第105話 花隈城の戦い(中編)
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追記
2024/01/24に全面的に書き直しました。詳しい説明は活動報告をご覧ください。
重秀が兵庫津に着いた次の日。山内一豊を始めとする羽柴勢の残りの軍勢が重秀の陣に到着した。しかし、一豊達の見たものは、陣だったものであった。
何者かに放火されたのであろうか。いたるところに燃え残った幕らしき布が散乱していたり、倒された篝火の木からは煙が燻り上がっていた。大盾や竹束も倒されて散乱しており、何らかの襲撃を受けた痕跡となっていた。
「・・・これは、一体どういうことか!?」
馬から降りた一豊は辺りを歩き回ったが、人らしきものは全く見えなかった。
「若君!若君ッ!」
そう叫ぶ一豊に、中村一氏が近づいて肩に手を乗せて止める。
「落ち着け、伊右衛門。よく見ろ。死体が一つもない」
「・・・そう言われたらそうだな」
一氏と一緒にやってきた堀尾吉晴も周囲を見渡しながらそう呟いた。さらに近づいてきた浅野長吉が言う。
「死体だけじゃない。武器もまったくない。これは一体どういったことか・・・?」
長吉の言葉に皆が首を傾げていると、物見に出ていた兵が一豊の傍にやってきて、片膝をつきながら報告する。
「申し上げます!湊川の対岸より、多くの舟がこちらに向かっております!旗印は蜂須賀殿の物と見受けられます!」
それから程なくして、蜂須賀勢が湊川を渡って一豊達と合流した。その中には、重秀も含まれていた。
「若君!ご無事でしたか!」
「私だけではなく、皆も無事だ。兵は一兵たりとも失ってはおらぬ」
心配顔の一豊に、重秀が笑いながら答えた。長吉が重秀に聞く。
「ところで、ここは一体どうなったんだ?」
「夜襲を受けたのだ。花隈城から三百人ほどの兵が出てきて、空の陣を襲ったんだ」
「空の・・・陣?」
吉晴の疑問にも重秀は答える。
「花隈城の荒木勢が我等の陣を襲うことは予想できた。なので、黒田殿の策で空の陣を残して我等は兵庫津内に籠もっていたのだ」
重秀はそう言うと、詳しい話をし始めた。
有馬街道と西国街道が交差する地に陣を張った重秀達。兵庫津の商人達との話し合いが終わった直後から、重秀は花岡城からの襲撃を予想していた。そして、このことを黒田孝隆に話すと、孝隆も同意した。
「十分に有り得る話でございますなぁ。しかも、我等はこの地に陣を張ってからそう時が経っておりませぬし、兵も少ないですから、恐らく今夜辺りに夜襲をかけてくるやもしれませぬなぁ」
「だとしたら、兵も陣も不足気味の我が方では荒木の夜襲を撃退できる自信がありませぬ。何か良い策はありますでしょうか?」
「・・・防御という点では、兵庫津はおあつらえ向きなんですがね。・・・ちょっと惣会と交渉してきてもよろしいですかな?」
「それは構いませぬが・・・。交渉で何とかなりますか?」
「ええ。ただし、五千貫のうち一千貫は諦めてもらいますが」
そう言うと、孝隆は重秀に自分の考えた策を話した。重秀は悩んだものの、秀吉から「官兵衛殿は頭が切れる御仁じゃ。官兵衛殿の言う事を聞いて居れば、必ずお主に功を挙げさせてくれるじゃろう」と、三田城を出陣する直前に言われたことを思い出すと、重秀は孝隆を兵庫津へ送り込んだ。
孝隆は兵庫津に行くと、浜方の惣会のまとめ役である素直屋与兵衛と岡方の惣会のまとめ役である河田屋嘉兵衛との交渉で、「来年から五年間、一千貫を羽柴に納めるという話だったが今年から五年間にしてもらいたい」と言い出した。
当然、二人は反発した。十二月に入っており、もうすぐ今年が終わるからだ。そんな中一千貫渡したら、来年の正月は越せなくなると反発した二人に対して、孝隆は「銭ではなく、羽柴のために一千貫分の働きをして欲しい」と提案した。
そんなこんなの交渉の結果、羽柴へ一千貫支払うのを免除する代わりに、兵庫津は羽柴に全面的に協力することとなった。すなわち、羽柴の兵を兵庫津の町の周辺にある寺―――満福寺や真光寺といった半分要塞化した寺を羽柴勢の宿舎にすることや、舟や船頭を大量に雇い入れること、そして兵庫津の牢人衆を湊防衛のために借り上げること、などが定められたのだった。
「そういう訳で、我等は陣を離れて兵庫津の寺に籠もる一方で、陣をそのまましてきたというわけだ」
一豊達に今までの経緯を説明した重秀。さらに途中から重秀の隣りにやってきた孝隆も話に加わる。
「さすがに三百人ほどの兵力で夜襲をかけるとは思いませなんだが、荒木方は空になった陣を攻撃した後に周囲を索敵した後、我等を見つけること無く引き上げましたなぁ」
孝隆の話を聞いた一豊達は、ただ唖然とした表情をしたまま黙っていた。そんな一豊達に重秀が声をかける。
「さて、予定では今日の昼過ぎに殿様(織田信忠のこと)が花隈城にやってくるはずだ。その前に、羽柴の陣を建て直そう。ご足労だが、伊右衛門達にも手伝ってもらいたい」
その言葉に我に返った一豊達は、すでに周囲に前野勢や仙石勢が湊川を渡って一豊達と合流していることに気がついた。一豊達は「承知いたしました」と重秀に言うと、さっそく陣の構築に取り掛かるのであった。
その日の午後、ついに織田信忠率いる織田軍が花隈城の東にある生田神社に到着した。信忠はそこを本陣とすると、尾張衆、美濃衆そして越前からわざわざやってきた越前府中三人衆(前田利家、佐々成政、不破光治)を駐屯させた。
また、池田恒興、元助親子が率いる池田勢と森長可が率いる森勢が西の安養寺山(今の大倉山)に布陣。北の諏訪山には丹羽長秀と滝川一益がそれぞれ率いる軍勢が布陣。さらに花隈城の南側には北畠信意と神戸信孝、織田信包率いる伊勢衆が布陣した。
信忠到着の報を聞いた重秀は、前野長康と兵庫津の素直屋与兵衛、河田屋嘉兵衛を連れて信忠のいる生田神社へと向かった。
生田神社の社内には、信忠を始め諸将がすでに揃っていた。重秀は信忠の前に来ると平伏した。
「殿様の無事なご到着、祝着至極にございます」
重秀がそう言うと、信忠は「大義」と威厳のある声で言い放った。もっとも、父親である信長に比べればまだまだ青臭さを感じるが。
それはともかく、信忠は視線を重秀から与兵衛と惣兵衛に移すと、重秀に尋ねた。
「そこの商人達は?」
「兵庫津の惣会の者共にて、素直屋与兵衛と河田屋嘉兵衛でございまする。殿様へ兵庫津に対する禁制を発布して欲しいとの願い出が出ておりまする」
そう言うと、与兵衛が懐から書状を差し出した。信忠の側にいた斎藤利治がそれを受け取り信忠に渡すと、信忠は書状を開いて中身を見た。
「銭五千貫に米五百俵、それに荒木摂津(荒木村重のこと)が持っていた茶道具の名物十点、か」
「・・・米や銭はほとんどが荒木方に根こそぎ取られたとか。私も兵庫津に入って蔵を改めましたが、確かに米は五百俵ほどしか残っておりませんでした」
重秀は米については正直に申告した。米も銭と同じ様に半分ちょろまかそうと思ったのだが、二百五十俵もらったところで羽柴の兵糧には何の影響もなかったことから、ちょろまかすのは銭だけにすることとなった。当然、ちょろまかした銭五千貫の分については何も話さなかった。
「相分かった。新五(斎藤利治のこと)、禁制の中身はそちに任せる。すぐに発布せよ」
信忠の命を受けた利治が「はっ」と言うと、立ち上がって右筆に伝えるべく去っていった。それを見ながら重秀は信忠に言う。
「恐れながら、銭と米、名物十点はすでにここに持ち込んでおりまする。特に、銭と名物は殿様に今お見せしてもよろしいでしょうか?」
「む、そうか。手際が良いな。よし、持ってくるが良い」
信忠の許可をもらった重秀は、振り返ると後ろに控えている長康に頷いた。長康が一旦その場を離れ、すぐに戻ってくると、その後ろには銭や名物の入った木箱を持った男たちがずらずらとやってきた。
諸将が唖然としている中、信忠の目の前に次々と木箱が積み重なっていく。そして積み重なった木箱の前に、大小様々な漆の箱が並べられていった。そして、全ての物が出揃った後、漆の箱から茶道具の名物が取り出され、また銭の入った木箱の一部の蓋が開けられた。木箱からは多くの永楽銭―――しかも状態の良い良銭が入っており、しかも少数ながら丁銀まで入っていた。
しかし信忠の視線は、銭ではなく二つの名物に注がれていた。
「・・・この壺と茶釜はもしかして・・・」
「はい。荒木摂津が宝物、『兵庫壺』と『姥口平釜』にございます」
重秀の回答に、信忠だけではなくその場にいた諸将が驚きの声を上げた。森長可が口を開く。
「『兵庫壺』と『姥口平釜』と言えば、上様が喉から手が出るほど欲しがっていた大名物じゃねぇか」
「はい。その他の名物も上様が所望していたものばかり。聞いた話では、毛利へ援軍や兵糧の見返りとして兵庫津より船で運び出そうとしたとか」
当初はこれら名物も半分はちょろまかして羽柴の物にしよう、と重秀は考えていた。しかし、預かっていた商人の解説を聞いて、これら名物に手を出せば信長の怒りを買うと判断した重秀は、名物全てを信忠に渡すことにした。
そして、与兵衛達に「名物は上様が所望していたものばかり。これらを殿様に渡せば、兵庫津への禁制は即座に発布されるであろう」とアドバイスしたのだった。
名物について重秀の言葉を聞いていた信忠は、しばらく黙って壺と茶釜を見ていたが、急に立ち上がると重秀に声をかけた。
「藤十郎、大義!父上もこれを見れば喜ばれよう!その方の働き、余すこと無く父上に言上しようぞ!」
「ははっ!有難き幸せ!」
内心では飛び跳ねたいほど喜んでいた重秀であったが、それを表に出すこと無く、ただ平伏しながら礼を言うだけであった。
その後、銭と名物は兵達によって別の場所に移され、与兵衛と嘉兵衛が禁制の黒印状を持って兵庫津へと帰っていった。そして重秀を含めて軍議が開かれた。
「花隈城へは数を頼みに力攻めとするが、その前に五日間は各手勢が交代で昼夜問わず牽制の城攻めを行い、敵の士気を挫く。その後に力攻めと致す。良いな?」
信忠の問いかけに諸将は「応っ!」と言って賛同を示す。信忠が更に話を続ける。
「で、五日後の先陣であるが、誰か望むものはおるか?」
「応っ!」
「は、はいっ!」
信忠が先陣の志願者を募ると、長可と重秀が声を上げた。皆が驚いたように重秀に視線を向けた。
「・・・おい猿若子。殿様の先陣は前々から森勢が務めてるんだ。出てくるなよ」
長可が睨みつけながら重秀に言ってきた。重秀は殺気を帯びる長可の視線を受けながら、姿勢を正しつつも反論する。
「恐れながら森様。我が羽柴は播磨平定を承りながらも、荒木摂津の裏切りにより未だその任を成すこと能わず、羽柴は面目を失いました。ここで荒木を討たなければ、羽柴の面目が立ちませぬ!何卒、この花隈城攻め、先陣を羽柴に譲っていただきたく」
「断る!我が森家は父の代より織田家の先陣を務めてきた!今更他家に譲る気はない!」
そう叫ぶと長可が立ち上がって刀に手をかけた。長康が重秀の前に出て守ろうとした。そんな時だった。別の人間が立ち上がって声を上げた。
「恐れながら申し上げます、兄上!先陣は、この三七にお任せあれ!」
その声を聞いた諸将全員が声を上げた神戸信孝に視線を向けた。信孝が話を続ける。
「森も羽柴も織田家にとっては重要な家臣!その当主と嫡子を死なせるのは織田にとっても損失!また、裏切り者の荒木へ誅する者は織田家の者が相応しかろかと存じます!」
信孝がそこまで言うと一息ついた。そして視線を信意に向けて更に声を上げる。
「そして、信貴山城で汚名を被らされた神戸家に、雪ぐ機会をお与えください!」
「何を言う。信貴山城では神戸勢に北畠勢が邪魔をされた。ということは、北畠勢を神戸勢が邪魔をしたということだ。また邪魔をする気か?」
信孝の軽蔑するような視線に対し、嫌悪感を露わにしながら信意が反論した。そして信忠に顔を向けると頭を下げながら言う。
「恐れながら、先陣は北畠にお任せ頂きたい。北畠を先陣にするということは、北畠が先陣になるということです。必ずや荒木村重の首を取ってまいります」
信意の予想外の発言に、信孝は「ふざけるな!」と声を上げ、他の諸将は胡散臭そうな顔をしながら信意を見つめていた。そんな中、重秀が恐る恐るといった感じで声を上げる。
「神戸様や北畠様が先陣を望まれている中、義兄を差し置いて先陣を承るのは恐れ多いことです。羽柴は先陣を辞退致します」
そう言って重秀は頭を下げた。それを見た長可は「俺は辞退せんぞ」と言って不機嫌そうな顔をしながら腕を組んだ。信孝と信意が黙って睨み合いをしている中、腕を組んで考え事をしていた信忠が口を開く。
「・・・先陣は紀伊守(池田恒興のこと)とする」
「兄上!?」
信忠の発言に信孝が抗議の声を上げた。しかし、信忠が右手を上げて信孝を制しながら話を続ける。
「三七も三介も信貴山城での失敗から何も変わっていないではないか。ただ互いを排除して先陣を争ったとして、また被害が甚大となるだけだ。それではまた父上からご不興を買うことになるぞ。
・・・それに、花隈城は荒木方最後の城。抵抗は激しいものと思われる。これを破るには、やはり実戦経験豊富な紀伊守の軍勢に任せておきたい。三七も三介も此度は南側を抑えておけ。良いな」
信忠の有無を言わさない物言いに、信孝は悔しそうに、信意は特に感情を顔に出さずにしながら頭を下げた。信忠が更に話を続ける。
「そして羽柴勢と森勢は池田勢に加われ。池田勢と共に先陣を務めよ」
「・・・は?」
信忠からの予想外からの命令に、重秀は思わず声を出してしまった。信忠側近の利治からまたお咎めの視線が重秀に突き刺さった。信忠が話を続ける。
「さすがに池田勢単独ではきつかろう。武蔵(森長可のこと)も藤十郎も先陣に加わりたいとの心意気。この少将しかと受け取った。紀伊守の下、存分に功を挙げてまいれ」
信忠の言葉に長可は「ははぁ!」と嬉しそうな声で応えたのに対し、重秀は「は、ははぁ」と困惑しながら応えたのであった。
「えっ?先陣に加わることになった?」
新たに構築された羽柴の陣内にて、重秀から先陣になった事を聞かされた諸将のうち、孝隆が意外そうな顔つきで重秀に聞いた。重秀は頷くと、困惑しながら話をする。
「これで当初予定していた羽柴勢による本丸強襲の策が使えなくなってしまった・・・」
重秀達はさらに武功を稼ぐべく、ある策を練っていた。すなわち、有岡城や大物城で荒木村重は脱出口を使って脱出をしている。今度の花隈城でも同じことをするだろうと予想したのだ。そこで、その脱出口を使って城内に侵入しようというのが羽柴勢の策であった。
花隈城は南側、海に面した部分に本丸があり、本丸の堀は南に流れて海に出る川と繋がっていた。脱出口を作るならここであろうと、三田城を出る前から重秀達は目星をつけていた。しかも、兵庫津では孝隆によって大量の舟を雇い入れていたことから、重秀達はこの舟を使って脱出口を探し出し、兵を入れようとしたのであった。
「しかし若君。例え先陣を我等が引き受けたとしても、その時は別働隊として蜂須賀勢が脱出口より侵入し、本丸をかき回すことで敵の注意を本丸に惹きつけ、その間に三の丸と二の丸を羽柴主力で押さえることと決めていたはず。特に問題ないのではございませぬか?」
一氏の質問に対し、答えたのは重秀ではなく長吉であった。
「あれは万が一、羽柴が単独で先陣を務めた場合の策だ。そもそも、藤十郎が先陣を志願したのは、森勢に先陣を譲って代わりに脱出口があると思われる南側に配置換えしてもらおう、という考えからだ。最初から先陣で功を挙げようとは考えておらぬ」
要するに、重秀は長可とわざと揉めて、仕方なく長可に先陣を譲る代わりに信忠に配置換えを願い出ようとしたのである。信孝がしゃしゃり出てきたものの、先陣を辞退したところまでは筋書き通りであったが、まさか恒興の下で先陣を務めるとは思っていなかったのだ。
「それに、南側には神戸様と北畠様、上総介様(織田信包のこと)の軍勢が配置されている。正直、神戸様と北畠様の目の前で脱出口を探したくない・・・」
「ああ、あの二人なら絶対に首を突っ込んできますな」
重秀が困惑しながら発した言葉に、長康が溜息をつきながら答えた。
「んで?どうするよ?俺としてはどんな状況になっても、脱出口を探して侵入することぐらいはできると思っている。後は若さんの決断次第だぜ」
正勝の言葉に対し、重秀は腕を組んで眉間にしわを寄せながら話し始める。
「・・・脱出口を探し出すことは絶対にやった方が良いであろう。相手は二度も城から逃げた荒木殿だ。三度目もあると思ったほうが良い。問題は、羽柴が単独で行うか、殿様に言上し、織田勢全体の策として行うか、だ」
「・・・武功を独占したいのであれば、羽柴が単独でやったほうが良いな。他家に首を突っ込まれたくはない」
「しかしながら、羽柴は池田勢や森勢と共に先陣を承っております。他家の目を盗んで武功を上げるは難しいかと。他家と足並みを揃えなければ、荒木殿を逃すかもしれませぬし、最悪の場合、蜂須賀勢は味方に襲われることもあり得るかと」
一豊と孝隆がそれぞれ意見を言うと、重秀の方を見た。重秀は目を瞑って考え込んだ。長い時間考えた重秀であったが、目を開くと同時に口も開いた。
「よし、決めた。我等が取るべき道は・・・」