第十四話 イリアスの戦い-01
本日2回目の更新です(7/24)。
たぶん……だけど、あのままハーキュリーが戦闘を続けていれば、ちゃんとヴォイド・デーモンに堕ちた仲間を倒すことはできたと思う。
けど、その時にはハーキュリーもかなりボロボロになっていたでしょう。それこそ、ダンジョンから脱出する体力が残っていないほどに。
というのも、ハーキュリーは仲間だった双剣士のヴォイド・デーモンが人語を喋ったことに動揺していたからだ。もしかすると、まだ助ける手段があるんじゃないかって思ったかもしれない。
それじゃ駄目だ。そんな迷いを抱えたまま、あの二体のヴォイド・デーモンに勝つことは難しい。最終的には克服して気持ちに整理をつけたとしても、その頃にはボロボロになる。
それに……残念だけど、あの二人は確実に死んでいるのよ。
なんでそれがわかるのかって?
それはあたしが調教士だから。
そもそも調教士は、〝命があるもの〟と契約して隷属させる技能を持ってる人のことを言うわけよ。
つまり最低限、相手が〝生きてるか死んでるか〟を見極めることができる。そこから交渉して隷属させられるかはまた別の話だけどね。
そんなあたしの目から見ても、ハーキュリーの仲間って人たち二人は、確実に死んでいた。
それならば、一刻も早く弔ってあげるのが、ダンジョンに挑む者へ対する同じ冒険者として最後にできること。
なにより、死者の亡骸をいいように利用してるのは──かなり気分が悪い。
ダンジョンに肉親を奪われたあたしとしてはね。
「来たれ、我と契約せし者。汝の力は我とともにあらん!」
自分の手で決着をつけたかったハーキュリーには悪いけど、あたしが早々に終わらせてもらうわ。
「ヴァルキュリア!」
あたしの呼びかけに応じて現れたのは、バトルドレスを身にまとい、自身の身の丈に匹敵するほど長大なランスを傍らの地面に突き刺して腕を組む女騎士。
だからと言って本当に女でもなければヒューマンでさえない。あたしが使役してる時点で、そもそも人間じゃない。ヒューマンに似た姿をした聖獣だ。
ヴァルキュリアは、言うなれば死を司る聖獣──死神だ。戦場で死んだ戦士を冥府へと誘う道先案内人。
この状況で、これほど相応しい聖獣はいないでしょう。
「お願い」
あたしからの短い一言に、ヴァルキュリアは静かに目を開く。
『……承ろう』
直後、ランスを手に取ったヴァルキュリアの姿が消えた──いや、消えたかのような速度でヴォイド・デーモンに迫る。
ガギィン! と金属がぶつかり合う音が響く。
『ほう……』
思わず、といったようにヴァルキュリアの口から感嘆の声が漏れる。確かに、あたしもヴァルキュリアの立場だったら、同じような反応を示していたかもしれない。
よもや重量級のランスを、二本の短剣でいなせるとは思わなかった。ヴォイド・デーモンに堕ちたからというのもあるだろうけど、そもそも母体となったコルテオって人が、かなりの実力者だったんだと思う。
それを証明するかのように、先手こそヴァルキュリアに取られたヴォイド・デーモンだったが、たちまち立場が逆転している。
もともと身のこなしが軽い双剣士が、その技能である《写し身》を使って多方向から間断なく攻め立ている。
対して、ヴァルキュリアは巨大なランスを小枝のように振り回す見事な膂力を見せつけているが、それは主に防御に使われていた。
これはまずい。
「ヴァル──」
『実に、見事である』
あたしが指示を出そうとした直前、ヴァルキュリアが猛獣の如き声で感嘆し、猛禽類の如き笑みを浮かべた。
防戦一方だったヴァルキュリアは、それまでが嘘だったかのように反撃に転じる。
《写し身》で九つに気配を分裂させていたヴォイド・デーモンの攻撃から、迷う素振りなく本命の攻撃を見抜き、ランスで防御するどころか短剣の一撃を素手でいなした上で相手の手首を掴み、その驚異的な膂力を存分に発揮させて地面に叩きつけた。
地面を陥没させるほどの衝撃を受けたヴォイド・デーモンは、まるでゴム毬のように跳ねた。
そのヴォイド・デーモンの胸にランスが突き刺さる。
それも、ただ突き刺したんじゃない。
投擲したランスで貫いたのだ。
その勢いはとどまることを知らず、狙ってなのか偶然なのか、双剣士のヴォイド・デーモンを貫いたランスはその勢いを殺すことなく、直線上にいた治癒術士のヴォイド・デーモンをも巻き込んだ。
『異形に魅入られし魂魄なれど、その実力は紛うことなき強者のもの。誇れ、戦士よ。うぬらの御霊、必ずや冥府へと導こう』
……あ~あ。
ヴァルキュリアが防戦一方に陥ったときから、こうなる気がしてたんだ。
思いの外、ヴォイド・デーモンに堕ちた双剣士に実力があり、さらにその力を底上げしていた治癒術士の能力も高かったことから、ヴァルキュリアがやりすぎてしまうんじゃないかって。
だから『まずい』と思って、やりすぎないように窘めようと思ったんだけど……遅かった。思った以上に張り切りすぎでしょ、あの子。
本番はこれからだっていうのに。
「ヴァルキュリア」
『心得ておる』
どうやらヴァルキュリアも気づいていたようだ。
そりゃ、勇敢な戦士の魂を導く聖獣だもんね。そこに邪なものが混じっていれば、気づいていてもおかしくない。
「ク、クク……クカ、カカカ……!」
喉をつまらせたような笑い声が響く。
その声は、ヴァルキュリアのランスで貫かれた二体のヴォイド・デーモンから聞こえてきた。
なんの声かなんて、考えるまでもない。
魂も何もかも抜け落ちた肉体から、黒くて暗くて形も定かではない何かがズルリと地面の上に落ちてきた。
それはまるでスライムのようにグニャリグニャリと蠢いて、やがてひとつの形を成していく。
あれは……なんて言えばいいんだろ?
狼? いや、犬かしら?
フェンリルほど大きくないけど、素のフォルムはそれに近い。けれど、全身に棘が生えていて……犬の形をしたハリネズミって表現するのが最も適しているかもしれないわね。
「所詮、古き器ノ肉塊か。実に脆弱なモのよ……」
「……自己紹介をお願いしても?」
あたしがそう問えば、棘のバケモノは笑いを堪えるかのように喉を鳴らした。
「もハや滅びは免れヌならば、我が名を黄泉路の路銀とスるがイい。我が名はグリゴリ……この世ノ新たな支配種でアる!」
グリゴリの全身を覆う棘が爆発的に膨れる。いや、伸びる──と言った方がいいんだろうか? 一本一本が自らの意思を持っているかのように、獲物を狙う蛇が飛びかかるかのように、あたしに襲いかかってきた。
『失礼仕る』
反応の遅れたあたしと違い、ヴァルキュリアが棘の襲撃に見舞われそうだったあたしを寸前のところで拾ってくれた。
けれど、棘は地面を穿ったところで止まることもなく、執拗に執念深くあたしを追いかけてくる。
「このままじゃ埒が明かない。ヴァルキュリア、いいわね?」
『是非もあろうか。主殿の思うがままになさるが良い』
そう言ってくれるのはとても有り難い。
それなら、その全幅の信頼に甘えちゃおうじゃないの。
「獣装宝術、形態・戦乙女」
暗闇の階層に閃光が奔る。直後、あたしを追いかけ回していた棘がことごとく弾け飛んだ。いやまぁ、あたし自身がすべて粉砕したんだけどね。
「ほウ……」
自分の棘が尽く粉砕されたって言うのに、グリゴリは興味深そうな声を上げた。
そのくらいの反応を見せてもらわなきゃ割に合わない。なんせ、あたしの奥の手の一つだからね。
今のあたしはヴァルキュリアと融合した姿だ。ヴァルキュリアの装束であるバトルドレスを身にまとっているけど、それは格好だけじゃない。ヴァルキュリア自身の能力を数十倍に引き上げて放出することができる融合状態だ。
そのためにも、武器も最適化されていた。
ヴァルキュリアはランスだったが、融合した今、トゥハンドソードに変わっている。大剣ほど大きくないが、両手で取り回すのに丁度いいサイズの剣だ。
盾はいらない。むしろ、グレゴリを相手に防衛装備は邪魔になりそう。
攻撃特化。相手の攻撃はすべて迎撃する。
これが最善だ。
「覚悟してもらうわよ」
「クッ、カカ……! 我に如何様ナ覚悟が必要だト言うのダ!」
再び、グリゴリの棘が伸びる。
速いな。ちょっとした弩弓の矢に匹敵する速度かもしれない。
けど、だからと言って、今のあたしをただのヒューマンと思ってもらっちゃ困る。伊達にヴァルキュリアと融合してるわけじゃない。
動体視力、反射速度、そして膂力といった身体機能のすべてが、ヒューマンはもとより通常状態のヴァルキュリアをも大きく上回ってるんだから!
「ハッ!」
両手に力を込めて、剣を振る。
猛烈な速度で迫る棘を尽く叩き落とす。
それはさながら剣の結界。トゥハンドソードの間合いから内側には、そうそう簡単に入り込めると思わないでもらいたい。
けど、これ──。
「硬い……!」
これは予想外。
さっきはあっさり砕くことができたけど、今はいなして反らすだけで精一杯だよ。よもやヴァルキュリアと融合した状態で断ち切れないとは、夢にも思わなかった。
あの棘は、グリゴリにとって武器であり盾であるってことか。さながら攻防一体の甲冑ね。
……大丈夫。
相手の攻撃は見えている。
あとは、この剣の切っ先を棘の合間を縫って肉に食い込ませるだけだ。
「ハァッ!」
ちょっと気合を入れて、バラバラのタイミングで迫る棘をすべて同時に捌いてグリゴリへの道を開く。
直後、奴が下がった。闇の中に溶け込むつもりでしょう──けど、闇に紛れるタイミングが遅かったわね。そのくらいじゃ見失わないわよ!
地を蹴って、一気に距離を縮める。
その速さはまさに神速。瞬き一つにも満たない時間で、間合いに踏み込むことができた。
相手の反応は遅い。
もらっ──。
「っ!?」
トゥハンドソードの切っ先が密集している棘の隙間を掻い潜り、グリゴリの肉を裂く完璧なタイミングと思っていた。
なのに、その剣先はグリゴリの肉を貫くどころか、薄皮一枚斬ることもできなかった。あたし自身が「嘘でしょ!?」と思う反射速度で、グリゴリの体表を覆う棘がガードしたのだ。
こんなの、予測してたとかじゃなきゃ絶対無理でしょ!
「きゃっ!」
あたしにとって最高のタイミングで攻撃を仕掛けたけど、防がれてしまえば途端に立場は逆転する。防御した棘とは別の棘が、至近距離からあたしに襲いかかってきた。




