きたいですわ』と言っておられましたね」
とらの発言に、縁が「と、 とら!」と慌てたように声を上げた。重秀は とらに視線を移しながら聞く。
「・・・色々聞きたいことがあるが、何?縁のことを『お姉様』と呼んでいるのか?」
「はい。お兄様と祝言を挙げた次の日に・・・」
とらが話し始めようとした時に、重秀が「ちょっと待った」と言いながら右手を軽く上げた。
「お兄様ってなんだ?」
「お姉様から、『藤十郎様と呼んではなりませぬ』と言われたので、どう呼ぼうか考えましたところ、お姉様と呼んでいるので対になると思い、お兄様と呼んでおります」
とらの発言を聞いた重秀が縁の方を見ると、それまで視線を反らしていた縁が急に頬を膨らませながら重秀の方へ顔を向けた。
「だって!私が『御前様』と呼んでいるのに、 とら殿が『藤十郎様』って呼ぶのはおかしいではございませぬか!私は織田の姫で正室なのですよ!?」
「・・・だったら縁も『藤十郎様』と呼べばよいではないか。何度か呼んだことがあっただろう?」
重秀がそう言うと、縁は黙ってしまった。ただ黙ったわけではない。縁が重秀を『藤十郎様』と呼んでいるシチュエーションが大体二人っきりの場面か同一の布団の中での場面なので、その事を思い出して黙ってしまったのだ。
顔を赤くして黙っている縁を横目に、 とらが重秀に話しかける。
「他にもお姉様は『兵庫に行く途中で京にも寄れますね。この目で都を見ることができるとは、思いもしませんでした』と喜んでおりました」
とらの暴露話に、縁は顔を更に真っ赤にすると、 とらを思いっきり睨みつけた。しかし、 とらは特に気にしてなさそうであった。重秀が再び縁を説得する。
「・・・兵庫の城ができたら、いや、できていなくても、御殿ができたらすぐに迎えに行く。その時に京を案内するし、向こうに着いたら日を改めて須磨へ遠出に行こう。それで勘弁してくれ」
誠心誠意説得したおかげか、縁はとうとう折れて長浜に残ることとなった。しかし、ただで引き下がったわけではなかった。
「ならば、私の代わりに照を連れて行ってくださいまし。照ならば、藤十・・・御前様の身の回りの世話もできます。それに・・・、十六歳の照ならお子も生すことが可能かと・・・」
袖で口元を隠しながらそう言う縁であったが、そのうちに声が小さくなり、黙ってしまった。重秀が怪訝そうな顔で縁を見つめていると、縁がいきなり声を上げる。
「あ〜っ!だめ!私がいないうちに、御前様を照に独占されるなんて許せない!やっぱり私も兵庫へ参ります!」
「いや、だから兵庫では子を成すことなど当分できぬと言っているだろうに」
呆れたような口調でそう嗜める重秀に、いきなり とらが話しかけてきた。
「・・・では私は行けるのではありませぬか?十六歳まで子を成すことはありませぬし、武術を多少は嗜んでおります。そして、狩りを行う際には山の麓の農家に泊まったこともありますれば、御殿や屋敷でなくても構いません」
とらの発言に対して、縁が猛反発する。
「正室を置いて側室だけついて行くなどとんでもない話です!そんな話、聞いたことありません!」
「・・・いえ、上様が安土城ができるまでの間、佐久間様(佐久間信盛のこと)の屋敷に滞在したことがございましたが、その時は御方様(お濃の方のこと)を岐阜城に残し、お鍋の方を連れて行ったことがありますが・・・」
七がそう言うと、縁が「ええっ!?」と信じられないかの様な顔で七を見つめながら声を上げた。一方の七は、縁と とらを横目に見ながら、重秀に話しかける。
「恐れながら、 とら殿を兵庫に連れて行くのは反対にございまする。 とら殿は十三歳でしかも嫁いで来たばかり。まだまだ羽柴家に慣れておりませぬ。それに、御方様との関係構築も未だ途上である以上、まだ御方様と離れさせるわけには行きませぬ」
七の発言に夏も頷いた。それを聞いた重秀は目を瞑り、腕を組んで少し考え込んだ。そして目を見開くと、その場にいた女性陣に告げる。
「・・・やはり、乳母を含めて皆をすぐに兵庫へ連れて行くのはよそう。屋敷や御殿ができ次第に迎えに行くから、それまで長浜にいるように。これはそなた等の夫として、主人としての命である」
重秀がそう言うと、縁達は「畏まりました」と言って平伏したのであった。
重秀が昨日行われた『奥』での話し合いを思い出しつつ、縁や とらをすぐには連れて行かないことを二の丸御殿の広間に集まった者達に話すと、皆が一様に納得してくれた。
そしてそのことを確認した重秀は、顔を正澄の方へ向けた。
「弥三郎(石田正澄のこと)、兵庫へ向かう準備はできているのだろうな?」
「三日後の出立には間に合うようになっております」
「牛の準備は?」
「すでにできております」
正澄がそう答えた直後、清正が「長兄、牛を連れて行くのですか?」と聞いてきた。
「ああ、正月に日野の参議様(日野輝資のこと)の使者から、牛を買いたいという要望がなされてな。何でも牛車に使いたいそうだ。まあ、父上が『今後のお付き合いに』として、相場の半額で売ると言ったら、今後は牛は羽柴から買う、と言ってくださった」
平安時代に貴族の移動手段として牛車であったが、室町時代末期から戦国時代にかけてはほとんど廃れていた。しかし、信長によって公家衆が保護され、京の治安が回復していくと、少しずつではあるが牛車が復活していった。
「京に寄って行くのか?」
長吉が重秀にそう尋ねると、重秀が頷く。
「実は京にて与一郎殿(長岡忠興のこと)と会うことになっているのだ。そこで、済まないのだが、京についた後は私は三日ほど滞在する故、各方は先に兵庫に行ってもらいたい。その指揮は伊右衛門に委ねる」
「は?は、ははっ」
てっきり兵庫まで一緒に来るものと思っていた一豊が狼狽しながらも返事をした。
「他に何か聞きたいことはあるか?・・・他に何もなければ、今日はここまでとする」
重秀の質問に対して誰も声を上げることがなかったので、重秀は話し合いを締めることとした。
注釈
木下与一郎の諱の”吉昌”は小説オリジナルである。