第111話 小一郎の秘密
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「・・・あれは儂が二十歳の頃、だから今から十九年前か。当時の儂は父竹阿弥の跡を継ぎ、尾張中村郷の木下家の当主として木下家の家業を行っていた頃だったかな」
小一郎が昔を思い出すかのように話し始めたが、すぐに重秀に止められた。
「待ってください。木下家の当主ってどういうことですか?木下家の当主は父上ではないのですか?」
重秀の質問に対し、答えたのは小一郎ではなく秀吉だった。
「儂は継父の竹阿弥とは仲が悪くてのう。喧嘩ばかりしておった。おっ母が見かねて儂を寺に入れたのだが、その寺が嫌で飛び出してきたのじゃ。仕方なく、おっ母は儂に銭を与えて美濃へ送り出したのじゃ。まあ勘当、武士で言うところの廃嫡じゃな。そして中村郷の木下家は小一郎が継ぐこととなったのじゃ。本来、儂は木下は名乗れなかったんじゃ」
「では何故、木下藤吉郎と?」
重秀の質問に、秀吉が即答する。
「その木下はねね・・・、お主の母親の実家の一族の名字じゃ。確か、播磨国龍野の出じゃと聞いておる。ま、ちょうど断絶していたから儂が貰ったのじゃ。孫兵衛(木下家定のこと)の木下は、そこから来ているんじゃ」
「ああ、なるほど。しかし、そんな偶然ってあるんですか」
重秀が信じられない、と言いたげな表情でそう言うと、秀吉は何でも無いような口調で話す。
「まあ、木下なんてどこにでもある名じゃからのう。確か遠江にも儂等と無関係な木下という有力な一門がいたし、織田家中にも儂等と関係のない木下はいるじゃろう。ほれ、お主の友人の清六郎(中川光重のこと)、あれの叔父の木下雅楽助なんかがそうじゃ」
中川重政の弟である木下雅楽助嘉俊(忠頼とも)は元々織田家の一門の端くれであり、秀吉や小一郎とは全く関係のない(と言われている)木下さんである。
「まあ、そんなことはどうでも良い。与一郎の話じゃ。小一郎、話を続けてくれぬか?」
秀吉がそう言うと、小一郎が咳払いをして再び話し始めた。
「・・・今から十九年前。儂はとある女子と野合(婚前交渉のこと)で結ばれた。当然、妻として木下に迎え入れる予定であったが、その頃は尾張はゴタゴタが続いておった。尾張内では上様が他の兄弟や他の織田家と跡目争いをしていたし、外では今川が攻めてくるとの噂が飛び交っておった。不安定な日々で妻に迎え入れるかどうかを悩んでいるうちに・・・」
そこまで言うと小一郎は溜息をついて一旦話を止めてしまった。そして、何度か口を開いては閉じてを繰り返していた。それを受けて、今度は秀吉が口を開く。
「・・・昨日聞いた話では、桶狭間の戦いがあった年にその女子が赤子を産んで、その後亡くなったと聞いたな」
「・・・ああ」
秀吉の発言に、小一郎は言葉少なげに返事をした。重秀はふと湧いた疑問を小一郎にぶつける。
「幼き頃より母を失ったのは私と同じですね。となれば、与一郎殿は一体誰に育てられたのでございますか?」
「・・・与一郎を育ててくれたのは別の家として分かれていた将監殿の家じゃ。当時、将監殿には幼い娘御がおって、その娘御と一緒に育ててくれたのじゃ」
小一郎がそう答えると、重秀は「そうですか・・・」と呟きながら昌利と与一郎に視線を移した。二人共沈痛そうな表情を顔に浮かべていた。重秀が更に尋ねる。
「では、将監殿は与一郎殿の他に妻と娘と一緒に尾張中村からこちらに移ってきたと?」
「いや、将監殿の娘御と御方殿は病で亡くなっている」
小一郎がそう答えると、顔を昌利の方へ向けて「あれはいつ頃でしたかのう?」と尋ねた。
「娘は元亀元年(1570年)、妻は去年の二月に亡くなりました」
利昌がよどみなくそう答えると、重秀は「そうでしたか。ご無念でございました」と利昌にお悔やみを言った。利昌は黙って平伏した。小一郎が口を開く。
「・・・将監殿の御方殿も亡くなり、与一郎もよい歳になった。そろそろ本当のことを話してもよいじゃろう、と将監殿が儂に相談しに来たのじゃ。儂も将監殿の考えに賛同し、二人には山本山城へ来てもらうことになったのじゃ」
小一郎がそう言うと、重秀は「なるほど・・・」と納得したような声を出した。そんな重秀を秀吉は冷ややかに見つめると、視線を小一郎に戻し、小一郎に話しかける。
「それで小一郎よ。昨日の話では与一郎はこのまま将監の養子として木下の名を継ぐことにすると言っていたが、それで良いのか?お主の息子として、羽柴の名を継がせようとしなくて良いのか?」
「兄者に誘われて尾張中村を出て行って以降、与一郎を長年ほったらかしにした儂じゃ。今更父親面なぞできんわ。それに、儂の跡取りとして山本山城に迎えたら、兄者や藤十郎の地位を脅かしかねん。いや、儂も将監殿も与一郎もそんな気はないのじゃが、家臣達がそれを望むやもしれん。羽柴の御家騒動になりそうな芽は摘んでおかねばのう」
小一郎の話を聞いた秀吉は「ふむ・・・」と言って、右手で顎を撫でながら考え込む。。
―――確かに藤十郎の地位を脅かす身内はいらぬのだが・・・、一方で羽柴の身内が少ないのも事実。与一郎が藤十郎を支える立場になれば、これほど心強いことはない。それに、藤十郎はすでに織田家より正室をもらい、更に蒲生家より側室が来ることになっている。摂津平定では高山右近や能勢家を調略し、兵庫津を押さえ、花隈城では前線を経験したことで、家臣や与力の藤十郎への支持は盤石となった。与一郎ごとき、もはや藤十郎の地位を脅かすような存在にはならぬだろう。しかし・・・、与一郎には一つの疑念がある。それを考えるとな・・・―――
秀吉がそんな事を考えている間、重秀達は秀吉が何を言うか固唾を呑んで見守っていた。それに気がついた秀吉が相好を崩しながら話し出す。
「・・・いやいや、お主等何をそんな難しい顔をして見ているのじゃ。小一郎は常に儂や藤十郎のことを考えてきた。今までその考えに間違いは無かった。これからも無いじゃろう」
そう言うと、秀吉は小一郎見つめ、微笑みながら語りかける。
「小一郎。お主の気持ちはよぉ〜く分かった。お主が与一郎を木下のままにすると言うのであれば、儂は何も言わん。が、お主が実父なのじゃ。少しは親子の会話ぐらいはしてやれ。儂も藤十郎と話をすることが良い息抜きであった。お主も、長年働きっぱなしじゃったんじゃ。少しは与一郎と話しをしてやれ」
そう言うと秀吉は視線を小一郎から与一郎に移した。
「与一郎。今まで放ったらかしにしてすまなんだ。虫の良い話とは思うかもしれぬが、今後は儂と藤十郎、そして小一郎を支えてくれるか?」
秀吉の言葉に、与一郎は緊張の面持ちで「はっ、承りました」と言って平伏するのであった。
衝撃的な親族との面会が終わり、二の丸御殿に戻ってきた重秀は、その事と摂津への異動ととら姫を迎え入れる予定を石田正澄、山内一豊、福島正則、加藤清正、加藤茂勝、大谷吉隆に話した。
すでに摂津への異動と側室を迎え入れることは知られていたので、特には問題はなかった。しかし、小一郎の隠し子については、皆は驚きの声を上げていた。やはり温厚で謹厳実直な小一郎からは想像できなかったらしい。しかし、与一郎が小一郎の跡を継がないことについては納得していた。
そんな話をしているところに、重秀の下で小姓の見習いをやっている黒田松寿丸がやってきた。歳はまだ九つ。小姓をやらせるにはまだまだ早いのだが、黒田孝隆が「若君の傍につけたほうが安心できます」という事で、正澄の指導の元、小姓の見習いをやっていた。
「申し上げます。若君、殿様が参りました」
「えっ?父上が?」
重秀がそう言うやいなや、縁側から重秀達がいる小広間へ秀吉が入ってきた。
「おう、藤十郎。すまぬが二人きりで話がある」
「分かりました。書院にて茶を点てまする」
隙あらば茶を点てようとする重秀に苦笑しつつ、秀吉は「いや、茶はいらぬ」と言って断った。
場所を移し、書院に移った重秀と秀吉。上座に座った秀吉が、下座に座っている重秀を手招きして近寄らせた。
「何でしょう?父上」
秀吉ににじり寄った重秀に、秀吉は小声で語りかける。
「うむ、羽柴の次期当主たるお主に、真のことを話そうと思ってな。これは他言無用ぞ」
秀吉にそう言われた重秀は、姿勢を正しつつ緊張した面持ちで秀吉を見つめた。秀吉が静かに口を開く。
「実はな・・・、小一郎のさっきの話、嘘じゃ」
「・・・は?」
重秀が思わず声に出すが、秀吉は構わず話を続ける。
「正確に言うと、嘘が混じっているということじゃ。将監については全部真じゃ。与一郎が将監の夫妻に育てられたのも真じゃ。ついでに将監の妻と娘が亡くなったのも真じゃ」
「・・・では、何が嘘なんですか?」
眉をひそめて聞く重秀の耳元で、秀吉が囁く。
「・・・与一郎の母親は死んではおらぬ。しかも・・・」
そう言うと、秀吉は更に声を落として重秀に言う。しかし、それを聞いた重秀が思わず声を上げてしまう。
「・・・比丘尼?えっ、比丘尼!?与一郎殿の実母は尼僧だったのですか!?」
「声が大きい!」
秀吉からそう叱られた重秀は思わず口元を両手で押さえた。秀吉が再び声のトーンを落として重秀に話す。
「儂が小一郎から真の話を聞いたのは昨日じゃ。そして、このことは与一郎には話していないらしい。それ故、与一郎の手前ではああいう嘘をついたのじゃ。儂も与一郎を不憫に思って話を合わせたのじゃ」
「な、なるほど。そ、それで、何故叔父上は比丘尼なんぞに手を出したのでございますか?」
重秀の質問に、秀吉が「うむ、実はな・・・」と語り始めた。
今から二十年前。尾張国中村郷中中村にある寺に、一人の比丘尼がやってきた。比丘尼とは修行僧(比丘という)の女性版である。彼女は寺の境内の隅っこに庵を作り、その寺で修業をしていた。その庵を作ったのが小一郎で、それ以来小一郎は比丘尼に仏の教えや文字、算術を教わっていたらしい。
「そしてその比丘尼が中村に来てから一年後、小一郎はその比丘尼と結ばれ、比丘尼は孕んでしまったそうな。比丘尼はその直後に庵から姿を消したらしい。小一郎を始め、村中の男共が探したらしいが、見つからなくてのう。それから一年後、その比丘尼が前触れもなく小一郎の前に現れたのじゃ。赤子を抱いてのう」
「・・・それが与一郎殿ですか?」
重秀の問いかけに秀吉が頷いた。秀吉は更に語る。
「その時に小一郎と比丘尼は話し込んだらしいが、何を話したかは知らん。が、その後比丘尼は再び姿を消し、小一郎はその赤子を将監夫妻に預けたらしい。もちろん育てるための諸々は全て小一郎持ちじゃ」
「あ、そうだったんですか。てっきり将監殿が善意で育てたものとばっかり」
「阿呆、んなわけあるか。ただで他の赤子を育てる余裕なんぞあるか。小一郎が支援したから与一郎は生きながらえているのであって、本来なら水子にしてしまうのだぞ。お主だって、前田家で育てられている間の食料は儂持ちだったんじゃ」
秀吉がそう言うと、重秀は思わず息を呑んだ。重秀が秀吉の子ではなく、もっと下層の人間の子であったなら、とっくに死んでいたことに気が付かされたからであった。
秀吉の話は続く。
「まあ、そういう事があった、ということはお主も知っておいたほうが良いじゃろう。理解できたか?」
「は、はい。それで、その比丘尼は死んでおらぬということでしたが・・・?」
「・・・儂等が長浜に移った直後に、小一郎が捜したらしい。大和でそれらしい尼僧が居たという噂までは掴んじゃのだが、その後は消息は掴めておらん。ただ、死んだという話もない」
秀吉がそう言って黙ってしまった。重秀は困惑したような顔つきになりつつも話を続ける。
「そ、それでは叔父上は未だにその比丘尼の事を想い、妻を娶っていないのですね?」
重秀の質問に、秀吉は首を横に振った。
「いや・・・。そうではないらしい。小一郎が言うには・・・、尼僧でないと女子として見れなくなったらしい・・・。儂に妻を娶れと言われた後は、尼僧にしか声をかけておらんということじゃ」
「ええ・・・」
自分の尊敬する叔父が尼フェチだと知った重秀が、顔を顰めながら思わず声を出した。それに対して秀吉が何でも無いような表情で話を続ける。
「まあ、儂も武家の娘でなければ抱こうとは思わんからな。似たようなもんじゃろう」
「うわぁ・・・」
兄弟揃って偏った性癖であることに、重秀は何も言えないような気分になった。重秀の複雑そうな表情を見て取った秀吉が、話題を変えるべく口を開く。
「こ、小一郎の女子の好みなんぞどうでも良い。それよりも藤十郎よ、与一郎をあまり羽柴の一門として扱うなよ」
秀吉の発言に、重秀は驚きの声を上げた。思わず秀吉に尋ねる。
「父上、何故ですか?羽柴の一門が少ないことを常日頃から嘆いておられたではありませぬか」
「・・・与一郎は本当に小一郎の子なのか?という疑問があるのじゃ」
「・・・えっ?」
秀吉の言葉に、重秀は思わず聞き返した。秀吉は小声で話し出す。
「藤十郎。お主は知らないだろうから教えるが、比丘尼は本物の尼僧とは限らぬぞ。遊女が尼僧の格好をして男の相手をすることもあるし、そんな遊女を集めて荒稼ぎする寺もあるんじゃぞ」
「ええ・・・。し、しかし、叔父上の相手をした比丘尼は学があったようですし、ただの遊女ではないのでは?」
「甘いのう。比丘尼は旅をしながら修行する場合、物乞いをしながら旅をするんじゃ。その対価として読経したり御札を売ったりしているのじゃが、中には己の身体を売る場合もあるのじゃ」
秀吉から衝撃的な話を聞いた重秀は思わず絶句してしまった。秀吉が畳み掛けるように話を続ける。
「そういう訳で、儂は与一郎が信用できん。が、将監の養子として見れば、ただの家臣・・・いや、陪臣の一人じゃ。お主もその様に与一郎を扱え。良いな?」
秀吉が凄みながらそう言うと、重秀はただコクコクと頷くことしかできなかった。
その日の夜。二の丸御殿の奥にある居間では、重秀は縁からの酌を受けながら酒を飲んでいた。元々二人は寝るまでの短い時間に夫婦の会話を楽しんでおり、その時にはお酒を飲みながら源氏物語や三国志、そして領内の出来事を語り合っていた。しかし、今晩は縁からは話をしているものの、重秀からの会話はほぼ無く、ただ酒を飲みながら縁の話を聞いていた。いや、いつもなら真剣に聞いているのだが、今晩は聞き流しているようであった。
「・・・御前様、如何なされましたか?今宵はご気分が優れぬようでしたら、今宵のお話はもう止めてお休みになられますか?」
心配そうな表情で重秀の顔を覗き込んだ縁に対して、重秀は首を横に振りつつ縁に話しかける。
「いや、そういうわけではないが・・・。今日はいろんなことがありすぎて、ちと疲れただけだ。気分が優れぬ訳では無い」
「でしたら、少し早うございますが、そろそろお休みになられますか?」
右の人差し指を右頬につけながら首を右に傾けつつ、そう尋ねた縁を、重秀はじっと見つめた。
「・・・御前様?」
沈黙に耐えかねたように尋ねる縁に対して、重秀は首を横に振りつつ、「いや、何でも無い」と返した。
―――本当は、叔父上の秘密を話したいのだが、父上に『胸の中に秘める』と約束したからな・・・―――
そんなことを考えていた重秀を見つめていた縁が、手に持っていた酌を膳の上に置き、その膳を脇に寄せた。そして重秀ににじり寄ると、両手で重秀の両頬を包み込むように触れた。
「御前様。御前様が何か悩んでおられることは、縁にも分かります。ですが、もしお辛くなりましたら、この縁がお支え致します故、何卒この縁をお頼りくださいませ。夫を支えるのが妻の務め。必ず、御前様・・・藤十郎様のお役に立ちまする」
そう言って微笑んだ縁を、重秀は抱きしめた。いきなりの行動で驚いた縁が思わず「きゃっ」と短い悲鳴を上げた。しかし、すぐに重秀の胸に両手を当てると、そのままもたれかかった。縁の耳元で重秀が囁く。
「すまぬ。父との約束ですぐには言えぬ。しかし、いづれ必ず縁に話すことを約束する。それまで、私を信じてくれ」
重秀の言葉に対し、縁は重秀の耳元で「・・・はい」と答えた。縁にとってはただの返事であったが、その艶のある声と、温かい息が重秀の耳を刺激し、更には重秀の理性の箍を外そうとしていた。
重秀が両腕を縁の背中に回したまま、顔だけ離して縁の顔をまじまじと見る。気がつけば、縁の顔は幼さを残しつつも大人の女性の顔つきをしていた。絶世の美女とまでは行かないが、お姫様らしい品のある顔となっていた。
「縁・・・」
「藤十郎様・・・」
名前を呼びあう二人は互いを見つめ合うと、顔を近づけて唇を重ねようとした。その瞬間、居間の障子が勢いよく開かれた。




