side:ジョルナ
重たい扉が閉じる音が、背後で響く。その瞬間、外の世界とのつながりが断ち切られたような気がします。
理不尽い囚われてから何日が過ぎたでしょう。曖昧になるくらいの時間が過ぎたようにも感じますし、実はつい先日のことだったのかもしれません。
どちらであれ、ついに私は審問の場へと引きずり出されることになってしまいました。
冷たい石の床、均一に並んだ蝋燭の光、無表情な聖職者たち──。
どれも見慣れているはずなのに、今日はすべてが遠くに感じます。
私の席は、審問官たちを見上げる位置にある。
まるで罪人のようです。
いや、実際そう扱われているのでしょう。突き刺すような視線が、司法から私に降り注いでいます。
壇上の中央、審問長であるエギドナ老がゆっくりと立ち上がりました。
「時間である。これより、ジョルナ・シャトーの審問を始める」
厳かに審問長の声が響きました。
「ジョルナ・シャトー。汝にはジューダス枢機卿殺害の容疑が掛かっている」
「私はジューダス卿を殺害などしておりません」
わずかにざわめきが走る。それは「嘘をつくな」と言わんばかりに侮蔑の込められたざわめきでした。
そんな中で審問長は表情を変えず、淡々と続きを告げた。
「この場で発言を許されるのは、神と真実に誓って語る者のみ。虚偽を述べた場合、聖法に基づきより重い罰となる」
「虚偽? 虚偽ですって!? 私は嘘偽りなど申しておりません!」
手を縛る鎖が、かすかに鳴った。
私はジューダス卿を殺していない。
その一点において、迷いはない。
けれど、私を見つめる審問長や審問官の目は、あまりにも冷ややかでした。
これは……これではまるで、最初から──。
「では問おう」
そんな私の脳裏に浮かんだ疑念を拡散させるかのように、審問長の声が周囲の壁に反響します。
「ジューダス卿が殺害された凶器は、前教皇猊下ファーティア様の叙任の銛であった。聖職者が召された際、その遺物は親族の手に渡るのが通例である。それが凶器に使われたのは何故か」
「前教皇猊下の──父の叙任の銛は、ジューダス卿にお渡ししておりました。一介の信徒である私は、父とはいえ教皇猊下の葬儀に参列はできません。故に、父の棺に叙任の銛を収めてほしいと、ジューダス卿にお願いしたのです。それが何故、ジューダス卿殺害の凶器に使われたのかは……私にもわかりません」
「なるほど。では、この者の話を聞いてもらおう」
「え……?」
話を聞く? いったい誰に? なんの話を聞こうと言うの?
こんな冤罪極まりない審問裁判もどきに、誰であろうとまともな証言なんてできるわけがない。
「あなたは……!」
そう思っていたけれど、審問所の扉を開いて入室してきた人物の姿に、私は言葉を詰まらせた。
「て、テレイズ……さん……?」
入室してきた彼の姿に、私の心は一瞬だけ安堵に揺れました。ジューダス卿の最も近くにいた彼なら、私が無実であることを十分に理解しているはず。
そう思ったのです。
けれど、証言台に立ったテレイズさんは、私と一度も目を合わせようとはしませんでした。
「司祭テレイズよ。汝はジューダス卿の側近として、この者の地上での動向を把握していたと聞いている。そなたが把握している事実を述べよ」
審問長の問いに、テレイズさんは沈痛な面持ちで深く頷きました。
「……はい。ジョルナ様が地上へと発たれた際、私は卿の命を受け、彼女の動向を見守っていたのです。ですが、そこで私は信じがたい事実を……いえ、ジョルナ様の裏切りを、知ってしまったのです」
「裏切り……ですって!?」
思わず叫んだ私を、審問官たちの冷ややかな視線が射貫きました。
けれど、だからと言って黙ってはいられません。いったい彼は、なんのことを言っているの? さっぱりわからない。
「ジョルナ様は地上に滞在中、厳格主義派の過激な信徒たちと人目を忍んで接触していたのです。その際、言葉だけでなく何かしら物品のやりとりも行っていたようで……そうでなければ、厳格主義派の信徒たちと会合する必要などありましょうか?」
地上での密会? 厳格主義派の過激な信徒!? それはもしかして、イリアスさんたちに助けられた、あのときのことを言ってるの?
でもあれは、見ていたとするのなら、とても密会などと呼べるものではないことなど、一目瞭然ではありませんか!
「何を仰っているのです、テレイズさん! 私は──」
反論の言葉は、しかし審問長が打ち鳴らした木槌の音でかき消されてしまいました。
「さらに、昨晩のことです」
私の反論は却下され、代わりにテレイズさんの〝証言〟が続きます。
「物音に気づいてジューダス卿の寝室へ駆けつけた際、私は廊下の先を曲がる後ろ姿を目撃しました」
「……それは、誰だったのだ」
審問長が身を乗り出します。テレイズさんは一瞬だけ、躊躇うように私の方へ悲しげな視線を向けました。
「……暗がりでしたし、顔をはっきりと見たわけではありません。ですが、あれは……女性らしき人影でした。背格好や、あの独特の歩き方は、私の知る限り……ジョルナ様に、酷く似ていたのです」
審問所内が、一気にざわめきに包まれました。
テレイズさんは、私──ジョルナを見たとは言っていない。あくまで「自分が見たのは女性の影だった」と曖昧にしています。
でも、それが「嘘をつけない誠実な目撃者」としての印象を、審問官たちに植え付けたのです。
「ジョルナ様、どうして……。卿はあなたを、本当の娘のように慈しんでおられたというのに……!」
顔を覆い、涙を流すテレイズさん。その姿に、審問官たちは確信したようでした。
でっち上げられた地上での密会、そして殺害現場での目撃証言。
そのどれにも客観的な証拠などないのに、〝テレイズ〟という「身内」の証言によって、逃れられない真実として私に覆い被さってきます。
「……もう十分だ。ジョルナ・シャトー。汝の不敬と大逆、もはや弁明の余地なし」
審問長が、宣告のための木槌をゆっくりと持ち上げました。
冤罪が確定する。
その時です。
「遅くなった」
この絶望的な状況の中、審問所の分厚く重い扉を開いて、一人の男性が入室してきました。
「ウォーレス卿……」
誰であろう、この場所に今までいなかった厳格主義派のウォーレス・ファクマ枢機卿その人です。
今まさに私への判決が下ろうかというタイミングで、どうして彼が現れるの……!
「ウォーレス卿、このような大事な審問で遅れてくるとは何事か」
「予期せぬ来客があったのでね、そちらを優先したまでのこと」
「客だと? 枢機卿殺害の容疑者審問以上に大事な客がいると、君は言うのかね?」
「……それよりも、ここへ入出する直前に面白い話が聞こえていたが」
そう言いながら、ウォーレス卿は書記官が記していた記録書を手に取り、その内容にザッと目を通しました。まがりなりにも厳粛な審問の場において、こうも不遜な態度を貫けるのは驚嘆に値します。
私とウォーレス卿の間には、明確な接点はありません。彼は厳格主義派でもかなり力を持つ枢機卿だと、そう聞いている程度です。
そんなウォーレス卿の人柄は、伝え聞く限りではまさに〝厳格〟。教義を重んじ、内容の解釈に一切の妥協を許さない人物だと聞いています。
だからこそ、教義に反する行いには容赦はありません。
そんな彼が何を言い出すのか……少なくとも、私の利となることを言い出すとは考えられません。そもそも、彼が私の救いとなるようなことを言う理由も、必然性さえもありませんもの。
「そこの証人によれば、被疑者は地上へ赴いた後、厳格主義派の過激な信徒たちと人目を忍んで接触していたのだな? では聞くが、その信徒が何故、厳格主義派の信徒だと断言できるのだ?」
「それは……集会の中で、厳格主義派の席にいたのを見たことがあったからでございます」
「これが厳粛なる審問の場における質問だと心得よ。嘘偽りあれば、証人といえども罰を受ける。その覚悟があって断言するのだな?」
「待たれよ、ウォーレス卿」
テレィズさんへ詰問するウォーレス卿へ、審問長が待ったを掛けました。
「此度の審問は、被告人ジョルナによるジューダス卿殺害の一件である。地上で会った人魚族が何者であろうと、ジューダス卿殺害に関わりが在るとは思えぬが?」
「何を言うか。証言者の発言を聞いていなかったのか? ジョルナは厳格主義派の信徒と密会した際、紛失した宝珠についてのやりとりをしていたと証言したのだ。ならば、ジョルナは宝珠の所在についてなんらかの情報を得ている可能性が高いではないか!」
ウォーレス卿の言葉に、審問官たちの間にざわめきが起きました。
確かに、テレイズさんの証言を信じるというのなら、そういうことになるのでしょう。
ですが、その証言は間違っているのです。
私は厳格主義派の信徒に襲われたのであって、密会をしていたわけではありません。何より、宝珠についてたった一言でさえ交わしていないのです。
なのに、宝珠について何を語れると言うのでしょうか。
何も言えません。だって、本当に何も知らないのですから。
──いえ。
ここにいる全員が、宝珠について語れることなどないはずです。
何故ならば、誰一人として──それこそ亡くなった前教皇である私の父でさえ──海神教に伝わる伝説の宝珠がどのような代物なのか知らないのです。
海神教に伝わる宝珠は秘宝です。たとえ教皇であろうとも、直に見ることが許されない代物なのですから。
「ようやくわかったか。この審問会は、十把一絡げの枢機卿殺害の罪について論じる場ではなくなっている。失われた聖なる宝珠の所在がわかるかもしれない、千載一遇の機会となっているのだぞ」
そんな私の困惑を他所に、ウォーレス卿は並み居る審問官を一瞥して断言しました。
確かに、テレイズさんの証言を信じるならばそういうことになってしまいますが……。
「証人よ。汝は先ほど、ジョルナが厳格主義派の信徒と密会し、宝珠について何らかのやり取りをしていたと言ったな?」
その声は低く、しかし審問所内の隅々にまで響き渡るほどの威圧感を孕んでいました。
「は、はい。間違いございません。私はこの目で、彼女が厳格主義派の装束を纏った者たちと、何らか密談をしており、その際に宝珠という言葉を──」
「白々しい嘘を吐くものではない」
ウォーレス卿の鋭い一喝が、テレイズさんの言葉を遮りました。彼は懐から一通の書状を取り出し、それを審問長の机に叩きつけます。
「これが、当該期間における我が派の地上派遣記録の写しだ。そこに記された名はゼロ。つまり、その期間、ジョルナが接触できる『厳格主義派の信徒』など、陸地には一人も訪れてはいない」
「そ、それは……彼らが勝手に……」
「規律を重んじる厳格主義派の者が、法を破ったと?」
ウォーレス卿の目が、獰猛な肉食獣のように細められました。
「それとも貴公は、厳格主義派の遵法精神などその程度だと、この聖なる審問の場で断言するつもりか?」
「そのようなことは……ただ、厳格主義派の信徒と言えども差はございましょう。誰も彼もがウォーレス卿ほど熱心であるとは限りますまい」
「殊勝なことだ。だがテレイズ司祭、貴公……いつから私と対等に言葉を交わすほど、肝が据わるようになったのだ?」
「……は?」
「貴公のことを何も知らぬと思ったか? ジューダス卿に付き従って、腰巾着のようにいつも側にいるのだから、嫌でも目に付く。そんな貴公は、私の前でいつも汗を拭い、目を泳がせ、声の一音目すら掠れさせるような気弱な男だった。それがどうだ? 今は私の詰問を淀みない口調で受けて立っている。まるで人が変わったようだ」
言われてみれば……そうかもしれません。私が知るテレイズさんも、ウォーレス卿が言うように枢機卿などの階位の高い信徒を前にすれば気後れするような人でした。
なのに今の彼の落ち着き払った態度は、全く別の人のようです。
「……身近な主を亡くした悲しみが、私を変えたのかもしれません」
「人の本質など、そうそう簡単に変わるものではない。身近な人物の死に接してすぐに変わるようであれば、そもそも救いを求めて神を信奉する必要などなかろう」
ウォーレス卿はそこで言葉を切り、相手の耳元で囁くように身を乗り出しました。
「……貴公は本当に、テレイズ司教なのか?」
「なっ……!?」
それは……どういうこと? 彼はテレイズさんではないの?
私の目には、どこをどう見てもジューダス卿の付き人をしていたテレイズさんにしか見えません。
けれど、ウォーレス卿の前には彼ではない、他の誰かに見えているとでも?
「……何を、そのような妄言……!」
テレイズさんの顔が、一瞬だけ醜く歪みました。
それは恐怖ではないように見えました。むしろ、自らの深部、あるいは秘部をのぞき見られたことに対する不快感のようでもあります。
「ウォーレス卿、何を仰っているのです。わたくしはテレイズ・アレジオでございます。それ以外の何者だと仰りたいのですか。そのような戯れ言、枢機卿とて許されるものではございませんぞ」
「私の発言を戯れ言と断ずるならば、貴公が盗み見たというジョルナと厳格主義派の信徒の間で取引されていたものが、海神教の聖なる宝珠であると断言した理由を述べてみよ」
「あ……」
思わず、私自身もハッとさせられました。
確かに、テレイズさんの証言が正しいのならば──私が厳格主義派の信徒と密会し、宝珠のやりとりをしていたと言うのなら──どうして彼が、その物品が〝宝珠〟だと断言できるのでしょう。
誰一人としてその姿形をみたこともない秘宝を、何故彼は知っているの?
「……っ! そっ、それは、先ほども申し上げた通り、密談の中でその名が出たもので、そうなのだろうと……!」
テレイズさんは声を荒らげました。
ですが、ウォーレス卿は鼻で笑い、さらに一歩、逃げ場を塞ぐように距離を詰めます。
「名が聞こえれば、それが秘宝だと信じ込むのか? 笑わせるな。貴公は確信を持って『宝珠』だと言い切ったのだ。あたかも宝珠がどのような形をしているのか、あらかじめ知っているかのようにな!」
ウォーレス枢機卿が言い切った直後、審問所内を不気味な沈黙が支配しました。
壇上のエギドナ老が、持っていた木槌を床に落とす乾いた音が響きます。
審問官たちは、幽霊でも見たかのような顔で、証言台の男を凝視しました。
「……テレイズ司祭」
エギドナ老の、氷のように冷え切った声が響きました。
「ウォーレス枢機卿の言葉は、確かに納得できるものだ。飛躍も憶測もない。ならばこそ、汝は自らの証言に嘘偽りがないと改めて証明せねばならん。ウォーレス卿の問いに答えてみせよ」
「それは……その……!」
テレイズさんの顔が、みるみるうちに土気色に変わっていきます。その表情が、ウォーレス卿に反論する言葉を持ち得ないことを証明していました。
私を罪人に仕立て上げ、ウォーレス卿を論破しようとするあまり、本来ならば誰一人として知りようもないことを口走ってしまったのですから当然です。
「……答えよ、テレイズ司祭。汝は、いかにしてその秘宝を知った」
エギドナ老の重い言葉が、逃げ場を失った男へと突き刺さり、テレイズさんの肩が小さく震えていました。
ですが、それは恐怖による震えではありませんでした。
「ふ……ふふふ……」
静まり返った審問所に、場違いな低い笑い声が漏れました。
テレイズさんは項垂れたまま、まるでおかしくてたまらないといった様子で肩を揺らし、やがてゆっくりと顔を上げたのです。
その顔に、先ほどまでの怯えや「誠実な目撃者」の面影は微塵もありませんでした。 宿っているのは、他者を見下し、踏みにじることに慣れきった、傲慢そのものの輝き。
「……さすがはウォーレス卿だ。これほど見事に、私の綻びを突いてくるとは。……認めよう。テレイズならば、決してその『名』は知らぬはずだ」
その声が響いた瞬間、審問官たちの間に悲鳴に近いどよめきが走りました。
声が……違う。
テレイズさんの声なのに、その発声、抑揚、そして他者を威圧する響きは、誰よりも聞き慣れたあの人の声……!。
「あ、あなた、は……」
私の震える声に、男の瞳が向けられました。
「ジョルナ。お前が、前教皇の娘などという立場でなければ、このような茶番で幕引きにする必要もなかったのだがな」
男は証言台の柵から手を離すと、ゆったりとした仕草で、自身の胸元の内側へと手を入れました。
「ウォーレス卿。貴公の言う通りだ。人の本質はそう簡単に変わるものではない。……ならば、この肉体が今、私の意思で動き、私の言葉を紡いでいるという事実。それこそが、主神ティアマトから授かった宝珠の権能なのだ」
彼が取り出したのは、鈍い光を放つ、吸い込まれるような深青の石──。
「やはり貴様は……!」
ウォーレス卿が目を見開き、一歩前へ出ます。ですが、テレイズの皮を被ったジューダス卿は、宝珠を弄びながら審問官たちを冷徹に見下ろしました。
「ジョルナを処刑し、その不敬な企てに手を貸した厳格主義派をこの聖教から一掃する。そのための舞台として、これ以上の場があるかね?」
男は歪な笑みを浮かべ、確信に満ちた声で告げました。
「死んだはずのジューダスが、忠臣の肉体を得て奇跡の復活を遂げた。これほど民衆を心酔させ、権力を盤石にする物語が他にあるだろうか? ウォーレス卿、貴公もその輝かしい新時代の礎となってもらおう!」
「やかましいわーーーーーーーっ!」
直後。
テレイズ……いえ、ジューダス卿の顔面に、どこから入ってきたのか、イリアスさんの跳び蹴りが炸裂しました。
……え? 何事ですか?




