第106話 花隈城の戦い(後編)
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織田信忠が指揮する織田勢による花隈城攻めは、昼夜連続して行われた嫌がらせ攻撃を五日間行い、いよいよ城内突入という最終段階へと入っていった。
「殿、いよいよでございますな」
その日の未明、城への総攻撃を前に、斎藤利治は信忠に声をかけた。信忠は緊張気味な声で「ああ」と返事をした。利治が意外そうな表情で信忠に尋ねる。
「殿、緊張なさっておられるのか?」
「うむ。儂は二度も荒木村重を逃しておる。ここでも逃せば、儂は父上から才無しとして嫡子の地位を剥奪されるやもしれぬ」
「それはないでしょう。多数の兵で取り囲まれた城から出るのは至難の業。しかも、本丸からの脱出口と思われる場所はすでに各隊によって押さえられております。蟻の這い出る隙間もございませぬよ」
利治の楽観視した回答に、信忠は溜息をつきながら答えた。
「まったく・・・。藤十郎の献策がなければどうなっていたことやら」
花隈城攻めが始まった直後、重秀と蜂須賀正勝が信忠への面会を求めて信忠の本陣までやってきた。そして信忠の前にやってきた重秀が、ある策を信忠に提案した。
「殿様、荒木はこの花隈城からも脱出する虞がございます。城内突入までの五日間の間に脱出口を探し出し、封鎖するなり搦手(ここでは城門の搦手門と言う意味ではなく、別働隊をのこと指す)を侵入させるべきです」
脱出口のことなど全く考えていなかった信忠はさっそく全軍に脱出口を探すことを命じた。結果、信忠だけではなく重秀も想定しなかった事が分かった。脱出口は10近くも見つかったのだった。
重秀達が想定していた南側の堀から繋がる川へ出る脱出口は見つからなかったものの、それ以外は東西南北にそれぞれ2〜3つの脱出口が見つかった。特に信忠を驚愕させたのは、信忠の本陣が置かれている生田神社の側の森の中にも脱出口が見つかったのである。これは、信忠の本陣を荒木勢が逆襲できる事を示しており、下手したら信忠の首が討たれていた可能性があった。
「その報せを聞いたときは肝を冷やしたわ。これで討たれていたら、儂は後世にまで無能の誹りを受けていただろう」
信忠の言葉に利治は黙っていた。なんと答えて良いのか分からなかったのだ。そんな利治を置いて信忠の話は続く。
「しかもご丁寧に脱出口には偽物もあった。途中までしか掘られていない脱出口があったと聞いた時には空いた口が塞がらなかったわ」
「見つけられた三七様(神戸信孝のこと)はぬか喜びでしたなぁ」
利治がそう言いながら乾いた笑いをした。つられて信忠も自嘲気味な笑みを浮かべたが、すぐに気を引き締めた顔つきになると、利治に自分の決意を伝える。
「何にせよ、ここまで人を馬鹿にした荒木村重をなんとしても討ち取る。藤十郎のお陰で脱出口は全て塞いだ。村重めの命運もここまでよ。摂津平定まであと少し。気張って参るぞ」
花隈城への総攻撃はその日の日の出と同時に始まった。花隈城もまた総構の城であり、城の東に侍町を、西に町人町を抱え、それらを堀と木柵でぐるりと囲んでいた。
東側からは信忠率いる尾張衆、美濃衆そして越前府中三人衆が侍町へ攻め込むと見せかけて牽制する一方、西側の町人町は池田勢が本格的に侵入しようと攻勢を強めていた。北からは丹羽・滝川勢が、南側からは織田(信包)・北畠・神戸の伊勢衆が助攻を務めていた。
町人町が完全に制圧されたのは、その日の昼過ぎであった。町人たちは事前に町からいなくなっており、また荒木の兵達も城内に籠もっているのか、特に味方の被害もなく制圧に成功していた。
「申し上げます。侍町も我が方が占領したとのことです!」
信忠からの伝令からそう聞いた恒興は「ご苦労!」と返事をした。そして側にいた長可と重秀に声をかける。
「準備はどうだ?二人共」
「こっちはいつでも行けるぜ、義父殿」
「すでに脱出口前に蜂須賀勢が集結しております。脱出口内の罠は予め無効化しております」
長可と重秀がそう言うと、恒興が「うむ」と頷いた。恒興が話を続ける。
「改めて確かめるが、今夜も城に攻めかけると見せかけて鉄砲を撃ち込む。そして未明には森勢は搦手門(城の裏玄関のようなもの)から、羽柴勢は城の外の西側にあった脱出口から突入し、城内に侵入する」
恒興の言葉に長可と重秀が頷く。恒興が重秀に視線を固定すると、困惑した顔つきになった。
「で、藤十郎は真に脱出口からの突入を指揮する気か?羽柴勢の主力は森勢の後備として、勝蔵の次に城内に突入することになっているが、そちらの指揮はどうするつもりだ?」
「それは将右衛門(前野長康のこと)に任せます。それがしも武士にございますれば、城の一番乗りをしてみとうございます」
そう言って重秀は頭を下げた。それを聞いた恒興が頷いた。
「相分かった。では城内で会おうぞ」
恒興がそう言い、側にいた長可が黙って自分の右手を重秀の右肩をバンバンと叩いた。それは長可なりの激励であった。
重秀は「はっ、では」と頭を下げると、踵を返して恒興の陣から出ていった。
自分の陣に戻ると、家臣や与力達と最後の打ち合わせを行った。
「兵達の様子はどうだ?」
「全て異常ありませぬ。十分休みましたし、士気も旺盛です」
「こっちもだ。蜂須賀勢はすでに脱出口の内部は把握している。一応、灯りとして松明を坑道内に設置し終わっているが、まあ、ほとんどの奴らは坑道の道筋を頭に叩き込んでるぜ」
重秀の質問に、長康と正勝がハキハキと答えた。重秀が「よしっ」と言うと、強い口調で言う。
「では私から何も言うことはない。皆、もうすぐ花隈城は落ちる。よってこれが功を上げる最後の機会!皆で大いに功を上げよう!」
重秀の声に皆が「応っ!」と大声を上げた。
そして夜になった。花隈城に向けて織田の全軍が鉄砲や弓で攻撃している中、重秀は福島正則や加藤清正、加藤茂勝や大谷吉隆、そして蜂須賀正勝・家政親子が率いる蜂須賀勢と共に脱出口から入ると、下り坂になっている坑道内を進んでいた。先頭を進む家政とその兵達が予め置いてあった松明に火を点けながら慎重に進んでいく。事前に罠の解除を終わらせているとは言え、見落としがないとは言えないからだ。
そうやって30分ほど進むと、坑道内は登り坂となっていた。その登り坂を登っていくこと30分。行き止まりに到着した。行き止まりの壁の頭上には空間があり、大人二人分の高さには木の板が張っていた。それが城内からの出入り口を塞ぐ板なのであった。
「よし、準備しろ」
重秀がそう言うと、側にいた清正が後ろの方へ手招きした。数人の兵が木の棒や木の板を持ってくると、人の背よりちょっとだけ高い台を組み立てていく。その台は低い櫓の様に見えた。
台を組み立て終わると、その台の上に水を入れる木桶が何個も置かれていった。しかし、中に入っているのは水ではない。
「・・・さすが蜂須賀衆。よもや木の板を火薬で吹っ飛ばすとは、思いもしませんでした」
作業を見ていた吉隆がそう呟くと、側にいた正勝が笑いながら言う。
「こうすれば木の板の先にある罠ごと吹っ飛ばせるからな。板をただ剥がせば何があるか分かったもんじゃねぇからな」
そうこう言っているうちに準備が整った。後は後方に下がって導火線に火を点けるだけとなった。
「まだ時はあるな・・・。よし、野郎共、飯を食っておけ!」
正勝の号令で蜂須賀勢の兵達が坑道内で座り込んで夕刻時に作った握り飯を頬張り始めた。重秀達も握り飯を素早く頬張った。食い終わってしばらく経った後、伝令が息を切らしながらやってきた。
「申し上げます!森勢が搦手門を攻撃しております!」
「えっ?もう未明になったのか?」
伝令からの言葉を聞いた重秀が思わず声を上げると、伝令は息を切らせながら答える。
「いえ、抜け駆けと思われます!」
伝令の言葉に皆が「ああ・・・」と納得の声を上げた。家政が正勝に声をかける。
「しかし父上。これで敵は搦手門に意識を集中させているはずです。ここは我らも城内に突入するべきです」
「そうだな・・・。よし、やるか。若さん、良いよな?」
正勝の質問に重秀が「頼む」と答えた。正勝は重秀達や家政、兵達を下がらせた。皆を十分に下がらせた後、正勝は側で松明を持った兵に導火線に火を点けさせた。兵が導火線に火を点け、導火線が煙を上げながら燃えていくや否や、正勝と兵は一気に後方へ走り出した。そして重秀達のところまで駆け抜けると、「伏せろ!」と言って地面に突っ伏した。
重秀達も頭を抱えて地面に引っ付くように蹲った瞬間、奥から轟音が聞こえると同時に土埃が重秀達を取り囲んだ。更にその後は奥から白煙が流れこんできた。その土埃と白煙が完全に消える前に正勝が何かを叫んだ。しかし、先程の轟音で耳が馬鹿になっていた重秀にはよく聞き取れなかった。だが、事前の打ち合わせで発破が終わった後の行動は、坑道内の兵達に全て伝わっていた。すなわち、『爆発の衝撃で坑道が埋まる恐れがあるため、速やかに城内に突入する』というものだった。
「いくぞぉ!」
重秀も白煙に咳き込み、涙目になりながらもそう言って自らを鼓舞すると、奥へと突進していった。奥に向かった重秀の視界に、粉々になった台が入ってきた。そしてその直上には木の板はなく、穴がポッカリと空いていた。その穴に向かって、予め兵達が持ってきた梯子が複数立てかけられると、数人の鎧武者がそれぞれの梯子を登って、穴から頭を出した。そして安全を確認すると、刀を抜いて外へ飛び出していった。そういった鎧武者が次々と梯子を登っていっては外へ飛び出していった。
そして、10人位が外に飛び出していったが、外からは斬合や怒号は全く聞こえなかった。
「若君、外は敵がいませぬ!」
未だ坑道内にいた重秀に向かって、先に出ていた家政がそう叫んだ。重秀も梯子に手をかけると、スルスルと上に登っていった。登った先に重秀が見たものは、真っ暗な空間で松明を持つ兵達と、松明で灯された多く積まれた俵であった。
「・・・ここは、米蔵か?」
口と鼻を右の二の腕で押さえながら重秀がそう言うと、側にいた正勝が同じ様に口と鼻を二の腕で押さえながら答える。
「いや違う。若さん、あれを見てみろ」
そう言って正勝が指を指した先を重秀は見た。松明に照らされて見えるようになっていた視線の先には、俵が破れており、そこから黒いものが顔をのぞかせていた。
「・・・炭か?」
「ああ、ここは炭蔵だ」
「えっ?火薬で吹っ飛ばしたら不味いんじゃないの?」
内心焦りながらも冷静に言う重秀に対し、正勝はニヤリと笑いながら答える。
「ま、炭が多い火薬だったら燃え移るかもしれねぇが、今回は硝石たっぷりの特製火薬よ。燃え移るってこたぁねえよ」
黒色火薬は木炭、硝石、硫黄の配合で作るのだが、この割合を変化させることで爆発時に周囲を燃やすか燃やさないかの調整をしている。例えば村上水軍が使う焙烙玉の中身は、木炭を多く増やした黒色火薬である。これは、引火した木炭をばら撒いて木造船を燃やすことを想定した火薬配合となっていた。
「それより早く出ようぜ。敵に気が付かれるぜ」
重秀の側に来た正則がそう言うと、正勝と重秀が頷いた。
「よし!さっさと扉を破壊しろ!」
正勝が怒鳴ると、白煙がまだ残っている中、大きな木槌を担いだ数人の兵達が扉を破壊し始めた。一方、別の兵達が積み重なった炭俵をよじ登り、蔵の上の方についている小さな窓を開けた。そこから外の様子を見る一方、空気の入れ替えが行われたため、白煙は少しだけ減ってきていた。
正勝が上部の窓から外を見ている鎧武者に大きな声で尋ねる。
「敵の様子は!?」
「敵が集まりつつあります!しかし、数は多くはありません!突破は可能です!」
鎧武者の報告に、正勝が頷いた。
「よしっ!扉を破壊したら、一気に外に出て乱戦だ!鉄砲隊、撃ち方用意!扉が開いたら外に向けて撃て!」
正勝がそう号令している間にも、扉はドンドンと複数の木槌で叩かれていった。ここの蔵の扉は現代にまで残っているような頑丈なものではなく、引き戸に閂で閉じられただけのものであり、海老錠のような錠はついていなかった。なので、数回叩いたところで引き戸は打ち破られてしまった。
引き戸を討ち破った瞬間、木槌を持った兵達は横に退いた。そして蔵の出入り口の前に集結していた数人の鉄砲兵が膝撃ちと立ち射ちの二段での一斉射撃で外に向かって発砲した。直後、一人の鎧武者が槍を持って外に向かって飛び出していった。
「羽柴が臣、福島市兵衛一番乗りぃ!」
「あ!あの野郎やりやがったな!」
外から聞こえる正則の怒声に、家政が怒ったような声を上げると、自らの刀を抜いて外に飛び出していった。その姿を見た鎧武者や兵達が一斉に外に飛び出していく。外からは、怒声と叫び声、そして悲鳴が聞こえた。
「あー、もう!ここがどこかも分からないうちにみんな飛び出していきやがって!」
「とはいえ、ここが囲まれて火を点けられたらみんな丸焼けですぜ、若さん。ここに居るよりは外に出たほうが生き残れるぜ」
ぼやく重秀に対して正勝がそう言うと、改めて重秀に話しかける。
「若さんは俺から離れないようにしてくれ。敵中に突っ込むのは初めてなんだろう?死にたくなければ俺の言う事を聞いてくれ。そうすれば生きて殿さんの所に帰してやるからよ」
凄みのある笑みでそう言った正勝に、重秀は「わ、分かった」と息を呑みながら答えた。
「よし!それじゃあ行くぜ!野郎共、まずはこの蔵周辺の兵を掃討だ!」
そう言うと正勝は兵とともに外に飛び出していった。重秀も、護衛の茂勝と吉隆と共に外へと飛び出していった。
外に飛び出すと、あちらこちらで斬合が始まっていた。重秀も刀を抜いて斬りかかろうとするが、正勝に止められた。
「若さん!大将が槍働きするんじゃない!そんなことは下っ端にやらせておけ!それより、ここはどこだ!」
正勝にそう言われた重秀は、星明かりを頼りに周囲を見渡した。すると、南側に高層の建物が見えた。花隈城の高層建造物は一つしか無い。
「小六郎殿!ここは二の丸だ!天守が南側にある!」
「よし!野郎共!本丸の城門前の橋を占拠するぞ!」
花隈城の二の丸と三の丸の間には塀と門しかないが、二の丸と本丸の間には堀があり、本丸の城門前には橋が架けてある。この橋を破壊される前に占拠する必要があった。
「皆の衆!小六郎殿に続け!」
重秀が大きな声でそう言うと、斬合をしてた者達も含めて「応っ!」と答えた。その後、周りの敵兵を蹴散らしつつ、蜂須賀勢は本丸の城門前に架かっている橋と、橋の前にあった二の丸御殿の一部を占領した。一部なのは全部を占領するほど兵がいないせいである。
二の丸の兵力は三の丸に移動したせいか、大規模な兵力で蜂須賀勢を囲むということはなかったが、本丸からの攻撃と三の丸から逃げて本丸に入ろうとする兵達からの攻撃は何度も受けた。槍や刀を振るい、鉄砲を撃っては荒木の兵を倒していく。しかし、重秀が刀で斬合をするということはなかった。清正や茂勝、吉隆が重秀を護衛しており、彼らが重秀に敵兵を寄らせなかったのだ。一応重秀も刀を抜いていたものの、結局その刀が人の血で染まることはなかった。
そんな攻撃を受けてから一刻経たないうちに、とうとう三の丸を落とした織田勢が二の丸に突入。さらに本丸前にいた蜂須賀勢と合流した。その時、重秀を初めとした皆は合流した織田勢の指揮官を見て驚いてしまった。
「ま、前田の父上!?何でここに!?」
重秀が馬上の鎧武者―――前田利家に思わず大声で聞いた。利家も予想外のところで重秀にあったものだから、驚いたような表情を浮かべながら話し始めた。
「おう、藤十郎!こんな所にいたのか!?いや、実は森勢が搦手門から攻撃を始めたと聞いてな。当初は大手門から牽制しようと思ったのだが、思ったより大手門の守りが薄くてな。そのまま突破してきた。どうやら城内の荒木勢は搦手門に集中していたようだ」
利家がそう言って説明すると、馬から降りて重秀に近づいた。そして重秀の肩を叩くと、利家は嬉しそうな顔をしながら言う。
「藤十郎、よくやった。橋が確保できていれば本丸は落ちたも同然よ。前田の残りの軍勢もこちらに向かってきている。もうひと踏ん張りだぞ!」
利家の褒め言葉に、重秀は嬉しそうに「はいっ!」と応えたのであった。
その後、前田勢、佐々勢、不破勢といった越前衆を始め、森勢、羽柴勢の主力、池田勢が二の丸に集結すると、そのまま本丸を攻撃し始めた。さすがに本丸の守りは固かったものの、すでに兵が少なかったようで日が昇る頃には城門を突破。本丸に架かる橋の前で戦っていた羽柴勢が流れで本丸に一番乗りを果たした。その後、織田勢が本丸御殿を占領した時点で大河原具雅という武将が天守から出てきて降伏する旨を伝えてきた。
二の丸にまで進出してきた信忠は、大河原具雅と面会。彼が切腹することで城兵を助ける事を条件に降伏を申し出てきた。信忠は具雅に問う。
「・・・摂津(荒木村重のこと)はどうした?」
「とっくに志摩守様(荒木元清のこと)と新五郎様(荒木村次のこと)と一緒に逃げました」
具雅がそう言った瞬間、信忠は太刀持ちをしていた荒尾古新(のちの池田輝政)から刀を奪って抜きがてら具雅を叩き斬ってしまった。そして、城兵の助命を許さず、全員の根切り(皆殺しのこと)を命じたのであった。