第107話 摂津平定
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花隈城の荒木の兵達が全て殺され、本丸の御殿や天守が燃やされた3日間、織田勢は周辺の村々を捜索し、逃げた荒木村重等を探していた。その捜索も過酷で、少しでも反抗的な村民は殺され、また情報を得るために少なくない者達が拷問にかけられ、命を落としていった。
そんな中、重秀は信忠の命により、村重が逃げたと思われる脱出口を本丸内で探していた。そして、それらしき物を見つけたため、その旨を信忠に伝えるべく本陣のある生田神社へと向かった。
生田神社で重秀は信忠や諸将等の前に出ると、不機嫌さを隠そうともしない信忠に報告をし始めた。
「殿様。荒木摂津等が逃げたと思われる脱出口を天守にて見つけました。天守の中に井戸があり、その中から外の堀に出ることが可能でした。恐らく、井戸への取水口が脱出口を兼ねていたものと思われます。井戸と堀を繋ぐ水路は人一人が余裕で通れるほどの広さがありました」
「・・・それで、摂津はどうやって逃げたと思う?」
「これは私めの想像でございまするが、取水口は天守の直下、西側の堀と繋がっておりました。その堀は南側へ流れる川へ直接流れ出ておりますれば、その川を泳いで城外に出たものと思われまする」
重秀がそう答えた瞬間、信忠が「ぬぐぅわあぁぁぁ!」と叫びながら手に持っていた采配を地面に叩きつけた。それでも治まらないのか、床几から立ち上がるとその采配を何度も踏みつけた。
思わず斎藤利治が声をかける。
「殿!落ち着いてくだされ!」
「やかましい!三度だぞ!三度も荒木村重に逃げられたのだぞ、儂は!これでは父上のご不興を被るではないか!大体、藤十郎の言っていた村重の逃げ方は、花隈城を攻める前に事前に聞いていたではないか!新五(斎藤利治のこと)!我が方の忍びは一体何をやっていた!」
信忠が怒りに任せてそう叫ぶと、利治が黙り込んでしまった。そんな利治を助けるべく、滝川一益が声をかける。
「恐れながら殿様。忍びは全てを見つけることはできませぬ。特に、たった五日間で城の内部の脱出口を探し出すなど不可能にございます。・・・羽柴殿、取水口は外からは見えるものなのか?」
一益の問いかけに、重秀が首を横に振りながら答える。
「いいえ。取水口は完全に水面の下にございました。晴れた日中に船に乗って近づければ、水面下にあることは目視できるかと思いまするが・・・」
「とすると、村重等は水の中を潜って脱出したのであろうな・・・。そのような場所にある脱出口を、我が方攻撃中に見つけるのは忍びでも無理であろうな・・・」
そう言った一益を信忠は睨みつけたが、今度はその睨みを一益から自分の弟達に移した。
「三介、三七。その方等一体何を見ていたのだ?花隈城から南へ流れる川の両岸は、その方等の監視下にあったのではないのか?」
そう言われた北畠信意と神戸信孝。信孝は渋い顔で俯いていたが、信意は涼しい顔で信忠に言う。
「恐れながら、それがしは兄上のご命令通り、南側で見つかった脱出口を見張っておりました。それは兄上が脱出口を見張れと命じたからでございます。それに、それがしは川を見張りませんでしたが、それは兄上が川を見張れと命じなかったからにございます」
村重の逃した責任は川を見張れと命じなかった信忠にある、と言っている信意の発言に信忠が鼻白んだ。利治が思わず声を上げる。
「三介様!殿に対してなんという物言いを!」
そんな利治の言葉に対して、信意は意に介せずという感じであった。しばし気まずい空気が流れる中、一人の鎧武者が駆け込んできた。
「申し上げます!羽柴筑前守様がお見えでございます!」
「え?父上が?」
思わず重秀がその鎧武者に声をかけるや否や、気まずい空気を破壊せんというくらいの陽気な声を上げながら、小具足姿の秀吉が陣へと入ってきた。
「やあやあ、皆様方!此度は花隈城を落とした由、誠に重畳至極!殿様の武名は天下に轟きますなぁ!」
そう言って「あっはっはっ!」と笑う秀吉であったが、信忠の前で跪いている我が子の姿を見ると、そのまま近づいてきて声をかける。
「藤十郎。どうした?そんなところで・・・。ま、まさか!お主、殿様に何か粗相をしたのではあるまいな!?」
「いや、藤十郎はよくやっている。此度の花隈城攻めでも功を上げているからな。それより、筑前は何しに来たんだ?」
信忠がそう尋ねると、秀吉はキョトンとした顔で答える。
「・・・昨日上様から早馬が来まして、明日には花隈城に入ると知らされました。そしてそれがしに話があるとのことでしたので、こちらに参ったのですが?」
「はあぁ!?聞いておらんぞ、そんな話!おい新五!どうなっている!?」
信忠が動揺しながらそう叫んだ時だった。本陣に一人の鎧武者が入ってきた。
「申し上げます!上様よりの急使が参りました!」
そう言った鎧武者を皆が注目している中、秀吉だけは一人笑いながら肩をすくめていたのだった。
秀吉は取り敢えず信忠に挨拶した後、重秀とともに羽柴勢の陣へと向かった。そこで秀吉は、重秀から花隈城での戦いについての話を聞いた。
「ほう、二の丸にて荒木方の物頭(足軽頭や足軽大将など、足軽をまとめる武士のこと)の首を五つも取ったのか」
「はい、父上。彦右衛門(蜂須賀家政のこと)と市が一つずつ。あとは蜂須賀殿の配下の三人が一つずつ取っております」
「おうおう、それに二の丸一番乗りと本丸一番乗りとは」
「それは・・・。本丸一番乗りは流れと言いますか・・・。それに前田勢の支援があったお陰でして・・・」
「いやいや、それでも一番乗りを果たしたのが小六(蜂須賀正勝のこと)だったのじゃ。羽柴の面目が立ったというものよ。しかも、兵庫津を無血で手に入れたとは。これはお主に褒美として花隈城をいただけるのではないか?」
ご機嫌に笑いながらそう言う秀吉であったが、ふと羽柴の陣のある一点を見つめると、重秀に質問をしてきた。
「ところで藤十郎よ。あの箒は何じゃ?瓢箪がぶら下がっておるが・・・?」
秀吉の視線の先、総大将が座る床几の斜め後ろに、長い柄の箒が穂を上の方を向いて立っていた。柄と穂を繋ぐ部分には、瓢箪がぶら下がっていた。
「私の馬印です、父上」
「はぁ?」
重秀の答えを聞いて思わず聞き返した秀吉に、重秀が詳しく話す。
「脱出口から出た時、どこに出たかは分かりませぬが、そこを占領したという目印が必要と黒田殿に言われたのです。本来ならば羽柴の馬印たる金の瓢箪なのでしょうが、それは父上が持っているもの。私は持っていないのです。そこで、急遽黒田殿に頼んで、箒を兵庫津にいた職人に作らせたのです。あ、この馬印の使用は殿様から許しは得ております」
「ふむ・・・。なるほどのう・・・。して、何故箒なのじゃ?」
秀吉の質問に重秀がハッキリとした物言いで答える。
「有岡城攻めで我らは箒星の加護を得て戦に勝利しました。それにあやかったのでございます」
重秀の言葉に秀吉はキョトンとした顔になったが、すぐに大笑いした。
「あっはっはっ!あの箒星を加護と見るか!大胆な奴め!良いだろう、藤十郎の馬印は箒じゃ!おお、そうじゃ!ただの箒ではつまらん!玉箒といたせ!」
玉箒とは、箒の穂の部分に玉状の飾りを付けた箒のことである。元々は正月の子日に蚕室を掃除する神具であり、邪気を払う縁起物として神聖視されたものであった。
ちなみに中国の北宋時代の詩人で政治家の蘇軾(蘇東坡として有名)の詩から、『酒は憂いを払う玉箒』ということわざができた。さらに、このことわざから『玉箒』は酒のことを指すようになった。
何はともあれこれ以降、羽柴重秀、そして豊臣秀重の大馬印は玉箒と瓢箪、後に玉の部分が小さな瓢箪(の作り物)となる大きな玉箒―――通称、瓢箪箒となるのであった。また、後に秀重が自身の馬廻衆を持った際、信長の『赤母衣衆』『黒母衣衆』や秀吉の『黄母衣衆』のような馬廻衆の特に優秀な者達を集めたエリート集団を作り上げるのだが、これらのエリート集団には母衣ではなく玉箒を旗指物にしたと言われている(実際は玉箒が描かれている旗であった)。このことから、これらエリート集団には『玉箒衆』という名が与えられたと伝えられている。
次の日。片付けがされた花隈城に、堀秀政と長谷川秀一の軍勢を引き連れてきた信長が入城した。信長が本丸に張られた信忠の陣に入ると、信忠の出迎えを受けた。
「父上。わざわざのお越し、恐悦至極に存じまする」
「城介。大儀であった。荒木村重を逃したのは口惜しいが、摂津を再び織田のものにしたことは見事であった」
機嫌よく褒める信長に、信忠は「だから城介じゃなくて少将だっての」と心の中で呟きつつ、咎められなかったという安堵の表情で「ははっ、有難き幸せ」と言いながら頭を下げた。
信長が本陣の上座にある床几に座ると、左右に分かれて立っていた諸将も自らの床几に腰を下ろした。信長が口を開く。
「さて、汝らもよく働いた。特に勝三(池田恒興のこと)、有岡城攻め以来、汝の支えがあったからこそ、城介は天下に武名を轟かせることができたのよ。よって褒美を取らす」
―――荒木の旧領は紀伊守殿(池田恒興のこと)に与えられるのかな?まあ、儂等は有馬郡を貰っているが、これは兵庫津は貰えそうにないな・・・―――
秀吉がそんなことを思っていると、信長は秀吉が思った事とは若干異なることを口に出した。
「荒木の旧領のうち、有馬郡及び八部郡を除いた部分を全て勝三に与える。また、摂津の守護を任せる」
「はっ、有難き幸せ」
周囲の諸将が驚きの声を上げている中、恒興は冷静な声で感謝の意を述べた。信長が再び声を上げる。
「ただし、これらのことは全て城介の名において行われることとする。城介、良いな?」
信長の言葉に対し、信忠は若干困惑しつつも「承りました」と言って頭を下げた。信長が再び声を上げる。
「猿!前へ」
「は?ははぁっ!」
なんで儂が?と思いつつも、秀吉は返事をしながら信長の前に出て平伏した。
「猿!摂津での目覚ましき活躍、余は満足である。従って、摂津国有馬郡と八部郡を改めて授ける・・・のだが、訳あって有馬郡を取り上げる」
信長の発言に秀吉は「はっ」と言って了解したものの、頭の中では理解が追いついていなかった。そしてそれは、重秀を始め、その場にいた全ての者が理解できずにいた。
「有馬郡と八部郡は一旦城介に与える。城介、汝から汝の名において猿に有馬郡と八部郡を与えるように」
信長の発言にその場にいた者は困惑の表情を浮かべた。信忠も同じ様に困惑しながら「う、承りました」と言って頭を下げた。
しかし、そんな中で秀吉は信長の意図を正確に読んでいた。
―――ははぁ。上様ではなく殿様からの褒美とすることで、上様の次は殿様であることを内外に示したいのか―――
そう思いながら、秀吉は「有難き幸せ!」と嬉しそうに平伏するのであった。
その後、他の者達への論功行賞が進められた。論功行賞の中身は信長が決めたものの、信忠の名において行われていた。そして一通りの論功行賞が終わり、皆が己の陣へ引き上げていく中、秀吉は信長に呼び止められて重秀と共に本人に残ることとなった。
本陣に信長と信忠、秀吉と重秀、そして利治や秀政、秀一が残ったところで信長が口を開いた。
「猿。汝に有馬と八部の二郡を与えた意味は分かるな」
「はっ。この二郡を拠点に播磨へ進出しろという事でございますね?」
「うむ。ついでに兵庫津を与えたのじゃ。水軍を組織し、瀬戸内を我が物顔にしている毛利を牽制せよ。良いな」
信長はそう言うと、秀吉は「承知いたしました」と言って頭を下げた。信長が話を続ける。
「猿。来年中には石山本願寺を降すつもりじゃ。しかし、汝の軍勢を使う気はない。権六(柴田勝家のこと)の応援には勝三を遣わす。心置きなく播磨に集中せよ。やり方は汝に任せるが、あまり無理はするなよ。まずは地固めを優先せよ。そして報告を怠るなよ?」
「ははっ。お任せくだされ」
「一応聞いておくが、播磨へはどう進出する?」
「まずは黒田官兵衛の居城である姫山城を最優先に奪還致しまする。あそこを押さえれば、西から来る毛利の大軍を長期間防ぐことが可能でございまする。その後、三木城を攻め落とそうと思いまする」
「・・・三木城を先に落とすのではないのか?」
信長の疑問に秀吉が即答する。
「三木城の力攻めは羽柴単独では不可能と考えまする。あそこは山城(正確には平山城)に加え、上様の支援で城郭を強化しております故」
「で、あるか。こんなことになるのであれば、支援しなければよかった」
「しかし、同じく上様の支援を受けた豊池城は、我等の下に残った別所孫右衛門尉殿(別所重宗のこと)が頑強に抵抗しております。上様の支援なければ、孫右衛門尉殿は持たなかったでしょう」
秀吉の言葉に、信長は「で、あるか」と複雑そうな顔をしながら言った。秀吉が更に話す。
「それに、三木城の周りには別所に同心する国衆の城が数多くあり、更に丹波八上城の波多野と連携している虞がございます。日向殿(明智光秀のこと)が八上城を落とさない限り、三木城に手を出すのは難しいかと」
「で、その前に姫山城を奪還するというのであるな?」
信長が確認するかのように尋ねると、秀吉は「御意」と答えた。秀吉が更に話す。
「姫山城はすでに我等に内応済みでございます。あとは、西国街道を西へ向けて進軍し、街道沿いの城を調略なり力攻めなりして落とせば、姫山城は奪還できるものと思われます。それぐらいならば、羽柴単独でもできるかと。ただ・・・」
そう言うと秀吉は考え込むような仕草をした。信長が「如何した?」と聞いてきたので、秀吉はゆっくりと口を開く。
「毛利の援軍が来た場合は、援軍の要請をせざるを得ませぬ」
秀吉の発言を聞いた信長は溜息をつくと、仕方がないような口調で話し始める。
「そうなった場合はやむを得ぬ。すぐに援軍を派遣する故、報せるように」
信長の言葉に、秀吉は安堵するかのような表情を顔に浮かべながら、「有難き幸せ」と言って平伏した。
「さて、後は野田城と福島城をどうするか、じゃな」
信長の言った野田城と福島城とは、元亀元年(1570年)に四国から逆上陸してきた三好三人衆が拠点として利用した城である。それ以前から城はあったようなのだが、本格的な城郭を持ったのはこの頃であると言われている。その後、天正四年(1576年)に荒木村重勢によって陥落。そのまま村重の城として利用されていた。村重が謀反を起こした際には村重側に付き、本願寺勢の援軍を迎え入れていた。
「あそこは本願寺攻めに必要な城。何としても奪還しなければなりませぬ」
「我が方にはまだ兵の余裕がございますれば、帰りがてら攻め落としまするか?」
秀政の発言に信忠が言葉を発した。信忠の意見を聞いた信長は、しばし考え込むように両目を瞑った。そして両目を開くと、秀政に声をかける。
「久太、木津川河口にあった本願寺勢の砦はどうなっている?」
「柴田様からの報告では、毛利勢が砦を修復し、兵を常駐させているようでございます。柴田様が砦攻めの下知を頂きたいと、願い出が出ております」
秀政からそう聞いた信長は、「で、あるか」と言うとまた考え込んでしまった。そして少し経ってから、信長は口を開いた。
「・・・権六の願い出は却下しろ。木津川河口の砦は毛利水軍を誘い出す餌とする。そして、木津川河口の砦以外に拠点を作らぬよう、野田城と福島城は我等で押さえておこう」
そう言うと、信長は床几から立ち上がった。信長以外の者全てが姿勢を正す中、信長は高い声で命じた。
「久太、すぐに全軍に下知を飛ばせ。三日間休んだ後、野田城と福島城を攻めるべく、まずは大物城へ入る。藤五(長谷川秀一のこと)、伊予守(滝川一益のこと)を呼んでこい。あやつの軍勢を先発させ、野田城と福島城に調略を仕掛けるよう命じる」
信長がそう言い終わると、皆は一斉に「ははぁ!」と言って頭を下げるのであった。