第十一話 世界を隔てる壁
ジョルナが連れ去られてすぐ、あたしは行動に移した。向かった先は、マリナード海教国に入国した際に潜水艇を係留している港だ。
昨晩、ティアとエオルは戻ってこなかった。潜水艇の整備をする、とエオルが言ってたのでそういうことをしていたんでしょう。で、ティアはその付き添い。
いやホント、エオルにティアを付けといてよかったわ。
おそらく、ジューダス卿殺害の報はティアとエオルの耳にも届いているはず。もしかすると、衛兵隊の兵士が直接出向いているかもしれない。
いやだってほら、あたしたちは曲がりなりにも〝容疑者〟たるジョルナの関係者なわけだし? 衛兵たちから目を付けられていてもおかしくないわよねぇ。
だから、心配なのよ。
ティアが何かやらかしてるんじゃないか、って。
「あ、姐さん」
杞憂だったわ。
あたしが港に赴いた時には衛兵の姿は無く、エオルとティアは潜水艇内部にある簡易な食堂で遅めの昼ご飯を食べていた。
なんかこう……何事もなかった日常の光景ね、これは。
「もしかして……知らない?」
何が、とは言わずに聞いてみれば、エオルから「ジョルナさんが枢機卿を殺した件ですかい?」と返された。
知ってたんかい。
「さっきまで衛兵の人たちが来てたんですよ。ジョルナさんがジューダス枢機卿殺害の容疑で逮捕したって。なので、あっしらはとっとと地上に帰れ──って言ってましたぜ」
「それだけ?」
「っすね」
ちらっとティアにも目を向ければ、こっちの話をまるで聞いてないかのようにパンを囓ってた。わざわざ報告するようなことは何もなかったってことらしい。
どうやらエオルたちの所に来た衛兵は、ジョルナを捕らえた事実を告げて退去を言い渡しに来ただけみたいだ。エオルやティアに、尋問や事件に関する取り調べやら何やらはしてないっぽい……ってことは、衛兵全体がジョルナの件に疑問を持ってるのかもしれないわね。
ふむ……。
どうやらアウザーさん個人だけではなく、衛兵全体で今回のジョルナの身柄拘束には疑問を抱いているんじゃないかしら。でなけりゃジョルナと深い関わりがあるあたしたちを、こんな簡単に放置しないと思う。
こうなると、ますますジョルナの身柄拘束には裏があるように思えてならない。
じゃあ誰が裏で糸を引いてるか──って話になるんだけど、短絡的に考えれば厳格主義派の謀略って線が一番高そうだ。
でも……しっくりこない。
そもそも衛兵全体が疑念を抱いているように、ジューダス卿殺害の犯人はジョルナではない。イコール、厳格主義派の犯行だと市井の人々は見ていると思う。
そもそも、ジューダス卿殺害直後の有力容疑者は厳格主義派の枢機卿ウォーレスって人だったわけだしね。
それでいて『ジューダス卿殺害の真犯人はジョルナでした』となったところで、厳格主義派の名誉や支持が回復する可能性は低そうだ。
……うん。
ジューダス卿が明らかに〝他殺〟とわかる状況で死亡した時点で、厳格主義派に対する国民からの支持は地に落ちている。
そう考えれば、ジューダス卿死亡で得をするのは自由穏健派の方……?
「それはそうと契約者殿」
あたしが思考の深みにはまっていると、パンを食べ終えたティアがまるで世間話をするかのような声で話しかけてきた。
「何よ」
「昨晩、ほんの一瞬だけ妙な気配を感じなかったか?」
「あん?」
昨晩? 一瞬? 妙な気配?
いったいなんのことを言ってるの?
「別に何も感じなかったけど……あんたは何を感じたってわけ?」
「異界断絶の要石」
「はぇ?」
なんなの、藪から棒に。そもそも、異界断絶の要石の気配って何?
「ちょっと待って、どういうこと?」
ティアの話だと、異界断絶の要石は気配らしい気配が〝ない〟って話じゃなかった? 触れることはできるし見ることもできるけど、ふと気を逸らすと忘れてしまうような、存在自体が曖昧な代物って話じゃなかったっけ?
「それは要石そのものの話だ。要石がその能力を発現すれば、なんというか、通常では有り得ないような〝揺らぎ〟が起きる。その揺らぎを感じたような気がするのだよ」
「……ちょっと待って」
つまりティアは、その〝揺らぎ〟とやらを感じ取ったわけだ。
それも、昨晩。
言うまでもなく、昨晩はジューダス卿が何者かに殺害されている。その反抗が行われた時間ぴったりがどうかは別として、要人の殺害と行方不明になっている異界断絶の要石が使用されたらしい〝揺らぎ〟が、同じようなタイミングで発生しているのは……偶然の一言で片付けるには難しい。
……ジューダス卿の殺害には、異界断絶の要石が使われた?
「ティア、もう一回、異界断絶の要石がどういう代物なのか教えて。できる限り正確に、詳しく」
「うん? そうさのう……異界断絶の要石は異世界とこの世界を隔てる結界を形成する要の石であり、魔力を含むあらゆる〝力〟を励起させてしまう──というのは、前に話したと思うが」
「だから、それをもっと詳しく。異世界とこの世界を隔てる結界って何? そもそも〝異世界〟ってなんなのよ」
「む? むぅ……そこを突っ込まれると妾も困るのだが……そうさのう、例えば、今ここに妾と契約者殿とドワーフの娘がおるであろう? 各々がそれぞれ別個対であり、決して同一のものではない。それは互いの境界線がハッキリと、そして強固に隔てられておるからだ。異界断絶の要石はその隔たりを自在に操れる道具というわけだ。……これでわかるかのぉ?」
ん……んー……いや、ちゃんと考えよう。なるほどわからん、で済ませるべきことじゃない。
「つまり……異界断絶の要石は、この世界と別の世界の境界を操ることのできる道具──って考え方でいいのかしら? 明確に区切られていて、決して交わることのない絶対的な境界線をぼかしたり強固にしたり……みたいな?」
「おお、そうそう。そういうことだ。さすが契約者殿、理解が早い」
……マジで?
「なンすか、それは。本当だとしたら、そりゃどういう仕組みでできてるんですかね?」
そんなこと言われても、あたしにだって分かるわけがない。とてもこの世の常識が通じそうな代物とは思えないじゃない?
だから、その仕組みやら誕生秘話やら、興味はあるけど考えたって仕方が無いことは考えないようにしよう。
それよりも──。
「ねぇ、ティア。あんた前に、あたしが異界断絶の要石のことを聞いた時、石そのものにも相応の力が宿ってるとか言ってなかった? なんだっけ……魔力じゃなくて──」
「霊子のことか?」
「そう、それ。つまり、昨晩あんたが感じた〝異界断絶の要石の気配〟ってのは、その霊子で増幅された魔力の気配ってこと?」
「いや、あの感じは……うむ、契約者殿の言葉で確証を得たが、霊子そのものの揺らぎであったな」
「それを、あんたは感じ取れるってわけ?」
「んむ。妾でなくとも、同類のヨルムンガンドやその他の兄弟姉妹なら感じ取れるぞ。さすがに忌神が現れるほど大きな揺れではなかったから、まぁ、近くにいれば、だがな」
「霊子そのものの揺らぎ……」
そんなもんを、こいつは「妙な気配を感じなかったか?」と聞いてきたのか。
わかるわけないでしょ
ただ……だとすれば、だ。
「その霊子ってのが、異界断絶の要石が持つ機能のエネルギー源って考え方でいいのよね?」
「んー……おそらく?」
「はっきりしないわね」
「妾とて異界断絶の要石については詳しくないのだ。ルティーヤー様から保管を頼まれたものだからのう。詳しく知りたいのであれば、後日ルティーヤー様に伺ってみれば良いのではないか?」
いや、それじゃ遅いのよ。
遅いから、今は霊子=異界断絶の要石の〝世界を隔てる力〟の源と仮定として行動するしかないわね。
やっぱり、どう考えてもジューダス卿殺害の件に異界断絶の要石が関係しているでしょう。あまりにもタイミングが合いすぎている。
けど、いったいどういう風にして使った?
魔法の威力を増大させたわけじゃない。
それはティアの証言からも間違いないし、そもそもジューダス卿の殺害方法は刃物──叙任の銛が使われている。そこに霊子などという謎エネルギーが介入する余地はない。
殺害に直接的に使ったわけじゃない……の、かしら?
じゃあ、なんのために使った?
死体を隠すため? いや、死体は残ってる。
殺害方法を誤魔化すため? でも、刺殺なのは一目瞭然だったじゃない。
他に考えられる可能性は……異界断絶の要石を使う理由……世界を隔てる力を、使う……世界……隔てる……隔てる?
「まさか……!」
ひとつ、突拍子もない理由を思いついてしまった。
けど、そんなことが可能なの? いや、可能だったとしても、そんなことをやろうと思う考えに至る理由が理解できない。
少なくとも、あたしはやりたくない。
けど、でも、もし──あたしが思いついたことを実際に行ったのだとしたら?
「誰が誰に殺されたかじゃない。誰が誰を殺したか、ってことか……」
だとしたら犯人は……いやでも、まだ確証は持てない。いろいろと確かめなくちゃいけないことがある。
「……姐さん、なんか気づいたんですかい?」
不意に、あたしの表情を見ていたエオルがそんなことを言い出した。
「気づいたっていうか……ひとつの可能性にね、思い至っただけ。だから、その可能性を確かめなくちゃいけない」
その結果、あたしの勘違いだった──ってことも十分に有り得る。ジョルナが犯人の濡れ衣を着せられている今、違ったら取り返しの付かないことになるかもしれないけれど、他に思いつく可能性がないのだから、この考えに賭けるしかない。
「二人にも、ちょっと協力してもらいたいことがある。いいかしら?」
「異界断絶の要石を取り戻すためならば、妾に否応もない。何より、契約者殿には逆らえん」
「あっしはいまいち状況が理解できちゃいませんが……ま、姐さんのやることだ。面白そうなんで協力しやすぜ」
ティアはともかく、エオルはなかなかに豪胆ね。さすが、師匠の孫娘だわ。
「それじゃ、これからの役割について説明するわ」