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第七幕 ダンボール戦士が征く

 旅立ちの装備を授けよう。布の服か厚紙の鎧、好きな方を選びなさい

 碧を呼び寄せた日から一週間が経過し、睦月に突入した今日この頃。時期的にそろそろ雨雲レーダーが忙しくなりそうではあるが、本日は快晴の散歩日和。

 温暖化の影響なのか、夏の本番はまだ遠いというのに屋外は薄着でも暑く感じられる。それでも、日差しは痛いが湿気は少ないので、ジメジメ感はマシな方だ。

 適度に風を感じられるのなら、そこまで汗はかかないだろう。

「あぁ~~っつい……想像以上にあぁ~~っつい、コレ……」

 身体状況を口にしても、なにが変わるでもないのだが、『暑い』たら『寒い』たら『しんどい』たらと、ついつい口にしてしまうのが人間と言う生き物である。

 福朗も例に漏れず、悪態を吐きながら河川敷を歩いているところだ。傍らに、マダムの愛犬ポンちゃんを引き連れて。

 舌を出しているポンちゃんが悠々と前を歩くので、どちらかと言えば暑さにやられた福朗の方が引き連れられている印象を受ける。

「くそぅ……脱ぎたい、暑い。暑い、脱ぎたい。脱ぎたい、暑い――」

 福朗がブツブツと呟いている。いくら暑いからとはいえ、公共の場で衣服を脱ぐのは公然猥褻というものだ。しかし、現状の福朗は衣服以外の装備品も身につけているので、その影響により暑さで疲弊している。

「いいよなぁポンちゃんは、毛はあるにしても、裸同然なんだからさ」

「アンッ!」

 空を飛びたいとか速く泳ぎたいとかで動物に憧れる事はあるだろうが、裸になりたいからといって憧れるのは如何なものだろうか。

 それに、つぶらな瞳で一鳴きしたポンちゃんとて、舌を出して必死に放熱しているのだ。福朗の言葉がわかっていれば、『コレはコレで暑いんだ!』と言い返しそうなものである。

「妙案だって? こんなもん、奇策も甚だしいってんだよ。ちくしょう、七熊さんめ。憶えてろよ」

 さてさて、ボヤきながら歩く本日の福朗が一体どうなっているのかと言うと、それは昨日の話に遡る。


 ↓昨日日曜日、昼過ぎの段において↓


 『何でも屋』にはその日、珍しく午前中の仕事があった。以前より度々通い、マスターと仲良くなった喫茶店の手伝い業務である。マスターには別の本業があり、ソチラの状況が逼迫していた為、買い出しや掃除、簡単な開店準備などを手伝っていた。

 マスターの副業兼道楽であるその店は、落ち着いた雰囲気が売りの、昔ながらの純喫茶に近い。お世辞にも繁盛しているとは言えないまでも、本を読んだりパソコンを開いたりする一人作業の常連が多く、閑古鳥が鳴くほどでもない。道楽で開くには最良の規模なので、福朗は密かに憧れていたりする。

 明日香を駆り出すまでもないと判断した福朗は、事務所を空けて一人で喫茶店に赴いていた。マスターの指示に従いアレコレと熟し、お礼の昼食を頂いてから事務所に戻ったのである。

 適度な労働を行ったとして、福朗は心地良い疲労感と共に気分よく扉を開く。明日香は来ているだろうと予測していたが、目に入った人数は二人分多かった。

「あっ、フクさんお帰り。待ってたわよ」

「お帰りなさいフクさん。お疲れ様です」

「お邪魔、してます」

 口々に出迎えてくれるのは嬉しいものの、ほんの数か月前まで福朗の城だった事務所は、今や女子大生達の溜まり場扱いだ。閑散としているよりは数段いいし、明日香も学生としての時間を楽しめているようなので構わないのだが、日に日に居場所がなくなっていくみたいで、福朗としては少し複雑な心境だ。それ故か、いつも通り片手が後頭部に伸びていく。

「君達、ホントよく来るようになったよね。もはや準レギュラーだ」

「なによ? 迷惑だっての?」

「いんや、そうは言わないよ。俺と居るだけじゃ、明日香ちゃんも息が詰まるだろうからね。君達には感謝してるよ」

「あのあの、私は別に、フクさんと二人きりだからって息は詰まりませんけど、やっぱりお二人と一緒に過ごせるのが凄く楽しくて……ありがとうございます、フクさん」

 明日香はなにも自分の為だけに、猫宮達を頻繁に呼び寄せているわけではない。猫宮達とて遊びたいが為だけに、足しげく通っているわけではない。猫宮達の想いを感じ取っているからこそ、明日香も喜んで迎え入れているのだ。

 だがそもそも、福朗の許可がなければこんな事はしないし、楽しいのも本当だ。真意なんか伝わっていなくとも、ただただ好意が嬉しくて、明日香は恥ずかし気に礼を言った。

「礼には及ばんよ明日香ちゃん。仕事があるんなら別だけど、それ以外は好きにしてくれたらいいさ。事務所が華やぐなら、オッサンとしても目の保養になるからね」

「フクさんにしては、いやらしい、言い方ですね」

「ま、いいじゃない望深。要は持ちつ持たれつって事よ。ね、フクさん?」

「そう言うこった。さすがに君らまで雇う余裕はないけど、このままレギュラー入りしたって文句はないさ。それより明日香ちゃん、俺にも冷たいお茶を用意してもらえるかい?」

「はいっ、すぐにお持ちしますね!」

 福朗の用命により、明日香は満面の笑みと共に給湯室へとパタパタ走り去っていった。見送った福朗は明日香に代わり、猫宮達の対面へと座る。

「それで、今日はなにか用事でもあるのかい? さっき待ってたって言ってなかった?」

 明日香の小言や連絡事項に限ってよくよく聞き洩らす福朗ではあるが、立ち位置としては聞き役に回る事が多いので、出迎え時に言った猫宮の言葉を忘れていなかったようだ。ソレを受けた瞬間、猫宮の目が怪しい輝きを放つが、もちろん福朗は気づかない。

「さっすがフクさん、話が早いわね! 今日はね、フクさんの為に秘密兵器を用意したのよ!」

「秘密兵器?」

「そうよ。貼紙もイマイチ効果がないみたいだし、碧さんからもまだ連絡来てないんでしょ? そんなフクさんに用意したのが~~~~」

 言葉尻を上げ伸ばす猫宮がソファ裏から取りい出したるは、大きめの段ボール。

「ハイッ、コレッ‼」

 猫宮はソレを、応接机の上にドスンと置いた。

「え? うん……え? なにコレ?」

「コレね、ファミレスで余ってたちょうどいいサイズの段ボールを、あたしがチョチョっと工作したモノなのよ! ココとココから腕出して、コッチから頭出してね!」

「え? いやいや……え?」

 いつになく上機嫌な猫宮を前に、福朗はついて行けない様子だ。そんな福朗には構いもせずに、猫宮は嬉々として説明を続ける。

「そんでもってこの貼紙を前後ろにドーーーン‼ 名付けて、歩く広告塔作戦! どうよっ⁉」

「え? どうよって……え? マジ?」

「マジもマジの大マジよ! コレを着て河原を練り歩けば、きっと落とし主も見つかるってもんよ!」

 徐々に顔色の悪くなってきた福朗を余所に、猫宮は力強く拳を握る。確かに案としてなくはないが、フォルム的なトコロがなんと言うか、なくもなくもなくなくなくなく……

「あの……一応俺にだって恥じらいってもんが――」

「ホンット、七熊さんも面白い事考えるわよね~。これぞ妙案だわ! あたし、増々あの娘の事気に入っちゃった!」

 聞く耳を持たない猫宮は、一人ひたすらにうんうんと頷いている。コチラ側に脱出口はないようなので、福朗は別の道を探すしかない。

 改めて完成した秘密兵器を見てみると、貼り付けられた紙にはこう書かれている。『数日前、この河原でUSBメモリーを拾いました。お心当たりのある方はご一報下さい』。おそらく明日香によって書かれただろう文字は、コチラもおそらくは高月が描いたであろう、梟のイラストから出た吹き出しに囲まれている。ともすれば、残りの二人も協力している事になる。

「た……高月さん。さすがにこれは……」

 福朗が助けを乞うように見ると、高月はフイッと顔を背けてしまった。罪悪感はあるようだが、猫宮を止められなかったらしい。

「あ……明日香ちゃん……?」

 いつの間にか戻って来ていた明日香にも視線を送るが、

「あっ、そうでした! 私、クッキーを焼いて来たんですよね~!」

 と、決して目を合わせずに、要求したお茶諸共そそくさと退散してしまう始末。こうなってしまってはもう、福朗に逃げ道はなさそうだ。

「さ……晒しモンゴメリぃ……」

 福朗はわけのわからない事を呟いて、諦めたようにガックリと肩を落とした。元よりUSB返却は福朗の意思なのだから、その為に手を貸そうとする猫宮達を無下にはできない。たとえそこに、真っ黒な悪意が混ざっていようとも。


 ↓沙和の謀略、抜粋↓


「おそらく落とし主は、心当たりのある河原を捜索するはずです。であれば、拾った旨を告知する幟や、ソレに準ずるものを身につけて歩くのが効果的と思われますが、如何でしょうか?」

「なるほど、ソレはなかなかいい案だわね。でも、幟はどうやって作ろうかしら?」

「いえいえ、準ずるものであればいいわけで。つきましてはアレを、このようにこうして――」

「ふんふん……ブフッッ、あはははははは! ソレイイ! ちょ~面白いじゃない七熊さん! 採用‼」

「ありがとうございます。となると材料ですが……」

「ああ、ソレならウチのファミレスにあるから、あたしが用意するわ」

「そうですか。では、よろしくお願いします」

「任せといて。その妙案、あたしが通して見せようじゃないの! あはははははは!」

 この時、猫宮はただ面白可笑しそうに笑っていただけだが、沙和は不敵な含み笑いを浮かべていた。その事に明日香も高月も気づいてはいたが、フォローを入れて代替案を求められたり、代わりに人柱にされたり、同道を申し渡されたりするのが嫌だったので、黙って聞かなかった風を装う。自らの保身の為に。

 『フクさん……可哀想に……』。明日香と高月は同じようにそう思ったが、同情だけでは誰もなにも救えないのだ。本当にそう思うのであれば、この時点で案を棄却しなければ。しかし人間、結局は自分の身が一番かわいいというもの。ついでに『ごめんなさい』と思いつつも、やっぱり明日香と高月はなにも言わなかった。自らの保身の為に。


 ↓そして現在に戻る↓


「ままぁ~、あれみて~。かっくい~ね~」

「コラッ、見ちゃいけません!」

 マンガで度々描写されるシチュエーションではあるが、まさか当事者になるだなんて福朗は考えてもみなかった。

 『カッコイイ』と言われたのがせめてもの救いとはいえ、あの女児とていずれは母親と同じ台詞を吐くのだろう。福朗はいよいよもって、涙が頬を伝いそうである。

 付き添いが一人でも居てくれたなら、少しは福朗の惨めさも緩和されたのだろうが、明日香と高月は黙々と、そして粛々と頭を下げるばかりで、同行を容認してはくれなかった。発案者である沙和の姿はないので、扇動者である猫宮にも乞うたのだが、当然彼女が承服するはずもない。

 曰く、嫌に決まってんじゃない恥ずかしい。

 自分でさえそう思うものを他人に着せてニヤニヤするとは、なんと性格の悪い事だろうか。福朗とて悪ノリする茶目っ気は持ち合わせているが、少しからかう程度に留めようという弁えはあるのだ。だが、体型の割に異常な気の強さを持つチンチクリン女子大生には、そんな配慮はなかったらしい。

 無下にしたくないとは言え、福朗だって人間だ。保身に走る事を誰が責められよう。しかし、一人ではさすがに辛いと訴える福朗を責めたのは、他でもない、ふんぞり返って腕を組む極悪参謀猫宮だった。曰く、

『なによ、目的の為ならなんでもするのが『何でも屋』なんじゃないの? こんな事もできないようじゃ、看板に偽りアリって事でいいのね?』

 との事だ。反論の余地がなくなった福朗は更に肩を落とし、床の汚れを目で追うしかなかった。

 勝ったと言わんばかりの猫宮は、反り繰り返る角度を増す。その隣では、明日香と高月があんぐりと口を開けていた。

 口達者に口を挟んでも、コチラがヤケドをするだけだ。やっぱり明日香と高月は、口を開けていようとも言葉は発しなかった。内心も保身の一点張りで、危ないトコロだった、と思うばかりである。

 そんなこんながあった為、最後に縋ったのがポンちゃんだった。羞恥に不感のポンちゃんならと、緩衝材としてリードを引いている。やはり飼うなら犬が一番いい。だって、猫は引っ掻いてくるんだもの。

 対象エリアは龍綱川付近になるので、そこまでは段ボールを抱えて移動し、三縄大橋辺りから装着して、五縄大橋近辺まで下る予定だ。

 色々と思うトコロのある福朗ではあるが、それでも案としては悪くない。自分は『何でも屋』なんだと言い聞かせ、段ボールに身を包んで道を行く。

 本来ならそこまで長い道程ではないのだが、苦行というのはいつだって永く感じてしまうものだ。ようやく四縄大橋が見えてきたのを、あと半分と思うか、まだ半分と思うかは福朗次第である。

 可能な限り心を無にして、福朗は四縄通りを横断する。河川敷とはくらべものにならない人の目と、ヒソヒソ声が耳に痛い。体中から吹き出す汗は、もはや暑さだけが原因ではないのだ。

「コレ、今日見つからなかったらもしかして……いや、考えるのはよそう……」

 考えようが考えまいが、命を下すのは極悪参謀だ。成果が上がらなければ、あと何回捨て駒のダンボール戦士にさせられるかわからない。案としては悪くなくとも、望み薄でもある案なのだ。

 最後の砦は碧の調査。どうせ今の福朗を見れば腹を抱えて笑うのだろうが、そんな碧でもやる時はやるのだと福朗は知っている。

「碧さん、マジで早く、頼んます……」

 現状、猫の手を借りて痛い目をみている福朗は、お喋りモンスターに望みを託すしかなかった。

 そうしてまた数分、腫れ物扱いされながらも歩を進めていく福朗。冷たすぎる周囲の視線に慣れてくると、なんだか自分の周りだけ気温が下がったようにも感じる。

 たとえ落とし主がいても声を掛けるには勇気の要る風体だが、福朗の体から徐々に汗が引き始めた時、背後から奇跡的に声を掛ける者が現れた。

「あの、少々よろしいでしょうか?」

 福朗は待ってましたとばかりに振り向く。しかし、そこに居たのは――

「……また、貴方ですか……」

「あれ? 確か、飛鳥さんでしたよね? また随分と妙な事になってますねぇ」

 心底嫌そうな顔をする木崎巡査と、目を丸くしている古森巡査が現れたのだ。今日はパトカーではなく、両者自転車に跨っての登場である。

「おんや、パトロールかい? 精が出るね。こんなトコで会うなんて奇遇だなぁ」

「ええ、そうですね。奇遇ではありませんが」

 淡々とそう言った木崎は、自転車から降りてスタンドを立て、福朗に歩み寄る。あとを追う古森が並んだのを見計らって、苛立ちを隠そうともしない表情で手帳を開く。

「先頃、また! 不審者の通報がありました。段ボールに身を包んだ長身の男性が、見合わない犬を散歩させているとの事でしたが、また! 貴方だったとは」

「いやいや、そんな強調して言わんでも……」

「前回は大目に見ましたが、今回は許しませんからね」

「許さんと言われてもなぁ、俺は別になにも……」

 再び汗の出始めた福朗が、頭を掻きながら言っている。そんな福朗を気迫の籠った瞳で睨み付ける木崎に対し、古森は屈んでポンちゃんを撫で始めた。抑止力が犬の方に目移りしているので、木崎を止める者は誰も居ない。

「今度こそ、しっかりと説明して頂きますからね」

「いや、その……ちゃう――」

「ちゃいません! そこに直りなさい!」

「……はい」

 前回も通じなかった必殺の一言は、今回言わせてももらえないようだ。福朗、二度目の職質の始まりである。


 ↓同時刻、事務所にて↓


 今日も今日とて当然の如く、猫宮、高月と共に事務所へやって来た明日香は、ワイワイとお喋りしながら扉を開く。

「フクさんは今、ポンちゃんのお散歩中だそうです。マダムはエステに行かれてますので、事務所には誰も居ませんね」

「前から、思ってたけど、防犯とか、大丈夫なの?」

 誰も居ないのに鍵も使わず扉が開くので、高月の疑問も当然というものだ。しかし、猫宮はバッサリと言い放つ。

「別に大丈夫でしょ? こんなトコ、盗るようなものなんてないんだから」

「そうですねぇ。一見して価値がありそうなものは、日向さんの絵くらいですもん」

 顎に人差し指を当てる明日香もまた、バッサリと言い放った。その評価はありがたく受け取るとして、助手までそんな感覚で良いのだろうか?

「嬉しい事言ってくれんじゃないの。でもま、あたしが言い出したとはいえ、フクさんってココに住んでるんでしょ? 貴重品とかって本当に大丈夫なの?」

「問題ありませんよ。フクさんの居住スペースは、アチラのドアの奥になりますから」

 そう言って明日香は、事務所に入って右手の方を示す。短い廊下の右側にはトイレがあり、左側には給湯室の暖簾が下げられている。そして正面には、簡素な木製のドア。明日香が示したのはこのドアだ。

「事務所自体に鍵をかける事は少ないですが、空ける時はちゃんと、あそこのドアには鍵をかけて出られますからね。貴重品と言うか、フクさんの私物等に関しては大丈夫でしょう」

「ふ~ん、そうなんだ。トイレ借りた時になんのドアか気にはなってたけど、あの先がフクさんの部屋になるのね」

「どんな生活、してるんだろうね?」

「ね? あたしもちょっと興味あるわ。どうせ散らかってるんでしょうけど」

「そう、なのかな? ヒナちゃんの、部屋よりは――」

「望深ちゃ~ん。それ以上言うとぶつわよ~?」

 猫宮が眉をヒクつかせて笑い始めたので、そっぽを向く高月。しかし意外な事に、その口はまだ動くようだ。

「そうやって、怒る前に、自分の部屋を、掃除するのが、先だよ」

「ぐ、ぬぬ……」

 猫宮だってわかってはいるのだ。高月の部屋に比べれば、整理整頓と言う言葉が自室のどこにも見当らないのだと。実家も大概だったが、一人暮らしを始めてからというもの、より酷くなった自覚も一応はある。衣服は散乱、布団はぐちゃぐちゃ、放置されたマンガや雑誌は本棚の無意味さを象徴して……いや、唯一画材だけは、部屋の一画にまとめているぞ。

「いいじゃない別に、画材はちゃんとしてるんだから! 望深だってそう言ってくれたでしょ⁉」

「アレは、他が酷過ぎるから、そう表現した、だけだよ。一般的には、固めて置いてる、って言うの」

「く……うう……」

 高月にしては鋭い切り返しだ。基準の甘さを指摘されてしまい、猫宮は言葉に詰まってしまう。そして、

「うわぁ~~、明日香ぁ~~~」

「あっ、えっ? はぶっ⁉」

 と、いたたまれなくなった猫宮は、明日香に突進していった。

 当たりが強かったので少々咽たが、明日香はなんとか受け止めて頭を撫でる。

「ま、まぁ、その。人には得手不得手がありますから、仕方ないですよ」

「ね~、ね~! 仕方ないよね~! 部屋がちょっと汚いくらいいいよね~!」

 明日香の擁護に乗っかった猫宮だが、高月の追求はまだ終わっていない。

「アレを、ちょっととは、言わないよ、ヒナちゃん」

「わぁああ~~~」

 攻められる事に慣れていないドSは、一度折れれば非常に脆い。いつにない高月の攻めに対して、猫宮は明日香の胸に顔を埋めていく。

 見た事のない猫宮を前に、明日香は困ったような焦ったような、なんだか少し嬉しいような……

「まぁまぁ望深さん。それくらいにしてあげて下さい」

「そう? 明日香ちゃんが、言うなら、これくらいに、しておくよ。この間、止められなかったから、ちょっとお灸を、すえたくて」

「お灸、です?」

「うん。ホラ、段ボールが、なくなってる。だからきっと、今頃フクさんは……」

「あ、あ~~~」

 高月はそっぽを向いた時、段ボールがなくなっている事に気付いたのだ。さすがの福朗も随分と嫌そうな顔をしていたから、まさか実行に移すとは思っていなかった。昨日は保身を優先して止めなかったし、一応理にかなった案ではあるが、段ボール装着者の心労は計り知れない。

 恩人に対して手を貸すのなら、もっとマトモな形でなければならないと、猫宮の反省を促すべく、高月はお灸をすえたのだ。

 しかし、不屈の女である猫宮は、段ボールの消失を聞いて立ち上がる。

「プッ、あははははは! ホントにアレ持ってったの⁉ おっかしぃったら――ん?」

 笑っている途中で肩を叩かれ、猫宮が振り向いてみると、高月の顔がすぐそこに迫っていた。そして、

「ヒナちゃん、そういうトコロ、だからね?」

 と、そう言った顔は笑っているように見えるが、背筋が寒くなるのはなぜだろう。

「笑い事じゃ、ないよね?」

「……でも」

「ないよね?」

「……はい」

 なんとも言えない迫力に負けてしゅんとした猫宮は、明日香から離れて高月の方に抱き付いていく。

「うん、よろしい」

 そうして高月は、猫宮の頭を優しく撫で始めた。明日香はソレを、少し羨ましそうに見守っている。

 木崎と古森がそうであるように、勇む者と諫める者はコンビとして相性がいい。猫宮と高月に至ってはその上幼馴染であるのだから、一心同体と言っても過言ではないだろう。表と裏で一枚となる、あのハガキ達のように。

「フクさんが、帰ってきたら、みんなで、謝ろうね?」

「はい、そうですね」

「……ん」

 こうして極悪参謀の浄化が行われたわけなのだが、残念ながら少し遅かったようだ。落とし主の一報を願う広告塔は、先に警察に目をつけられてしまった。そちらの方は今、一体どうなっているのやら……


 ↓再び河川敷へ↓


「いっくよ~ポンちゃん! ソ~レッ!」

「アンッ、アンッアンッ!」

「よ~しよしよし、いい子だね~。じゃあもう一回、ソレ~!」

 犬に目がない犬派閥古森は、怪しいダンボール戦士なんかよりモフモフポメラニアンに夢中のようだ。ポンちゃんの名前を聞くや否や、福朗からリードを引ったくり、聴取をほっぽり出して川縁の草叢に駆け出してしまった。

 延々と続くもう一回による『エンドレス取って来い遊び』が、先程からずっと繰り広げられている。

 古森の暢気な横槍が入らない為、木崎はスムーズに聴取を進められるとしてなにも言わなかった。現在は一通りの質問が終わり、一段落ついたところである。

 険しい顔をした婦警の質問攻めが止まり、福朗としてはやれやれだ。木崎はまだ書類を睨み付けているようなので、ポンちゃんを奪って行った古森の方へ目を向ける。

 とても楽しそうに遊んでいるのは微笑ましいけれど、福朗は混ざりたいとは思えなかった。なぜなら――

「ねぇ、アレって大丈夫なの?」

「……私もどうかとは思いますが、貴方の身なりよりはマシでしょう」

「でもさ、見る人が見れば、始末書もんだと思うよ? 苦情とかくるかもしんないし」

 制服を纏った婦警が、昼日中の河原で犬と戯れているのだから、福朗の指摘も的外れではないだろう。木崎は一応言い返したものの、言われてみると確かに良くない状況ではある。加えて、古森がポンちゃんと遊んでいる道具。それが問題だった。

 先日の清掃が功を奏して適当な木っ端が見つからなかったのか、先程から古森がぶん投げているのは、棒切れにしては少々重い警棒だった。回収の度に縮めはするが、腕の振りに合わせて毎度カシャカシャと伸びる警棒は、古森の手から離れると物凄い回転と共に放物線を描き、柔らかい川縁の土にぶっ刺さっている。

 木崎は聴取に気を取られて気にしていなかったが、改めて見ると本当に……なにしてんだアイツ⁉

「至急呼び戻して来ます! 逃げないで下さいね⁉」

「今更逃げないさ。それに、あの犬は預かりもんなんでね、返してもらわないと困るんだよ」

 のんびりとした福朗の回答を聞きつつ、木崎は一目散に川縁へ駆けていく。血の気の引いた必死の形相は、青鬼と表現できそうだ。上から叩かれたらどうしてくれる、あんのバカ同僚がっ‼

「古森巡査! いつまで遊んでいるつもりです!」

「え~~、だって、この子すっごく可愛いんですよ木崎巡査~」

「いいから早く、戻って来なさい!」

「ちぇ~、折角仲良くなったのに~。ね~?」

「アンッ!」

 人間の尺度では芳しくない光景も、ポンちゃんからすればどうだっていい事だ。遊んでくれるというのなら、木っ端にしては重かろうとも、鉄の味がしようとも構わない。

 まだ遊んで欲しそうに鳴くポンちゃんを、古森は屈んだままニヤケ面で撫でまわし続けていた。グッボーイ! グッボーイ‼ あれ? グッガール?

 そうしている内に、木崎がザッと背後に迫った気配がする。そして、

「イッ、イタッ⁉ イダダダダダダ‼」

 木崎の鍛えられた握力により、古森の頭が握り潰され始めた。

「痛い痛いっ、なにするの⁉」

「それはコチラの台詞です。貴女、警棒を一体なんだと思っているのですか?」

「だ、だって、手頃な棒がなくて――」

「ほう、それだけの理由で警棒を使ったと?」

 木崎の握力が更に増す。帽子のひしゃげ具合に合わせ、古森の頭まで形が変わりそうな勢いだ。

「ぎゃ~~~、やめてっ! やめてよケイちゃん!」

「だったら今すぐ立ちなさい優っ! 勤務中なのよっ!」

「ふえ~~ん、ごめんなさ~いぃ~~」

 木崎茎十(けいと)古森優(ゆう)は、警察学校時代からの同期であり同僚である。幼馴染とはいかないまでも、共に試練を潜り抜けてきた彼女達は、互いの特性を熟知し、支え合って進んできたのだ。

 木崎が邁進するなら古森が手を引き、古森が立ち止まるなら木崎が尻を引っ叩く。現状は頭の圧搾になっているが、意味としては同じ事。坂東に言わせればヒヨッ子の二人は、二人合わせて一人前なのである。

 古森に反省の色が見え始めたので、木崎は溜息を一つついてから手を離した。ついでに、帽子の形も整えておいてやる。

「さぁ、その子とはもう十分遊んだでしょう。仕事に戻りますよ古森巡査」

「は~い……」

 半ベソ古森は渋々ポンちゃんを抱きかかえ、ようやく福朗の方へ歩き出した。

 俯き加減の古森を追って、頭の痛い思いをしながら木崎も歩き出す。まったく、この娘の犬好きにも困ったものだ。巡回するならパトカーでないと、道草が多すぎてやっていられない。

 重い足取りで福朗の元に辿り着いた古森は、名残惜しそうにポンちゃんを下ろし、リードを受け渡した。

「よかったなポンちゃん、お姉さんに遊んでもらえて」

「アンッ!」

 ポンちゃんと会話するような福朗のやり取りを、古森が羨ましそうに眺めている。まだ諦めきれないといった様子だ。

「いいなぁ~。私も犬飼いたいなぁ~」

「なにを言っているのです。我々の寮はペット禁止ですよ」

「じゃあさじゃあさ、ペット可のマンションに引っ越そうよケイちゃん」

「どうして私まで……それと、勤務中にその呼び方はやめなさい」

「でもさでもさ、引っ越せばケイちゃんだって猫飼えるんだよ?」

「それは、そうですが……」

 犬派閥の古森に対し、木崎は猫担当らしい。そこまでバランスを取る必要はないのだが、まぁ人の好みなんてそれぞれだ。犬猫問題で争うつもりのない福朗は、それよりも、

「へぇ~、ケイちゃんは猫派なんだねぇ」

 と、古森に倣って木崎を呼んだ。その瞬間、今度は木崎の警棒が唸りを上げる。

「貴方にまでそう呼ばれる筋合いはないのですがね」

 カシャンと唸らせた警棒を握り、今までで一番鋭く睨み付ける木崎。怒りで頭に血が上っているので、お次は赤鬼とでも表現しようか。なんにしても、青でも赤でも鬼は鬼なので、その顔の怖い事怖い事。

「まっ、待て待て木崎さん! 暴力は良くないよ、暴力は!」

 福朗は元刑事であり警官でもあった為、警棒の破壊力はよく知っている。今は段ボールアーマーを装着しているものの、一枚の防御力なんてたかがしれているのだ。紙とまでは言わないまでも、警棒の前では厚紙に等しいので、振り下ろされれば段ボール諸共、福朗の骨もグチャグチャになってしまう。

 本当に捨て駒になるのは嫌だったので、福朗は諸手を晒して止めにかかった。

 木崎も現役の婦警である為、警棒の破壊力はよく知っている。合金技術や金属加工が発達し、軽くしなやかでも十分な強度を誇る現代の警棒は、福朗の想定よりも威力が高い。目の前のふざけた男に打ち込めば、段ボールを突き破り、肋骨を穿つ事なんて容易いだろう。

 しかし、木崎は規律に厳しい婦警である。と言うか、警察の規律云々の前に、一般常識として他人を痛めつける行為は問題なので、ボコボコにするのは想像の中だけに留め、怒りと共に警棒を納めた。いずれ福朗がやらかした時には、絶対に容赦しないと誓って。

「それで、結局飛鳥さんは、どうしてそんな恰好を?」

「は⁉ 今頃⁉ まったく、貴女という人は……」

 木崎が怒りを納めた頃には、犬ジャンキー古森から脱却し、いつものノンキ―古森が復活していたらしい。犬にかまけて遊んでいた分際で、今更聴取に目覚められても、既にその辺りの経緯は聞き及んでいるというのに。

 対面にはクソ野郎が控え、隣にはバカ娘が佇んでいるのだから、木崎の頭痛は増々酷くなるばかりだ。

 あまりに暢気な古森の発言によって木崎がフラつき始めたので、福朗としては一安心。二度手間になってしまうが鬼婦警を相手取るよりは、ポンちゃんのようにクリッとした瞳を持つ犬婦警と話す方が断然いい。

「木崎さんには言ったけど、ここに書いてある通りだよ」

 そう言って福朗は、前面の貼紙を指さす。

「落とし物を拾ったんでね、その落とし主を探してるんだよ。不審者呼ばわりは辛いトコだが、それだけ目立ってると考えれば、広告塔としての役割は果たせてるみたいだね」

「なるほど~。だから羞恥心をかなぐり捨ててまで、そんな変テコな恰好をされてるんですね~」

「いんや、別に羞恥心は捨ててないけどね……」

 悪意のある発言よりも、時には悪意のない発言の方が切れ味のいい場合もある。『羞恥に塗れてでも』、と段ボールに身を包んだ福朗としては、古森の発言が少々痛い。だが待てよ……『羞恥心を捨ててでも』、の方が恰好はつくのか?

「……まぁ、とにかくだ。そういった理由からこんな恰好をしてるってだけで、なにも怪しい事はしてないんだよ。だから見逃してくんない?」

「事情はわかりましたが、まだ続けるおつもりですか? そもそも、落とし物を拾われたのであれば、我々警察に届け出て頂きたいのですがね」

 依然として口調は厳しいけれど、木崎が先程のように警棒へ手を伸ばす事はなさそうだ。それに、幾分コチラの事情も理解してくれた様子。

 今回は貼紙によって活動内容が周知されていた為、福朗も変にはぐらかす事なく説明していた。後ろめたい事がないのであれば、職務質問には素直に答えるのが真っ当なのだ。

「それもそうなんだがなぁ、拾ったモノがちとデリケートなもんだったのさ。だから組織的に対応するよりは、個人対応の方がいいかと思ったんだよ」

「『何でも屋』、と仰いましたっけ? なかなか大変そうですね~」

「いんや、落とし物を拾っただけだから、依頼があって行動してるわけじゃないよ。コレはまぁ、なんと言うか、俺の道楽みたいなもんだね」

「それはまた随分と酔狂な、いえ、躁狂な道楽ですね。落とし主を探す為とは言え、そんな恰好をすれば大多数は不審がると思わなかったのですか?」

 蔑むような視線と共に、嫌味ったらしい木崎の発言が福朗に刺さる。特段騒ぎ立ててはいないが、確かに周囲は騒然と言うか絶句と言うか、似たような状況にあるのかもしれない。

 成人男性が日中に、段ボールを纏って歩いているのだから、犬と警棒で戯れる婦警よりも奇怪に映るのだろう。実際に、不審者通報もあったようだし。

 ともあれ、道楽と指したのは落とし主探しまでの事。いくら『何でも屋』だからって、こんな恰好を進んでしていると思われては心外だ。それに、これ以上目をつけられては本来の営業に障りが出そうなので、福朗はやんわりと弁明を図る。

「この恰好に関しては、俺だって好んでしてないさ。最近ウチに出入りするようになった、気性の荒い猫ちゃんに押し付けられたんだよ」

「猫ちゃん?」

「そうそう。まぁ、例えだけどね。体はチッコいクセに肝っ玉のデカい女の子なんだよ。妙案を思いついて秘密兵器を作ってやったから、活用しろとのお達しがあったのさ」

「それで言われるがままに、そんな恰好をしていると?」

「言い出しっぺは俺だからね。探すのに協力してくれるってんだから、おいそれと断るわけにゃあいかんでしょうよ」

 福朗は頭を掻きながら、苦笑交じりにそう言った。

 木崎から見た福朗は、やはりどう贔屓目に見ても怪しい男だ。しかし、先日の坂東の口振りといい、偶然居合わせた女子大生といい、知り合いからの評価は悪くなさそう。今し方の言動にしても、自分の行為と言葉に責任を持ち、他人を尊重する人物なのだと察せられる。風紀を乱す点は攻め手になるが、それ以外は問題ないと言っても……いや、しかし……

「はぁ~~~。飛鳥さんって優しいんですね。私ならいくら頼まれても、そんなカッコするのはちょっと遠慮したいです~」

 木崎が葛藤している間に、古森の感心したような声が聞こえた。確かに、こんなアホみたいな恰好をするのは自分だって嫌だ。仕事だと言われたところで、割り切れるかは微妙に怪しい。ともすれば、古森の評価も突っぱねるとまではいかないだろう。

 古森まで毒されたようで少し腹立たしいが、元よりこの娘は流されやすい性格だ。折角二人いるのだから、飴は相方に任せ、木崎はあくまで鞭を握る。いや、彼女の場合は警棒か。

「進んでしていないのはわかりましたし、その子を立てるのも理解できます。しかし、だからと言って通報された事実は変わりません。直接的な迷惑はないにしても、周囲に不信感を与えているのですよ? 罪には問いませんが、反省はして頂きたいものですね」

「あらら、木崎さんは厳しいねぇ。まぁ、一応反省はしてるつもりだよ。それに、もう懲り懲りだからね。この作戦は今日限りにしておくよ」

「本当でしょうね?」

「ああ、本当だってば。俺ってそんなに信用ないの?」

「月に一度の頻度で通報される貴方を、私が信用するとでも?」

 口喧嘩というものは、どちらかと言えば女性の土俵だと福朗は思っている。中でも、意地の悪い者が横綱で、誠実な者が大関だ。前者はどんな汚い手でも使い、後者は自分が正しいと思うなら決して手を緩めてくれない。後者である木崎は、圧倒的な正論で頬を張ってくる。それをくらってしまえば、反撃の隙どころか、反撃の意思すらも挫かれてしまうのだ。

 残念ながら福朗に勝ち目はなく、木崎に軍配が上がるのを恨めしく思うしかない。少しだけ、嫌みを乗せて。

「うむん……相変わらず君は、痛いトコを突いてくるよね。狡くない?」

「そう思うのであれば、始めから弱点を作らないよう心掛ける事ですね」

「ぐぅ……」

 さすがは大関だ。小技は逆に利用され、福朗は更に土を被った。実際にはスレンダーだが、きっと猫宮以上の肝っ玉を秘めているに違いない。今日のところは引き下がるけど、いつか弱点を見つけてやるからな。

「……以後気を付けるよ。だから、もう行っていいかい?」

「致し方ありませんね。今回も見逃しましょう」

 溜息交じりにそう言って、木崎が書類を仕舞う。仕舞い終えたところでふと思いついた木崎は、再び福朗に向き直った。小言はまだ続くらしい。

「時に飛鳥さん。仏の顔も三度まで、と言いますが、元はなんと言っていたか知っていますか?」

「へ? いんや、元もなにも、元々そう言うんじゃないの?」

「それは違いますね。詳しい経緯は知りませんが、元は三度撫でれば腹を立てる、と言うのです。私の言いたい事、わかりますよね?」

「……はい」

 どうしてここまで言われにゃあならんのか。浅学を揶揄しつつ釘を刺してくるとは、横綱よりも質が悪い。しかし、そんな事を思っても、福朗は言い返せなかった。と言うよりも、言い返すのを止め、番付を降りたのだ。

 背の高さなど関係なく、言葉の土俵では福朗の方が小兵。仏の顔なんて一度もしてないクセに……な~んて事ももちろん言わない。

 周囲の視線で冷えた心が、言葉の風によって乾き、ひび割れていく。進行すればあかぎれとなり、治りが遅くなるだろう。

 福朗はいち早く帰りたかった。早く帰って、布団に潜り込みたい気分だった。

「んじゃ、俺はこれで」

 愛想笑いも浮かべられず、福朗はそう言って踵を返す。もう五縄までなんて言ってられない。ここから帰ってしまいたい。

 ようやく福朗が職務質問から解放された時だった。まだギリギリ輪になっている段ボール男と二人の婦警の元に、声を掛ける者が現れた。

「あの~、すんません。話、終わりました?」

 声の主は、伸ばした襟足の目立つ茶髪の青年。歳は二十代の中頃くらいだろう。

「なにか御用ですか?」

 自分達への問いだと思った木崎が、男に返答する。しかし、男は特に表情を変えず、

「あ~~~、違うんスよ。婦警さんじゃなくって、用があるのはコッチの兄さんの方なんス」

 と言った。

 木崎と古森は大層驚いて、当然福朗も驚いていた。しかし、そんな場合ではない。婦警の登場は大きな誤算だったが、この展開こそが、福朗の待ち望んでいたものなのだから。

「俺に用って、もしかしてUSBの事?」

「はいッス。ソレ、カプセルに入ってました? なら、俺の物だと思うんスけど」

 ダンボール戦士が征く。その道のりは、険しい荊の道だった。外装の段ボールを通り抜け、傷付いたのは福朗ばかり。しかし、目的地に辿り着けるなら、傷付いた甲斐もあるというもの。

「そうそうソレ! 君、今時間ある⁉」

「はぁ……大丈夫ッスけど」

「そっか、んじゃちょっと付き合ってくんない? USBは事務所にあるから、取りに来てくれる?」

「あ~~~、そッスね。わかりました。行きます」

「よっしゃ! じゃあ行こうか!」

 水を得た魚状態の福朗は、意気揚々と歩き出す。あれだけ重かった足取りは、ポンちゃんのように軽快だ。荊の道なんて過去の事。仏を語る鬼婦警の存在は、もう福朗の頭から吹き飛んでいた。

 離れていく二人を見送りながら、暢気な古森が声を上げる。

「良かったね飛鳥さん。持ち主さんが見つかって」

 内容は福朗の事ではあるが、視線の先はポンちゃんの尻。可愛く揺れるお尻と尻尾に、古森の顔はニヤけている。それくらい、木崎にはお見通しだ。

「はぁ……心にもない事言ってないで、そろそろ戻りますよ古森巡査」

「え~、酷いよケイちゃん。本当に思ってるってば~」

「私に言い訳は必要ありません。さぁ、早くしなさい」

「ちぇ~、木崎巡査は厳しいな~」

 ブツクサ言いつつも、促された古森は自転車に跨った。この辺りは管轄の一番外で、本来は他所の派出所がカバーしているから、自分達が巡回する事はほとんどない。けれど、またポンちゃんに出会えるのであれば……いや、別にポンちゃんじゃなくてもいい。この河川敷なら、他にも散歩している犬は山程いるはず……

「ねぇねぇ木崎巡査。またコッチの方もパトロールしようね?」

「あのねぇ……貴女の一存で巡回ルートが変わるわけないでしょう」

「だからケイちゃんの協力が必要なんだよ。お願いお願い!」

「……」

 うんざり顔の木崎は、古森を無視して発進する。職務としては問題だが、このバカ娘もクソ野郎に連れて行ってもらえば良かった。それこそ木崎の一存になるけれど、許可を出せば絶対に付いて行っただろう。犬の尻を、ニヤニヤと見つめながら。

「はぁ……早く帰りたい……」

 ダンボール戦士は報われたので、心を持ち直して去って行った。比べて木崎は、まだまだこれから数時間、古森の相手をしなければならない。

 良いトコロは知っている。良い子なのは知っている。それでも木崎は、溜息と共にボヤくしかなかった。

 今日布団に潜るのは、福朗か木崎、どちらの方が早いだろう。


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