第六幕 神がつくりしものは
天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。ならば横は?
項垂れた福朗の存在さえ抹消すれば、今現在の事務所は女の園に相違ない。オッサン思考の碧としてはこれ以上ないシチュエーションなので、喜々として明日香の問いに答える。
「そうだねぇ。わかる事は色々とあるんだけど、直接持ち主に繋がるようなものはないかな~。あ、あたしの事は碧でいいからね」
高月程高レベルではないにしろ、明日香も人見知りだという自覚はある。しかし先程の会話から見るに、どうやら碧もいわゆる福朗傘下のようだ。ならば明日香に臆する必要はない。それに、フレンドリーな大人の女性である碧は、どの角度から見ても厳つい坂東より遥かに接し易い。挨拶前の汚点は忘れる事にして、猫宮達に対するように話しかける。仲良くしようと言ってくれたのだから。
「そうですか? では、遠慮なく。碧さんはその、プログラマーさんなんですよね? あっ、私の事も明日香とお呼び下さい」
碧は元々人見知りではなく、他人に対してあまり壁を作らない性格だ。会社にも若い新人は居るのだが、重鎮よりの中堅である碧とは気安く接し辛いのだろう。一応今現在に限っては仕事仲間と言えなくもないが、その点福朗の助手である明日香には、そんな気兼ねなどなさそうだ。客人として扱ってはくれるようだが、よそよそしい感じもしない。ならば碧も遠慮なく、話し相手になってもらおうと思う。仲良くしようと言ってくれたのだから。
「あんがと明日香ちゃん。確かにあたしの肩書はプログラマーよ。けど、だからってプログラムを見ただけじゃ、誰が作ったかまではわかんないのよ。ごめんね」
「ああっ、いえっ、そんなつもりで言ったわけじゃ……」
「あっはは、冗談よ、ジョ~ダン。福朗君にはもう言ってあるけど、心当たりを調べてみるからさ、気長に待っててちょうだいね」
「はい、お手数をお掛けしますが、よろしくお願いします、碧さん」
「うん、お願いされました」
ファミレスで聞いた『プログラムに詳しい知り合い』と言うのは、どうやら初見の福朗より随分と頼りになりそうだ。事務机の側面に位置していた猫宮は、なにをやっているのか気になったので少し移動して画面を盗み見る。すると表示されていた英数字の羅列を見た瞬間、なんとも言えない嫌そうな表情を浮かべた。
「うわぁ……こんなの、よくわかりますね。あたしにはなにがなんだか……」
「え? なんです、なんです?」
猫宮の反応を見た明日香と高月も、同じようにワラワラと移動し始める。
「あぁ~、コレは……私もなんだか、気持ち悪くなりそうです」
「私も、苦手意識が、込み上げてくる、ような気が……」
三者三様の渋面を見せられては、碧も苦笑うしかない。
「気持ちはわからんでもないけどね、あんまりそんな顔しないでよ。コレがあたしの仕事なんだからさ」
「ああっ、すいませんっ。つい……」
「まっ、別にいいけどね。そう言えば君達は女子大生なんだよね? 専攻はなんなの?」
「あたしとのぞ……高月は美術で――」
「あっと、ごめん。その前に、猫宮ちゃんと高月ちゃんの名前も教えてくれる?」
「そう言えば苗字しか言ってなかったですね。あたしは日向です。コッチが――」
「望深、です」
今度はすんなりと答えた高月。一度言葉は交わしているし、『元依頼人』同士なので親近感が湧いているのだろう。
「そかそか。日向ちゃんと望深ちゃんね。遮っちゃってごめん。それで、専攻はなんだっけ?」
押しの強い碧なら、たとえ猫宮の間口に強風があろうともビクともしなかっただろう。なにより、猫宮としても客人認定や親近感があるので、今はそもそも風が弱まっている。言葉を遮られようが馴れ馴れしく名前呼びされようが、反発するつもりなど全くない。
「あたしは美術科で、主に油絵を描いてますね」
「私は、デザイン科、です」
「あ~~、芸術方面か~。あたし的にはソッチの方がよくわかんないな~。明日香ちゃんは?」
「私は文芸科です。私達は皆、境戸造形美術大学の学生なんですよ」
「そうなんだね。なら、どっちかって言うと文系よりになるから、苦手に思うのも無理ないかぁ」
「特にあたし達は絵の事ばっかり考えてるんで、文系よりでも英語とかは苦手ですね」
「私もあまり英語は得意じゃありませんけど、プログラムって理系なんです?」
「あたしが思うにはそうかなぁ。コードを覚えたりするのは文系っぽい気もするけど、最終的にはフローチャートを思い描いてアルゴリズムを組むからね。計算が得意な理系脳の方が向いてるんじゃないかなぁ」
その昔は『0』と『1』だけの地獄だったプログラミングも、現在は言語が発達してかなりとっつき易くなっている。だが、『言語』と言っても対象は機械なので、人間同士が扱う『言語』とは異なるのだ。少しの前後錯誤や抜けであれば人間は適宜補正して理解するが、機械はソレを許してくれず、思い通りに動いてくれない。機械は厳密な計算を人間以上のスピードで行ってくれるが、そうさせるには相応に厳密な計算を重ねた上で、命令してやらなければならない。ともすれば、碧の考えは間違ってないといえるだろう。
「ふわぁ~、なんだか難しそうです~。私にはできそうにありません」
「そうね。あたしも数学が苦手とまでは言わないけど、得意だなんてもっと言えないから」
「う~ん、やっぱそっか。じゃあさ、パソコンとかの機械自体にも興味がない感じ?」
「そうですねぇ、スマホは普通に使ってますし、課題にはパソコンを使いますが、興味があるかと言われると……」
「あたしもスマホは使うけど、使いこなせてるとは思いませんね。どちらかと言えばパソコンは苦手なんで、自分の手を動かす方が好きです」
「私は少し、興味があります。最近は、絵を描くソフトも、レベルが上がってる、そうなので」
「お? いいねぇ望深ちゃん。あたしも詳しいとは言えないけど、もし本当にやりたいと思ってお金がたまった時は相談してよ。スペックとかの良し悪しくらいはアドバイスできるだろうからさ」
「はい、その時は是非、お願いします」
ゆっくりとではあるものの、高月も特段詰まらずに言葉を紡ぐので、スムーズに会話が進んでいく。女性特有の高い声が耳に心地よく、お喋りモンスターの碧には至福の時間だ。今日使った時間も、これからかかるであろう手間も、それだけで吹き飛びそうなものである。
「あ~~、なんだか楽しいわ~。頼んできたのは福朗君だけど、君達の為にお姉さん頑張っちゃうぞ~」
そうしてまた、碧がマウスホイールをクリクリと回す。その眉間には、もう先程のような皺は刻まれていなかった。
「あはは、頼もしいです。ところで、色々わかったとは仰られていましたけど、そのプログラム? だけでなにがわかるんです?」
「ん~? 福朗君には説明したけど、組まれたプログラムにはクセが出るからね、そっから製作者を辿れないかって思ってるのよ」
「クセですか? あたし達で言うトコロの、筆遣いみたいなものですかね」
「あ~、そんな感じかな。いい表現だね日向ちゃん」
「ありがとうございます。それで、ソフト的にはどうなんですか? 又聞きですけどフクさんが言うには、イイ感じに選択肢をしぼってくれるんですよね?」
「うん、そう。その辺りがあたしから見れば秀逸なのよね~」
「秀逸と、言っても、どれにするかを、決めてくれるだけ、なんですよね?」
「ん~ん、違うよ。ただ単純に選んでくれるだけじゃない。ソコがこのソフトの秀逸なトコロであり、危険なトコロなんだよ」
やる気を出してパソコンに向かった碧だが、高月の問いに答えた後でクルリと椅子を回転させる。狭いスペースではあるが、面と向かって女子大生達に説明しようとして。
「明日香ちゃんは福朗君の考えを聞いてるんだよね?」
「はい。お二人にも『使わない方がいい』、と伝えてあります」
「よろしい。じゃあ、実際にこの『指神』というソフトがどうなっていて、どう危険なのかを話してあげよう」
「はい。よろしくお願いします」
「あたしも、なんでフクさんがそう言ったのか気になってたのよね」
「だね。難しい事は、わかりませんけど、私も、聞きたいです」
「うんうん、いいね君達。できるだけわかりやすく説明するから聞いてね」
実に素直な若者達である。これは説明のし甲斐があるというものだ。ニヤケそうになるのを堪え、碧は真面目な表情で語り出す。
「まず初めにだね、このソフトはAIプログラムとWEBプログラムで構築されてるのよ。簡単に言うと、学習機能があって情報集めができるのね」
「学習機能というのは、フクさんが言ってた『使用者に合わせて』、って部分に関係するんです?」
「そそ。理解が早くて助かるね。んじゃさ、情報集めの意味はわかる?」
「WEBってくらいだから、インターネット上から情報を集めるんだろうけど……」
「あっ、そう言えばフクさんは、長いアンケートに随分と手間取ってました」
「そっか、そのアンケートを元に、情報を、集めるんだね」
「そう言う事。あたしはやってないけどプログラム上で質問を見た感じでは、好みを聞き出すような内容だったね」
「好みを、ですか……あれ? でも、その時点で好みが、わかるなら」
「ですです。わざわざ情報集めの必要はありませんよね?」
「そうよね。学習機能だけで十分な気がするわ」
パソコンなどに詳しくなくとも、そもそもがソレ以上に優秀な脳という器官を持つ女子大生達は、自分達で考えて発言を繰り出す。小気味良い議論展開に、碧は増々嬉しくなるばかりだ。
「ところがどっこいよ。ネット環境の充実した現代だからこそ、情報集めの意味があるんだな~コレが。君達はインターネットってなんだと思う?」
「なに、と問われると……う~ん、なんでしょう?」
「考え始めると、難しい、質問だね」
「便利だとは思うけど、それは感想になるんだろうし……」
「うんうん、そうだね。既に構築されたシステムを使ってるだけじゃ、感想は持っても『ソレがなにか』、なんて考えないよね。コレはあたしの私見なんだけどさ、インターネットっていう膨大な情報の集積体は、今や『大いなる人間の意思』、だと思うんだよね~」
「大いなる――」
「人間の――」
「意思?」
高月、猫宮、明日香は、それぞれに呟いてキョトンとした顔をしている。それがまた可笑しくて、可愛くて。碧の舌が加速する。
「インターネットは元々、とある企業が迅速に情報をやり取りしたいから開発したものなんだよ。それが普及して、始めは広告なんかを掲載して手軽に全世界に宣伝できる媒体になった。そしてSNSが登場してからは、誰でも彼でもが自分の情報を上げる事になる。一企業から各団体へ、最終的には個々人だ。今やインターネットには、多くの人間の感情、嗜好、考えや思いが、溢れんばかりに詰め込まれている。だから『大いなる人間の意思』、ってわけ」
「ふぁ~……なんか、壮大な感じがします~」
「だけど、結局はバラバラの寄せ集めですよね? ソレを人間の意思と言うのは早計なんじゃないですか?」
「そうだね。誇張表現である事は認めるよ。でも、何億と居る人間が、それぞれ完全に違う考え方をしているわけじゃない。どこかに似通った部分は存在するものなのよ」
「そうか。そう言ったものを、統計的に見ると、その時代の、人間の感性が浮かぶ、という事ですね?」
「そそ、いいよ望深ちゃん。だからあたしは『大いなる人間の意思』って表現したの。けど、日向ちゃんの考えも間違ってない。解体すれば個々人の思想に戻るのよ。そんな数多の思想の中から似たものをピックアップするのが、『指神』の情報取集能力になるのね」
「似た意見を参考にして、道を示してくれるって事です?」
「惜しいね明日香ちゃん。それだと今度は、学習機能が要らなくなるでしょ?」
「あうぅ、そうですね……」
明日香は失言したように目を伏せてしまったが、碧としては責めたつもりはない。議論とは意見を論じ合う事だ。正確に定義するなら思考を論理的に組み立てた上で発言を交わす必要があるけれど、現状においてはそこまで厳しく取り締まる必要もない。碧が重視するのは、とにかく意見を発信する、という事なのだ。相手の考えがわからなければ、肯定も否定もできないのだから。
「そんな顔しないで明日香ちゃん。君の意見は一部当たってる。それに、日向ちゃんと望深ちゃんの意見もね。さて、じゃあ君達の意見を纏めるとどうなるのか、だよ」
お喋りモンスターには耳の付いていない種が多いとはいえ、碧は元来仕事のできる女でもある。真に仕事のできる人間とは、他人の教導にも長けているものだ。希少型お喋りモンスターである碧は、言葉を聞き取った上で主砲を展開する。その様は『指神』とは言えないまでも、『指導者』と呼ぶには相応しい姿である。
「アンケート結果を元にして、大いなる意思も取り入れつつ似た個々人の思想も抽出する。違う部分は丸めて捨てて、似た部分だけを学習機能がツギハギしていく。そうしてでき上るのはなんと、まるで回答者と同じような思考回路を持つAIだ。ここでも誇張表現をするのなら、『指神』が作り出すのは『もう一人の自分』と言っても良いかもしれない。それはまさしく神の所業。名前負けしない秀逸な性能ではあるけれど、君達はどう思うかな?」
「もう――」
「一人の――」
「自分……」
高月、猫宮、明日香は、驚いた顔をしながら再び言葉をツギハギするように言った。そしてその表情が、なんとも言えない不快感を孕んだものに変わっていく。彼女達の反応を満足気に眺めてから、碧は更に続きを語る。
「なんだか気味悪いよね? 不気味の谷って言葉があってさ、創られたものが人間の近似値を叩き出す程、あたし達はより強い不快感を覚えるって現象なのよ。主に姿形や挙動についてを指すんだけど、思考だって同じよね。『指神』に至っては自分自身にあたるんだから、その薄気味悪さは一層に引き立つ。君達の反応は正しいよ、あたしと違ってね」
「え? それってどういう意味です?」
「まさか、碧さんはなんとも思わなかったって言うんですか?」
「いやね、お恥ずかしい話、あたしはプログラマーだからさ、不快感よりも興味の方が先に立っちゃって。単純に凄いな、って思っちゃったのよね~」
ポリポリと頬を掻きながら、碧が恥ずかしそうに笑っている。明日香達はそんな碧を見て、単純に凄いな、と思った。
碧が言っていたように、システムの結果だけを聞けば感想しか思い浮かばないのだろう。しかし、システムの構造を読み解けるのであれば、違った見方も出てくるというもの。もちの良し悪しはもち屋にしかわからない。数多の商品を消費者側が美味しいとしか感じなくとも、もち屋にはもち屋なりの拘りがあるのだ。
とは言え、高月の問いから始まったこの流れの初めの発言より、碧にも危ういという認識はあるようだ。その辺りについてを、高月の口から改めて問い直す。
「でも、碧さんはちゃんと、危険だと、仰いましたよね? 気持ち悪いとは、思いますけど、私達はまだ、危険とまでは、認識してません。だよね?」
「ま、そうね。嫌な感じはするけど、それは碧さんの説明あってこそだろうし。ただ使うだけじゃ、そこまではわからないのよね?」
「はい。フクさんは『出来がいい』としか言ってませんでした。認識としては、『自分に合った選択をしてくれる』、程度だと思います」
「だとしたら、素人の、私達には、真の危険性が、わかってないという事。まだ続きが、あるんですね?」
高月の問いに対し、碧は嘆息気味に一息吐く。女子大生が三人居るのだ、本来なら姦しくあって然るべき。しかしこの娘たちは、どうやら文殊の知恵を発動させているらしい。優秀な若者達を前にしては、碧としても優秀な先達として振舞いたいトコロだ。ともあれ、さすがに一人では荷が重いので、ここはソファでヘコんでいるもう一人の先達を呼び寄せた方がいいだろう。そもそも『指神』の危険性を指摘したのは、あのどうにも頼りなさそうな男なのであるし。
「望深ちゃんの言う通りだよ。ここまでの説明は、あくまであたしがプログラマーとして読み取った『指神』の機能に過ぎない。危険だと言ったのは彼だから、説明は……お~い、福朗君!」
「はぁ……なんでしょうか?」
「いつまでもウジウジしてないで、コッチ来て説明したげてよ。君が言ってた、『指神』の危険性についてをさ」
「はぁ……俺なんかで良いんなら……」
碧に催促され、福朗は渋々ながらにソファを立ち、事務机の方へ移動する。碧とは机を挟む位置で止まり、力のない瞳で女子大生達を眺める。
「便利なモノってついつい使っちゃうでしょ? 一回手を出すと次も次もってなる可能性があるから、そんで使わない方がいいって言ったんだよ」
福朗が弱々しい声でしか説明しないので、碧は溜息を押さえられない。
「ちょっと福朗君、シャキッとしてよねシャキッとさ。この子達の為なんだから、ちゃんと説明してあげないとダメじゃないの」
「はぁ……そんな事言われましても……」
先程叱りつけたのがまだ尾を引いているようだ。いつもは頭を掻いているだろう腕も、今はダランと垂れ下がっている。明日香も溜息をつきたいトコロではあるが、そろそろ立ち直ってもらわないと困る。マッチポンプと言うか、ポンプマッチのような気がしないでもないけれど、福朗の考えを聞きたいのは本当だ。消沈した福朗を焚き付けるべく、明日香は真剣な眼差しを送る。
「中毒とか依存とかの話なら、沙和も言っていました。でもソレって結局、自分次第になりますよね? それだけで危険とまで言えるものなんです?」
「そうよね。あたし達も納得はしたけど、『使わない方がいい』、くらいにしか思ってないし」
「フクさんが危険と、言うからには、相応の理由が、あるんですよね?」
猫宮と高月からも視線を注がれた福朗は、観念したように頭を掻いた。先程の失態は後で反省するとして、今は期待に応えなければならない。過剰な期待に見えるので気持ち的に重たくはあるが、真剣には真剣で返す必要がある、と福朗は知っている。
「わかったわかった、ちゃんと説明するよ。碧さん、あんまり聞いてませんでしたけど、機能の説明は済んでるんですよね?」
「うん。『指神』が作り出す像の説明は済んでるよ」
「ありがとうございます。なら、話は簡単だ。弄るだけじゃなんとなくそう思っただけだけど、碧さんの説明を聞いて確信に変わった事があるんだよ」
それは、碧が二杯目のコーヒー飲みつつ話し、福朗が一杯目のコーヒーを飲み干しながら聞いて思った事だった。
「中毒や依存も質が悪いけど、まぁ、そんだけじゃ確かに、危険とまでは言わんかもしれん」
「はい。決して良くはありませんけど、なんと言うかその、対処はできるんだと思います」
「自分の事、だからね。しっかりと、我慢すれば、それで大丈夫、なはず」
「そうそう。使わないって決めちゃえば、どうとでもなるものだと思うわ」
「そう言う事。危ういと思うんなら、手を出さなきゃいいってだけなんだよ。危ういとさえ思えれば、ね」
「なによ、その口振りじゃ、まるで気付けないって言ってるみたいじゃない」
「ですです。自分に合った選択をしてくれるからって、ソフトを使ってる事実はあるんですから、さすがに気付かないなんて――」
「あ……まさか、もう一人の、自分って……」
「そう。そのまさかなんだよ高月さん」
福朗が思った事。もう一人の自分が居るとして、たとえ『もう一人』であったとしても、ソレは『指神』によって作られた『自分』である。ともすれば、もたらされる選択はまるで――
「明日香ちゃんには昨日話したよね? 人間ってのは選択に迷ってると思っていても、大抵の場合はどれかに偏っているもんだ、ってさ」
「はい。だからランダムで決めたはずの選択を不満に思ってしまって、サイコロを振り直してしまうんですよね?」
「その通り。猫宮さんと高月さんにも、なんとなく思い当たる節はあるだろ?」
「そう言われちゃあ……ねぇ?」
「わからなくは、ないです」
「ところが『指神』はどうだ? 毎回毎回納得のいく選択肢を選んでくれるじゃないか。選び直す必要がないってんなら、なるほどコイツぁ便利な代物だ。引き続き活用した方が、時間を有効に使えるってもんだろう。コレが、第一段階の依存になる」
「第一、です?」
「そう、第一だ。なら、第二段階はどうなるのか。納得のいく選択を与えられた人間は、『やっぱりそうだよなぁ』と思う。元々贔屓にしていた選択に気付かされるんだから、そう思うのは当然かもしれん。だが、その小さな後押しが与える印象は、まるで自分で選んだかのような気分だ。碧さんの調査によって『もう一人の自分』が生み出されてるってんなら、勘違いしたとしても頷けるだろ? コレが、第二段階の錯覚だ。本当に危険な状態ってのはね、危険であると気付けなくなる事なんだよ」
「そっか、錯覚してしまったらもう……」
「うん。悪いものと、思うからこそ、注意を払う。でも、錯覚して、気付けなければ……」
「それは、抜け出せなくなりそうね……」
明日香達は口々に呟いてから押し黙った。錯覚や勘違い、思い込みの恐ろしさが、この半年程で痛いくらい身に染みているからだ。明日香は祖母に対して。猫宮と高月は互いに対して。払拭するには外部の手が必要だ。自分一人では、もうどうにもできないだろう。
されど、猫宮だけはもう少し食い下がる。不屈の女も伊達ではない。
「でも……でもさ? それでもやっぱり、ソフトを使ってる事実はあるワケじゃない? 自分と同じような判断を下すとはいえ、本当に自分で決めてるなんて錯覚するものなの?」
「まぁ、そうだな。猫宮さんの言いたい事はわかる。だからここでもう一つ、人間の悪癖が作用して第三段階が発生するんだよ」
「第三って……まだあるの……?」
「俺の私見によれば、だけどね」
「つ……次は、どうなるってのよ?」
「君が今言ったように、自分で決めているように思ってもいても、ソフトを使ってる事実はある。そうなると次に人間が手を伸ばすのは、責任転嫁という悪癖なんだよ」
責任転嫁。責任を余所に押し付ける行為。それは自分を正当化し、自分だけを守る甘い汁。
「選び取った道でなにか失敗した時、本当に自分で決めたのなら、責を負うべきは自分になる。だが、ソフトを使って決めたなら、愚かな人間はどう思うのか……もう、わかるだろ?」
「そう……ね。自分は悪くないって、言い分けできるのね?」
「ああ、そうなるだろうね。それがまた依存を生んでしまって、無限ループが始まるだろう。俺達が今話してるのは、ゲームの選択肢じゃないんだ。俺達自身の道なんだから、責任転嫁なんて以ての外だ。例えばさ、このソフトに飲まれた自分を想像してみんさいよ。なんでもかんでもをソフトで決めて、良い結果なら単純に喜び、悪い結果ならソフトを悪し様に言うだけ。反省なんてしやしないんだよ。そこまでいくと、それこそゲームみたいじゃないか。プレイヤーとキャラクターが逆転して、最終的には『指神』の作り出した『もう一人の自分』がプレイヤーだ。パソコンが生み出した『存在』と言えるかどうかもわからんモノに、人生を左右される。そんな空恐ろしい事はない、と俺は思うんだよね。だから危険だと判断したんだよ」
福朗の講釈は長かったものの、猫宮も含め女子大生達は息を飲んでいる様子だ。その話はどこかSF染みていて、過剰な推察にも思える。しかし、一概に否定する事もできないからだ。
頭の良い人間は、快適を望んで改善を推し進めてきた。その結果、地球規模ではあらゆる環境を破壊する、一番の害虫と言ってもいいだろう。されど、今更ながらではあるが反省し、復興に努めるのも人間である。悩みや反省は重労働である為、楽チンに簡単に染まる人間は避けて通りたいと思うものだ。しかし、ソレさえも手放してしまえば、もはや人間とは呼べないのではないだろうか。
「飛躍はあるし、自分でも杞憂だと思うよ。でもまぁなんだ、頭抱えたっていいじゃないか。時間は有限だが、悩む時間だって全てが無駄になるわけじゃない。面白くて便利なソフトだと思うから全否定はしないけど、使うなら注意しなよ、って話さ」
そう言って福朗は、いつも通り朗らかに笑った。脅しに似た現代風怪談話をした後でそんな顔をされては、先程までの説得力が薄れてしまいそうだ。ともあれ、固唾を飲んでいた明日香達からは、徐々に緊張が消えていっている様子。
「なるほどね。言い過ぎ感は否めないけど、危険だってのは伝わってきたわ」
「ですです。『使わない方がいい』から、『使いたくない』に変わりました」
「自分で選ぶ、大切さを、再認識、できたね。さすがは、フクさんです」
得心のいった面々を前に、碧としては手柄を掻っ攫われた心持ちだ。だが、ソレもやむなし。危険という意見は元々福朗が発したのだから、あのまま話していれば碧の方が手柄を取る形になっただろう。あれだけ叱り飛ばされた直後でもこのような視線を向けられるのだ、これは紛れもなく福朗の手腕であり、福朗の手柄である。
碧は眉尻を下げて目を瞑り、腕を組んで背もたれに寄り掛かった。競うつもりはないけれど、なんだかちょっぴり悔しいなぁ。
「いんや、誰でも使えば思い至りそうな事さ。やってみたら?」
「えっ⁉ なに言ってんのよ福朗君⁉」
微妙な敗北感と共に身を引いた碧だったが、突然の掌返しに驚いて高速で椅子を回す。
「さっきと話がちガッ‼」
その途中、机に膝を盛大にぶつけてしまったようだ。
「っつ~~~~」
「なにやってんですか碧さん」
「うっさいなぁ、って言うかコッチの台詞だよ! 使うなって警告しといてなんで使わせようとすんのさっ!」
「そりゃあ伝聞で得た共感なんかより、実感の方が強いですからねぇ」
「だからってわざわざ危険に晒すなっつってんのよ!」
「いやいや、別に話を盛っただけで、そんな剣幕になる程危険なもんじゃないですってば」
あんなに語っておいてあっけらかんと言い放つ福朗。膝を摩る碧だってそこまで危険とは思っていないにしろ、だからといって……
「そりゃそうだけどさ、話に一貫性がないのはどうなのよ?」
「ん~、まぁアレですよ。俺と碧さんじゃ教育方針が違うんでしょう。危険を説いた上で実践させた方が身に着く、と俺は思うだけで……ああ、息子さんにしたって過保護にしてるだけじゃあ育ちませんよ? 一回俺に預けてみます?」
福朗が頭を掻きながらニヤリと笑う。以前自分にしてくれた行為には感謝しているが、息子に直接ともなるとさすがに越権行為だ。碧は摩っていた手を振り上げ、机にダンッと叩き下ろす。
「そうはいくかっ! この子達は好きにしたらいいけど、息子はあたしんだ! 福朗君にはあげないよ!」
「いんや、別に欲しいとまでは――」
「なんだとっ⁉ ウチの息子は優秀なんだぞ、欲しいと思わないのか⁉」
「うえぇ~~、どっちなんですか……」
出来心で突いた藪には、どうやら親バカモードの碧が潜んでいたらしい。このモードになると耳が塞がってしまうので、お喋りモンスターは弾が尽きるまで延々と息子について語り続けるだろう。福朗、本日二度目の詞刑執行である。
つい今しがたまでは頼れる大人に見えたのに、いきなり口論を始められては、女子大生達も顔を見合わせて困り笑いを浮かべるしかない。『指神』に頼るつもりは毛頭ないが、この二人の指針に従うかどうかも悩みどころである。