第110話 新たな親族
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第104話と第105話の内容を改めました。詳しい説明を活動報告に書きました。よろしくお願いします。
天正六年(1578年)一月。正月も明けて、重秀が蒲生家のとら姫を側室に迎えることを信長と信忠が許したことが知れ渡った。この件について、『長浜日記』を始め、当時の資料は事実のみを伝えるにとどまり、当時の織田家中および他の大名にいかなる影響が出てきたかは記されていない。
秀吉や重秀らが長浜城へ帰還したのは一月の中旬であった。すでに長浜城では摂津二郡の加増の話が伝わっており、小一郎を中心とした残留組がすでに準備をしていた。
そんな小一郎達残留組は、秀吉と重秀等が長浜城に帰還した直後に小広間にて面会した。
「此度の勝ち戦、誠に祝着至極。さらに摂津二郡を加増されましたる段、誠にめでたく、羽柴のさらなる弥栄にこの小一郎長秀、ただただ殿の武威にひれ伏すばかりでございまする」
小一郎がそう言って平伏すると、その後ろに控えていた残留組の家臣たちも平伏した。
「うむ。そなた等も留守をよく守ってくれた。摂津二郡を与えられた故、そなた等留守居役にも若干ながら加増ができそうじゃ。小一郎と相談の上、ちゃんと褒美を渡す故、楽しみにして良いぞ」
秀吉がそう言うと、皆が「有難き幸せ!」と言って一斉に平伏した。
その後、取り敢えず金子などのすぐに配ることのできる褒美の目録が残留組だった家臣に渡され、めでたく解散となった。秀吉は本丸奥へ、重秀も二の丸へ戻ろうとした時だった。その場に残っていた小一郎が二人を呼び止めた。
「兄者、藤十郎。済まぬが、二人だけに大事な話がある。少し良いか?」
「なんじゃ、小一郎。お主にしては珍しい物言いじゃのう。では小書院で話し合うとするか」
秀吉がそう言って立ち上がると、小書院へ歩き始めた。小一郎と重秀もそれについて行った。
小書院につくと、秀吉が上座に、重秀と小一郎が下座に座った。そして秀吉が口を開く。
「で?なんじゃ小一郎。儂等に何か重要な話か?まさか、誰か好いた女子でもできたか?」
ニヤニヤしながら聞いてきた秀吉に対し、小一郎はじっと黙っていた。最初はニヤついていた秀吉も、小一郎の尋常ならざる態度に真面目な顔つきにならざるを得なかった。
「・・・どうした、小一郎。黙っていたら何も分からん。儂と藤十郎だけを呼んだということは、よほど重要な話なのじゃろ?早う話さんか」
「・・・兄者。話す前に一つ聞きたい。藤十郎に、儂等の父親の話をしたか?」
小一郎の言葉に、秀吉の顔がサッと青ざめた。それを見ていた小一郎が溜息をついた。
「・・・そうか。話してはおらなかったか。そうすると、将監兄者と与一郎の話はできぬな」
「お、おい。将監と与一郎が何故出てくるんじゃ?まさか・・・」
ますます顔を青ざめる秀吉に、小一郎は冷静に言い放った。
「・・・山本山城に来ている」
小一郎の発言に秀吉がますます顔色を悪くした。この時になって始めて重秀が声を発する。
「あの、話がよく分からないのですが。将監とか与一郎って何の話ですか?長岡兵部大輔様の家の話ですか?」
与一郎という単語から、長岡藤孝とその息子を思い出した重秀。しかし、秀吉は首を横に振りながら答える。
「長岡家とは全く関係ない。むしろ、木下家と関係のある話じゃ」
「木下ですか?とすると、木下の伯父上(木下家定のこと)のことですか?」
重秀の言葉に秀吉は溜息をついた。そして困惑したような顔で重秀を見つめていた。しばらく重秀を見つめていた秀吉は、視線を小一郎に向けると小一郎に話しかける。
「・・・小一郎。しばらくお主と二人だけで話をしたい。良いな?」
秀吉の言葉に小一郎は黙って頷いた。秀吉は重秀に「すまぬが、二の丸に戻ってくれぬか」と言うと、視線を小書院の出入り口である障子に向けた。
重秀は秀吉の意図を読むと、「承知いたしました」と言って小書院から出ていったのであった。
二の丸御殿に戻った重秀は、およそ半年ぶりに縁と会うこととなった。二の丸御殿の『奥』の入り口にて、縁と乳母の夏や七が三つ指を床につけながら平伏して重秀を迎え入れた。
ちなみに千代はこの場にはいない。彼女は山内屋敷で久々に山内一豊と夫婦水入らずの時間を過ごしていた。
「御前様、お戻りなさいませ」
「うん、今戻った。元気そうで何よりだ」
そう言って笑顔を見せる重秀に、縁は「はいっ、御前様も恙無いご帰還、祝着にございます」と言いながら笑顔をみせてきた。
重秀と縁達はそのまま居間へ入ると、照を先頭に二の丸付きの侍女たちが白湯を持って居間へ入ってきた。重秀は白湯を飲んで一息つくと、縁に話しかける。
「二の丸は特に何もなかったか?」
「はい。平穏無事そのものでした。侍女たちの争いごとも特にありませんでしたし」
縁の言葉を聞いた重秀がすぐに視線を夏と七に向けた。夏が口を開く。
「この半年、御姫様は若君の留守を守らんと、侍女達の統制に心血を注いでまいりました。私や七殿、そして千代殿とよく話し合い、侍女達とも話し合いを場を設け、不満を解消すべく骨を折っておられました」
「おかげで、少なくとも侍女達の織田と長野のいがみ合いというのはほぼ無くなりました」
七の言葉に重秀は「そうか・・・」と言うと、再び縁に視線を向けた。
「縁よ。よくぞ家中をまとめてくれた。大変だったろうに」
「いえ。夫が戦場で働いている中、妻が家を守るのは当然のことにございます。私は妻の役目を果たしたに過ぎませぬ」
縁がそう言うと、夏が口元を袖口で隠して笑いつつも会話に入ってきた。
「御姫様は若君からの文でやる気を起こされましてなぁ。『御前様がご活躍されているのに、私がボーッとしては叱られてしまいます』と仰ってました」
「別に叱ろうとは思わぬが・・・。ま、何はともあれ、今後は縁のお陰で安心して外で働けるな。今後もよろしくお願いする」
重秀がそう言うと、縁は恥ずかしそうに「承知いたしました」と言って平伏した。
「そう言えば、先に送った文は読んだか?」
「はい。兵庫への転封と蒲生の姫君を側室に迎えることでございますね?」
そう答えた縁の声が嬉しそうに聞こえたため、重秀は訝しげに縁に尋ねた。
「・・・随分と嬉しそうだが、そんなに私が側室を迎えるのが嬉しいのか?」
「それは・・・」
さっきとは打って変わって暗い顔で俯いた縁に、重秀は申し訳無さそうな顔つきで話を続ける。
「・・すまぬ。縁とまだ褥を共にしてないうちに側室を迎えるのはどうかと思うが・・・」
「・・・いえ、お気になさらずに。これも羽柴のためにございます」
落ち着いた感じでそう言った縁に、重秀は罪悪感を覚えたのか、思わず頭を下げる。
「・・・本当にすまぬ」
そんな重秀の顔に、縁はそっと指で触れた。
「どうぞ頭をお上げください。これも武家の習わし。覚悟はできております」
縁からそう言われた重秀が頭を上げると、縁は優しい目をしながら微笑んだ。その微笑みが、重秀にさらなる罪悪感を抱かせた。そんな重秀の気持ちを逸らすかのように、夏が重秀に言う。
「恐れながら、御姫様が喜んでいるのは、兵庫へ行けることにございます。兵庫津の近くには、須磨があります故」
「須磨・・・?ああ、そう言えば、須磨は兵庫津の西側にあったな。光の君(光源氏のこと)が隠遁した所だっけ?」
重秀が思い出したかのような感じでそう言うと、一瞬で明るい顔になった縁が「そうです!」と声を上げた。
「須磨ですよ、須磨!あの女っ気の多い光の君が、唯一女子と縁のない生活を過ごした場所なのです!須磨の月を見つつ、波の音を聞きながら歌を詠む。ああ、なんと雅なのでしょう!」
早口でそう言う縁の姿を見て、若干引き気味な重秀は、一応縁に注意する。
「あのな、兵庫の地は私に与えられるが、須磨の地は与えられるとは限らないぞ?」
「藤十郎様の領地でなくとも、遊びに行くことぐらいはできるのではございませぬか?」
縁の反論に「むむむ」と言って怯んだ重秀。そんな二人の中に七が割り込んでくる。
「それよりも若君。蒲生の姫君が来るのはいつ頃でございまするか?」
「あ、ああ。一月の下旬頃と聞いている。それまでにこちらの準備をしないといけないのだが、頼めるか?」
「・・・本丸御殿の女子衆がするのではないのですか?」
「あっちは父上の三田城異動で忙しいからな。二の丸御殿内で準備するようにとの、父上のお達しだ」
重秀からそう言われた七は、「承りました。千代殿と相談の上、準備致しまする」と言いながら、夏と共に平伏したのだった。そして、頭を上げた夏から重秀に提案する。
「恐れながら、蒲生の姫君が来られる前に、御姫様と褥を共にして頂きとうございまする」
夏の提案に、重秀は眉をひそめながら言う。
「・・・縁はまだ十五歳だろうに」
「もう十五歳です。しかもこの半年、御姫様は子を生すために食事をしっかりと摂っておりましたし、長刀に馬術といった鍛錬も行っておりました。ことお子を生すことについては、ご懸念は無用と存じまする」
「ちょっと待て。長刀は良いとして、馬術と言ったか?女子が馬術をするのか?」
重秀がそう尋ねると、夏ではなく七が答える。
「他家は知りませぬが、織田家では女子も馬術を学びまする。確か、お濃の方様がそうするように命じたとか。ただ、お濃の方様が来られる前から、お市の方様やお犬の方様など、一部の織田の姫君は馬術を嗜んでいたと聞いたことがございます」
「・・・そうなのか」
重秀がそう言って縁を見つめた。縁が微笑みながら重秀に言う。
「最初は恐ろしゅうございましたが、慣れてしまえば馬も愛らしいものでございます。さすがに単独で遠出とまでは行きませぬが、城内の馬場を単独で一回りぐらいはできるようになりました」
「そうか。では今度の摂津への異動の時は、輿ではなく馬で行ってみるか?」
重秀がいたずらっぽく笑いながらそう言うと、縁は胸の前で両手を激しく振った。
「えっ!?それは無理というものにございまする!」
「うん、分かっている。冗談だ」
重秀が笑いながらそう言うと、縁は「もう!いけず!」と言ってそっぽを向いてしまった。その様子が可愛らしくも面白かったので、重秀だけでなく夏や七も笑ってしまうのであった。
次の日。縁監修の朝餉を食べた重秀は、本丸御殿の秀吉を尋ねた。秀吉は居間で御祖母様と石田三成、寺沢広高と朝餉を摂っていた。
「おう、藤十郎。今日は早いではないか?朝飯は摂ったのか?」
居間に入ってきた重秀に秀吉がそう声をかけた。重秀が「はい。すでに済ませました」と言いながら座ると、秀吉に昨日話題になった事を話し始めた。
「・・・須磨だったらお主の知行にしても構わんぞ。八部郡の知行割りはまだ決まっておらぬでのう」
「いや、兵庫津をいただけるのであれば、それ以上は・・・」
「阿呆。市兵衛(福島正則のこと)を始め、お前の下についておる家臣の知行はこれからはお主が与えるんじゃ」
秀吉がそう言うと重秀が「ええっ!」と驚いた。秀吉が更に言う。
「いいか。儂はこれを機に、お主に領主としての経験を積ませるつもりじゃ。まあ、当然お主だけでは無理なのは分かっておるから、ちゃんと補佐できる人間をつけてやるから」
「は、はあ・・・」
不安そうな顔で返事をした重秀。そんな重秀を見た三成が、秀吉に声をかける。
「恐れながら、それがしを若君の側においてもらえないでしょうか?殿の下で多くの政をしてきました故、きっと若君のお役に立てると存じます!」
そう言った三成に対し、秀吉は「ならぬ」と一言拒否した。秀吉は話を続ける。
「佐吉、お主にはまだ儂の下で学ばなければならぬことがある。それは、此度のように領地が飛び飛びになったとき、どの様に領地を治めればよいのかを学ばなければならぬ」
秀吉の言葉に三成は「・・・承知いたしました」と言って頭を下げた。重秀が秀吉に尋ねる。
「父上、それは私も学ぶべことだと思いますが・・・?」
「お主が学ぶにはまだ早い。まずは自分の領内をしっかりと治めよ。お主、領地である菅浦は乙名衆に任せっぱなしではないか」
「そういう約束でしたので・・・」
「阿呆。菅浦内の揉め事の裁きも乙名衆に任せているではないか。裁きは領主が行う大切な政ぞ。約束とは言え、やりすぎじゃ」
「しかしながら父上。菅浦が外の人間と揉めた場合はそれがしが裁きを行っておりますし、菅浦内は羽柴の法に基づいた裁きを行っております。また、後日裁きを改めても、乙名衆の判断が正しいのです。それならば敢えて私がする必要はありませぬ」
重秀の反論に秀吉は「むむむ」と口ごもってしまった。二人の間に険悪な雰囲気が流れる中、御祖母様が口を開く。
「藤吉も藤十も、飯時にそんな喧嘩をするもんでねぇ。そういう事は、家臣の皆々様と話し合え。皆で考えれば、冷静になって良き考えも出てくるじゃろう。今は飯に集中しろ」
御祖母様の言葉に、重秀以外の者達は慌てて飯をかき込むのであった。
その日、本丸御殿の小広間で行われた朝の評定では、秀吉と重秀の異動と重秀の側室を迎え入れることについて話し合われた。特に混乱することもなく終了した。
評定に参加していた重秀は、二の丸御殿に戻ろうとしたが秀吉に止められた。
「藤十郎。小一郎から話がある。儂の隣に座れ」
そう言われた重秀は、戸惑いつつも小広間の上座にある上段の間に上がると、秀吉の隣に座った。その直後、下段の間で一人残っていた小一郎が立ち上がると、一旦小広間から出ていった。
程なくして、小一郎が戻ってきた。ただし、一人ではなかった。後ろには二人の男がついて来ていた。小一郎が小広間の下段のだいたい真ん中辺りに座ると、二人の男は小一郎の後ろに座り、平伏した。
二人の男のうち、一人は中年の男性であった。ガッチリとした体つきと日に焼けた肌は、どちらかと言うと武士ではなく農作業で鍛えた身体のように思えた。もう一人は、重秀よりも年上な青年に見えた。身体の線も細く、顔も色白であった。そして、緊張している顔がどことなく小一郎に似ていた。
藤十郎が不思議そうにその男達を見つめていると、秀吉が話しかけてくる。
「藤十郎。小一郎の後ろにいる者は、小一郎の縁者よ」
秀吉の言葉に重秀は思わず「叔父上の縁者?」と聞き返した。しかし、秀吉がそれに答える前に、小一郎が声を上げる。
「若君に申し上げます!これに侍りまする者はそれがしの縁者にございます!向かって右に侍るのは木下将監昌利、我が兄にございます!」
「・・・はっ?」
重秀は思わず間抜けな声を発した。小一郎の叔父上の兄?何言ってるんだ?と重秀の頭の中は混乱した。重秀はその混乱から立ち直ろうと脳を動かし始めた。しかし、小一郎はその機会を与えること無く更に言い放った。
「そして!・・・そして、左に侍りまするは木下与一郎!我が息子にございまする!」
小一郎の発言を聞いた重秀は、小一郎の発した言葉の意味を理解することに時間がかかった。訳が分からないまま、重秀は秀吉の方へ顔を向けると、秀吉は重秀の顔を見ずにまっすぐに小一郎を見つめたまま、能面のような表情で口を開く。
「聞いてのとおりじゃ。あの男共は・・・、小一郎の縁者で、お主から見て叔父と従兄じゃ」
秀吉の言葉を聞いた重秀は、ゆっくりと顔を小一郎に向けた。そして、小広間から外へ聞こえるほどの大声を上げるのであった。
「・・・この二人の事について話す前に、儂と小一郎の父について話しておかねばならぬの」
秀吉がそう言うと、呆然としている重秀に説明を始めた。
秀吉とその姉であるともと、小一郎とその妹のあさは父親が違うらしい。秀吉とともの父の名は木下弥右衛門という足軽なのに対し、小一郎とあさの父の名は竹阿弥という同朋衆(主君の側で芸術に関する職務を行う者のこと)らしい。らしい、というのは二人共すでにこの世にいないため、改めて確認することができないからである。
「んで、おっ母も竹阿弥もお互い初婚ではない。竹阿弥が木下家に婿入りしてきた時に連れてきた前妻との子が将監ということじゃ」
「な、なるほど。それは理解いたしました」
実は秀吉と小一郎が異父兄弟だった事が重秀にとって初めて聞く衝撃的な事実なのだが、それはそれとして、木下昌利が小一郎の縁者で義理の兄であることは理解できた。動揺しつつも重秀は続けて秀吉に尋ねる。
「し、しかし問題は与一郎殿・・・です。叔父上は『我が息子』と言っておりましたが、そんな話聞いたこともないのですが!?」
重秀の言葉に、秀吉は困惑した顔つきで重秀に言う。
「・・・実は儂も昨日初めて知ったのじゃ。いや、与一郎には過去に何度か会ったことはあるが、その時は将監の養子と聞いておったのじゃ。小一郎の実子なんて聞いたこともなかったのじゃ」
そう言うと秀吉は視線を小一郎に向けた。小一郎は溜息をつくと、秀吉と重秀に視線を送りながら口を開く。
「・・・兄者や藤十郎が混乱する気持はよく分かる。だから、今から改めて説明するから、よく聞いて欲しい」
注釈
豊臣秀吉の出自について、名字すら持たない最下層の民の出自であるという説がある。しかし、大政所(秀吉の母)の姉妹が小出、福島、青木と言った名字持ちに嫁いでいるのに、大政所だけ名字無しの家に嫁ぐというのが考えにくい。
また、百姓身分が名字を公称できなくなるのはもう少し後の時代であることから、この小説では秀吉の生家は『木下』の名字を持っている家としている。