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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

異世界恋愛短編

デニスとゾーイ

作者: 糸木あお

「こんにちは、お嬢さん。これを貰えるかい?」

「こんにちは、旦那様。今お包みしますね」


「ありがとう。ここの商品はいつも喜ばれるんだ」

「良かったです。それを伝えたらおかみさんもきっと喜びます。いつもご贔屓にして下さってありがとうございます」

 

 そう言って少女は微笑んだ。


 デニスは少女から手渡された紙袋を大切に鞄にしまった。今日は可愛らしいリボンの付いたポプリだ。独身で送る相手なんかいないのにこういう品物を毎日買ってしまうのはひとえにこの盲目の美しい少女と言葉を交わしたいからだ。


 大工仲間たちからは散々揶揄われているけどデニスはその店で買い物をする前に毎日石鹸をよく泡立てて身体を洗い、髭に剃刀をあててから清潔な服に着替えた。一人暮らしの彼の部屋には可愛らしい雑貨が寝る場所を圧迫するくらい広がっている。甘い香りのポプリ、爽やかなミントの石鹸、少し大人っぽいムスクの香水、白い猫のぬいぐるみ、髪に塗る薔薇の香油など熊に喩えられる容姿の彼には全く似合わない物ばかりだった。


 彼女を初めて見た時、デニスは雷に打たれたような衝撃を受けた。色素の薄いふわふわの長い髪、薔薇色の頬。目を閉じていてもわかるふさふさのまつ毛。花のかんばせとはこの少女の事を指す言葉なのだなと彼は思った。つまり、一目惚れだった。


 初めて石鹸を買った日、いらっしゃいませと金糸雀のような可愛らしい声を聞いて感動に震えた。何度か通うようになってゾーイという名前を知った時は可愛らしい彼女にぴったりの素晴らしい名前だと思った。おつりを貰うときにほんの少し手が触れるのが嬉しくて毎回紙幣で支払いをした。そんなささやかな事が彼にとっての幸せだった。


 もしも自分がお金持ちなら魔法使いに頼んで治してもらうのになと考えたけれど、働き始めて二年の大工の彼にはそんなお金はもちろん無かった。ただでさえ毎日何らかの雑貨を買うようになってから彼の食生活は質素になっている。ポプリや石鹸、ぬいぐるみに香水なんかじゃあ腹は膨らまないと分かっていても彼女と話してほんの少し手と手が触れ合う事が嬉しくて彼はこの数ヶ月間欠かす事無く買い物を続けている。


 きっと男なら誰に対しても失礼が無いように旦那様と呼んでいるんだろうけどそう呼ばれるとくすぐったくなると同時にそんなに立派な紳士ではない自分に落ち込んだ。


 金持ちの商人や貴族のようにスマートでは無いし筋肉隆々なため似合う服も少ない。鍛えなくても仕事をしているだけでこんな風になってしまったので彼自身も困惑している。  

 

 しかし、こんな見た目なのでチンピラに絡まれる事も無くて元来平和主義者の彼にとってはまあプラスマイナスで言えばちょっとプラスくらいの感じではあった。


 職場の仲間や親方からは早く告白をしてしまえとか食事に誘ってみろとか色々言われたが恥ずかしがり屋かつ臆病な彼にはそれはあまりにハードルが高かった。自分が使わない物を奥さんや娘さんや恋人がいる仲間に譲るとみんなはありがとなと言いながらそれを各々の相手にプレゼントをした。デニスのおかげで家族や恋人との仲が良くなったと彼らは感謝していた。


 でも、彼が毎日雑貨を買っておつりを貰うときに手が触れるだけで真っ赤になっているのを見て先はまだまだ長そうだなと大工仲間たちは思った。まわりから見れば少女の方も満更では無さそうに見えるけどデニスは気付いていないし温かい目で見守ろうというのが職場の仲間たちの総意であった。


 ある日、デニスは親方から呼び出されたので事務所へ行くと頑張って働いてくれているから昇給をしてくれるとの事で彼は驚きつつもとても喜んだ。このまま真面目に働いていけばいつか彼女の目を治してあげられるんじゃないかと思い、やる気が出た。


 今までの給料よりも大分良くなるので試しに彼女の目を治すためには幾らくらいかかるかを調べてみると彼が五年間きっちり働いてまったくお金を使わなければギリギリ出来るか出来ないかぐらいの金額で絶望した。相当な高給取りにならないと難しいけど彼の年齢と職業からすると期待出来なさそうだった。


 デニスは目を瞑って瞼の裏に焼きついた彼女の花のかんばせを想った。彼女のために何かをしてあげたいと真剣に考えたけど今日も良い案は浮かばなかった。



 ゾーイは毎日買い物に来てくれる紳士の事を考えた。彼はいつも優しい声でとてもあたたかくて大きな手をしている。おつりを渡すときに一瞬触れる手がなんだか嬉しくて、彼の事をもっと知りたいなと思った。他の人の事はお客様と呼ぶれけど彼の事は旦那様と呼んだ。でも、その事に彼は気付いていないようだった。


 毎日何らかの品物を買ってくれるからきっとそれを誰かにプレゼントしているんだろう。でも、彼に近付いた時にこの店の薄荷の石鹸の匂いがするのでそれは愛用しているんだなと思った。恋と呼ぶにはささやかすぎるものだったけれど彼と毎日言葉を交わせる事が彼女の楽しみだった。


 それからいくつかの季節が過ぎて、ゾーイは美しい少女から美しい女性へと成長していった。盲目の看板娘の事をよこしまな目で見るものも増えてきた。


 デニスは焦っていた。日々美しくなるゾーイにまた街の若者が告白をしたと聞いたからだ。初めて彼女を見た日から四年、デニスは毎日言葉を交わすし自惚れかも知れないが多分嫌われてはいないと思う。それでもデートの誘いすらできないのにゾーイがモテていると非常に心配になるのだ。今のところ全て断っているようだけどいつか誰かと恋に落ちて結ばれると思うと胸が痛かった。


 自分には学もないし容姿も良くない。高給取りでもなくて良いところといえば家事が得意なことと力持ちな事くらいだ。とてもあの美しい女性に釣り合う人間ではなかった。


 デニスはゾーイが求婚されたり何かを贈られりという事を聞くたびに落ち込んだ。親方からもうじうじしていないでさっさと告白しろとせっつかれていた。あまりにめそめそと彼が泣き言を言うものだから親方はゾーイに告白するまで戻ってこなくて良いと無茶苦茶なことを言い出した。生真面目なデニスは非常に困ってしまったがそこまで言われたら最早やるしかないと腹を括った。


「こんにちは、ゾーイ。今時間大丈夫かな?」


「こんにちは、旦那様。今ちょうど手が空いているので旦那様さえ宜しければお話相手になってくれると嬉しいです」


「もちろんだ!君の頼みなら何でも叶えてあげたいよ。もちろん、僕にできる限りだけれど…」

「うふふ、でしたらもう少し近付いてくれませんか?」


 予想外のお願いに驚きつつもデニスはゾーイとの距離を詰めた。彼女からさわやかな良い香りがした。きっとこの店で売っているすずらんの香水だろう。この雑貨屋の商品はあらかた買い尽くしたのでデニスは店員並に詳しくなっていた。


「あのね、君さえ良ければ今度一緒に出かけないか?」


「あら!旦那様。わたし、その言葉をずっと待っていたんですよ」


 ゾーイはとても嬉しそうに笑ってからデニスの手を握った。彼の手にすっぽりと入りそうな小さい手は温かくとても柔らかかった。デニスはとても嬉しくて舞い上がった。今ならきっと空も飛べそうだと思った。おれと彼女は両想いなんだ。世界がこんなに美しいと感じたのは初めてだった。


「ありがとう、ゾーイ。とても嬉しいよ。もし良ければなんだけど、僕とお付き合いして下さい。君の事がずっと前から好きだったんだ」


「勿論です。是非よろしくお願いします。あの、そうしたらお願いがあるんですけど良いでしょうか?」


「何だい?僕にできることであれば何でも言ってね」


「えっと、まずは旦那様のお名前を教えてください。あと、一輪の花を贈ってくださいませんか?わたし、ずっと憧れていたんです。好きな人から花を貰ってみたくて、少し子どもっぽいかもしれませんが…」


「僕の名前はデニスだよ。呼び捨てにしてくれて構わない。あと、絶対毎日花を贈るよ。ゾーイは何色の花が好きかな?」


「呼び捨てはちょっと緊張しちゃうのでデニスさんって呼ばせてもらいますね。あとお花は香りが良いものが好きですね」


 デニスはゾーイの目が見えないのに何色の花と聞いてしまった自分の愚かさを後悔した。そして、どうしておれは気が利かないんだと悲しくなった。


 ゾーイはデニスが手を握ったまま黙ってしまったのでどうしたのだろうと不思議に思って首を傾げた。


「デニスさん、どうなさいました?」

「いや、何でもないよ!明日の朝、花を持って行くから楽しみにしててね」

「はい、とっても楽しみです」


 帰り道でデニスは今日のやりとりを思い出して浮かれたり落ち込んだり忙しくしていた。微笑むゾーイの顔がすずらんの香りとともに思い出される。帰ったら枕にあの香水をひとふりしても良いかもしれないなと彼は思った。


 次の朝、デニスは大きな白百合を一本持って雑貨屋へ向かった。とても良い香りできっと彼女が喜んでくれるはずだと思った。あわよくばまた昨日みたいに手を握ったり出来たら良いなと考えたりした。


「おはよう、ゾーイ。これ、君にプレゼントだよ」

「わあ!デニスさん、ありがとうございます。すっごく素敵な香り、花びらは柔らかくて葉っぱもつるつるしてて楽しいです」


「気に入って貰えて良かった。これは白百合だよ。花屋でどんな花を贈ろうかすごく悩んだんだ」

「わたしはデニスさんが選んでくれるならきっと何でも嬉しいですよ」


 嬉しそうに笑うゾーイを見てデニスは胸がいっぱいになった。こんなに幸せな事があるなんて嘘みたいだと思った。


 そんなデニスたちの姿を遠くから見て大工仲間達はホッと胸を撫で下ろした。どう見ても両想いなのにちっともくっつかないのでみんなやきもきしていたのだ。


「あー、やっと付き合えたんだな」

「親方の無理難題もたまには役に立つな」


「誰が無理難題を言ったって?」

「あっ、親方!どうやら上手くいったみたいですよ!」


「お前今誤魔化したな。でもまあデニスとお嬢ちゃんがくっついて良かったな。これであいつの泣き言を聞かなくて済む」

「あー、そんな事言って親方すごく心配してたくせにー」


 親方はビリーの頭を強めにバシンと叩いてから荒っぽく現場の方へ引き摺って行った。それを見てロンは口は災いの元だなと思った。そんな彼らには全く気が付かずにデニスはゾーイと喋りながらふにゃふにゃとした顔で笑っていた。


 デニスは浮かれていた。自分でも分かるくらい顔が緩んでいた。こんなにしまりのない顔を見られたらきっと幻滅されるから今だけは彼女に見られなくてすんで良かったと思った。いずれは目を治してあげたいけどまだまだお金が足りないしより一層頑張って働こうと気合を入れた。


「ねぇ、デニスさん。わたし明後日がお休みなんです。だからもし都合が良ければ一緒にお出かけしませんか?」

「もももも勿論…!親方に休めるか聞いてみるよ」


 前言撤回、彼女とデート出来るなら仕事は絶対休むと決めた。基本的に風邪もひかないくらい健康なので仕事を休まないし他の人の代わりにも良く出ているので親方も駄目とは言わないだろう。普段真面目に働いていて本当に良かったと彼は思った。


 ゾーイと指切りをしてその手の白さと小ささにときめいた。こんなに楽しみな約束をしたのは生まれて初めてかもしれない。昨日の花を贈る約束もとても素敵だったけど明後日は彼女とお店の外で一緒に過ごせるなんて今からもう楽しみで堪らなくなった。


 デニスはいつもの倍くらいバリバリ働いてから休みをもぎ取り、スキップをしながら帰っていった。足から羽が生えているんじゃないかというくらいの浮かれっぷりで大工仲間たちは少し呆れたけど初めての恋なら仕方ないなと苦笑した。


 約束の日、雑貨屋の前で待つゾーイを見てデニスは思わず見惚れた。いつも可愛いけど今日はより一層可愛くてあんなに素敵な女の子がおれの恋人なんだと街中の人に言いふらして回りたいくらいだった。


 お店では見た事がない白いふんわりしたワンピースと焦茶色のブーツがとても良く似合っていて、それを自分とのデートの為に着て来てくれた事が心の底から嬉しかった。ゾーイに告白をして受け入れてもらった日からデニスは毎日幸せの最大値を更新していた。


「お待たせ。いつも可愛いんだけど今日はすっごく可愛い。こんな可愛い子とデート出来るなんて本当に幸せだ。これ、今日のデートの記念に花とあと他にもプレゼントがあるから手を出してくれないかな?」


「わあ!ありがとうございます!すごく良い香り。これは薔薇かしら?花びらがたくさんある種類ですね。すっごく素敵」


 そう言ってからゾーイは右手をデニスの方に向かって伸ばした。デニスは彼女の腕にビーズと麻紐で出来たミサンガを結んだ。


「あら、これは何かしら?ブレスレットですか?」

「これはミサンガといって自然に切れると願いごとが叶うと言われているアクセサリーなんだ。隣の国のお土産で結構有名なんだよ」


「まあ!素敵。どんなお願い事をしようかしら?たくさんあって悩んじゃいます」

「そんなにお願い事があるならまた贈るよ。足につけても良いみたいだよ」


「でも、ひとつだけのほうが叶いそうな気がするから厳選してお願い事してみますね。デニスさんからのプレゼント、とっても嬉しいです。デニスさんがお店で商品を買ってくれるのは嬉しいんですけど、実は贈る相手にちょっとだけ嫉妬してました。毎日プレゼントを渡すなんてきっとすごく仲の良い恋人がいるんじゃないかってずっと思ってました」


「あのね、ゾーイ。すごく恥ずかしい事を白状するんだけど、おれはずっと君のことが好きで君とお喋りしたくて毎日あの店に通っていたんだ。臆病で告白も出来なくて、でも君に会いたくて必要もないのに色んなものを買っていたんだ。明らかな女性ものは職場の仲間にあげてたよ。みんな奥さんや恋人がいるからね。もちろん石鹸なんかの日用品は自分でも使ってるよ。あの店の石鹸はすごく良い匂いで肌もすべすべになるから」


「あれ?デニスさんって一人称おれって言うんですね」

「あっ、今まで頑張って隠してきたのに…おれ、実はあんまり生まれも育ちも良くなくて、でも君に好かれたくて精一杯紳士のふりをしていたんだ」


「ふふふ、デニスさんって本当に可愛い人ですね」

「えっ、君の方がずっと可愛いよ」

「そう言うところも可愛くて好きです」


 デニスは嬉しくて恥ずかしくてくすぐったくて両手で顔を隠した。ゾーイはデニスが何かもぞもぞしているなと感じてその手をそっと外してその顔にぺたぺたと触れた。


「ねえ、ゾーイ?ちょっと触りすぎじゃないかな…?」

「実はこうすると、何となくですが顔かわかるんですよ」


「えっ、おれ、あんまり顔に自信ないんだけど…」


「どんな顔が素敵かっていうのは分からないんですがあなたの優しい声と温かい手がわたしは大好きです。顔も今触った感じだと悪くはないんじゃないかなって思いました」


「なら、良いんだけどさ。でも、どうせなら君に釣り合う見た目に生まれたかったなあ」

「わたしは見た目なんて気にしませんよ。だって、見えませんし」

 

 ゾーイはなんでもない事のように笑って言ったけどデニスはそれを聞いてまた自分の失言に落ち込んだ。


 その後、デニスとゾーイは手を繋いで公園を散歩してから演奏を聴きながら食事ができるという店で大きなミートパイを分け合って食べた。ゾーイはとても気に入ったようで興奮しながらこんなに素敵なところに連れてきてくれてありがとうと何度もお礼を言った。


 二人ははまわりから見たらとてもゆっくりだけど着実に仲を深めていった。


 そんなある日、商家の放蕩息子がこの街に帰ってきた。彼は雑貨屋の盲目の美しい看板娘の噂を聞いてやってきて彼女の顔をじろじろと無遠慮に眺めた。


「やあ、お嬢さん。俺と食事に行かないか?」

「あら、お客様。わたしは恋人がいるのでお誘いは全て断らせていただいてるんですよ」

 

 何となく感じの悪い人だったのでゾーイは素っ気なく断った。男は自分に自信があったため断られるとは思っておらず怒りをあらわにした。そして、嫌がる彼女の腕を無理矢理掴んでから頬を打った。


「こっちが優しくしてやってるのにその態度は無いだろ?どうせその身なりなら貧乏だし買ってやるよ。初めてなら割り増ししてやるよ」

「やめてください。ここはそういうお店ではありません。帰ってください」


「何だよ、目が見えないくせにお高く止まりやがって。こっちは力ずくで言う事を聞かせたって良いんだぞ?それならお前だって金がもらえる方がいいだろ?」


「おい、お前。ゾーイに何してるんだ!」


 騒ぎを見ていた隣のパン屋がデニスに知らせに来て、それを聞いて全力で走ってきたのだ。遠目でも明らかにゾーイは嫌がっており、その手を掴んでいる男を見てデニスは怒りで全身の血が沸騰しそうだった。


「誰だお前?今俺はこの女を買ってやるって話を」と男が喋り終える前にデニスは思い切り男を殴った。男は地面に勢いよくぶつかって鈍い音をさせた後そのまま泡を吹いて気絶した。デニスはゾーイの頬が少し赤くなっているのを見て倒れている男の頭をさらに踏んづけてからゾーイを抱きしめた。


「怖い思いをさせてすまない。おれがもっと早く駆けつけられたら良かったのに」

「いいえ、デニスさんはちゃんとわたしを助けてくれました。だから大丈夫です」


 そう言いながらもゾーイの肩は小刻みに震えていてデニスは怒りと悲しみでどうにかなってしまいそうだった。男が店の前で倒れているのも嫌なので片手でひょいと持ち上げてから河原に放り投げた。


 しかし、一応は金持ちの商家の息子なのでそのまま何事もなく終わるはずもなく、次の日明らかに金で雇われたゴロツキらしい男たちにデニスは囲まれた。


「お前、自分が何をしたか分かってるか?」

「生きてる価値のないくそ野郎をぶちのめしただけだ。何も悪いことはしてない」


「依頼人からお前を殺せと言われてるんだ。だから死んでも」と男が言い終わる前にデニスは腰から下げていたトンカチで男の頭を殴り、横にいた男を横から思い切り蹴った。もう一人も急所を蹴ってからトンカチで殴った。あっという間に三人の男たちを倒して他のゴロツキを睨むと蜘蛛の子を散らすように彼らは逃げて行った。


 デニスはそういうやつらを三回返り討ちにした。毎回容赦なくボコボコにして河原に放り投げた。彼はそれまでの人生で人に暴力を振るったことは一度も無かったが思った以上に自分が容赦なく他人を殴れることに驚いた。彼はゾーイが関わることだと全く冷静でいられなかった。ゾーイはそんな彼のことを心配したが鬼神の如き強さで毎回撃退している為に問題はなかった。デニスはこういう時だけは彼女の目が見えなくて本当に良かったと思った。こんなにも無慈悲に人に暴力を振るっているところを見せるわけにはいかなかった。


 親方や大工仲間も最初は気は優しくて力持ちを体現したような彼が喧嘩なんて出来る訳ないと思っていたがゴロツキを容赦なくボコボコにする彼を見て驚いた。大切な恋人のためなら何だってする彼の事をロンは素直にすごいなとも思った。


 ある日、この辺りではあまり見かけない身なりの良い紳士がデニスに話しかけてきた。


「君、ちょっと良いかい?」

「何でしょう?」


 デニスはいきなり声をかけてきた紳士に驚いたが鋸を引く手を止めて話を聞くことにした。


「この間、そこの広場で君がゴロツキたちを倒しているのを見たんだ。とても強いから傭兵かと思って探していたんだけどまさか大工だとは思わなかったよ。単刀直入に言うけど、うちの門番にならないか?君がいれば不埒な輩も入って来れない。文字通り鉄壁というやつだ」

「あの、おれはただの職人ですし旦那様のような立派な方のお屋敷で働けるような人間じゃないです」


「謙遜しなくて良い。給料も今の十倍出そう。他に手当ても付ける。また今度ここに来るから良く考えておいてくれ」


 そのまま紳士はふらりとどこかへと歩いていってしまって、取り残されたデニスは狐にでも化かされたのかと困惑した。それでも仕事を放り出すわけにもいかないので止まっていた手を動かし始めた。


 その日の仕事が終わってから親方にこんなことがあったと言うと、詳しく聞かせてくれと言われたので昼間の紳士の事を説明した。


「デニス、お前はすごく良く働く職人だし人柄もいい。俺はお前のことを気に入ってる。でも、話を聞くにその仕事に転職した方がお前のために良いだろう。今のうちの給料じゃお嬢ちゃんの目を治すのに何年もかかっちまう。でも、その仕事ならきっとすぐ治してやれるぞ」


「でも、おれはこの仕事が好きですし、いきなり辞めたらみんなに悪いですよ」


「お前さぁ、ほんと馬鹿だよ。俺ならそんな良い話があったら誰かに相談せずに飛びついちゃうよ」

 事務所の入り口からビリーがひょいと顔を覗かせた。その後ろにはロンもいた。


「なあ、デニス。お前は喧嘩がめっぽう強いからきっとその仕事向いてると思うぞ。ゾーイちゃんだってずっと待ってたんだから早く一緒になりたいだろ?」


「いや、おれはまだ半人前だから結婚なんて」

「ダメダメ、あんな可愛い子なんだから早くプロポーズしちゃいな。誰かに掻っ攫われる前にちゃんと結婚した方が良い」


「そうだそうだ。俺たちの少ない給料からお祝いだって弾むぞ」


「おいビリー、少ない給料で悪かったな?」


 親方がビリーを睨むと彼はヒェッっと言ってから黙った。デニスは大工仲間たちの優しさに泣きそうになった。彼らに背中を押される形でデニスは紳士の家の門番になった。


 デニスはゾーイに転職したことを告げ、お金が貯まったら一緒に住もうと提案した。ゾーイは頬を赤く染めて頷いた。


 紳士の家の門番は思っていたよりも暇で、たまに来る柄が悪い人間もデニスの見た目と鬼のように強いという噂をきくとすごすごと帰っていった。それでも給料がすごく良くてこんな幸運な事もあるんだなと彼は思った。


 紳士はこの家の新しい門番の方をチラリと見てから良い人材を見つけたなと思わず口元が弛んだ。そんな彼を見てこの家の家令は声を恐る恐る声をかけた。


「旦那様。彼はなかなか働き者で良い拾い物でしたね」

「ああ、快くこちらに来てくれてよかったよ。あまり手荒なことはしたくないからね。気持ちよく働いてもらうのが一番だよ」


「そうですね。それに強くて真面目ですし口も堅そうですね」

「彼の良いところは大切なものがある事だ。そういう人間はとても良く働く。あのボンクラ息子の家は潰したしこれからはそんなに困ることも無くなるだろう」


 旦那様は物腰はとても柔らかいが恐ろしい人だ。先代が若くして亡くなったのは事故や病気でなくきっと彼の仕業だろう。冷たく整った容姿がまた彼の凄みを増していた。いつも微笑んでいるのに人を寄せ付けない何かが確かにあった。あの人の良さそうな新しい門番にはなるべく長く勤めてもらいたいと家令は考えた。


 季節が二つ変わる頃、ゾーイの目を隣の国の魔法使いに依頼して治してもらった。デニスは魔法というものを初めて見たが、あれは本当に奇跡としか言いようが無かった。黒いローブを着た魔法使いの手から白い光がぽわんと灯って、ゾーイの瞼がゆっくりと開いた。そこには今まで隠されていた翡翠のような美しい瞳があった。普段、目を瞑っていても可愛くて仕方ないのにこんなに綺麗な瞳を見たら今以上に男たちが放っておかないのが目に見えるようだった。


 ゾーイがぼやけた視界で生まれて初めて見たのは愛しい彼の顔だった。予想通り、とても優しい顔だった。うふふと微笑むとデニスは心配そうに言った。


「やっぱり変な顔だった?」

「いいえ、思った通りでした」

「それってどういう意味…?」

「そのままの意味ですよ?」


「うーん、なんだか引っかかる言い方だなあ。あ、君はとっても美しい瞳をしているね。思わず見惚れちゃったよ。こんなに綺麗で可愛い人がおれの恋人なんて未だに信じられないよ」


「ねえ、デニスさん。わたし、目が見えるようになったらなりたいものがあったんです」


「えっ、何?」


 ゾーイはジャンプしてデニスの首に抱きついてからその頬にキスをした。


「デニスさん、わたしと結婚してください。わたしをあなたのお嫁さんにしてください」


「えっ、それ君の方から言っちゃうの?答えはもちろんイエスなんだけどおれがプロポーズしたかったというかなんというか」


「なら、デニスさんからもプロポーズしてくださいよ」


 デニスは徐に近くの地面に生えてた白詰草を引っこ抜いてゾーイに手渡した。


「ゾーイ、おれと結婚してください。一緒に幸せになろう。君のためならおれは何だってできるよ。本当に何だってできる」


「はい。これからも毎日花を贈ってくださいね」


「もちろんだ。君のために毎日花屋に行くよ。ああ、こんなに幸せで良いんだろうか」


「幸せで良いじゃないですか。デニスさんは控えめだからもっと欲張っていきましょう。これからもずっと一緒いてくださいね。あなたの幸せがわたしの幸せです」


 ゾーイはそう言って微笑み、デニスは彼女を抱きしめて彼女から見えないように嬉し泣きをした。ゾーイは彼が泣いているのがわかったけれど気付かないふりをした。本当に可愛い人だと思った。こんなに幸せで良いんだろうかというのはむしろ彼女のセリフだった。一生治らないと思っていた目が見えるようになって、世界で一番素敵な旦那様と結婚できるなんて夢のようだった。


 ゾーイはにっこりと微笑んでからデニスの頬にキスをした。彼から貰ったミサンガは少し前にぷつりと切れて、彼女の願いが完璧に成就した事を現していた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 愛を試されそうな展開があっても、ひどいことにならず、基本的にほんわかしていて温かい良いお話でした。
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