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第五幕 ネバつく労いはクセが凄い

 ネバネバ系食品は栄養豊富だが、クセが強いので賛否が分かれる

 碧の逆鱗に触れたと思い早急に逃げ出した福朗ではあるが、コーヒーが淹れ終わったのであれば戻らなければならない。少しだけ震える手でマグカップを持ち恐る恐るソファまで戻ってみると、福朗からすれば意外な笑顔で碧に迎えられた。

「あんがと福朗君。悪いわね、気を遣わせちゃって」

「いえ、そんな……これくらいは当然ですんで……」

 笑っていたかと思えば急に怒り出し、怒っていたかと思えば突然笑顔を振りまく。女心とは本当にわからないものだ、と福朗は困惑しながら腰を下ろした。

 どんなに会話を経ようとも、福朗にできるのはどこまでいっても予測演算でしかなく、決して理解ではないのだ。それに福朗の観察眼は腐っているので、先程の怒りがポーズであると見抜けるはずもない。

「さってと。そいじゃ、報告を始めようかしらね。あのソフトが二人のプログラマーによって作られたってのはさっきも言ったわよね? それを聞いて福朗君はどう思った?」

「どう、とは? へぇ、そうなんだ。としか思いませんでしたけど……」

「あ~~、今のは聞き方が悪かったかなぁ。え~っとじゃあ、『二人で作った』に対して、多いと思った? 少ないと思った?」

「人数の話ですか? そうですねぇ……俺的には出来がいいと感じたんで、少ないって印象ですかね。落とした人物が一人であるにせよ、どこぞの企業で開発されたものなんでしょう?」

「うん、普通はそう思うよね。でも残念。あたしの見た感じでは、アレは完全に二人の、個人が作り上げたソフトだね」

 自信有り気に二本指を立てた碧に対し、福朗は感心したように眉を上げる。

「凄いですね、そこまでわかるんですか?」

「あくまでもあたしの見立てで、確定とまでは言い切れないけどね」

 碧はそこまで言ってから、二杯目のコーヒーに口をつけた。

 福朗も合わせてコーヒーを飲みつつ、企業開発ではない場合の難易度上昇について、先程とは逆に眉をひそめる。

 昨今、記憶媒体が小型化するにつれ、紛失や置忘れなどのニュースが増えた。最悪の場合顧客情報や企業秘密が漏洩し、大きなイメージダウンにつながる為、取り扱いには細心の注意を払うようどこの企業でも申し渡されている。

 今回『指神』を弄って初めに福朗が思ったのは、『いい出来だ』という事と、『落とし主は会社でえらい事になってるんだろうな』、という事だった。パソコンソフトやスマホアプリに詳しくない福朗ではあるが、『指神』というソフトは多くの人に、特にこの国の人に広く受け入れられそうな志向をしている。発表されているものであれば、どこかできっと見聞きしていただろう。そう考えたので、『可能な限り内密に、且つ迅速に落とし主に返却したい』と思っていた。

 とは言え、さすがに手掛かりなしでは探しようがないので、ネットは使わず、申し訳程度の貼紙をして待とうとしていた。ただの貼紙であれば見る人数はかなり限られるし、見たとしても知らない者はスルーするだろう。上手くいけば、社員の誰かの目に留まり、無事に返せる、と。

 しかし、碧の言を信じるとすれば、『指神』の存在を知っているのは二人だけという事になる。開発者が友人知人に話していればその分人数も増えるけれど、企業開発と考えた場合の人数には劣るだろう。まぁ、企業の規模や、社内における情報共有がどれだけできているかにもよるのだが。

「個人のものとなると、探すのに苦労しそうだなぁ」

「そうだね。でも、君は探すんでしょ?」

「ええ、まぁ。『指神』にもそう言われましたからね」

「あっはは、ならやっぱり、福朗君自身がそう思ってるんだよ。そんな福朗君だからこそ、あたしも精一杯手を貸すよ」

 碧は一度笑ってから、再び真剣な表情に戻して続きを切り出す。

「個人製作って考えたのはね、フォルダ名の違いに伴って、プログラミングのクセが全然違ったからなのよ」

「クセなんてあるんですか? よくは知りませんけど、文法って言うんですかね? ちゃんと規定に沿って書かないと、動かないもんなのでは?」

「そうよ。でも、その規定内であれば、けっこう自由にできるもんなのよ。う~ん、なんて言ったらわかりやすいかなぁ? たとえばあたしと福朗君が同じお題を文章にしたとしても、一字一句まったく同じ文章ができ上がるわけじゃないでしょ? でも、意味としては同じように伝わる。そんな感じ」

「ん~、碧さんの言いたい事はわかるんですが、それは言い回しが違うからであって……プログラムにも類語みたいなのがあるんですか?」

「んあ~~、そうじゃないのよね~。ちょっと専門的に言っちゃうと、スペースの使い方とか、変数の名付けとか、関数をドコに置くかとかなんだけど……まぁ色々あるのよ、色々ね」

 最終的に碧は説明を諦めてしまったようだが、福朗としても、今はプログラミングの奥深さを知りたいわけではない。以前にも思った事だが、やはりもちはもち屋にかぎるのだ。専門家が言うのであれば、門外漢に考察は無用。妙なところで立ち止まってないで、プログラミング単体に関しては、素直に碧の見解を受け入れるのが流れとしてスムーズだ。

「そうなんですね。プログラミングにクセがあるのはなんとなくわかりましたよ。けど、それがなんで、個人作成に繋がるんです?」

「プログラムを実行するのはパソコンだけどさ、プログラムを書くのはあたしら人間なのよ。複数の人間が集って一つのソフトを作ろうって時に、それぞれが思い思いにクセ丸出しのプログラムを組んだとしたらどうなると思う?」

「あ~、なるほど。自分だけに読み取れるんじゃ意味がないから、企業開発の場合はある程度法則性が見つかるはず、ってんですね?」

「そそ、そういう事。皆が好き勝手してたんじゃ纏まんないからね、会社には会社のルールがあんのよ。ソレがあのプログラムには見られなかった。だからあたしは個人製作だと思うのよね」

「そうですね。碧さんの話を聞く限りじゃ、俺もそう思います。ですけど、ソレは二人組にしたって同じ事じゃないんですか? ソフトを作る上で話し合いを重ねているとしても、自分の領分だからって勝手なプログラムを――」

「ソレよ福朗君」

 福朗を遮りつつ、碧はビシッと指をさした。しかし、福朗にはなんの事かわからない。

「え? ドレです?」

「自分の領分、ってトコ。一概にプログラムって言ってもね、ソレこそ色々あるのよ。全てに精通したバケモノも居るには居るけど、大抵は専門特化、組むのに関してはね。でも、畑が違っても読み解くのはわりと可能なのよ。ソレはソレで知識が必要だけどね」

「はぁ……で、つまりはどういう事なんでしょうか?」

「つまりはね、あたしが思うのは、『指神』ってソフトは個人のAIプログラマーとWEBプログラマーによって作られたもので、その製作者達の技量はかなり高い、って事なのよ」

「そりゃあ畑違いでもうまく連携がとれて、二人であのソフトを作ったってんなら技量は申し分ないんでしょうが、ソレを知ったところで俺にはなんとも……」

 そうなのだ。プログラミングの知識がない福朗にとっては、製作者の技量がわかったとしても意味がない。芸術家は作品に署名を隠すと言うが、プログラマーもそうなのかはわからないし、碧が気づいていれば既に話しているだろう。確かに情報として増えてはいるが、依然数多の中の複数から、子数が減っておよそ二名。捜索が難航するのは目に見えている。

 しかし、碧は福朗と違って歴戦のプログラマーである。本職はゲームプログラマーなのだが、畑や言語が違えど読み解ける技量も有している。それに、仕事の関係上ソッチ方面への人脈もあるのだ。

 もう一度言おう、風間碧は某有名企業に勤めているプログラマーで、その道ではそこそこ名の通った人物である。その事を、福朗が知らないだけで。

 あさっての方向を向いて頭を掻いている福朗に、碧は右手をプラプラと振って笑顔を向ける。

「まぁまぁ、そんな顔しないでよ福朗君。その為にあたしが居るんじゃない」

「へ? どういう事ですか?」

「言ったでしょ? プログラムにはクセが出る、ってさ。なら、そのクセから個人の特定ができるかも、って話よ」

「本当ですか⁉」

 思わぬ朗報に福朗は身を乗り出す。子数側の特定ができるのであれば、確率問題など考えなくてすむからだ。とはいえ、その労力が幾ばくになるかは、福朗の与り知らぬところにある。

「……いんや、そいつぁ大いに助かりますが、碧さんにそこまでして頂くのはちょっと……」

「なによ? 迷惑だっての?」

「そんなわけないでしょ。俺、助かるって言ったじゃないですか」

「あっはは、そうだね。なら、なにが気に食わないの?」

「俺が今日碧さんを呼んだのは、少しでもソフトの情報が欲しいと思ったからなんです。碧さんにはもう、想定していた『少しでも』より多くの情報を頂きましたからね。これ以上負担をかけるのは……」

 謙虚と言うか、気遣いと言うか。遠慮なのか、借りを作りたくないのか。先程地雷らしきものを踏んだ手前、再び忠告を口にするような事はしないが、困り顔の福朗を見て、碧はまた呆れそうになった。だが、それが福朗のスタイルなのだ、と思い直す。

 自分にできる範囲の事を、自分の手でやる。自分の手には負えないからと言って、簡単に丸投げしたりはしない。余所様に負担を強いるだけなのであれば、頭を掻きながら遠路を選ぶ。それが福朗という男なのだ、と。

 ともあれ、一度『頼む』と言ったのは福朗だ。それに、『頼まれた』のは碧であり、承諾したのも碧である。そして、頼られて嬉しく思ったのもまた、間違いなく碧なのだ。ならば――

「なにウダウダ言ってんのさ、毒を食らわば皿まで、って言うでしょ? ……ん? あれ? いや、今のはニュアンスとして変かな? え~っとそうだっ、乗り掛かった舟なんだから、途中で降りやしないわよ。それとも何? あたしが中途半端に仕事を投げ出す女だとでも言いたいの?」

「いんや、そんな事言ってないでしょうに……」

 碧がニヤニヤと笑っている。碧の強引さは福朗も良く知るところなので、これ以上の反論は無駄というものだ。なにより、申し出は福朗からすれば、本来断るべくもない。福朗は頭を掻く手を止めて、碧に笑いかける。

「ははっ、そこまで言って頂けるなら、よろしくお願いしますね、碧さん」

「よしきたっ、あんまり期待されても困るけど、ちょっくら調べてみるから気長に待っててよ」

「はい。俺は俺で貼紙でもしようと思ってますんで、上手く持ち主が見つかる事を祈りつつ、一緒に頑張りましょうか」

 こうして福朗の予定とは異なり、USB返却へ向け、碧に追加の協力を得られる事と相成った。

 明日香が言っていたように、ことわざには発した人物の人と成りも搭載されるようだ。福朗の駆る『USB返却号』に碧が乗り込んできたのであれば、ゴリゴリにスピードが上がりそうなものである。それはそれで頼もしい限りなのだが、転覆しないよう舵取りには注意が必要かもしれない。


 *ちょっと間あいて*


 一応それなりに話は纏まったので、コーヒーを飲み終えれば帰ると思っていたのだが、福朗の予想に反し、碧はもう一度事務机についてパソコンを触り始めた。福朗もソレに倣い、今は碧の後ろから画面を覗き込んでいる。

「やっぱりホント、なかなかどうして上手くできてるわよね~、コレって」

「そうですか。碧さんから見てもそうなら、俺が思ってたよりよっぽどなんでしょうね」

 以前の依頼の時には、ただの悩めるシングルマザーとしか思っていなかった福朗も、ここまでの会話から技量の高さを察していた。泣く子は黙らせられないが、見るものが見れば感涙に咽ぶような整然としたプログラムを組む。それがプログラマーとしての碧である。

 そんな碧をして『上手くできてる』と言わしめるのであれば、余人が下した目算なんぞよりも遥かに優れているのだろう。『神』を銘打つとは傲慢な思想だと感じもしたが、それだけの力がこのソフトには宿っているのかもしれない。高級バッグに引き続き価値のあるモノを拾ったのだと、福朗はまた自分の観察眼を勘違いしてしたり顔になった。

 一方で碧は、難しい表情で頬杖をつき、マウスホイールをクルクル回してプログラムを追っていく。現在表示しているのは、英単語フォルダにあったプログラムの方だ。

「そう言えば碧さん、さっきからなにしてるんです? そんなに早く送ってちゃ、調査にならんのでは?」

「ん? ああ、どのプログラムがなにをしたいかはもう大体わかったからね。今は全体としての構成を見てんのよ。さっき言ってた、プログラムのクセを覚えようと思ってさ」

「マジですか? そんなもん、覚えられるもんなんですか?」

「そりゃあ完全には無理よ。とりあえずの感覚を掴む、って感じ? 型と言うか輪郭と言うか特徴と言うか、そんなのをザックリと憶えるくらいならできるからね。なにより、コピーするわけにはいかないでしょ?」

「ええ、まぁ。ソレは俺も避けたいんで」

 拾ったモノの所有権を主張する事はできるかもしれないが、著作権については別問題である。福朗は実際の法律上どうなっているのか知らないけれど、妄りに複製するのはトラブルの元だと思っていた。特に今回は、まだ世に出ていないと思しきソフトなのだ。販売されて出回っているバッグとはわけが違う。それにバッグの著作権と言うのなら、デザインや製法に関してだろう。完成されて金銭取引のすんだバッグ自体は購入者の所有物になるので、手放されたからといってメーカーに帰属したりはしないはず。だから福朗は喜んでバッグを受け取ったが、USBの扱いについては慎重に成らざるを得ない。外身ではなく、中身の取り扱いについてを。

「一時的に碧さんに預ける手もありますけど、又貸しみたいでどうも具合が良くなくて……」

「わかってるよ、君は責任感が強いからね。持ち主に返す為とは言え、実物をたらい回しにするのは気が引けるんでしょ。あたしも変に口外したりはしないつもり。このソフトはあたし周りの方が注目しそうだからね。それとなく、カマかける感じで情報を集めてみるよ」

「助かります碧さん。ホント頼んで正解でしたよ」

「あっはは、お褒めに預かり光栄よ。よし、っと。まぁ、コッチはこんなもんでいっか」

 一段落ついたのか、碧は英語フォルダのプログラムを閉じて大きく伸びをした。そして二、三回首をコキコキと鳴らした後、大きく息を吐いて二字熟語フォルダのプログラムを開く。

「さ~て、厄介なのはコッチだね~。こんなんでよく、まともに動くAIプログラムが作れるもんだよ。コイツたぶん、フリープログラマーだな」

「へぇ、そんなのまでわかるんですね」

「うん。書き方に統一性がなくて、その時その時で組み立ててるって感じかな? 独学独歩のヤツが陥りやすい組み方してるのよね。一言で言うと最近流行りのアレよ。クセが凄い!」

「あ、ああ、なるほど……」

 他人の事は言えんだろうに……な~んて事はもちろん言わない。代わりに福朗は、巻き込んでしまった碧を労うように言う。

「コーヒー、もう一杯淹れて来ましょうか?」

「ん~ん、いい。コーヒーばっか飲んじゃうと、お腹チャプチャプになっちゃうじゃんか。なにか出してくれるんなら、つまめるモノが欲しいな~」

「了解しました。ちょっと探してきますね」

 そう言い残した福朗は、三度休憩室へと消えた。碧の耳に一分程ガサゴソ音が届いた後、福朗が手にして戻ってきたのは――

「ウソでしょ……? ソレを今、あたしにつまめっての?」

「いやぁ、その……ちょうどいいサイズのつまめるもんがコレしか見つからなくって……」

「一粒一粒つまめってのか⁉ クセが凄いなっ⁉」

 碧が驚くのも無理はない。つまめるモノをと福朗が用意したのは、まさかの納豆パックだったのだから。共に持って来た割り箸を使えば、確かに『つまんで食べる』事はできる。しかし碧は、大喜利のお題を出したわけではないのだ。したがって、

「そんなのヤ~よっ、チェンジ‼」

「ですよね~」

 と、当然こうなる。碧も納豆は嫌いではないが、来客用として振舞われるのであれば、『早く帰れ』という暗喩のあるお茶漬けの方がまだマシだ。ほとほと呆れかえってしまい、今にもやる気がなくなりそうである。

 そんな碧に見守られながら、福朗がスゴスゴと給湯室へ歩き出した時、ちょうど事務所の扉が開かれた。

「こんにちは~。フクさん来ましたよ~」

 この『何でも屋』における助手兼女給、高梨明日香。救世主の登場だった。


 ↓明日香の申し分ない働きの後↓


 碧は無事、明日香によって紅茶とクッキーにありつけていた。水分はもう十分摂れているが、クッキーに合うので喜んで紅茶も口に運んでいる。そして福朗はと言うと、明日香に怒られていた。

「前に言ったじゃないですか! 『お客様に出すお茶請けは、下の戸棚に入れときますね』って!」

「……はい」

「『はい』じゃないです! ソレを聞いてなかったからあんなモノを出しちゃったんじゃないですか!」

「いやいや、あんなモノなんて言うなよ。納豆はおいし――」

「口ごたえはいいんです! 反省をして下さいっ、反省を‼」

「……はい」

 福朗の体たらくを叱りつける明日香は、本当に有能な助手である。頭を掻きながら頭を垂れる福朗と、腰に手を当てて前のめりに怒鳴る明日香。怒られている福朗が縮こまって見えるので、今は明日香の方が大きく感じられる。

「ね~え? あの二人、いつもあんな感じなの?」

「ま、いつもと言えば、いつもですかね。明日香をあそこまで怒らせるのは、フクさんくらいじゃないかしら?」

 碧の問いに答えているのは、明日香と共にやってきた猫宮だ。その隣には高月も待機しているが、絶賛人見知り中の為言葉は発しない。

「ふ~ん、福朗君も隅に置けないわねぇ。こんな可愛い、女子大生? 達と、いつの間に知り合ったんだか」

「あたし達は一月くらい前で、明日香はもうちょっと前らしいです。どっちにしたって最近ですね」

「そうなんだ。それであそこまでになるんだから、随分と相性が良さそうねぇ」

 クッキーを齧りつつボンヤリと呟く碧の横顔を、猫宮はこっそりと覗き見る。

 有能な助手である明日香は、と言うか、有能な女給として一目で色々と察した明日香は、すぐさまバタバタと動き始めた。よって、互いの紹介はまだ済んでおらず、知らない者同士でなんとなく会話している段階だ。知らないが故に、マダムよりも若い妙齢の碧の存在が、猫宮は気になっていた。

 実際のところ、明日香が福朗をどう思っているのかはわからないけれど、どう低く見積もってもお気に入りではある。これっぽっちも女の影が見えなかった福朗の元に、突然現れた実在の女性。ショートヘアの似合うわりと綺麗な顔立ちで、年齢的にも釣り合いそうだ。あまり『何でも屋』の客人に無礼を働きたくはないのだが、不躾と知りつつも、猫宮は一応聞いておく事にする。明日香の為を思って。

「あの、つかぬ事をお聞きしますが、もしかして、その……フクさんを狙ってたりします?」

「へ? あたしが?」

 猫宮の問い掛けに対し、碧は心底驚いた表情を浮かべた。そして直後、クッキーが飛び出さんばかりに大笑いを始める。

「あっははははっ! ナイナイ、ナイわぁ~~! なんでそんな事聞くのか知んないけどさっ、あんなおっきな子供は絶対に要らないわ~! あたしゃ息子だけで手ぇ一杯だっての! あっはははは!」

 碧の笑い声が室内を埋め尽くし、気付いた明日香は一旦説教を止めた。どうやら客人の機嫌は良さそうなので、これ以上事務所としての失態を演じるわけにはいかない。最後に一際大きな溜息を吐き、福朗を睨み付ける。

「もういいです! とにかく、今後は気を付けて下さいね!」

「はい……以後、気を付けます」

 福朗の小さな返答に鼻を鳴らしてから、明日香はようやく碧に向き直った。今し方の鬼の形相から一変して、申し訳なさそうに眉を下げる。

「お騒がせして申しわけありませんでした。私は助手の、高梨明日香と言います。先程の不手際は厳重注意しておきましたので、お許し頂けませんでしょうか?」

「あっはは、いいっていいって。そんなに畏まらなくっても、元々怒ってやしないんだからさ」

「でも……」

「いいからいいから、気にしないで。女の子に怒られる福朗君ってのもなかなか面白い出し物だったからね、あたしとしてはむしろ得した気分だわ~」

 右手を手招きするようにプラプラと振り、碧がカラカラと笑う。そのカラッとした裏表のない笑顔を見て、明日香はホッと胸を撫で下ろした。

「そう言って頂けるのであれば幸いです。それでその……お名前をお伺いしてもよろしいです?」

「ああ、そうだったわね。あたしは風間碧っての。福朗君に見て欲しいものがあるって言われたから、馳せ参じた協力者ってトコね」

「そうだったんですね。ご足労頂いてありがとうございます」

「残念ながら依頼人じゃないけど、だからこそ気を遣わなくていいの。仲良くしてくれるんなら嬉しいけどね」

「依頼人じゃなくても、お客様に変わりはありませんよ。でも、私も仲良くして頂ければと思います」

 事務所に来てからというもの、大慌てで給仕をし、福朗を怒鳴りつけ、碧に謝罪した明日香は、ここでやっと笑顔を見せた。

 なんやかんやで事務所によく顔を出すようになった猫宮と高月だが、マダムや自分達以外に対応する明日香を見たのは初めてだ。客人と認識しているのに目の前で怒鳴り散らしたのはどうかと思うが、全体的に見れば助手として優秀な働きをしたと評価できるだろう。

「明日香ちゃんも、やるもんだね」

 そう猫宮に耳打ちした高月は、言い終えてから優しく笑った。そのどことなく明日香に似た笑顔を見て、

「そうね。普段はナヨッちぃけど、やればできる娘だからね」

 と、猫宮も笑う。苦笑に近い笑顔を高月に向けながら、猫宮は内心『アンタもそうだけどね』、と思っていた。

「ところで、ソッチのお二人さんも助手って事なの?」

 密かに笑い合っていた猫宮達の元に、碧の問い掛けが飛んできたようだ。途端、高月の顔が強張ってしまったので、猫宮は思わず額に手を添えて溜息をついてしまう。ホント、やればできる娘なのになぁ……

「いえ、あたし達は違いますね。明日香の友達です。あたしが猫宮で、コッチが――」

 途中で言葉を切り、猫宮が正面の碧から右を向く。しかし、そこに高月の姿はなかった。見えるのは明日香と、項垂れた福朗だけ。

「あはは……コッチが――」

 笑いで取り繕いながら左を向くも、そこにも高月の姿はなかった。高月は完全に、碧から隠れるように後ろ側へ回っていたのだ。まぁ隠れると言っても、猫宮より頭一つ分背の高い俯いた頭部は、碧から丸見えなのだが。

 猫宮は一瞬だけ硬直した後、笑顔のままで青筋を立てたかと思いきや、クルリと一回転しながら左後方へ移動し、バシンと高月の背を打った。

「ヴッ……」

 高月は一歩よろけつつ、無理矢理碧の前に立たされる。

「あはは、すいませんね。コッチの、人見知りが服着て歩いてるようなのが――」

「……」

 ここに来てまだ言葉を発しない高月に、猫宮の額には更に青筋が浮く。そして、

「が‼」

「ッッ‼ ……た……高月……です……」

 と、猫宮の恫喝によりビクンと一跳ねした高月は、やっとの事で小さな小さな自己紹介を終えた。

「ん、よろしい」

 そう言って満足そうな表情を浮かべ、高月の背を撫でる猫宮。一部始終を苦笑いしながら見守っていた碧だが、名前を覚えた上でもう一つの疑問を口にする。

「猫宮ちゃんと、高月ちゃんね。それで、高梨ちゃんの友達なのはわかったけど、どうしてココに? いくらお友達が助手だからって一応仕事場なんだからさ、遊びに来るようなトコじゃないでしょ?」

「あ~~その……そう言われてしまえば、そうなんですけど……」

 碧のもっともな指摘に対して、猫宮は珍しく言葉を濁した。明日香の客人認定があるし、なにより猫宮から見た碧は、ダラけた福朗とは違ってちゃんとした大人に見える。さすがの猫宮とて、そうそういつものように反論したりはしない。

 責めているとまではいかないだろうけど、碧の問いによって猫宮が困っている様子だ。高月はそれを、少しだけ不満に思った。それに、口許は笑っているようだが、碧の目はどうも鋭く見える。モジモジと動かしていた手を止めて、高月は俯いたままで口を開く。

「フ……フクさんの許可は、頂いてます。それに、お仕事の邪魔を、するつもりは、ありません」

 さっきまであんなに口を噤んでいた高月が喋り出したのだ、猫宮は驚いて隣を向くが、その向こうにはにこやかな明日香も見える。殻を被れば人見知りだが、殻を破ればYDKの高月。どうやら今度は、自分が黙っているターンらしい。

「福朗君もホントお人好しなんだから。彼の仕事を知ってるの?」

「当然、知っています。私達は元、依頼人なので」

 高月が口をきいたこと自体には驚かないものの、『元依頼人』という点に碧は驚いた。驚いて、そして納得する。彼女達がココに足を運ぶ理由はおそらく自分と同じで、なにかできないかと思ってなのだろう、と。

 鋭い目つきと言うのは高月の想い違いだが、色々と察した碧は目を細めて優しく微笑む。

「そかそか。じゃああたしとおんなじだね」

「そう、なんですか?」

「うん。あたしもね、一人息子について依頼をした事があるんだよ。福朗君はお節介だけどさ、いい着地点を見つけてくれるよね」

 碧の言葉と雰囲気が変わった事で、高月もなんとなく察した。『馳せ参じた』と言っていたのは単なる言い回しではなく、本当にそうなのだろう、と。

「はい。私も、そう思います」

 高月が碧に微笑み返したので、猫宮もつられて少し笑う。それらを一段落と踏んだ明日香は、同じように微笑みながら事務机に歩み寄った。

「ところで風間さん、ソフトについてはなにかわかりました?」

 明日香の声に反応して碧が目をやると、フラフラとソファへ歩き出した福朗も目に入った。どうせ立つ瀬がなくなって、立っていられなくなったのだろう。恩人ではあるけれど、どうも自業自得のようなのでフォローする気にもならない。それに、福朗とのやり取りはもう十分済んでいる。オッサンに相手してもらうのは飽きたので、ここからは若い女の子をはべらせて、キャッキャウフフと楽しもうではないか。

 オッサンを避けて若い女の子に労いを求める。そんな碧の発想はオッサンのものと同質ではあるけれど、わかっていても気にしないのが碧という女なのであった。

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