第104話 花隈城の戦い(前編)
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新年早々大きな災害や事故がありました。不安な年明けではございますが、皆様もどうぞお気をつけください。
小説内で花隈城の絵図が出てきます。ネット上に実物がありますので、興味のある方は検索してみてください。
追記
2024/01/24に全面的に書き直しました。詳しい説明を活動報告に書きました。ご参照ください。
「何?花隈城が欲しいじゃと?」
天正五年十二月のある日。花隈城攻めに参加するよう織田信忠から伝令が来た三田城では、秀吉達が評定を開いていた。その評定で重秀を羽柴勢の総大将とした派遣部隊の編成を決めた後、重秀が秀吉にそう願い出た。
「はい。正確には兵庫津でございますが」
「・・・なるほど。お主の狙いは水軍と瀬戸内の交易路か」
「御意にございます」
兵庫津の歴史は古い。奈良時代にはすでに大輪田泊として港が整備されており、遣唐使の寄港地として、また、大陸と奈良、京を結ぶ航路の中継地点として発展した。さらに、平清盛によって拡張整備された大輪田泊は、日宋貿易の拠点ともなった。さらに足利義満によって日明貿易の拠点にもなった。
「ふむ。兵庫津が我等の物になれば、水陸両方から播磨へ進軍できるな・・・。しかし、兵庫津は昔からある重要な湊じゃ。上様の直轄になるのではないか?」
この時代では南蛮貿易や明、朝鮮、琉球といった国々との貿易の拠点とはなっていないものの、これらの国々の船が入ってこないわけではない。堺への、または堺からの中継地点として活用されていた。
「それは考えられまするが・・・。しかし、それならば運上なり冥加なりを我等が集め、そのまま上様に献上すればよろしいと存じます。要は湊が欲しいわけで、その湊から得られる利益が欲しいわけではありませぬ」
「藤十郎。その物言いでは誰もついて来ぬぞ。よいか、人というものは益がなければ動かぬものぞ。藤十郎は銭を稼ぐ能力はあるのに銭に固執せぬ。それでは、かえって人々から不気味に思われてしまうぞ。少なくとも、家臣はお主を主君とは思わなくなってしまう。以後気をつけるように」
秀吉からそう言われた重秀は「はっ」と言って平伏した。しかし、秀吉にとって兵庫津を手に入れるというのは今後の播磨平定に役立つのではないか?と考えた。そこで、秀吉はその場にいる者達に聞く。
「ま、藤十郎の話は聞き捨てるにはもったいない話じゃ。儂としても領地が増えることにはやぶさかではない。では、一体どうやって花隈城や兵庫津を手に入れるかじゃな」
「・・・一番手っ取り早いのは武功を挙げることじゃねぇのか?例えば、花隈城に一番乗りするとか、荒木村重を討ち取るか」
蜂須賀正勝の言葉に皆が頷くが、秀吉だけは首を横に振った。
「それでは駄目じゃろうな。上様は村重に大変腹を立てておられる。むしろ生け捕りして上様の面前に引っ張ってくるぐらいのことをしなければならないじゃろう」
「まあ、あの荒木のこと、そう簡単に死にますまい。花隈城にも脱出の口があるやもしれませぬなぁ」
秀吉の側にいることが多くなった黒田孝隆がそう言うと、正勝も「ああ、あいつならやりかねんな」と呟いた。
「有岡城でも大物城でも、秘密の脱出口を使って城外に逃れているからな。花隈城でもそういった物があると考えた方がいい」
正勝の言葉に皆が頷いた。重秀がすでに皆の前に広げられている花隈城とその周辺を記した絵図を覗き込む。
「・・・この絵図によれば、諏訪山より流れ出てきた川を使って城の堀を満たし、本丸と町人町の境となる堀がそのまま川として海に流れ出しております。脱出するならこの川を使うことになりますが」
「ま、素人はそう考えるわな。しかし、裏をかくならば、むしろ北上して諏訪山の麓で分流している別の川を下って海に出る経路を使うんじゃねぇのか?」
「いや、小六よ。その経路は使えん。諏訪山には確か古城があったはず。恐らく殿様(織田信忠のこと)か、もしくは誰かが陣として利用するはずじゃ。わざわざ見つかりに行くようなことはすまいて」
正勝の意見に対して秀吉が異議を唱えた。その時だった。今まで黙って絵図を見ていた前野長康が呟く。
「・・・別に、包囲されてから脱出するとは限らないんじゃないのか?っていうか、すでに脱出している可能性もあるんじゃないのか?」
「ああ、それは確かにありえますなぁ」
長康の言葉を受けて孝隆が反応した。
「とすると・・・。荒木殿はもう花隈城にはいない?」
重秀の問いかけに孝隆が「可能性はあるかと」と答えた。重秀は腕を組んで絵図を見ながら呟く。
「ならば、荒木殿はどこに逃げるのでしょうか?」
「花隈城から逃げるとするなら、西の毛利か東の本願寺じゃな。しかし、風前の灯火の本願寺には行かんじゃろう。とすると、毛利じゃな」
秀吉が顎を擦りながらそう答えると、続けて正勝が呟く。
「陸路は無理だな。花隈城包囲の際に街道筋は全て封鎖するからな。とすると、堀から川を南に下り、海に出てそこから船で西へ、という経路になるか・・・」
「待て待て小六。別に花隈城の沖合に船を止めなくても、包囲前に脱出するのであるならば、兵庫津から船に乗ったほうが良いじゃろう。むしろ、今は兵庫津にいると考えたほうが良いのではないか?」
長康の言葉に、秀吉が両掌をポンッと打ち合わせた。
「そうか。先に兵庫津を押さえれば良いんじゃ。兵庫津を我等で占領してしまえれば、村重も兵庫津から逃げることを諦めるじゃろう。仮に兵庫津に逃げ込んでいたらもっけの幸い。家探しで炙り出せばよかろう」
「お待ち下さい父上。湊の商人達、いえ、船を生業とする者達は気性が激しゅうございます。ただ上から押さつければ、かえって我等を背後から襲うやもしれませぬ」
重秀が菅浦や大浦、塩津の船乗りを思い出しながら異議を唱えた。秀吉が「ではどうする?」と試すような笑みを浮かべながら重秀に聞いた。重秀は少し悩んでから答える。
「荒木殿の引き渡し、もしくは逃げ込むのを拒否することを条件に、禁制を交付致します」
禁制とは、元々は掟や禁止事項を広く公布するとことをいうのだが、この時代では村や寺院の近くで合戦が起きそうな場合、その軍勢の将や大名に保護を申請し、将や大名が戦に巻き込まないことを証明したものをいった。
重秀は、兵庫津を戦禍に巻き込まないようにする代わりに、村重を兵庫津で保護しないようにしようと考えたのであった。
秀吉が感心したような声で重秀に話しかける。
「なるほど。禁制か。それは良き所に目をつけた。よし、その交渉は藤十郎。お主がやれ。そして、羽柴の名で禁制を交付するのじゃ」
「羽柴でございまするか?殿様(織田信忠のこと)の名ではなく?」
重秀がそう疑問を呈すると、秀吉はニヤリと笑いながら言う。
「商人たちに湊を守ったのは羽柴だと認識させるのじゃ。そうすれば、商人との結びつきが生まれよう。後々役に立つやもしれぬ」
未明に三田城を出立し、山道険しい有馬街道を南下し、兵庫津の北側を流れる湊川の北岸で西国街道と交差する地点に昼に到着した羽柴勢。ここに陣を張ると、重秀はついてきた蜂須賀正勝、前野長康、仙石秀久の手勢を使って兵庫津へ入るための道にある惣門(町や村の境界にある、出入りするための門)に兵を置いた。そして本陣で少し待っていると、湊町惣門口から身なりの良い商人が数人、こちらに向かってくるとの報告を受けた。
「出てきましたなぁ。藤十郎殿」
「まあ、いきなり目の前に軍勢が現れたら、驚くわな。そしてこちらが包囲すると見せかければ、まずは話し合いを希望するよな」
孝隆にそう答えた重秀は、側にいた加藤清正に「ここまで案内してこい」と命じた。清正が「承知」と言って傍から離れると、しばらく経ってから数人の商人を連れて重秀の前に連れてきた。
「お初にお目にかかります。わては浜方(兵庫津のうち、海側に面した地域のこと)の惣会(兵庫津の自治組織のこと)の一人、東風屋の惣兵衛言います。こちらはわての手代達でござります」
「よし、帰れ」
重秀の言葉に、惣兵衛と名乗った商人が驚いたような表情で重秀を見つめた。重秀が話を続ける。
「どうせお前に何か話しても『惣会の者と相談して参ります』と言って返答を先延ばしするんだろう?悠長に話し合いしている暇はないんで、惣会の連中全員連れて来い。あ、手代二人は質として置いていくように。ほら、さっさと行ってくるんだよ!」
重秀がそう怒鳴ると、傍に控えていた福島正則が「さっさと行ってこい!たたっ斬るぞ!」と怒鳴った。惣兵衛が慌てて陣から出ていくと、側にいた孝隆が重秀に話しかけてきた。
「・・・よく思いつきましたなぁ」
「まあね。こういった交渉は、父上に鍛えられたからね」
「はぁ」
重秀から話を聞いた孝隆は、感心したような呆れたような、よく分からない返事をした。
それから少し経って、今度は20人以上の商人が羽柴の本陣にやってきた。
「浜方の惣会のまとめ役にございます、素直屋の与兵衛っちゅう者でおます。こちらは岡方(兵庫津のうち、内陸部のこと)の惣会のまとめ役である河田屋嘉兵衛殿でおます。お武家様には大変ご無礼を仕りました。ほんに、堪忍しとくれやす」
やたらと派手な着物に真っ赤な頭巾を被った初老の商人がそう言って重秀に頭を下げた。
浜方とか岡方とか一体何だろう、と思いながら重秀も軽く頭を下げると、ハッキリとした物言いで話し始める。
「羽柴筑前守が息、羽柴藤十郎である。此度は岐阜の少将様(織田信忠のこと)の出陣に伴い、筑前守の代わりとしてここに参った」
「羽柴様のお名前はこの兵庫津にも鳴り響いておりますねん。で、この様な物々しいご訪問は一体何事でございましょうや?」
与兵衛が恭しく尋ねると、重秀は申し訳無さそうな顔をしながら答える。
「今日明日にも花隈城を攻め落とす故、兵庫津に敵兵が逃げ込まぬよう、監視のために包囲した。不便をかけると思うが、これも湊が戦禍に巻き込まれぬようにするための父上の優しさだと思うて、堪えて頂きたい」
「羽柴様の心意気に大変感謝いたしまするが・・・。戦禍は何も荒木勢だけが起こすもんでは無いかとちゃいますか?」
与兵衛が堂々とそう言うと、重秀は納得したような表情をしながら答える。
「ああ、我が兵による狼藉を恐れているのか。ならば、禁制を出そう。ただし、条件がある」
「承ります」
そう言って与兵衛と嘉兵衛が頭を下げると、重秀は息を軽く吸うと一気に吐き出すように言った。
「荒木村重とその一族、それに係るものの引き渡し」
「・・・それだけでっしゃろか?」
与兵衛が唖然とした表情で重秀に聞いた。嘉兵衛を始め、周りにいた商人たちも驚いたような表情をしていた。重秀は頷いて答える。
「羽柴からはそれだけだ」
「・・・承りました。しかし、荒木様とその一族どころか足軽雑兵に至るまで、この兵庫にはおりませぬ。皆花隈城におり、最後の一戦に備えとると聞きましてんけど」
「では戦後に荒木とその一門が逃げ込んできたら、無条件でこちらに引き渡すことも条件に加える」
「へぇ。その程度でしたら、謹んでお受け致しまする」
与兵衛がそう言うと、嘉兵衛や他の商人達と一緒になって頭を下げた。
「将右衛門」
重秀が与兵衛達を見据えながらそう言うと、側にいた前野長康が懐から書状を取り出し、与兵衛達の眼の前で書状を開いて中の内容を読み上げた。
羽柴の兵達による乱暴狼藉を禁止する、などの内容を読み上げ終えた長康が、書状をひっくり返して与兵衛達に見せると、与兵衛達はじっと書状を見つめた。しばらく眺めていた与兵衛が重秀に尋ねる。
「恐れながら・・・これは羽柴の足軽雑兵に対する禁制でございまするか?」
「そうだが」
「・・・その他の織田の兵に対する禁制は・・・?」
「それは別だな。改めて少将様に申し出るが良い」
重秀の言葉を聞いて与兵衛達の顔が一斉に渋い顔に変化した。当然であろう。羽柴勢からの略奪はないにしても、他の織田勢からの略奪の恐れがあるのだから。
「・・・私が少将様に斡旋しようか?こう見えて、私は少将様の小姓を務めた身なれば、多少なりとも力添えはできるが」
それを聞いた瞬間、商人達の顔が明るくなった。しかし、与兵衛だけは胡散臭そうな目を重秀に向けていた。
「・・・ただでは力添えして頂けまへんよね?」
「へえ、兵庫津の商人はただで力添えしていただけるのですか。気前がよろしいですね」
重秀がニッコリ笑いながそう言うと、与兵衛は眉間にしわを寄せながら重秀を見つめていた。重秀が話を続ける。
「右府様(織田信長のこと。十一月に従二位右大臣に就任している)の庇護の下、堺は交易で莫大な利益を上げました。一方、兵庫はそうなっていません。確か、東大寺と興福寺が関銭を取っているんでしょ?それに、昔は細川、今は荒木に矢銭を納める始末。これでは儲かりまへんなぁ」
わざと商人が話す方言で言う重秀に、与兵衛だけではなく商人達や孝隆達も眉をひそめる。そんな態度を見た重秀が恥ずかしそうに咳払いをすると、改めて話を進める。
「ま、まあ、取り敢えず少将様に対してどれだけ支払えるかによるのですが」
「・・・どんだけ絞り出しても一万貫が限度でおます。つい最近も荒木様に一万貫お支払いしましたよってん、これ以上は・・・」
与兵衛がそう答えると、重秀が頷きながら話す。
「では五千貫になるよう、私が取り計らいましょう」
重秀の言葉に商人達は色めき立った。半額にまで抑えてくれるのだから色めき立つのも当然であった。が、与兵衛はそんなにうまい話じゃないと感づいていた。
「で?その対価は如何ほどで?」
「四千貫一括。もしくは五千貫を年一千貫づつ分割払いで」
重秀の即答に与兵衛が黙り込んでしまった。重秀が話を続ける。
「兵庫の商人とは末永くお付き合いしたいと思っています。まあ、私の取り計らいが無くてもいいと言うならどうぞ。ただし、私も少将様には嘘はつけませぬから、一万貫出せる財力はあると申し上げることになりましょう」
重秀が再び笑顔でそう言うと、与兵衛は浜方の惣会の商人達と、嘉兵衛は岡方の惣会の商人達とその場で話し合いをした。とは言え、選択肢はほぼ無い。結局、五千貫分割払いで交渉が成立することとなった。
「それでは私共はこれで・・・」
そう言って与兵衛達が陣を出ようとした時、重秀が声をかけた。
「ああ。言っておきますが、『荒木に係るもの』とは『者』だけではなく『物』も含まれますので」
それを聞いた与兵衛達は思わず重秀の方へ顔を向けた。両目がこれでもかと開かれている与兵衛達に、重秀がさらに話しかける。
「荒木様は名物を蒐集されるのがお好きなお方。それを貴方達に預けているのではありませぬか?戦火や織田から名物を守るために。それに、毛利から兵糧が兵庫津経由で花隈城に来ているのはこちらでも掴んでいます。多少は残っているのでは?それも引き渡してもらいましょう」
「・・・見事な交渉でしたな。これで、兵庫津が例え織田の直轄地になったとしても、五年間は一千貫が懐に入るわけですから。石高にしておよそ二千石。五年で一万石は労せず手に入るわけですな」
与兵衛達が羽柴の禁制の証書を持ち帰った後、孝隆が感心したように重秀に話しかけてきた。一方の重秀は不満げな表情を顔に浮かべていた。
「・・・黒田殿。私は本当は一万貫を殿様の前に持っていきたかったんです。そうすれば、羽柴の忠誠心を殿様は汲んでいただけるでしょう。そうなれば戦後、花隈城は羽柴に恩賞としてくれるのではないか、と思っておるのです」
「では何故、そうしなかったので?」
孝隆の質問に重秀が困ったような顔をしながら答える。
「父が言っていた『銭を稼ぐ力はあるのに銭に固執しないのは良くない』という言葉が気になっておりました。父やそれがしの家臣の手前、多少は銭に固執した姿を見せるべきかと思ったのです。それに今後の播磨進出には銭もかかりましょう」
「なるほど。確かに銭は多いほうが良いですな」
頷く孝隆に対して、重秀は話題を変える。
「ところで、あの与兵衛というものは中々の切れ者と見ましたが、よもや我等の兵力を見破られたということは・・・?」
「ないでしょうなぁ。虎之助殿が終始見張っておりましたし、こちらの兵力を詳しく観察する暇を与えませんでしたから」
三田城を出陣した時、重秀の兵力は羽柴直轄の兵の他、蜂須賀勢、前野勢、仙石勢、浅野勢、山内勢、堀尾勢、中村勢で編成されていた。しかし、この時点で兵庫津に来ていた兵力は蜂須賀勢、前野勢、仙石勢だけであった。
実は、三田城から有馬街道を経由して兵庫まで行く場合、途中で小部峠という難所を越える必要があった。蜂須賀勢や前野勢、そして仙石勢は小谷城の戦いで山岳地帯を踏破して小谷城の急所を突くという戦いをやってのけるほど山岳戦を得意としている一方、その他の勢力はあまり山岳戦を得意とした軍勢ではなかった。
つまり、小部峠を突破する時にその他の軍勢は行軍から脱落してしまったのであった。そこで重秀は正勝等と相談の上、山岳機動についてこれる兵のみを率いて先に兵庫に来ていたのであった。そして残りの兵力は一豊に指揮をさせて、後から来ることとなっていた。この時の兵力は、三田城を出た直後に比べて3分の1にまで減っていたのであった。
もし、この事が与兵衛達に知られていたら、恐らく交渉は失敗していただろう。兵庫津に荒木の兵はいなくても、会合衆は傭兵ぐらいは抱えていたからだ。武力で対抗されたら、重秀も詰んでいた状況であった。
「ま、もうすぐ残りの兵がこちらに合流するとさっき伊右衛門から早馬が来たから、取り敢えずは安心か」
そう言いつつも、重秀の胸中には不安が残っていた。そしてその不安について、重秀は孝隆に相談するのであった。