episode.4
夕暮れのジャングルの中で龍一は途方に暮れていた。
ムカデを捕獲出来たのは良いものの、一向にベースキャンプにたどり着けそうにない。
空を見上げると、もう日が沈み始めるようだ。
このままでは非常にまずい。
ジャングルの中で一晩を明かすのは危険過ぎる。
俺は朝から行方不明になっている。
きっとキャンプでは騒ぎになっていて捜索隊が出ているはず。
そう信じて必死でベースキャンプの方角と思われる方へ進んだが、ついに日が沈み、辺りは暗闇に包まれてしまった。
こうなると動くのは危険だ。
諦めて大きな木のふもとに腰を下ろし、かき集めた大き目の葉っぱを被り、朝を待つ事にする。
少しでも体力の回復を図りたい所だが眠る事が出来ない。
眠っている間に何が起こるかわからないという不安。
危険な動物が近寄って来るかも知れない。
そんな恐怖に駆られ、眠れずにひたすら朝を待ち続ける。
どれほど時間が経っただろう?
草木が揺れる音がする。
何かが近づいて来る気配がする。
暗闇の中、大型の生き物が地面を踏みしめる音がする。
暗い木々の間から光る二つの目が見える。
どうやら想像していた中でも、最悪の事態が起きてしまったようだった。
このジャングルで夜に活動する大型の生き物。
おそらく夜行性の肉食獣の可能性が高い。
恐怖に体が震える。
俺の匂いを嗅ぎつけて来たのか?
唸り声の様な音が聞こえ、闇の中から光る目が睨み付けてくる。
間違いなくこちらを襲うつもりだろう。
喉がカラカラに乾き、脂汗が滲む。
俺は死を覚悟した。
すると腰に巻き付いていたムカデがギチギチと音を立てながら背中を這い上っていく。
そして首筋にチクリとした痛みを感じた瞬間。
俺は闇の中にいた。
夜の闇より遥かに暗い闇。
地面や上下左右の感覚も無い。
まるで宇宙空間に漂っている様な感覚。
その闇の中に一筋の光が点った。
光は一瞬で強烈な閃光となり視界を白く塗り潰していく....。
気がつくと周りは元のジャングルに戻っていた。
だが、おかしい。
真っ暗な夜のはずなのに、周りがよく見える。
明るいのとは違う。
分かる。
周りの状況が感覚として把握できる。
茂みの奥に意識を集中すると、そこに居たのは大型のトラだった。
しかし、こちらに驚き踵を返して逃げていく。
まるで敵わない強者に出会い、危険を感じ逃げ出したかのようだった。
ふと、自分自身の異変に気付く。
いつのまにか、体に光沢のある黒いスーツを身に纏っている。
感覚が鋭くなり、闇夜でも周りの様子がハッキリ分かる。
周りどころか、かなり離れた位置にあるベースキャンプらしい場所がおぼろげながら分かる。
そして、体に力がみなぎり、押さえ切れない衝動のようなものが湧き上がってくる。
その衝動に突き動かされ、居ても立ってもいられなくなりベースキャンプの方へ走り始める。
力強く大地を蹴る。
空気を切り裂き、走る。
全速力で木々の間を走り抜け、跳ぶ。
木を蹴って飛び移る。
周りの木々が凄まじい速度で横切っていく。
枝を踏み駆け上がり木々の上に飛び出す。
視界がひらけ眼前に満天の星空が広がった。
空気が澄んでいて星々の光がくっきりと見える。
そして、眼下には海のように広大なジャングルの森が見える。
飛ぶ。
文字通り、ジャングルの空を飛び駆ける。
制御出来ないほど膨れ上がる闘争心と衝動。
狂おしいほどの衝動に胸が張り裂ける。
「ヴゥヴオォォォーーーォォオオォァァァァ!!!」
俺は夜空に向かって絶叫した。
そして、気がつくと寝袋の上にいた。
全身が酷い筋肉痛になり、頭痛と吐き気もする。
記憶が曖昧だが、どうやらベースキャンプに帰って来れたようだ。
腰に手をやるとムカデも無事巻き付いたままだ。
痛む体を動かしてテントの外に出ると、調査チームのメンバーが駆け寄ってきた。
「‘河神さん大丈夫か!?‘」
話しを聞いたところ、今朝キャンプ近くで倒れていたのを発見され救助されたらしい。
おそらくキャンプにたどり着いたあたりで力尽きたのだろう。
危うく遭難して死ぬ所だったが助かった。
それからニ日ほど経つと筋肉痛もある程度治まり、なんとか動ける様になった。
体調が回復した俺はすぐさま帰国し、研究所に新種の発見を伝えた。
そして研究室に篭り、この奇妙なムカデの生態を調べ始めた。
やはりこのムカデはまるで、クマノミとイソギンチャクのように他の生物と共生関係を結ぶ性質がある事が分かった。
普段は共生者の食事のおこぼれを貰うかわりに、生命に危機が訪れた時、その体を保護したり、命を脅かす存在を排除する為に力を貸す。
どうやら生き物が命の危険を感じたときに発する、一種のフェロモンのようなものを感知できるらしい。
フェロモンを感知するとムカデは共生者を“変身”させる。
そのメカニズムは驚くべきもので、まず体内で特殊な毒を生成し共生者に注入する。
この毒は強力な覚醒剤やドーピング剤のような性質を持っていて、注入された者の筋力や五感、神経伝達速度を一時的ながら大幅に強化する効果がある。
効果は約20分ほどで、体内で完全に分解され依存性や中毒症状などは無いようだ。
しかし、効果時間中に激しい運動を行うと、肉体へ大きな負担がかかり、効果が切れた後に強烈な筋肉痛や頭痛、吐き気などに襲われる。
ムカデは毒を注入すると、次に共生者の肉体を保護するため自身の体を使い防護スーツを形成する。
このスーツは主にムカデの足で構成される。
あの時、猿の背中に取り付いたムカデから出て来た黒い糸の正体は糸の様に細いムカデの足だったのだ。
一見あまりに細く簡単に切れてしまいそうな足だが、調べたところカーボンナノチューブに似た構造をしている事が分かった。
この為、非常に強靭かつ頑丈な性質を持っている。
この糸状の足が特殊な編み上げ方で折り重なる事でスーツには強力な防刃、防弾効果が備わっているようだった。
また、スーツの頭部は特徴的な赤い仮面の様な形態になっている。
これは主にムカデの触角で構成されており、温度や空気の振動、匂いなどを感知する一瞬のセンサーの役割を果たしているようだ。
このセンサーには重要な意味があった。
というのもセンサーは外部の情報だけでなく共生者の状態も感知している。
加えてスーツはムカデの足で構成されている為、ただ共生者に動かされるままではなく、ムカデ自身が逆に動きをサポートすることが出来るのである。
触角のセンサーで周囲の情報と共に共生者の呼吸のリズムや眼球の動きを感知し、最適最善の動きをサポートする。
そのおかげで、全く格闘技経験のない俺が、まるで熟練の武闘家の様な洗練された動きが出来た。
このスーツはまさに一種の生体パワードスーツと言っても過言ではないだろう。
俺は寝食も忘れる勢いで研究に没頭し、その興味深い結果をレポートに書き連ねていった。
しかし、ある程度レポートがまとまって来た所で基本的なことを忘れている事に気づいた。
俺とした事がこんな単純なことを忘れていた。
このムカデは新種の昆虫である。
新種なのだから新しい学名が必要だ。
特徴を表すのに相応しい学名が。
このムカデの特徴はなんと言っても共生者を保護するスーツを形成する事にあるだろう。
赤い仮面を付けた漆黒のスーツ。
考えがまとまった俺は新しい学名を打ち込んだ....
学名“Red.Face”