第十四話 イリアスの戦い-02
あまりの距離の近さに、剣で捌くこともできやしない。
幸いだったのはバトルドレスの防御力が思ったよりも高かったこと。ビリビリのボロボロにされたけど、生身の体はかすり傷程度で済んでよかった。
それよりも……なんなんだ、あいつの反射速度。どう考えてもおかしいでしょ? なんであのタイミングで防御できるかな!? 理不尽極まりないわね!
《主殿》
一人憤慨していると、頭の中にヴァルキュリアの声が響いた。融合してるときに聖獣が話しかけてくるってのは、ちょっと珍しい。
《我が魔眼と視界を共有せよ。魂の輝きが見えるであろう。許可を》
え、視界? を、共有? なんかよくわかんないけど、まぁ許可してって言うなら許可しますとも。
そんなあたしの思考を読み取ったのか、途端に視えてる景色が変わった。
もともとここは暗闇の階層。明かりがなければ手を伸ばした程度の距離で、明かりがあっても一〇メートルくらい先しか見えない階層だ。
けれど、ヴァルキュリアの魔眼とやらと視界を共有したことで、見えないものでも視えるようになったみたい。
それは、グリゴリの輪郭をなぞるように薄ぼんやりと輝く赤白い光。
《あの輝きが〝魂の輝き〟ぞ。彼の化生の輝きは実に穢れておる。あんなものは早々に滅するべきぞ》
なるほどね。勇敢な戦士の御霊を冥府へ誘う死神だからこそ、魂の色が視える目を持ってるってわけか。
そんなヴァルキュリアの魔眼を通して視たグリゴリは……なんというか、赤白い光がいくつも寄り集まったように視える。
「こいつ……もしかして群体?」
ヴァルキュリアの魔眼を通して視たグリゴリの姿は、赤白い光が何十、何百と集まって一つの形を象っているように視えた。棘そのものはグリゴリの肉と繋がってるけど、棘の一本一本に事細かく本体とは別種の魂があるってことだ。
「ほんっと、なんなのよあんた! 別の世界から迷い込んだ怪物とか言わないでしょうね!?」
「我はグリゴリ……創造主バハムート様の御技で育まれシ新たな支配種デある」
「バハムート……って、そういやさっきも言ってたわね。そいつがおまえの親玉ってわけ?」
「クックククク……下等な旧世代種め、自らノ創造主すら忘レた無知の者ナど、存在する価値もナい」
自らの……創造主? もしかしてそれ、始祖龍のこと? てか、そんなお伽噺の存在が実在するなんて知らないわよ。そもそも、名前だって伝わってないんだから!
「疾く滅ぶがいイ!」
再び蠢き出す棘の群れ。それはグリゴリと別の生物なのはすでにわかってる。
となると、この状況は一対多ってこと? むっちゃ不利な状況で頑張ってたんじゃない、あたし。
「んぐっ!」
ヤバイ。
ヤバイヤバイヤバイ。
これって、割とピンチじゃない?
だんだんこっちの対応が追いつかなくなってきたぞ。このままじゃ押し込まれる。
かと言って、無理に反撃に転じたところで、あの棘を斬り裂くなんてことは……いや、待て。
待て待て、あたし。
何か見落としてないか?
グリゴリの棘は、本当に壊せていなかった?
そうじゃないわね……うん、そうじゃない。
だから──そういうことか。それでここ、三十一階層にあいつはいるのね。
「……お遊びはここまでにしておきましょう」
「ホぉう……」
やるべきことは決まった。たぶん、倒せる……けど、それには少し準備に時間がかかる。
それまでの時間を稼ぐ手段は……あるわね。
「なんであんたの相手をするのにヴァルキュリアを選んだのか……その理由を思い知るといいわ」
棘の追撃をすべて置き去りにするように大きく後ろに飛び、あたしはトゥハンドソードを片手で空に向かって掲げた。
そんな隙だらけの様子に、グリゴリが警戒の色を浮かべる。
確かに、こんな戦闘中に──それもかなりの高速戦闘とも言える状況の中、無意味に剣を掲げるなんて理解不能でしょう。警戒するのも当然だ。
あるいは。
あいつはあたしのことをナメてるみたいだからね。どんな奥の手があろうと無駄だと思って、「無駄なあがきをすればいい」とか思ってるのかもしれない。
なんであれ、余裕ぶっこいてるなら好都合だ。
「全軍……かかれぇっ!」
号令一下、あたしの背後から飛び出す数多の影。
そう、影である。
輪郭だけ見ればヴァルキュリアの格好をした影々が、各々剣や槍などを手に、グリゴリに向かって襲いかかった。
幻術や分身とは違うわよ。
文字通り、実体を持った影だ。
しかしその影は、あくまでも見た目が影っぽいというだけで影じゃない。
すべて、ヴァルキュリアたちだ。
そもそも〝ヴァルキュリア〟というのは個人名じゃない。戦死者を運ぶ〝軍団〟のことを指している。
そしてあたしが喚び出したのは、〝ヴァルキュリア〟だ。本来であれば、軍団まるごと喚び出すはずだった。
けど、あたしの調教士としての力がちょっと足りなくてね。神域に属する軍団をまるごと喚び出すなんて、やっぱり無理だった。完全形態で喚び出せるのは一人が限界だったみたい。
それならどうして今になって他のヴァルキュリアたちが出てきたのかというと、あたしと融合しているヴァルキュリアのお陰ってことなのよ。あたしが喚んだヴァルキュリアがこの世との経路となって、他のヴァルキュリアを喚んだってこと。
ただそれは、あまりにもイレギュラーな手段である。かなりブラック寄りでグレーゾーンの裏技だ。
だから、影のような不完全な形になっている。現世にとどまり続けることができるのは長くて五分、短くて一分保てればいい方でしょう。
その間に決着をつけなくちゃならない。
「たかダが二〇前後の数で……我を屠レると思うテか!」
棘が疾駆する。
集団で襲いかかるヴァルキュリアの影を尽く弾き飛ばす。
これは……思ったよりもヴァルキュリアたちが本来の力を出せていない。思ったよりも早くにグリゴリの包囲網は崩れ、その間から何本かの棘が……まずいッ!
「させるかっ!」
最悪の結末を覚悟したその時、迫りくる棘とあたしの間に滑り込んだのは──。
「ハーキュリー!?」
まさかハーキュリーがここに飛び込んで来るなんて!
いくらアダマンタイトの盾を持たせているからって、ヴァルキュリアと融合してるあたしの一撃でも傷一つつけることができなかったグリゴリの棘を防ごうとは、無茶がすぎる!
でも。
いや──だからこそ、か。
「僕は……もう、あなたに守られるだけの子供じゃない!」
「まったく……!」
盾は貫かれ、ハーキュリーも多少貫かれてしまったが、軌道を反らすことができている。致命傷も免れている。
ちゃんと計算してた? それとも偶然?
なんであれ、彼は捨て身で飛び込んできたわけじゃない。自身を守り、そしてあたしをも守るという確固たる決意を持ってここに飛び込んだ。
そんなハーキュリーの気概と覚悟、そしてその勇気を認めないんじゃ女が廃る。
「あんたは、紛れもなく勇者ね!」
準備はまだ……いや、いける? いけるか!? 行くしかない!
「喰らえっ!」
バンッ! とあたしが地面を叩くと、暗闇の階層に眩い光が灯る。
さすがに全域とはいかなかったけど、狙い通り、グリゴリを取り囲む光の〝檻〟は出来上がった。
「ゲエェェェェッ!」
余裕綽々の態度を一度も崩さなかったグリゴリが、驚愕に満ちた悲鳴を上げる。
やっぱりこいつ、光に弱い!
思い出してほしい。あたしは一度だけ、こいつの棘を粉々に砕いている。
それは、ヴァルキュリアと融合したときだ。あのとき、融合の余波であたしの周囲が光に包まれた中で、あたしは襲いかかってきた棘をことごとく砕いている。
だからと言って、それだけで確信を持ったわけじゃない。
順番は前後するけど、あたしがハーキュリーと片腕を失ったディーガさんを見つけたときにも、気づく要素はあったのだ。
あの時、グリゴリはあたしに向けて棘を伸ばしてきた。けれどその時は、今みたいにハーキュリーが間に割って入ってくれて難を逃れている。
考えてほしい。
なんであのとき、ハーキュリーは間に合った?
神速を誇るフェンリルを相手に、それを上回る速度で棘は襲いかかってきていたはずなのに、なんでハーキュリーは間に割って入ることができた?
今みたいに、守ること前提でタイミングを見計らっていたから?
違う。そんな余裕が、あの時あったわけがない。
なら、あの時と違うことは?
それは、あたしが魔導ランタンを持っていたことだ。光が手元にあったのよ。
だからグリゴリは、ハーキュリーが割って入れるくらいに弱体した。動きも遅くなったのよ。
「なンだ、これハ……! 何故こコにこれホどの光がァァァァッ!」
「刻印詠唱って知ってる?」
ヴァルキュリアたちは戦士で、魔法なんかに頼ることはない。けど、光を灯す刻印詠唱をあたしは知っている。
それを、影という不完全な形で出てきてくれたヴァルキュリアたちに地面に描いてもらった。
彼女たちはグリゴリと戦っていたのに、いつの間に──って?
ええ、そうよ。彼女たちは戦っていた。
けれど、その数は本来の半分。
いつ、ヴァルキュリアという軍団が二〇前後って言ったかしら?
彼女たちは、その倍はいる。
半数はグリゴリをその場から動かないように押さえつけてもらい、残り半分は地面に刻印詠唱を描いてもらった。
ただ、その光とて一〇メートルほどの範囲でしか届かない。
だから数が必要だった。約一〇メートル感覚で、グリゴリを取り囲むようにね!
「我と契約せし者、汝、その真名を以て神威を示せ!」
そしてあたしは、最後の一手を行使する。
ヴァルキュリアたちを全員喚び出すのは奥の手だった。
そしてこれからするのは、禁じ手だ。
「獣装宝術、形態・戦乙女──兵仗顕現!」
あたしの全身を覆うバトルドレスが粒子となって消え、手に持つトゥハンドソードが螺旋を描くランスとなる。
兵仗顕現──喚び出し、融合した聖獣を武器にする調教士の秘奥義。
防具や意識の共有を切り捨てて、聖獣をただ一つの刃にする……んだけど、あたしとしては仲間を武器にしちゃうこの秘奥義は、できることなら使いたくなかった。
だから禁じ手。
でも、そんな禁じ手を行使しなければグリゴリは倒せそうにない。
光を浴びせて弱体させても、このくらいしないとあいつの棘は貫けない。
「穿て、ゲイルドリヴル!」
ランスへと形態変化させたヴァルキュリアを、その真名とともに投擲する。
ゲイルドリヴル──それは〝槍を投げる者〟を意味する、あたしと融合していたヴァルキュリアの真名でもある。
「!!」
このとき、初めてグリゴリの目に戦慄の色が浮かんだ。どれだけあるのかわからない全身を覆う棘が、迫るゲイルドリヴルを迎撃しようとする。
ある棘は真正面から受けようとして、またある棘は側面を狙い、または何十本の棘が一つに束なって盾になろうとする。
それを、貫く。
迎え撃とうが防ごうが、一切合切をたやすく貫き、粉砕し、突き進む。
何人たりとも、放たれたゲイルドリヴルを妨げることができない。光に囲まれて弱体しているグリゴリならば、なおのこと。
「ヒ──ッ!」
悲鳴は短く。
代わりに、耳をつんざく轟音が土砂を巻き上げ、ついでにあたしやハーキュリーも巻き添えにして周囲一体を吹き飛ばす。
これで、終わり。
文字通りの終焉だった。
「はー……疲れた」
目の前に底の見えない巨大な大穴を前にして、あたしはため息を付いた。
そこにはもう、グリゴリの気配は欠片も感じなかった。