第99話 グレート・コメット・1577
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天正五年(1577年)十月初めの日。秀吉は摂津三田城近くの寺に来ていた。付いてきたのは蜂須賀正勝と黒田孝隆だけである。寺の一室で何も口にせずに一刻ほど待っていると、部屋に数人の男たちが入ってきた。
「お待たせいたした、筑前殿」
「お久しゅうござるな、孫右衛門尉殿。ご無事で何よりじゃ」
秀吉と対面になるように座った小具足姿の男―――別所重宗にそう挨拶した秀吉が頭を下げると、重宗もまた頭を下げた。
「三田城に孫右衛門尉殿が別所勢を率いて援軍としてきた、と聞いた時は儂ゃ肝を冷やしましたぞ。年始めに共に轡を並べて戦っていた者同士が、何の因果か敵味方に分かれて戦う羽目になったのですから」
秀吉がそう言うと、重宗は申し訳無さそうな顔で話し始める。
「申し訳ござらぬ、筑前殿。拙者も殿が毛利方に付くことを必死にお諌め申したのですが、兄の山城守(別所吉親のこと)が強硬に織田との手切れを主張したのでござる。そればかりか東播の他の国衆を糾合いたしました。拙者も殿もその勢いを抑えきれませんでした。さらに・・・」
重宗がそう言うと、何か言いづらそうに口ごもった。それを見た秀吉が言葉を続ける。
「七尾城陥落の報せが毛利から伝わったと?」
「正確には石山本願寺からですが」
この時、播磨を始めとする西国に異常に早く伝わった七尾城陥落の報せは、加賀で織田軍が上杉軍に完敗したとか、信長や佐久間信盛が戦死したとか、およそ事実ではない事柄も含まれていた。恐らく、本願寺なり毛利なり足利義昭が予め作っていた虚偽の報告がばら撒かれていたのだろう。
「まあ、安土様(織田信長のこと)が生きていたことはすぐに分かりましたが、どちらにしろ織田方に付いていた畠山家を織田は助けることができなかったのです。これで、我が殿も織田からの手切れを決断いたしました・・・」
重宗と共に織田方に残るよう国衆を説得していた長治も、「織田は我等を本当に守ってくれるのか!?」という吉親や国衆の言葉に反論することができず、また長治自身も織田に不信感が芽生えてきていたことから、とうとう織田から毛利への鞍替えを決断することとなった。
その後、長治は播磨にほど近い荒木方の三田城と花隈城へ援軍を派遣。三田城の援軍指揮官として重宗が志願し、三田城へ入城した。それを知った秀吉が密かに接触し、三田城の外で落ち合うこととなったのであった。
無念そうな顔で項垂れる重宗に、秀吉は優しく声をかける。
「いや、しかし、孫右衛門尉殿も別所様や他の国衆と同心して頂いたること、この筑前は感謝しておるのです。最後まで抵抗した細川の参議様は攻め滅ぼされたと聞いていたので、孫右衛門尉殿もそうなってしまったのかと案じておりました」
秀吉の言っている細川の参議様とは、冷泉為純という公卿のことである。下冷泉家の5代目当主に当たるこの人物は、従三位参議という地位にいながら、冷泉家の祖である冷泉為相以来の荘園である播磨国細川庄に在住していたので、細川の参議様と呼ばれていた。
そして、細川庄は三木城の近くにあったので東播の国衆の一人とみなされていた。為純は最後まで毛利方に付くことを拒否したため、毛利方についた別所や周辺の国衆に攻め込まれ、嫡男の為勝共々自害して果てたのだった。
「孫右衛門尉殿、今は自らの身体をご自愛くだされ。いづれ摂津は上様によって平らげられ、再び播磨へ進出して毛利を排除したしまする。その時に別所家を正しい道へ導けるのは孫右衛門尉殿だけでござる」
秀吉がそう言うと、重宗は黙って頭を下げた。
その後、孝隆が重宗に西播の情勢について聞いたが、姫山城(のちの姫路城)の諸将が小寺政職と行動を共にしていると言うことぐらいしか分からなかった。
秀吉達が寺から出た時には、もうすぐ日が暮れようとしていた。秀吉が空を見上げると、茜色の空にひときわ目立つ光が一点、空に浮かんでいたのだった。
摂津国有岡城。ここでは信長率いる織田軍が城を包囲しており、一方で荒木村重率いる軍勢が立て籠もっていた。
実は九月下旬に寵臣であった万見重元を討ち取られて激怒した信長が、自ら指揮をして有岡城を総攻撃した。しかし、総構と西の主郭、東と北と南の砦によって守られた有岡城とその城下町を落とすことに失敗し、しかも戦死者を2千人も出していた。結果、織田軍の士気は下がってしまった。
さて、勝利した荒木勢はさぞかし士気が上がっているだろう、と思われたがそうではなかった。九月二十八日の夜空に突如現れた強い光の存在が、荒木勢の士気を落としていた。そしてその光を見た織田の兵達は、さらに士気を落としていた。結果、有岡城の攻防戦は、膠着状態に陥っていた。
そんな両軍の士気がただ下がりの中、重秀だけはテンションが高い状態であった。彼は、日没になると有岡城を包囲している羽柴勢の築いた砦にある物見櫓に登っては、夜空に浮かぶ光の筋を見ていた。
「あれが『史記』や『漢書』、『日本書紀』や『吾妻鑑』に書かれている箒星かぁ。すげぇなぁ」
重秀が見ていたのは箒星。現代で言うところの彗星である。この時現れた彗星は、C1577/V1と呼ばれる彗星で、俗に『1577年の大彗星』とも呼ばれることもある。
ちなみに星の明るさを表す絶対等級はマイナス1.8ぐらいだと言われている。参考までに、『1997年の大彗星』とも呼ばれるヘール・ボップ彗星が地球に最接近した時の絶対等級がマイナス1.7である(絶対等級は数字が小さければ小さいほど明るいとされる)。
「長兄、あまり騒がないでくださいよ。ただでさえ箒星が出て皆が凶兆だって言って怯えているのに。何を興奮されているんですか」
隣りにいた加藤清正が重秀を諫めたが、重秀は清正の諫めを無視して彗星を見つめていた。
当時の日本、いや世界の各地で彗星は凶事の前触れとして恐れられていた。慣れ親しんでいた夜空に突如光点が発生し、長い尾を引いていづれ消えていく彗星は、古来より災害、疫病、亡国の出来事を予兆させるものとして日食や流星群などの天文現象と同様に恐れられてきた。
一方、古代中国の天帝思想によれば、全人類の支配者である天帝が人間に何らかのメッセージ―――天命を伝えるために天文現象が起こるとされている。この考えを強く受けた日本の朝廷は、古くより陰陽寮と呼ばれる役所の中で天文現象の記録を編纂していた。中国や日本における彗星の記録が古くから残っているのはこのためである。
その結果、彗星にはある程度の周期性があることは当時の人々にも分かっていた。
「何言ってるんだよ。いろんな書物に載っている箒星をこの目で見られる絶好の機会じゃないか。ここんところ城を囲むだけになっているから、やること無くて困ってたんだ。それに、日記に記すこともできるし、縁への土産話にもなる」
実際、『長浜日記』にはこの時の彗星について詳しく記録されているし、当時重秀からこの頃に二の丸殿(縁のこと)やまつ(前田利家正室)に送られた手紙にも、この彗星のことが記されている。
「そう思っているのは長兄だけです。噂じゃ、この箒星を恐れた上様が、池田城の一室に籠もっていると言うではありませぬか」
清正の言う通り、信長は彗星が現れて以降、全く家臣の前に現れることがなくなった。何故なら本当に信長は彗星を恐れていたからだ。
現代の日本人の感覚からすれば、織田信長は合理主義者で迷信を全く信じない、というイメージがあるし、実際そういうところもあった。仏罰を恐れずに国家鎮護の比叡山を焼き討ちしたのがその最たる例であろう。しかし、信長は合理主義者だからこそ、この彗星を恐れたのだ。何故ならこの彗星、出現が全く予想されていなかったからだ。
彗星には周期彗星と非周期彗星と分けることができる。周期彗星とはある一定期間で太陽系内まで帰ってくる彗星のことである。ハレー彗星は典型的な周期彗星である。
一方、非周期彗星とは太陽系内まで全く帰ってこなかったり、帰ってくるとしても人類の時間感覚では計れないほど途方もない時間をかけて戻ってくる彗星のことを言う。例えばヘール・ボップ彗星は、シューメーカー・レヴィ第9彗星の様に消滅しない限り、再び太陽系内に帰ってくる彗星であるが、次に帰ってくるのは西暦4385年であることから、非周期彗星とされている。
信長は彗星が周期的にやってくることは知っていた。というのも、信長は陰陽師で有名な安倍晴明の子孫で、代々陰陽頭を務めていた土御門家の若き当主である土御門久脩との交友が深く、久脩は天文現象についても信長にレクチャーしていた。
しかし、周期的にやってこない彗星の存在は当時の未熟な天文学では解明できておらず、信長も久脩もその存在を知らなかった。
それ故、信長はこう思ったのだった。
―――箒星は一定の間隔で現れるのではなかったのか!?陰陽師達が予想できなかった箒星なんてありえぬだろう!あの箒星はきっと儂を滅ぼすために来たに相違ない!―――
今年に入って以降、雑賀衆は攻め滅ぼせず、松永久秀と荒木村重は裏切り、寵臣の万見仙千代は戦死し、能登の畠山は上杉に攻め滅ぼされ、播磨と但馬の諸勢力は尽く毛利方についた。しかも佐久間信盛は命令違反を犯し、有岡城攻めは失敗に終わっている。
こう立て続けに悪いことが起きれば、例え信長が合理主義者だったとしても、己の運命が彗星によって歪められたと思わざろう得なかったのだ。そして、この不運な状況を打開するために、信長は池田城の一室に引き籠もってしまったのだった。
「半兵衛殿、戻りました・・・。って、父上!?」
物見櫓で彗星が織りなす天体ショーを十分堪能した重秀は、その事を数日前から病の床に臥せっている竹中重治に伝えようと、彼が寝ている区画にやってきた。しかし、そこには三田城から戻ってきた秀吉と正勝がいた。
「おう、藤十郎。今帰った。半兵衛を見舞っていたところじゃ。半兵衛から聞いたぞ。箒星を見ておったそうじゃな。いくら戦が膠着状態だからといって、星なんぞにかまけている場合ではないぞ?」
秀吉が呆れ顔でそう注意すると、重秀はムッっとした顔をしながら答える。
「そうはおっしゃいますが父上。天文を見るもまた、戦には重要なことでございます。そもそも『易経』に曰く・・・」
重秀がそう言って反論しようとしたが、秀吉に「ああ、解説せんでも良い」と止められた。秀吉が話を続ける。
「それで?儂がいない間に何か動きはあったのか?」
秀吉の質問に対して、重秀が首を横に振る。
「いいえ、まったく。箒星のせいで味方はもちろん、敵も動いておりませぬ。市や虎、伊右衛門(山内一豊のこと)はもちろん、権兵衛(仙石秀久のこと)や与右衛門(藤堂高虎のこと)による物見でも、敵はこちらに対して物見すらせずに城内に引っ込んでいるそうです。おかげで味方の士気が下がり、軍規が緩んでおります。現に味方の兵の中には昼間から酒を喰らい、外から女を連れてきたり、賭博を陣内構わず行なっております。取り締まっておりますが、それにも限度がございます」
「仕方あるまい。箒星という凶兆が現れたのじゃ。先に動けば凶事がこちらにくるじゃろうて。ここは黙ってやり過ごせば良い」
「凶兆の証である箒星が来ているのに賭博で儲けている者がいるとは何でですかね・・・」
重秀がボソッとそう呟くと、秀吉の側にいた正勝が大笑いしながら言う。
「がっはっはっはっはっ!それはなぁ、若さんよ。賭博では胴元が儲かるように仕掛けられとるんだわ!それを知らねぇ奴だけがケツの毛までむしり取られるってもんよ!」
「・・・そうなのですか?」
重秀が首を傾げながらそう聞くと、正勝は得意顔で話し始める。
「おう。これはまあ、俺の経験に基づくものなんだけどな。胴元が主催する賭博では、必ず胴元に打ち手から銭を巻き上げるんだ。で、その巻き上げた銭をある一定の額だけ懐にしまうのよ。後は残りの銭を勝った打ち手に与えるってやれば、まあ儲かるってわけだ。悪どい胴元は勝てる打ち手と手を組んで銭を儲けている奴もいるしな」
「へぇ〜」
賭博の仕組みを初めて聞いた重秀が感心したかのように返した。すると、秀吉が渋い顔をしながら口を挟む。
「そのくらいにしておけ、小六。儂等にとっては巻き上げられた打ち子が軍内に蔓延るのが問題ぞ。負けた連中はやる気を無くすか荒むかするから、いづれ戦えなくなるぞ。
・・・とはいえ、軍内で賭博が行われていることは由々しき仕儀じゃ。取り敢えず、佐吉(石田三成のこと)に命じて調べさせるか」
秀吉がそう言って溜息をついた。その時だった。今まで寝ていた重治がムクリと起き上がってきた。それに気がついた重秀が声をかける。
「ああ、半兵衛殿。起きてもよろしいのですか?もう少し寝ていたほうが・・・」
「いや、さすがに枕元で騒がれては、中々寝付けぬというものです。それよりも、小六殿が面白き事を申しておりました。若君、お分かりですか?」
重治の質問に、重秀が首を傾げながら言う。
「・・・我等が胴元をやればもっと面白いように銭が稼げる?」
「武士のやることではないので止めてください。そうではなく、胴元は儲ける算段を組み立てることで凶兆たる箒星が現れても儲けることができました。つまり、どういうことかお分かりですね?」
重治の質問に対して、重秀は腕を組んでウンウン唸りだした。暫くの間そんな状態だった重秀が、自信なさげな声で重治に言う。
「・・・予め勝てる算段をすれば、凶兆が現れても勝機を掴むことは可能だということですか?」
重秀の回答を聞いた重治は弱々しい微笑みを顔に浮かべながら頷く。
「ご明察です。それがしが思いまするに、結局のところ吉凶というものは人の気の持ちようなだけなのではないかと」
重治の言葉に秀吉が「あー、なるほどなぁ」と視線を上に向けながら呟いた。
「よくよく考えたら、儂ぁ戦の前に易をやったことないぁ。それでも勝てる時は勝っておるのう」
「っていうか、羽柴に軍配者は居りませんでしょう」
秀吉の言葉に、重秀が呆れたような表情で答えた。秀吉が更に話を進める。
「と言ってもなぁ。出陣は上様の命令じゃし。そういうのは上様の方で調整しとるのではないか?」
「確かに上様には何人かの陰陽師が侍っていたのを小姓時代に見たことがありますが・・・」
意外に知られていないが、信長にも軍配者はいた。桶狭間の戦いの時に大雨になることを予想した伊束法師がそれであると言われている。また、陰陽師を何人か仕えさせていたとも言われている。
「しかしよぉ殿さん。俺が見るに、上様はそういったものは考えずに出陣してねぇか?ほら、去年の天王寺砦への出兵だって、すぐに決まったじゃねぇか」
「あれは明智、じゃない惟任殿が危機的状況だから飛び出したのじゃ。吉凶を占っとる場合じゃなかろう。それに、あれは我等織田勢が勝ったではないか」
「織田にとっては吉事でございましたが、羽柴にとっては凶事だったではございませぬか。石松君を失いましたし」
重治の言葉に秀吉は「むっ・・・」と言って口をつぐんだ。しかし、すぐに話を再開する。
「・・・織田の吉事が織田家臣全てに行き渡るわけではないのであろう。それに戦に勝ったのだ。羽柴にとっても吉事よ。半兵衛、長い付き合いでもあり、病の床についているためあまり強くは言わぬが、石松のことはもう口に出すな」
秀吉の批難めいた言葉に、重治が黙って頭を下げた。そんな時だった。重秀がふと思ったことを口に出した。
「・・・ということは、織田の凶事が羽柴の吉事になることもあるのか・・・」
その呟きを聞いた秀吉達がギョッとした顔をしながら重秀を見つめた。それに気がついた重秀が慌てたように話し始める。
「い、いえ!上様や殿様に災いが起きれば良いという意味ではございませぬ!ただ、箒星という凶兆は織田家にとっては凶事でも、織田家臣全ての凶事ではない、と言いたかったのです!」
「何言ってるんだよ、若さん。箒星なんざ誰にでも見えるんだから、誰にでも凶兆だろうがよ」
正勝がそう言うと、重秀はじっと正勝の顔を見つめた。正勝が「な、なんだよ」と言うと、重秀は正勝ではなく秀吉に顔を向けて言う。
「父上。ということは、荒木殿にも凶兆ですね?」
「そりゃあそうだろう。村重に見えてないわけ無いからな」
秀吉がそう言うと、重秀は右手で口元を覆いながら考え込んだ。しばらく経った後、ボソリと呟いた。
「あの箒星、荒木殿だけの凶兆にできませんかね?」
注釈
絶対等級とは、天文学においては10パーセク(約32.6光年、3×10¹⁴km)の距離から対象の天体を見た場合の明るさのことを言う。(パーセクとは年周視差が角度で1秒である距離の単位のこと)
これは、地球から見た場合の対象となる天体の明るさ(これを見かけの等級という)では、地球と対象となる天体の距離がバラバラなため、正確な明るさの強弱が計れないことから定められた基準である。
ちなみに、太陽は見かけの等級がマイナス26.7等級なのに対し、絶対等級では4.8等級となる。一方、地球上からもっとも明るく見える恒星シリウスは、見かけの等級がマイナス1.44等級で絶対等級は1.47等級である。
注釈
シューメーカー・レヴィ第9彗星は1994年7月に木星に衝突し、消滅が観測されている。