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第102話 ディープ・インパクト(後編)

感想、評価、ブックマーク登録、いいね!を頂きありがとうございます。大変励みとなっております。


年末の連日投稿はこれで終わりです。次の投稿は通常通り、火曜日(1月2日)の朝となります。


本年もご愛読ありがとうございました。それでは皆さん良いお年を。

 天正五年(1577年)十月十日。有岡城の荒木勢を本丸にまで追い詰めた織田軍は、二の丸の占領部隊に夜襲に参加しなかった信忠麾下の稲葉良通率いる稲葉勢を指定すると、稲葉勢を二の丸に置いて一旦占領した岸の砦、上臈塚砦、鵯塚砦に兵を戻した。


「本丸は攻めにくい。そこで明日には使者を立てて降伏するように勧める。だが、その前に彼奴きゃつ等にさらなる恐怖を与えようぞ」


 織田軍の本陣となった岸の砦で信長がそう言うと、側にいた秀吉に命じた。


「猿。うぬに命じる。夜になり、箒星が見える時を狙い、城下町に残っている建物に火を放て。汝には菅浦の桐油があるのであろう?」


「はあ、一応持ってきてまする故、火をかけることはできまするが・・・。残っている町人や女子供は如何いたしまするか?」


 秀吉がそう尋ねた瞬間、信長は床几から勢いよく立ち上がり、甲高い声で秀吉に怒鳴った。


「猿!あそこに町人はいない!女子供も皆逃げた!いいな!?」


「は、ははぁっ!」


 信長の剣幕に思わず秀吉はひれ伏した。


 ―――つまり町人や女子供はいないものとして火をかけよ、ということか。残っている者共にはすまぬが、死んでもらおうか。そして、藤十郎はこの任から外すか―――


 そう思いながら、秀吉は頭を上げると、準備のために信長の元から立ち去った。





 そして夜になった。夜空にくっきりと彗星が見えている中、羽柴勢の兵達は町人町と侍町の北側に火をかけていった。この時期は圧倒的に北風が多いため、北から火をつければ南へと火が燃え広がることを期待したのだ。そして、火は期待通りに北から南へとゆっくりと燃え広がり、一刻ほど経った後、城下町全体が火に包まれていった。

 未明から朝にかけての攻勢で多くの住民が戦闘に巻き込まれて死んだとはいえ、未だ城下町に残っていた住民も多かった。これらの住民は火から逃れようと岸の砦、上臈塚砦、鵯塚砦に殺到したが、織田軍はしっかりと砦を閉じており、しかも逃れてきた住民を鉄砲や槍で討ち取っていった。一部は主郭に逃げ込もうとしたが、二の丸を占領していた稲葉勢に追い払われてしまった。

 有岡城の総構の出入り口は各砦の中にあったので、住民達は逃げることができず、次々と火や煙に巻かれて死んでいった。中には総構の土塁を乗り越えて逃げようとする者もいたが、土塁の先にある空堀に落下して死んだり怪我をする者が多くいた。そして怪我をした者は、空堀の先にいた織田の鉄砲兵によってとどめを刺されていた。


 そんな惨劇が繰り広げられている有岡城の様子を、重秀は羽柴勢が使っていた附城の物見櫓から眺めていた。

 重秀が附城にいる理由は、表向きは降伏した上臈塚砦の守将であった中西新八郎と宮脇平四郎の監視のためであったが、実質は重秀を巻き込みたくないという秀吉の親心によるものであった。ご丁寧に重秀が抜け出さないよう、福島正則や加藤清正、加藤茂勝や大谷吉隆、さらに真面目で融通の聞かない石田三成と重秀が逆らいにくい竹中重治が重秀の護衛(監視?)としてつけられていた。

 重秀にしてみれば、いい加減一人の武将として他の武将達と共に汚れ仕事もすることも任せてくれればいいのに、という気持ちであったが、一方で、得物を持たない民や女子供を手にかけなくて済んでいることを、父秀吉に感謝していた。


「藤十郎殿、このような所におられましたか」


 足元からそんな声が聞こえてきたので、重秀が声のする方へ目を向けると、黒田孝隆がちょうど物見櫓に登ってくるところであった。


「黒田殿」


「いやぁ、ここから改めて有岡城を見ますと、まさに世も末だと見紛うてしまいますなぁ」


 そう言いながら孝隆は右手をひさしの様に目の上に持っていき、有岡城の様子を眺めていた。孝隆が続けて言う。


「しかも、この惨劇はすぐに他家に伝わり、織田家はますます恐れられますなぁ」


 近くにいるのにやたらと大きな声で話しかける孝隆に重秀は思わず眉をひそめた。そんな重秀を知ってか知らずか、さらに話を続ける。


「しかし、これで戦が早く終わるやもしれませぬなぁ」


「はぁ?」


 孝隆の言葉に思わず声を上げた重秀。そんな重秀に孝隆は言う。


「箒星の下で有岡城が燃えている。この事が風聞として他国に広がれば、箒星の出現は織田家を逆らった者への凶兆であり、有岡城の炎上はまさに凶事だ、と。こういう風聞には尾ひれがついて大げさになりますからなぁ。三木城あたりでは一千人、御着城には一万人、石山城(宇喜多直家の居城)より西には十万人が焼け死んだと伝わるでしょうなぁ」


「・・・それは盛り過ぎでは?」


 重秀が疑いの目を向けながら孝隆にそう言うと、孝隆は「あっはっはっ」と声を上げて笑った。


「人の噂を過小評価してはなりませぬぞ、藤十郎殿。人は往々にして大げさな話が好きですからなぁ」


「・・・それが正しいとして、何故戦が早く終わるとお思いで?むしろ敵愾心を煽ることになりませぬか?」


 重秀がそう疑問を呈すると、孝隆は「ご心配には及びませぬ」と言ってニヤリと笑った。


「確かに、摂津の国衆はそう思うでしょうな。実際に攻め込まれておりまするし、次は我が身と思って抵抗いたしましょう。しかし、播磨を始めとした他国の国衆はそうは思いませぬ。所詮摂津は対岸の火事。火の粉が降り掛かってこない限り、楽に生き残る方法を選択いたしまする。つまり、さっさと降伏するという選択でございますな。特に、小寺と別所は親織田派が生き残っておりまする。降伏論を選択しやすいと言えますなぁ」


「ああ、今回の荒木殿と同じ目に会いたくなければ、さっさと降伏しろと突き上げるわけですか」


 重秀の言葉に、孝隆が「ご明察」と言って笑った。重秀は鼻から息を強く吐き出すと、再び有岡城へ目を向けた。それからしばらくして、重秀は大きく溜息をつくと、首を上に傾けて嘆いた。


「ああ・・・。私が非才の身なのが恨めしい」


「どうしました?急に厭味ったらしい言葉を吐いて」


 孝隆がそう尋ねると、重秀は視線を孝隆に移しつつ、自嘲気味な笑みを浮かべながら孝隆に言う。


「いや・・・。私に絵を描く才があれば、この光景を描けるのに、と思ったまです」


 それを聞いた孝隆が思わず「はぁ?」と声に出した。重秀は話を続ける。


「いくら風聞として伝わるとしても、所詮は言葉。中々実感できるわけではありませぬ。しかし、絵図ならば見ることでより具体的に状況が分かるかと」


「なるほど・・・。ならば絵師を探し出して描かせては?」


「家臣に木村という者がおりまして。元々は浅井の家臣だったのですが、親子共々絵心がありまして、特に息子の方は絵がとても上手いので、父上の推薦で今は京の狩野一門に入門しております。そして父親の方は長浜で留守居をしていますので、ここにはいません」


「そうですか・・・。まあ、いづれ誰かが描くのではありませぬか?恐らくこの戦いは史に残る戦いになりそうですからなぁ」


 孝隆の言葉は、皮肉にもこの有岡城の戦いで生き残った村重の息子によって実現するのであるが、それは豊臣秀重が死んだ後の話である。





 次の日。すっかりと焼け野原となった有岡城下町に織田軍全てが侵入した。その中には夜襲に加われず、西の主郭に牽制の遠距離攻撃しかできなかった織田信忠の軍勢も含まれていた。

 全ての軍勢が主郭を取り囲むように布陣し、その中から降伏の使者として選ばれた堀秀政と長谷川秀一が二の丸の稲葉勢に合流すべく大手門から入っていった。それから二刻(約4時間)後、秀政と秀一は荒木久左衛門という荒木方の武将と共に信長の元へ帰陣した。

 この時、久左衛門から信長は衝撃的な真実を明かされた。なんと、荒木村重はすでに有岡城を脱出し、大物城だいもつじょう(尼崎古城とも)へ側近数名と茶道具と共に逃れていると言うのであった。


「・・・どういうことだ?」


 周りの諸将が唖然としている中、信長が苛立ちを抑えきれぬ状態で久左衛門に聞いた。


 久左衛門の話によれば、元々信長に逆らう気のなかった村重は、信貴山城の陥落でますますやる気を無くしていた。九月下旬に行われた織田の総攻撃は凌げたものの、直後に夜空に今まで無かった光点が現れ、それが日に日に箒星に代わっていくと、


「あれは不吉ぞ!あれは信長に逆らったことが凶事だと知らせに来た天の声じゃ!」


 と、怯え始めるようになった。

 家臣達は「信長にも凶兆でしょう」と宥めたものの、村重は「信長にも凶兆なら、毛利や本願寺、上杉や公方様にも凶兆であろうが!」と怒鳴り散らしていた。どうやら村重は、箒星を見た毛利や上杉が凶兆を理由として有岡城への援軍を出さないのでは?と思ったらしい。

 そこで、家臣達と相談した村重は一つの決断をした。包囲されている有岡城を出て、大物城か花隈城に移動して信長と戦うというものであった。大物城も花隈城も共に海に近い城で、船を使って毛利や本願寺とも連絡が取りやすい。それなら援軍なり援助を受けつつも信長に対抗できる、と考えたのであった。

 村重は側近と護衛を数名、それに名物ばかりの茶道具を持ち出して、有岡城の秘密の地下道を通って東側の崖に出ると、その近くを流れる猪名川を降って南下。織田方に落とされた塚口城を迂回して大物城へ移ったのだった。


 信長が久左衛門に問う。


「何故名物まで持っていった?」


「名物は公方様にお譲りいたし、それをもって毛利からの援軍を出してもらうようにするためにございました」


 久右衛門がそう答えると、信長は「で、あるか」と残念そうな表情で呟いた。


 村重が有岡城からいなくなったことで、急遽久左衛門が城代となったのだが、その事が各砦に伝わる前に織田軍による夜襲が始まり、久左衛門が城内の兵を掌握できずに混乱。元々士気が低かったこともあり、荒木勢は抵抗もできずにそのまま二の丸まで攻め込まれてしまった、というのが荒木側から見た有岡城攻めの実態であった。


「・・・それで、降伏には応じると?」


 信長の質問に久左衛門が「御意」と答えた。信長が話を続ける。


「よろしい。城内にいる村重と家臣の家族は人質とし、うぬはすぐに大物城へ向かえ。大物城と花隈城を引き渡せば人質と荒木一族の生命だけは助けてやると伝えてくるのだ。勝三(池田恒興のこと)、久左衛門をお前に預ける故、勝蔵(森長可のこと)と共に大物城へ向かえ」


 信長から命じられた恒興が、「御意」と返事をすると、久左衛門を促して元助や長可と共に信長の前から去っていった。

 次に信長は津田信澄に声をかける。


「七兵衛。すぐに兵を率いて本丸に入り、中にいる者共を拘束せよ」


「はっ」


 信澄が返事をして立ち去ると、信長は今度は渋い顔をしている信忠に声をかける。


「城介。猪名川の見張りは汝の役目。村重を取り逃がしたのは落ち度であったな」


「・・・申し訳、ございませぬ」


 信忠は叱責を恐れる顔になりながら頭を下げた。そんな信忠に、信長は口元を緩めながら話しかける。


「戦場での失態は戦場で償え。汝も勝三と共に大物城へ向かえ。もし村重がこちらの条件を飲まなければ、大物城を攻め落とせ」


 そう言われた信忠は「必ずや、父上のご期待に沿うてご覧に入れます」と言って頭を下げた。


「うむ。次に猿よ」


 信長が満足そうに頷いた後、今度は秀吉に声をかけた。秀吉が信長の前まで行き、その場で平伏すると、声を上げて信長に懇願した。


「恐れながら上様。この猿めは上様に播磨の平定を命じられているにも関わらず、未だ播磨に兵を送ることすらできておりませぬ。何卒、それがしに三田城を攻めさせてくだされ!三田城を攻め落とし、そこを拠点に播磨へ侵攻致しまする!何卒、この猿めを播磨へ行かせてくだされ!」


 それを聞いた信長が口を大きく開けて大笑いした。


「あっはっはっはっ!そこまで言われては余の言うことが無くなるではないか!その言や良し!すぐに三田城を落とし、播磨へ攻め込め・・・と言いたいところだが、汝は兵力を有岡城攻めで多くの兵を失っておるな。三田城攻めには久太郎(堀秀政のこと)と瀬兵衛(中川清秀のこと)を付ける故、これらと合力して三田城を落とすように。それが終わったら、有馬郡を平定せよ。有馬郡は汝に与える故、兵馬を養い十分に備えてから播磨へ向かうように」


 信長の言葉を聞いた秀吉は「あ、有難き幸せ!」と言って地面に額を思いっきりぶつけながら平伏するのであった。





 有岡城の戦い。それは織田信長の戦いの中で、一際目立つ伝説的な戦いとなった。少なくとも、少数の兵力で駿遠参すいえんさんを治める今川義元を討ち取った桶狭間の戦いや鉄砲という新兵器の大量投入で武田勝頼を討ち破った長篠の戦いと並ぶ戦いとなった。やはり、彗星が夜空に現れている中での勝利というのが、信長伝説に彩りを添えたのであろう。

 その話題っぷりは、京の公家や興福寺の僧侶によって記された日記に必ずといって良いほど記載されているし、イエズス会の宣教師の報告書にも記載されている。それどころか東北や九州の武将や商人、文字の書ける百姓によって記された日記や手紙、願文にすら記載されるほどであった。当然、信長の一代記にも大々的に記されている。


 時代が下り、有岡城の戦いに関わった者が全て亡くなると、この戦いはさらに人々によって伝説となっていく。

 泰平の世になり、信長を主人公にした軍記物が発表されると、当時識字率の高かった都市部の庶民に広く読まれた。当然この戦いは人々に広く知れ渡るようになった。

 信長の軍記物語はその後、数多くの人に書き写されたり模造品が出回ることになる。そうなると中身も微妙に異なるようになった。中には読者受けするように、わざと改変した物も出回るようになった。その中でも特に有岡城の戦いは大げさに改変されていった。

 最初の改変は『信長が池田城の本丸に祭壇を築いて三日三晩天に祈りを捧げたところ、箒星が現れたので、それを吉兆であるとして兵を鼓舞して有岡城を攻め落とした』というどっかで聞いたような話だったのが、最終的には『信長が池田城の本丸に祭壇を築いて天に祈りを捧げて箒星を召喚した後、その箒星を有岡城に落として城下町ごと消滅させた』という話になってしまった。

 そして、これが史実であると勘違いする日本人が数多くいたと言われている。


 さらに時代が下り、1910年にハレー彗星が地球に近づくと、世界規模でパニック状態になった。ハレー彗星の尾が地球を囲むため、地球の酸素が無くなり、人類が滅亡するというデマが世界中に広がったためである。日本でもこの噂が全国津々浦々に広がり、空気を貯めるために自転車のタイヤのチューブが大量に買われるという社会現象が起きる。

 その一方で、ハレー彗星と信長による有岡城攻めが結びつき、『信長は彗星の尾を使って有岡城の将兵を窒息死させた』という珍説が出回るようになった。

 結局、ハレー彗星の尾で人類滅亡ということはなく、パニックは収まったのだが、何故か日本人にはハレー彗星と信長には関係がある、という構図が頭の中にインプットされてしまった。


 さらに時代が下り、1970年代にノストラダムスの『予言集』がブームとなると、ここに記されている『1999年7月、恐怖の大魔王がやってくる』という一文により、第六天魔王と名乗った信長と恐怖の大魔王とが結びついてしまった。そして『1999年に織田信長が復活し、彗星を使って人類を滅亡させる』と日本人に信じられてしまった。

 そして、1970年代から1980年代、UFOや宇宙人、心霊現象や超能力といったオカルトブームが大流行すると、こういったオカルトと信長が結び付くようになった。すなわち、


『そういうことか・・・。織田信長の天下統一の影には宇宙人が関わっているんじゃない!彼自身が宇宙人だったんだ!有岡城攻めの彗星は彗星じゃない!あれはUFOを使って攻撃したんだ!あれこそ、人類滅亡への第一歩だったんだ!』


『俺たちは勘違いをしていた・・・。信長の側には、宇宙人ではなく未来人が居たんだ!その未来人が信長を操り、人類の歴史を変えようとしたんた!そしてそれは美少女だった!』


『そうか・・・、謎は全て解けた!織田信長は人造人間を作り出していた!それがあの豊臣秀吉だ!秀吉の指が6本だというのがその証拠だ!豊臣秀吉は、織田信長の意思を継いで人類を滅亡させようとしたんだ!』


 などというトンデモ説がオカルト雑誌や週刊誌、テレビで取り上げられるようになった。都合よく1986年にハレー彗星が再び地球にやってきこともあり、この年は織田信長が注目される一方、史実の織田信長像が見えにくくなるという現象が起きた。


 21世紀になると、家庭用ゲーム機やインターネットの発展によって、織田信長は一種のサブカルチャーのアイコンとなっていった。さすがに史実研究が進み、織田信長の実像が明らかになったため、それまでのオカルト的な信長像が嘘であることは知れ渡ったが、それでも有岡城の戦いをネタにしたものがインターネットやゲーム、漫画で表現されるようになった。

 例えば有名な歴史シミュレーションゲームでは、必ず信長のステータスとして『天火』『箒星』があり、一種の公式チートとして親しまれていた。さらに他のゲームや漫画では『コロニー落とし』『衛星兵器』『宇宙要塞』といったネタに走っていた。これが海外にまで波及し、織田信長オダ・ノブナガのある種カルト的な人気は世界中で高まるのであった。


注釈

荒木久左衛門は元の名を池田知正(勝重、重成とも言う)と言い、元々は摂津を支配していた有力国人池田家の出身者で、池田家当主池田勝正の次男である。しかし、荒木村重と共に自分の父親である池田勝正を追放。さらに摂津国守護の一人である和田惟政を敗死させるなどして摂津を支配する身となった。

だが、信長が足利義昭と対立したことで足利派となるものの、織田派に寝返った村重に池田家を乗っ取られて追放させられる。後に信長に許されて摂津に戻るが、村重の家臣にさせられたという経歴の持ち主である。


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― 新着の感想 ―
[良い点] もはや織田信長が女体化することなんて些細なこととしか思えないレベルの魔改造がwww ドリフ世界に転移した信長もオカマから「あんたはもうなんか一言では言えないわ 彗星やコロニーを落として城を…
[良い点] この話ではその後のながれが幾つか示唆されてますね 長篠の戦いは史実通りあったようだし 信長は夢半ばで倒れてるようだ
[良い点] 信長さんが史実よりも皆のフリー素材に。 話題性抜群だから仕方ないですね
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