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推理茶房4869  作者: 貴堂水樹
三作目 ラブホテル殺人事件

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19/24

2-1.

 事件が起きたのは、五月二十九日土曜日のことである。


 被害者は茅野皓、二十一歳。職業不詳。名古屋に拠点を置く半グレ集団に身を寄せていたとの情報が挙がっている。指定暴力団の息がかかったグループとも(もく)されており、県警刑事部組織犯罪対策課の捜査対象だと聞いた。


 一方、被害者と同じラブホテルの一室にいたという被疑者、津下実久は二十五歳のOLで、ホテルの所在地と同じ刈谷市内の企業に勤めていた。

 勤務態度はまじめで、彼女の悩みはもっぱら恋愛関連のことであったというのは同僚の証言だ。スマートフォンで恋の名言とやらを検索しては誰かと共有したがった、というのもお決まりの行動だったらしい。


 二人が出会ったというバーは私鉄の駅からほど近い場所にあり、津下の勤務先からも徒歩十分の距離だった。

 事件現場のラブホテルは、そこから車で二十分ほどかかる住宅街のはずれにある。駅からは遠く、宅地と宅地の狭間で持て余されたようなだだっ広い場所にぽつんと佇む、城を模したいかにもそれっぽい建物だった。


 被害者の死亡推定時刻は、日付が二十九日に変わってまもない午前零時から午前二時の間で、死因は出血性ショック死。腹部と喉にそれぞれ鋭利な刃物で刺された痕跡が一ヶ所ずつ認められ、喉の刺し傷が致命傷となったようだ。腹部への第一撃で被害者の身動きを封じ、ベッドの上に仰向けで押し倒したのち、喉にナイフを突き刺して殺害した、という流れであると推測された。

 被害者の喉に残されていたナイフは片刃のアウトドア用折りたたみ式ナイフで、市場に多く出回っているタイプであるため流通経路をたどるのは困難を極めた。


 言い換えれば、津下と茅野、どちらの持ち物であってもおかしくないものが凶器に選ばれたということであり、第三者が持ち込んだ可能性も否定できない。もちろん、第三者が現場の部屋へ入ることができたのなら、という話ではあるけれど。


 ナイフの()からは指紋が一つも検出されなかった。布で拭った痕跡が見られたため、津下がやったにせよ、第三者による犯行だったにせよ、犯人が茅野殺害後に指紋を拭き取ったことがわかっている。

 これも不可解な点の一つだった。なぜ犯人はナイフの指紋を拭い取る必要があったのか。

 第三者が津下の犯行に見せかけようと画策した場合、自分は素手で触らず、津下の指紋を凶器に付着させておくというのがセオリーだろう。

 それなのに、なぜか指紋はたったの一つも残されていない。この事実をどう解釈すべきか、捜査会議で何度も議題に上がったが、結論は出ないままだった。

 支持する声が大きかったのは、津下による突発的な犯行で、彼女が捜査をかく乱するために拭い取ったのではないか、という見解だった。しかし、肝心の津下は遺体には触れるどころか近づいてさえいないと主張している。真実はいまだ闇の中だ。


 現場となったラブホテルは、全室、未精算のうちは扉の鍵が開かない仕様になっている。一度部屋に入れば最後、料金を支払うまで完全な密室状態が自動的にできあがってしまうのだ。

 事件発覚当時、津下と茅野が入った部屋は未精算で、ホテルの従業員が津下の内線を受けて部屋に入ってくるまで扉の鍵はかかった状態だった。そんな中、一人は入室後まもなく殺され、もう一人は朝まで意識を失って倒れていたというのである。


 生き残ったほう、という表現が正しいかどうかはさておき、津下の証言がいかに危ういものであるかは言及するまでもない。津下が朝まで眠りこけていたのかどうか、証明できる材料はなに一つないのだ。

 津下の行動どころか、ホテル到着後の茅野の行動さえ、正しく追うことは難しい。ラブホテルという性質上、チェックインからチェックアウトまで客と従業員が顔を合わせることが一度もないようにうまくできているからだ。

 フロントでのルームキーの受け渡しはなく、ルームサービスを頼んでも部屋の扉の脇に設けられた受け渡し口に注文したものが運ばれてくるだけで、スタッフが部屋に上がり込むことはない。一階のフロントに従業員が常駐してはいるものの、顔から上は互いに見えない小さな目隠し窓から客の様子や人数をチェックしているだけで、よほどのことがない限り声をかけたりもしないようだ。

 そこが抜け穴と言えば抜け穴である。従業員の目が行き届いていないから、客のやりたいようにやれてしまう。


 どこかに盲点が見つかって、密室が破れればいい。そう願う星乃だったが、今のところ、密室を破る手がかりはまったく掴めていなかった。


 津下実久の証言の信憑性については、きちんと裏取りができたものもあった。

 まず、津下が記憶を失ったというバーでのできごとについて。こちらはほとんど彼女の証言どおりだった。

 五月二十八日金曜日の午後八時頃、津下は一人で来店。その三十分ほど前に被害者の茅野皓が来店している。

 二人はカウンター席で出会い、午後十一時頃まで飲んでいた。津下が酔いつぶれて眠ってしまったことは店主が覚えていて、茅野と二人がかりで津下をタクシーに乗せたと証言した。午後十一時三十分頃のことだったそうだ。

 茅野はタクシーに同乗し、二人はくだんのラブホテルへと向かう。こちらも担当したタクシーの運転手を突き止め、ドライブレコーダーに録音された車内の音声も確認させてもらった。残っていたのは茅野の声だけで、津下が目を覚ました様子はなかった。


 タクシーが二人をホテルで下ろしたのは日付が変わる直前で、茅野が津下を抱きかかえてタクシーを降りたところまでは、タクシーの運転手の証言によって明らかにされた。

 ホテルの記録によれば、チェックインは二十九日土曜日の午前零時一分。その後の詳細は現時点では不明としておくしかない。津下がどの時点で目を覚ましたのか、それを証明する手段がなにもないからだ。


 肝心なところに手が届かない、嫌な事件だった。

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