第十話 祈りの力
ジューダス卿が死亡したという話に、偽りはなかった。
遺体が発見されたのは彼の居室。より正確に言えば、寝室になるのかな?
今朝方、あたしとジョルナにジューダス卿の死亡を伝えに来た従者のテレイズくんが、ベッドの上で胸を刺され、事切れたジューダス卿を発見したようだ。
場所が場所だし、状況が状況だから見間違いや勘違いってことはない。確実にジューダス卿は死んでいたわけだ。
「ああ、ジューダス卿……何故こんなことに……」
ジョルナが顔を覆い、嗚咽交じりに答えの出ない自問を繰り返している。
無理もない。
どうやらジョルナはジューダス卿の庇護下にあったようだし、いろいろと恩を感じることも多々あるんでしょう。
そんな人物が、自分が帰還した日の晩に殺された。
そう、殺されたのだ。
そりゃあそうでしょう。心臓まで届くほど深く胸に刃物を突き刺されていたって話だし、どう考えても病気や自死の可能性は皆無だ。
第三者の手による凶刃で命を奪われたのは間違いない。
「犯人の目星はついてるの?」
嘆くジョルナに慰めの言葉も頭に浮かんだけれど、それよりもジューダス卿殺害の犯人を突き止めることこそが何よりの慰めになると思う。
そう思って問いかけてみれば、ジョルナの表情はますます曇ってしまった。
「それが……卿のお命を奪った刃物は特殊なもので……」
「特殊?」
「叙任の銛──と呼ばれる、枢機卿になる者へ猊下から下賜される儀礼用の銛です」
「儀礼用……」
「はい。海神教では、銛は生命の象徴とされているのです。この国をご覧頂いた今ならおわかりかと思いますが、得られる糧は海産物しかありません。そんな命を繋ぐ海産物を獲る銛は、とても大事なものとされているのです」
そんな儀礼用の銛で、ジューダス卿は殺された……。
命を繋ぐ神聖な道具で命を失うなんて、なんとも皮肉な話……ん?
「叙任の銛……って、枢機卿になったときに教皇から賜るのよね? てことは、それを持ってる人って限られるんじゃない?」
「……ええ」
まさかジューダス卿は、自身が賜った叙任の銛で殺されたわけじゃないでしょう。
話を聞く限り、叙任の銛は海神教にとって大事なものらしい。そんな銛を、第三者が凶器として使えるような場所に置いてるはずがない。
「今、一番の容疑者として疑われているのは……厳格主義派のウォーレス・ファクマ枢機卿です」
やっぱり。
なんとなく、そうなんじゃないかと思ったわ。今この状況で自由穏健派の枢機卿を殺す動機がありそうなのは、次期教皇の座を争っている厳格主義派の枢機卿くらいでしょう。
でも……だとしたら妙ね。
なんで厳格主義派の枢機卿ウォーレンは、わざわざ足の付く叙任の銛を凶器に使ったのかしら? そんなの、自分が犯人だと自白してるようなもんじゃない。さすがに人殺しまでやらかすような人物が、次期教皇になれるとは思えないんだけど。
突発的な犯行だったのか、それともバレたところで問題ないのか、あるいは──。
「ああ、どうして海神教徒同士で殺し合わなければならないの……」
──と、考え込むあたしを、嘆き悲しむジョルナの声が現実に引き戻した。
「他者を害してまで得た地位に、いったいどれほどの価値があるというの。このままでは、次代の教皇が欺瞞と欲望にまみれた者になりかねない。わたしたちが信じて願い、祈り続けた想いが、すべて踏みにじられるようなものです」
自分が信じ続けていた海神教の教義すべてが無意味なものだとばかりに、ジョルナが声を震わせる。
確かに、人魚族を救い導く長が、その地位に就くために他者を殺害するような人物だとしたらやりきれない。
そもそも、ジューダス卿が殺害された話はすで市井にも広まっているだろうし、犯人が厳格主義派の枢機卿だということも知られているだろう。それで教皇という地位に就くのは難しい。
言うなれば、次期教皇という地位に一番近かった二大派閥のトップ二人が消えてしまったわけだ。それも、かなり血なまぐさい理由で。
これでは、誰が次の教皇になっても海神教の影響力は低下する。国教とはいえ、どうなるかわかったもんじゃない。
だからジョルナが嘆き悲しむ気持ちはわかる。
わかる……けれども。
「祈りとは、灯火だ──」
「え?」
「──と、言ってた人がいたのよ。昔ね」
海神教の立場が今後どうなるかはともかく、せめて祈ることを諦めるのは諦めないでほしい。
そんなことをふと思って、話半分で聞いてた昔の話を伝えることにした。
まぁ、あたし自身が話半分で聞いてたから、よく覚えてないんだけどさ。
「単なる願望ではなく、心の奥底から願い、信じ、祈り続けた言葉は必ず誰かに届く。届いた祈りは野火のように広がって燃えさかり、やがて不可能さえも可能にして世界を変える──だってさ。どういうことかわかる?」
「え……っと……」
「早い話、どんなに荒唐無稽で馬鹿げた夢物語でも、最初の一歩は〝願望〟を言葉にして周りに伝えること。そうすれば、その祈りに賛同した人々が集まってくれる。集まった人々は、不可能を可能にするくらいの大きな力になってくれるわ。宗教って、そういう〝祈り〟の力を集めるものでしょう?」
「………………」
「海神教はどうだった? 一番最初の祈りは何だったの? 醜く争って権力を手に入れたり、神様を妄信的に崇め敬い奉りなさいって話だった?」
「海神教の……祈りは……地上で居場所のなかった人魚族が願ったのは……」
あたしの言葉に、ジョルナは絞り出すように声を出した。
「誰もが穏やかに暮らせられる日常を……当たり前の幸せを……ただ、それだけを……」
「なら、その願いを忘れずに祈り続ければいいじゃない。声に出してね。他の誰かが何を言っても気にせずに、ただ一途に一心に祈り続けようよ。それが、本当の〝祈り〟ってヤツなんじゃない?」
言葉に出した誰かの祈りは、受け取った誰かにとってみれば暗闇で見つけた小さな光。
小さな灯火。
けれど、その灯火に集う人々が多くなれば、それは強い輝きとなって世界を照らし、祈りは必ず実現する……というような話をね、言ってた人がいたわけよ。
だからこれは、あたしの言葉じゃない。
そもそもあたしは、どうしても叶えたい願いがあるなら自分の手で叶えたいし、何かに祈ることも滅多にないしね。
「ジョルナは受け取ったんでしょう? 何百年、何千年と続く海神教の最初の〝祈り〟を。灯火を。今はそれが消えかけているのかもしれないけれど、またここから大きな煌めきとなるように、祈り続けるのが、灯火を継いだあなたの役目じゃないの?」
「そう……そう、ですね……」
あたしの話に、嘆き悲しんでいたジョルナの表情が幾分柔らかいものになった。
「……ん?」
そんな時、なんだか外から騒がしい音が聞こえてくることに気づいた。
これは……足音?
カツカツと、妙に硬く重々しい軍靴を鳴り響かせているような音がこっちに近づいてきている。
「ジョルナ様はおられるか」
「いったい何事ですか」
ジョルナがドアを開けると、そこには揃いの革鎧を身に纏った……てか、三人の中央にいるのは、マリナードに入港した際に潜水艇を曳航してくれた衛兵隊のアウザー隊長さんじゃないのよ。
いったい何事だろう。
いつにも増して、厳めしい顔付きをしていらっしゃる。少なくとも談笑をしにきた風には見えないわ。
「………………」
そんなアウザーさんは、応答に出たジョルナを前に眉間に深く皺を刻んでいた。
「あの……どうされたのですか?」
「ジョルナ様……ジューダス卿殺害について、あなた様に容疑が掛かっております。屯所にて詳しく話をお聞かせ願いたい」
「え?」
「は?」
ジョルナが驚きの声をあげるのは当然だとしても、あたしまで変な声が出ちゃったわ。
何がどうしてそうなった?
ジューダス卿を殺害した凶器は、枢機卿にならなきゃ手に入らない叙任の銛って話だったじゃない。ジョルナはまだ司祭だから、そんなもんは持ってないはず。
何より、ジューダス卿が殺害されたと思われる時刻は、あたしと一緒にいたもの。アリバイがはっきりしてるのよ。
それなのに──。
「ジョルナを連行しようって言う、その根拠は?」
まさか、疑わしい人物を片っ端から連行してるわけじゃないでしょう。いくらなんでも、そこまでバカじゃないと思いたい。
何より、もっとも疑わしい人物──厳格主義派のウォーレス枢機卿がいるにもかかわらず、ここに来てジョルナを容疑者扱いして連行しようというのだから、何かしらの根拠があるはずだ。
「ジューダス卿を殺害した凶器は、枢機卿が下賜される叙任の銛って聞いてるわよ? そんなご立派なもの、単なる司祭のジョルナが簡単に入手できるものじゃないでしょ。それでもジョルナが容疑者って言うのなら、その凶器はどこから手に入れたって言うの」
「調査の結果、ジューダス卿を殺害した叙任の銛は、亡くなられた前教皇、ファーティア様のものと判明したのだ」
「えっ!?」
ジョルナが殊更驚いたような声をあげた。
あたしとしては、前教皇の……いわゆる遺品が犯行に使われていたからって、どうしてジョルナが容疑者に仕立てられるのかさっぱりわからない。
けれど、その理由はすぐにわかった。
「あなたのお父様が遺された品ですね」
「お父様!?」
ジューダス卿を殺害した凶器が前教皇の叙任の銛で、それがジョルナのお父様?
いや、銛がお父様って話じゃなくて、銛の持ち主が……お父様!?
「ジョルナ、あんた……前教皇の娘だったの!?」
「お父様の叙任の銛が、ジューダス卿殺害の凶器に……有り得ません!」
あたしの疑問に答えるよりも、ジョルナはアウザーさんから告げられた衝撃の事実に驚きを隠せなかったようだ。
でも……ああ、そうか。そういうことだったのか。ジョルナの反応こそ、あたしの疑問へ明確に答えている。
なんで枢機卿であるジューダス卿が、次期教皇の座を巡るゴタゴタがあるからと一介の司祭であるジョルナを地上に逃がすような真似をしたのか、目に掛けていたのか、その理由がようやくわかったわ。
前教皇の娘だったからなのね。
ジューダス卿が前教皇への忠義や敬愛の念から娘のジョルナも大切にしていただけなのか、それとも別の思惑もあったのか……それは、今となっては知る由もない。
けれど、衛兵隊長のアウザーさんがジョルナのことを様付けしているように、〝前教皇の娘〟という立場は、海神教の中だとそれなりに重宝されるものなんでしょう。
「父の叙任の銛は、葬儀の際に棺へと収めたのです! まさか犯人は、父の墓を暴いたというのですか!?」
「棺に……? 猊下の叙任の銛は、そのようなところに収めておいででしたか。ならば、その発言を証明する術はございますか?」
「しょっ、証明……?」
「ジョルナ様が猊下の叙任の銛を棺に収めたと、第三者による証明です。そのことをご存じの方は、他にいらっしゃるのですか?」
「それは……父の銛は、ジューダス卿にお預けして、棺に収めるようにお願いを……」
「そのジューダス卿の殺害に、猊下の銛が使われているのです!」
「──ッ!」
怒気を孕んだアウザーさんの言葉に、ジョルナがビクッと身体を震わせた。
そりゃ、声を荒らげたくなる理由もわかる。
ジョルナが言ってることは、自分の無実を証明していない。ジューダス卿が殺害した凶器がどこにあったのかを告げているだけだ。
仮に前教皇の墓を掘り返したとして、そこに叙任の銛がなければ──間違いなくないだろうけど──犯人はやっぱりジョルナだ、ということになりかねない。
でも、そういうことなら──。
「……前教皇の叙任の銛は、ジューダス卿が持っていた……?」
「え?」
ぽつりと呟いたあたしの言葉は、どうやらジョルナの耳に届いていたらしい。
「あ、いや、ジョルナの話を前提にすれば、前教皇──ジョルナのお父さんの叙任の銛を最後に持っていたのはジューダス卿ってことでしょう? そのジューダス卿が棺に銛を収めたかどうかは本人にしかわからない。まぁ、殺害に使われたのなら、収めなかったと考えるべきでしょうけど」
「……だからジョルナ様が犯人とは限らない──そう言いたいのだろう?」
あたしが言いたかったことを、アウザーさんに先んじて言われてしまった。
「だが、それではジョルナ様の容疑が完全に晴れたとは言えぬ。であれば、このまま無罪放免といかぬのが我が国の現状なのだ」
……それは、確かにそれはそうかもしれない。
前教皇が死に、次期教皇と目されたジューダス卿が殺害された。加えて、厳格主義派と自由穏健派が対立し、マリナードは内線一歩手前の緊張感がある。
おまけに、国の宝である宝珠も行方不明ときたもんだ。
そんな辛苦が続く国の状況を打開するためには、何かしらの〝生け贄〟があると有り難い──そういうことなのだろう。
「疑わしきは罰するってこと……?」
「それは決めるのは私ではない。……連れて行け」
アウザーさんの一言で、一緒に来ていた二人の部下がジョルナの両腕をガシッと掴んだ。
「いっ、イリアスさん!」
「ジョルナ──ッ!?」
引き留めようと動こうとしたあたしだったけれど、それはアウザーさんに阻まれてしまった。
「……あたしも捕まえようっての?」
その言葉に、けれどアウザーさんは首を横に振った。
「我らに下された命令はジョルナ様を取り調べること。そして、事は我が国の重大事件なのだ。外で暮らす者が安易に関わってもらっては困る。即刻、地上にお戻りになられるが良かろう」
「え……?」
それはつまり……あたしは無関係だとでも?
「本気で言ってる?」
「そうすることを、強く願っている」
あたしの問いにそう答え、アウザーさんは二人の部下に「行くぞ」と声をかけてジョルナだけを連行していってしまった。
はーん、そうですか。
そういうことを仰いますか。
「……そういうことなら、そうしますとも」
お望み通りにしてやろうじゃないの。